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わかりやすい伝え方

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わかりやすい伝え方

Seibun Satow

Nov, 5. 2010

 

「そもそも、デカルトのように、単純明快な議論のできる男は、その心は複雑晦渋であった知に違いない」。

森毅『魔術から数学へ』

 

1 バルガスリョサについての新聞各紙の解説

 ニュースで話題になった事件や出来事をわかりやすく伝えるのは、決してやさしいことではありません。今、池上彰氏がテレビや新聞からひっぱりだこの理由はそれができるからでしょう。

 

 その池上彰氏が、20101029日付『朝日新聞』の「池上彰の新聞ななめ読み」において、今回のノーベル文学賞をめぐる新聞各紙の解説記事を批評しています。今年の受賞者はペルーの小説家マリオ・バルガスリョサ(Mario Vargas Llosa)です。1960年代にラテンアメリカ文学のブームが起きましたが、彼の『都会の犬ども』(1963)や『緑の家』(1966)はそれを代表する作品です。また、バルガスリョサは90年の大統領選挙に中道右派のFREDEMO連合から出馬し、アルベルト・フジモリと大接戦の末、敗れています。けれども、池上氏は「恥ずかしながら、私も存じませんでした」と明かしています。

 

 そんな池上氏は「どんな作家で、どんな作品を発表してきたのか」を知ろうと、新聞各紙の解説記事に眼を通します。でも、「なるほど」と納得はできてはいないようです。

 

『緑の家』が水平方向に広がるのに対し、政治小説『ラ・カテドラルでの対話』はリマの夜と昼、この都市の多層性に切り込んでいくが、同時に水平方向への広がりも備え、構造はより複雑だ。主人公が内的独白で語るのは内面ではなく、主に事件や行動であり、それがメロドラマ性への歯止めとなっている。

 (『朝日新聞』)

 

 この野谷文昭東京大教授の解説は「少なくとも私にはチンプンカンプン」と評しています。

 

『緑の家』やペルーの社会を視野に入れた『ラ・カテドラルでの対話』(69年)など、初期の作品は、描写が重く、総じてリアリズムの全体小説という趣がある。

(『産経新聞』)

 

 この西村英一郎国際武道大教授の解説には、「ははあ、そうなですか、としか言えません」とそれだけです。

 

バルガス=リョサの功績は何と言っても、骨太のリアリズムを基調にしながら二十世紀小説の様々な手法を取り込み、物語を小説の中で新たによみがえらせた点にあると言っていい。

(『読売新聞』)

 

 この木村榮一神戸市外大学長の解説に対しては、「そうなんですね、これって。どういう意味なんだろう」と首を傾げています。

 

 『毎日新聞』の引用は割愛します。受賞者の「言行を詳しく書いて読みやすいのですが、その反面、作品の中味についての詳細な解説はありません」と不満を抱いています。

 

 以上のように、池上氏は各紙共に「素人にもわかる解説」になっていないと批判しています。新聞の一般読者にはむずかしすぎるというわけです。残念ながら、これらの解説のわかりにくい点が何であるのかを具体的に示してはいません。そこで、池上氏のこのコラムを手がかりに、引用文を題材にわかりやすく伝える方法を考えてみましょう。

 

2 わかりやすい構成・わかりやすい文章・わかりやすい表現

 物事をわかりやすく伝えるのは、「なるほど、そうだったのか」と相手に納得してもらうためです。それには、受けとる人に誤解を招かなくする工夫が必要です。あっと言わせようと奇をてらったり、あれもこれもと入り組ませていたり、感動を呼び起こそうと感情たっぷりにしたりしては本筋とは別のところに気をとられかねません。「こんなはずでは…」と後悔しないためにも、言っていることが素直に理解できる単純な表現がいいのです。

 

 それには、わかりやすい構成・わかりやすい文章・わかりやすい表現を心がけることが大切です。

 

 第一のわかりやすい構成ですが、それは最初に説明の経路と目印がつかみやすい地図を示しておくことです。初めに、トピックの簡略した定義や話のポイント、キーワードを述べ、それらに沿って説明を展開します。冒頭の地図をたどっていくだけで、説明の全体像を把握できるのです。こうすると、受けとる人が迷子になったり、しびれをきらしたりすることを避けられます。説明し添わったら、再びそれらを確認します。地図が具体的な風景として理解されるのです。

 

 池上氏は、コラムの冒頭の段落において、ある作家の魅力をその著作を読んだことのない人に伝えるのは難しいことを今年のノーベル文学賞に関する新聞各紙の解説記事に眼を通して痛感したと語り始めます。バルガスリョサは日本ではあまりなじみのある作家ではないので、新聞各紙がどのように解説しているか読んでみたと続きます。池上氏はこのコラムの主張と手順をはっきり示しています。次に、各紙からの引用とそれに関する池上氏の批評が交互に繰り返されます。それが終わると、冒頭の主張に戻るのです。読者にとってわかりやすい構成をしています。

 

 第二のわかりやすい文章に移りましょう。語と語がつなぎ合わさってできたものが文です。その文と文の組み合わせによって形成されるのが文章です。わかりやすい文章の工夫とは一つの文が一つの役割だけを果たすようにして、それらをつなぎ合わせることです。修飾語をなるべく避けること、文の機能を明確にすること、

 

 修飾語がつくと、その文の主張のポイントがどこにあるのかが曖昧になってしまうことがあります。例えば、「骨太のリアリズム」は、読み手には、その重心が「骨太」にあるのか、それとも「リアリズム」にあるのかがはっきりしません。思い入れが強いと、修飾語を付けたくなる気持ちはわかりますが、禁欲的に書かれてあった方が読み手にはわかりやすいのです。

 

 また、文章内の一つの文が理由、目的、事実、意見、実例などいずれの役割を果しているかが明確でないと、理解が混乱してしまいます。例えば、「主人公が内的独白で語るのは内面ではなく、主に事件や行動であり、それがメロドラマ性への歯止めとなっている」は、その機能がまったく不明です。「主人公が内的独白で語るのは」ときて、「主に事件や行動であり」では意味が通りません。「主に事件や行動について」(目的)なのか、それとも「主に事件や行動によって」(理由)なのか「あれあれ」という感じです。

 

 一つ一つは単純でも、これを積み重ねていけば、複雑な物事でも説明することができます。しかも、一つの文は一つの役割しか持っていませんから、その確実さは高いのです。

 

 もちろん、一つの文に複数の役割を与えて文章を構成する方が効果的な場合もあります。けれども、素人が読む新聞の解説記事には、そうした手のこんだ方法は不必要です。趣旨が違います。

 

 第三のわかりやすい表現は言葉の決まりを守った表現のことです。言語は社会の中でつくられた規則を持っています。言わば、社会的規範の一種なのです。自分と相手の決まりが違っていては、内容がうまく伝わりません。この決まりだったら相手の人もわかっているだろうなと推測しながら、説明する必要があります。それには、専門用語を避けること・具体的な手段を活用すること・敬体を用いることの三点に気を配るとよいのです。

 

 まず、専門用語は専門家の間でのみ共有されることを目的にして使われています。ですから、その決まりを知らない素人には皆目見当がつきません。例えば、「全体小説」と言われて、多様なテーマを包括的に描いた小説と思い浮かべられる新聞の一般読者は決して多数派ではないでしょう。こうした表現は新聞の解説記事にはふさわしくありません。

 

 注意しなければならないのは、専門用語には、見かけは日常語と同じであるけれども、その意味が違う場合も含まれることです。例えば、「メロドラマ」は、「昼メロ」など普段の会話でも使いますが、先の引用の「メロドラマ性」では、「おやおや、どうしたことでしょう?」と意味が通りません、日常語に専門的な解釈が加えられて意味内容が変えられているのです。こういうのも専門用語です。

 

 専門用語であるかどうかの判断は、社会調査の設問に使うことができるかが基準になります。「あなたは1ヶ月に小説を何冊読みますか?」はありえても、「あなたは1ヶ月に全体小説を何冊読みますか?」は無理です。

 

 次に、抽象的な表現は、個々人の知識や理解の違いが大きく、共有という点は不確実です。具体的な表現に置き換えることが必要です。例えば、「水平方向への広がり」の「水平」が抽象的です。この語句が「地理的な広がり」ならイメージしやすいのです。しかし、「水平方向への広がり」では、何が横に広がっているのかわかりませんから、「はてな?どう理解していいのやら」となってしまいます。

 

 言葉の変更以外にも、数値化して量的に表現したり、図解やグラフ、映像など視覚的に表現したりするのも具体的な手段の活用だと言えます。

 

 ただし、数字を使う場合は、注意が必要です。数自体は抽象的ですから、数字を羅列すると、「えー、ちょっと待って!」とかえって混乱することも少なくありません。数字を具体的表現として利用するには、対比を目的にすると効果的です。

 

 最後の敬体とはです・ます調のことです。他方、だ・である調を常体と言います。敬体は敬語表現ですから、相手との関係が意識されます。聞き手や読み手には、自分たちの理解を優先していると配慮が感じられます。場を見て敬体を使うことも大切な社会規範です。池上氏もちゃあんとこれを守っています。

 

 ホームページや取扱説明書、公報などに「よくある質問」のような質問形式の解説を載せているのも、この関係性を意識してのことだと言えます。

 

 わかりやすい伝え方のポイントは以上ですが、もう一つつけ加えておくことがあります。難解だったり、未知だったりする物事をわかりやすく伝えることは、根本的原理や基礎的理論、本質の省略ではありません。それらをわかってもらうために、見かけを簡略化することなのです。わかりやすい伝え方はトピックを効果的に別の言葉で言い換える作業です。それを忘れてはなりません。

 

3 目上の人に説明するように

 まとめてみましょう。わかりやすい伝え方には、わかりやすい構成・わかりやすい文章・わかりやすい表現の三つのポイントがあります。第一のわかりやすい構成は、これから説明しようとする内容の経路と目印を明確にした地図を最初に提示し、それに沿って進めることです。第二のわかりやすい文章は、修飾語をあまり用いないで、一つの文の一つの役割だけを持った単純な文を積み重ねることです。第三のわかりやすい表現は、専門用語を避け、具体的な手段を活用し、敬体を使うことです。以上の三点がわかりやすく伝える方法の基本原理なのです。

 

 もちろん、これだけで十分ではありません。わかりやすい伝え方を簡略化しただけです。もっとさまざまなところに注意を払えば、よりわかりやすく伝えられます。さらには、ここでの主張をこう変更した方がいいと提案があるかもしれません。それはとても望ましいことです。

 

 わかりやすい伝え方を解説する祭に、その姿勢として「子どもにもわかるように」としばしば譬えられます。けれども、むしろ、目上の人に伝えるつもりで工夫することの方が効果的です。もし子どもがバルガスリョサの解説記事を読んで文句を言ってきたとしても、「勉強すればわかるようになるよ」と諭せるかもしれません。でも、人生の先輩に対してはそんな態度はとれません。社会性が疑われてしまいます。池上氏の人気が高いのはこんなところにも理由があるのでしょう。

〈了〉

参照文献

森毅、『魔術から数学へ』、講談社学術文庫、1991

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