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The Ditching Point すたれる瞬間

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The Ditching Point

─すたれる瞬間

Seibun Satow

May 02, 2008

 

There is a tide in the affairs of men,

Which, taken at the flood, leads on to fortune;

Omitted, all the voyage of their life

Is bound in shallows and in miseries.

William Shakespeare Julius Caesar

 

1 すたれる予兆

 警視庁は、2008425日、秋葉原の歩行者天国で「路上撮影会」と称し下着姿の写真を撮らせたとして、沢本あすかを東京都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕する。都迷惑防止条例は「公共の場所で人を著しく羞恥させ、不安を覚えさせるような卑猥な言動」を禁じている。 一晩で釈放されたが、これは、アキバにとって、「ディッチング・ポイント(The Ditching Point)」となりかねない事件である。

 秋葉原は、90年代、「オタク」の街として「アキバ」と呼ばれてきたが、5年ほど前から、歩行者天国において、大音量で演奏するバンドや下着を露出して撮影させる女性パフォーマーなどの無軌道な行動が横行している。2008330日のホコ天に至っては、「モデルガンで撃ち合いをしている」と通報があり、警察官が駆けつける騒動がおきている。425日の逮捕を受けて、同月27日、警察や行政、商店街などの地元関係者約120人が初めて本格的な合同パトロールに乗り出している。

 『ニューヨーカー』誌のズタッフライターのマルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwell)は、「あるアイデアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて、一気に流れ出し、野火のように広がる劇的な瞬間のこと」を「ティッピング・ポイント(The Tipping Point)」と命名している。逆に、それが急激にすたれる瞬間をわれわれは「ディッチング・ポイント」と呼ぶことにしよう。今のアキバにはその条件が揃いつつある。

 ディッチング・ポイントは、ティッピング・ポイントによって爆発的に拡大した現象が、突如として捨て去られる瞬間である。両ポイントに関連性は必ずしもあるわけでもない。また、ティッピング・ポイントの要件がディッチング・ポイントを招くのではない。ティッピング・ポイントと違い、ディッチング・ポイントは招かれざる客であり、できれば避けたいものであろう。グラッドウェルはティッピング・ポイントを無条件に肯定しておらず、その危険性も指摘している。「集団が巨大化するときの危険性」に陥った後、起ってしまうのがディッチング・ポイントである。従って、ティッピング・ポイントと比較して、後ろ向きナディッチング・ポイントの過程とメカニズムを明らかにすることはパロディ以上の意義がある。

 

2 「ティッピング・ポイント」とは何か

 マルコム・グラッドウェルは、『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則 (The Tipping Point: How Little Things Can Make a Big Difference)』(2000)において、爆発的に流行感染が起きる瞬間の「ティッピング・ポイント」には、ある特定の能力を持った人たちが決定的な影響力を与えると分析している。彼はアメリカ独立革命からニューヨーク市の犯罪率の低下、ティーンエージャーの自殺と喫煙、『セサミ・ストリーよ』、エアウォーク(AIRWALK)社の販売戦略、「ハッシュパピー(Hush Pappies)」まで例に、そのメカニズムを解明しようとする。

 中でも興味深いのはハッシュパピーのブームの経緯である。「ハッシュパピー」は、90年代前半、もう片田舎の小売店や家族経営の小さな商店くらいでしかお目にかかれないほど時代遅れの靴で、製造元のウォルヴァリン(Wolverine World Wide)社が販売中止の検討に入ったほどだったのに、1995年、突然、クールでヒップなブランドになる。ファッション・デザイナーのアイザック・ミズラヒのようなマンハッタンのクラブやバーに出入りするセレブの間でこの30ドルの靴が愛用されたかと思ったら、ジョン・パレットやアナ・スイが自分のファッション・ショーで使い、同じくデザイナーのジョエル・フィッツジェラルドはロサンゼルスのギャラリーをハッシュパピー専門のブティックに改造し、そこでコメディアンのピーウィー・ハーマンが二足注文していく。1996年、ハッシュパピーは、リンカーン・センターで催されたCFDA(Council of Fashions Designers of America)において、最優秀アクセサリー賞を受賞する。キツネにつままれたような表情のウォルヴァリン社の社長は、壇上で、カルヴァン・クラインとダナ・キャランに挟まれてこの栄誉を受けている。1997年、全米の若者にとって、ハッシュパピーは必須アイテムとなる。

 このありふれた靴は、別にウォルヴァリン社が綿密なマーケット戦略と巨額の広告費によって売り出されたわけではない。きっかけはイーストヴィレッジやソーホーの若者たちが地元にある家族経営の小さな店のたなにあったハッシュパピーを手にとったことである。彼らはハッシュパピーが何たるかさえ知らず、ただ誰も履いているのを見たことがないというだけの理由で購入し始めている。それをたまたま二人のファッション・デザイナーが目にとめ、オートクチュール・ファッションのショーのアクセサリーに採用している。しかし、ここでもあくまでオマケの小物にすぎない。ところが、一年も経たないうちに、爆発的なハッシュパピー・ブームが巻き起こっている。ウォルヴァリン社とは関係のないところで、ハッシュパピーは復活し、流行現象と化している。

 マルコム・グラッドウェルによれば、こうしたティッピング・ポイントへ至るには、「少数者の法則(The Law of the Few)」・「粘りの要素(The Stickiness Factor)」・「背景の力(The Power of Context)」の三原則がある。「病原菌を運ぶ人々、病原菌そのもの、病原菌が作用する環境」がそろって、伝染病が流行するというわけだ。

 まず、「少数者の原理」は、その感染をスタートさせるには特別な能力を持った三種類のグループ「コネクター()Connectors」・「メイヴン(Mavens)」、・「セールスマン(Salesmen)」が影響を与えるという法則である。経済学では、いかなる場合であっても、仕事量のほぼ80%はそれに携わった人の20%によって達成されるという「8020の法則(80-20 Rule)」が支配的である。しかし、グラッドウェルは、それに対し、「いかに社交的か、いかに活動的か、いかに知識があるか、いかに仲間内で影響力があるかというような事柄で抜きん出ている」少数者が流行爆発の導火線になると主張する。顔が広く、人脈が豊富な「コネクター」、恐るべき情報通の「メイヴン」、個性豊かで、売りこみ上手の「セールスマン」が揃うと、それがおきるのであって、全体の20%などの数値が重要なのではない。「社会的伝染をつくりだすことに成功した人たちは、ただたんに自分が正しいと思ったことをやっているのではない。よく考えたうえで自分の直観を試しているのだ」。

 次に、「粘りの要素」は「記憶に粘りつく」ものが感染しやすいというルールである。伝染性が強いメッセージは、概して、時間が絶っても頭の中から消えず、後を引いている。テレビCMで、印象的なフレーズや音楽、映像が使われているのはそのためである。記憶に残りやすい工夫をすれば、そのメッセージは広まりやすくなる。

 最後に、「背景の力」は流行感染には環境要因が不可欠だという法則である。人々は、意識している以上に、環境に敏感に反応している。しかし、環境要因は非常に微妙で複雑であるため、事後的に推測することはできても、その予測をすることが難しい。ティッピング・ポイントには運の要素も少なからず介在する。

 以上を次のように要約できよう。「アイデアや流行もしくは社会的行動」は、それを受け入れる社会的・時代的環境が整い、少数のコネクター・メイヴン・セールスマンを通じて、記憶に残るメッセージを発しながら、ティッピング・ポイントに達し、爆発的に感染していく。

 特定の人が流行拡大に影響を与えるというグラッドウェルのネットワーク理論は社会的ななだれ現象のメカニズムを解明する一つの意見である。BYの犯罪発生率を減少させるには警察官を大量に増員すればいい。そんな大きな効果を得るには数の論理に頼るしかないという思いこみは覆される。しかし、彼の主張は一握りの集団が世界を動かすというエリート主義ではないことに注意しておかねばならない。「本書を通じてわたしたちはこのような例をたくさん見てきたが、そこに共通しているのは、いずれも慎ましいということである」。「慎ましいこと」がティッピング・ポイントにおける鍵である。その意味で、ティッピング・ポイントは「希望の光」になる。

 

3 「ディッチング・ポイント」とは何か

 ブームはある程度時間が経つと、市場が飽和状態に達し、飽きられ、流行遅れになる。しかし、「あるアイデアや流行もしくは社会的行動」の終息には、アイデンティティを失い、破滅する過程・メカニズムがある。

 言うまでもなく、ディッチング・ポイントはすべての流行現象に当てはまるわけではない。犯罪やそれに類する反社会的ないし反道義的な帰結につながる場合に顕著に見られる。

 ディッチング・ポイントに至るにも、「虚栄の市(Vanity Fair)」、「アイデンティティ・クライシス(identity Crisis)」、「スキャンダルの力(Power of Scandals)」という三原則がある。また、コネクターやメイヴン、セールスマンがティッピング・ポイントに必要だとすれば、ディッチング・ポイントにもそういう役割を担った「ミートゥアー(Me-tooers)」や「ギャング(Gang)」、「トラブルメーカー(Troublemakers)」がいる。

 「アイデアや流行もしくは社会的行動」が伝染病のように広まっていくにつれて、「慎ましさ」が忘れられ、時代のトレンドとしてそれを形成・支持・享受してきた人たちの間に自惚れた空気、すなわち「虚栄の市」が生まれる。そこ、その流行に便乗しようとする「ミートゥアー」がやってくる。

 「ミートゥアー」は尻馬に乗る便乗屋である。自己顕示欲や金銭欲、物欲などを満足するために、その流行を利用している。ジュリアナ東京の「お立ち台ギャル」がその好例である。彼女たちは羽根付きセンスを手に、Tバックをちらつかせながら踊っていたが、すべての曲で同じ動きだったように、そのレベルは著しく低い。関心があるのはあくまでも自分自身に対してであり、「アイデアや流行もしくは社会行動」そのものに関する知識・技能・情熱は乏しく、向上心も持ち合わせていない。ダンサーのパパイヤ鈴木は、2008年にWOWOWで放映された『東京ディスコ伝説』において、自分にとってディスコは「学校」だったと回想している。ディスコはダンスや音楽のコミュニケーションとリテラシーの場だったというわけだが、彼女たちにその意識はない。

 しばらくすると、このミートゥアーを目当てに「ギャング」が現れるようになる。彼らは便乗屋に便乗しているのであり、その意味で、ミートゥアーより悪質・下劣である。ジュリアナ東京のケースで言うと、お立ち台ギャルに群がった「ゲッターズ」がそれに相当する。ギャングの関心は、ミートゥアー以上に、自分の欲だけで、その「アイデアや流行もしくは社会行動」が今後どうなろうと知ったことではない。ただし、この二重の便乗屋は、必ずしも、外部からやってくるわけではない。「タイガース・フィーバー」直後の阪神タイガースのフロントのように、内部にいながら、ミートゥアーを利用しようとする場合もある。

 ミートゥアーとギャングが我が物顔で振舞ったり、占拠したりし始めると、これまでそれを形成・支持・享受してきた人たちが「こんなものは違う!私が愛してきたものはどこにいったんだ?」としらけ、幻滅し、離れてしまう。「アイデアや流行もしくは社会行動」はミートゥアーやギャングが幅をきかせるにつれ、本来持っていたアイデンティティが喪失していく。アイデンティティはリテラシー習得とコミュニケーション活動によって形成される。リテラシーとコミュニケーションが軽視されると、アイデンティティが怪しくなってくる。人気はさらに膨らみ続けるとしても、アイデンティティ・クライシスに陥り、その中身は空虚になってしまう。それはいつ破裂してもおかしくない風船のようだ。

 この危うい状態に「トラブルメーカー」が入りこみ、スキャンダルを引き起こす。それは多くのメディアを通じて巷に知れ渡り、その流行は急速にしぼむ。アイデンティティが喪失しているため、スキャンダルに反論できるだけの筋の通った説得力はもはやない。コレがディッチング・ポイントに達した瞬間である。

 ミートゥアーとギャングによる乗っ取り状態が生まれて、初めて、「トラブルメーカー」が出現する。トラブルメーカーは自分が見えておらず、社会性ないし協調性に乏しく、独善的で、他の場面でも、騒動を起こす傾向が顕著である。ヒッピー文化におけるチャールズ・マンソンや「ライブドア・ショック」で株式市場を冷えこませた堀江貴文を思い浮かべればよい。トラブルメーカーは個人であるとは限らず、折るタモントの悲劇のヘルズ・エンジェルスのように、少人数の集団の時もある。また、ギャングの一部として自分の欲望を満たすためでなく、良かれと思って行った言動がスキャンダルにつながってしま場合もある。時に、現代イスラムにとってのウサマ・ビン・ラディンのように、奪われたアイデンティティを取り戻そうと、原理主義的信念に囚われて事に至る。

 トラブルメーカーのユニークな例として、「ビリーズブートキャンプ」のブームにおけるビリー・ブランクスが挙げられる。彼は、20076月、日本での事情をよく理解しないまま、ブームの真っ只中に来日し、このエクササイズのあるべき姿を真っ当に語り、実演している。しかし、そのときにはすでにこのブームはアイデンティティ・クライシスの状態に陥っており、意図せず、彼自身がトラブルメーカーとして機能し、その流行を下火にしている。当時、もし彼がまだ浸透していない日本各地を訪れ、パフォーマンスを見せていたら、感染はまだしばらく続いていただろう。

 ディッチング・ポイントは己を見失った瞬間に訪れる。それは、ティッピング・ポイントと違い、偶然性の入りこむ余地は少ない。成功には運もあるが、失敗には必然性しかない。戦史などを見ると、一つの戦いをめぐって勝利した側には運が味方して勝利が転がりこんでいるように見え、逆に、敗北した側はとんだへまをして自ら負けを呼びこんでいる。勝利は偶然であり、敗北は必然である。失敗ほど教訓を残すのはそのためである。しかし、すべてにおいて可能ではないけれども、ディッチング・ポイントを避けるには二つの方法がある。

 一つはミートゥアーが目立ち始めた段階で、ギャングが集まってこないように対処することである。ミートゥアーにギャングが便乗してくると、アイデンティティが失われてしまう以上、その前に芽を摘んでおけばよい。アイデンティティが維持されていれば、ディッチング・ポイントは訪れない。

 もう一つはミートゥアーとギャングが揃った段階で、自ら縮小の道を選ぶことである。トラブルメーカーが現れれば、壊滅的なディッチング・ポイントを迎える。だったら、その前に、原点を見直すほうがよい。ミートゥアーとギャングの占領を潜在的なトラブルメーカーの出現と見なすというわけだ。被る損害も決して小さくないが、適正規模に至る過程でアイデンティティを再発見し、社会的に定着できる。

 ジュリアナ東京は、ミートゥアーとギャングが店内を占拠し始めた段階で潮時とし、閉店を決断している。この英断がなければ、トラブルメーカーによるセンセーショナルなスキャンダルに巻きこまれていた危険性は高い。流行現象に対してはうさんくささや反感を覚えている人も少なくないので、メディアは待ってましたとばかりに騒ぎ立て、つぶしにかかる。ディスコ文化のディッチング・ポイントを回避するために、自ら収縮させる道を選ぶことはアイデンティティを回復し、生き延びていく賢明な判断である。

 「アイデアや流行ないし社会的行動」がティッピング・ポイントに達して爆発的に感染していくうちに、「慎ましいこと」が軽んじられて、自惚れた雰囲気が生まれ、そこにミートゥァーとギャングが便乗してくる。この乗っ取りによってアイデンティティが失われ、中身がないまま膨らみ続けていくと、トラブルメーカーがスキャンダルを起こし、その力によってその流行現象は急速にすたれていく。このようにディッチング・ポイントは到来する。

 

4 ディッチング・ポイントの後

 沢本あすかがトラブルメーカーであるかどうかはさておき、最近の秋葉原がミートゥアーとギャングに占領されているのは、確かであろう。それはディッチング・ポイントにいつ達してもおかしくない状態であることを意味する。他にも、バイオ燃料をめぐる状況もディッチング・ポイント前夜に向かいつつある。しかし、ディッチング・ポイントを迎えたとしても、その後がお先真っ暗というわけでもない。それは、グラッドウェルによるティッピング・ポイントの考察が実証性を意識しているのに対し、われわれのディッチング・ポイントがそうでなく、エイプリル・フールの東京新聞の朝刊特報面さながらで、直観主義的であることを考慮するまでもない。

 ディッチング・ポイントに達したものは、その後、大きく分けて定着型・解消型・再建型の三つの道を辿る。

 定着型は革命性を捨て、適正規模を認知して身の丈をわきまえる代わりに、一般ないし忠誠心の高い人々の間で定着していくケースである。1990年代にブームとなった中華料理がそれにあたるだろう。もっとも、日常生活に不可欠なものであれば、スキャンダルにかかわらず、背に腹は変えられないので、人々のニーズはある程度存在する。

 解消型は、ディッチング・ポイントをきっかけに、壊滅してしまうケースである。ただし、たんに消えるのではなく、他の「アイデアや流行もしくは社会的行動」を生み出す発展的解消をとることが多い。ヒッピー文化はオルタモントの悲劇やシャロン・テート事件によって消滅したけれども、元ヒッピーはエコロジーやICTの発達に寄与している。

 再建型は、壊滅的な打撃を受けて低迷していたところに、画期的な新規参入が現われ、復活を遂げるケースである。1980年代後半のアメリカにおけるビデオ・ゲーム市場が好例である。1983年にアメリカのゲーム市場は崩壊したが、1985年、任天堂のファミリーコンピュータの発売を皮切りに、日本製のビデオ・ゲームが次々と売り出され、息を吹き返している。

 ディッチング・ポイントは、「アイデアや流行もしくは社会的行動」がアイデンティティを見失った瞬間に準備される。その破産は「慎ましいこと」が思い出され、それを再検討する機会にもつながるのであり、マイナス面だけをもたらすわけではない。その点では、「失望の一点」ディッチング・ポイントにそんなに悲観することもない。流行は同時代的な昔話として語り合うためだけにあるのではないことをディッチング・ポイントは教えてくれる。「流行を避けることは、流行に迎合するのと同じくらい弱いことである」(ジャン・ド・ラ・ブリュイエール『人さまざま』)。

〈了〉

 

参考文献

マルコム・グラッドウェル、『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』、高橋啓訳、ソフトバンク文庫、2007

Malcolm Gladwell, The Tipping Point: How Little Things Can Make a Big Difference, Little Brown & Co, 2000

 

WOWOW、『東京ディスコ伝説』、2008

http://www.wowow.co.jp/documentary/disco/

 

asahi.com

http://www.asahi.com/

MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/

アメーバニュース

http://news.ameba.jp/

Hush Puppies

http://www.hushpuppies.com/en-US/Default.aspx

Wolverine World Wide

http://www.wolverineworldwide.com/default.asp

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