命題的態度

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#contents ---- *概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。[[バートランド・ラッセル]]が案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である、とされる。 命題的態度は言語に類似しており、それゆえに構文論的構造をもっている。このことは、心とは何かという問題において、心脳同一説や機能主義が正しいといえるためには、脳状態もまた構文論的構造をもっていなければならないということになる。 [[機能主義]]では、各タイプの命題的態度はあるタイプの機能によって定義され、そのタイプの機能を実現する脳状態トークンであれば、いかなるタイプの脳状態であってもその命題的態度と同一であるとする。つまり命題的態度はタイプ的に同一でないがトークン的に同一であると考える。それに対し[[非法則一元論]]では、同一タイプの命題的態度トークンは、必ずしも同一タイプの機能をもつわけではない。いずれにせよ広義の心脳同一説では個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする。 なお、[[消去主義>http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/31.html]]では命題的態度の実在性を否定する。 *解釈主義 Aは犯人がBであるという信念をもっていたとする。またこのケースでは「Aは、BかCのどちらかが犯人であるという信念と、Cにはアリバイがあるという信念をもっていたので、Bが犯人であるという信念をもつようになった」という理由があったとする。それらの理由は理に適っている。心の哲学ではこのように、命題的態度が他の命題的態度や行為を理に適ったものとする関係性を「合理性」と呼び、そのように合理的な命題的態度との関係に基づく説明を「合理的説明」と呼ぶ。 「合理的説明」とは命題的態度や行為を、ある理由に基づくものとして理解することであり、それゆえに「解釈」とも呼ばれる。そして、合理性に命題的態度の本質を見出そうとするのが「解釈主義」である。1970年代にD・ディヴィドソンとD・C・デネットがこの立場を主張する。心脳同一説や機能主義が、心的状態を他の心的状態や刺激と因果関係と法則性をもつものと見るのに対し、解釈主義では心的状態を合理性の観点から捉える。ある信念は、その人のさまざまな命題的態度や行為を合理的なものとして解釈する際に、その信念がその人に帰されるかどうかで決まることであり、その信念が他の命題的態度や行為と因果関係を成しているかどうかは関係が無い。つまりある人がある命題的態度をもっているということは、解釈によってその命題的態度が合理的なものとしてその人に帰されるということに他ならない。解釈主義は因果性を命題的態度の本質とは考えないのである。したがって解釈主義は、個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする広義の心脳同一説と一線を画する。 ただし、解釈主義と心脳同一説や機能主義が厳密に異なるかは明らかではない。解釈主義が重視する合理性は法則性に還元できるかもしれないからである。しかしデネットは心的状態と脳状態のあいだにトークン同一性すら認めない。彼にとって心的状態は行為を合理的に理解するための仮想的な状態であり、実在的とみなさない。彼にとって心的状態とは行為に合理的な秩序を与えるための道具に過ぎず、このことから「道具主義」の立場を取る。 ---- ・参考文献・論文 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年 金杉武司『心の哲学入門』勁草書房 2007年 金杉武司「解釈主義と消去主義 ―命題的態度の実践的実在性―」2003年 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/28700/1/tkr005003.pdf ----
#contents ---- *概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。[[バートランド・ラッセル]]が案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ&footnote(ダニエル・デネット『心はどこにあるのか』089-090)。 >x は p を信じる >y は q を望む。 >z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象である。二人の人間が一つの信念を共有するということは、その二人が同一の命題を信じているということである。 命題的態度は言語に類似しており、それゆえに構文論的構造をもっている。このことは、心とは何かという問題において、心脳同一説や機能主義が正しいといえるためには、脳状態もまた構文論的構造をもっていなければならないということになる。 [[機能主義]]では、各タイプの命題的態度はあるタイプの機能によって定義され、そのタイプの機能を実現する脳状態トークンであれば、いかなるタイプの脳状態であってもその命題的態度と同一であるとする。つまり命題的態度はタイプ的に同一でないがトークン的に同一であると考える。それに対し[[非法則一元論]]では、同一タイプの命題的態度トークンは、必ずしも同一タイプの機能をもつわけではない。いずれにせよ広義の心脳同一説では個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする。 なお、[[消去主義>http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/31.html]]では命題的態度の実在性を否定する。 *解釈主義 Aは犯人がBであるという信念をもっていたとする。またこのケースでは「Aは、BかCのどちらかが犯人であるという信念と、Cにはアリバイがあるという信念をもっていたので、Bが犯人であるという信念をもつようになった」という理由があったとする。それらの理由は理に適っている。心の哲学ではこのように、命題的態度が他の命題的態度や行為を理に適ったものとする関係性を「合理性」と呼び、そのように合理的な命題的態度との関係に基づく説明を「合理的説明」と呼ぶ。 「合理的説明」とは命題的態度や行為を、ある理由に基づくものとして理解することであり、それゆえに「解釈」とも呼ばれる。そして、合理性に命題的態度の本質を見出そうとするのが「解釈主義」である。1970年代にD・ディヴィドソンとD・C・デネットがこの立場を主張する。心脳同一説や機能主義が、心的状態を他の心的状態や刺激と因果関係と法則性をもつものと見るのに対し、解釈主義では心的状態を合理性の観点から捉える。ある信念は、その人のさまざまな命題的態度や行為を合理的なものとして解釈する際に、その信念がその人に帰されるかどうかで決まることであり、その信念が他の命題的態度や行為と因果関係を成しているかどうかは関係が無い。つまりある人がある命題的態度をもっているということは、解釈によってその命題的態度が合理的なものとしてその人に帰されるということに他ならない。解釈主義は因果性を命題的態度の本質とは考えないのである。したがって解釈主義は、個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする広義の心脳同一説と一線を画する。 ただし、解釈主義と心脳同一説や機能主義が厳密に異なるかは明らかではない。解釈主義が重視する合理性は法則性に還元できるかもしれないからである。しかしデネットは心的状態と脳状態のあいだにトークン同一性すら認めない。彼にとって心的状態は行為を合理的に理解するための仮想的な状態であり、実在的とみなさない。彼にとって心的状態とは行為に合理的な秩序を与えるための道具に過ぎず、このことから「道具主義」の立場を取る。 ---- ・参考文献・参考サイト 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年 金杉武司『心の哲学入門』勁草書房 2007年 金杉武司「解釈主義と消去主義 ―命題的態度の実践的実在性―」2003年 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/28700/1/tkr005003.pdf ダニエル・デネット著 土屋俊 訳『心はどこにあるのか』草思社 1997年 ----

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