■四章「春の庭 - sakura sakura -」
月に照らされるミズラキの山中は、張り詰めたような静けさに満ちている。
私は随分長いこと大きな岩場の影に潜んで、自分の真上にある大きなお月様を眺めていた。
夜を埋め尽くす程の…、満開の桜の花びらに囲まれて。
―ざ…っ
木の葉が潰れる微かな音を聞いて…、私は岩場から飛び出す!
ナノトランサーから引き出したビームガンを左手に握り、煌々と輝く月明かりの中を跳躍する。右…、違う、―左!
がさっ。誰もいないはずのその場所で、木の葉が勝手にひしゃげて音を立てた!
私は着地と同時に全身を小さく低く丸めると…、全身のバネを弾けさせ、一息に加速する! 最大速度にして最小行動。「私」という個体が取れる、最強の戦闘行動で!
どがぁっ!
右腕で放った抜き手が、「空中」にめり込んだ。
「ぐ…ぅぇ…!」
何とも気色悪い光景だ。空気が喋ってやがるんだから!
私は何もないその場に突き刺した右手を捻り…、強烈な手応えを感じながら、「それ」を強引に落ち葉の庭へと押し倒す!
「はぁーい? …なーに勝手に人の仕事場に入り込んで遊んでるのー? 鬼ごっこをする歳には見えないんだけどねー?」
壮絶な笑顔を顔面に浮かべ、私は左手のビームガンを突き付けながら、「それ」を引っぺがした。
光を完全に透過させ、着用者を透明人間に仕立て上げる…光学迷彩!
「待て! 待て…! ガーディアンズ諜報部の者だ…! 同業者だ!」
姿を現したのは、三十歳ほどのヒューマンだ。悪いが顔は知らない。あんな野良犬のたまり場にいる人間の顔など、いちいち憶えているほど暇じゃないんでね。
「あ、そ」
…このタイプの光学迷彩は…、二班か。よりにもよってな班だなー…。骨の髄まで調教済みの、根っからの番犬部隊じゃねーか。
ずどむっ! と、凄まじい音を立てて、ビームガンから発射されたフォトン弾が男の腹部を陥没させる。
ぎ…ぁ…、と、声にならない悲鳴を上げて、男は気を失った。出力は押さえてある。死にぁしないだろ。…バットでフルスイングされるのと同じくらい痛いだろうけどね。
「…おい! GH-430、どういうつもりだ!」
鋭い叫び声。…やべ、随分近くにもう一人いたか。
「我々はガーディアンズ諜報部戦闘処理課二班の所属だ! 敵ではないぞ!」
「…案件B-218号についての出動か?」
先ほどの男の失神を確認する為に見下ろしていた瞳を、私は微かに上向ける。…声の位置は…、どこ…?
「そうだ。GH-410の回収は我々が行う」
「前任者はまだここで頑張ってんだけどね?」
左に二歩、前に三歩半…か、視認された状態で接近するのは難しいな、くそー。
「お前の任務期間は長すぎる。ターゲットの所有者の死期が近い。何をやっていたんだ430! まんまと病死されたらどうする気だ!」
ふつ…、と、頭の後ろ側が、不意に軽くなったような、そんな感覚。
「所有者が病死となれば、パートナーマシナリーは総務部が回収して初期化、そして別のガーディアンズへと支給されることになる」
わかっていた。だからこうしてここで待っていた。
「長期休暇中に不慮の事故死。パートナーマシナリーは行方不明。…金銭での買収という『第一案』が不可能ならば、その『第二案』の遂行が任務だったはずだ。…お前はそれを怠った。相手の戦力に対して慎重になりすぎたな。愚図が」
でもダメだ。頭でわかっていても…、実際こうして、野郎の声で言われると…、
「我々は万全の準備で挑む。…今案件には、戦闘処理課一班、二班、三班が連名受諾している。この受諾により、前任者には強制的に帰投命令が下った。―お前はもう用済みだ」
―キレる。
ざぁああああああああああああああああああああッ!
降り積もった落ち葉と桜の花びらを舞い上げる、凍てつく山風!
否、それは、裂帛と呼べる…私の気迫!
「おぅ、坊や、テメ誰に向かってンな偉そうなこと言ってんだ…?」
背中が燃えるほど熱い。そのくせ、腹の中は凍ったように冷たい。良い感じだ。この一ヶ月、ダラダラと怠けていたけれど、私の体は憶えていてくれた。
私が私たる、その『欠陥』故の能力を。
自分の体が一回り大きくなったような、そんな錯覚を憶えながら…、
「気にいらねぇんだよなァ…。いちいち口で説明してやるのも面倒なくらいにさァ」
「帰投命令に従え! 430―」
「黙ぁらんかいガキがァッッッッッッ!」
ドォンッ! と腹の奥底から湧き上がった私の絶叫が、夜気を割り砕く!
びりびりと震える空気を肌で感じながら、私は月を背負って立ちふさがった。
相手は、戦闘処理課の最精鋭。しかも三部隊。白兵戦最強の一班、光学迷彩による暗殺の二班、重装火器による制圧戦の三班。
そろそろ来ると思ってたんだよ。テメェらみてぇな、血生臭い番犬どもがよ!
「この先にいるのは、たった一人の重病人と、たった一人の、…ちっぽけなパートナーマシナリーだぞ?」
あいつはワンオブサウザンドなんかじゃない。
410は私たちとは違う! そんな疫病神の肩書きなんて持ってない!
ただご主人様との日常が幸せなだけの…、どこにでもいるパートナーマシナリー…!
私たちが数百回も数千回も夢見た世界に生きている…、幸せなおとぎ話!
なぁオイ、どこの世界に、血生臭ぇ軍隊が出てくるおとぎ話があんだ、コラ?
なら…、私がやるのは、ただ一つ!
「430、命令不受諾。…案件B-218号については慎重な行動が必要と進言」
コトこの場に限り、私はワンオブサウザンドで良かった、と言っといてやる。
「対象はワンオブサウザンド。ならば、その対応に当たる戦力はそれ以上でなければならない。…わかりやすく言ってやる。『私を倒せない』なら、役不足だ、雑魚ども!」
「命令に従え! 『出来損ない』!」
一個教えといてやるぞ、坊や。喧嘩で相手を威嚇してぇなら、目と目を合わせろ。ンな大層なおべべを着て姿を隠して、ちまちまと女々しいことほざいてんじゃねぇよ。
いつの間にか、周囲には重装備で身を固める戦闘処理課の連中が輪を作っていた。
「出来損ないか。そうだなぁ…、その通り。ワンオブサウザンドなんて、結局どいつもこいつも『欠陥品』だ。…でもなぁ…」
私は、真っ直ぐにビームガンを突き出し、構える!
「出来損ないにも夢があんだ! 叶えてぇ願いがあんだ! テメェらはどうだァッ!」
私は…、絶叫と共に駆け出した。
我ながらとんでもない命令違反。どう転んでも処罰は免れないだろうし、…ぶっちゃけここで殺されても文句は言えない。
あはははは。でも、いいや。うん、…そんなに悪くないじゃないか、コレ。
狂犬は死ぬまで狂犬でいい。…私は夢なんか見られなくてもいい。
「かかってこいや、ガキ共がァッ! 格の違いを教えたらァッ!」
でもそんな私にだって、命をかけて、一人の夢を守ることくらい、やれたっていいじゃないか。
* * * *
さくら さくら
やよいのそらは みわたすかぎり
かすみか くもか においぞ いずる
いざんや いざんや みにゆかん
* * * *
―ご主人様、朝ですよー? 起きないとミッションに遅れますよー?
重装兵の胸元に銃口を直に押し付け、私は引き金を引く。
撃ち放ったフォトン弾が、シールドラインをブチ抜いて男の肋骨をへし折った。
―好き嫌いはダメです。ちゃんと残さず食べて下さい。せっかく作ったのですから。
振り下ろされるセイバーを素手で掴んで受け止める。人工表皮が音を立てて溶け崩れていく。
強引に腕を捻ってセイバーをもぎ取り、私は渾身の頭突きを男の顔面にくれてやった。
―今日はどこに行かれますか? ご一緒させて下さい、ご主人様。
強化フォトン弾が私の背中に激突した。背の支柱が嫌な音と共にねじ曲がる。
私は振り返らず、歯を食いしばって、目の前の敵に蹴りを入れて、夜空へと飛び上がった。月明かりの下、花びらが踊る空へ。
―あ、あはは、評価Cでしたネ…。あわわわ! すみませんすみません! そうです! 私が倒れちゃったからですごめんなさいぃいいいいい!
バーストの内蔵フォトンはとっくに空になっていた。私は全力でそれを投げ付け、それを追うように走り出した。
投げ付けられたバーストに怯んだ一人の胸元に飛び込み、その顎を拳で突き上げる。…その合間に、横合いから突き出された刃が私の腹部を薙いでいく。
―ニューデイズですか? はい、ご一緒します。そうですね、もう、春ですものね。
死角から振り下ろされたフォトンの刃が、私の右肩をえぐった。
私はそれを意に介さず、残り少ないビームガンのフォトンを撃ち放つ。
―わぁ、わぁ、綺麗ですね、ご主人様! すごーい!
辺り一面、血と油。湿った落ち葉はいつしか踏み締めても音を立てなくなっていた。
それでも私は感じていた。決意を込めて、最初の一歩を踏んだその時から。
―これがオハナミというのですね! 来られて良かった。見られて良かった。
辺り一面に咲き誇る、夜桜の、その優しい匂いを!
410とその主が、肩を寄せ合ってこの夜桜を見ている、その温もりを!
降りしきる月夜の桜の雨の中、
私はいつしか、咆吼しながら…、泣いていた。
ダァンッッ!
顔面をかすったフォトン弾に、髪とヘッドドレスが引きちぎられる。ヘッドフォン式のイヤーパーツが吹き飛んだ。…私の右耳から、音が、消える。
もう手持ちの銃器にフォトンなんて残ってない。…詰みだ。
もともと馬鹿げてる。最初からワンオブサウザンドを相手にすることを想定して編成された戦闘部隊だ。…私一人でどうにかなるもんじゃない。
もう…、いいか。良くやったよ。…あはは、諜報部の黒歴史に残る戦歴だ。
たった一人で、諜報部最強の戦闘部隊を壊滅に追い込んだんだから。
もう、これで、いいよなぁ…。
私はボロボロになった右腕を振り上げると、目一杯の力で、自分の胸部へと指を振り下ろす。この手で自分のフォトンリアクターを握り潰してやる。自爆だ。…残り数人になっていた連中が声を上げるのが聞こえた。けけ、ざまぁみろ。…お前ら全員、道連れだ。
力を失って倒れゆく私の体に、自らの指先が触れた、その瞬間に…、
「『君は幸せになれ』。君が神様のレールをぶち壊せ。…それが、私と主殿の、最後の願いだ』
ふと、アイツの声が聞こえたような気がした。
崩れ落ちかけた右足が、私の意志とは無関係に、地面を踏み締める。まだ立てる、と。それだけじゃない。自分の体を貫くつもりだった指は、しっかりと拳を握っていた。
まだやれる。へこたれてんじゃねぇぞ『狂犬』。お前が見たい景色はこれか?
血生臭いだけの夜、武器と武器とを突き付け合って、殺して殺されて。
お前が見たいのは、こんな光景か…?
違うだろう!?
―このオハナミを、ご主人様と一緒に見ることが、出来たのですから。
横になるのはそれからだ。
ご主人様に膝枕をしてもらって、髪を撫でてもらって、そうして言うんだ。
ありがとうございます、って!
私はまだ、こんなところで、終わってたまるか―!
「うおおおおおおおおおおおおおおおぁあああああああああああああああァッ!」