現象

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#contents ---- **概説 現象(英:phainomenon)とは、人間によって知覚される全てのものごと。または人間の意識に「現れ」るもののこと。対義語は「本質」または「[[実在]]」。本質や実在を不可知として現象のみが存在する、または知覚できるという立場が[[現象主義]]である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「[[表象>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E8%B1%A1]]」や「[[クオリア]]」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象の背景に実体があることを肯定する立場。観念論的傾向で、[[プラトン]]、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす本体 (noumenon)や本質を想定し、それがわれわれの意識に現象をもたらしていると考える立場。[[イマヌエル・カント]]は「物自体」を想定し、人間には物自体は認識不可能であり、認識可能なのは現象界だけだと考えた(不可知論)。カントは実践哲学においても、自由の可能性を保証するものとして物自体の世界を実践理性の要請であるとした。 (3)実体や物自体の存在を認めず、現象の認識だけを認める立場で、現象主義と呼ばれる。経験主義と実証主義の方法を究極にまで進めた思考型である。[[デイヴィッド.ヒューム]]、エルンスト.マッハ、A.J.エイヤー、オーギュスト・コント、[[大森荘蔵]]などに代表される。現代でも論理実証主義や操作主義(operationalism)でその方法論が用いられている。 哲学の歴史では、[[パルメニデス]]の「変化は矛盾である」という主張を受け、変化する現象を説明するため、プラトンが[[イデア>http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/61.html]]を想定し、現象と対置したのが始まりである。 中世スコラ哲学においては、[[実在]]する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に区別されることもあった。 英国経験論の[[ジョージ・バークリー]]は、客観世界の実在性を否定して現象のみが存在するとした。これが[[現象主義]]の始まりである。 [[イマヌエル・カント]]は、現象を物自体と対比した。人間には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリ(先験的)にそなわっているとし、その認識形式、つまり人間の認識装置によって物自体を捉えたものが現象である。 フッサールは、哲学や諸々の学問に確実な基礎を与えることを目的とし、外界の実在性について判断を中止し、それでもそのあとに残る純粋意識を分析し記述する、という方法を採用した。カントが感性や悟性といった超越論的な自我の能力を想定したのに対し、フッサールが想定した自我は記述のための単なる方法である。フッサールは現象について、本体などの背後にあるものとの相関については想定しない。 ---- ・参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1 http://kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2 ----
#contents ---- 現象(英:phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「[[実在]]」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が[[現象主義]]である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「[[表象]]」や「[[クオリア]]」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・本体 (noumenon)を想定し、それがわれわれの意識に現象をもたらしていると考える立場。[[イマヌエル・カント]]は「物自体」を想定し、人間には物自体は認識不可能であり、認識可能なのは現象界だけだと考えた(不可知論)。 (3)実体や物自体の存在を認めず、現象の認識だけを認める立場で、現象主義と呼ばれる。経験主義と実証主義の方法を進めた思考型である。[[ジョージ・バークリー]]、[[デイヴィッド・ヒューム]]、エルンスト・マッハ、A.J.エイヤー、[[大森荘蔵]]などに代表される。現代でも論理実証主義や操作主義(operationalism)でその方法論が用いられている。 哲学の歴史では、紀元前の[[パルメニデス]]が、変化する現象は矛盾だとして不変の実体を想定したことから、現象についての哲学的考究が始まる。パルメニデス以降の哲学者は、変化する現象と不変の実体とを調和させるため、[[イデア論]]や原子論など、さまざまなアイデアを考案することになる。 中世スコラ哲学においては、[[実在]]する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に区別されることもあった。 [[ジョージ・バークリー]]は、客観世界の実在性を否定して現象のみが存在するとした。これが[[現象主義]]の始まりである。 [[イマヌエル・カント]]は、現象を物自体と対比した。人間には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリ(先験的)にそなわっているとし、その認識形式、つまり人間の認識装置によって物自体を捉えたものが現象であるとした。 フッサールの現象学では、現象外部の実在性について判断を中止し、現象の構造を分析し記述するという方法を採用した。カントが感性や悟性といった超越論的な能力をもつ自我を想定したのに対し、フッサールは現象を記述するための手段として自我を(暫定的に)想定したに過ぎない。フッサールは現象について、その背景にある実体などとの相関については想定しない。 ---- ・参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1 http://kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2 ----

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