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共有への意志

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共有への意志

Seibun Satow

Jul, 21. 2010

 

「来たか長さん待ってたほい」。

夏目漱石『道草』

 

 2010712日、国内大手5社が210年上半期のビール系飲料の出荷量を発表している。それによると、二つの消費傾向が見られる。一つは安価な無麦芽の発泡アルコール飲料が始めてシェア三割を超えたことであり、もう一つはプレミアム・ビールが堅調だとおいことである。老舗中の老舗エビス・ビールが0.5%増の457万ケース出荷されているのが眼を引く。

 

 エビスの復活は、消費者の求めているのはいったい何なのかに関して示唆を与えてくれる。

 

 従来、ビールは忠誠心の高い商品として消費者の嗜好を値下げだけで買えるのは難しいとされている。佐藤清文という文芸批評家はエビス・ザ・ブラックだけしか購入しないことで知られている。それが店頭になければ、そこを後にする。最高のビールがあるのに、なぜそうでないものをわざわざ飲まなければいけないかと彼は思っている。もっとも、ダルマイヤーのバイエルン・ウルチップは気に入っているようだ。

 

 けれども、長引く不況により、その動向も変化している。固くなった消費者の財布の紐に加えて、少子化に伴う市場の縮小に対応するため、ビール各社は低価格帯の発泡アルコール飲料を開発している。それらの出荷量が伸びる反面、ビールの売り上げは低迷し、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則を招く。各社共にいわゆる差別化戦略をとり、市場に新製品を目まぐるしく投入し、それと同時に商品のライフ・サイクルが短くなっている。

 

 多くの業種で、販売不振に陥ると、いわゆる「差別化戦略(Product differentiation)」がとられるが、その効果は予想を下回る。実力のないアイドルを次から次へと登場させたところで、人気は長続きせず、尻すぼみに終わってしまう。「モーニング娘。」はすでに忘れられ、今では「AKB48」が話題になっている。一旦差別化戦略を始めると、新製品を休む間もなく投入し続けなければならず、そのライフ・サイクルが短くなる。正直言って、経営者はこうしたアイドル戦略を採用すべきではない。

 

 その差別化の罠に陥った典型例が出版業界である。もともと、この業種は不況に強く、その対応策を十分に備えていない。彼らは、洪水のように、毎月新刊を発行するが、その大半はろくに売れないまま、すぐに絶版としてしまう。使い捨てのごとく刊行される本を読者が見向きもしないのは予測がつきそうなものだけれども、出版社は戦略を見直そうとしない。

 

 消費者の嗜好が多様化しただけでなく、市場が飽和状態に達し、各商品の差がフラット化している。消費者は必ずしもそれを購入する必要がない。そこで、生産者は何らかの付加価値によって他商品との差異を強引につくり出し、販売する。しかし、その違いは微々たるものにすぎず、似たような商品が他社からもすぐに発売され、消費者も飽きてしまう。

 

 結局、差別化戦略は、生産者が消費者の顔を見えなくなり、自己完結した論理に基づいた一方通行の商品提供でしかない。モノのない時代なら、生産者は消費者の要求に応えるだけですむ。産業化が進展するにつれ、企業は、高度に専門化された各部署が効率よく、高い生産性で高機能・高品質の商品を製造し、細かくセグメント化した購買層に向けて販売する。差別化戦略はその帰結である。

 

 しかし、市場が飽和状態に達した時代では、重要なのはコミュニケーションである。Needsではなく、Wantsの時代が到来している。生産者は自分の事情だけで売り出すのではなくて、消費者とコミュニケーションを行い、共に商品を創造しなければならない。モノではなく、コミュニケーション中心の生産方式への転換が必要である。生産者と消費者が協同した双方向の創造であれば、他商品に対してそれがフラットであったとしてもまったく問題がない。

 

 双方向性の無視がいかなる反発を消費者から招くかはカンザス計画の大失敗が物語っている。1985年、コカ・コーラのCEのロベルト・ゴイズエタとCOOのドン・キーオは、発売100周年の1986年を前にコカ・コーラの味を根本的に変えるカンザス計画を進める。当時、コークはペプシ・コーラに売上高で追い上げられ、抜かれるのも時間の問題と見られ、それを打開すべく、彼らは綿密な市場調査と広告戦略を駆使したウエで、1985424日にニュー・コークとして発売する。しかし、この新製品は消費者の不評を買い、同社に脅迫まがいの抗議の手紙や電話が殺到、2月半後の710日には、旧コークを「コカ・コーラ・クラシック」として再販売する。だが、時すでに遅く、コカ・コーラはペプシに出荷量で追い抜かれる。

 

 コークはたんなる炭酸飲料ではない。それは20世紀のアメリカの思い出と結びついている。第二次世界大戦の戦場で兵士たちが飲んでいたのもコークである。コークはアメリカ人にとって共有された思い出であって、その味の変更はそれを否定することにつながる。

 

 この出来事が教えてくれるのは、消費者と思い出を共有できる商品を生み出すことの大切さである。ただ、思い出だけでは不十分である。それと共に、夢も必要だ。思い出は外界とのインタラクションから生じる過去の物語である。一方、夢は未来に向けた自分で創造する物語である。夢と思い出の物語を持つ商品を消費者は求めている。エビスの好調さがそれを示している。しじゃし、この物語は、村上春樹の文学に見られるようなすべての要素がある目的に従属し、始まりと終わりの円環構造を持つロマンスではない。それは人生の反映であり、構造化されていない。商品はそれを想像するためのタグである。

 

 CMを見る限り、夢と思い出の物語を最も理解している産業は、ハウジング業界である。三井のリハウスがその好例であろう。庶民にとって生涯最大の買い物は、おそらく、住宅である。そこは自分のみならず、家族の夢と思い出の物語の舞台である。こうした高額で、人生にかかわる商品の市場では、差別化戦略など無力である。企業は住宅の機能や安全性、利便性、価格は言わずもがな、購入者と夢と思い出の物語、すなわち人生をいかに共有できるかを腐心しなければならない。

 

 住宅は人生にかかわる以上、時間とは無縁でいられない。あとくされのない刹那的な関係であれば、状況の変化に依存しないため、企業は消費者に対して一方向の姿勢で十分対処できる。安さや便利さを訴えればいい。けれども、夢と思い出の物語を共有しようとしたら、その文脈を考慮しなければならない。

 

 商品は、購入してから時間と共に、劣化し、古びていく。しかし、それが夢と思い出の物語を与えてくれるとき、人は愛着を感じる。その愛着の話を耳にし、生産者は冥利に尽きると充実感を覚えるものだ。モノは分割できないが、物語は共有できる。

 

 近年、夢と思い出の物語を消費者との間で最も共有している起業はアップル社だろう。同社は、もともと、非常に忠誠心の高いマック・ユーザーを持っていたが、最近の好調ぶりは80年代のSONYを髣髴とさせる。携帯音楽プレーヤーやスマートフォン、電子書籍リーダーの分野で、他社と比べて、ひときわ存在感を示している。iPadを購入した人は、家族や友人、恋人にその楽しみを伝えたり、ブログやSNS、ツイッターなどで報告したりするだろう。それが共有したくなる物語を持っているからである。この共有への意志がアップル社を成功へと導いている。

 

 オリエンタルランドの強さも同様の理由だろう。東京ディズニーランドは夢と思い出の物語の空間であり、それを求めて人々は何度も足を運ぶ。他方、共有への意志を持たない企業は差別化戦略に手を出し、消耗していく。彼らは消費者とのコミュニケーションを忘れている。共有への意志を認識して登場した商品に消費者は愛着を覚える。

 

「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩を食おうと云うんだろう。――姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」

「ビールはござりまっせん」

「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情ない所だ」

「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶をする。

「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」

「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」

「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。

「ねえ」と下女は肥後訛の返事をする。

「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」

「ねえ」

(夏目漱石『二百十日』)

〈了〉

参考文献

河野昭三=村山貴俊、『神話のマネジメント―コカ・コーラの経営史』、まほろば書房、1997

青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/

 

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