>>710氏
710 名前: 1/11 [長杉スマソ sage] 投稿日: 2006/11/03(金)11:17:10.41 ID:PQx1+IW+
俺は走っていた。
ガーディアンズ宿舎の廊下を、マイルームに向かって。
始め、フレからその話を聞いたときは耳を疑った。そして、その言葉の意味するところを理解したとき、俺は居ても足ってもいられなくなり、ミッションを早々に切り上げ、参加していた周回PTを辞したのだった。
全力で疾走しながら、フレの言葉を反芻する。まさかパシリにそんな機能があったなんて。自然と鼻息が荒くなる。既に十分荒いのだが。
─プシュー
マイルームに辿り着く。間抜けな音を立てるドアが開ききるのを待つのももどかしく、ドアと壁の隙間に体をねじ込むと、俺はマイルームに文字通り踊りこんだ。
留守番をしていた410が顔を上げると、少し驚いたような表情でこちらを見た。
俺はそんな410を見つめながら大きく息を吸うと─
「パシリにセックル#%@&=!!!?」
・・・噛んだ。
410は少し眉を寄せると、困ったような顔をしていた。
712 名前: 2/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:18:48.78ID:PQx1+IW+
ぱたん、と救急箱を閉じると、410はこちらを見上げ、確かにそういう機能はあります、と言った。
「本来は生体サンプルの保存という意味合いがあったようです」
「生体サンプル?」
「遺伝情報の保存です」
「ああ」
話を聞きながら、手渡されたモノメイトをかじる。切れた舌先にちょっとしみた。
410の話によれば、かつてのガーディアンズは、その殆どが男性隊員によって占められていたらしい。家庭のある者、ない者。恋人の居る者、居ない者。いろいろな境遇の者がいたが、共通しているのは、危険な任務に従事しているという一点。
「志半ばで命を落とす隊員も少なくなかったそうです」
「命がけの仕事だしなぁ」
「今でこそ、隊員同士の相互支援環境が確立されてますが、当時は隊員の絶対数も少なく、必然的に達成率の低いミッションに赴く事が多かったと記録されています」
思えば良い時代に生まれたのかも知れなかった。
「当時、随行したパートナーマシナリーには、重要な役割が課されていました。ミッション遂行時の記録保持。そして─」
遺伝情報の保存、か。
任務で命を落とした隊員の遺族には、年金が支払われる。金だけ渡して、はいおしまい、という訳にはいかないのだろうが、元より人手不足のガーディアンズに出来ることは限られていたらしい。
苦肉の策として打ち出されたのが。
「子供です」
そう言って410は目を伏せた。
グラ-ル太陽系に数多の種族を生み出した科学力だ。直接の交渉なくして子を成すなど、造作も無いことだったのだろう。失われた命は帰らない。だが、その血を継いだ子供を遺族に与えることで、その代わりとしたのだと言う。
なんだか馬鹿にした話だ。
しかし、それは思いのほか上手くいったらしい。かつて愛した者の面影を持った、新しい命。それは残された者にとって、大層心の支えになったようだった。
なんだか気持ちは理解できるような気もするが、まるで判らないような気もしたのでそう言った。
「私にも判りません」
そう言って、410は眉を寄せ。
困ったような顔をした。
714 名前: 3/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:23:02.74ID:PQx1+IW+
「子供ってなんでしょう?」
410が聞いた。
あまりに単純な質問に、思わず言葉を失ってしまった。
もちろん子供という言葉の持つ意味は理解している。それは410も同じだろう。だが。
両親の愛の結晶。新しい命。輝かしい未来。そんな言葉が浮かんで来たが、どれもしっくりこなかった。当たらずとも遠からずといった所か。
「良く判らないなぁ」
結局そんな答えしかできなかった。
「子供は、かつて愛した人の代わりに成り得るのでしょうか?」
それこそ判らない。返答に窮していると、410は眉をよせ、少し困ったような表情をした。
最近よくこんな顔をするなと、ふと思った。前はもっと笑っていた様に思う。
「遺伝子を掛け合わせて生まれた、新しい命は、オリジナルの要素を色濃く反映していたとしても、それはやっぱり別の存在なのではないでしょうか?」
そんな事を聞いてくる。
それはまぁ、そうだろう。親と子供は不等号で結ばれるべき関係だろうし、子供は子供で、名を与えられ、単一の存在となる。410の言葉を借りるなら子供とは、不完全な複製であり、同時にオリジナルであるとも言えるのだろう。
しかし。
「帰らない人を想って鬱々と暮らすより、かつて愛していた人が残してくれた、子供という財産を慈しみ育てることの方が建設的だからじゃないかなぁ」
「子供を立派に育て上げるという責任感。笑ったり、怒ったり、話あったりして、そういう些細な日常を積み重ねることで、日々を暮らしていく糧に変えるんじゃないのかな。そうやって人は、悲しいことから立ち直っていくんだよ」
多分そうだと思う。
「人はそれで─」
410は顔を上げ、言った
「ヒトはそれで良いのですか?」
そして俺をじっと見つめた。その姿はどこか儚げだった。思わず目をそらしてしまう。
「人それぞれじゃないかな」
結局、便利な言葉に逃げた。
410は黙っている。
「悲しみから立ち直れない人もいるんだろうし、いざその時になってみないと判らないだろうなぁ」
口を突いて出たのは、更に無責任な台詞だった。
「私は、判りたくありません」
そう言ったきり、410は押し黙ってしまった。
俺は何だか、責められているような居心地の悪さを感じていた。
716 名前: 4/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:24:18.47ID:PQx1+IW+
「遺伝情報の保存をしよう!」
唐突に俺は言ってのけた。410は、はっとしたようにこちらを見た。
なんだか訳の判らぬ問答をする羽目になったが、元々はその「機能」を試したくて急ぎ帰宅したのだ。このままでは、どんどん違う方向へ話が行ってしまう。俺は強引に軌道修正した。
「で?それはすぐ出来るのか?出来ないのか?」
我ながら、がつがつしていると思った。ムードもへったくれも有ったもんじゃない。
410は小さくため息をつくと、言った。
「基本機能として備わっているので、特に必要な物はありません。又、ヒト同士で行う行為に準じて設計されていますが、必要ならばマイルームチュートリアルでご説明いたします」
「説明無用」
「そうですか」
410は自らベッドへ向かうと─
ベッドの端に、ちょこんと腰掛けた。
俺は、古の大盗賊の如く飛びかかりたくなるのをぐっと押さえ、ゆっくりとベッドに向かった。そして410の横に腰を下ろすと、言った。
「やさしくしてね」
何ゆってる自分。落ち着け。
「変な事をされる前に、予め言っておきます」
410が事務的に言う。
「遺伝子回収には、三つの方法があります、どの方法を選択するかは、ご主人様にお任せします」
三通り。つまりアレとコレとソレですよね?
何だかもきもきしてきた。
「それ以外のところは、なるべく手を触れないようにお願いします。想定外の事が起きないとも限りません」
「大体判った」
言葉は聞こえたが理解はしていなかった。もうそれどころでは無い。
俺は410を抱きかかえると、うつ伏せの状態でベッドに横たえた。そして足側に正座し─
「いただきます」
手を合わせた。
うつ伏せのまま、410が言った。
「後ろですか?」
「後ろです」
「変態」
「!?さらっと言うなよ!」
410が小さくため息をついた。表情は─
見えなかった。
717 名前: 5/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:25:58.74ID:PQx1+IW+
まるで。
まるで反応を示さない410に、俺は手を焼いていた。
ネットのアングラサイトや、非合法すれすれのビジュアルディスクなどで得た知識が、まるで役に立たない。あまつさえ。
「あの、まだですか?」
困ったような顔をされてしまった。
「今、やってる!」
苛立ってもしょうがない、こいつに悪気は無いのだ。だが。
「なぁ、少しは反応してくれよ」
つい泣き言を言ってしまう。
「反応、ですか?」
「うふーん、とか、あはーんとか、ご主人さまぁとか」
言ってから俄かに恥ずかしくなる。馬鹿みたいだった。
しかし、健気な410は言われた通りに-
「ご主人さまーうふーん、ご主人さまーうふーん」
「すごい棒読みだな!?」
逆効果だった。
必死になればなるほど、焦れば焦るほど、俺は空回りした。
行為に、意識を集中しようとすればする程、逆にそこから遠ざかっていくような、まるで、機械を操作しているような錯覚を覚える。
機械─なのか?
唐突に410の言葉が、脳裏に蘇る。
─子供ってなんでしょう?
そんな事は知らない。
─ヒトはそれで良いのですか?
良いんだ。それが人間なんだよ。
─愛した人の代わりになるのですか?
そんな事は判らない。
─私は誰かの代わりなのですか?
それは。
─誰かが私の代わりになるのですか?
そんな事は。
─私を
違う、そんな事は
─私だけを見て欲しい
そんな事は、そんな事は言っていない!
そして俺は、「正気」に返った。
唐突に動きの止まった俺を見上げると、410は。
何故か、申し訳なさそうな表情をしていた。
718 名前: 6/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:27:15.79ID:PQx1+IW+
どさり。
俺はベッドに倒れこんだ。自然に410と添い寝するような形になる。
「もう、良いのですか?」
おずおずと聞いてくる。
どう答えて良いかわからなかったので、ああ、とか、うん、とかそんなおざなりな返事をした。
すると410は目を伏せ、ごめんなさい、と謝った。
「何故謝る」
これではこっちが悪者みたいじゃないか。なんとなくバツが悪くなった俺は、410の頭に手を乗せた。
「わぷ」
パートナーマシナリーの体は小さい。その頭は俺の手の中に、すっぽりと覆い隠されてしまった。
そのまま頭を撫でる。
410は目を閉じて、大人しくしていた。
こいつは。
こいつは一体何なんだろう。
機械。
モノ。
道具。
パートナー。
どれも正しいようでいて、的を射ていない様にも思われた。
じゃあ。
こいつにとって、俺は何だ?
主人。
ヒト。
所有者。
パートナー。
やはり判らなかった。
どうかしている。俺はそんな答えの出ない思考を追い払う様に、頭を振った。
「・・・あ」
間近から聞こえた声に、ふと我に返る。
410の声だった。小さな眉を寄せて、こちらを見ている。
頭を撫でていた筈の手は、少しずつ目標からずれ、410の首筋に到達していた。
「悪い、ちょっと考え事してた」
そういって首筋を撫でる。
「ぁ・・・その、ダメです・・」
この反応は一体。俺は首筋に這わせていた手を引っ込めると、じっと410を見た。
何だか哀願するような目をしていた。
俺は。
719 名前: 7/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:28:16.44ID:PQx1+IW+
410の首筋に手をあてると、そっと撫で下ろした。
「そ、そこはダメです~」
びくんと、首を竦め、泣きそうな声でそう言った。
なるほど、ここが。
身を捩り、逃げ出そうとしている410に覆い被さると、俺は両手の人差し指をまっすぐ立てて、首筋を突つき廻した。
「ここけ?ここけ?ここがええのんけ?」
我ながら最低だ。
410は俺の攻撃から逃れようと、右へ、左へ体をくねらせる。
「ダ、ダメですってば~、もう、後でひどいですよ!」
そんなことをいって眉間に皺を寄せる。
「へへへ、後と言わず、今酷い目に合わせてみな~」
どこの外道だ。
「あぁ、もう・・・」
そして410は。
「もうダメ~~~~~~~!」
限界を迎えた。
720 名前: 8/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:29:19.15ID:PQx1+IW+
放心したように。
俺達はベッドの上に座っていた。
いや、実際放心していたのだが。
「いっぱい出たなぁ・・・」
独り言のように俺が言う。410は無言だった。
「まさか、こんなに出るとはなぁ」
やはり返事は無い。
「随分溜め込んでたんだなぁ」
「やめてって言ったのに・・・」
恨みがましい視線を感じる。多分気のせいだろう。
俺は、変わり果てたマイルームを見渡した。そこは、ありとあらゆるガラクタで埋め尽くされていた。
想定外の事態だった。
「まさか、あんな事するなんて・・・・・・」
俺がぐりぐり弄くりまわしていた、首筋には。
「まさか、ナノトランサーの・・・」
「強制排出スイッチがあったなんてなぁ」
「押しちゃうなんて・・・」
二人同時にため息をつくと、かつて、モノメイトだったり、ソルアトマイザーだったモノたちのなれの果てに目をやった。
「やめてって言ったのに」
「・・・すまん」
「誰が片付けると思ってるんですか?」
「・・・すまん」
オウムのように同じ台詞を繰り返す俺から目を逸らすと、410はがっくりと小さな肩を落とした。
そして、ベッドから降りると、ガラクタを選り分け始めた。
これはまだ使える、だの、こっちはもうダメだ、などぶつぶつ言いながら作業に没頭している。
「手伝うよ」
申し訳なくなった俺は、ベッドから降りてそう言った。しかし、そもそもの原因を作ったのは俺なのだから、その言葉は見当違いも甚だしい。むしろ手伝ってもらう立場にあるのはこっちであろう。
対して、410の態度は、実に素っ気無かった。
「売る予定だった、幾つかのアイテムがダメになってしまいました。取ってきて頂けませんか?」
言葉遣いは丁寧だが、有無を言わせぬ迫力があった。邪魔だから出て行け、と言っているのだ。
俺は仕方なく。
「すみません、どうかお手伝いさせて下さい」
平身低頭謝った。・・・情けない。
410は選り分け作業を続けながら言った。
「・・・フォトン武器の取り扱いには注意して下さい。フォトン部分に触れると思わぬ怪我をしますので」
「大体判った」
お許しが出たので作業を始める。
壁に突き立った槍だの、オキクドールを断ち割った斧だのを片付けながら、俺は健気なパートナーの様子を盗み見る。
410は眉を寄せて、少し困ったような顔をしていた。だけど。
少し楽しそうにしている様にも見えたのだった。
721 名前: 9/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:30:15.80ID:PQx1+IW+
大分片付いてきましたね、と言って410は顔を上げた。
考え事をしていた俺は、適当に生返事を返した。
そんな俺の態度に、腹を立てる様子もみせず、また、あの困ったような表情でこちらを見ている。
作業をしながら、俺はあることを考えていた。いや、考えると云うよりも、ある疑念を抱いていたのだった。それは。
「なぁ」
「はい?」
作業を続けながら問い掛ける。410も手を休めず返事をした。
「さっきのアレだけど」
「あれ、ですか?」
もっと具体的に言わないと通じないようだ。
「機能の事だけど」
「あぁ、あれですか」
「もしかして」
「はい?」
「嫌だったか?」
410の体がピクリと震えた。やっぱりそうか。
「正直に答えてくれ。お前が嫌がるなら、もうしない。お前の気持ちも考えず酷いことをした」
「私の・・・きもち」
そう言って410は、ゆっくりと立ちあがった。そして俺をじっと見つめながら。
「・・・嫌でした」
小さい声だったが、はっきりとそう聞こえた。
「そうか・・・」
やはり嫌だったのか。浅薄な己の行動が悔やまれた。
「・・・悪かったな」
搾り出すように。やっと、それだけ言った。返事は無かった。
それを期に、作業を再開する。
言葉もなく作業に没頭する。聞こえるのは、片づけをするかちゃかちゃという音だけだった。
「遺伝情報の保存には、もうひとつの目的があるそうです」
唐突に410が言った。俯きながら、独り言の様に。
ヒトの気もしらず、他人を思いやる事もできない、大馬鹿者の俺は。不完全な俺は、だからその言葉の真意が判らずただ黙って、続く言葉を待っていた。
「優秀なガーディアンの命が失われる事は、ガーディアンズにとって大いなる損失になるそうです」
だから、その当たり前過ぎる言葉を聞いて、少し拍子抜けしてしまった。
「だから、失われた命を贖うために」
だが、その後に続いた言葉は。
「遺伝情報を元に」
俺の想像を超えていた。
「完璧な複製を作るのです」
722 名前: 10/11 [sage] 投稿日: 2006/11/03(金) 11:31:16.87ID:PQx1+IW+
俺は耳を疑った。
「保存した遺伝情報を元に、命を落とした隊員のクローンを造るのだそうです」
そんな。
そんな事ができるのか?いや、許されるのだろうか?
「それは本当なのか?」
凡庸な問いかけだった。
すると「彼女」は目を伏せ、自嘲するかの様に笑って言った。
「噂です」
噂。
噂だと?なんと不確かで曖昧な言葉だろうか。思わず「彼女」の瞳を覗き込む。
そこに、一体どんな感情が渦巻いているのか、俺にはもう判らなくなっていた。
彼女の唇から、言の葉が紡ぎ出される。
「完全な複製は、失われた命の代わりになれるのですか?」
俺には答えられない。
「貴方が命を落とし、完璧な複製が」
俺には答えが判らない。
「ドアを開けて入って来たら」
それは。
「果たして、貴方なのでしょうか?」
不完全な俺の、完璧な複製。俺はドアを見た。もちろん誰もいない。
「ヒトは、それで良いのですか?」
俺は彼女を見た。
彼女は、儚げな表情をして。
「私は・・・嫌です」
小さい声で、はっきりとそう言った。
俺はすっかり自分を見失ってしまった。俺は誰だ。俺はヒトだ。彼女は、誰だ。彼女は。
「ごめんなさい」
そう言って小さな頭を下げる。
「貴方を困らせるつもりはありませんでした。ただ」
困らせる?困らせていたのは。
「貴方の遺伝情報を保存したら、まるで、いつ命を落としても良いですよと、認めてしまうような気がして」
気がする?
「怖かった」
そしてまた、自嘲するように笑った。そんな笑顔は見たくない。
曖昧な噂を信じ、不確かな未来を憂い、不安に心を悩ませる。これは何だ?
パートナーマシナリーとは、こんなにも曖昧で不確かなモノだっただろうか?これではまるで。
まるで不完全じゃないか!
そして俺は、やっと彼女に会うことができた。
723 名前: 11/11 [ゴメンgdgdかも sage] 投稿日: 2006/11/03(金)11:32:16.75 ID:PQx1+IW+
式というものは、同じ数値を当てはめれば、かならず同じ答えがでるのだと言う。
計算を間違わない限り、導き出される答えは、必ず同じモノになるのだ。
だがもし。式が間違っていたなら。導き出される答えは、やっぱり間違いなのだろうか。
違う、それは論点がずれている。式が間違っているのではない。求めている答えから遡って、当てはめた式が違っていただけの話だ。望む回答が得られないのならば、別の式を当てはめてやれば良い。
彼女は式の選択を間違えたのだ。望むべき回答は判っていたのに。
クローンなど、完璧な複製など、存在しえないのだ。もし本当に完璧に複製できたのなら。その複製はオリジナルが命を落とした時点に遡って、同じく命を落としていなければならない。それは矛盾している。そんな式は認められない。
ならば俺にできる事は、正しい式を当てはめてやる事だ。
かつて俺が、彼女の為だけにつけた名前。それは俺だけのモノでもある。
俺は、その名前を呼んだ。彼女はきょとんとしていた。
「その噂はでたらめだ」
俺は言った。
「クローンなどありえない。噴飯物のデマだ、嘘こきだ!」
こんな。こんな簡単な事で良いのだ。何故、すぐに言えなかったのだろう。
「嘘・・・なんですか?」
ぽつりと呟くように。
「ああ、嘘だ。何だよ、パートナーの言葉は信じられなくて、根も葉もない噂は信じるっていうのか?」
おどけるようにそう言った。パートナー。もっと気の利いた言い回しは無いものか。
パートナー、と彼女は反芻した。
「ああ、パートナーだ。お前のパートナーは俺だけだろ?」
ちょっと押し付けがましいだろうか。
「そして俺のパートナーはお前だけだ」
身の丈に合った、精一杯の言葉。ちょっと耳が熱かった。
「私だけが・・・」
それが彼女の望んだ答え。
そっかぁ、と小さな声で一度呟くと。
「そっかぁ!」
弾むような声でそう言った。
随分と遠回りしてしまった俺達は、やっと本当の出発点に立つことが出来た。
一にして全なる者は他者を求めない。不完全な俺達は、お互いを補い、求め合って、そして初めて本当の形になるのだ。
俺は彼女に告げる。
「俺の前で、感情を殺さなくて良いんだ。迷惑だなんて思わない、嬉しいときは笑えば良いし」
そっと彼女を抱き寄せ、耳元で囁く。
「泣きたい時は、この胸の一つくらい、いつだって貸してやるからさ」
彼女は小さく、馬鹿、と言って、俺を見上げ。
笑った。