自然主義的二元論

「自然主義的二元論」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

自然主義的二元論」(2012/12/05 (水) 22:48:03) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**概説 自然主義的二元論(英:Naturalistic dualism)とは、[[デイヴィッド・チャーマーズ]]が[[意識のハードプロブレム]]、すなわち物質としての脳からどのようにして[[現象的意識]]や[[クオリア]]などと呼ばれるものが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称。現象意識やクオリアなどの問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという立場のこと。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを[[哲学的ゾンビ]]の思考実験などで論証し、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在可能である。 3、従って意識に関する事実は、物理的事実とはまた別な、我々の世界に関する事実である。 4、ゆえに唯物論は偽である。 **自然主義的二元論の立場 近年、現象的意識やクオリアという名で哲学者たちの間で呼ばれるようになった意識の主観的体験を、物理学の枠組みの中のどこに位置づけられるのかという問題は、ジョン・ロックやライプニッツの時代から様々な哲学者たちにより論じられてきた。現在の物理学がその実在を仮定している基本的な存在要素、例えば電荷やスピンやエネルギー、そして時間や空間などと同様に、新たに現象意識をメンバーとして迎え入れ、その上でその現象意識の振る舞いを記述することになる未知の自然法則を探索すべきだ、というのがチャーマーズの立場である。 名称中で使われている二元論という言葉は唯物論または物理主義の否定を表す。つまり意識の問題を還元や消去によって解決することは出来ない、という立場である。そして自然主義という言葉でデカルト的な実体二元論の否定を表す。つまり霊や魂といった超自然(Supernatural)的なものによる説明ではなく、意識の主観的側面に対する自然主義的、科学的な説明を与えるべきだ、という立場を表す。デカルト的な二元論との違いを強調するため「特性二元論」という場合もある。これは、宇宙には物理特性と意識特性の二つがあるという意味である。 自然主義的二元論は、観念論も対立候補に入るが、自然主義的二元論そのものが物理主義への批判として始まったため、観念論との論争はあまり見られない。物理主義における[[心脳同一説]]、[[機能主義]]といった立場との対立は、現象的意識に対して存在論的ギャップ――つまり心的現象は存在論的に物理現象とは異質なものだということを認めるか否か、という点に関する立場の違いとして理解できる。つまり二元論的立場は物理状態と現象的意識の間に存在論的ギャップを認めるが、物理主義的立場はそうしたギャップは認めない。 自然主義的二元論は、意識の主観的側面に関して二元論的立場を取った上で、それは科学的(自然主義的)に解明できるだろう、という立場を取っているという点で、同じく二元論的立場を取る[[新神秘主義]]と対立する。自然主義的二元論は[[意識のハードプロブレム]]を科学的に解決可能な問題だと考えるが、[[新神秘主義]]はハードプロブレムは[[認知的閉鎖]]という考えを理由に、人間には理解・解決できない類の問題だと考える。 ・意識に関する問題を解決するために物理学の拡張が必要だ、と訴えている有名な論者として、チャーマーズと別にロジャー・ペンローズがいる。この二人の主張は一見よく似てるようにも思えるが、問題としている部分が大きく異なる。チャーマーズは意識の現象的な側面・クオリアの問題を中心においているのに対し、ペンローズは意識の機能的側面の問題、具体的には人間の思考はチューリング・マシンでシミュレート可能かという問題を中心に置いている点で異なっている。 ---- ・参考文献 デイヴィッド・J. チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』林一 訳 2001 白揚社 ・参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%9A%84%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96 ----
**概説 自然主義的二元論(英:Naturalistic dualism)とは、[[デイヴィッド・チャーマーズ]]が[[意識のハードプロブレム]]、すなわち物質としての脳からどのようにして[[現象的意識]]や[[クオリア]]などが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称であり、その問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという主張のことである。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを[[哲学的ゾンビ]]の思考実験などで論じ、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在可能である。 3、従って意識に関する事実は、物理的事実とはまた別な、我々の世界に関する事実である。 4、ゆえに唯物論は偽である。 **自然主義的二元論の立場 近年、現象的意識やクオリアという名で哲学者たちの間で呼ばれるようになった意識の主観的体験を、物理学の枠組みの中のどこに位置づけられるのかという問題は、ジョン・ロックやライプニッツの時代から様々な哲学者たちにより論じられてきた。現在の物理学がその実在を仮定している基本的な存在要素、例えば素粒子やエネルギー、そして時間や空間などと同様に、新たに現象意識やクオリアをメンバーとして迎え入れ、それらの振る舞いを記述することになる未知の自然法則を探索すべきだ、というのがチャーマーズの立場である。 名称中で使われている二元論という言葉は唯物論または物理主義の否定を表す。つまり意識の問題を[[還元主義]]によって解決することは出来ない、という立場である。そして自然主義という言葉でデカルト的な実体二元論の否定を表す。つまり霊や魂といった超自然(Supernatural)的な概念を用いず、意識の問題に自然主義的、科学的な説明を与えるべきだ、という立場を表す。デカルト的な二元論との違いを強調するため「特性二元論」という場合もある。これは、宇宙には物理特性と意識特性の二つがあるという意味である。 自然主義的二元論と、物理主義との立場との対立は、現象的意識やクオリアに対して存在論的ギャップ――つまり心的現象は存在論的に物理現象とは異質なものだということを認めるか否か、という点に関する立場の違いとして理解できる。つまり二元論的立場は物理状態と現象的意識の間に存在論的ギャップを認めるが、物理主義的立場はそうしたギャップは認めない。 ---- ・参考文献 デイヴィッド・J. チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』林一 訳 白揚社 2001年 ・参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%9A%84%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96 ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: