• 2006.6.30 石倉

ムンバイの人口は今や1400万で東京並みです。広さも相当な物です。今回は海岸沿いの旧市だけを見ました。
ホテル代が高いです。アンバサダーホテルという四つ星に泊まりましたが、眺望の良い回転展望レストランがあるもののロビーが狭くて三つ星並み。室に湯沸しもなし。それが一泊二人朝食つきRM600につきます。
ストリートチルドレンがいて、ねだられて困りました。
水が悪いです。行く前に、日本人は必ず下痢をして帰ると聞かされていたので、ミネラル水中ビンを4本KLから持ち込んで自衛策を取りました。それは役に立ちました。室には飲料水なるびんを毎朝支給してくれるのですが、歯磨き用にしか使いませんでした。最後の日にピザ店に入りエビアン水があったので注文したらこれが偽物らしくて、妻がその夜から嘔吐と下痢に悩まされました。私自身は何とかしのぎましたが、5日後に嘔吐してしまいました。
飲食店ではチップ社会です。ホテルの朝食は前払いしていて現金払いをしませんが、それでもインド人は小額紙幣らしきを1枚置いて出て行ってました。
悪い事ばかりではありません。歴史ある町を見ることが出来ました。人類が世界移動を始めた時期に、アラビア半島から東南アジアに向った一群がありました。その道筋にムンバイがあります。モンゴロイドは東南アジアが原産であると研究されているので、我らの祖先がモンゴロイドになる前の通り道だったとも言えます。その当時の東南アジアは氷河期のため南シナ海も東シナ海もなく大きな大陸でしたけれど。マレー半島はその高地の一つだったようです。
近年は英国の統治が長かったので、町は英国時代の建物が残り、その雰囲気がただよっています。
マハトマガンジーがこの町で17年活動した記念館では、遺品や写真が保存されています。彼は「インドの父」と呼ばれて尊敬されてます。ヒットラーとルーズベルトにも手紙を出していて、残されていました。
世界有数の映画大国が製作する映画の三分の一は、ボンベイで作られているそうです。撮影所まで見ることは出来ませんでしたが。

  • 2006.6.30 加藤

■ムンバイは、アラビア海に面しており、人口は1300万人以上で、カルカッタと並ぶインド最大の都市の1つ。インドの経済・産業をリードする巨大都市である。

■1995年、マハラーシュトラ州政府は、「ボンベイ」の名称を「ムンバイ」へと改称を決定した。
 日本政府も、1997年から正式に「ムンバイ」と呼ぶようになった。

■「ムンバイ」という名前は、ヒンドゥー教のパールヴァティー女神の化身「ムンバデヴィ」に由来。

  • 2006.6.24 石倉

インドは入国ビザが要るくらいですから、観光地のようにいらっしゃいと手を広げていないので、かなりの不自由を感じました。比較するとマレーシアは天国です。
でも何千年も昔からの貿易港で、マラッカの600年くらいとは比べ物になりません。
ボリウッドの製作地の一つでもあります。
インドマンゴーはKLにも来ていますが、本場は甘くておいしいです。
マハトマガンジーが17年間活動の拠点にしていた土地で、貴重な遺品などが住宅地の一角の記念館に残されていました。
最終更新:2007年07月05日 17:27