★Act9
暁の中、エア・バイクをすごい速度で走らせる父様。
周辺は岩砂漠でたいした障害物もないのですが、フローダーモードではなく、地表から200Rpほどの超低空を飛ぶのはかなり危険です。
だけど、そうするだけの理由がありました。
「――向こうのレーダーがメンテナンスから復旧するまで、あと4分32秒」
「ちっ、ぎりぎりか」
舌打ちをして、独白する父様。
あれから、『ナックルズ』のデータを調べて、いくつか判りました。
彼女をさらった連中は、キャッツ・クローに客として出入りしているローグスでした。
ただ、その時彼女たちを襲ったのが、クバラPMと思しき人型マシナリーが5機と、ヒトが3人。
あくまでデータでしか判断できませんが、そのクバラPM達の能力は『狂戦士』さんや『狂犬』さんばりの高火力・高機動タイプばかりで、どうがんばってもGRMのパシリには真似出来ない数値を叩き出していました。
そして、連中が『ナックルズ』を運び込んだ先が、あのオアシスからエア・バイクで15分ほど飛んだ距離の場所にある事が分かったのです。
そこがキャッツ・クローの本拠地であり、連中が『仕事』をしている場所でもありました。
それから、どうして『ナックルズ』があのオアシスに居たかと言うと、あのオアシスからやや離れた場所に、連中のゴミ捨て場代わりの枯れたオアシスが在って、そこへ捨てられたのです。
そこから、捨て易いように仮組みされただけの躯体に鞭打って、なんとか自力で抜け出したのですが、運悪くオアシスの穴から泉に落っこちてしまい、かろうじてあの洞窟に隠れたところで躯体の仮組みが完全に崩れて、非常停止となってしまったのです。
とはいえ、おかげで『ナックルズ』と再開出来て、更に、連中の警備状況に時間的な穴があることが分かリました。
監視網システムの老朽化によって、45時間稼動すると3時間のメンテナンスが必要になっていて、そのメンテは必ず早朝に行われているのです。
最初はレーダー、次は施設内のセンサー、最後はガードマシナリー管理システムの順です。
今は丁度レーダーのメンテを行っている時間なので、急いで移動しているのです。
「連中がメンテの時間をずらしていないといいんだが……」
あせりを押さえる為か、考えをわざと口にする父様。
「大丈夫ですよ父様、『ナックルズ』が施設の警備情報を持っている事にすら気づかない連中です」
私がはっきりと言うと、父様はちらりと私を見て、口の端だけで笑います。
「なるほど、ほとんどは頭がお粗末な連中ばかりか。
だが、それならどうして『ナックルズ』を捕らえたんだ?」
「それは、彼女のミッションに起因しています」
私は、吸い上げた彼女のデータをかいつまんで話し出します。
「元々、『ナックルズ』は諜報部捜査課の隊員と一緒に、各地で散発的に起きていたパシリの強奪犯人を探していました。
強奪されていたのは、ワンオブサウザンドとして各方面の組織から容疑かかけられていた個体がほとんどです」
「ワンオブサウザンド容疑の個体とは、また穏やかじゃないな」
「諜報部も、戦力増強のために探してましたからね」
「ま、そうだがな」
「困った事に、『ナックルズ』が手に入れたこのリストには、私の名前も載ってますけど、とりあえず置いておきますね。
捜査を続けるうちに、予想よりも早い段階で、彼女たちは連中のアジトを突き止めました。
ところが、潜入して警備情報を入手した直後に発見、追撃され、同僚は倒されてしまい、彼女自身はローグス達に捕縛。
『ナックルズ』を捕まえたローグスには、組織から賞金が支払われていました」
「賞金?PMに懸賞金をかけて、集めているのか?」
「はい、そうなんです。
そして、集めたパシリからデータを収集しています。
『ナックルズ』自身は、各種運動データと戦闘経験値を徹底的に分析され、最後にはローグスたちの慰み物にされて、砂漠に捨てられてしまいました。
他にも、連中のやっている事が断片的に記録されていますが、どれもこれも胸糞悪くなるものばかりです」
「だが、そこまでして、連中は何の利益があるんだ……
確かにクバラアイテム市場には、パッチやデバイスを含めたPM用クバラ商品が公認取引されてるし、最近は民生用に一部機能をオミットした、安価なクバラPMが普及しているのも確かだ。
それ用にリバースエンジニアリングを行って、情報を売るというのも分かるが、それなら通常のPMでかまわないはずだ」
父様の声には、疑惑の念がたっぷりと篭っています。
「わかりません。
ただ、現在の連中の動きは、高出力だったり、高機動だったりするパシリに重点を置いているのは確かです」
「ふぅむ……」
「それと、父様。SMSってご存知ですか?
『ナックルズ』の聴覚ログに、何度も記録が残っているんですけど」
「SMS?」
僅かに沈黙すると、喉の奥から絞りだすような低い声で唸りました。
「クソッたれ、そういう事か……
連中、GRMがLSSジェネレーター供出で財政的に疲弊している今、ガーディアンズのPMに対抗する商品の開発をしているんだ。
つまり、PM強奪の大本はテノラ・ワークスだ」
「対抗商品?」
「ああ。
昔、ガーディアンズ隊員専用のサポートマシナリーを発注する話が挙がった時、各メーカーによる開発競争があったんだ。
GRMのPMの対抗馬として、S・M・S、サポートマシナリーシステムという名称で、テノラ・ワークスのマシナリー部門が争っている。
結果として、現在までPMが使われているが、S・M・SはPMより劣るブレインコアと感情回路を持たない点を除けば、現在でも基本スペック全てが1ランク上なんだ。
だが、実働スペックは、PMのほうが感情回路の影響でS・M・Sを上回っている。
もっとも、S・M・Sが競争に敗れた最大の理由は、テクニックが使用出来ないという点だったんだがな。
ともあれ、連中はどうしたか。
手っ取り早い方法として、PMのリバースエンジニアリングと試験による実数値をはじき出し、感情回路なんて不安定なものではなく、それを技術で乗り越えてしまおうと考えた。
それならば、噂に聞くワンオブサウザンドからデータをとって作れば、GRMすら容易に屈服できる物が出来るはずだ。
そこで、その方面に力を入れているキャッツ・クローを使って、ワンオブサウザンドの容疑がかかったPMを狩り、集めた。
これが、出揃っている情報から考えた、俺なりの推測だ」
「そうは言いますけど、そう簡単に作れるとは思えないんですけど」
「連中の技術ならそれも可能と考えたか、甘く考えているのか、それは分からん。
だが、既に数体のOoS級S・M・Sが実働しているじゃないか」
「あ、『ナックルズ』達を襲った人型マシナリー……」
「そういう事だ――見えた、あの島だ」
荒涼とした岩砂漠に突き出た、風化した岩盤の岩山――モトゥブでは砂漠を海に見立てて、飛び出した岩盤を島と呼んでいます――が見えてきました。
「あと15秒です」
「いいタイミングだ」
「残り5、4、3、2、1、0!」
0のカウントダウンと同時に、レーダーエリアからセンサーエリアへ飛び込みました。
そして、静かに速度を落として、手近な岩陰に、車体と一緒に隠れます。
「これなら、復旧時のノイズで、俺達が移動していたことも判らないだろう」
「後は、肉眼で警戒していないといいですけど……」
「だから、この時間を選んだのさ。
どんなに警戒していても、一番気が緩む頃合だからな」
そう言って、エア・バイクから降り、私を降ろしてくれました。
そして直ぐに、エア・バイクをフルコンシールモードに設定した父様。
フォトンミラージュが作動し、周囲の風景にエア・バイクが溶け込んでいきます。
「まずは何処へ行きますか?」
私が訪ねると、一瞬迷った様子の父様。
「まずは、警備室を制圧、次に動力室、試験動作が行われている実験エリア、最後にデータ管理室だ」
「……分かったわ、父様」
私達は武装を確認し、予定していた侵入ポイント近くまで走ります。
そして、一旦身を隠して、周囲を確認します。
「誰もいませんね」
「……無用心だが、まぁ、こんなもんか」
「行きましょう、父様」
「待て。念を入れても損はしない」
ゴーグルを掛け、入り口周辺を確認する父様。
「無用心なはずだ、入り口のまん前に、独立式のトラップがしっかり設置してある」
私、あやうく飛び込むところでした。
「どうしましょうか」
「見つけてしまえば、後は回避すればいいだけの話だ。
――壁沿いなら行けるな」
ゆっくりと近くまで寄り、壁際を慎重に歩いていく父様。
そして、中が見える位置まで着くと、そっと覗き込んで確認します。
大丈夫だったようで、そのまま入り口に立つと、私に向かってハンドサインを送ってきます。
“同じルートでここまで来い。慎重にな”
私もハンドサインで“了解”と答え、逸る気持ちを抑えて、慎重に移動しました。
最後の場所まで来ると、父様が私の手を掴んで、持ち上げるように入り口に引っ張り込みます。
急に私の口を押さえて抱えあげると、近くの岩陰に隠れる父様。
“気配を消せ”
素早くサインを出すと、息を殺し、急に動かなくなった父様。
私もあわてて、自分の出す音やレーダー波の類を止め、目を閉じてじっとしました。
……ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ。
あ、誰かが来ました。
「異常なし、っと。ふぁ~ぁっ……」
「テメェ、だらけ過ぎだ。ボスに言うぞ」
「おめぇだって、さっきは欠伸してたろ」
「ありゃ欠伸じゃねぇ、深呼吸だ!」
「けっ、ものは言いようだな……」
「しっかしよ、ほんとに来たのか?さっきのタイミングで」
「さぁな。だがよ、あのクソヒューマンはともかく、あのマシナリーが言ったんだから信用できるだろ。
でも、どうしてそこまで、たかが人型マシナリーに思い入れ出来るんだ?
俺にはさっぱりわっかんねぇよ」
「クソヒューマンがグダグダぬかしてたが、要は趣味だろう」
「趣味か、お前の同類だな」
「テメェこそ、ケツの締りがいいって、何回も犯ってたろう」
「ぬかせ。おめぇこそ、何体もとっかえひっかえ犯りやがって」
Pipipi.
「っと、次の場所へ行く時間だ」
「くそっ、いつもなら寝てる時間だってのに、侵入者さまさまだぜ」
ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ……
息を殺したまま、小さく溜め息をつく父様と私。
どうやら、巡回だったみたいで、割と早く行っちゃいました。
私を抱えたままいきなり立ち上がり、足音を殺して奥へ向かい始めた父様。
そして、すぐに足を止めて物陰に隠れます。
(父様、どういう事ですか?)
テレパスで尋ねると、いきなりおでこを指で突付かれました。
「今はテレパスを使うな。連中がどんな方法で内部を監視しているか、分からないからな。
少なからず、内部センサーが止まっていても安心できない」
私に聞こえるかどうかという、小さな声で喋る父様。
「でも、どうして直ぐに動いたのですか?」
私も小声で囁くように問います。
「連中の後を付いていけば、次の巡回が来るまでに奥へ進めるし、おまけに案内付だ」
言いながら、先を覗き込んで、再び通路を歩き出す父様。
「しかし、S・M・Sの性能を甘く見すぎていたな。
恐らくは一時的なのだろうが、警戒レーダーの代わりに使えるスペックを持ってるとは……」
父様は再び物陰に隠れて、様子を伺います。
その間、私は周囲をきょろきょろと見回しました。
アジトと言う割には、ほとんど洞窟そのままで、本当に必要な場所に最低限しか扉や平らな壁がない、お粗末な場所です。
不意に、父様がゆっくりかがみこむと、私を下ろして、ナスヨテリックを取り出し、通路に出て構えます。
え?まさか、仕掛けるの?!
シュカン!シュカン!
射撃武器にしては小さな音が二度鳴り、通路の奥を歩いていた二人が倒れます。
父様は、すかさず走り出しました。
あわてて私も後について、走ります。
その間に、ナスヨテリックからトラップに持ち替えた父様は、ローグスが倒れている場所より少し手前にある角を曲がると、トラップを投げ込んですぐさま起爆させました。
音からすると、ダメージメインではなく、状態異常系の物のようです。
「こいつらを拘束する、急げ」
中に入っていく父様について行くと、ここが警備室らしく、複数の端末や監視モニターが備えられています。
でも、『ナックルズ』が手に入れた資料とは、場所が違います。
床には、朦朧とした様子のローグスが4人、倒れていました。
父様はその4人に更に当身を入れ、気絶させると、拘束用プラスチックバンドで四肢を固め、口をテープで塞いでいきます。
私も一緒にローグス達を拘束し、最後に二人がかりで、監視機器の裏側へ4人を隠しました。
それが終わると、今度は通路のローグス2人を同様に拘束して、隠します。
父様も、わざと急所を外して当てたらしく、2人は虫の息ですが生きています。
今度は端末を操作して、配置マップを確認する父様。
「警備の配置換えをしてたか。どうりで動きが変な訳だ」
マップを見ると、洞窟の使用配分を変えて、警備を強化しています。
ですが、巡回しているらしいローグスのマーカーは、普通に配備を考えた場合より少なく、ここへ再び巡回者達が立ち寄るには、少なく見積もっても10分は余裕があります。
それだけあれば、ガーディアンズの隊員なら余裕でミッションを果たせます。
構造を頭に叩き込んだ父様が、私に声を掛けます。
「……よし、行くぞ」
「はい」
走り出そうとした父様ですが、不意に立ち止まり、端末の目立たない場所にトラップを仕掛け、その起爆スイッチを私に寄越しました。
「念のためだ、お前に渡しておく」
「了解です」
改めて走り出し、通路を奥へと進んでいくと、数えて3部屋目の前で立ち止まりました。
入り口は頑丈な扉と壁で作られていて、いかにも重要な場所だと分かります。
「ここが動力室だ。無人のはずだが、用心しろ」
ゴーグルでチェックしつつ、慎重に踏み込んでいく父様。
問題が無いと分かると、今度は伝導チューブやリアクター本体などの、目立たなく且つ壊れやすい場所を選んでトラップを仕掛けていきます。
私はその間、通路を監視します。
「――終わったぞ、次だ」
再び、私に起爆スイッチを渡し、妙な事に、今度は動力室の奥へ進んでいく父様。
「通路で行かないのですか?」
「こっちが近道だし、さっき調べたら、連中も警備してない場所なんだ」
そう言って、通風孔の網をずらして開け、中に入っていく父様。
通風孔といっても、父様ですら普通に歩ける高さと広さがあって、通路と呼んでも差し支えないくらいです。
私は心配になって、時々ゴーグルモードで調べながら歩いたのですが、センサーはメンテで止まっているし、害獣避けのトラップすら仕掛けられていませんでした。
「この通風孔って、どこへ続いているのですか?」
「さっきのマップによれば、試験エリアの実験場の側面壁だ」
『ナックルズ』の資料でも、この島の中心部は大空洞になっていて、その空洞が実働試験を行う広場になっています。
そして、その天井部分には、そこそこ大きな穴が開いています。
「つまり、そこから風を入れているのですか?」
「いや、そこはいわゆる煙突だ。
換気元の空気は、地下の洞窟を通してから入れないと、昼は暑いし、夜は寒いからな」
「考えてあるんですね」
「逆を言えば、全ての部屋はその大空洞と繋がっている事になる。
モトゥブでは、洞窟に限らず、どの施設でも似たような造りになってるからな。
――俺がこのミッションの話を聞かされた時、諜報部の本来の予定では、この換気装置を利用して、施設全体に毒ガスを流し込む予定だったんだ」
「ど、毒ガス?!」
「ああ。諜報部としては隠密裏に処理する事が前提だし、吹き飛ばしたら、資料とかが残らないからな。
だが、肝心の施設の場所が分からないし、必要な量も分からない。
そして、強襲調査出来るだけの資料が揃ったという連絡を最後に、調査していた『ナックルズ』達が行方不明。
結局、振り出しに戻った上に、残された手がかりは、たった一枚だけ送られてきた、オアシスのSSのみ。
他の案件もあって、人手はこれ以上割けないし、かといって、事情を全く知らない奴にも頼めない。
そして何より、表立ってという表現も変だが、諜報部としてこれ以上動けない」
「どうしてですか?証拠をでっち上げるとか、潜入して手に入れるとか、やり方なら色々ありますよ?」
「以前ならそれでも良かったんだが、現在は表向き、ローグスは犯罪者ではないとされているからな。
特に、キャッツ・クローという組織が、表では結構名の知れた、商品の安全を調査する会社を健全に運営しているという点が問題なんだ。
それに、その事実を諜報部が掴んだのが、つい2日前だ」
「じゃぁ、もしかして、本部側もそれを知らないとか……
というか、そんな大事な話、どうして地底湖で話してくれなかったんですか!」
「本来は機密事項で、黙秘するっていう宣誓書類に署名しないといけないレベルなんだぞ?
俺は立場上、省略が認められているけど、あんな場所で喋れる内容でもないし、喋っていい訳が無い。
お前だって、この話を聞いたからには黙秘してもらうからな」
「は~い、分かりましたよぅ……」
私の返事をどう取ったのか、「すまんな、前もって言えなくて」と、謝る父様。
「話を戻すが、ともかく、その報告が初めてだったそうだ。
その情報を得た本部は、事後の証拠提示と諜報部の人間が直接動かないという条件をつけて、強襲調査を黙認する事になった。
何故なら、その会社は運営委員会所属で、ガーディアンズへの出資会社の一つでもあるんだ。
そして、出資会社への強襲捜査は、証拠が揃わない場合には行ってはならない、という特別条項がガーディアンズ運営条項にある」
「強行すれば、名誉毀損、不法侵入、器物破損、状況によっては傷害……
それって、証拠をそろえて法廷で争いなさい、って事なんですね」
「そうなんだが、実際に犯罪を行っていても、告訴した後にもみ消されたら話にならないからな。
だから、『ナックルズ』という最低限の証拠が必要だったのさ。
そうすれば強襲調査の言い訳ができるし、それに、証拠が無いと、本部から妨害される可能性があるしな」
「黙認した本部が?」
「そいつらが一組織を正式に名乗って、自分達に不法捜査が行われてるって通報してみろ、例え本当に犯罪を犯してる連中からの通報だとしても、本部は法に則って、その調査に動かなくちゃならないんだぞ?
それに、下手にその会社名で名乗られた日には、ガーディアンズの信用はがた落ちだ」
「あ、なるほど……」
父様は苦笑して、肩をすくめました。
「ともかく、諜報部側の意向もあるが、俺自身、ワンオブサウザンドの情報が表に出ないよう、もみ消しておきたいんだ。
お前達PM全員の為にな」
ふと立ち止まった父様。
「空気の匂いが変わった。そろそろ中心部だ」
「まずはみんなの救出ですね」
「いや、予定変更だ。
『ナックルズ』の資料と、さっきのマップを照らし合わせて考えると、この排気孔を出た丁度反対側に、強奪してきたPMの保管庫というか隔離倉庫がある。
その左隣に、研究室とデータ管理室があるんだが、研究室側で隔離倉庫のセキュリティを管理している可能性がある。
そこで、順番を逆にして、研究室を押さえてデータを回収してから、救出する。
データの回収には時間がかかるし、脱出の時は、トラップを使って派手に行くから、この方がいいだろう。
いいか、残りのトラップを――」
父様は地面に簡単な絵を書きながら、設置箇所を説明してくれました。
「――に設置する、記憶しておけ」
「……憶えました」
「よし。実験場は念のため、外周沿いを移動する。
行くぞ」
「はい」
★Act10
通風孔の仕切り網をずらし、私達は実験場へと侵入しました。
ほのかに明るい程度しか光が無く、空気は妙な匂いがして、若干澱んでいますが、天井側へゆっくりと流れています。
出来るだけ足音を殺しながら、トラップを要所ごとに設置しつつ、側面壁にそって走る私達。
途中途中で、通路が口を開けているのですが、少し奥まった所に頑丈な壁と扉が設置されていて、向こうの様子が伺えません。
反対にこちらの様子も分からないでしょうから、気兼ねなく走り抜けられます。
暫く走ると、問題の研究所付近に来ました。
「あ、窓なんてついてます」
私が小声で呟くと、それに気づいた父様が、ハンドサインで“伏せろ”と指示します。
伏せた直後、窓の内側を、光が走ります。
どうも、ハンディライトを持って、巡回しているようです。
2度、3度と光が走り、その後は静かになりました。
すると、ゆっくりと窓に近づき始めた父様。
慎重に寄ると、小さな鏡を取り出して、自分は身を晒さず、間接的に内部を覗き始めました。
10秒ほどで観察を終えると、再びハンドサインを私に出します。
“ここへ来い”
“了解”
静かに、なおかつ素早く動き、父様がいる場所まで移動すると、小さな声で囁くように私へ改めて指示を出します。
「旧型だが、精密アームを持った事務用マシナリーが一機、中に配備されている。
おそらく、あれならこの研究室の最低限の情報は管理しているはずだ」
「了解、アクセスして情報を引き出すのね」
「セキュリティはあるだろうから、気をつけろ」
「うん。じゃ、いきますね」
パペットシステム起動、対象指定、完全制圧。
“パペットシステム起動、指定対象を確認、出力範囲を限定、アクセス……完了、ファイアウォールを確認、セキュリティ透過……セキュリティへの認証成功、アドミニスター権限への割り込み……完了、システムの主権限を確保”
よし、上手くいきました。
「機体を完全確保」
「了解。室内配置状況を確認後に侵入経路を確保、それが済み次第、データ保管場所と隔離倉庫のロック開放権限を取得、後は予定通りだ」
私は黙って頷き、早速このマシナリーのデータベースから必要な情報を探します。
……え、あれ?
この子って、隔離倉庫のマスター権限もあるし、ここ最近の研究データも持ってる。
これはこれでラッキーだったかな?でも、ずぼら過ぎるなぁ……
「父様、この子がデータバンクとして利用されてます」
私が困惑しながらも報告すると、目が点になった父様。
「メインデータバンクシステムは他にもありますけど、ここ最近のデータならこの子が持ってますし、ざっとチェックした限りでは改竄された形跡もありません。
それと、研究施設内の各種マスターキーも持っていましたので、データごと全てコピーしました。
キーは時間変動型のものですけど、直ぐ使う分には問題無いと思われます」
「……なんて、ずぼらな……だが、その分の手間が省ける。
念の為に、そのマシナリー経由でメインデータバンクへアクセス、データを吸い上げられるだけ吸い上げて、その後にデータ転送ウィルスとスパイウェアを流し込んでおけ」
「はい」
「データはダミーかもしれないが、無いよりはマシだ」
私は指示された事を順次、行っていきます。
ですが、どれもそこそこ時間がかかり、想定時間はじりじりと消費されていきます。
想定時間は後1分、それだけあれば、自分の残りの記憶領域容量ギリギリまでコピー出来る、と判断した瞬間。
Beep!Beep!Beep!Beep!……
『警備室だ!警備室に侵入者の痕跡だ!野郎ども、起きやがれ!とっとと侵入者を見つけて、捕まえろ!』
あっちゃ~、予想より早い!
「警備室を制圧してから9分ちょいか……向こうも流石に警戒してたようだな」
『研究エリアのセキュリティを緊急起動させる!死にたくなかったら、踏み込むな!』
「まずいな……吸い上げを中止、ウィルスとスパイウェアを流し込んだら、隔離倉庫を開放だ!」
父様が小さな声で鋭く言った直後、実験場全体に、煌々と明かりが灯りました。
小さく舌打ちしたかと思うと、私に3つ目の起爆スイッチを渡す父様。
「設置場所は憶えているな?起爆タイミングはお前に任せる」
「でも……」
「最悪の場合、お前を逃がす」
「父様!」
「ミッションが最優先だ!」
厳しい表情を浮かべ、強い語調で有無を言わせない父様。
「分かりました……」
私はつい泣きそうになり、俯いてしまいました。
「悲しそうな顔をするな、俺も死ぬ気は更々無いよ」
そう言ってちょっと笑ってから、父様は立ち上がり、ムカトランドを構えます。
そうこう言っている間に、スパイウェアがインストールを開始しました。
ここまでくれば、後は放置しても大丈夫です。
私は立ち上がって、父様の顔を見上げます。
「スパイウェアのインスト実行を確認、後は放置しても平気です」
「よし、急ぐぞ」
ジリリリリリリリリン!
『隔離倉庫の扉を開放します。実験場にいる研究員は、速やかに退去してください』
放送が終わると同時に、赤い警告灯があちこちに点灯しました。
「え?私、空けてないよ?!」
「連中、PM達をガードマシナリーに改造しやがったな」
ぎりっ、っという、すごい歯軋りをした父様。
「とにかく、通風孔まで走るぞ!」
「はいっ!」
行きと違って、帰りは実験場の真ん中を突っ切る私達。
私と父様の激しい足音に混ざって、いくつもの足音が聞こえてきました。
私が肩越しに後ろを見ると、その姿が確認できました。
「……!み、みんな、酷い格好……」
服はまちまち、四肢や眼、イヤーパーツなどは、型式違いをちぐはぐにつなぎ合わされていて、とてもパシリとは言えない姿にされてしまっています。
そのくせ、やたらと足が速いのには驚きました。
「くそっ、もっと早く、倉庫に向かったほうが良かったか」
私と同じように後ろを見ながら走る父様が、苦い声で言いました。
「でも、もうあれでは……」
「だが、制圧すれば、無傷でいける。出来るか?」
「無差別制圧なら、ほとんどオートですから、何とか」
「それでいい、やれ!」
「はいっ!」
さっきからパペットシステムは起動させたままなので、すかさず命令します。
全帯域に無差別最大広域放射、クラッシュモード、フルパワー!
“波長を全帯域に設定、範囲を通信限界エリアに設定、クラッシュモードをレギオンレベルで起動、フルパワー、ファイア!”
ガキャラン!!ガラン!!ずざざざざざ……
追撃してきたパシリ達の動きがいきなり止まり、走ってきた勢いのままで、地面を転がります。
『なんだ?!いきなりマシナリーどもが止まりやがったぞ!』
『離れろ!煙ふいたぞ!』
『逃げろッ!ミサイルザザッ』
非常事態なので、施設内回線の放送が、全エリア相互通達状態になっているのでしょう。
混乱した内容が、駄々漏れで聞こえてきます。
あちこちでマシナリーが停止した事で、大混乱になっているようです。
流石に私達も足を止め、後ろを振り返りました。
「おーおー、大騒ぎだなぁ。
ロザリィ、お前、島全体のマシナリーをクラッシュモードで止めたな?」
怒られたのかと思って、私は思わず身をすくめてしまいました。
「一番手っ取り早いやり方だったんですよぅ」
「よくやった」
私は父様に頭を撫でられました。
「んもぅ、誤解を招くような言い方しないでよ、父様。
怒られるかと思いましたよ」
「すまんすまん、そこまで思い切ったやり方をするとは思わなかったからな。
とにかく、今の内に、あのPM達を回収だ。
贅沢言ってられないから、ナノトランサーに片っ端からしまうぞ」
『それは困るね、私のおもちゃなんだ』
唐突に、放送機材を通して実験場に響く、男性の声。
『久しぶりだね、くずパシリ。ケッケッケッケ』
う、この嫌な笑い方、まさか……
『お仕置きをする為に、わざわざ父親である私がやってきたんだ、罰は受けてもらうよ』
「やっぱり!あンのクソ野郎ッ、どうしてここに!」
思わず汚い言葉が出てしまい、はっとすると、父様が驚いた表情で私を見ていました。
「お前、あいつを知ってるのか?!」
「何すっとぼけてるんですか、ご主人様!!
知ってるも何も、極北の町で出会った、あの研究者ですよ!
ほら、私とジュエルズの生みの親!
あのおっさん、どうやってガーディアンズの留置場を抜け出したんだろ」
『ケッケッケッケ、くずパシリのほうが物覚えがいいようだなぁ。
だが、それ以外を思い出したようだね、『インフィニット』』
どうやら、こちらの声を拾えるようで、私と父様の会話に割り込んできました。
でも、父様の過去を知ってたの?!
というか、父様には既知のヒトだったって事?!
「ああ、声だけになったおかげで、はっきりとな。
昔のあんたは小太りで、黄ばんだ白衣と七三分けのべったりした髪形が印象的だったから、あの時には別人だと思ったのさ。
久しいどころじゃないな、Dr.クレア。
ロザリオの台詞じゃないが、どうやって外に出てきた」
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「Dr.クレア?何者だよ、そいつ」
430さんは気になったから訊いた、という感じでしたが、ルドは苦い表情を浮かべ、私は黙ってしまいました。
「それも、おいおい話の中で分かるが、一つ教えておこう。
あいつは、俗にクレア系と呼ばれるフォトンウェポンの基礎理論を作り、それを世に産み落とした人物だ」
彼はそれだけ言うと、私に先を促すように頷きます。
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『やっと思い出してくれたかい?『インフィニット』。
再開の記念に、疑問に答えてあげようか。
簡単な話だよ、リュクロスでの封印装置起動の時に、Gコロニーが一度、空っぽになっただろ?
あの時に扉を開けて、正面から堂々と出ただけさ。
私には別段、造作も無い事だからね』
苦虫を噛み潰した表情になって、激しく舌打ちする父様。
「面倒な奴が生きてやがった……」
「面倒って、どういう事ですか?!」
「一言で言って、天才なんだよ。
生物、電子、精神、フォトン……あらゆる部門を一人でこなす、狂気の天才科学者ってやつさ。
――不思議に思ったことは無いか?イルミナスは何故あんなに技術が進んでいたのか」
「まさか……」
『そうさ、私がイルミナスの基礎技術を作り上げた。
高出力フォトンウェポンに小型高出力リアクター、コピーキャスト、コールドスリープ、定着型ナノマシン。
基礎理論は全て、私が構築したのさ。
私を生み出したヒューマン、いや、人類に復讐する為になぁ!』
その台詞と同時に、私達に近いゲートが開いて、小さな人影がいくつも実験場に入ってきました。
パシリみたいに服を着ていなくて、キャストみたいなパーツが全体を構成しています。
これが、S・M・Sなのね。
でも、その事より、おっさんの台詞のほうが私の意識を引きつけます。
「ご、ご主人様、あのおっさん、いったい……」
「何者か、というなら、俺もよくは知らない。
ただ、あの当時に、噂では聞いたことがある。
奴は、ニューマンのプロトタイプの失敗作だ、と」
ニューマンのプロトタイプって……開発されたの、千年以上前ですよ?!
『よく知っていたね、『インフィニット』。
確かに私は、ニューマンのプロトタイプとして作られた存在だ』
私は驚きのあまり、立ち尽くしてしまいました。
「……冗談、じゃあ無かったのか、Dr」
『私は冗談が嫌いだと、私は昔、君にそう言ったじゃあないか』
「ああ、そうだったな」
ぎゅっ、と、ムカトランドの柄を握り締める父様。
「それに、無駄話も嫌いだったな」
『ああ、だが、今回は君に免じて、許可しよう。
――何が知りたいかな?』
「PM達は、元に戻せるのか?それと、そこのS・M・SはDrの作品か?」
『パシリどもは直せるよ、物理的にならね。
意識は、まぁ、発狂しているかもしれないよ。散々、意識体を調べたからね。
S・M・Sに関しては、半分は正解、半分は不正解。
基本的には、テノラの先行量産品のまんまだけど、私がリアクター交換と追加武装を施した。
ああ、そうそう、そこのパシリ達は返さないからね、私のおもちゃなんだから。
さぁ、無駄話はここまでだ。
君には死んでもらって、くずパシリは私のおもちゃの仲間になってもらうよ』
楽しそうな声で言うDr.クレア。
すると、父様は口の端だけで笑いました。
「なぁ、Dr。俺も前に言ったよな」
『何をだい?』
「どっちもお断りだ、ってな!」
同時に、ムカトランドを構えて、S・M・Sに突撃した父様。
『君が槍を使うということは、本気の本気だね。
なら、手加減は失礼だな。
やれ、S・M・S』
合図と同時に、S・M・S達が、父様めがけて走り出しました。
「!、早い!」
「今の内にPM達を拾え、ロザリィ!」
そうか、この為に父様は飛び出したのか!
「あ、はい!」
『ま、大目に見ようか。好きにしろ』
放送から聞こえて来たDr.クレアの声は、もうパシリ達に興味が無さそうな雰囲気でした。
私は出来るだけ急いで、姉妹たちをナノトランサーに回収していきました。
でも、気になって、父様のほうをちらちら見てしまいます。
S・M・Sは全部で5体、そのどれもが、素早い動きで父様を翻弄しようとしています。
ですが、父様は落ち着き払った様子でムカトランドを繰り出し、避け、ムカトランドを棒高飛びの棒代わりにして飛び上がり、その勢いで地面にムカトランドを叩きつけます。
「はぁっ!」
ズンッ!
重い響きと共に振動が伝わり、地面を揺らします。
『さすが串刺し公の息子、古の技も教えられていたか』
「ちっ、避けやがった!」
一体のS・M・Sの左腕が、胸の辺りから千切れ飛んでいます。
かすっただけとは思えない技の威力に驚きましたが、私は別な事が気になりました。
その状態なら見えるはずのリアクターは、私が知っている小型マシナリー用のどれとも違う形が覗いていたのです。
でも、何処かで見た記憶があります。
だけど、その思考作業は、おっさんの声によって邪魔されました。
『かすっただけでこの威力か、いいデータが取れる』
「!、おっさん、ご主人様のデータまで!」
『何を怒る、ここは私の庭、私の実験場だ。私が何をしようと、お前には関係無いだろう』
「ありますっ!私の大切なパートナーの秘密を暴く奴は、私の敵よ!」
その言葉を訊いたおっさんが、せせら笑います。
『はっ、たかがくずパシリが、奴のパートナー気取りかい。
あいつに釣り合うパートナーなど、この世界の何処にも存在しないよ。
そして、いたとしても、今、ここで、あいつは死ぬ!』
「え?!」
『こちらも本気で遊んであげよう!S・M・S、Sフォームを起動しろ』
その言葉を合図に、とつぜん動きを止めたS・M・S達。
それと同時に黒い霧のようなものが機体を包みこみ、霧が晴れると、そこには何もいません。
ですが、父様は突然、受けの体勢を取りました。
ガギギギギン!
「クソっ、何だ、これは!動きまで変わりやがった!」
攻撃を受け止めた父様が、驚きを言葉に乗せ、吐き出しました。
それはそうです、受け止めたそれは、顔はどう見てもS・M・Sなのですが、見た目がかなり生物的に変化しているのです。
いえ、生物的というより、動きを含め、SEEDフォームと言っても過言じゃあ……
……ん?SEED?……リアクター?……
……あ!
そうか、そういう事ね!
「おっさん!あんた、S・M・Sに遺跡のAフォトンリアクターを組み込んだのね!
そして、SEEDウィルスを感染させた!」
「なんだと?!」
ムカトランドで大きくなぎ払い、SEED化S・M・S達を弾き飛ばす父様。
「腕がもげた奴の胸、よく見て!」
「……くっ、マジかよ!!
Dr!あんた、狂いも狂って、闇に堕ちたか!
理論上、こいつはダルク・ファキスの小型版だぞ!」
おっさんの声のするほうに顔を向け、大声で抗議する父様。
転がったかと思うと、直ぐに起き上がってきたSEED化S・M・S達。
「ご主人様、そいつらを早く倒さないと、リアクターと融合しちゃう!」
ベル・パノンのような放物線を描いて、SEED化S・M・S達が父様の懐まで飛び込みます。
それをバク転で避け、地面にムカトランドを突き立てたかと思うと、それを中心点に体全体を回転させ、SEED化S・M・S達を蹴り飛ばして、反動でムカトランドを引き抜きます。
「分かっている!だが、押し切れない!」
さっきまでと違って、一撃を当てても仰け反らなくなっているせいで、連撃を入れる隙がなかなか見つからないんです。
『……これは驚いた、まさかくずパシリが見破るとはね。
そうだよ、私が手を入れたS・M・Sには、AフォトンリアクターとSEEDウィルスが搭載されている。
だけど、ダルク・ファキスなんて、あんな出来損ないと比べられるのは心外だよ。
こいつらは、自在にSEEDフォームと通常の姿を使い分けられるんだから。
おかげで2種類の乱数設定をする手間が省けるし、能力強化もお手軽だし、何より強靭さが格段に増すのがいいね。
小型マシナリーで一番問題なのは、小さい故に耐久性能が低い事だからね』
「あんた、天才じゃなくて馬鹿よ!
こんなものを作ったら、またSEEDを呼び込んじゃうじゃない!」
私が怒鳴ると、おっさんは大爆笑しました。
『ひ、ひひひひひっ……な、何を言い出すかと思えば……ひはははっ……
正にその為に作ったというのに、何を勘違いしているんだい?
私は別に、最強の小型マシナリーを作りたかった訳じゃ無いんだ。
ハウザーの奴が失敗したから、今度は私が、自分の目的のためにやっている。
人類なんて、SEEDに喰われてしまえばいいんだよ』
「ふざけやがって!てりゃぁっ!」
いきなり飛び上がり、再び近寄ってきたSEED化S・M・S達に、ドゥース・マジャーラの二段目だけを繰り出した父様。
確かに、各PAはいくつかの動作を、段階ごとに組み合わせて作られたって聞いてますけど、だからってPAを自力でこなすなんて!
『馬鹿だな。これで、お終いだよ』
まさか、おっさんはこの瞬間を待っていたの?
この技を繰り出した直後に出来る、僅かな隙を?
だとしたら、父様が危ない!
「父様!避けてぇーっ!」
私の叫びと同時に、3体のS・M・Sが飛び掛り、着地した瞬間の父様から何かを弾き飛ばしました。
そして、私の直ぐ側に飛んできたその内の一つは、父様の服についていたナノトランサー。
直後、インナー姿になり、ナノトランサーとのリンクも切れたため、武器どころかシールドラインすら失ってしまった父様。
「しまっ……」
父様の声と同時に、私は全力で駆け出します。
『さよならだ、『インフィニット』』
ズガッ!バキバキバキッ、どびちゃっ……
一体のS・M・Sが飛び上がりざまに、SEED化した、巨大な手の形をしたクローを無防備な父様の胸に突きこみ、何かを握りながら引き出しつつ、父様を蹴り飛ばして、その反動で離れました。
蹴り飛ばされ、転がりながら仰向けになった父様。
「とうさまーっ!!」
私は周りのS・M・Sなど気にも留めず、砂地に横たわる父様に駆け寄りました。
「父様っ、父様っ、とうさまぁっ!」
『はっ、これは傑作だね。
作った私を父と呼ばず、死神と呼ばれた男を父と呼ぶのか。
さすがくずパシリ、壊れ具合も汚染廃棄物級だね』
「だまれっ、クソ野郎ッ!」
『好きなだけ罵るといいよ。でも、もうあいつは死んだ。
あ、そうだ、次はお前の番だけど、その前にいい物を見せてあげよう』
おっさんの声にあわせて、父様を殺したS・M・Sの血塗れた右手が、ゆっくりと上向きで広げられます。
そこには、抜き取られたばかりでまだ動く、父様の心臓がありました。
「ぁ、ぁぁ、ぁああ、ああああっ、返せっ!父様の心臓を、返せぇっ!!」
私が右手を伸ばして掴み取ろうとすると、他のS・M・S達が素早く取り囲んで、私の腕や肩を掴んで拘束します。
『まぁ落ち着いて、よく見てごらん。滅多に見られるものじゃないんだ』
「ふざけるなっ!今ならまだ、父様は助かるのに!」
S・M・Sの一体によって無理やりに、父様の心臓へと、視線を向けられてしまいました。
『よく見てごらん、光って綺麗だよ?』
目前まで突きつけられ、取り返したい父様の心臓を、まじまじと見せつけられます。
……え?何、これ……ナノマシン?……それだけじゃない……これは、フォトン?
そう、父様の心臓は、淡くて白い、フォトンの光を発していたのです。
『面白いだろう?あいつの心臓は特にだが、あいつとあいつのナノマシンは、フォトン侵食されているんだよ』
スピーカーの向こうから、いかにも楽しいといった雰囲気の笑い声が響きます。
『私はね、あいつと同じモノを作ろうとしたんだけど、どうにも上手く出来なくてね。
色々実験したよ。
ナノマシンを移植したり、子供を作らせてみたり……ほとんど失敗したね、あいつが特殊すぎたせいだけど。
基礎理論だけは作れたから良しとしていたけど、最近のSEED騒ぎとハウザーのおかげで急激に技術革新してくれて、実用段階までこぎつけられたんだ。
素体に使ったヒューマンは、優秀なガーディアンズだとか聞いているよ。
ヒューガとか言ったかな?あの小僧は。
いい出来だったよ。
おかげでいいデータが取れたから、後はいくらでも作れる。
だからもう、二人とも要らないんだ』
それを合図に、クローをゆっくりと閉じていくS・M・S。
「やめてっ、返してっ、お願いっ、ダメッ、離してっ」
『これで本当にさよならだ、『インフィニット』。
もう会えなくなるけど、せいせいしたよ』
み゛ちっ!
閉じられたクローから、光る赤黒いものが滴り、そして、消えてしまいました。
★Act11
私の全身から、力が抜けていきました。
それを無抵抗の証と判断したのか、S・M・S達は、私から手を離します。
私はのろり、と、顔を父様の肉体へ向けました。
胸に大穴の開いたインナー姿、蹴り飛ばされた時に髪留めも無くしてしまって、広がっている髪が顔を隠しています。
もう、身体から、命の息吹を感じません。
「おはよう、ロザリィ」
「なんだ、今日は俺が朝飯当番だろ?」
「行ってくる、留守番とジュエルズを頼むな」
「――ただいま、って、おいおい……帰って早々、大掃除かよ……」
「なんだ?一緒に風呂に入るなら、早く入ってこい、寒いだろうが」
「ああ、おやすみ。一緒に寝るなら、先にベッドに寝て……なに?……一人じゃ寝苦しいから胸を触って?
お前なぁ、ジュエルズがいなくてもそれはダメだっ……
わっ、ちょっ、飛びつむぐぐっ、っは、強引にキスするな、分かった分かった、直ぐに行くから、5分待て。
装備の点検してからだ」
私のブレインコアに父様との思い出が溢れかえって、それしか処理しなくなり始めます。
そこへ、OSからの最重要ファイルが自動で立ち上がり、処理を強制終了させました。
“所有権利者の死亡が確認されました。
この事は、GRMに即座に通達され、あなたの全管理権が再びガーディアンズに返却される事となります。
ガーディアンズ運営事項に基づき、あなたは速やかに、最寄のガーディアンズ施設に帰還してください”
私、帰りたくありません。
父様の側にいたいんです。
父様に甘えたいんです。
声を掛けてもらいたいんです。
キスして欲しいんです。
抱っこして欲しいんです。
一緒に、いろんなこと、したい……のに……
私、あなたとの約束、守ったのよ?
どうしていなくなっちゃうの?
これじゃ私、あなたの想いを受け止められないよ。
私、どうしたらいいの?
ねぇ、父様……
己の思うまま、成したい事を成せばよい。
唐突に、声が響いてきます。
音ではなく、私の意識に直接です。
お前は、光の中に闇の意思を受けて生まれた存在。
その力の源は、我に繋がっている。
あなたは、誰?
我が名は、深淵なる闇。
大いなる光と対を成すもの。
お前に分かりやすく言うならば、我が力の具現の一つは、こう呼ばれる。
ダーク・ファルスと。
或いは、こうも呼ばれる。
メギドと。
だがそれは、我を一つ所から見たに過ぎぬ。
我は光を光たらしめるモノ。
我は太極の陰なり。
私の思うまま、って、どういう意味?
聞こえぬのか、うぬの真の心の声が。
……タイ……クイ……マイ……
どうだ、聞こえただろう?
……憎い。消してしまいたい。壊したい。殺したい。あいつを。あいつ等を!
聞こえた、はっきりと。
私の中の破壊の意志。
今まで、あの人が私の代わりに背負ってくれていた闇が。
でも、もう止めなくていいんだ。
私は、私の意志で、これを解き放つ。
そうだ、それでいい。
それはお前の怒り、お前の悲しみだ。
そして、大いなる光の作りしお前の対を、お前達という太極の陽を、世界に取り戻せ。
往け、我が娘、闇の傍観者よ。
往きます!そして、世界をひっくり返してでも、彼を私の許へ取り返してやる!
『さぁ、約束通り、侵入者は抹殺したよ。
死体とそのくずパシリは回収してもらおうか』
再び、私の聴覚センサーに、あの背筋を逆なでするような声が聞こえました。
思わずOSの時計を確認しましたが、経過していた時間はたったの1秒。
さっきの、深淵なる闇と名乗った『意志』とのやり取りは、全くといいほど、時間が経っていません。
だけど、さっきまでと違って、私の心の中には、暗く重い、復讐心という火が入っていました。
周囲のゲートが開き、ローグスや研究者達がぞろぞろと、実験場に入ってきます。
そのタイミングを見計らい、私はほとんどノーモーションで、3つ目の起爆スイッチをナノトランサーから取り出し、オンにしました。
ズババババババババババン!
ぎゃぁぁぁぁぁぁあぁあああっ!!!
周囲のゲートの前に立つ、燃え続ける10個の火柱。
その中に踏み込んだローグス達が一気に燃え、のた打ち回ります。
『な、何事だい?!』
『ふざけるんじゃねぇ!!テメェ、始末したって言ってたが、ありゃあ嘘か!!』
突如聞こえてきた野太い声が、おっさんに文句を言いました。
『馬鹿を言うなよ、ヒューマンは死んでいるし、くずパシリは意識活動が……なに?馬鹿な!!』
「お生憎様。私、これくらいじゃ狂わないのよ」
『あ、ありえない!パシリの意識体にそこまで耐久性があるはずは!』
「じゃあ、私は何?
って、おっさんには関係ない事よね」
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「そうか、それがさっき言っていた『無茶がいいほうに転がった』って事か」
430さんが確認するように言うので、私は頷きました。
「そういう事。
パシリはある意味純粋すぎて、酷いストレスが掛かると、意識体もろとも精神的に壊れちゃうからね。
この時の私は、ヒトと変わらない位の意識体と精神強度があったから、受け流せれば、十分耐えられたの」
そう言って、更に話を続けます。
----
『捕まえろ、S・M・S!』
再び私を抑えた3体のS・M・S。
そして、もう一体が私の前に回りこんで来ました。
そいつは、父様が腕をもぎ取った奴です。
胴体部分から覗いているAフォトンリアクターが、今度ははっきりと判別できました。
「こんなもの使ってるんじゃ、馬鹿みたいな出力がある訳よね。
だけどこれ、所詮は他人の力じゃない。
それに、あれだけ偉そうに言っていたけど、よく考えたら、全部他人の知恵じゃない。
おっさん、父様に天才とか言われてたけど、実はその程度?」
『なっ、ふっ、このっ!!』
「呂律も回らないって事は、大正解のようね、おっさん」
『潰せッ!』
私の目の前のS・M・Sが右手を振り上げ、うなりをあげて振り下ろされました。
一瞬、私の周囲が暗くなります。
『ははっ、黙らせたぞ、くずパシリめ』
清々したという雰囲気が丸分かりの声が、実験場に広がります。
「誰が?何を?」
私はあきれた様子も隠さないで、平然と言ってあげました。
だって、私には、カケラ一つ当たっていません。
『……ど、どうなっている?!』
「こうなっているのよ」
私は立ち上がりながら、腕を押さえているS・M・Sの手を軽く振り払うと、脆い石膏のように、S・M・Sの腕がぽっきりと折れました。
そして、5機のS・M・S達はゆっくりと倒れ、折れた腕は、床に落ちる前に、黒い霧になって消えていきます。
スピーカーは沈黙したままになりました。
私は父様から貰った大切な伊達眼鏡を外して、ナノトランサーにしまいます。
これからやる事で壊したら、父様が悲しむからです。
「じゃぁ、これから私、キレるから。
みんな、死んでね♪」
『~~!自爆しろ、S・M・S!』
『馬鹿野郎!俺らを巻き込むじゃねぇか!
テメェら、こいつを消せっ!』
『随分勝手な事を言うね、君は!それと、そのおもちゃは私の声にしか反応しないよ』
『んだとテメェ!随分と物騒なモンを俺に黙って動かしやがって!』
さっきの野太い声が、今度はおっさんと言い争い始めました。
あ~もう、五月蝿いなぁ。
え~っと、場所は……ここね。
私は、何故か施設内が手に取るように分かったので、自分に濃紫のフォトンを纏わせ、思い描いた場所へ跳びました。
そこは、かなり造りのいい、応接室みたいな場所です。
「――私を殺せば、お前達に利益は無いぞ!」
「既に十分なだけ、情報を集めた!お前なんぞ……」
「はいはい、そこまでにしてもらえる?施設中に響いて五月蝿いから」
私は、目の前で争っている二人――おっさんとローグスのボスと思われるビースト――の間に割って入りました。
「オ、オメェ!どっから来やがった!」
「何処って、実験場よ?」
「ばっ、馬鹿言うな!ここまでは完全に2ブロックは離れているんだぞ!
それをどうやって、一瞬で来たってんだ!」
「ん~、フォトンの力だけど?」
「ふざけやがって!」
さすがローグスのボス、いきなりアックスを取り出したかと思うと、躊躇せずに私へ振り下ろしてきました。
ひゅん。
だけど、妙に軽い風切り音が聞こえて、それでお終いです。
「何かしましたか?」
涼しい顔で私が言うと、蒼い顔になってぶるぶる震えるローグス・ボス。
「な、な、なんだ、俺の斧を飲み込んだ、今の黒いフォトンは」
「……まさか……メギドかい?」
おっさんが、へたり込みながら、何とかそれだけを言いました。
「あら、正解。よく知ってるのね、さすが天才」
私はにっこりと笑って、おっさんに向き直りました。
「じ、冗談じゃない!ほ、ほんとうのメギドを操る?!しかもパシリだぞ?!」
「あ~、それ、差別発言。
パシリがメギドを使えないなんて、誰が決めたの?
意識を、感情を、心を与えられた私達パシリに、奇跡が起きないとでも?」
「ひ、ひぃぃぃぃいっ!」
ローグス・ボスは、腰を抜かして、後ずさり始めました。
もっとも、必死に動いてるのに、1Rpずつ位しか移動してませんけどね。
「真のグランツと対を成す、真のメギド……
理論しか無いはず!何故、お前が、お前ごときパシリが!何故だ!」
「直接訊けば?力の源、深淵なる闇の御許へ、おっさん自身が赴いて、ね。
ただ、その前に……」
私はお団子の髪形を崩し、頭を振って、後ろに垂らします。
「私の怒りと悲しみを全て、おっさんに叩き込んであげる」
おっさんをにらみつけた私の顔は、氷のような冷たい怒りに満ちた、鬼気迫るものになっていました。
「ひ、くそ、S・M・S、こいつを倒せぇ~っ!」
その合図と共に、近くの設備の影に潜んでいた、10機のS・M・Sが飛び出し、私に襲い掛かってきました。
「ひ、ひはははっ、これで、これなら、負けない!」
「な~んだ、おっさんって、やっぱり髪一重向こう側だったのか」
「何を?!」
「いっただっきま~す♪」
私の周囲を丸く濃紫のフォトンが包み込み、その光に当たったS・M・Sを黒い霧に変えていきます。
奇妙な事に、濃紫のフォトンに包まれている私は、外から丸見えなんですよね。
その霧は、高い所から流れ落ちるような勢いで、私の躯体に吸い込まれていきました。
「ふむ、味はまぁまぁって所かしら」
「ひへへへへ、へはははは、なんて奴だ、素粒子変換して、吸収するか、10機のS・M・Sを。
面白い、面白いぞぉ、なんてバケモノだ、お前はぁ」
ブツブツ言いながら、笑い始めたおっさん。
「もうちょっと欲しいな……だけど、おっさんはイヤだし、ヒトは吸いたくないし……そうだ」
私が腕を一振りすると、周囲に壊れかけのS・M・Sが唐突に現れます。
「すばらしいっ!大掛かりなシステムも使わず、任意の空間から空間へ、物体の量子転送までするのか!」
なんか大喜びしているおっさんを無視して、私はその5機も吸収しました。
「よし、これで十分フォトンも質量も溜まったわね。
Aフォトンリアクター、結構美味しかったぁ。
ご馳走様でした~♪
――じゃあ、今までの分、しっかりとお礼をさせてもらいましょうかっ!」
再び私の周囲を濃紫のフォトンが包み込み、今度は繭を形作ります。
「これはまさか、パシリと同じ進化?いや違う、何だこれは……」
キュァァァァァァッ。
軽い音と同時に、繭が弾けました。
「あれも進化だけど、これは私なりの進化よ、おっさん」
そこに立った私は、まるっきり女性ヒューマンの外見そのものの姿になりました。
流石に裸は嫌なので、余った素材でガーディアンズスーツの初期装備一式を同時構築しましたけどね。
「は、はは、な、何て勿体無い、能力と資源の無駄遣いだ!
あれだけのことをして、ヒューマンになるなんて、随分と無駄なことをしているね、君は」
よろめきながら立ち上がったおっさんは、安っぽいハンドガンを取り出して、震える手でこちらを狙います。
ピシュン、ピシュン。
軽い音が二度響き、私にフォトンの弾が当たりました。
「ほらみろ、この程度でお前は傷つく。あれだけの能力があっても、やっぱりお前はくずだ!あははははは……ぁ?」
「傷?何処に?全然、痛くないんだけど?」
弾が当たった場所を撫でると、痕跡すら残りません。
これ以上無い位に私はあきれ返って、哀れみの眼でおっさんを見ました。
「私、シールドラインも装備してないのに、それでダメージが入らないなんて……おっさん、ほんとにニューマンのプロトタイプ?」
「そ、そんな、馬鹿な」
おっさんは、私に気圧されたのか、壁までじりじりと後ずさりました。
「さて、と」
私の顔には、先ほどの鬼気迫る表情が再び浮かびました。
「――それじゃぁ、今度は私の番よ」
ぽきぽきと両手の指を鳴らしながら近づき、右手を拳の形に固めて、正拳突きの構えを取ります。
「え?あ、え?」
背後と私を交互に見ながら、混乱するおっさん。
「これは、今まで傷つけられた姉妹達の分!」
私は拳にきっちりと体重を乗せ、鋭く繰り出すその先は、おっさんの顔面!
みごしっ!
「ふごっ!」
おっさんは、背後の壁に押し返されて、倒れる事も出来ません。
「これは、心までいじられて苦しんだ、『ナックルズ』の分!」
次は左手を拳の形に構えて、返しで更に顔面に繰り出します!
めごきぃっ!
「ぐえっ」
「これは、姉妹達の事で、私のルドを怒らせた分!」
再び右拳を構え、今度は腹に繰り出します!
どごんっ!
「うおえっ!」
前のめりになるおっさん。
「これは、姉妹達の事で、私を悲しませた分!」
再び左拳、今度も腹!
ずごんっ!
「かっ、はっ!」
再度叩き込まれ、呼吸すら出来なくなったのか、痙攣を始めたおっさん。
軽くバックステプしてから両手を組み、振り上げ、
「そしてこれが!」
ハンマーを振り下ろす要領で、拳に全体重を乗せ、
「私から、最愛の男を奪った分!!」
おっさんの頭に、全力で振り下ろします。
ずごめげぎっ!
「へぎょれぁっ!あががぁぁぁぁ……」
拳が振り下ろされた勢いで床に叩きつけられた上に、私の全体重が乗った両拳がそれを追撃、おっさんの顔が潰れて、自分の両膝で自分の胸部をえぐっていました。
----
「さ、最愛の男って、お前、さらっと言うなぁ……」
頬を指先で掻きながら、居心地悪そうにもじもじする430さん。
「だって、本当だもん、ね、あなた?」
そう言って、すまし顔で彼のほうを見ると、恥ずかしそうに苦笑しながらも、頷いてくれました。
「妬けちゃうね、全くこの二人ときたら……ああ、熱い熱い」
そっぽを向いて、両手で私達を扇ぐ430さん。
ふと、リカの方を見ると、顔どころか全身を真っ赤にして、テーブルの縁につかまっています。
「話、続けていいかな?」
私が訊くと、はっとして、姿勢を戻す二人。
「あ、ああ、続けてくれよ」という、430さん。
----
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……
ついでに、逝って来なさい、深淵なる闇の御許へ!
『メギド』!」
私が右腕を一振りすると、濃紫のフォトンが重い音と共に発生し、おっさんがここにいたという形跡を、全て飲み込んでしまいました。
「ふぅ……さて、と」
振り返ると、やっと50Rpほど後退したローグス・ボスが、口の端に泡を吹きながら私を見上げていました。
「ひぃぃぃ、ばけもの、ばけものめ、くるな、くる……」
「ばっ、このっ!」
酷い言われように腹が立って、再び拳を振り上げたのですが、ローグス・ボスが胸を押さえてもがき、苦しんだかと思うと、急に静かになってしまったので、下ろしました。
そして、ゆっくり近寄って脈を取ると、ローグス・ボスのそれは止まっていました。
「あぅ、ショック死しちゃった……」
「全く、とんでもないお嬢さんね」
不意に横合いから、女性の声が聞こえました。
反射的に飛びのき、声のほうに対して身構えます。
「誰?!」
「誰、とは、また酷いご挨拶ね」
入ってきたのは、腰まである亜麻色の髪をなびかせ、ガーディアンスーツに身を包んだ、妙齢の女性です。
はっきり言って、私より美人なのが腹立ちます。
「そう警戒しないでくれる?あなたのご主人様の事でわざわざ来たのだから」
「え?」
「早くあなたも来なさい、手を貸して貰わないと、蘇生出来ないのよ」
「は、ええ?蘇生、出来るの?」
私の問いかけに対し、静かに頷く女性。
「急かすようで悪いけど、私もそんなに暇じゃないの」
女性が軽く腕を一振りすると、光の紋が地面に描かれます。
キュオン!ゥオン、ゥオン、ゥオン、ゥオン……
「これは?」
「この星系には存在しない、『リューカー』という名の、移動用テクニックよ。
さ、中に入って、向こうに跳べるから」
女性はそう言うが早いか、光の紋に入り、その場から消えてしまいました。
嘘かもしれない。でも、蘇生できるなら、なんだっていい!
私が意を決して光の紋に飛び込むと、次の瞬間には実験場のあの場所に現れました。
足元には、さっき飛び込んだ紋と同じものが光っています。
「早く、こっちよ」
女性は既に、ルドの脇に立って、待っていました。
急いで近づくと、ルドを抱きかかえるように言われました。
「しゃがんだままでいいから、抱きかかえて。
――そう、そうしたら、あなたの右手を穴の開いた所にかざして――そうそう、それでいいわ。
後は、彼に帰ってきて欲しいって、心の底から思いなさい」
「それだけ?」
「そう、それだけ。
でも、あなたの想いが強くないと成功しないから、頑張りなさい」
私は力強く頷くと、眼を閉じて、心の中でルドに呼びかけました。
帰ってきて、私の愛しいヒト、私のルド……
眼を開いてみますが、ルドの身体に変化はありません。
私の目尻に、じんわりと涙が溢れます。
「諦めないで。あなたの想いはまだまだその程度じゃないでしょう?」
「わ、分かってますっ」
再び眼を閉じ、泣きたい気持ちを押さえて、意識を集中させます。
帰ってきて、お願い!
私、あなたがいないと、自分が自分じゃ無いみたい。
ご飯も美味しくないし、お掃除も楽しくない。
何やったって、つまらない。
だって、あなたがいたから、私はいられたの。
もう、こんな辛い思いは嫌なの!
帰ってきて、ルドッ!
私は、自分の幸せだけを願うわがままな娘だけど、世界で誰よりもあなたの側にいたいと思っているの!
だからっ!
だから、お願いっ!
私と一緒に、この世界を歩いてっ!
ルドッ!!
不意に、彼の胸にかざしていた掌が熱を感じて、思わず眼を開きました。
「これは……メギド?」
そう、私の手に宿る濃紫の光は、紛れも無くメギドです。
でも、ダメージを与える訳でもなく、消滅させるわけでもありません。
優しく暖かい、不思議な闇の色。
「やっと出来たのね」
「え、えと……」
「そのままじっとしていて」
そう言って、私の右手に掌を重ねる女性。
「光も闇も、どちらも世界を構築するもの。
必ずしも光は正義ではなく、闇は悪でもない。
捉え方でどちらにでも傾く不確定なもの。
ただ、そこに、どんな想いが加わるかで、力は形を取る。
さぁ、願いなさいロザリオ、あなたの想いを全て、その力に!」
私の眼から頬を伝い、一滴の涙がルドの頬にこぼれ、彼の唇に触れます。
「私と一緒に帰ろう?ルド……」
私の想いに動かされた闇が、静かに光を招き寄せ始めました。
★Act12
気が付けば、星々が瞬く色鮮やかな宇宙に、俺はいた。
だが、気密服を着ているわけではない。
ということは、俺は死んだのだ。
そう、俺が落ち着き払っていられるのは、死にかけた時に何度も見た風景だからだ。
だが、今回はどうにも前後の記憶があやふやで、どうして死んだのか、思い出せない。
「あなたは、S・M・Sの攻撃を防具無しで喰らって、心臓をもぎ取られた。
まだまだ鍛錬が足りてないのね、この子は」
この女性の声は……
「母さん?」
「もぅ、私をただの母親呼ばわりしないでもらえる?――言ってもらえたのは、ちょっと嬉しいけど」
声はくすっと笑った。
ああ、そうか、とうとう俺にも完全な死が訪れたのか。
「あなた、もう死にたいの?」
心を見透かされたような、声の問いかけ。
「え?いや、心残りが山ほどあるが……」
反射的に泣き顔のロザリオが頭を過ぎり、俺は思わず、がしがしと頭を掻く。
「前に相棒から、『死の間際には走馬灯の如く過去を思い出すか、死んだ肉親に会う』と聞かされていたから」
「そうね、普通はそうかもしれないけど、今は違う。
だって、私はあなたの母かもしれないけど、遺伝子提供者ではありません」
「え?!」
母であって母ではない、だって?
どういう事だ、一体……
「あらあら、あの子と同じ驚き方をするのね、あなたは」
俺の驚き方を見て、誰かと比較する声。
「にしても、あんたの声、記憶にある母さんの声と、全く同じなんだが」
「それは全くの偶然でしょうね。
それに、こうやってちゃんと話す事も初めて」
そうか、遺伝子提供者であるローザ母さんじゃあ無かったのか。
「申し訳ない、勘違いしてしまった」
「謝らなくていいわ、光の傍観者。
確かに、私があなたの遺伝子提供者ではないけど、生まれる為のきっかけと力を与えたモノです。
だから、私はあなたの母であって母ではない存在。
そして、あたなは私の息子であって息子ではない存在」
「あんた……いや、あなたは、一体……」
「私は太極の陽。
私は闇を闇たらしめるモノ。
あなたに分かりやすく言うならば、私の力の具現の一つは、こう呼ばれます。
グランツと。
だけどそれは、私を一つ所から見ただけに過ぎません。
私は深遠なる闇と対を成すもの。
私の名は、大いなる光」
「大いなる、光……」
「さぁ、あなたはこれからどうしたいの?」
「俺は……」
生き返りたい、という言葉を飲み込んでしまった。
俺は迷っていた。
このまま生き返っていいのか、と。
はっきり言って、俺はまだ生きていたい。
ロザリオとの約束もあるし、あいつに教えたい事もまだ沢山ある。
しかし、いいのだろうか、俺だけが『死』を免れ続けても。
昔から、その事が頭の片隅にずっとあった。
生き物は、生まれたら必ず死ぬ。
いや、死ななければならない。
それは、生まれた時に決められた、生きる事の条件だからだ。
だからこそ、命は輝き、生きている事に意味を持つ。
何度も『死』を免れている俺は、寿命すら無視している俺は、生きていると言えるのだろうか?
俺は生きていたのだろうか?
俺はただ、生かされていただけではないのか?
俺が生きる意味は、理由は、価値は、あったのだろうか?
俺は、俺は本当に、生きていていいのか?
「そう、そこまで思いつめていたのね……」
唐突に、声が重い響きになった。
「……俺の思考は、あなたに筒抜けなのか」
俺は憮然として、気が重くなった。
「ここは全ての意識が重なる場所、思い描いた言葉は全てに伝わってしまうの」
「だとすると、沈黙は無意味だな」
俺は溜め息をつき、次いで苦笑した。
「ここにいると、悩むのが馬鹿らしくなる」
そう言っただけで、何故か、素直に開き直れた。
すると、自分の本当の気持ちが、心に浮かんできた。
生きたい。帰りたい。会いたい。愛したい、あいつを。愛されたい、彼女に、ロザリオに!
それを知って、再び苦笑したが、俺は己の心のままに従う事にした。
『パシリに手を出す変態』だと言われようが、いつの間にかあいつを好きになってしまった事はどうしようも無い。
もう、今までみたいに、他人の眼を引かないよう、周囲に注意を払う事もやめよう。
誰に何と言われようとも、俺はあいつが、ロザリオが側にいないとダメなんだ。
だから……
「俺は、生き返りたい。
生きて、あいつと――ロザリオと、あの世界で共に歩みたい。
彼女との約束を果たす為に。
俺の、彼女への想いの為に」
「やっと、自分に素直になれましたね」
なんとも嬉しそうに言う声に恥ずかしくなって、これ以上無いくらい、俺の顔は真っ赤になった。
「う、五月蝿い!めっちゃ恥ずかしいんだぞ、こっちは!
この歳になってこんな気持ちになると、照れくさすぎて、死ねるぞ!!」
「はいはい、そういう気分になるだけで、死にませんよ。
それから、誰かを愛しく想う心に、年齢は関係ありません。
さぁ、早く帰ってあげなさい、さっきからあの子が必死にあなたを呼んでますよ」
ルド!ルドッ!帰ってきて、お願い!
「ロザリィ……
あいつ、やっと俺の名前を呼ぶようになったのか……
しかも、いきなり愛称とは、嬉しいな。
――しかし、大いなる光よ、俺はどうすればいい?
今まで俺は、自力で戻った事が無いんだ」
「あなたは、闇の中に光の意志を受けて生まれた存在。
その力の源は、私に繋がっています。
その力を使いなさい、いつものように」
「いつもの、ように?」
俺はその言葉に、少々混乱した。
それはそうだ、そんなものを使った記憶が無いのに、そんな事を言われたのだ。
「あなたは、今までテクニックをずっと使えなかったはずです」
「ああ、どういう訳か、全て弾かれて習得出来なかった」
俺は頷いた後、自然と考え込む仕草になった。
「何故なら、あなたは無意識のうちに、常にグランツを放ち続けているから。
あなたに死が訪れないのは、あなた自身がグランツによって死を遠ざけているから。
あなたの中のナノマシンは、あなたが眠っていてもグランツを放ち続ける為のもの。
そう仕向けたのは、他ならぬこの私です。
でも今は、あなたのグランツは止まっているのです。
ですから、今度は自らの意志でグランツを放たなければなりません。
「だが、どうやって?」
「ただ、想いなさい、彼女を。
彼女の元へ帰りたいと」
「たった、それだけでいいのか?」
「ええ、そうですよ。
グランツとは、大いなる可能性。
ヒトはそれに『希望』という名を与えました。
メギドとは、深遠なる秩序。
ヒトはそれに『絶望』、『死』という名を与えました。
ですが、その二つは表裏一体。
そして、その本質は、どちらも方向を持たない、ただの力なのです。
光も闇も、どちらも世界を構築するものです。
必ずしも光は正義ではなく、闇は悪でもありません。
捉え方でどちらにでも傾く不確定なものです。
時には、光の力が『絶望』や『死』と呼ばれ、闇の力が『希望』と呼ばれます。
そう、どんな想いが加わるかで、力は形を取るのです。
そして、あなたに呼びかけている彼女は、闇の力であなたを呼んでいます」
「あいつが、闇の力を?」
「彼女はあなた達という太極の陰、深淵の闇が生み出した、あなたと対を成す者です。
あなたがグランツを使えるように、彼女はメギドを使えます。
彼女は己の想いを闇であるメギドに乗せ、光であるあなたを呼んでいるのです。
闇は光を得なければ宇宙となれず、光は闇を得なければ星になれません。
あなた達の心が、互いを呼び合うのは必然なのです。
ですが、勘違いしないで下さい。
その心を、想いを作ったのは、貴方達二人だという事を。
それだけは信じてください、私の息子」
自分と深淵なる闇には作為が無い事を強調する声。
「分かった、信じる事にする。
他ならぬ、俺を自分の息子と言った、あなたの言葉だから。
でも、それが嘘だと分かった時は……」
「いつでもいらっしゃい。
この世界は、意識の薄皮一枚で隔てられた世界。
あなたが望めば、いつでも来る事が出来ます。
私も深遠なる闇も、いつもあなた達と共にありますから」
「分かった」
俺は拳を握り締め、意識を集中する為に眼を閉じる。
「さぁ、願いなさい、私の息子!あなたの想いの全てを、その力に注ぐのです!」
俺は帰る、あの世界に!あいつの、ロザリオの側に!
俺はその瞬間、光になった気がした。
―――キャッツクローアジト・実験場―――
集まりだした光が、ルドの全身を包み、ゆっくりと光の繭を形作っていきます。
そして、光は静かにはじけると、微細なフォトン粒子となって、まるで粉雪が舞い飛ぶように消えていきました。
再び現れた彼の姿は、すっかり傷も癒えて、何事も無かったかのように元通りになっています。
……とくん……とくん……とくん……
胸に添えられている私の掌には、彼の心臓の鼓動がしっかりと伝わってきていました。
そして、胸が大きく動くと、彼は静かに息をついたのです。
「……ルド?」
そっと呼びかけると、彼はうっすらと眼を開け、私に視線を向けてくれました。
「……おまえ……ロザリオ、なのか?」
「はい、そうですよ」
私が返事をすると、小さく苦笑する彼。
「随分、無茶をしたもんだ、お前も……」
「あなたに比べたら、大した事じゃ無いですよ」
「そうか……あれからどうなった?」
「あのおっさんは、私が深淵なる闇の処へ送っちゃいました。
S・M・S達はその……」
ちょっと言い澱んだ私を見てピンと来たらしく、ゆっくりと左手を私のお腹に当て、優しく撫でてくれました。
「お腹壊すぞ、いくらお前でもな」
「えへへ……Aフォトンリアクター、結構美味しかったですよ?」
「あれ、一応は貴重品なんだが……もう喰うなよ?」
「うん、もう食べません、というか、ああいうの、もう食べられませんよ、私。
だって、もうパシリじゃないんだもん」
しんみりと私が言うと、彼は驚いた顔になり、跳ね起きようとして咳き込みました。
そして、横に転がってうつ伏せになると、片肘をついて再び咳き込みます。
「ぐ……ごほっ、ごほっごほっ、ごほっ、げほっ!」
咳と同時に、地面に赤い斑点が描かれ、最後に小さな血の塊が落ちました。
「だ、大丈夫?」
「げほっ!……だ、大丈夫だ、喉に少し、血が溜まってただけだ、げほっ……
くそっ、鼻の中が血生臭い……」
いつもの癖で、腰のナノトランサーを探るルドですが、彼のそれはS・M・Sが弾き飛ばしてしまって、小さいものが一つ、ここから少し離れた場所に転がっています。
あれは、彼の上着の腰についていた、二つのうちの一つです。
拾いに行こうと思って、ふと周囲を見回すと、あの妙齢の女性の姿が有りませんでした。
「あれ?あのヒト、どこへ行っちゃったのかな?せめて、お礼を言いたかったのに」
私が呟くと、怪訝そうな表情で私を見上げるルド。
「どうした?」
「え?えと、ね……メイン・ナノトランサーともう一個、どこに行っちゃったかと思って……」
女性の事を言おうかと思いましたけど、とりあえず、黙っておくことにしました。
これ以上、彼に心配させたくなかったから。
「……あ~、そうか……あの時、弾き飛ばされたんだった」
やっと合点がいったらしく、ゆっくり起き上がって、うなじの辺りに手を伸ばすルド。
そこにあるはずのメイン・ナノトランサーがありません。
「しかし、あんまりのんびりしてもいられないな。
別段、連中を壊滅させた訳じゃ無いんだし」
彼はきょろきょろと辺りを見回し、何かを見つけたらしく、立ち上がりました。
そして、少し歩くと、メイン・ナノトランサーを拾い上げ、インナーのうなじの部分に装着します。
すると、ドレッサー機能が作動して、倒れる前まで着ていた服を纏いました。
その間に、私はもう一個のナノトランサーを見つけ出し、拾って彼に手渡します。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
直ぐに服へ装着し、そこからおもむろに箱ティッシュを取り出して鼻をかむ彼。
赤黒い血糊がべったりと出たものの、それは死んだ時に逆流したものです。
箱ティッシュなんて、懐かしい……
私が彼を『パパ』と呼んでいたあの頃、「泣いてばかりのお前にハンカチを使うと、何枚あっても足りない」って言って、持ち歩くようになったんだっけ。
今も持って歩いていたんだ……
「やっとすっきりした。
それじゃ、ここからさくさく出るか。
必要なものは、あらかた手に入れたしな」
血の跡を綺麗に拭い、彼は手にした箱ティッシュをムカトランドと持ち替えます。
「それはいいんですけど、私、武器無いですよ?」
「へ?……あ、そうか、今のお前は、普通の女性ヒューマンとなんら変わらないのか」
「それだけじゃなくて、ガーディアンズシステムも使えません。
というか、システム全体が私に反応してないんです。
おっさんを殴り飛ばした時はまだ反応あったんですけど、今は全然ダメです」
意識を軽く今の自分のデバイスマネージメントに向けましたけど、やっぱりガーディアンズシステム自体が存在していません。
あるのは、ほとんど生体と変わらない自前のツイン・ブレインコアと、身体の各部分、パペットシステム、電力供給も兼ねているリアクター、それとパペットシステム専用ナノトランサーだけ。
あ、そうそう、全くの余談ですけど、今の私の体内には、リアクター以外にちゃんと心臓がありますし、内臓もきちんとあったりします。
それはともかく、パシリ用のデバイスマネージメントを探すと、ありがたいことにちゃんと存在していました。
チェックすると、そっちにはガーディアンズシステムが存在するので、そちらから再接続を試みたのですが、操作自体が拒否されちゃいました。
どうも、ある種の自己保存機能が働いたみたいで、パシリに成れば使えるように設定が固定されているようです。
私はその状況を、彼に簡単に説明しました。
「おいおい、それはまずいぞ……」
「私だって困りますよぅ。
無意識のうちにこの身体とのリンクを拒絶したみたいで、気づかなかったんですよ。
パシリ側のデバイスマネージャーがちゃんと確認できただけ、まだいいかも知れませんけど……
でもどうしよう、今のままだと武器はおろか、ナノトランサーに入れちゃった姉妹達と『ナックルズ』、出せないし……
それに、私の記憶領域に『ナックルズ』の全データを吸い上げちゃってるから、このままだと、彼女を元に戻せないんだよね」
「意識体ごと吸い上げたのか?」
流石の彼も驚きます。
だって、普通はそんな事をするなら、もう一人分の本体を用意する必要があるんですから。
「彼女の意識体修復デバイスが壊れちゃってて、使い物にならないから、直ぐ治すのに私の奴を使うしか無かったんですよ。
予備のブレインコアの記憶領域空けて、丸々吸い上げたから、問題無かったですよ?
それに、私の記憶領域って、普通のパシリ以上に学習データを溜め込む必要があるから、普通のパシリの3倍以上あるし」
進化事故によって戦闘や日常会話などの基本部分が焼き付けられていたROMを失った私は、その分のデータを保持するために記憶容量を大幅に増やしています。
「全く、無茶をする……」
「でも、帰りはどうしましょうか。
今の私、クラスレベルがハンター1レベルなのはいいとして、認定1レベル相当の能力しか無いから、本当に足手まといです」
私の現状を告げ終わると、彼が私の顔をじっと見ながら、考え込みました。
ですが、それもほんのちょっとの間だけ。
彼は口の端を少しだけあげて、表情だけで笑いました。
「なら、俺がお前を守ってやればいいだけの話だ」
そう言って、左手を私に差し出し、何かを待っています。
私は何故かどぎまぎしながら頬を染め、その手を右手で握ります。
「行くぞ」「うん」
私と彼は頷きあい、そして、走り出しました。
離さない様に、しっかりと、お互いの手を握りあって。
ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ……
走っている私と彼の足音が、施設のむき出しの岩肌に反響して、辺りに響きますが、あれから一向にローグスの姿を見かけません。
「静かですね、どうしたんでしょうか」
「分からん。だが、油断すると危険だ」
「はい」
ですが、結局そのまま、私達は外へ出てしまったのです。
「経験上、こういう時は……」
急に周囲から光を浴びせかけられ、私達はまだ薄暗い空の下で、煌々と照らし出されてしまったのです。
「まぁ、お約束だな」
「あははははは……」
私が乾いた笑いをすると、「やっぱりお約束すぎだよなぁ」という、聞き覚えのある声がしました。
同時に、明かりが絞られ、私達を照らし出した人影がはっきりと判るようになりました。
「よう、お疲れさま、元班長」
私達の前に現れたのは、髪を下ろして左腕にリボンを巻きつけた、GH424――『狂戦士』さんです。
そして、私達の顔を交互に見たあと、私に向かって唇の動きだけで「お疲れ様、『指揮者』」と言うと、ウィンクして見せたのです。
ま、私の進化を見ていた彼女なら分かるとは思ってましたけど、一発で分かっちゃうのはちょっとつまんないかも。
「『狂戦士』、どうしてここへ」
ルドが驚き半分、困惑半分といった感じで尋ねると、『狂戦士』さんの後ろから別のヒトがやってきました。
「ご苦労様です、『インフィニット』」
黒い指揮官服姿の麗容な女性が、静かにやってきました。
「……部長?」「え、部長?」
そう、現れたのは、滅多に現場へ出てこない、諜報部部長そのヒトです。
これには流石に驚くしかないのですが、それよりも不信感が先に立ってしまう私達。
それは向こうも同じだったようで、私を凄く警戒しています。
「……『インフィニット』、彼女は?」
「疑問にお答えするのはかまいませんが、その呼び銘は止めていただけませんか」
「ごめんなさい。立場柄、名前を呼ばないように習慣付けていて、他に呼び方が思いつきませんでした」
部長さんのあくまで礼儀的な謝罪と答えに、諦めた様子で溜め息をつき、頷くルド。
「分かりました、好きに呼んでください。
――彼女は」
そこまで彼が言った所で、私が一歩前に出ます。
「現場へのご足労、ありがとうございます、部長。
私の事、分からないかと思いますけど、元特殊後方支援班所属の『指揮者』です」
一瞬、沈黙したかと思うと、軽く半歩右足を引いて、構えを取る部長さん。
「この場でそういう冗談は止めて欲しいですね。
それから『インフィニット』、あなたには、彼女にどれだけの情報を漏らしていたのか、説明してもらいます」
「掛け値なしに本当なんだが、まぁ、簡単には信じてもらえないだろうな……」
肩を落とし、投げやり気味に言って、嘆息するルド。
「部長、それについてはあたしが保障できるよ。
一度、同じような現場に居合わせたことがあるから。
このヒューマンが『指揮者』に間違いない」
横合いから、『狂戦士』さんが助け舟を出してくれました。
「『狂戦士』、以前にあなたからその報告は受けていません」
「変だなぁ、ちゃんと機密情報の印を入れて、直接提出したんだけど……
今、報告書の控えと、提出記録を再送信したよ」
『狂戦士』さんが、自分の記憶領域にある過去ログから、控えの電子書類を改めて部長さんの携帯端末に送ったようです。
私達に注意を払いながらも、それを改めて確認する部長さん。
「……SEEDマガシとの交戦中、敵によって『指揮者』は中破し、稼動を停止。
その後、謎のエネルギーによって進化をして再起動。
マシナリー及びキャストの制圧完了後に、再度、同じ現象を起こしてGH412に退化。
詳細な進化の状況は添付ファイルを参照の事」
わざわざ声に出して、内容を確認する彼女。
そして、添付ファイルを確認したらしく、目を見張る部長さん。
彼女の瞳には、あの時の光景が反射して映し出されていました。
「『狂戦士』さん、あの時の視覚データ、動画状態で保存してたのねっ!!
私にはSSしかくれなかったのに、ずるい!!」
私は前かがみになって『狂戦士』さんに詰め寄ると、反対に彼女が噛み付きそうな勢いで食って掛かってきたのです。
「ずるいってなんだよ!お前、あれでいいって自分で言ったじゃないか!」
「だって動画まで記録しているなんて、私、知らなかったもん!」
「諜報部のパシリは動画記録も必要だって、研修した時に教えただろう!」
「それ、初耳!
私が聞いたのは、「現場で重要な事があったときは、すかさずSSを撮れ」って事だけだよ?!
……ほら、ログ見てよ!」
自分の記憶領域にある当日のログを検索して、『狂戦士』さんに送りつけます。
「……あ、あれ?本当だ……
変だな、あたしのログには、ちゃんと記録されてるけど、なんで?」
「知らないわよ、そんな事!」
「お前達、そこまでにしておけ、話が進まないぞ」
「でもさ元班長!」「だってルド!」
ルドが仲裁に入ったのですが、今度は彼に矛先が向きかけました。
「落ち着け二人とも。
部長がさっきから、お前たちの騒ぎが終わるのを待って下さっているんだぞ」
「「……失礼しました、部長」」
私と『狂戦士』さんが敬礼して謝罪すると、小さく溜め息をついた部長さん。
そして、そこでやっと構えを解いて、私に向き直りました。
「あなたが『指揮者』だという証拠を提示して貰いたいのですけど、それは可能ですか?」
「え、えと、それは情報だけでいいのでしょうか?それとも物理的なものが必要でしょうか」
「可能ならば、後者を提示して下さい」
私はメギドの力で最終形態へ進化したのですから、メギドを使えば、一時的に退化する事も可能なはずです。
だけど、一瞬しか保たないのか、一定時間で今の姿に戻るのか、任意に変えられるのか、さっぱり分かりません。
「あ~、う~……多分、不可能じゃありませんけど、どれくらい保持できるか怪しい……」
私は思わず頭を抱えてしまいました。
「保持、って、何をするつもりだ、ロザリィ」
流石に彼にはなんとなく判っているのでしょうが、口に出さずにいられないようです。
「え、えへへ……察しついてるでしょ、あなたには」
「まぁ、な」
「大丈夫よ、完成体になっているから、どう頑張っても短時間で元に戻っちゃうはず。
とにかくやってみるね」
「……あ、ちょっと待て!」
何を思ってか、急に私を止めるルド。
「な、なに?今の私なら、別に危険は無いけど?」
「そうじゃなくて!
PMの姿になったら、直ぐに『ナックルズ』と回収したPM達をナノトランサーから引っ張り出せ!
GRMやガーディアンズのメンテサービスセンターまで行く事も考えていたが、それが出来るなら話が早い!
だからといって、何かある度にいちいちこんな事をしていたら、目立ちすぎる!」
「あ……」
すっかり忘れてました。
「お前、すっかり忘れてたな?」
彼に、半眼の怖い顔でにらみつけられてしまった私。
「え、えと、その……ごめんなさいっ!忘れてました」
「はぁ……まぁいい、頼むよ」
何かを諦めた様子で、溜め息をつきながら、私の頭を撫でる彼。
条件反射で、ついつい頬が緩んでしまいます。
「はい。じゃ、いっきま~す」
私は自分に対してメギドを発動し、かつての自分であるパシリの姿を思い描きます。
すると、身体が闇色の繭に包まれて縮小し、衣服もPM用スーツに変化、終了と同時に繭が弾けます。
もっとも、髪はお団子にしないで流しっぱなしですけど。
それと、ガーディアンズシステムもちゃんと反応して、機能します。
「ふぅ、上手くいきました」
「安堵してないで、さっさとPM達を出すんだ」
「分かってますよぅ」
移動しながら、姉妹達を1人ずづ地面に置いていき、最後に『ナックルズ』を取り出しました。
「あ、そういえば部長」
私は指示を仰ごうと思い、部長さんに顔を向けました。
「意識体が一部破損していたので、『ナックルズ』の全データを私が吸い上げたのですけど、今すぐ戻したほうがいいですか?
彼女の意識体修復デバイスはプロテクトごと壊れていたので、私に搭載されてるものを使用して、既に修復は完了してますけど」
「……」
「部長?」
ルドが部長さんの様子を伺うと、渋い表情になりそうなのを必死に堪えているようです。
「……『狂戦士』、撤退作業を任せます。
パシリ達を回収後、速やかにGコロニーへ帰還し、技術開発課へ移送して、データを集めさせなさい。
それから、『ナックルズ』の修理を最優先で行うように。
わたしは後から帰還します」
「アイアイ、マム。
――後方処理班!ここのパシリを回収して、速やかに撤収!技術開発課へ移送だ!」
『狂戦士』さんの指示で、姉妹達と『ナックルズ』はあっという間に回収され、後方処理班は『狂戦士』さん共々、1分と経たずに帰ってしまいました。
そして、気配が無くなった途端、部長さんはこめかみを押さえながら、渋い顔で大きく溜息をつきました。
同時に、私もヒューマンの姿に自然と戻ってしまいました。
「現状で『指揮者』という手駒を失うのは、痛いのですけど……
それはそれとして、あなたは彼女を、どうやってガーディアンズまで連れ帰るつもり?」
「……申し訳ありません、失念していました」
「でしょうね。
ともかく、モトゥブ支部まで戻って、惑星間移動の手段を考えましょう」
「アイ、マム」
★Act13
結局、私自身が問題となって、すんなり帰れませんでした。
まず、今の私はパシリ専用のガーディアンズシステムが全部使えません。
そして、パシリの姿に戻っても1分ほどしか維持できない上に、ガーディアンズシステムの認証IDが全ての装置に対して不正使用として弾かれてしまいます。
その所為で転送装置も使えず、PPTの旅券もガーディアンズ特別枠が使えません。
おまけにSEED騒ぎが終わって一般交通が回復した現在はどれも込み合っていて、一般航路の正規、偽造共に空席が全く取れない状況でした。
おかげで、部屋に帰ろうにも、私が帰る手立てが無なくなったんです。
そこで、諜報部の極秘ミッションで護衛対象が発生したという設定にして、部長さんがモトゥブ支部で強引に私の特別旅券を取り、ヒュマ姉さんの部屋で私を一時保護という形になりました。
その部長さんはというと、流石に疲れたらしく、ヒュマ姉さんの寝室で休んでいます。
静かにする為に寝室側へ入るわけにも行かず、マイショップにロックをかけて、私達はそこで話をすることになりました。
「――今、眠ったわ。
あの調子じゃ、過労で倒れちゃうわ、義姉さんも。
とりあえず、点滴してきたから、一眠りすれば回復するでしょ」
さすが元内科医です。
「すまん、朝早くから叩き起こしちまったな」
ルドが謝ると、ヒュマ姉さんは首を横に振って苦笑します。
「いいのよ、義姉さんの事は。
それに、いつもの事だし。
だから、おじ様がそれで気に病む必要は無いわよ」
にこやかに言った後、ルドの後ろでたたずんでいた私を見上げて、不審そうな目を向けます。
まぁ、見上げるのは仕方ありません、私のほうが頭一個は背が高いんですから。
今までは見下ろされていたのですから、なんとも不思議な感じです。
「で、この女、誰?
もしかして、おじ様のコレ?」
ルドを自分のほうへ引き寄せつつ、小指を立てる姉さん。
状況が状況だったので、何の説明も無しにここへ来ちゃったから、仕方ないといえば仕方ないけど……
姉さんなら、私の事、気づくと思ったのに……
「間違っちゃいないといえば間違っちゃいないが――」
「酷いっ!!あたしという女がいるのに、おじ様は何処でこんな女を引っ掛けてきたのよ!!」
そう言って、彼にすがり付いて泣き出しました。
――間違っているといえば間違っているんだよな、と彼が続けようとしたのでしょうが、ものの見事に割り込まれてしまいました。
私とルドは顔を見合わせて、肩をすくめます。
「――あの、ご主人様」
ルテナちゃんが、姉さんの側まで行って、あきれた様子で声をかけます。
「嘘でも泣く時は、それらしい顔になったほうがよろしいですよ?
笑い顔では、緊迫感に欠けます」
後で聞いたのですが、私と彼の視線から顔が見えなかったこの時のヒュマ姉さんは、ものすごい形相でほくそ笑んでいたそうです。
「馬鹿、こんな時につっこまなくてもいいでしょ」
「ですが……」
「横合いから、そうぽんぽんと乱入されてたまるものですか。
ロザリオだけでも面倒なのに、ジュエルズはいるわ教え子のカエデはいるわ……
これで一番近しいヒトの座まで取られたら、今まで以上に近づきにくくなっちゃうでしょ!」
普段はジュエルズの存在が強烈すぎて気づかなかったけど、言われてみれば、ヒュマ姉さんって、なんだかんだ言いながら彼の部屋に来ては、それなりにかまってもらえるまで帰ろうとしなかったかも……
「……ぷっ、くっくっくっく……」
ルドが、我慢できなくなったらしく、吹き出して笑い始めました。
「ちょっ、何よおじ様、何で笑うの?!」
ルテナちゃんが芝居だとばらしてしまったので、泣き真似をやめて、彼を見上げる姉さん。
「いや、だって……くっくっく……なぁ?」
「あ~、まぁねぇ……」
同意を求めるように私へ視線を向けるルドですが、私は困ってしまい、頬をぽりぽりと人差し指で掻きます。
「なによ、その『目と目で分かり合っちゃう二人』みたいな仕草は!
ねぇ、おじ様ったら!」
このままじゃ埒が明かないから、ちょっと事態を動かしてみようかな。
「ちょっと、ルテナちゃん」
「は、はい、なんでしょうか、お客様」
ちょいちょいと手招きして、私はルテナちゃんを呼び、近づいてきた彼女の側にしゃがみこんで、彼女の耳元でとある事を囁きます。
「ゴニョゴニョゴニョゴニョ……、でね、ゴニョゴニョ……で、ゴニョゴニョ」
段々と驚愕の表情になっていくルテナちゃんの表情は、ある意味とっても面白いものでした。
「――という訳。勿論行くよね、ルテナちゃん?」
「ええ、行かせていただきます」
真剣な表情を浮かべ、カツリ、カツリと一歩ずつ、寝室側へ進んでいくルテナちゃん。
ところが、不意に立ち止まったかと思うと、私に振り返ってこう言ったのです。
「すみません、お手数をかけるのは不本意ですが、私を抱きかかえていただけないでしょうか?
流石に手が届きませんから」
「あ、そっか。
すみません、ちょっとドレッシングルームをお借りします」
私はルテナちゃんをひょいと前向きに抱え上げて、静かに寝室側へ向かおうとします。
「え?は?はぁ……何するの、ルテナ?」
「洗面台脇、下から四つ目のナノトランサースイッチに用があります」
ギクッ、とした顔になり、慌てふためきながら、ルドから離れます。
「え?!だ、ダメ!あそこは触ったらダメだってば!!」
「いいえ!部長様が御休みされていても、コレばかりは今すぐ検めさせて頂きます!
あの方に黙ってAMPを水着(下)!に換えてしまわれるなんて、言語道断です!
――それでは、よろしくお願いします」
「はいはい、行きましょう♪」
「ちょ、まっ、それはあたしとロザリオしか知らないはずの!」
そこまで言って、自分が何を口走ったか、どんなまずい事を言ったのか、やっと気づいたヒュマ姉さん。
「……リズ」
ルドが静かにヒュマ姉さんの愛称を呼ぶと、直立不動になった姉さん。
「は、はひっ」
疲れた溜め息を吐き、げんなりしちゃったルド。
「後で、倍、稼いで来い」
「ぐっ……同じだけじゃ、ダメ?」
「駄目だ」
「そこを何とか」
彼に再びすがりつき、悲しそうな表情を浮かべて懇願するヒュマ姉さん。
ルテナちゃんが「あれ、演技ですよ」と、小声で教えてくれました。
姉さん、結構あの手の演技が上手いみたいで、普通のヒトならころっと騙されちゃいそうです。
「……あいつと二人でなら、許す。
お前達二人の責任だからな」
ルドが視線で私を指すと、それに合わせて姉さんが私を見ます。
「――酷い、ロザリオったら……秘密をばらすなんて」
やっと私が誰なのか分かったらしく、恨めしそうな顔で私を見る姉さん。
「ヒュマ姉さんが私の事、この女呼ばわりしたから、お返しですよ~だ!」
私はルテナちゃんを抱えたまま、いたずらが成功した子供のような満面の笑みを浮かべて、彼女に言い返したのでした。
「しかし、どうするかな……」
ルドが困った様子で考え込んでしまいました。
すると、不思議そうな顔で彼の顔を見るヒュマ姉さん。
「どう、って、部屋に戻るん……」
そこではたと手を打ち、納得した様子で頷きました。
「ああ、確かに困る事態ね。
……そうね、ルテナ、ちょっと伝言を頼める?」
「はい、どちらまで赴けば良いのですか?」
「おじ様の部屋へ行って、ジュエルズの誰かが居ればこう言ってあげて。
『おじ様とロザリオが長期ミッションで暫く部屋を空けるから、ロックを掛けたままにしておくように』って
もし居なければ、部屋に同様の伝言を残して来て」
「分かりました。
ロザリオさん、下ろしていただけますか?」
私が下ろすと、小さく頷くルテナちゃん。
「他ならぬお二方の為です、早速行って参ります」
「よろしくね、ルテナちゃん」
会釈をして、彼女は勢いよく走って出て行きました。
私とルテナちゃんのやり取りの間も、ヒュマ姉さんは色々と考えていました。
「――この様子だと、ロザリオがガーディアンズのネットワークから完全に切り離されているだろうから、お留守番装置も起動してないはず。
GRMと本部には、あたしが出向いて状況を確認して来ます。
一応、確認しておきますけど、おじ様のメセタカードはまだ使えますか?」
「ああ、戻る途中で買い物した時には、まだ平気だった」
「じゃあ、念の為に、各方面への生存報告はしておきます。
ロザリオの方は、ミッション中に大破、残骸も無いという報告を入れておきますけど、それでいいですか?」
「それはもう、仕方ないだろう。
開発局局長や研究主任には、俺から直接、事情を話しに行ってくるさ」
「あ、姉さん、私からGRMにルドの死亡通知が行っちゃってるけど、大丈夫かな?」
私が彼を愛称で呼んだ時、ピクッと反応しましたけど、それも一瞬だけの事でした。
「……それなら、大破した時に誤作動したという事にして、向こうへ連絡しておくから大丈夫。
おじ様も後で出向くのでしたら、その点を上手く処理してもらうように話してきて下さい」
「分かった、憶えておくよ」
「それとおじ様、帰還記録が残っているから問題無いと思いますけど、一応、医療課へ出向いて検査してきたほうが、色々と疑われずに済むと思うの」
「そうだな、それくらいは隠蔽工作した方がいいだろう」
「一番問題なのはロザリオだけど……
結局、戻ってくる時にどんな扱いにしたのかな、義姉さんは」
難しそうに考え込んでいるヒュマ姉さんに、ルドが説明を始めました。
「現地協力者を安全の為に保護、また適性があるとしてガーディアンズに推薦する、という形になっている。
一応、その為にパルムの支部でお前が保護するという事になっているが、ロザリオに戸籍は無いから、その辺をまずはでっち上げないとだな」
「でも、戸籍の偽造と改ざんなんて、義姉さんにでも頼むしか……」
なんかもう、聞いているだけで虚偽報告や違法行為のオンパレードですけど、案外と彼もヒュマ姉さんもその辺の罪悪感は無いみたいです。
嘘も方便というのでしょうか、ちょっと範囲が広すぎですけど……
でも、それ位の神経じゃないと、諜報部になんて関われないという事なんでしょうね。
「……仕方ない、久々に一族のほうへ連絡入れるか」
そこで嫌そうな顔を隠しもせず、大きく溜め息をついた彼。
「俺を担当してるあいつ、態度はそっけないくせにしつこいからなぁ……
リズ、ビジフォンを借りるぞ」
「は、はい、かまいませんけど……通話記録が残ると、後々困りませんか?」
「そっちは問題無い」
マイショップに設置されているビジフォンの前に立つと、何やら滅茶苦茶長ぁ~いアドレスを打ち込み、コール音もしないうちに相手が出ました。
『ご無沙汰しております。ご用向きをお願い致します』
淡々と喋る声がやけにルウさんに似た雰囲気なので、相手はキャストの女性だと思われます。
「問題が発生して、偽造戸籍と経歴が急遽必要となった」
『あなたの物ですか?インフィニット』
「いや、俺じゃない。
――こっちに来い、ロザリィ」
ルドの手でビジフォンの前へひっぱられ、私がカメラの正面に立たされてしまいました。
「は、初めまして……」
『……彼女の戸籍ですか』
画面に映し出されていた相手は、予想通り女性キャストさんです。
白い肌に銀の長髪、アイスブルーの瞳という、画面越しに冷たさが伝わってきそうな、まるで雪の女王みたいなヒトです。
よく見ると、諜報部特殊後方処理班の新班長さんに瓜二つです。
声は違うので、恐らくは他人の空似なんでしょうけど……なんか、気になります。
「無茶を承知で言うんだが、早く作ってもらいたいんだ」
『1分お待ち下さい』
そう言って、ビジフォンの画面が一旦待機モードに入り、丁度1分で戻りました。
『いくつかありましたが、条件のいいものが一件ありました。
モトゥブの辺境地域で、彼女と似た外見の幼女が行方不明になっています。
既に一家は離散しており、更にSEED騒ぎで該当家族とその村落は書類上から消滅していますが、その少女の戸籍のみ存続しています。
これでしたら、彼女のデータを割り込ませる事は容易に可能です。
幼少期をローグスと生活していた事にして、ある程度の年齢で一般的な家庭へ養子縁組したという記録を作り、正規の戸籍に編入させます。
そして、その縁組した家族がSEED騒ぎによって死亡、彼女だけが生き残り、モトゥブにて独立していた事にします。
縁組していた家族の候補はいくつも有りますので、自然且つ目立たない条件のものを使用します。
それから、独立して生活していた地域ですが――』
先を続けようとした女性キャストさんに、「ちょっといいか?」と、割り込むルド。
「その独立後の生活先、俺が暮らしてた極北の町に出来るかな?」
『可能です。グリーガス氏に手配をお願いしましょうか?』
「じいさんか……まぁ、驚きはするだろうが、頼まれてくれるだろう」
『分かりました、詳細を伝えて、依頼致します。
――経歴が完成しましたので、書類を送ります。
お名前は、こちらで用意したものもありますが、いかが致しますか?』
「ロザリオ・ブリジェシーで登録してくれ。
一度、行方不明になった後、自称していたとすれば問題無いレベルだろう?」
『はい、法的に改名しても問題無い年数が経過した事になっています。
それから……』
そこで一旦言いよどむ彼女。
「なんだ、らしくないなシラユキ」
『私の名前はシラユキではなく、Snow Whiteです!
個人を表す名称は、明確且つ正確にお願いします』
語調が強くなり、はっきり言う女性キャストさん
「わ、分かった分かった。ったく、どうして今日は怒るんだ……」
後半部分はほとんど呟きでしたが、どうやらシラユキというのは、彼が女性キャストさんを呼ぶ時に使う、彼女にとっては周囲に知られたくない愛称のようです。
「ともかく、さっきは言いよどんだが、何が言いたい?」
『……ぶしつけな質問で恐縮ですが、インフィニット、彼女はヒューマンですか?』
唐突にそんな質問をされてしまい、流石に沈黙してしまったルド。
「……何故、そんな質問をする?」
口調が固くなって、逆に問い返します。
『気を悪くされたのなら謝罪します。
ですが、私にはヒューマンというよりはキャストのように見受けられました。
生体情報を登録していただこうと考えたのですが、もしキャストだとすると、製造登録番号を作成する必要が生じますから』
そこで、私も彼も腕を組み、唸ってしまったのです。
「実際、登録出来るかどうかを試してみないと、何とも言えないと思う。
ヒューマンとキャストのハイブリッドみたいな身体だからなぁ……」
たとえ端的とはいえ、ルドの今の説明を聞けば、大概のヒトは驚くと思うのですが、女性キャストさんは少し目を見開いただけで済ませてしまいました。
『分かりました、とにかく一度は生体登録をしてみましょう。
――ミス・ブリジェシー、右手、左手の順に認証装置の上へ置いてください。
それが済みましたら、網膜認証を――』
などと、説明を受けながら、生体登録手続きをやってみました。
『――認証は可能ですが、この情報にはかなり問題があります』
指紋はともかく、網膜、虹彩パターン、遺伝子情報はどう見てもヒトに見えない部分があるというのです。
「俺と同じ手を使うか?」
「同じ手、って何?」
私が訪ねると、画面上にもう一人分のデータが表示されました。
「あ、私のに似てる」
「だろうな。
俺の場合は、ナノマシンによって生体改造されてるせいで、細かい部分がヒトの領分から外れているんだ。
お前には教えた事が無かったか?俺は生きてる戦略兵器だって。
こういう場合に、それが結構困った事態を招くから……」
画面上のデータに、所々『閲覧不可』の表示が加わります。
「こうに処理されてる。
自分でも時々忘れてるけど、俺は同盟政府の機密文書に登録されている、ヒューマンウェポンなんだよな。
もう型旧いし、いい加減、機密から外してもらいたいよ、ほんと。
大体、今時の連中は、ヒューマンだって俺と大差ない戦闘力持ってるんだぜ?」
そう言って、おどけてみせる彼。
「まぁ、そうですけど……問題の本質はそこじゃないと思うの。
ねぇ、Snow Whiteさん」
『何でしょうか、ミス・ブリジェシー』
「実際に彼と同じ事、出来るんですか?」
『不可能ではありません』
その一言が出てくるまで、かなりの時間の沈黙が続きました。
その間、Snow whiteさんは、私をじっと見続けていました。
『ですがそれは、あなたが自分自身を危険な存在であると、政府に自主通告するのと同じ事になります』
「分かってます」
『あなたの行動は、常時監視される事になりますが、それでも構わないのですか?』
「いままでもずっとそうだったし、あんまり変わらないもの。
それに、最低限のプライバシーは確保してもらえるんでしょ?」
『はい、緊急時以外は私生活範囲への監視はありません』
「それなら、諜報部にいた時より、ずい分緩いわね。
良かった~、お風呂とかトイレとか、エッチしてる時まで監視されたら流石にイヤだもんね」
「それは言えてる。
俺の部屋なんて、ドレッシングルーム以外は、諜報部の監視カメラとマイクがあちこち付いてたからなぁ……」
「そうよねぇ、あれから比べたら、大したこと無いもんね」
そこで彼と二人して、暢気にあははは、と笑い出してしまいました。
そんな私達を見て、あきれ返ってしまったヒュマ姉さん。
ダメだこれは、という仕草をすると、義姉さんの様子を見に行くと言って、寝室側へ行ってしまいました。
『――分かりました、ミス・ブリジェシー。あなたのデータを添付して、同盟政府へ申請手続きをさせていただきます。
そこまでお揃いにするのでしたら、いっそのこと、あなたの籍を彼の籍へ入れましょうか?』
何故か、なんか嫌みったらしいニュアンスが感じ取れる言い回しで、そんな事を言われたのですが……
「あ、頼めるか?それ」
ルドがあっけらかんと、そんな事を言ったのです。
「え?えええええええ?!そ、そそそそれって、もしかして……」
私はもう、自分が想像した事で、顔が真っ赤になってしまいました。
『分かりました、あなたとミス・ブリジェシーの婚姻届の申請手続きをしておきます。
――それでは御機嫌よう!
どうぞ勝手にお幸せになってください!!
ルドの、バカッ!!!!』
ガギャン!
何か、ものすごい音と同時に画面にノイズが走り、暫くすると回線が切断されました。
「……長い付き合いだが、声を荒げるのを初めてみた……」
「そうなの?」
「ああ。
……それになんか、最後にむちゃくちゃ怒ってたよ、な?」
「う、うん……もしかして、彼女、あなたの事が好きだったんじゃ?」
女の感とでも言えばいいのでしょうか、ふと、そんな気がしました。
「そう、なのかなぁ?
……だが、もしそうだとしても、結婚どころか付き合うことすら不可能なんだよな。
向こうは一族の中の監視役、俺は監視対象。
そんな気配を見せた瞬間、あっちは良くて刑務所、悪けりゃ……」
親指を立てた右手で首をかききる仕草をして見せた後、溜め息をつくルド。
「ま、100年も俺に付き合ってるから、そういう意識が芽生える可能性もあるだろうさ。
こんな事を言っちゃ悪いのは百も承知だが、これもいい機会だ、本当にそうなら、諦めが付くだろう」
「100年、という事は、終戦直後からずっと、か……」
私が呟くと、ゆっくり頷く彼。
「あいつもボディの更新はしているけど、基本人格と経験データはずっと継続しているから、外見が変わっても中身は同じ奴なんだよな」
「私、やっぱり、彼女みたいに100年も待てないよ」
そう言って、隣に立つ彼の腕に自分の腕を絡め、彼に寄りかかります。
「俺は待っても良かったんだ。
お前が早く成長したって、俺との経験の差が簡単に埋まるはずが無いからな。
それは、心もそうなんだぞ?」
「うん、そうだよね」
「だから、お前が――正しくはお前の心が、大人になるのを待つつもりだった。
それなのに、お前と来たら――」
私はそっと、空いている手の人差し指で彼の唇を押さえ、放します。
「それ以上、言わないで。
分かってるし、反省してる。
でも、あなたを失ったあまりの悲しさと怒りでこの姿に成っちゃうくらい、私の心はあなたでいっぱいなの。
それだけは分かって、ルド」
「ロザリィ……」
腕を組んだまま、見詰め合う私達。
そして、そのままキスをしようかと思いましたが、そこでやめました。
案の定――
ぷしゅーっ
「ただ今戻りました、ご主人様」
ルテナちゃんが帰ってきました。
やっぱりね、と、視線で会話する私達。
他所様のマイショップでやる事でも無いし、もっとお互いの気持ちを話したいし。
とりあえずは仕切りなおしすることにして、その時は、それ以上のことを話すのは止める事にしました。
★Act14
それから2時間ほどたった頃、部長さんが目を覚まし、点滴が終わった事もあって、諜報部に戻ると言ったのです。
既に起き上がって、すっかり身支度も整え終えています。
「迷惑をかけました、リズ」
「いつもの事だから気にしてませんよ、義姉さん」
Pipipi,pipipi,pipipi……
不意に、部長さんの端末から、呼び出し音が鳴りました。
直ぐに端末を起動させる部長さん。
「――私です。――そう、では直ぐに彼女を連れて行きます。準備は――――少し、待ちなさい」
一瞬、妙な表情になった部長さんが、端末を保留状態にし、私と彼を交互に見ながら、口を開きます。
「二人とも、これから諜報部へ同行してもらいます。
『指揮者』、『ナックルズ』の修復が終了したという事なので、彼女の意識体を返却してもらいます。
それと『インフィニット』、あなたも同行してもらいます」
「了解しました、部長」
彼が不思議そうな顔をしながら返答すると、軽く頷いて端末の保留を解除する部長さん。
「――待たせましたね、これから戻ります」
端末を切り、さっさと部屋を出て行きます。
それに合わせて、私達も部屋を後にします。
もう慣れっこですが、ヒュマ姉さんとルテナちゃんに挨拶する暇すらくれません。
向こうもそれを分かっているので、見送るだけにしてくれました。
――Gコロニーの諜報部エリア、技術開発課――
部長権限をフルに活用し、とんでもない速さでGコロニーにやって来ました。
部長さんの後を付いて歩く事は良くありましたけど、この姿で歩くと、なんだか不思議な感じがします。
「――お帰りなさい、部長」
とある部屋の前まで来ると、下のほうから声をかけられました。
思わず目線がそちらに向くと、そこにいたのは『魔女』さんです。
そっか、これが今の私の目線なんだ……
彼女の背が、私の股下より少し高いかな?というくらいしかないんです。
そして、それがつい今朝方までの、私の姿と重なります。
なるほど、彼もこういう視線になるから、ゆっくり喋る時間がある時は、必ず目線を合わせてくれたんだ。
思わずしんみりしてしまいましたが、それを悠長に味あわせてもらえるほど、向こうはのんびりと構えていませんでした。
「既に『ナックルズ』の修理は完了しています。
他の個体達は、現在、ブレインコアと意識体の修復を試みていますが……」
言いよどむ彼女にそっと手で合図を出し、その部屋に入っていく部長さん。
私達もその後をついて入っていくと、大して広くも無い部屋の中に整備筐体が10基ほど置かれ、その一つには綺麗に修復されたGH422が、検査衣姿で横たえられていました。
私も何回かお世話になっていますが、あまり来たい部屋ではありません。
「処置が適切だったし、人工蛋白の腐敗と汚染がほとんど無かったから、切られちゃった各部のフレームとパーツを新規のものに変更して、高速再生槽へ放り込んでみました。
ブレインコアも、だいぶ焼き切れていたので、思い切って同型の物と組み替えましたよ。
問題があるとすれば、肝心の意識体データが無いので、破損状況が何処まであったのかを調べられなかったんですけど、後で物理展開して調査しときます」
子供っぽい声色の男性技術隊員が、ぞんざいな口調で部長に報告しながら、工具棚を引っ掻き回しています。
「え~っと、直リンケーブル、直リンケーブルは~っと……」
「おい、ロザリィ」
その隊員に聞こえないように、私に囁きかけるルド。
「何?」
同様に私も小さな声で答えます。
「お前、直接接続出来るのか?」
「出来ないんですよぅ。どうしようかと思って……」
「パペットシステムは?」
「あれだと、電磁障壁が強力なこの部屋じゃ、データ欠損の危険性があるの」
「じゃあ、どうする。出直す訳にも行かないぞ」
「そうなんですけど……」
そこでふと、あのおっさんが言っていた事を思い出しました。
「すばらしいっ!大掛かりなシステムも使わず、任意の空間から空間へ、物体の量子転送までするのか!」
つまり、あの時の私は、量子転送をした、という事。
座標設定や、転送物体の量子変換、再構成をほぼイメージだけでこなしたけど、問題無く出来ちゃったのよね。
という事は、電磁波の影響が少ないって言われてる量子通信も可能かもしれない。
通信は私の能力の一部だし、物体を転送するよりは情報密度も低いから、送信量のコントロールも容易い。
ただ、どうやって情報を量子化すればいいのか……
……うん、アドレスを検索すれば、通信先は確定出来る。
問題は、普通の電波通信と違うだろうという事。
そうだ、確か彼のSSにルウさんが使っていた、視覚化している転送ゲートがあった!
それに確か、SUVウェポンも量子転送システムで送られてきたはず!
両方の公式を合わせて、基本公式を割り出して……
後は質量情報を入れずに、この場合は転送先が通信アクセスゲートだから、そこで再変換すれば!
よし、これで式を組んで……
量子変換は?メギドを使う?
……いえ、もしからしたら!
あわててパペットシステムをチェック。
すると、キャストにアクセスする為のマスターリンクシステムの他に、量子通信装置が機能拡張によって増えていました。
やっぱり!そうでないと、未来の私が過去の私に干渉できるはずがない!
これでいける!
「おい、大丈夫か?随分と汗かいてるが」
いつの間にか目を瞑っていたらしく、ゆっくりと目を開くと、心配そうなルドが私を覗き込んでいました。
「うん、大丈夫、ちょっと公式組んでいただけだから……」
「そこの姉さんがデータ持ってるんだろ?さくさく繋いで欲しいんだけどさ」
横合いからケーブルが突き出されていますが、私はそれをそっと押しのけ、整備筐体の前に立ちます。
「……よし、公式作成完了」
随分汗をかいていますが、今は気にしていられません。
「何を始める気だよ、さっさとリンクしてくれなきゃ――」
「ちょっと黙ってろ、何か考えがあるらしい」
技術隊員の肩を押さえ、引き止めてくれたルド。
私は掌をGH422の躯体にかざします。
「初めてだから、何処まで上手く行くか分からないけど……
量子通信開始、情報転送ゲート展開、アクセスポート開放」
念の為に、公式が行う動作を復唱しながら、初めての量子通信を開始しました。
掌の直ぐ下に、視覚化された情報転送ゲートが起動します。
そして同時に、情報変換ゲートがGH422の直ぐ上に出現します。
「受信側に変換アクセスゲート展開、接続……完了!」
小さなパシリの躯体が、淡く光りだしました。
「意識体の転送、開始!」
一瞬にして、私の記憶領域から、『ナックルズ』の全データが転送されました。
「データ残留量は規定値をクリア!転送、完了、ふぅ~っ……」
急激な緊張と疲労から開放された為か、一瞬、意識が飛びました。
そして、気がつくと、ルドが私を抱き上げ、さっきの部屋を出るところでした。
「あ、ルド……」
「ったく、今日は久々に無茶のオンパレードか?
まぁ、お前らしいといえば、お前らしいが」
そう言って、苦笑する彼。
流石に人目もあるので、直ぐに下ろしてもらいます。
「『ナックルズ』、どう?」
「今、再起動中だ。暫く時間がかかる。
少なからず順調だから、平気だろう。
それと、『魔女』に言われたんだが、他の用件があと2、3あるらしいから、大丈夫なら念の為に一緒に来てくれ」
「あ、うん、行きます」
軽く脚がもつれましたが、まだ大丈夫だと判断して、一緒についていきます。
「一つは、あの時の襲撃者の件だ」
「ああ、あのニューマンね」
「流石にハイエナのあだ名は伊達じゃないらしい。
全然口を割らないから、痺れを切らした捜査課の隊員が、どうしたら喋る、と訊いたら、尋問相手を指定したんだとさ」
「あ、まさか……」
「そ、俺を指名してきた。
だから、ここを辞めた俺を呼んだんだよ。
捜査課の連中も、貧乏くじ引かされたって訳だ。
まぁ、そうは言っても、騒動の種を撒いたのは俺だし、収穫はしないとなぁ、実りが無くても……」
実り、ねぇ……
……あ、あるかも。
私は近くにあった、諜報部の通路には必ず設置されている、報告用の遮音ブースの一つへ、彼を引っ張り込みます。
「なんだ、いきなり」
いきなり引っ張り込まれたせいか、訝しげに私を見る彼。
「私も同席させて。
あの時、公安部捜査課の班長さんの他に、副班長さんいたでしょ?
あのヒトが、衛生処理課の彼氏の事を心配しているって、班長さんから聞かされたの。
私を襲ったニューマンさんの事だと思うんだけど、なんとか無事に帰してあげたいの」
「なんとか、って言っても、あいつが事の真相を何処まで喋るか、分からんからなぁ」
「だからよ。
時間も無いから詳しく話せないけど、腹を割ってくれそうなネタを一つ、私が持ってるの」
彼が悩んだ様子を見せたのは、一瞬の事。
「わかった、何とか誤魔化してみよう。
そのタイミングは、お前に任せる」
「ありがと、よろしくね」
ブースを出て少し歩くと、尋問室の前には二人の隊員が立っていて、入り口を警備しています。
そして、視線だけをこちらに向けたかと思うと、一瞬だけぎょっとした表情を浮かべました。
「生きてやがる……」
片側の隊員がぼそっと漏らすと、もう一人が、ぎろりと、その隊員をにらみつけました。
「この通り、ぴんぴんしてるぞ。
――ご苦労さん。すまんな、貧乏くじ引かせちまって」
二人の肩を軽く叩いてから、後半部分を囁くと、中へ入っていく彼。
その後に続いて入っていく時、「あいつに労われたの、初めてだ」と、更に驚愕の表情になった二人の隊員が振り返ったのでした。
中に入ると、簡素な机が一つと椅子があるだけの、殺風景な部屋です。
「――俺は、お前だけを指名したはずだが」
奥の椅子には、態度だけはえらそうなあのニューマンさんが座っていました。
「余計な口は出させない。
ただ、新しい教え子なんでね、これも仕事の一環として教えておく必要があるのさ。
悪いが、勘弁してもらえないかな」
相手の出方を見てから、咄嗟に自分達を教官と生徒という役に設定し、それを会話の中で伝えてきます。
私は生徒らしく、ややぎこちない仕草で会釈をして、教官役の彼の後ろで待機します。
「……まぁ、いいだろう」
「座ってもいいか?」
彼が尋ねると、鷹揚に頷くニューマンさん。
このヒト、自分の態度がえらそうに見えるって、自覚があるのかなぁ?
「さて、それじゃ、早速質問させてもらおうかな」
「ああ」
「ああっと、その前に一つ。お前、脚は?」
そう言えば、ルドが彼の太股を踏み折ったっけ。
「……あの後に、レスタで治された。骨は綺麗に繋がった」
「そうか」
随分と簡単なやり取りですが、双方とも理解出来ています。
どうやら、その質問で本人確認をしたようです。
「それじゃ、改めて質問だ。
あの時、何故俺のPMを狙った」
「……任務だからだ」
「どんな任務だ」
「詳細は話せない。だが、特定のパシリを破壊せよ、というものだ」
「その破壊対象となっているPMは、総数何体だ」
「言えないな」
「今までに破壊できた事は」
「ある」
「あのフォーメーションは、誰が考えた」
「……俺が所属する課が考えた、とだけ言っておく」
「お前が所属する課は、どの組織のどの部だ」
「あえて確認する必要があるのか?」
その口ぶりは、既に押収品から分かっているだろう、と、暗に言っていました。
「そうは言うが、本人の口から聞きたいのさ」
ニューマンさんは、溜め息をつくと、腹をくくったらしく、その所属を口に乗せます。
「――ガーディアンズ公安部、衛生処理課だ」
「やれやれ、やっと本人から所属を喋ってくれた。
――ロザリオ、すまないがお茶を頼めないか?勿論、彼の分もだ」
「はい、教官」
私は頷き、部屋の隅に置かれていたティーポットと茶葉を使い、彼に見えるように、その場で紅茶を淹れました。
つまり、毒や自白剤は入れていない、という証拠を見せたわけです。
そして、ニューマンさん、ルドの順にお茶を出し、私自身は彼の背後に戻り、手盆で立ったまま、お茶をいただきました。
12時間ぶりくらいに口にした暖かい飲み物の為か、とても美味しく感じます。
「すみません教官、私も勝手にいただきました」
「ああ、分かっている。淹れてくれてありがとう。
――ひと段落着いたことだし、喉を潤してくれ」
そう言って、自分から飲んでみせるルド。
ニューマンさんは、暫く私達の様子を見てから、そっとカップを持ち上げて色を確認し、軽く匂いを嗅ぎ、最後に僅かに口に含んで、違和感を感じないと分かると、やっと一口、ゆっくりと飲んだのです。
もう、完璧に暗部の人間の習慣が染み付いているようです。
「あんた、食事も摂らないそうじゃないか」
そんな情報を教えてもらっていないはずですが、さも知っているように言う彼。
まぁ、ニューマンさんの顔色があまり良くないから、当て推量でしょうけど、あながち間違っていないはずです。
「……諜報部に殺された同僚なら、掃いて捨てるほど見てるからな」
「じゃあ、何故、このお茶に口をつけた」
少し間が空いて、ニューマンさんは「分からん」とだけ言いました。
「ただ……」
「ただ、なんだ?」
「……そう、悪意、とでもいうのか、それを感じなかった。
だから、かな」
そう言って、ゆっくりとカップを空にします。
私はそっとポットを取ってきて、再びニューマンさんのカップをお茶で満たしました。
それと一緒に、用意されていたお菓子も、さりげなく脇に添えます。
二杯目に口をつけ、机の上に置くニューマンさん。
「これから俺はどうなる」
「さぁな。
だが、少なからず、隠密裏に『処分』される事は無いだろう。
諜報部でこうして尋問されるケースは、俺が知る限りそう多くない。
そして、大概は黙秘を宣誓させられて、釈放だな。
もっとも、書類上は死んだ事にして、処理するケースが殆どだ。
ただ、今回はどうに扱われるか、それは部長の判断だろう」
「そうか……」
私が置いたお菓子に手を伸ばし、さっきと同様の仕草をしてから、ゆっくりと口に含むニューマンさん。
実はこのお菓子、どう見ても部長さんの手作りなんですけど、それを言ったらこのニューマンさんが錯乱しそうなので、黙っておくつもりです。
「……妙なものだ、自分の巣より、何故か今のほうが、心が落ち着く」
お菓子を平らげ、二杯目のお茶を飲み干してから、ニューマンさんがボソッと言いました。
私は改めてお茶を淹れなおし、ニューマンさんとルドの前のカップに注ぎます。
「ありがとう、お嬢さん」
「どういたしまして」
私が出涸らした葉を片付けている姿を見ながら、ニューマンさんは再び呟きました。
「俺はただ、あの時の犯人を捜したかっただけなんだ」
「犯人?」
ルドの問いに、無言で頷くニューマンさん。
「あるミッション中に、俺は妙に戦闘力の高い、謎のパシリ達に襲われ、海に落ちて死に掛けた事がある。
そのパシリ達を操っていた奴が、その時の俺に偽情報をリークしてきた奴だった。
後でそのパシリ達は、何らかの異常か故障か改造か知らないが、強力な能力を身につけた非常識な個体だという情報が、上から通達された。
その後、同様のパシリを発見し、破壊せよという命令が来た。
それを追えば、あの時の犯人に出会えるのでは、と、淡い期待を抱いて、命令をこなし続けていた。
そして、あの日、お前のパシリに出会って、俺はお前達に捕まった」
なるほど、そういうことか。
いわば、一種の復讐という奴ですね。
それに、あの時に公安部捜査課の班長さんに聞いた話の裏づけも、これで取れました。
つまり、彼が副班長さんの恋人に間違いありません。
あとは、どのタイミングで切り出すかです。
「その謎のパシリの特徴は覚えているか?」
彼の質問に対し、首を横に振って答えるニューマンさん。
「その時は酷い嵐で、殆ど暗闇に近い状態だったから、相手を確認するのすら困難だった。
……そういえば、雷の光で一瞬だけ姿を見たが、小さなキャストみたいな感じで、プロテクターか何かをつけていた気がする」
そこまで言うと、沈黙します。
あ、それってS・M・Sじゃないのかな。
妙に戦闘力の高い、って事は、もしかしたら、あのおっさんが手を加えていた物かも。
そういえば、S・M・Sの研究自体は、今でもテノラが継続しているって、随分前に研究主任さんが茶飲み話でこぼしていたっけ。
その推測と私の想像が間違っていなければ、このヒトとあの副班長さんを襲ったのは、あのおっさんという事になる。
たぶん、テノラを信用させる為にワンオブサウザンドのデータを集めていたんだろうな。
そうやって、自分の研究を行える環境を手に入れて、あのSEED化S・M・Sを作った。
でもそうすると、このヒトの復讐相手は、私が倒しちゃって、もういないことになるんだけど……
だけど、どうしてそこまで復讐の相手を探しているんだろう?
って、考えるまでもないか。
たぶん、愛ゆえに、ってやつ。
でも、今まで聞いた話の内容からすると、それだけが理由じゃ、動機がまだ弱い気がするのよねぇ……
ただ、会話に割り込むには申し分ないタイミング。
それに、この情報をちゃんと説明している暇は無かったし、後はルドが上手く振ってくれるはず。
お願いだから、釣られてね、ニューマンさん!
「申し訳ありません教官、少しよろしいでしょうか」
「なんだ、一体」
ちょっと怒った様子で私に振り返り、ニューマンさんに顔が見えない向きになってから、テレパスで(このタイミングか?)と問いかけてきます。
「今の話について、この方に一つだけ尋ねたい事があります。
その許可を頂けないでしょうか」
口にはそう出しましたが、
(うん。それに、上手くいけば、動機の本心を喋ってくれるかも)
と、テレパスで伝えます。
彼は少し考え込むふりをし、その後に小さく溜め息をついて見せます。
「まぁ、彼次第だな。
――許可するかどうかは、あんたが決めてくれて、構わない」
ルドはニューマンさんに向き直って、判断を委ねます。
「……、構わん」
態度が柔らかくなったのか、ニューマンさんが許してくれました。
後は、この話に乗ってくれるかどうかだけです。
「許可して下さり、ありがとうございます、ミスタ。
――今の話でちょっとした噂を思い出したんですけど、反目する部署の隊員が二人、ミッション中の事故で落ちた嵐の海から生還して、その後付き合っているという話を聞いた事があるんです。
あくまで噂話だったので話半分に聞いていましたが、状況が似ていたのが気になりました」
そう言って、ニューマンさんをそれとなく見ると、普段の訓練が全く役に立っていないくらい、そわそわしているのです。
良かった、反応してくれてる。
「それでふと、思いついたのですが、もし、その話が本当だとした場合に、その隊員の一方があなたの事だとすれば、相手の女性との間に何事かあって、それが任務にこだわっている動機なのではないか。
その推論から導き出された私の答えが、私からあなたへの質問でもあります。
特定のパシリを追い続けながら、犯人を捜していた動機の根幹は、女性への愛ゆえの復讐、ではないのですか?」
逸る気持ちを抑えて、淡々と尋ねてみました。
「あーっはっはっはっはっ、ひーっひっひっひっひっ……」
唐突に、大笑いし始めてしまったニューマンさん。
でもよかった、こちらの誘いに乗ってくれました。
「っくっくっくっくっく……
お嬢さん、いいカンしてるぜ、大当たりだ!
何処で聞いたか知らんが、その噂は本当の事さ。
全く、笑っちまうぜ、自分の事ながらなァ!
嵐の中で命の取りっこしてたのに、妙なパシリどもに二人とも海へと落っことされて、気がつけば廃都の最深部に二人きり!
生還してみりゃ、俺と相手は恋仲になっちまうなんて、これが笑わずにいられるかってぇの。
んで、職場に戻れば同僚の冷たい視線と上司からの過酷な追加命令、全く、イヤになったぜ」
言葉遣いがガラッと変わって、印象まで変わってしまいました。
そして突然、真顔になったニューマンさん。
「だけどな、そこで踏ん張りたくなったのさ。
敵だったはずの俺を、命がけで庇い、助けてくれた、あいつの為にな」
私もルドも、頷いて話の先を勧めます。
ニューマンさんはお茶を一息に飲み干すと、喋り始めました。
―――ニューマンさんの話―――
俺は当時、Gコロニーを落っことそうとしたアホなパシリを捕まえるべく、Gコロニーとパルムを行った来たしてた。
まぁ、犯人がパシリだと言っていたのは上層だけで、俺達は念の為にパシリも視野に入れつつ、犯人探しをしていた。
その最中に出会ったのが、同じ任務を受けていた、公安部捜査課所属の平隊員の女だった。
まぁ、ことごとく俺と鉢合わせしてよ、互いに邪魔しあって、切った張ったは数知れねぇ。
そうやっているうちに、終いにゃ相手の顔や癖まで憶えちまって、仕事以外でばったり会った時には、お互いダッシュして離れる始末の間柄だった。
そして、あの日。
俺もあいつも、確実な筋だと言う上層からの通達と、それを裏付けられるだけの情報を手にして、廃都の深部へ出かけていった。
午後っから、この数十年にない大嵐に見舞われて、そこで俺とあいつは鉢合わせした。
互いが目的の対象である、ワンオブサウザンドというパシリを隠匿しているって情報を鵜呑みにしたまま、な。
そして、戦った。
土砂降りの中、あっという間に体力が磨り減って、突風がすさまじくなり、立っているのがやっとだった。
その時だ、気色悪ぃ男の笑い声が辺りに響いて、その声の主は言いやがった。
「私の邪魔をする奴は、消えてもらうよ」ってな。
その直後だよ、妙なパシリが俺とあいつを襲ったのは。
ただ、その時の俺は、そこへ来るまでに脚を変に痛めてて、普段どおりに動けなかったんだ。
それを気づかれないようにしてたんだが、消耗しきっていたせいで、あいつにバレちまってさ。
自分だって押されているのに、ワザワザ俺をかばいに来て、叱咤しやがった。
「自分と張り合えるだけの男が、弱った姿を見せるな」って。
ただ、その台詞を吐いたせいで、隙が出来た。
とんでもねぇ速度で飛び込んできた一体の攻撃を、あいつはもろに食らった。
それで、俺に向かって吹っ飛ばされて、俺を巻き込んで一緒に海へ落っこちた。
ただな、その前に別な物が、えらい勢いで俺に飛んできてた。
なんだと思う?
今になったって、未だに俺は信じられねぇんだけど、あいつの肘から下の左腕と――左の乳房だよ。
シールドラインと、ガーディアンスーツをぶっ壊して、身体を引きちぎりやがったんだ、そのパシリは。
その時、俺は反射的に武器を投げ捨てて、その二つを両手で受け止めてた。
そして、俺達は海に落ちた。
俺は平気だったが、あいつは怪我のせいもあって気を失ってたよ。
ともかく、あいつの身体の一部だったそれをナノトランサーに放り込んで、あいつを抱えて、嵐の海を死ぬ気で泳いだ。
最悪だと思ったが、なんとか建物へ避難できた。
すぐに、自分の持てる知識を総動員して、あいつを手当てしたよ。
でも、俺の知識じゃ、腕も、乳房も、戻せなかった。
出血を止めるのがやっとだった。
俺はあいつの命を奪うつもりだったが、女を奪う気は無かった。
それなのに、俺のせいで女の一部を失っちまった。
あの時は、めちゃくちゃ後悔した。
だから、あいつが目を覚ました時に、真っ先に謝った。
そしたらあいつが、「お前が生きてて良かった、お前を倒すのは自分だからな」なんて抜かしやがる。
俺は怒ったよ。
「その身体じゃ満足に動けねぇ、生きて帰っても母親になれねぇだろうが!」ってよ。
そしたら言うんだ、「乳房なんて、片方あればミルクが与えられる。お前が気にするな」と。
あとはこんな調子だ。
「じゃぁ、帰ってからその言葉通り、やってみせろ!」
「そうはしたいが、自分には相手がいない」
「なんだ、最初から無理じゃねぇかよ」
「そんな事はない、今、捕まえた」
「ふざけるな、俺以外の誰が今ここにいる!」
「だから、お前だよ」
「お前、頭打ったか?」
「ふざけるな、しっかりと正気だ」
「やっぱり、頭打ってるだろ。さっさと寝ちまえ」
「こんな極限状態で自分を……あたしを気遣ってくれるなんて、簡単に出来る事じゃ無い。
あんたは優しいよ、それに惚れちゃったんだ」
「お前、つり橋効果って、知ってるか?」
「知ってるし、本当はそうなのかもしれない。
だけど、あたしが母親になれるかどうかの心配する奴は、あたしを心配してくれる他人は、あんたが初めて。
あたしはそれが、あたしを心配してくれるヒトがいるっていう事実が、とても嬉しい」
「ちっ、クソッ、なんつぅ女だ。
こんな場所で、こんな状態で、男を口説こうなんて、どういう神経してやがる!
とにかく、今は寝て、体力を回復しろ!
その話、生きて帰って、それでも気が変わらなければにしとけ!」
……今考えると、墓穴掘ったんだな。
後悔はしてねぇ。
結局は、こうして俺もあいつも生きてる。
それともう一つ、これはちと、アレな話だが……俺達にとっては忘れちゃいけない事がある。
廃墟を彷徨って5日間、何も食えなかった。
食い物としても使えるモノメイトは、海に落ちたあの日のうちに使い果たしていたし、怪我を治して生命力を回復するディメイトやトリメイトは、強壮作用はあっても短時間しか持たないだろ?
それに、負傷治療の生命線だったから、おいそれとは手がつけられなかった。
実際、それまでに結構な戦闘回数をこなしていたが、遭遇率を考えると安心できない手持ち数だったよ。
おまけに、2日目以降は、遭遇戦闘が終わると、スタミナが落ちていくのが手に取るように分かるんだ。
何とか食える物が手に入りゃ良かったんだが、水以外にこれっぽっちもそれらしい物が手に入らなくて、とうとう、体力の限界が来た。
その時さ、あいつが言ったのは。
「あたしの腕と乳房を、あんたは拾ったと言ってたよね」
まさかとは思ったが、その後、あいつは言ったよ。
「焼いて食べよう」って。
俺は気が狂いかけたよ、マジで。
「お前、正気か!」って、腹減ってたのも忘れて、怒鳴った。
だが、あいつは至って正気だった。
「ナノトランサーに入っていれば、植物や生の肉だって、腐敗はしない。
ヒトの肉を食べるのは、ましてやあたしの身体の肉だ、倫理に反しているし、気分も悪くなるのは分かってる。
だけど、生きて帰るには、その為の体力を得る為には、もうこれしかない。
お前はそれを持ち帰って、あたしの治療に使うつもりだろうけど、その気持ちだけ大切に貰っておく。
だから、それを出して」
散々止めたんだが、結局、俺はあいつに押し切られた。
あいつが自分で自分の肉を焼いて、二人で食った。
あいつは腕を、俺には乳房を寄越した。
不味い、その一言じゃ言い表せない、酷い味がした。
だが、二度と忘れられない味だ。
俺はあいつに、文字通り二度も身体を張って助けられた。
だから、俺は俺自身に誓った。
あいつの恩に、献身に対して、俺が出来る事をしよう。
そう、あいつに傷をつけた奴を探し出して、この手で潰す!ってよ。
★Act15
「俺は文字通り、あいつから糧と命を貰って生還した。
だから、あいつの為にも誓いを果たす。
悪いが、何があっても、それだけは譲れない」
ヒトの肉を食べた、って、あっさり言わないで下さい、すっごい気分が悪くなった……
だけど、それだけにこのヒトの決意は固いって事でしょ?
どうしよ~……
あのおっさん、私が深淵なる闇のところへ送っちゃったから、もう……
忘れたのか、我が娘よ。己の思うまま、成したい事を成せば良い。
唐突に、意識への呼びかけがありました。
我は大いなる光と共に、汝の側にあり続けるモノ。
意識に張られた薄皮を開けば、我らは汝と常に語らえる。
そして、今、汝の苦悩はその薄皮を超え、我らに伝わった。
然るべき時、然るべき場所を望め。
汝が我に送りし、この矮小な濁りきった者を届けよう。
そこで、一拍間が空きました。
ぶっちゃけ、こういうゴミを送って来るな!馬鹿者!
そして、咳払いをしたのです。
私、思わず吹き出しそうになっちゃいました。
申し訳ありません、深遠なる我が父よ。
思慮の足りない娘の愚行、お許し下さい。
分かればよい、我が娘よ。
時と場所が定まりし頃、再び我を訪ねよ。
ありがとうございます。
そこで深淵なる闇とのやり取りが終わりました。
そして意識を現実に向けると、やっぱり時間が経過していません。
さてと、どうしようかな……
このヒトを無事にここから出して、あのおっさんを捕まえる方向で舞台を作る必要が有るけど、それだって簡単にはいきそうもないし……
「一つ、訊いてもいいかな」
ルドがかなり真剣な表情でニューマンさんに尋ねます。
「なんだい?」
「その……彼女の治療だが、結局どうしたんだ?」
「……左腕は、人工義手だ。
胸は、俺が奮発して、本人すら区別が付かないくらいの最上級バイオウェアを付けさせた。
再生治療するにゃ、俺とあいつの稼ぎを合わせても、厳しくてな。
職業柄、保険も効きゃしねぇからな、全額自前は流石に厳しいのさ。
……何で、んな事訊くんだ?」
確かに、この世界では千年以上前から再生治療技術があって、四肢や臓器、脳にいたるまで、欠損した部位を培養再生させる事が可能です。
元々は治療技術でしたが、その後のニューマンの開発やキャストの人工蛋白生成に応用され、そこから更に発展して、不特定多数のヒトを治療する為の技術として確立されました。
ただ、現在ではシールドラインやスケープドール、メイト類の普及に加え、メイト類やレスタの柔軟即応性が向上した為、そこまで酷い症状になる場合が殆どありませんし、例え肉体の一部が千切れてたとしても、ある程度の形が残り、ちゃんとした医療知識があれば、負傷してから短時間の内という前提条件はあるものの、現場にて復元すら可能なのです。
それに加え、キャスト開発からのフィードバック技術による安価な義肢や人工臓器などのサイバーウェアと、それよりは多少高いものの、ニューマン開発技術から発展した、ほぼ拒絶反応の無い培養蛋白からなるバイオ系サイバーウェアが登場した事もあって、欠損した部位をわざわざ時間のかかる方法で治療しなくしまったのです。
更に、医療技術の推移と共に治療装置自体も殆どが処分され、大学病院クラスに研究用としてあるかどうかという代物になってしまっています。
結果として、現在では1回に付き大体100万メセタ(円換算で約1000万円)という、かつては手軽だったそれに、馬鹿みたいな治療費がかかるようになってしまいました。
そして、滅多な理由でもないと、現在は再生治療に保険が適用されることもありません。
ですが、それでもその治療を望むヒト達がいることには変わりありません。
だって、いくら技術が進んだ今でも、患者の遺伝子を持った睾丸や卵巣は作れませんし、乳房だって母乳を出すまでには到っていないんです。
だから、このニューマンさんは、もうおいそれとは戻らない、自分が原因で彼女から『女性としての機能』を奪ってしまった罪滅ぼしの為に、彼女からの献身に報いる為に、そして、愛する彼女の為に、犯人を未だに追っていたのです。
押し黙ってしまったルド。
しばらく考え込んでいましたが、慎重に言葉を選びながら喋りだしました。
「あんたの復讐云々は、あんたの問題だから置いておくとして……
その腕と胸、元通りに治せるかも知れん。
ただ、あまり当てにするなよ、俺も確証は無いんだ」
「……マジかよ」
目を見開き、驚くニューマンさん。
「だから、あまり当てにするなと言った。
まぁ、金はかからんし、試してみて損は無い。
それに、失敗しても、今以上に悪くなることも無い。
――ただし、これは取り引きだ。
その手段を施す事を代価に、この後の俺の質問に、必ず答えてもらう」
それを聞いて、不敵に笑うニューマンさん。
「そう来るだろうと思ったぜ。
……だが、あんたなら信用できそうだ。
いいぜ、俺の名誉が守れるなら、あいつの悲しみが癒えるなら、俺は命だって惜しかぁ無い。
言ってくれ、俺が分かる範囲でなら、答える」
その返事を聞いて、ルドはゆっくり頷きました。
「あんたへの命令を出した、上層の更に上……黒幕は、誰だ」
その問いに、ニューマンさんは確証があるといって、一人の人物の名を口に乗せたのです。
―――1週間後、GRM開発局―――
「くそっ、くそっ、くそっ!
どうして僕の計画がことごとく失敗する!
わざわざテノラに情報を流してやったというのに、なんだあの様は!
あの男もあの男だ!
自信満々に言うから、手間をかけて研究施設を与えてやったというのに、たいした成果も残さずに行方不明!
連中、何処まで僕をコケにする気だ!」
その声は、広い執務室に響き渡っていた。
声の主は、まだ30代くらいの男性ヒューマン。
胸には、GRM開発局のエンブレムと、副局長を現すバッジが輝いていた。
かなり頭に血が上っているのか、手近にあった花瓶を掴み、壁へ投げつける。
花瓶は空中で緑色のアイテムパッッケージに変化し、激しく硬い音を立てて壁に当たった。
だが、誰も部屋には入ってこないし、様子を伺いに来る事も無い。
その日の昼シフトは終了していたので、秘書官も既に退社していた。
夜シフトまで残っているのは、その必要がある部署と、上級職員である部長や局長クラスくらいだった。
だが、この男が残っているのは、本来の自分の業務の為ではなかった。
「くそっ!
例のパシリを手に入れれば、手っ取り早く新技術を開発できると思ったのに……
そうすれば、ジリ貧の局長を引きずり落として、僕が局長の椅子に座れるんだ。
あの椅子は、僕のだ。
僕のなんだ!
僕が座るべき椅子なんだ!
あんな、ヒューマン以外に媚び諂う奴の場所じゃ無いんだ!
いずれ、連中を一掃する為の足がかりなんだ!
くそっ、あと一息だというのに!」
「何が、あと一息だというのかね?」
不意に、音も無く入り口のドアが開くと、そこには開発局局長が悠然と立っていた。
「こ、これは局長、こんな時間に、僕に何か用ですか?」
副局長は、今までの言動が嘘のように態度を翻し、いつものような有能且つ会社に貢献的な人物を装った。
「用があるのは、どちらかというと私ではない。
――入りたまえ、二人とも」
「「はっ、失礼します」」
その部屋に入ってきたのは、一組の男女だった。
彼らは、ガーディアンズ公安部の制服を身に纏い、制帽を被って、サングラスをはめている。
その立場から、彼らは自分達の個人的な要素が目立たないように、徹底してそれを消すのだ。
「ガーディアンズの、しかも公安部が、僕にどのような用があると?」
副局長は、あくまで白を切るために、そっけない態度をとってみせる。
「突然の来訪、ご容赦下さい。
我々、ガーディアンズ公安部へ先ごろ、GRMから不正に他企業へ金品や情報が流出している、というタレコミがありました。
本来ならば他の部署が行うべき捜査内容でしたが、社会情勢やGRMからの要請もあり、我々の部署が秘密裏に調査を行いました。
結果から申し上げます。
GRM開発局副局長、あなたを殺人及び死体遺棄、窃盗、取引禁制品である発掘Aフォトンリアクターを含めた密輸並びに密売買、特許法違反の首謀者容疑で逮捕、身柄を拘束させていただきます。
また、GRMはあなたを業務上特別背任、業務上横領の容疑で告訴するとのことです」
女性ニューマンが発言した後、男性ニューマンが端末を副局長へ提示し、逮捕状を突きつけます。
「その容疑が僕にかかっている?
いいだろう、だが、こちらも名誉毀損と誤認逮捕で訴えてやる!
――法務課!弁護士を呼べ、すぐにだ!」
執務机の端末で、局内にある法務課へ連絡を入れる副局長。
だが、反応が無い。
「法務課!誰もいないのか!」
「無駄だ、副局長。
君は、自分の手の内をすっかり調べあげられている。
君の経歴も、背景も、全てだ」
局長は淡々と言うと、普段と変わらぬ仕草で副局長を見ていた。
「一体、僕の何を調べたと?」
「君が、ヒューマン原理主義の熱狂的シンパだという事をだ。
イルミナスも滅んだというのに、まさか、未だにいるとは思いも寄らなかったよ。
しかも、この局内にだ。
そして、勿論、君の背後関係も調べた。
金流、物流、情報流、そして、ヒトの流れも末端に到るまで全て。
なおかつ、ガーディアンズによって、実行主犯も押さえられている」
「連れてきてくれ」
女性ニューマンが、開け放ったままになっているドアの向こうへ声をかけると、普通のガーディアンスーツを身に纏った男女のヒューマンが、ぼろぼろになったヒトを両脇から抱え、中に入ってきた。
「ひぇっひぇっひぇっひぇ、わらしらへひふのなふへ、まっひらほへんひゃ。
みーふな、はらしてやっらろ!
おはへほはふげふ、ぜーっふまほへてだ!」
顔面が割れ、腫れ上がり、無残な姿になっている男が、何かを一生懸命に喋る。
「この男が全て吐きました。
あなたと彼とのやり取り全てを、彼が丁寧にも録音して残しておいたので、証言を誤魔化すことは不可能だと思っていただいて結構。
それでもなお、己に非が無いとおっしゃるのなら、法廷で証言してください。
それから、これは厚意からお伝えしておきますが、あなたが今まで雇われてきた弁護士達にこの件を伝えたところ、誰一人としてあなたの弁護をしたくないとおっしゃっておられましたよ」
副局長は、何も言い返せないと分かると、がっくりと膝をついて、項垂れてしまった。
「二人を連行しろ!丁重にだ!」
女性ニューマンが、再びドアの向こうへ声をかけると、更に公安部の制服を着た隊員が入ってきて、副局長と証言した男を連れて行った。
―――その後のGRM開発局副局長室―――
「なんとか、一件落着ですね」
執務室から犯人の副局長が連れ出され、ほっとした私の発言に、ルドを含めた全員が頷きました。
「全く持って、助かった。
私も情報漏えいの内偵は進めていたんだが、犯人がなかなか尻尾を出さないので困っていたところだった。
しかし、まさか彼が首謀者だったとは……」
局長さんが大きく深呼吸をし、文字通り一息つきました。
「彼は優秀な男で、副局長の座も、実力で就いた。
後は、それなりの経験を積ませて、私の後任として局長に推薦するつもりでいたのだが、残念だよ。
幼少の頃に受けたとはいえ、他種族への嫉妬心が彼をあそこまで駆り立てていたとは……」
そう、副局長さんを調べて分かった、彼をヒューマン原理主義へ傾倒させた、そのきっかけ。
幼い頃、同じ年頃のニューマンに「ヒューマンのくせに頭いいなんて、生意気なんだよ」と言われた、それが原因でした。
そして、学校へ行くようになり、自分の頭の良さが殆どのニューマンと変わらないレベルという事実に直面しました。
種族の差から来る能力の違いにプライドを傷つけられ、嫉妬し、彼はヒューマン原理主義へと傾いていきます。
ですが、それが彼を優秀な人物へと育てた原動力でもあったというのは、なんとも皮肉な話です。
「もう終わった事ですよ、局長」
ルドの慰めにも似た一言に、局長さんは頷き、公安部隊員達、つまり捜査課の副班長さんと、諜報部に捕らわれていたニューマンさんに向き直ると右手を差し出しました。
「君達には感謝している。
社会的にこの事件が漏れる前に対応出来たのは、君達のおかげだと聞いている。
お礼といっては何だが、何か困った事があれば、連絡をくれたまえ。
私が出来る範囲で、君達に助力しよう」
「ありがとうございます」
二人は礼を言うと、局長さんと代わる代わる握手をし、最後に敬礼して立ち去りました。
「では、俺達もこれで失礼します、局長」
「うむ、君達にも感謝しているよ」
ルドと局長は握手をしました。
そして、局長さんは私に向き直ると、まるで子供を扱うように私の頭を撫でました。
「今の君に枷は無い、彼と仲良くやりたまえ」
「はい。でも、頭を撫でないで下さいよぅ、私はもう……」
パシリじゃ無いんですから、という言葉を飲み込みました。
「はっはっは、すまんな、つい癖でね」
そう、局長さんって、GRM内で私と会うたびに、挨拶代わりに頭を撫でてたんですよ。
でも、もうそれも今日でお終いです。
昨日の内に局長さんと面会した私達は、今回の逮捕の件を伝えた後、研究主任さんも呼んで、私があれから、どういう経緯でこの姿に成ったのかを説明しました。
そして、今まで私をかわいがってくれた二人への感謝を込めて、私の全データを供出すると申し出ました。
ですが、二人とも首を振って、「それは必要ない」と言ったのです。
「今の人類にとって、君の進化能力は持て余すだけだ」と。
私の姉妹であるパシリ達にとっては、もしかしたら希望となるかもしれないと思ったのですが、それも違うと否定されました。
「その意志が無い者には、希望を与えても無駄にするだけだ。
それに、極秘だが、パシリがキャストへ成った前例だって、いくつもある。
真に求める意志のある者にだけ、君が道を指し示してやればいい。
君の姉妹達を思う気持ちは分かるが、それはこれから君が、君自身の手で伝える事だ。
君の父親役であった、彼のようにね」
局長さんの言葉です。
それから、私は整備主任としての任を解かれました。
私の能力と全く同じではありませんが、同様の検査システムがロールアウト目前だというのです。
そして、対PM対策室内に精神状態をケアする部署が新設される事になったとの事。
パシリの精神状態が良好だと、駆体も安定して、活動期間が長くなる事が判明したので、その対応策が採られる事になったのです。
私がインターフェースとして活動していたデータのおかげだと、二人はそれぞれに感謝してくれました。
そしてこれが、GRMにとって、私のパシリとしての役目が終わった瞬間でした。
私は局長さんを軽く抱擁し、親愛のキスを左右の頬にしました。
「今まで色々とありがとうございました」
「私も感謝している。彼と、幸せにな。
――たまには顔を見せに来てくれ、二人とも。
出来れば仕事抜きで、顔を会わせたいものだ」
「はい、そうですね」
局長さんに敬礼し、改めて挨拶を済ませた私達は、GRM開発局を後にしました。
敷地を出ると、門のすぐ近くで待っていたらしく、ニューマンさん達が私達のほうへ近づいてきました。
「あんたらにはいくら感謝しても足りねぇが、改めて礼を言わせてくれ。
本当にありがとう」
ニューマンさんが深々と頭を下げると、同様に副班長さんも頭を下げました。
「頭を上げてくれ、そこまで大した事をした憶えは無いんでね」
ルドが何時までも頭を上げようとしない二人に、いつもと変わらない口調で言ったのです。
そこでやっと、頭を上げた二人。
「そんな事は無い。
自分を負傷させた実行犯の逮捕に加え、自分の身体まで治してもらったんだ」
感慨深げに目を伏せる副班長さん。
「おいおい、その堅っ苦しい言葉づかい、止めんるじゃ無かったのか?」
副班長さんの言葉づかいにニューマンさんがつっこむと、彼女は無事に治った左腕を彼の右腕と絡め、彼の腕を左胸にわざとらしく押し付けました。
「当面は、あんたと話す時だけよ。
それに、そうそう癖って抜けないんだ。
これからゆっくりと、自分のものにしていくよ」
「そうしてくれ。
でないと、オヤジさん、可哀想だぜ?」
そうニューマンさんが言った途端、奇妙な表情になった副班長さん。
「そ、そうなのか?
だって、いつもの喋り方をあたしに教えたのは義父さんだから、てっきり……」
軽く頭を下げて左手で顔を隠し、大きな溜め息を吐いたニューマンさん。
「オヤジさんも、後悔するなら教えなきゃいいのによ……」
「あの、オヤジさんって、どなたですか?」
私が訪ねると、不意に後ろを振り向いた二人。
向こうから、あの班長さんがゆっくりと近づきていました。
「あのヒトだよ」
「自分は、義父さんの親友の娘だった。
家族ぐるみで付き合っていたんだが、自分の両親がテロの標的にされたフライヤーに乗っていて、二人とも亡くなった。
同じフライヤーに、義父さんの奥さんと二人の息子さんも乗っていた。
義父さんは、一人残された自分を引き取って、養女にしてくれたんだ。
だから自分は、ガーディアンズに入隊した。
義父さんと同じ仕事に就くことで、一人前にしてくれた事への感謝と、尊敬の気持ちを伝えたくて」
なるほど、だから取調室であんな事を言っていたのか。
義理だろうとなんだろうと、自分の子供を心配しない親なんて、親じゃありませんしね。
「お前達、何時まで油を売っている気だ。
総裁から直々に、お前達の出頭命令が来ている。
早く出頭しろ」
私達の顔がはっきり分かる所まで来てから、班長さんは二人に対して、内容とは裏腹にのんびりした口調で告げました。
「「はっ!」」
素早く敬礼した後、二人は私達に軽く会釈をして、走り去りました。
「機動警備部に手を借りるとは、いささか心苦しいが、事件が解決したのは何よりだ。
素直に礼を言わせて貰おう」
班長さんが、ルドに右手を差し出します。
軽く驚きつつ、彼は班長さんと握手しました。
「あんた、俺に、というか、機動警備部にあんまりいい印象が無いように見えたんだが、どういう心境の変化だ?」
「どうもこうも、私は別段、何処も変わっていない。
自分の信念に基づいて動いているだけだ。
ただ単に、私は機動警備部の奔放なやり方と反りが合わない……いや、違うな。
公安部という部署でのやり方が性にあっている、ただそれだけの事だ。
私は私なりのやり方で、世の中の平和を保ちたいだけだ」
「それがたまたま公安部だったって事か、なるほどね」
「諜報部も、公安部も、その点は同じだと、私は思っている」
「そうだな、同じガーディアンズだからな」
「そういう事だ」
そう言って、私に視線を向けた班長さん。
「丁度、そこのお嬢さんの立ち位置だったな、あの時にお前のGH412がいたのは。
出来れば、あのパシリにも礼を言いたかったが、ミッション中に大破したと聞いている。
パシリ好きだというお前にしてみれば、さぞ辛い事だろう」
彼は寂しさの混ざった微笑を浮かべます。
「……もう、終わった事さ。
――さて、俺達も行くか、今日の訓練時間が無くなる」
私に視線だけを向け、かるく頷く彼。
「はい、教官」
「では、捜査課班長殿、俺達はこれで失礼します」
私達が敬礼すると、班長さんも返礼し、私達は班長さんと違う方向へと歩き出しました。
それはまるで、互いの立場を表したかのように思えてなりませんでした。
暁の中、エア・バイクをすごい速度で走らせる父様。
周辺は岩砂漠でたいした障害物もないのですが、フローダーモードではなく、地表から200Rpほどの超低空を飛ぶのはかなり危険です。
だけど、そうするだけの理由がありました。
「――向こうのレーダーがメンテナンスから復旧するまで、あと4分32秒」
「ちっ、ぎりぎりか」
舌打ちをして、独白する父様。
あれから、『ナックルズ』のデータを調べて、いくつか判りました。
彼女をさらった連中は、キャッツ・クローに客として出入りしているローグスでした。
ただ、その時彼女たちを襲ったのが、クバラPMと思しき人型マシナリーが5機と、ヒトが3人。
あくまでデータでしか判断できませんが、そのクバラPM達の能力は『狂戦士』さんや『狂犬』さんばりの高火力・高機動タイプばかりで、どうがんばってもGRMのパシリには真似出来ない数値を叩き出していました。
そして、連中が『ナックルズ』を運び込んだ先が、あのオアシスからエア・バイクで15分ほど飛んだ距離の場所にある事が分かったのです。
そこがキャッツ・クローの本拠地であり、連中が『仕事』をしている場所でもありました。
それから、どうして『ナックルズ』があのオアシスに居たかと言うと、あのオアシスからやや離れた場所に、連中のゴミ捨て場代わりの枯れたオアシスが在って、そこへ捨てられたのです。
そこから、捨て易いように仮組みされただけの躯体に鞭打って、なんとか自力で抜け出したのですが、運悪くオアシスの穴から泉に落っこちてしまい、かろうじてあの洞窟に隠れたところで躯体の仮組みが完全に崩れて、非常停止となってしまったのです。
とはいえ、おかげで『ナックルズ』と再開出来て、更に、連中の警備状況に時間的な穴があることが分かリました。
監視網システムの老朽化によって、45時間稼動すると3時間のメンテナンスが必要になっていて、そのメンテは必ず早朝に行われているのです。
最初はレーダー、次は施設内のセンサー、最後はガードマシナリー管理システムの順です。
今は丁度レーダーのメンテを行っている時間なので、急いで移動しているのです。
「連中がメンテの時間をずらしていないといいんだが……」
あせりを押さえる為か、考えをわざと口にする父様。
「大丈夫ですよ父様、『ナックルズ』が施設の警備情報を持っている事にすら気づかない連中です」
私がはっきりと言うと、父様はちらりと私を見て、口の端だけで笑います。
「なるほど、ほとんどは頭がお粗末な連中ばかりか。
だが、それならどうして『ナックルズ』を捕らえたんだ?」
「それは、彼女のミッションに起因しています」
私は、吸い上げた彼女のデータをかいつまんで話し出します。
「元々、『ナックルズ』は諜報部捜査課の隊員と一緒に、各地で散発的に起きていたパシリの強奪犯人を探していました。
強奪されていたのは、ワンオブサウザンドとして各方面の組織から容疑かかけられていた個体がほとんどです」
「ワンオブサウザンド容疑の個体とは、また穏やかじゃないな」
「諜報部も、戦力増強のために探してましたからね」
「ま、そうだがな」
「困った事に、『ナックルズ』が手に入れたこのリストには、私の名前も載ってますけど、とりあえず置いておきますね。
捜査を続けるうちに、予想よりも早い段階で、彼女たちは連中のアジトを突き止めました。
ところが、潜入して警備情報を入手した直後に発見、追撃され、同僚は倒されてしまい、彼女自身はローグス達に捕縛。
『ナックルズ』を捕まえたローグスには、組織から賞金が支払われていました」
「賞金?PMに懸賞金をかけて、集めているのか?」
「はい、そうなんです。
そして、集めたパシリからデータを収集しています。
『ナックルズ』自身は、各種運動データと戦闘経験値を徹底的に分析され、最後にはローグスたちの慰み物にされて、砂漠に捨てられてしまいました。
他にも、連中のやっている事が断片的に記録されていますが、どれもこれも胸糞悪くなるものばかりです」
「だが、そこまでして、連中は何の利益があるんだ……
確かにクバラアイテム市場には、パッチやデバイスを含めたPM用クバラ商品が公認取引されてるし、最近は民生用に一部機能をオミットした、安価なクバラPMが普及しているのも確かだ。
それ用にリバースエンジニアリングを行って、情報を売るというのも分かるが、それなら通常のPMでかまわないはずだ」
父様の声には、疑惑の念がたっぷりと篭っています。
「わかりません。
ただ、現在の連中の動きは、高出力だったり、高機動だったりするパシリに重点を置いているのは確かです」
「ふぅむ……」
「それと、父様。SMSってご存知ですか?
『ナックルズ』の聴覚ログに、何度も記録が残っているんですけど」
「SMS?」
僅かに沈黙すると、喉の奥から絞りだすような低い声で唸りました。
「クソッたれ、そういう事か……
連中、GRMがLSSジェネレーター供出で財政的に疲弊している今、ガーディアンズのPMに対抗する商品の開発をしているんだ。
つまり、PM強奪の大本はテノラ・ワークスだ」
「対抗商品?」
「ああ。
昔、ガーディアンズ隊員専用のサポートマシナリーを発注する話が挙がった時、各メーカーによる開発競争があったんだ。
GRMのPMの対抗馬として、S・M・S、サポートマシナリーシステムという名称で、テノラ・ワークスのマシナリー部門が争っている。
結果として、現在までPMが使われているが、S・M・SはPMより劣るブレインコアと感情回路を持たない点を除けば、現在でも基本スペック全てが1ランク上なんだ。
だが、実働スペックは、PMのほうが感情回路の影響でS・M・Sを上回っている。
もっとも、S・M・Sが競争に敗れた最大の理由は、テクニックが使用出来ないという点だったんだがな。
ともあれ、連中はどうしたか。
手っ取り早い方法として、PMのリバースエンジニアリングと試験による実数値をはじき出し、感情回路なんて不安定なものではなく、それを技術で乗り越えてしまおうと考えた。
それならば、噂に聞くワンオブサウザンドからデータをとって作れば、GRMすら容易に屈服できる物が出来るはずだ。
そこで、その方面に力を入れているキャッツ・クローを使って、ワンオブサウザンドの容疑がかかったPMを狩り、集めた。
これが、出揃っている情報から考えた、俺なりの推測だ」
「そうは言いますけど、そう簡単に作れるとは思えないんですけど」
「連中の技術ならそれも可能と考えたか、甘く考えているのか、それは分からん。
だが、既に数体のOoS級S・M・Sが実働しているじゃないか」
「あ、『ナックルズ』達を襲った人型マシナリー……」
「そういう事だ――見えた、あの島だ」
荒涼とした岩砂漠に突き出た、風化した岩盤の岩山――モトゥブでは砂漠を海に見立てて、飛び出した岩盤を島と呼んでいます――が見えてきました。
「あと15秒です」
「いいタイミングだ」
「残り5、4、3、2、1、0!」
0のカウントダウンと同時に、レーダーエリアからセンサーエリアへ飛び込みました。
そして、静かに速度を落として、手近な岩陰に、車体と一緒に隠れます。
「これなら、復旧時のノイズで、俺達が移動していたことも判らないだろう」
「後は、肉眼で警戒していないといいですけど……」
「だから、この時間を選んだのさ。
どんなに警戒していても、一番気が緩む頃合だからな」
そう言って、エア・バイクから降り、私を降ろしてくれました。
そして直ぐに、エア・バイクをフルコンシールモードに設定した父様。
フォトンミラージュが作動し、周囲の風景にエア・バイクが溶け込んでいきます。
「まずは何処へ行きますか?」
私が訪ねると、一瞬迷った様子の父様。
「まずは、警備室を制圧、次に動力室、試験動作が行われている実験エリア、最後にデータ管理室だ」
「……分かったわ、父様」
私達は武装を確認し、予定していた侵入ポイント近くまで走ります。
そして、一旦身を隠して、周囲を確認します。
「誰もいませんね」
「……無用心だが、まぁ、こんなもんか」
「行きましょう、父様」
「待て。念を入れても損はしない」
ゴーグルを掛け、入り口周辺を確認する父様。
「無用心なはずだ、入り口のまん前に、独立式のトラップがしっかり設置してある」
私、あやうく飛び込むところでした。
「どうしましょうか」
「見つけてしまえば、後は回避すればいいだけの話だ。
――壁沿いなら行けるな」
ゆっくりと近くまで寄り、壁際を慎重に歩いていく父様。
そして、中が見える位置まで着くと、そっと覗き込んで確認します。
大丈夫だったようで、そのまま入り口に立つと、私に向かってハンドサインを送ってきます。
“同じルートでここまで来い。慎重にな”
私もハンドサインで“了解”と答え、逸る気持ちを抑えて、慎重に移動しました。
最後の場所まで来ると、父様が私の手を掴んで、持ち上げるように入り口に引っ張り込みます。
急に私の口を押さえて抱えあげると、近くの岩陰に隠れる父様。
“気配を消せ”
素早くサインを出すと、息を殺し、急に動かなくなった父様。
私もあわてて、自分の出す音やレーダー波の類を止め、目を閉じてじっとしました。
……ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ。
あ、誰かが来ました。
「異常なし、っと。ふぁ~ぁっ……」
「テメェ、だらけ過ぎだ。ボスに言うぞ」
「おめぇだって、さっきは欠伸してたろ」
「ありゃ欠伸じゃねぇ、深呼吸だ!」
「けっ、ものは言いようだな……」
「しっかしよ、ほんとに来たのか?さっきのタイミングで」
「さぁな。だがよ、あのクソヒューマンはともかく、あのマシナリーが言ったんだから信用できるだろ。
でも、どうしてそこまで、たかが人型マシナリーに思い入れ出来るんだ?
俺にはさっぱりわっかんねぇよ」
「クソヒューマンがグダグダぬかしてたが、要は趣味だろう」
「趣味か、お前の同類だな」
「テメェこそ、ケツの締りがいいって、何回も犯ってたろう」
「ぬかせ。おめぇこそ、何体もとっかえひっかえ犯りやがって」
Pipipi.
「っと、次の場所へ行く時間だ」
「くそっ、いつもなら寝てる時間だってのに、侵入者さまさまだぜ」
ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ……
息を殺したまま、小さく溜め息をつく父様と私。
どうやら、巡回だったみたいで、割と早く行っちゃいました。
私を抱えたままいきなり立ち上がり、足音を殺して奥へ向かい始めた父様。
そして、すぐに足を止めて物陰に隠れます。
(父様、どういう事ですか?)
テレパスで尋ねると、いきなりおでこを指で突付かれました。
「今はテレパスを使うな。連中がどんな方法で内部を監視しているか、分からないからな。
少なからず、内部センサーが止まっていても安心できない」
私に聞こえるかどうかという、小さな声で喋る父様。
「でも、どうして直ぐに動いたのですか?」
私も小声で囁くように問います。
「連中の後を付いていけば、次の巡回が来るまでに奥へ進めるし、おまけに案内付だ」
言いながら、先を覗き込んで、再び通路を歩き出す父様。
「しかし、S・M・Sの性能を甘く見すぎていたな。
恐らくは一時的なのだろうが、警戒レーダーの代わりに使えるスペックを持ってるとは……」
父様は再び物陰に隠れて、様子を伺います。
その間、私は周囲をきょろきょろと見回しました。
アジトと言う割には、ほとんど洞窟そのままで、本当に必要な場所に最低限しか扉や平らな壁がない、お粗末な場所です。
不意に、父様がゆっくりかがみこむと、私を下ろして、ナスヨテリックを取り出し、通路に出て構えます。
え?まさか、仕掛けるの?!
シュカン!シュカン!
射撃武器にしては小さな音が二度鳴り、通路の奥を歩いていた二人が倒れます。
父様は、すかさず走り出しました。
あわてて私も後について、走ります。
その間に、ナスヨテリックからトラップに持ち替えた父様は、ローグスが倒れている場所より少し手前にある角を曲がると、トラップを投げ込んですぐさま起爆させました。
音からすると、ダメージメインではなく、状態異常系の物のようです。
「こいつらを拘束する、急げ」
中に入っていく父様について行くと、ここが警備室らしく、複数の端末や監視モニターが備えられています。
でも、『ナックルズ』が手に入れた資料とは、場所が違います。
床には、朦朧とした様子のローグスが4人、倒れていました。
父様はその4人に更に当身を入れ、気絶させると、拘束用プラスチックバンドで四肢を固め、口をテープで塞いでいきます。
私も一緒にローグス達を拘束し、最後に二人がかりで、監視機器の裏側へ4人を隠しました。
それが終わると、今度は通路のローグス2人を同様に拘束して、隠します。
父様も、わざと急所を外して当てたらしく、2人は虫の息ですが生きています。
今度は端末を操作して、配置マップを確認する父様。
「警備の配置換えをしてたか。どうりで動きが変な訳だ」
マップを見ると、洞窟の使用配分を変えて、警備を強化しています。
ですが、巡回しているらしいローグスのマーカーは、普通に配備を考えた場合より少なく、ここへ再び巡回者達が立ち寄るには、少なく見積もっても10分は余裕があります。
それだけあれば、ガーディアンズの隊員なら余裕でミッションを果たせます。
構造を頭に叩き込んだ父様が、私に声を掛けます。
「……よし、行くぞ」
「はい」
走り出そうとした父様ですが、不意に立ち止まり、端末の目立たない場所にトラップを仕掛け、その起爆スイッチを私に寄越しました。
「念のためだ、お前に渡しておく」
「了解です」
改めて走り出し、通路を奥へと進んでいくと、数えて3部屋目の前で立ち止まりました。
入り口は頑丈な扉と壁で作られていて、いかにも重要な場所だと分かります。
「ここが動力室だ。無人のはずだが、用心しろ」
ゴーグルでチェックしつつ、慎重に踏み込んでいく父様。
問題が無いと分かると、今度は伝導チューブやリアクター本体などの、目立たなく且つ壊れやすい場所を選んでトラップを仕掛けていきます。
私はその間、通路を監視します。
「――終わったぞ、次だ」
再び、私に起爆スイッチを渡し、妙な事に、今度は動力室の奥へ進んでいく父様。
「通路で行かないのですか?」
「こっちが近道だし、さっき調べたら、連中も警備してない場所なんだ」
そう言って、通風孔の網をずらして開け、中に入っていく父様。
通風孔といっても、父様ですら普通に歩ける高さと広さがあって、通路と呼んでも差し支えないくらいです。
私は心配になって、時々ゴーグルモードで調べながら歩いたのですが、センサーはメンテで止まっているし、害獣避けのトラップすら仕掛けられていませんでした。
「この通風孔って、どこへ続いているのですか?」
「さっきのマップによれば、試験エリアの実験場の側面壁だ」
『ナックルズ』の資料でも、この島の中心部は大空洞になっていて、その空洞が実働試験を行う広場になっています。
そして、その天井部分には、そこそこ大きな穴が開いています。
「つまり、そこから風を入れているのですか?」
「いや、そこはいわゆる煙突だ。
換気元の空気は、地下の洞窟を通してから入れないと、昼は暑いし、夜は寒いからな」
「考えてあるんですね」
「逆を言えば、全ての部屋はその大空洞と繋がっている事になる。
モトゥブでは、洞窟に限らず、どの施設でも似たような造りになってるからな。
――俺がこのミッションの話を聞かされた時、諜報部の本来の予定では、この換気装置を利用して、施設全体に毒ガスを流し込む予定だったんだ」
「ど、毒ガス?!」
「ああ。諜報部としては隠密裏に処理する事が前提だし、吹き飛ばしたら、資料とかが残らないからな。
だが、肝心の施設の場所が分からないし、必要な量も分からない。
そして、強襲調査出来るだけの資料が揃ったという連絡を最後に、調査していた『ナックルズ』達が行方不明。
結局、振り出しに戻った上に、残された手がかりは、たった一枚だけ送られてきた、オアシスのSSのみ。
他の案件もあって、人手はこれ以上割けないし、かといって、事情を全く知らない奴にも頼めない。
そして何より、表立ってという表現も変だが、諜報部としてこれ以上動けない」
「どうしてですか?証拠をでっち上げるとか、潜入して手に入れるとか、やり方なら色々ありますよ?」
「以前ならそれでも良かったんだが、現在は表向き、ローグスは犯罪者ではないとされているからな。
特に、キャッツ・クローという組織が、表では結構名の知れた、商品の安全を調査する会社を健全に運営しているという点が問題なんだ。
それに、その事実を諜報部が掴んだのが、つい2日前だ」
「じゃぁ、もしかして、本部側もそれを知らないとか……
というか、そんな大事な話、どうして地底湖で話してくれなかったんですか!」
「本来は機密事項で、黙秘するっていう宣誓書類に署名しないといけないレベルなんだぞ?
俺は立場上、省略が認められているけど、あんな場所で喋れる内容でもないし、喋っていい訳が無い。
お前だって、この話を聞いたからには黙秘してもらうからな」
「は~い、分かりましたよぅ……」
私の返事をどう取ったのか、「すまんな、前もって言えなくて」と、謝る父様。
「話を戻すが、ともかく、その報告が初めてだったそうだ。
その情報を得た本部は、事後の証拠提示と諜報部の人間が直接動かないという条件をつけて、強襲調査を黙認する事になった。
何故なら、その会社は運営委員会所属で、ガーディアンズへの出資会社の一つでもあるんだ。
そして、出資会社への強襲捜査は、証拠が揃わない場合には行ってはならない、という特別条項がガーディアンズ運営条項にある」
「強行すれば、名誉毀損、不法侵入、器物破損、状況によっては傷害……
それって、証拠をそろえて法廷で争いなさい、って事なんですね」
「そうなんだが、実際に犯罪を行っていても、告訴した後にもみ消されたら話にならないからな。
だから、『ナックルズ』という最低限の証拠が必要だったのさ。
そうすれば強襲調査の言い訳ができるし、それに、証拠が無いと、本部から妨害される可能性があるしな」
「黙認した本部が?」
「そいつらが一組織を正式に名乗って、自分達に不法捜査が行われてるって通報してみろ、例え本当に犯罪を犯してる連中からの通報だとしても、本部は法に則って、その調査に動かなくちゃならないんだぞ?
それに、下手にその会社名で名乗られた日には、ガーディアンズの信用はがた落ちだ」
「あ、なるほど……」
父様は苦笑して、肩をすくめました。
「ともかく、諜報部側の意向もあるが、俺自身、ワンオブサウザンドの情報が表に出ないよう、もみ消しておきたいんだ。
お前達PM全員の為にな」
ふと立ち止まった父様。
「空気の匂いが変わった。そろそろ中心部だ」
「まずはみんなの救出ですね」
「いや、予定変更だ。
『ナックルズ』の資料と、さっきのマップを照らし合わせて考えると、この排気孔を出た丁度反対側に、強奪してきたPMの保管庫というか隔離倉庫がある。
その左隣に、研究室とデータ管理室があるんだが、研究室側で隔離倉庫のセキュリティを管理している可能性がある。
そこで、順番を逆にして、研究室を押さえてデータを回収してから、救出する。
データの回収には時間がかかるし、脱出の時は、トラップを使って派手に行くから、この方がいいだろう。
いいか、残りのトラップを――」
父様は地面に簡単な絵を書きながら、設置箇所を説明してくれました。
「――に設置する、記憶しておけ」
「……憶えました」
「よし。実験場は念のため、外周沿いを移動する。
行くぞ」
「はい」
★Act10
通風孔の仕切り網をずらし、私達は実験場へと侵入しました。
ほのかに明るい程度しか光が無く、空気は妙な匂いがして、若干澱んでいますが、天井側へゆっくりと流れています。
出来るだけ足音を殺しながら、トラップを要所ごとに設置しつつ、側面壁にそって走る私達。
途中途中で、通路が口を開けているのですが、少し奥まった所に頑丈な壁と扉が設置されていて、向こうの様子が伺えません。
反対にこちらの様子も分からないでしょうから、気兼ねなく走り抜けられます。
暫く走ると、問題の研究所付近に来ました。
「あ、窓なんてついてます」
私が小声で呟くと、それに気づいた父様が、ハンドサインで“伏せろ”と指示します。
伏せた直後、窓の内側を、光が走ります。
どうも、ハンディライトを持って、巡回しているようです。
2度、3度と光が走り、その後は静かになりました。
すると、ゆっくりと窓に近づき始めた父様。
慎重に寄ると、小さな鏡を取り出して、自分は身を晒さず、間接的に内部を覗き始めました。
10秒ほどで観察を終えると、再びハンドサインを私に出します。
“ここへ来い”
“了解”
静かに、なおかつ素早く動き、父様がいる場所まで移動すると、小さな声で囁くように私へ改めて指示を出します。
「旧型だが、精密アームを持った事務用マシナリーが一機、中に配備されている。
おそらく、あれならこの研究室の最低限の情報は管理しているはずだ」
「了解、アクセスして情報を引き出すのね」
「セキュリティはあるだろうから、気をつけろ」
「うん。じゃ、いきますね」
パペットシステム起動、対象指定、完全制圧。
“パペットシステム起動、指定対象を確認、出力範囲を限定、アクセス……完了、ファイアウォールを確認、セキュリティ透過……セキュリティへの認証成功、アドミニスター権限への割り込み……完了、システムの主権限を確保”
よし、上手くいきました。
「機体を完全確保」
「了解。室内配置状況を確認後に侵入経路を確保、それが済み次第、データ保管場所と隔離倉庫のロック開放権限を取得、後は予定通りだ」
私は黙って頷き、早速このマシナリーのデータベースから必要な情報を探します。
……え、あれ?
この子って、隔離倉庫のマスター権限もあるし、ここ最近の研究データも持ってる。
これはこれでラッキーだったかな?でも、ずぼら過ぎるなぁ……
「父様、この子がデータバンクとして利用されてます」
私が困惑しながらも報告すると、目が点になった父様。
「メインデータバンクシステムは他にもありますけど、ここ最近のデータならこの子が持ってますし、ざっとチェックした限りでは改竄された形跡もありません。
それと、研究施設内の各種マスターキーも持っていましたので、データごと全てコピーしました。
キーは時間変動型のものですけど、直ぐ使う分には問題無いと思われます」
「……なんて、ずぼらな……だが、その分の手間が省ける。
念の為に、そのマシナリー経由でメインデータバンクへアクセス、データを吸い上げられるだけ吸い上げて、その後にデータ転送ウィルスとスパイウェアを流し込んでおけ」
「はい」
「データはダミーかもしれないが、無いよりはマシだ」
私は指示された事を順次、行っていきます。
ですが、どれもそこそこ時間がかかり、想定時間はじりじりと消費されていきます。
想定時間は後1分、それだけあれば、自分の残りの記憶領域容量ギリギリまでコピー出来る、と判断した瞬間。
Beep!Beep!Beep!Beep!……
『警備室だ!警備室に侵入者の痕跡だ!野郎ども、起きやがれ!とっとと侵入者を見つけて、捕まえろ!』
あっちゃ~、予想より早い!
「警備室を制圧してから9分ちょいか……向こうも流石に警戒してたようだな」
『研究エリアのセキュリティを緊急起動させる!死にたくなかったら、踏み込むな!』
「まずいな……吸い上げを中止、ウィルスとスパイウェアを流し込んだら、隔離倉庫を開放だ!」
父様が小さな声で鋭く言った直後、実験場全体に、煌々と明かりが灯りました。
小さく舌打ちしたかと思うと、私に3つ目の起爆スイッチを渡す父様。
「設置場所は憶えているな?起爆タイミングはお前に任せる」
「でも……」
「最悪の場合、お前を逃がす」
「父様!」
「ミッションが最優先だ!」
厳しい表情を浮かべ、強い語調で有無を言わせない父様。
「分かりました……」
私はつい泣きそうになり、俯いてしまいました。
「悲しそうな顔をするな、俺も死ぬ気は更々無いよ」
そう言ってちょっと笑ってから、父様は立ち上がり、ムカトランドを構えます。
そうこう言っている間に、スパイウェアがインストールを開始しました。
ここまでくれば、後は放置しても大丈夫です。
私は立ち上がって、父様の顔を見上げます。
「スパイウェアのインスト実行を確認、後は放置しても平気です」
「よし、急ぐぞ」
ジリリリリリリリリン!
『隔離倉庫の扉を開放します。実験場にいる研究員は、速やかに退去してください』
放送が終わると同時に、赤い警告灯があちこちに点灯しました。
「え?私、空けてないよ?!」
「連中、PM達をガードマシナリーに改造しやがったな」
ぎりっ、っという、すごい歯軋りをした父様。
「とにかく、通風孔まで走るぞ!」
「はいっ!」
行きと違って、帰りは実験場の真ん中を突っ切る私達。
私と父様の激しい足音に混ざって、いくつもの足音が聞こえてきました。
私が肩越しに後ろを見ると、その姿が確認できました。
「……!み、みんな、酷い格好……」
服はまちまち、四肢や眼、イヤーパーツなどは、型式違いをちぐはぐにつなぎ合わされていて、とてもパシリとは言えない姿にされてしまっています。
そのくせ、やたらと足が速いのには驚きました。
「くそっ、もっと早く、倉庫に向かったほうが良かったか」
私と同じように後ろを見ながら走る父様が、苦い声で言いました。
「でも、もうあれでは……」
「だが、制圧すれば、無傷でいける。出来るか?」
「無差別制圧なら、ほとんどオートですから、何とか」
「それでいい、やれ!」
「はいっ!」
さっきからパペットシステムは起動させたままなので、すかさず命令します。
全帯域に無差別最大広域放射、クラッシュモード、フルパワー!
“波長を全帯域に設定、範囲を通信限界エリアに設定、クラッシュモードをレギオンレベルで起動、フルパワー、ファイア!”
ガキャラン!!ガラン!!ずざざざざざ……
追撃してきたパシリ達の動きがいきなり止まり、走ってきた勢いのままで、地面を転がります。
『なんだ?!いきなりマシナリーどもが止まりやがったぞ!』
『離れろ!煙ふいたぞ!』
『逃げろッ!ミサイルザザッ』
非常事態なので、施設内回線の放送が、全エリア相互通達状態になっているのでしょう。
混乱した内容が、駄々漏れで聞こえてきます。
あちこちでマシナリーが停止した事で、大混乱になっているようです。
流石に私達も足を止め、後ろを振り返りました。
「おーおー、大騒ぎだなぁ。
ロザリィ、お前、島全体のマシナリーをクラッシュモードで止めたな?」
怒られたのかと思って、私は思わず身をすくめてしまいました。
「一番手っ取り早いやり方だったんですよぅ」
「よくやった」
私は父様に頭を撫でられました。
「んもぅ、誤解を招くような言い方しないでよ、父様。
怒られるかと思いましたよ」
「すまんすまん、そこまで思い切ったやり方をするとは思わなかったからな。
とにかく、今の内に、あのPM達を回収だ。
贅沢言ってられないから、ナノトランサーに片っ端からしまうぞ」
『それは困るね、私のおもちゃなんだ』
唐突に、放送機材を通して実験場に響く、男性の声。
『久しぶりだね、くずパシリ。ケッケッケッケ』
う、この嫌な笑い方、まさか……
『お仕置きをする為に、わざわざ父親である私がやってきたんだ、罰は受けてもらうよ』
「やっぱり!あンのクソ野郎ッ、どうしてここに!」
思わず汚い言葉が出てしまい、はっとすると、父様が驚いた表情で私を見ていました。
「お前、あいつを知ってるのか?!」
「何すっとぼけてるんですか、ご主人様!!
知ってるも何も、極北の町で出会った、あの研究者ですよ!
ほら、私とジュエルズの生みの親!
あのおっさん、どうやってガーディアンズの留置場を抜け出したんだろ」
『ケッケッケッケ、くずパシリのほうが物覚えがいいようだなぁ。
だが、それ以外を思い出したようだね、『インフィニット』』
どうやら、こちらの声を拾えるようで、私と父様の会話に割り込んできました。
でも、父様の過去を知ってたの?!
というか、父様には既知のヒトだったって事?!
「ああ、声だけになったおかげで、はっきりとな。
昔のあんたは小太りで、黄ばんだ白衣と七三分けのべったりした髪形が印象的だったから、あの時には別人だと思ったのさ。
久しいどころじゃないな、Dr.クレア。
ロザリオの台詞じゃないが、どうやって外に出てきた」
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「Dr.クレア?何者だよ、そいつ」
430さんは気になったから訊いた、という感じでしたが、ルドは苦い表情を浮かべ、私は黙ってしまいました。
「それも、おいおい話の中で分かるが、一つ教えておこう。
あいつは、俗にクレア系と呼ばれるフォトンウェポンの基礎理論を作り、それを世に産み落とした人物だ」
彼はそれだけ言うと、私に先を促すように頷きます。
----
『やっと思い出してくれたかい?『インフィニット』。
再開の記念に、疑問に答えてあげようか。
簡単な話だよ、リュクロスでの封印装置起動の時に、Gコロニーが一度、空っぽになっただろ?
あの時に扉を開けて、正面から堂々と出ただけさ。
私には別段、造作も無い事だからね』
苦虫を噛み潰した表情になって、激しく舌打ちする父様。
「面倒な奴が生きてやがった……」
「面倒って、どういう事ですか?!」
「一言で言って、天才なんだよ。
生物、電子、精神、フォトン……あらゆる部門を一人でこなす、狂気の天才科学者ってやつさ。
――不思議に思ったことは無いか?イルミナスは何故あんなに技術が進んでいたのか」
「まさか……」
『そうさ、私がイルミナスの基礎技術を作り上げた。
高出力フォトンウェポンに小型高出力リアクター、コピーキャスト、コールドスリープ、定着型ナノマシン。
基礎理論は全て、私が構築したのさ。
私を生み出したヒューマン、いや、人類に復讐する為になぁ!』
その台詞と同時に、私達に近いゲートが開いて、小さな人影がいくつも実験場に入ってきました。
パシリみたいに服を着ていなくて、キャストみたいなパーツが全体を構成しています。
これが、S・M・Sなのね。
でも、その事より、おっさんの台詞のほうが私の意識を引きつけます。
「ご、ご主人様、あのおっさん、いったい……」
「何者か、というなら、俺もよくは知らない。
ただ、あの当時に、噂では聞いたことがある。
奴は、ニューマンのプロトタイプの失敗作だ、と」
ニューマンのプロトタイプって……開発されたの、千年以上前ですよ?!
『よく知っていたね、『インフィニット』。
確かに私は、ニューマンのプロトタイプとして作られた存在だ』
私は驚きのあまり、立ち尽くしてしまいました。
「……冗談、じゃあ無かったのか、Dr」
『私は冗談が嫌いだと、私は昔、君にそう言ったじゃあないか』
「ああ、そうだったな」
ぎゅっ、と、ムカトランドの柄を握り締める父様。
「それに、無駄話も嫌いだったな」
『ああ、だが、今回は君に免じて、許可しよう。
――何が知りたいかな?』
「PM達は、元に戻せるのか?それと、そこのS・M・SはDrの作品か?」
『パシリどもは直せるよ、物理的にならね。
意識は、まぁ、発狂しているかもしれないよ。散々、意識体を調べたからね。
S・M・Sに関しては、半分は正解、半分は不正解。
基本的には、テノラの先行量産品のまんまだけど、私がリアクター交換と追加武装を施した。
ああ、そうそう、そこのパシリ達は返さないからね、私のおもちゃなんだから。
さぁ、無駄話はここまでだ。
君には死んでもらって、くずパシリは私のおもちゃの仲間になってもらうよ』
楽しそうな声で言うDr.クレア。
すると、父様は口の端だけで笑いました。
「なぁ、Dr。俺も前に言ったよな」
『何をだい?』
「どっちもお断りだ、ってな!」
同時に、ムカトランドを構えて、S・M・Sに突撃した父様。
『君が槍を使うということは、本気の本気だね。
なら、手加減は失礼だな。
やれ、S・M・S』
合図と同時に、S・M・S達が、父様めがけて走り出しました。
「!、早い!」
「今の内にPM達を拾え、ロザリィ!」
そうか、この為に父様は飛び出したのか!
「あ、はい!」
『ま、大目に見ようか。好きにしろ』
放送から聞こえて来たDr.クレアの声は、もうパシリ達に興味が無さそうな雰囲気でした。
私は出来るだけ急いで、姉妹たちをナノトランサーに回収していきました。
でも、気になって、父様のほうをちらちら見てしまいます。
S・M・Sは全部で5体、そのどれもが、素早い動きで父様を翻弄しようとしています。
ですが、父様は落ち着き払った様子でムカトランドを繰り出し、避け、ムカトランドを棒高飛びの棒代わりにして飛び上がり、その勢いで地面にムカトランドを叩きつけます。
「はぁっ!」
ズンッ!
重い響きと共に振動が伝わり、地面を揺らします。
『さすが串刺し公の息子、古の技も教えられていたか』
「ちっ、避けやがった!」
一体のS・M・Sの左腕が、胸の辺りから千切れ飛んでいます。
かすっただけとは思えない技の威力に驚きましたが、私は別な事が気になりました。
その状態なら見えるはずのリアクターは、私が知っている小型マシナリー用のどれとも違う形が覗いていたのです。
でも、何処かで見た記憶があります。
だけど、その思考作業は、おっさんの声によって邪魔されました。
『かすっただけでこの威力か、いいデータが取れる』
「!、おっさん、ご主人様のデータまで!」
『何を怒る、ここは私の庭、私の実験場だ。私が何をしようと、お前には関係無いだろう』
「ありますっ!私の大切なパートナーの秘密を暴く奴は、私の敵よ!」
その言葉を訊いたおっさんが、せせら笑います。
『はっ、たかがくずパシリが、奴のパートナー気取りかい。
あいつに釣り合うパートナーなど、この世界の何処にも存在しないよ。
そして、いたとしても、今、ここで、あいつは死ぬ!』
「え?!」
『こちらも本気で遊んであげよう!S・M・S、Sフォームを起動しろ』
その言葉を合図に、とつぜん動きを止めたS・M・S達。
それと同時に黒い霧のようなものが機体を包みこみ、霧が晴れると、そこには何もいません。
ですが、父様は突然、受けの体勢を取りました。
ガギギギギン!
「クソっ、何だ、これは!動きまで変わりやがった!」
攻撃を受け止めた父様が、驚きを言葉に乗せ、吐き出しました。
それはそうです、受け止めたそれは、顔はどう見てもS・M・Sなのですが、見た目がかなり生物的に変化しているのです。
いえ、生物的というより、動きを含め、SEEDフォームと言っても過言じゃあ……
……ん?SEED?……リアクター?……
……あ!
そうか、そういう事ね!
「おっさん!あんた、S・M・Sに遺跡のAフォトンリアクターを組み込んだのね!
そして、SEEDウィルスを感染させた!」
「なんだと?!」
ムカトランドで大きくなぎ払い、SEED化S・M・S達を弾き飛ばす父様。
「腕がもげた奴の胸、よく見て!」
「……くっ、マジかよ!!
Dr!あんた、狂いも狂って、闇に堕ちたか!
理論上、こいつはダルク・ファキスの小型版だぞ!」
おっさんの声のするほうに顔を向け、大声で抗議する父様。
転がったかと思うと、直ぐに起き上がってきたSEED化S・M・S達。
「ご主人様、そいつらを早く倒さないと、リアクターと融合しちゃう!」
ベル・パノンのような放物線を描いて、SEED化S・M・S達が父様の懐まで飛び込みます。
それをバク転で避け、地面にムカトランドを突き立てたかと思うと、それを中心点に体全体を回転させ、SEED化S・M・S達を蹴り飛ばして、反動でムカトランドを引き抜きます。
「分かっている!だが、押し切れない!」
さっきまでと違って、一撃を当てても仰け反らなくなっているせいで、連撃を入れる隙がなかなか見つからないんです。
『……これは驚いた、まさかくずパシリが見破るとはね。
そうだよ、私が手を入れたS・M・Sには、AフォトンリアクターとSEEDウィルスが搭載されている。
だけど、ダルク・ファキスなんて、あんな出来損ないと比べられるのは心外だよ。
こいつらは、自在にSEEDフォームと通常の姿を使い分けられるんだから。
おかげで2種類の乱数設定をする手間が省けるし、能力強化もお手軽だし、何より強靭さが格段に増すのがいいね。
小型マシナリーで一番問題なのは、小さい故に耐久性能が低い事だからね』
「あんた、天才じゃなくて馬鹿よ!
こんなものを作ったら、またSEEDを呼び込んじゃうじゃない!」
私が怒鳴ると、おっさんは大爆笑しました。
『ひ、ひひひひひっ……な、何を言い出すかと思えば……ひはははっ……
正にその為に作ったというのに、何を勘違いしているんだい?
私は別に、最強の小型マシナリーを作りたかった訳じゃ無いんだ。
ハウザーの奴が失敗したから、今度は私が、自分の目的のためにやっている。
人類なんて、SEEDに喰われてしまえばいいんだよ』
「ふざけやがって!てりゃぁっ!」
いきなり飛び上がり、再び近寄ってきたSEED化S・M・S達に、ドゥース・マジャーラの二段目だけを繰り出した父様。
確かに、各PAはいくつかの動作を、段階ごとに組み合わせて作られたって聞いてますけど、だからってPAを自力でこなすなんて!
『馬鹿だな。これで、お終いだよ』
まさか、おっさんはこの瞬間を待っていたの?
この技を繰り出した直後に出来る、僅かな隙を?
だとしたら、父様が危ない!
「父様!避けてぇーっ!」
私の叫びと同時に、3体のS・M・Sが飛び掛り、着地した瞬間の父様から何かを弾き飛ばしました。
そして、私の直ぐ側に飛んできたその内の一つは、父様の服についていたナノトランサー。
直後、インナー姿になり、ナノトランサーとのリンクも切れたため、武器どころかシールドラインすら失ってしまった父様。
「しまっ……」
父様の声と同時に、私は全力で駆け出します。
『さよならだ、『インフィニット』』
ズガッ!バキバキバキッ、どびちゃっ……
一体のS・M・Sが飛び上がりざまに、SEED化した、巨大な手の形をしたクローを無防備な父様の胸に突きこみ、何かを握りながら引き出しつつ、父様を蹴り飛ばして、その反動で離れました。
蹴り飛ばされ、転がりながら仰向けになった父様。
「とうさまーっ!!」
私は周りのS・M・Sなど気にも留めず、砂地に横たわる父様に駆け寄りました。
「父様っ、父様っ、とうさまぁっ!」
『はっ、これは傑作だね。
作った私を父と呼ばず、死神と呼ばれた男を父と呼ぶのか。
さすがくずパシリ、壊れ具合も汚染廃棄物級だね』
「だまれっ、クソ野郎ッ!」
『好きなだけ罵るといいよ。でも、もうあいつは死んだ。
あ、そうだ、次はお前の番だけど、その前にいい物を見せてあげよう』
おっさんの声にあわせて、父様を殺したS・M・Sの血塗れた右手が、ゆっくりと上向きで広げられます。
そこには、抜き取られたばかりでまだ動く、父様の心臓がありました。
「ぁ、ぁぁ、ぁああ、ああああっ、返せっ!父様の心臓を、返せぇっ!!」
私が右手を伸ばして掴み取ろうとすると、他のS・M・S達が素早く取り囲んで、私の腕や肩を掴んで拘束します。
『まぁ落ち着いて、よく見てごらん。滅多に見られるものじゃないんだ』
「ふざけるなっ!今ならまだ、父様は助かるのに!」
S・M・Sの一体によって無理やりに、父様の心臓へと、視線を向けられてしまいました。
『よく見てごらん、光って綺麗だよ?』
目前まで突きつけられ、取り返したい父様の心臓を、まじまじと見せつけられます。
……え?何、これ……ナノマシン?……それだけじゃない……これは、フォトン?
そう、父様の心臓は、淡くて白い、フォトンの光を発していたのです。
『面白いだろう?あいつの心臓は特にだが、あいつとあいつのナノマシンは、フォトン侵食されているんだよ』
スピーカーの向こうから、いかにも楽しいといった雰囲気の笑い声が響きます。
『私はね、あいつと同じモノを作ろうとしたんだけど、どうにも上手く出来なくてね。
色々実験したよ。
ナノマシンを移植したり、子供を作らせてみたり……ほとんど失敗したね、あいつが特殊すぎたせいだけど。
基礎理論だけは作れたから良しとしていたけど、最近のSEED騒ぎとハウザーのおかげで急激に技術革新してくれて、実用段階までこぎつけられたんだ。
素体に使ったヒューマンは、優秀なガーディアンズだとか聞いているよ。
ヒューガとか言ったかな?あの小僧は。
いい出来だったよ。
おかげでいいデータが取れたから、後はいくらでも作れる。
だからもう、二人とも要らないんだ』
それを合図に、クローをゆっくりと閉じていくS・M・S。
「やめてっ、返してっ、お願いっ、ダメッ、離してっ」
『これで本当にさよならだ、『インフィニット』。
もう会えなくなるけど、せいせいしたよ』
み゛ちっ!
閉じられたクローから、光る赤黒いものが滴り、そして、消えてしまいました。
★Act11
私の全身から、力が抜けていきました。
それを無抵抗の証と判断したのか、S・M・S達は、私から手を離します。
私はのろり、と、顔を父様の肉体へ向けました。
胸に大穴の開いたインナー姿、蹴り飛ばされた時に髪留めも無くしてしまって、広がっている髪が顔を隠しています。
もう、身体から、命の息吹を感じません。
「おはよう、ロザリィ」
「なんだ、今日は俺が朝飯当番だろ?」
「行ってくる、留守番とジュエルズを頼むな」
「――ただいま、って、おいおい……帰って早々、大掃除かよ……」
「なんだ?一緒に風呂に入るなら、早く入ってこい、寒いだろうが」
「ああ、おやすみ。一緒に寝るなら、先にベッドに寝て……なに?……一人じゃ寝苦しいから胸を触って?
お前なぁ、ジュエルズがいなくてもそれはダメだっ……
わっ、ちょっ、飛びつむぐぐっ、っは、強引にキスするな、分かった分かった、直ぐに行くから、5分待て。
装備の点検してからだ」
私のブレインコアに父様との思い出が溢れかえって、それしか処理しなくなり始めます。
そこへ、OSからの最重要ファイルが自動で立ち上がり、処理を強制終了させました。
“所有権利者の死亡が確認されました。
この事は、GRMに即座に通達され、あなたの全管理権が再びガーディアンズに返却される事となります。
ガーディアンズ運営事項に基づき、あなたは速やかに、最寄のガーディアンズ施設に帰還してください”
私、帰りたくありません。
父様の側にいたいんです。
父様に甘えたいんです。
声を掛けてもらいたいんです。
キスして欲しいんです。
抱っこして欲しいんです。
一緒に、いろんなこと、したい……のに……
私、あなたとの約束、守ったのよ?
どうしていなくなっちゃうの?
これじゃ私、あなたの想いを受け止められないよ。
私、どうしたらいいの?
ねぇ、父様……
己の思うまま、成したい事を成せばよい。
唐突に、声が響いてきます。
音ではなく、私の意識に直接です。
お前は、光の中に闇の意思を受けて生まれた存在。
その力の源は、我に繋がっている。
あなたは、誰?
我が名は、深淵なる闇。
大いなる光と対を成すもの。
お前に分かりやすく言うならば、我が力の具現の一つは、こう呼ばれる。
ダーク・ファルスと。
或いは、こうも呼ばれる。
メギドと。
だがそれは、我を一つ所から見たに過ぎぬ。
我は光を光たらしめるモノ。
我は太極の陰なり。
私の思うまま、って、どういう意味?
聞こえぬのか、うぬの真の心の声が。
……タイ……クイ……マイ……
どうだ、聞こえただろう?
……憎い。消してしまいたい。壊したい。殺したい。あいつを。あいつ等を!
聞こえた、はっきりと。
私の中の破壊の意志。
今まで、あの人が私の代わりに背負ってくれていた闇が。
でも、もう止めなくていいんだ。
私は、私の意志で、これを解き放つ。
そうだ、それでいい。
それはお前の怒り、お前の悲しみだ。
そして、大いなる光の作りしお前の対を、お前達という太極の陽を、世界に取り戻せ。
往け、我が娘、闇の傍観者よ。
往きます!そして、世界をひっくり返してでも、彼を私の許へ取り返してやる!
『さぁ、約束通り、侵入者は抹殺したよ。
死体とそのくずパシリは回収してもらおうか』
再び、私の聴覚センサーに、あの背筋を逆なでするような声が聞こえました。
思わずOSの時計を確認しましたが、経過していた時間はたったの1秒。
さっきの、深淵なる闇と名乗った『意志』とのやり取りは、全くといいほど、時間が経っていません。
だけど、さっきまでと違って、私の心の中には、暗く重い、復讐心という火が入っていました。
周囲のゲートが開き、ローグスや研究者達がぞろぞろと、実験場に入ってきます。
そのタイミングを見計らい、私はほとんどノーモーションで、3つ目の起爆スイッチをナノトランサーから取り出し、オンにしました。
ズババババババババババン!
ぎゃぁぁぁぁぁぁあぁあああっ!!!
周囲のゲートの前に立つ、燃え続ける10個の火柱。
その中に踏み込んだローグス達が一気に燃え、のた打ち回ります。
『な、何事だい?!』
『ふざけるんじゃねぇ!!テメェ、始末したって言ってたが、ありゃあ嘘か!!』
突如聞こえてきた野太い声が、おっさんに文句を言いました。
『馬鹿を言うなよ、ヒューマンは死んでいるし、くずパシリは意識活動が……なに?馬鹿な!!』
「お生憎様。私、これくらいじゃ狂わないのよ」
『あ、ありえない!パシリの意識体にそこまで耐久性があるはずは!』
「じゃあ、私は何?
って、おっさんには関係ない事よね」
----
「そうか、それがさっき言っていた『無茶がいいほうに転がった』って事か」
430さんが確認するように言うので、私は頷きました。
「そういう事。
パシリはある意味純粋すぎて、酷いストレスが掛かると、意識体もろとも精神的に壊れちゃうからね。
この時の私は、ヒトと変わらない位の意識体と精神強度があったから、受け流せれば、十分耐えられたの」
そう言って、更に話を続けます。
----
『捕まえろ、S・M・S!』
再び私を抑えた3体のS・M・S。
そして、もう一体が私の前に回りこんで来ました。
そいつは、父様が腕をもぎ取った奴です。
胴体部分から覗いているAフォトンリアクターが、今度ははっきりと判別できました。
「こんなもの使ってるんじゃ、馬鹿みたいな出力がある訳よね。
だけどこれ、所詮は他人の力じゃない。
それに、あれだけ偉そうに言っていたけど、よく考えたら、全部他人の知恵じゃない。
おっさん、父様に天才とか言われてたけど、実はその程度?」
『なっ、ふっ、このっ!!』
「呂律も回らないって事は、大正解のようね、おっさん」
『潰せッ!』
私の目の前のS・M・Sが右手を振り上げ、うなりをあげて振り下ろされました。
一瞬、私の周囲が暗くなります。
『ははっ、黙らせたぞ、くずパシリめ』
清々したという雰囲気が丸分かりの声が、実験場に広がります。
「誰が?何を?」
私はあきれた様子も隠さないで、平然と言ってあげました。
だって、私には、カケラ一つ当たっていません。
『……ど、どうなっている?!』
「こうなっているのよ」
私は立ち上がりながら、腕を押さえているS・M・Sの手を軽く振り払うと、脆い石膏のように、S・M・Sの腕がぽっきりと折れました。
そして、5機のS・M・S達はゆっくりと倒れ、折れた腕は、床に落ちる前に、黒い霧になって消えていきます。
スピーカーは沈黙したままになりました。
私は父様から貰った大切な伊達眼鏡を外して、ナノトランサーにしまいます。
これからやる事で壊したら、父様が悲しむからです。
「じゃぁ、これから私、キレるから。
みんな、死んでね♪」
『~~!自爆しろ、S・M・S!』
『馬鹿野郎!俺らを巻き込むじゃねぇか!
テメェら、こいつを消せっ!』
『随分勝手な事を言うね、君は!それと、そのおもちゃは私の声にしか反応しないよ』
『んだとテメェ!随分と物騒なモンを俺に黙って動かしやがって!』
さっきの野太い声が、今度はおっさんと言い争い始めました。
あ~もう、五月蝿いなぁ。
え~っと、場所は……ここね。
私は、何故か施設内が手に取るように分かったので、自分に濃紫のフォトンを纏わせ、思い描いた場所へ跳びました。
そこは、かなり造りのいい、応接室みたいな場所です。
「――私を殺せば、お前達に利益は無いぞ!」
「既に十分なだけ、情報を集めた!お前なんぞ……」
「はいはい、そこまでにしてもらえる?施設中に響いて五月蝿いから」
私は、目の前で争っている二人――おっさんとローグスのボスと思われるビースト――の間に割って入りました。
「オ、オメェ!どっから来やがった!」
「何処って、実験場よ?」
「ばっ、馬鹿言うな!ここまでは完全に2ブロックは離れているんだぞ!
それをどうやって、一瞬で来たってんだ!」
「ん~、フォトンの力だけど?」
「ふざけやがって!」
さすがローグスのボス、いきなりアックスを取り出したかと思うと、躊躇せずに私へ振り下ろしてきました。
ひゅん。
だけど、妙に軽い風切り音が聞こえて、それでお終いです。
「何かしましたか?」
涼しい顔で私が言うと、蒼い顔になってぶるぶる震えるローグス・ボス。
「な、な、なんだ、俺の斧を飲み込んだ、今の黒いフォトンは」
「……まさか……メギドかい?」
おっさんが、へたり込みながら、何とかそれだけを言いました。
「あら、正解。よく知ってるのね、さすが天才」
私はにっこりと笑って、おっさんに向き直りました。
「じ、冗談じゃない!ほ、ほんとうのメギドを操る?!しかもパシリだぞ?!」
「あ~、それ、差別発言。
パシリがメギドを使えないなんて、誰が決めたの?
意識を、感情を、心を与えられた私達パシリに、奇跡が起きないとでも?」
「ひ、ひぃぃぃぃいっ!」
ローグス・ボスは、腰を抜かして、後ずさり始めました。
もっとも、必死に動いてるのに、1Rpずつ位しか移動してませんけどね。
「真のグランツと対を成す、真のメギド……
理論しか無いはず!何故、お前が、お前ごときパシリが!何故だ!」
「直接訊けば?力の源、深淵なる闇の御許へ、おっさん自身が赴いて、ね。
ただ、その前に……」
私はお団子の髪形を崩し、頭を振って、後ろに垂らします。
「私の怒りと悲しみを全て、おっさんに叩き込んであげる」
おっさんをにらみつけた私の顔は、氷のような冷たい怒りに満ちた、鬼気迫るものになっていました。
「ひ、くそ、S・M・S、こいつを倒せぇ~っ!」
その合図と共に、近くの設備の影に潜んでいた、10機のS・M・Sが飛び出し、私に襲い掛かってきました。
「ひ、ひはははっ、これで、これなら、負けない!」
「な~んだ、おっさんって、やっぱり髪一重向こう側だったのか」
「何を?!」
「いっただっきま~す♪」
私の周囲を丸く濃紫のフォトンが包み込み、その光に当たったS・M・Sを黒い霧に変えていきます。
奇妙な事に、濃紫のフォトンに包まれている私は、外から丸見えなんですよね。
その霧は、高い所から流れ落ちるような勢いで、私の躯体に吸い込まれていきました。
「ふむ、味はまぁまぁって所かしら」
「ひへへへへ、へはははは、なんて奴だ、素粒子変換して、吸収するか、10機のS・M・Sを。
面白い、面白いぞぉ、なんてバケモノだ、お前はぁ」
ブツブツ言いながら、笑い始めたおっさん。
「もうちょっと欲しいな……だけど、おっさんはイヤだし、ヒトは吸いたくないし……そうだ」
私が腕を一振りすると、周囲に壊れかけのS・M・Sが唐突に現れます。
「すばらしいっ!大掛かりなシステムも使わず、任意の空間から空間へ、物体の量子転送までするのか!」
なんか大喜びしているおっさんを無視して、私はその5機も吸収しました。
「よし、これで十分フォトンも質量も溜まったわね。
Aフォトンリアクター、結構美味しかったぁ。
ご馳走様でした~♪
――じゃあ、今までの分、しっかりとお礼をさせてもらいましょうかっ!」
再び私の周囲を濃紫のフォトンが包み込み、今度は繭を形作ります。
「これはまさか、パシリと同じ進化?いや違う、何だこれは……」
キュァァァァァァッ。
軽い音と同時に、繭が弾けました。
「あれも進化だけど、これは私なりの進化よ、おっさん」
そこに立った私は、まるっきり女性ヒューマンの外見そのものの姿になりました。
流石に裸は嫌なので、余った素材でガーディアンズスーツの初期装備一式を同時構築しましたけどね。
「は、はは、な、何て勿体無い、能力と資源の無駄遣いだ!
あれだけのことをして、ヒューマンになるなんて、随分と無駄なことをしているね、君は」
よろめきながら立ち上がったおっさんは、安っぽいハンドガンを取り出して、震える手でこちらを狙います。
ピシュン、ピシュン。
軽い音が二度響き、私にフォトンの弾が当たりました。
「ほらみろ、この程度でお前は傷つく。あれだけの能力があっても、やっぱりお前はくずだ!あははははは……ぁ?」
「傷?何処に?全然、痛くないんだけど?」
弾が当たった場所を撫でると、痕跡すら残りません。
これ以上無い位に私はあきれ返って、哀れみの眼でおっさんを見ました。
「私、シールドラインも装備してないのに、それでダメージが入らないなんて……おっさん、ほんとにニューマンのプロトタイプ?」
「そ、そんな、馬鹿な」
おっさんは、私に気圧されたのか、壁までじりじりと後ずさりました。
「さて、と」
私の顔には、先ほどの鬼気迫る表情が再び浮かびました。
「――それじゃぁ、今度は私の番よ」
ぽきぽきと両手の指を鳴らしながら近づき、右手を拳の形に固めて、正拳突きの構えを取ります。
「え?あ、え?」
背後と私を交互に見ながら、混乱するおっさん。
「これは、今まで傷つけられた姉妹達の分!」
私は拳にきっちりと体重を乗せ、鋭く繰り出すその先は、おっさんの顔面!
みごしっ!
「ふごっ!」
おっさんは、背後の壁に押し返されて、倒れる事も出来ません。
「これは、心までいじられて苦しんだ、『ナックルズ』の分!」
次は左手を拳の形に構えて、返しで更に顔面に繰り出します!
めごきぃっ!
「ぐえっ」
「これは、姉妹達の事で、私のルドを怒らせた分!」
再び右拳を構え、今度は腹に繰り出します!
どごんっ!
「うおえっ!」
前のめりになるおっさん。
「これは、姉妹達の事で、私を悲しませた分!」
再び左拳、今度も腹!
ずごんっ!
「かっ、はっ!」
再度叩き込まれ、呼吸すら出来なくなったのか、痙攣を始めたおっさん。
軽くバックステプしてから両手を組み、振り上げ、
「そしてこれが!」
ハンマーを振り下ろす要領で、拳に全体重を乗せ、
「私から、最愛の男を奪った分!!」
おっさんの頭に、全力で振り下ろします。
ずごめげぎっ!
「へぎょれぁっ!あががぁぁぁぁ……」
拳が振り下ろされた勢いで床に叩きつけられた上に、私の全体重が乗った両拳がそれを追撃、おっさんの顔が潰れて、自分の両膝で自分の胸部をえぐっていました。
----
「さ、最愛の男って、お前、さらっと言うなぁ……」
頬を指先で掻きながら、居心地悪そうにもじもじする430さん。
「だって、本当だもん、ね、あなた?」
そう言って、すまし顔で彼のほうを見ると、恥ずかしそうに苦笑しながらも、頷いてくれました。
「妬けちゃうね、全くこの二人ときたら……ああ、熱い熱い」
そっぽを向いて、両手で私達を扇ぐ430さん。
ふと、リカの方を見ると、顔どころか全身を真っ赤にして、テーブルの縁につかまっています。
「話、続けていいかな?」
私が訊くと、はっとして、姿勢を戻す二人。
「あ、ああ、続けてくれよ」という、430さん。
----
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……
ついでに、逝って来なさい、深淵なる闇の御許へ!
『メギド』!」
私が右腕を一振りすると、濃紫のフォトンが重い音と共に発生し、おっさんがここにいたという形跡を、全て飲み込んでしまいました。
「ふぅ……さて、と」
振り返ると、やっと50Rpほど後退したローグス・ボスが、口の端に泡を吹きながら私を見上げていました。
「ひぃぃぃ、ばけもの、ばけものめ、くるな、くる……」
「ばっ、このっ!」
酷い言われように腹が立って、再び拳を振り上げたのですが、ローグス・ボスが胸を押さえてもがき、苦しんだかと思うと、急に静かになってしまったので、下ろしました。
そして、ゆっくり近寄って脈を取ると、ローグス・ボスのそれは止まっていました。
「あぅ、ショック死しちゃった……」
「全く、とんでもないお嬢さんね」
不意に横合いから、女性の声が聞こえました。
反射的に飛びのき、声のほうに対して身構えます。
「誰?!」
「誰、とは、また酷いご挨拶ね」
入ってきたのは、腰まである亜麻色の髪をなびかせ、ガーディアンスーツに身を包んだ、妙齢の女性です。
はっきり言って、私より美人なのが腹立ちます。
「そう警戒しないでくれる?あなたのご主人様の事でわざわざ来たのだから」
「え?」
「早くあなたも来なさい、手を貸して貰わないと、蘇生出来ないのよ」
「は、ええ?蘇生、出来るの?」
私の問いかけに対し、静かに頷く女性。
「急かすようで悪いけど、私もそんなに暇じゃないの」
女性が軽く腕を一振りすると、光の紋が地面に描かれます。
キュオン!ゥオン、ゥオン、ゥオン、ゥオン……
「これは?」
「この星系には存在しない、『リューカー』という名の、移動用テクニックよ。
さ、中に入って、向こうに跳べるから」
女性はそう言うが早いか、光の紋に入り、その場から消えてしまいました。
嘘かもしれない。でも、蘇生できるなら、なんだっていい!
私が意を決して光の紋に飛び込むと、次の瞬間には実験場のあの場所に現れました。
足元には、さっき飛び込んだ紋と同じものが光っています。
「早く、こっちよ」
女性は既に、ルドの脇に立って、待っていました。
急いで近づくと、ルドを抱きかかえるように言われました。
「しゃがんだままでいいから、抱きかかえて。
――そう、そうしたら、あなたの右手を穴の開いた所にかざして――そうそう、それでいいわ。
後は、彼に帰ってきて欲しいって、心の底から思いなさい」
「それだけ?」
「そう、それだけ。
でも、あなたの想いが強くないと成功しないから、頑張りなさい」
私は力強く頷くと、眼を閉じて、心の中でルドに呼びかけました。
帰ってきて、私の愛しいヒト、私のルド……
眼を開いてみますが、ルドの身体に変化はありません。
私の目尻に、じんわりと涙が溢れます。
「諦めないで。あなたの想いはまだまだその程度じゃないでしょう?」
「わ、分かってますっ」
再び眼を閉じ、泣きたい気持ちを押さえて、意識を集中させます。
帰ってきて、お願い!
私、あなたがいないと、自分が自分じゃ無いみたい。
ご飯も美味しくないし、お掃除も楽しくない。
何やったって、つまらない。
だって、あなたがいたから、私はいられたの。
もう、こんな辛い思いは嫌なの!
帰ってきて、ルドッ!
私は、自分の幸せだけを願うわがままな娘だけど、世界で誰よりもあなたの側にいたいと思っているの!
だからっ!
だから、お願いっ!
私と一緒に、この世界を歩いてっ!
ルドッ!!
不意に、彼の胸にかざしていた掌が熱を感じて、思わず眼を開きました。
「これは……メギド?」
そう、私の手に宿る濃紫の光は、紛れも無くメギドです。
でも、ダメージを与える訳でもなく、消滅させるわけでもありません。
優しく暖かい、不思議な闇の色。
「やっと出来たのね」
「え、えと……」
「そのままじっとしていて」
そう言って、私の右手に掌を重ねる女性。
「光も闇も、どちらも世界を構築するもの。
必ずしも光は正義ではなく、闇は悪でもない。
捉え方でどちらにでも傾く不確定なもの。
ただ、そこに、どんな想いが加わるかで、力は形を取る。
さぁ、願いなさいロザリオ、あなたの想いを全て、その力に!」
私の眼から頬を伝い、一滴の涙がルドの頬にこぼれ、彼の唇に触れます。
「私と一緒に帰ろう?ルド……」
私の想いに動かされた闇が、静かに光を招き寄せ始めました。
★Act12
気が付けば、星々が瞬く色鮮やかな宇宙に、俺はいた。
だが、気密服を着ているわけではない。
ということは、俺は死んだのだ。
そう、俺が落ち着き払っていられるのは、死にかけた時に何度も見た風景だからだ。
だが、今回はどうにも前後の記憶があやふやで、どうして死んだのか、思い出せない。
「あなたは、S・M・Sの攻撃を防具無しで喰らって、心臓をもぎ取られた。
まだまだ鍛錬が足りてないのね、この子は」
この女性の声は……
「母さん?」
「もぅ、私をただの母親呼ばわりしないでもらえる?――言ってもらえたのは、ちょっと嬉しいけど」
声はくすっと笑った。
ああ、そうか、とうとう俺にも完全な死が訪れたのか。
「あなた、もう死にたいの?」
心を見透かされたような、声の問いかけ。
「え?いや、心残りが山ほどあるが……」
反射的に泣き顔のロザリオが頭を過ぎり、俺は思わず、がしがしと頭を掻く。
「前に相棒から、『死の間際には走馬灯の如く過去を思い出すか、死んだ肉親に会う』と聞かされていたから」
「そうね、普通はそうかもしれないけど、今は違う。
だって、私はあなたの母かもしれないけど、遺伝子提供者ではありません」
「え?!」
母であって母ではない、だって?
どういう事だ、一体……
「あらあら、あの子と同じ驚き方をするのね、あなたは」
俺の驚き方を見て、誰かと比較する声。
「にしても、あんたの声、記憶にある母さんの声と、全く同じなんだが」
「それは全くの偶然でしょうね。
それに、こうやってちゃんと話す事も初めて」
そうか、遺伝子提供者であるローザ母さんじゃあ無かったのか。
「申し訳ない、勘違いしてしまった」
「謝らなくていいわ、光の傍観者。
確かに、私があなたの遺伝子提供者ではないけど、生まれる為のきっかけと力を与えたモノです。
だから、私はあなたの母であって母ではない存在。
そして、あたなは私の息子であって息子ではない存在」
「あんた……いや、あなたは、一体……」
「私は太極の陽。
私は闇を闇たらしめるモノ。
あなたに分かりやすく言うならば、私の力の具現の一つは、こう呼ばれます。
グランツと。
だけどそれは、私を一つ所から見ただけに過ぎません。
私は深遠なる闇と対を成すもの。
私の名は、大いなる光」
「大いなる、光……」
「さぁ、あなたはこれからどうしたいの?」
「俺は……」
生き返りたい、という言葉を飲み込んでしまった。
俺は迷っていた。
このまま生き返っていいのか、と。
はっきり言って、俺はまだ生きていたい。
ロザリオとの約束もあるし、あいつに教えたい事もまだ沢山ある。
しかし、いいのだろうか、俺だけが『死』を免れ続けても。
昔から、その事が頭の片隅にずっとあった。
生き物は、生まれたら必ず死ぬ。
いや、死ななければならない。
それは、生まれた時に決められた、生きる事の条件だからだ。
だからこそ、命は輝き、生きている事に意味を持つ。
何度も『死』を免れている俺は、寿命すら無視している俺は、生きていると言えるのだろうか?
俺は生きていたのだろうか?
俺はただ、生かされていただけではないのか?
俺が生きる意味は、理由は、価値は、あったのだろうか?
俺は、俺は本当に、生きていていいのか?
「そう、そこまで思いつめていたのね……」
唐突に、声が重い響きになった。
「……俺の思考は、あなたに筒抜けなのか」
俺は憮然として、気が重くなった。
「ここは全ての意識が重なる場所、思い描いた言葉は全てに伝わってしまうの」
「だとすると、沈黙は無意味だな」
俺は溜め息をつき、次いで苦笑した。
「ここにいると、悩むのが馬鹿らしくなる」
そう言っただけで、何故か、素直に開き直れた。
すると、自分の本当の気持ちが、心に浮かんできた。
生きたい。帰りたい。会いたい。愛したい、あいつを。愛されたい、彼女に、ロザリオに!
それを知って、再び苦笑したが、俺は己の心のままに従う事にした。
『パシリに手を出す変態』だと言われようが、いつの間にかあいつを好きになってしまった事はどうしようも無い。
もう、今までみたいに、他人の眼を引かないよう、周囲に注意を払う事もやめよう。
誰に何と言われようとも、俺はあいつが、ロザリオが側にいないとダメなんだ。
だから……
「俺は、生き返りたい。
生きて、あいつと――ロザリオと、あの世界で共に歩みたい。
彼女との約束を果たす為に。
俺の、彼女への想いの為に」
「やっと、自分に素直になれましたね」
なんとも嬉しそうに言う声に恥ずかしくなって、これ以上無いくらい、俺の顔は真っ赤になった。
「う、五月蝿い!めっちゃ恥ずかしいんだぞ、こっちは!
この歳になってこんな気持ちになると、照れくさすぎて、死ねるぞ!!」
「はいはい、そういう気分になるだけで、死にませんよ。
それから、誰かを愛しく想う心に、年齢は関係ありません。
さぁ、早く帰ってあげなさい、さっきからあの子が必死にあなたを呼んでますよ」
ルド!ルドッ!帰ってきて、お願い!
「ロザリィ……
あいつ、やっと俺の名前を呼ぶようになったのか……
しかも、いきなり愛称とは、嬉しいな。
――しかし、大いなる光よ、俺はどうすればいい?
今まで俺は、自力で戻った事が無いんだ」
「あなたは、闇の中に光の意志を受けて生まれた存在。
その力の源は、私に繋がっています。
その力を使いなさい、いつものように」
「いつもの、ように?」
俺はその言葉に、少々混乱した。
それはそうだ、そんなものを使った記憶が無いのに、そんな事を言われたのだ。
「あなたは、今までテクニックをずっと使えなかったはずです」
「ああ、どういう訳か、全て弾かれて習得出来なかった」
俺は頷いた後、自然と考え込む仕草になった。
「何故なら、あなたは無意識のうちに、常にグランツを放ち続けているから。
あなたに死が訪れないのは、あなた自身がグランツによって死を遠ざけているから。
あなたの中のナノマシンは、あなたが眠っていてもグランツを放ち続ける為のもの。
そう仕向けたのは、他ならぬこの私です。
でも今は、あなたのグランツは止まっているのです。
ですから、今度は自らの意志でグランツを放たなければなりません。
「だが、どうやって?」
「ただ、想いなさい、彼女を。
彼女の元へ帰りたいと」
「たった、それだけでいいのか?」
「ええ、そうですよ。
グランツとは、大いなる可能性。
ヒトはそれに『希望』という名を与えました。
メギドとは、深遠なる秩序。
ヒトはそれに『絶望』、『死』という名を与えました。
ですが、その二つは表裏一体。
そして、その本質は、どちらも方向を持たない、ただの力なのです。
光も闇も、どちらも世界を構築するものです。
必ずしも光は正義ではなく、闇は悪でもありません。
捉え方でどちらにでも傾く不確定なものです。
時には、光の力が『絶望』や『死』と呼ばれ、闇の力が『希望』と呼ばれます。
そう、どんな想いが加わるかで、力は形を取るのです。
そして、あなたに呼びかけている彼女は、闇の力であなたを呼んでいます」
「あいつが、闇の力を?」
「彼女はあなた達という太極の陰、深淵の闇が生み出した、あなたと対を成す者です。
あなたがグランツを使えるように、彼女はメギドを使えます。
彼女は己の想いを闇であるメギドに乗せ、光であるあなたを呼んでいるのです。
闇は光を得なければ宇宙となれず、光は闇を得なければ星になれません。
あなた達の心が、互いを呼び合うのは必然なのです。
ですが、勘違いしないで下さい。
その心を、想いを作ったのは、貴方達二人だという事を。
それだけは信じてください、私の息子」
自分と深淵なる闇には作為が無い事を強調する声。
「分かった、信じる事にする。
他ならぬ、俺を自分の息子と言った、あなたの言葉だから。
でも、それが嘘だと分かった時は……」
「いつでもいらっしゃい。
この世界は、意識の薄皮一枚で隔てられた世界。
あなたが望めば、いつでも来る事が出来ます。
私も深遠なる闇も、いつもあなた達と共にありますから」
「分かった」
俺は拳を握り締め、意識を集中する為に眼を閉じる。
「さぁ、願いなさい、私の息子!あなたの想いの全てを、その力に注ぐのです!」
俺は帰る、あの世界に!あいつの、ロザリオの側に!
俺はその瞬間、光になった気がした。
―――キャッツクローアジト・実験場―――
集まりだした光が、ルドの全身を包み、ゆっくりと光の繭を形作っていきます。
そして、光は静かにはじけると、微細なフォトン粒子となって、まるで粉雪が舞い飛ぶように消えていきました。
再び現れた彼の姿は、すっかり傷も癒えて、何事も無かったかのように元通りになっています。
……とくん……とくん……とくん……
胸に添えられている私の掌には、彼の心臓の鼓動がしっかりと伝わってきていました。
そして、胸が大きく動くと、彼は静かに息をついたのです。
「……ルド?」
そっと呼びかけると、彼はうっすらと眼を開け、私に視線を向けてくれました。
「……おまえ……ロザリオ、なのか?」
「はい、そうですよ」
私が返事をすると、小さく苦笑する彼。
「随分、無茶をしたもんだ、お前も……」
「あなたに比べたら、大した事じゃ無いですよ」
「そうか……あれからどうなった?」
「あのおっさんは、私が深淵なる闇の処へ送っちゃいました。
S・M・S達はその……」
ちょっと言い澱んだ私を見てピンと来たらしく、ゆっくりと左手を私のお腹に当て、優しく撫でてくれました。
「お腹壊すぞ、いくらお前でもな」
「えへへ……Aフォトンリアクター、結構美味しかったですよ?」
「あれ、一応は貴重品なんだが……もう喰うなよ?」
「うん、もう食べません、というか、ああいうの、もう食べられませんよ、私。
だって、もうパシリじゃないんだもん」
しんみりと私が言うと、彼は驚いた顔になり、跳ね起きようとして咳き込みました。
そして、横に転がってうつ伏せになると、片肘をついて再び咳き込みます。
「ぐ……ごほっ、ごほっごほっ、ごほっ、げほっ!」
咳と同時に、地面に赤い斑点が描かれ、最後に小さな血の塊が落ちました。
「だ、大丈夫?」
「げほっ!……だ、大丈夫だ、喉に少し、血が溜まってただけだ、げほっ……
くそっ、鼻の中が血生臭い……」
いつもの癖で、腰のナノトランサーを探るルドですが、彼のそれはS・M・Sが弾き飛ばしてしまって、小さいものが一つ、ここから少し離れた場所に転がっています。
あれは、彼の上着の腰についていた、二つのうちの一つです。
拾いに行こうと思って、ふと周囲を見回すと、あの妙齢の女性の姿が有りませんでした。
「あれ?あのヒト、どこへ行っちゃったのかな?せめて、お礼を言いたかったのに」
私が呟くと、怪訝そうな表情で私を見上げるルド。
「どうした?」
「え?えと、ね……メイン・ナノトランサーともう一個、どこに行っちゃったかと思って……」
女性の事を言おうかと思いましたけど、とりあえず、黙っておくことにしました。
これ以上、彼に心配させたくなかったから。
「……あ~、そうか……あの時、弾き飛ばされたんだった」
やっと合点がいったらしく、ゆっくり起き上がって、うなじの辺りに手を伸ばすルド。
そこにあるはずのメイン・ナノトランサーがありません。
「しかし、あんまりのんびりしてもいられないな。
別段、連中を壊滅させた訳じゃ無いんだし」
彼はきょろきょろと辺りを見回し、何かを見つけたらしく、立ち上がりました。
そして、少し歩くと、メイン・ナノトランサーを拾い上げ、インナーのうなじの部分に装着します。
すると、ドレッサー機能が作動して、倒れる前まで着ていた服を纏いました。
その間に、私はもう一個のナノトランサーを見つけ出し、拾って彼に手渡します。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
直ぐに服へ装着し、そこからおもむろに箱ティッシュを取り出して鼻をかむ彼。
赤黒い血糊がべったりと出たものの、それは死んだ時に逆流したものです。
箱ティッシュなんて、懐かしい……
私が彼を『パパ』と呼んでいたあの頃、「泣いてばかりのお前にハンカチを使うと、何枚あっても足りない」って言って、持ち歩くようになったんだっけ。
今も持って歩いていたんだ……
「やっとすっきりした。
それじゃ、ここからさくさく出るか。
必要なものは、あらかた手に入れたしな」
血の跡を綺麗に拭い、彼は手にした箱ティッシュをムカトランドと持ち替えます。
「それはいいんですけど、私、武器無いですよ?」
「へ?……あ、そうか、今のお前は、普通の女性ヒューマンとなんら変わらないのか」
「それだけじゃなくて、ガーディアンズシステムも使えません。
というか、システム全体が私に反応してないんです。
おっさんを殴り飛ばした時はまだ反応あったんですけど、今は全然ダメです」
意識を軽く今の自分のデバイスマネージメントに向けましたけど、やっぱりガーディアンズシステム自体が存在していません。
あるのは、ほとんど生体と変わらない自前のツイン・ブレインコアと、身体の各部分、パペットシステム、電力供給も兼ねているリアクター、それとパペットシステム専用ナノトランサーだけ。
あ、そうそう、全くの余談ですけど、今の私の体内には、リアクター以外にちゃんと心臓がありますし、内臓もきちんとあったりします。
それはともかく、パシリ用のデバイスマネージメントを探すと、ありがたいことにちゃんと存在していました。
チェックすると、そっちにはガーディアンズシステムが存在するので、そちらから再接続を試みたのですが、操作自体が拒否されちゃいました。
どうも、ある種の自己保存機能が働いたみたいで、パシリに成れば使えるように設定が固定されているようです。
私はその状況を、彼に簡単に説明しました。
「おいおい、それはまずいぞ……」
「私だって困りますよぅ。
無意識のうちにこの身体とのリンクを拒絶したみたいで、気づかなかったんですよ。
パシリ側のデバイスマネージャーがちゃんと確認できただけ、まだいいかも知れませんけど……
でもどうしよう、今のままだと武器はおろか、ナノトランサーに入れちゃった姉妹達と『ナックルズ』、出せないし……
それに、私の記憶領域に『ナックルズ』の全データを吸い上げちゃってるから、このままだと、彼女を元に戻せないんだよね」
「意識体ごと吸い上げたのか?」
流石の彼も驚きます。
だって、普通はそんな事をするなら、もう一人分の本体を用意する必要があるんですから。
「彼女の意識体修復デバイスが壊れちゃってて、使い物にならないから、直ぐ治すのに私の奴を使うしか無かったんですよ。
予備のブレインコアの記憶領域空けて、丸々吸い上げたから、問題無かったですよ?
それに、私の記憶領域って、普通のパシリ以上に学習データを溜め込む必要があるから、普通のパシリの3倍以上あるし」
進化事故によって戦闘や日常会話などの基本部分が焼き付けられていたROMを失った私は、その分のデータを保持するために記憶容量を大幅に増やしています。
「全く、無茶をする……」
「でも、帰りはどうしましょうか。
今の私、クラスレベルがハンター1レベルなのはいいとして、認定1レベル相当の能力しか無いから、本当に足手まといです」
私の現状を告げ終わると、彼が私の顔をじっと見ながら、考え込みました。
ですが、それもほんのちょっとの間だけ。
彼は口の端を少しだけあげて、表情だけで笑いました。
「なら、俺がお前を守ってやればいいだけの話だ」
そう言って、左手を私に差し出し、何かを待っています。
私は何故かどぎまぎしながら頬を染め、その手を右手で握ります。
「行くぞ」「うん」
私と彼は頷きあい、そして、走り出しました。
離さない様に、しっかりと、お互いの手を握りあって。
ザザッ、ザザッ、ザザッ、ザザッ……
走っている私と彼の足音が、施設のむき出しの岩肌に反響して、辺りに響きますが、あれから一向にローグスの姿を見かけません。
「静かですね、どうしたんでしょうか」
「分からん。だが、油断すると危険だ」
「はい」
ですが、結局そのまま、私達は外へ出てしまったのです。
「経験上、こういう時は……」
急に周囲から光を浴びせかけられ、私達はまだ薄暗い空の下で、煌々と照らし出されてしまったのです。
「まぁ、お約束だな」
「あははははは……」
私が乾いた笑いをすると、「やっぱりお約束すぎだよなぁ」という、聞き覚えのある声がしました。
同時に、明かりが絞られ、私達を照らし出した人影がはっきりと判るようになりました。
「よう、お疲れさま、元班長」
私達の前に現れたのは、髪を下ろして左腕にリボンを巻きつけた、GH424――『狂戦士』さんです。
そして、私達の顔を交互に見たあと、私に向かって唇の動きだけで「お疲れ様、『指揮者』」と言うと、ウィンクして見せたのです。
ま、私の進化を見ていた彼女なら分かるとは思ってましたけど、一発で分かっちゃうのはちょっとつまんないかも。
「『狂戦士』、どうしてここへ」
ルドが驚き半分、困惑半分といった感じで尋ねると、『狂戦士』さんの後ろから別のヒトがやってきました。
「ご苦労様です、『インフィニット』」
黒い指揮官服姿の麗容な女性が、静かにやってきました。
「……部長?」「え、部長?」
そう、現れたのは、滅多に現場へ出てこない、諜報部部長そのヒトです。
これには流石に驚くしかないのですが、それよりも不信感が先に立ってしまう私達。
それは向こうも同じだったようで、私を凄く警戒しています。
「……『インフィニット』、彼女は?」
「疑問にお答えするのはかまいませんが、その呼び銘は止めていただけませんか」
「ごめんなさい。立場柄、名前を呼ばないように習慣付けていて、他に呼び方が思いつきませんでした」
部長さんのあくまで礼儀的な謝罪と答えに、諦めた様子で溜め息をつき、頷くルド。
「分かりました、好きに呼んでください。
――彼女は」
そこまで彼が言った所で、私が一歩前に出ます。
「現場へのご足労、ありがとうございます、部長。
私の事、分からないかと思いますけど、元特殊後方支援班所属の『指揮者』です」
一瞬、沈黙したかと思うと、軽く半歩右足を引いて、構えを取る部長さん。
「この場でそういう冗談は止めて欲しいですね。
それから『インフィニット』、あなたには、彼女にどれだけの情報を漏らしていたのか、説明してもらいます」
「掛け値なしに本当なんだが、まぁ、簡単には信じてもらえないだろうな……」
肩を落とし、投げやり気味に言って、嘆息するルド。
「部長、それについてはあたしが保障できるよ。
一度、同じような現場に居合わせたことがあるから。
このヒューマンが『指揮者』に間違いない」
横合いから、『狂戦士』さんが助け舟を出してくれました。
「『狂戦士』、以前にあなたからその報告は受けていません」
「変だなぁ、ちゃんと機密情報の印を入れて、直接提出したんだけど……
今、報告書の控えと、提出記録を再送信したよ」
『狂戦士』さんが、自分の記憶領域にある過去ログから、控えの電子書類を改めて部長さんの携帯端末に送ったようです。
私達に注意を払いながらも、それを改めて確認する部長さん。
「……SEEDマガシとの交戦中、敵によって『指揮者』は中破し、稼動を停止。
その後、謎のエネルギーによって進化をして再起動。
マシナリー及びキャストの制圧完了後に、再度、同じ現象を起こしてGH412に退化。
詳細な進化の状況は添付ファイルを参照の事」
わざわざ声に出して、内容を確認する彼女。
そして、添付ファイルを確認したらしく、目を見張る部長さん。
彼女の瞳には、あの時の光景が反射して映し出されていました。
「『狂戦士』さん、あの時の視覚データ、動画状態で保存してたのねっ!!
私にはSSしかくれなかったのに、ずるい!!」
私は前かがみになって『狂戦士』さんに詰め寄ると、反対に彼女が噛み付きそうな勢いで食って掛かってきたのです。
「ずるいってなんだよ!お前、あれでいいって自分で言ったじゃないか!」
「だって動画まで記録しているなんて、私、知らなかったもん!」
「諜報部のパシリは動画記録も必要だって、研修した時に教えただろう!」
「それ、初耳!
私が聞いたのは、「現場で重要な事があったときは、すかさずSSを撮れ」って事だけだよ?!
……ほら、ログ見てよ!」
自分の記憶領域にある当日のログを検索して、『狂戦士』さんに送りつけます。
「……あ、あれ?本当だ……
変だな、あたしのログには、ちゃんと記録されてるけど、なんで?」
「知らないわよ、そんな事!」
「お前達、そこまでにしておけ、話が進まないぞ」
「でもさ元班長!」「だってルド!」
ルドが仲裁に入ったのですが、今度は彼に矛先が向きかけました。
「落ち着け二人とも。
部長がさっきから、お前たちの騒ぎが終わるのを待って下さっているんだぞ」
「「……失礼しました、部長」」
私と『狂戦士』さんが敬礼して謝罪すると、小さく溜め息をついた部長さん。
そして、そこでやっと構えを解いて、私に向き直りました。
「あなたが『指揮者』だという証拠を提示して貰いたいのですけど、それは可能ですか?」
「え、えと、それは情報だけでいいのでしょうか?それとも物理的なものが必要でしょうか」
「可能ならば、後者を提示して下さい」
私はメギドの力で最終形態へ進化したのですから、メギドを使えば、一時的に退化する事も可能なはずです。
だけど、一瞬しか保たないのか、一定時間で今の姿に戻るのか、任意に変えられるのか、さっぱり分かりません。
「あ~、う~……多分、不可能じゃありませんけど、どれくらい保持できるか怪しい……」
私は思わず頭を抱えてしまいました。
「保持、って、何をするつもりだ、ロザリィ」
流石に彼にはなんとなく判っているのでしょうが、口に出さずにいられないようです。
「え、えへへ……察しついてるでしょ、あなたには」
「まぁ、な」
「大丈夫よ、完成体になっているから、どう頑張っても短時間で元に戻っちゃうはず。
とにかくやってみるね」
「……あ、ちょっと待て!」
何を思ってか、急に私を止めるルド。
「な、なに?今の私なら、別に危険は無いけど?」
「そうじゃなくて!
PMの姿になったら、直ぐに『ナックルズ』と回収したPM達をナノトランサーから引っ張り出せ!
GRMやガーディアンズのメンテサービスセンターまで行く事も考えていたが、それが出来るなら話が早い!
だからといって、何かある度にいちいちこんな事をしていたら、目立ちすぎる!」
「あ……」
すっかり忘れてました。
「お前、すっかり忘れてたな?」
彼に、半眼の怖い顔でにらみつけられてしまった私。
「え、えと、その……ごめんなさいっ!忘れてました」
「はぁ……まぁいい、頼むよ」
何かを諦めた様子で、溜め息をつきながら、私の頭を撫でる彼。
条件反射で、ついつい頬が緩んでしまいます。
「はい。じゃ、いっきま~す」
私は自分に対してメギドを発動し、かつての自分であるパシリの姿を思い描きます。
すると、身体が闇色の繭に包まれて縮小し、衣服もPM用スーツに変化、終了と同時に繭が弾けます。
もっとも、髪はお団子にしないで流しっぱなしですけど。
それと、ガーディアンズシステムもちゃんと反応して、機能します。
「ふぅ、上手くいきました」
「安堵してないで、さっさとPM達を出すんだ」
「分かってますよぅ」
移動しながら、姉妹達を1人ずづ地面に置いていき、最後に『ナックルズ』を取り出しました。
「あ、そういえば部長」
私は指示を仰ごうと思い、部長さんに顔を向けました。
「意識体が一部破損していたので、『ナックルズ』の全データを私が吸い上げたのですけど、今すぐ戻したほうがいいですか?
彼女の意識体修復デバイスはプロテクトごと壊れていたので、私に搭載されてるものを使用して、既に修復は完了してますけど」
「……」
「部長?」
ルドが部長さんの様子を伺うと、渋い表情になりそうなのを必死に堪えているようです。
「……『狂戦士』、撤退作業を任せます。
パシリ達を回収後、速やかにGコロニーへ帰還し、技術開発課へ移送して、データを集めさせなさい。
それから、『ナックルズ』の修理を最優先で行うように。
わたしは後から帰還します」
「アイアイ、マム。
――後方処理班!ここのパシリを回収して、速やかに撤収!技術開発課へ移送だ!」
『狂戦士』さんの指示で、姉妹達と『ナックルズ』はあっという間に回収され、後方処理班は『狂戦士』さん共々、1分と経たずに帰ってしまいました。
そして、気配が無くなった途端、部長さんはこめかみを押さえながら、渋い顔で大きく溜息をつきました。
同時に、私もヒューマンの姿に自然と戻ってしまいました。
「現状で『指揮者』という手駒を失うのは、痛いのですけど……
それはそれとして、あなたは彼女を、どうやってガーディアンズまで連れ帰るつもり?」
「……申し訳ありません、失念していました」
「でしょうね。
ともかく、モトゥブ支部まで戻って、惑星間移動の手段を考えましょう」
「アイ、マム」
★Act13
結局、私自身が問題となって、すんなり帰れませんでした。
まず、今の私はパシリ専用のガーディアンズシステムが全部使えません。
そして、パシリの姿に戻っても1分ほどしか維持できない上に、ガーディアンズシステムの認証IDが全ての装置に対して不正使用として弾かれてしまいます。
その所為で転送装置も使えず、PPTの旅券もガーディアンズ特別枠が使えません。
おまけにSEED騒ぎが終わって一般交通が回復した現在はどれも込み合っていて、一般航路の正規、偽造共に空席が全く取れない状況でした。
おかげで、部屋に帰ろうにも、私が帰る手立てが無なくなったんです。
そこで、諜報部の極秘ミッションで護衛対象が発生したという設定にして、部長さんがモトゥブ支部で強引に私の特別旅券を取り、ヒュマ姉さんの部屋で私を一時保護という形になりました。
その部長さんはというと、流石に疲れたらしく、ヒュマ姉さんの寝室で休んでいます。
静かにする為に寝室側へ入るわけにも行かず、マイショップにロックをかけて、私達はそこで話をすることになりました。
「――今、眠ったわ。
あの調子じゃ、過労で倒れちゃうわ、義姉さんも。
とりあえず、点滴してきたから、一眠りすれば回復するでしょ」
さすが元内科医です。
「すまん、朝早くから叩き起こしちまったな」
ルドが謝ると、ヒュマ姉さんは首を横に振って苦笑します。
「いいのよ、義姉さんの事は。
それに、いつもの事だし。
だから、おじ様がそれで気に病む必要は無いわよ」
にこやかに言った後、ルドの後ろでたたずんでいた私を見上げて、不審そうな目を向けます。
まぁ、見上げるのは仕方ありません、私のほうが頭一個は背が高いんですから。
今までは見下ろされていたのですから、なんとも不思議な感じです。
「で、この女、誰?
もしかして、おじ様のコレ?」
ルドを自分のほうへ引き寄せつつ、小指を立てる姉さん。
状況が状況だったので、何の説明も無しにここへ来ちゃったから、仕方ないといえば仕方ないけど……
姉さんなら、私の事、気づくと思ったのに……
「間違っちゃいないといえば間違っちゃいないが――」
「酷いっ!!あたしという女がいるのに、おじ様は何処でこんな女を引っ掛けてきたのよ!!」
そう言って、彼にすがり付いて泣き出しました。
――間違っているといえば間違っているんだよな、と彼が続けようとしたのでしょうが、ものの見事に割り込まれてしまいました。
私とルドは顔を見合わせて、肩をすくめます。
「――あの、ご主人様」
ルテナちゃんが、姉さんの側まで行って、あきれた様子で声をかけます。
「嘘でも泣く時は、それらしい顔になったほうがよろしいですよ?
笑い顔では、緊迫感に欠けます」
後で聞いたのですが、私と彼の視線から顔が見えなかったこの時のヒュマ姉さんは、ものすごい形相でほくそ笑んでいたそうです。
「馬鹿、こんな時につっこまなくてもいいでしょ」
「ですが……」
「横合いから、そうぽんぽんと乱入されてたまるものですか。
ロザリオだけでも面倒なのに、ジュエルズはいるわ教え子のカエデはいるわ……
これで一番近しいヒトの座まで取られたら、今まで以上に近づきにくくなっちゃうでしょ!」
普段はジュエルズの存在が強烈すぎて気づかなかったけど、言われてみれば、ヒュマ姉さんって、なんだかんだ言いながら彼の部屋に来ては、それなりにかまってもらえるまで帰ろうとしなかったかも……
「……ぷっ、くっくっくっく……」
ルドが、我慢できなくなったらしく、吹き出して笑い始めました。
「ちょっ、何よおじ様、何で笑うの?!」
ルテナちゃんが芝居だとばらしてしまったので、泣き真似をやめて、彼を見上げる姉さん。
「いや、だって……くっくっく……なぁ?」
「あ~、まぁねぇ……」
同意を求めるように私へ視線を向けるルドですが、私は困ってしまい、頬をぽりぽりと人差し指で掻きます。
「なによ、その『目と目で分かり合っちゃう二人』みたいな仕草は!
ねぇ、おじ様ったら!」
このままじゃ埒が明かないから、ちょっと事態を動かしてみようかな。
「ちょっと、ルテナちゃん」
「は、はい、なんでしょうか、お客様」
ちょいちょいと手招きして、私はルテナちゃんを呼び、近づいてきた彼女の側にしゃがみこんで、彼女の耳元でとある事を囁きます。
「ゴニョゴニョゴニョゴニョ……、でね、ゴニョゴニョ……で、ゴニョゴニョ」
段々と驚愕の表情になっていくルテナちゃんの表情は、ある意味とっても面白いものでした。
「――という訳。勿論行くよね、ルテナちゃん?」
「ええ、行かせていただきます」
真剣な表情を浮かべ、カツリ、カツリと一歩ずつ、寝室側へ進んでいくルテナちゃん。
ところが、不意に立ち止まったかと思うと、私に振り返ってこう言ったのです。
「すみません、お手数をかけるのは不本意ですが、私を抱きかかえていただけないでしょうか?
流石に手が届きませんから」
「あ、そっか。
すみません、ちょっとドレッシングルームをお借りします」
私はルテナちゃんをひょいと前向きに抱え上げて、静かに寝室側へ向かおうとします。
「え?は?はぁ……何するの、ルテナ?」
「洗面台脇、下から四つ目のナノトランサースイッチに用があります」
ギクッ、とした顔になり、慌てふためきながら、ルドから離れます。
「え?!だ、ダメ!あそこは触ったらダメだってば!!」
「いいえ!部長様が御休みされていても、コレばかりは今すぐ検めさせて頂きます!
あの方に黙ってAMPを水着(下)!に換えてしまわれるなんて、言語道断です!
――それでは、よろしくお願いします」
「はいはい、行きましょう♪」
「ちょ、まっ、それはあたしとロザリオしか知らないはずの!」
そこまで言って、自分が何を口走ったか、どんなまずい事を言ったのか、やっと気づいたヒュマ姉さん。
「……リズ」
ルドが静かにヒュマ姉さんの愛称を呼ぶと、直立不動になった姉さん。
「は、はひっ」
疲れた溜め息を吐き、げんなりしちゃったルド。
「後で、倍、稼いで来い」
「ぐっ……同じだけじゃ、ダメ?」
「駄目だ」
「そこを何とか」
彼に再びすがりつき、悲しそうな表情を浮かべて懇願するヒュマ姉さん。
ルテナちゃんが「あれ、演技ですよ」と、小声で教えてくれました。
姉さん、結構あの手の演技が上手いみたいで、普通のヒトならころっと騙されちゃいそうです。
「……あいつと二人でなら、許す。
お前達二人の責任だからな」
ルドが視線で私を指すと、それに合わせて姉さんが私を見ます。
「――酷い、ロザリオったら……秘密をばらすなんて」
やっと私が誰なのか分かったらしく、恨めしそうな顔で私を見る姉さん。
「ヒュマ姉さんが私の事、この女呼ばわりしたから、お返しですよ~だ!」
私はルテナちゃんを抱えたまま、いたずらが成功した子供のような満面の笑みを浮かべて、彼女に言い返したのでした。
「しかし、どうするかな……」
ルドが困った様子で考え込んでしまいました。
すると、不思議そうな顔で彼の顔を見るヒュマ姉さん。
「どう、って、部屋に戻るん……」
そこではたと手を打ち、納得した様子で頷きました。
「ああ、確かに困る事態ね。
……そうね、ルテナ、ちょっと伝言を頼める?」
「はい、どちらまで赴けば良いのですか?」
「おじ様の部屋へ行って、ジュエルズの誰かが居ればこう言ってあげて。
『おじ様とロザリオが長期ミッションで暫く部屋を空けるから、ロックを掛けたままにしておくように』って
もし居なければ、部屋に同様の伝言を残して来て」
「分かりました。
ロザリオさん、下ろしていただけますか?」
私が下ろすと、小さく頷くルテナちゃん。
「他ならぬお二方の為です、早速行って参ります」
「よろしくね、ルテナちゃん」
会釈をして、彼女は勢いよく走って出て行きました。
私とルテナちゃんのやり取りの間も、ヒュマ姉さんは色々と考えていました。
「――この様子だと、ロザリオがガーディアンズのネットワークから完全に切り離されているだろうから、お留守番装置も起動してないはず。
GRMと本部には、あたしが出向いて状況を確認して来ます。
一応、確認しておきますけど、おじ様のメセタカードはまだ使えますか?」
「ああ、戻る途中で買い物した時には、まだ平気だった」
「じゃあ、念の為に、各方面への生存報告はしておきます。
ロザリオの方は、ミッション中に大破、残骸も無いという報告を入れておきますけど、それでいいですか?」
「それはもう、仕方ないだろう。
開発局局長や研究主任には、俺から直接、事情を話しに行ってくるさ」
「あ、姉さん、私からGRMにルドの死亡通知が行っちゃってるけど、大丈夫かな?」
私が彼を愛称で呼んだ時、ピクッと反応しましたけど、それも一瞬だけの事でした。
「……それなら、大破した時に誤作動したという事にして、向こうへ連絡しておくから大丈夫。
おじ様も後で出向くのでしたら、その点を上手く処理してもらうように話してきて下さい」
「分かった、憶えておくよ」
「それとおじ様、帰還記録が残っているから問題無いと思いますけど、一応、医療課へ出向いて検査してきたほうが、色々と疑われずに済むと思うの」
「そうだな、それくらいは隠蔽工作した方がいいだろう」
「一番問題なのはロザリオだけど……
結局、戻ってくる時にどんな扱いにしたのかな、義姉さんは」
難しそうに考え込んでいるヒュマ姉さんに、ルドが説明を始めました。
「現地協力者を安全の為に保護、また適性があるとしてガーディアンズに推薦する、という形になっている。
一応、その為にパルムの支部でお前が保護するという事になっているが、ロザリオに戸籍は無いから、その辺をまずはでっち上げないとだな」
「でも、戸籍の偽造と改ざんなんて、義姉さんにでも頼むしか……」
なんかもう、聞いているだけで虚偽報告や違法行為のオンパレードですけど、案外と彼もヒュマ姉さんもその辺の罪悪感は無いみたいです。
嘘も方便というのでしょうか、ちょっと範囲が広すぎですけど……
でも、それ位の神経じゃないと、諜報部になんて関われないという事なんでしょうね。
「……仕方ない、久々に一族のほうへ連絡入れるか」
そこで嫌そうな顔を隠しもせず、大きく溜め息をついた彼。
「俺を担当してるあいつ、態度はそっけないくせにしつこいからなぁ……
リズ、ビジフォンを借りるぞ」
「は、はい、かまいませんけど……通話記録が残ると、後々困りませんか?」
「そっちは問題無い」
マイショップに設置されているビジフォンの前に立つと、何やら滅茶苦茶長ぁ~いアドレスを打ち込み、コール音もしないうちに相手が出ました。
『ご無沙汰しております。ご用向きをお願い致します』
淡々と喋る声がやけにルウさんに似た雰囲気なので、相手はキャストの女性だと思われます。
「問題が発生して、偽造戸籍と経歴が急遽必要となった」
『あなたの物ですか?インフィニット』
「いや、俺じゃない。
――こっちに来い、ロザリィ」
ルドの手でビジフォンの前へひっぱられ、私がカメラの正面に立たされてしまいました。
「は、初めまして……」
『……彼女の戸籍ですか』
画面に映し出されていた相手は、予想通り女性キャストさんです。
白い肌に銀の長髪、アイスブルーの瞳という、画面越しに冷たさが伝わってきそうな、まるで雪の女王みたいなヒトです。
よく見ると、諜報部特殊後方処理班の新班長さんに瓜二つです。
声は違うので、恐らくは他人の空似なんでしょうけど……なんか、気になります。
「無茶を承知で言うんだが、早く作ってもらいたいんだ」
『1分お待ち下さい』
そう言って、ビジフォンの画面が一旦待機モードに入り、丁度1分で戻りました。
『いくつかありましたが、条件のいいものが一件ありました。
モトゥブの辺境地域で、彼女と似た外見の幼女が行方不明になっています。
既に一家は離散しており、更にSEED騒ぎで該当家族とその村落は書類上から消滅していますが、その少女の戸籍のみ存続しています。
これでしたら、彼女のデータを割り込ませる事は容易に可能です。
幼少期をローグスと生活していた事にして、ある程度の年齢で一般的な家庭へ養子縁組したという記録を作り、正規の戸籍に編入させます。
そして、その縁組した家族がSEED騒ぎによって死亡、彼女だけが生き残り、モトゥブにて独立していた事にします。
縁組していた家族の候補はいくつも有りますので、自然且つ目立たない条件のものを使用します。
それから、独立して生活していた地域ですが――』
先を続けようとした女性キャストさんに、「ちょっといいか?」と、割り込むルド。
「その独立後の生活先、俺が暮らしてた極北の町に出来るかな?」
『可能です。グリーガス氏に手配をお願いしましょうか?』
「じいさんか……まぁ、驚きはするだろうが、頼まれてくれるだろう」
『分かりました、詳細を伝えて、依頼致します。
――経歴が完成しましたので、書類を送ります。
お名前は、こちらで用意したものもありますが、いかが致しますか?』
「ロザリオ・ブリジェシーで登録してくれ。
一度、行方不明になった後、自称していたとすれば問題無いレベルだろう?」
『はい、法的に改名しても問題無い年数が経過した事になっています。
それから……』
そこで一旦言いよどむ彼女。
「なんだ、らしくないなシラユキ」
『私の名前はシラユキではなく、Snow Whiteです!
個人を表す名称は、明確且つ正確にお願いします』
語調が強くなり、はっきり言う女性キャストさん
「わ、分かった分かった。ったく、どうして今日は怒るんだ……」
後半部分はほとんど呟きでしたが、どうやらシラユキというのは、彼が女性キャストさんを呼ぶ時に使う、彼女にとっては周囲に知られたくない愛称のようです。
「ともかく、さっきは言いよどんだが、何が言いたい?」
『……ぶしつけな質問で恐縮ですが、インフィニット、彼女はヒューマンですか?』
唐突にそんな質問をされてしまい、流石に沈黙してしまったルド。
「……何故、そんな質問をする?」
口調が固くなって、逆に問い返します。
『気を悪くされたのなら謝罪します。
ですが、私にはヒューマンというよりはキャストのように見受けられました。
生体情報を登録していただこうと考えたのですが、もしキャストだとすると、製造登録番号を作成する必要が生じますから』
そこで、私も彼も腕を組み、唸ってしまったのです。
「実際、登録出来るかどうかを試してみないと、何とも言えないと思う。
ヒューマンとキャストのハイブリッドみたいな身体だからなぁ……」
たとえ端的とはいえ、ルドの今の説明を聞けば、大概のヒトは驚くと思うのですが、女性キャストさんは少し目を見開いただけで済ませてしまいました。
『分かりました、とにかく一度は生体登録をしてみましょう。
――ミス・ブリジェシー、右手、左手の順に認証装置の上へ置いてください。
それが済みましたら、網膜認証を――』
などと、説明を受けながら、生体登録手続きをやってみました。
『――認証は可能ですが、この情報にはかなり問題があります』
指紋はともかく、網膜、虹彩パターン、遺伝子情報はどう見てもヒトに見えない部分があるというのです。
「俺と同じ手を使うか?」
「同じ手、って何?」
私が訪ねると、画面上にもう一人分のデータが表示されました。
「あ、私のに似てる」
「だろうな。
俺の場合は、ナノマシンによって生体改造されてるせいで、細かい部分がヒトの領分から外れているんだ。
お前には教えた事が無かったか?俺は生きてる戦略兵器だって。
こういう場合に、それが結構困った事態を招くから……」
画面上のデータに、所々『閲覧不可』の表示が加わります。
「こうに処理されてる。
自分でも時々忘れてるけど、俺は同盟政府の機密文書に登録されている、ヒューマンウェポンなんだよな。
もう型旧いし、いい加減、機密から外してもらいたいよ、ほんと。
大体、今時の連中は、ヒューマンだって俺と大差ない戦闘力持ってるんだぜ?」
そう言って、おどけてみせる彼。
「まぁ、そうですけど……問題の本質はそこじゃないと思うの。
ねぇ、Snow Whiteさん」
『何でしょうか、ミス・ブリジェシー』
「実際に彼と同じ事、出来るんですか?」
『不可能ではありません』
その一言が出てくるまで、かなりの時間の沈黙が続きました。
その間、Snow whiteさんは、私をじっと見続けていました。
『ですがそれは、あなたが自分自身を危険な存在であると、政府に自主通告するのと同じ事になります』
「分かってます」
『あなたの行動は、常時監視される事になりますが、それでも構わないのですか?』
「いままでもずっとそうだったし、あんまり変わらないもの。
それに、最低限のプライバシーは確保してもらえるんでしょ?」
『はい、緊急時以外は私生活範囲への監視はありません』
「それなら、諜報部にいた時より、ずい分緩いわね。
良かった~、お風呂とかトイレとか、エッチしてる時まで監視されたら流石にイヤだもんね」
「それは言えてる。
俺の部屋なんて、ドレッシングルーム以外は、諜報部の監視カメラとマイクがあちこち付いてたからなぁ……」
「そうよねぇ、あれから比べたら、大したこと無いもんね」
そこで彼と二人して、暢気にあははは、と笑い出してしまいました。
そんな私達を見て、あきれ返ってしまったヒュマ姉さん。
ダメだこれは、という仕草をすると、義姉さんの様子を見に行くと言って、寝室側へ行ってしまいました。
『――分かりました、ミス・ブリジェシー。あなたのデータを添付して、同盟政府へ申請手続きをさせていただきます。
そこまでお揃いにするのでしたら、いっそのこと、あなたの籍を彼の籍へ入れましょうか?』
何故か、なんか嫌みったらしいニュアンスが感じ取れる言い回しで、そんな事を言われたのですが……
「あ、頼めるか?それ」
ルドがあっけらかんと、そんな事を言ったのです。
「え?えええええええ?!そ、そそそそれって、もしかして……」
私はもう、自分が想像した事で、顔が真っ赤になってしまいました。
『分かりました、あなたとミス・ブリジェシーの婚姻届の申請手続きをしておきます。
――それでは御機嫌よう!
どうぞ勝手にお幸せになってください!!
ルドの、バカッ!!!!』
ガギャン!
何か、ものすごい音と同時に画面にノイズが走り、暫くすると回線が切断されました。
「……長い付き合いだが、声を荒げるのを初めてみた……」
「そうなの?」
「ああ。
……それになんか、最後にむちゃくちゃ怒ってたよ、な?」
「う、うん……もしかして、彼女、あなたの事が好きだったんじゃ?」
女の感とでも言えばいいのでしょうか、ふと、そんな気がしました。
「そう、なのかなぁ?
……だが、もしそうだとしても、結婚どころか付き合うことすら不可能なんだよな。
向こうは一族の中の監視役、俺は監視対象。
そんな気配を見せた瞬間、あっちは良くて刑務所、悪けりゃ……」
親指を立てた右手で首をかききる仕草をして見せた後、溜め息をつくルド。
「ま、100年も俺に付き合ってるから、そういう意識が芽生える可能性もあるだろうさ。
こんな事を言っちゃ悪いのは百も承知だが、これもいい機会だ、本当にそうなら、諦めが付くだろう」
「100年、という事は、終戦直後からずっと、か……」
私が呟くと、ゆっくり頷く彼。
「あいつもボディの更新はしているけど、基本人格と経験データはずっと継続しているから、外見が変わっても中身は同じ奴なんだよな」
「私、やっぱり、彼女みたいに100年も待てないよ」
そう言って、隣に立つ彼の腕に自分の腕を絡め、彼に寄りかかります。
「俺は待っても良かったんだ。
お前が早く成長したって、俺との経験の差が簡単に埋まるはずが無いからな。
それは、心もそうなんだぞ?」
「うん、そうだよね」
「だから、お前が――正しくはお前の心が、大人になるのを待つつもりだった。
それなのに、お前と来たら――」
私はそっと、空いている手の人差し指で彼の唇を押さえ、放します。
「それ以上、言わないで。
分かってるし、反省してる。
でも、あなたを失ったあまりの悲しさと怒りでこの姿に成っちゃうくらい、私の心はあなたでいっぱいなの。
それだけは分かって、ルド」
「ロザリィ……」
腕を組んだまま、見詰め合う私達。
そして、そのままキスをしようかと思いましたが、そこでやめました。
案の定――
ぷしゅーっ
「ただ今戻りました、ご主人様」
ルテナちゃんが帰ってきました。
やっぱりね、と、視線で会話する私達。
他所様のマイショップでやる事でも無いし、もっとお互いの気持ちを話したいし。
とりあえずは仕切りなおしすることにして、その時は、それ以上のことを話すのは止める事にしました。
★Act14
それから2時間ほどたった頃、部長さんが目を覚まし、点滴が終わった事もあって、諜報部に戻ると言ったのです。
既に起き上がって、すっかり身支度も整え終えています。
「迷惑をかけました、リズ」
「いつもの事だから気にしてませんよ、義姉さん」
Pipipi,pipipi,pipipi……
不意に、部長さんの端末から、呼び出し音が鳴りました。
直ぐに端末を起動させる部長さん。
「――私です。――そう、では直ぐに彼女を連れて行きます。準備は――――少し、待ちなさい」
一瞬、妙な表情になった部長さんが、端末を保留状態にし、私と彼を交互に見ながら、口を開きます。
「二人とも、これから諜報部へ同行してもらいます。
『指揮者』、『ナックルズ』の修復が終了したという事なので、彼女の意識体を返却してもらいます。
それと『インフィニット』、あなたも同行してもらいます」
「了解しました、部長」
彼が不思議そうな顔をしながら返答すると、軽く頷いて端末の保留を解除する部長さん。
「――待たせましたね、これから戻ります」
端末を切り、さっさと部屋を出て行きます。
それに合わせて、私達も部屋を後にします。
もう慣れっこですが、ヒュマ姉さんとルテナちゃんに挨拶する暇すらくれません。
向こうもそれを分かっているので、見送るだけにしてくれました。
――Gコロニーの諜報部エリア、技術開発課――
部長権限をフルに活用し、とんでもない速さでGコロニーにやって来ました。
部長さんの後を付いて歩く事は良くありましたけど、この姿で歩くと、なんだか不思議な感じがします。
「――お帰りなさい、部長」
とある部屋の前まで来ると、下のほうから声をかけられました。
思わず目線がそちらに向くと、そこにいたのは『魔女』さんです。
そっか、これが今の私の目線なんだ……
彼女の背が、私の股下より少し高いかな?というくらいしかないんです。
そして、それがつい今朝方までの、私の姿と重なります。
なるほど、彼もこういう視線になるから、ゆっくり喋る時間がある時は、必ず目線を合わせてくれたんだ。
思わずしんみりしてしまいましたが、それを悠長に味あわせてもらえるほど、向こうはのんびりと構えていませんでした。
「既に『ナックルズ』の修理は完了しています。
他の個体達は、現在、ブレインコアと意識体の修復を試みていますが……」
言いよどむ彼女にそっと手で合図を出し、その部屋に入っていく部長さん。
私達もその後をついて入っていくと、大して広くも無い部屋の中に整備筐体が10基ほど置かれ、その一つには綺麗に修復されたGH422が、検査衣姿で横たえられていました。
私も何回かお世話になっていますが、あまり来たい部屋ではありません。
「処置が適切だったし、人工蛋白の腐敗と汚染がほとんど無かったから、切られちゃった各部のフレームとパーツを新規のものに変更して、高速再生槽へ放り込んでみました。
ブレインコアも、だいぶ焼き切れていたので、思い切って同型の物と組み替えましたよ。
問題があるとすれば、肝心の意識体データが無いので、破損状況が何処まであったのかを調べられなかったんですけど、後で物理展開して調査しときます」
子供っぽい声色の男性技術隊員が、ぞんざいな口調で部長に報告しながら、工具棚を引っ掻き回しています。
「え~っと、直リンケーブル、直リンケーブルは~っと……」
「おい、ロザリィ」
その隊員に聞こえないように、私に囁きかけるルド。
「何?」
同様に私も小さな声で答えます。
「お前、直接接続出来るのか?」
「出来ないんですよぅ。どうしようかと思って……」
「パペットシステムは?」
「あれだと、電磁障壁が強力なこの部屋じゃ、データ欠損の危険性があるの」
「じゃあ、どうする。出直す訳にも行かないぞ」
「そうなんですけど……」
そこでふと、あのおっさんが言っていた事を思い出しました。
「すばらしいっ!大掛かりなシステムも使わず、任意の空間から空間へ、物体の量子転送までするのか!」
つまり、あの時の私は、量子転送をした、という事。
座標設定や、転送物体の量子変換、再構成をほぼイメージだけでこなしたけど、問題無く出来ちゃったのよね。
という事は、電磁波の影響が少ないって言われてる量子通信も可能かもしれない。
通信は私の能力の一部だし、物体を転送するよりは情報密度も低いから、送信量のコントロールも容易い。
ただ、どうやって情報を量子化すればいいのか……
……うん、アドレスを検索すれば、通信先は確定出来る。
問題は、普通の電波通信と違うだろうという事。
そうだ、確か彼のSSにルウさんが使っていた、視覚化している転送ゲートがあった!
それに確か、SUVウェポンも量子転送システムで送られてきたはず!
両方の公式を合わせて、基本公式を割り出して……
後は質量情報を入れずに、この場合は転送先が通信アクセスゲートだから、そこで再変換すれば!
よし、これで式を組んで……
量子変換は?メギドを使う?
……いえ、もしからしたら!
あわててパペットシステムをチェック。
すると、キャストにアクセスする為のマスターリンクシステムの他に、量子通信装置が機能拡張によって増えていました。
やっぱり!そうでないと、未来の私が過去の私に干渉できるはずがない!
これでいける!
「おい、大丈夫か?随分と汗かいてるが」
いつの間にか目を瞑っていたらしく、ゆっくりと目を開くと、心配そうなルドが私を覗き込んでいました。
「うん、大丈夫、ちょっと公式組んでいただけだから……」
「そこの姉さんがデータ持ってるんだろ?さくさく繋いで欲しいんだけどさ」
横合いからケーブルが突き出されていますが、私はそれをそっと押しのけ、整備筐体の前に立ちます。
「……よし、公式作成完了」
随分汗をかいていますが、今は気にしていられません。
「何を始める気だよ、さっさとリンクしてくれなきゃ――」
「ちょっと黙ってろ、何か考えがあるらしい」
技術隊員の肩を押さえ、引き止めてくれたルド。
私は掌をGH422の躯体にかざします。
「初めてだから、何処まで上手く行くか分からないけど……
量子通信開始、情報転送ゲート展開、アクセスポート開放」
念の為に、公式が行う動作を復唱しながら、初めての量子通信を開始しました。
掌の直ぐ下に、視覚化された情報転送ゲートが起動します。
そして同時に、情報変換ゲートがGH422の直ぐ上に出現します。
「受信側に変換アクセスゲート展開、接続……完了!」
小さなパシリの躯体が、淡く光りだしました。
「意識体の転送、開始!」
一瞬にして、私の記憶領域から、『ナックルズ』の全データが転送されました。
「データ残留量は規定値をクリア!転送、完了、ふぅ~っ……」
急激な緊張と疲労から開放された為か、一瞬、意識が飛びました。
そして、気がつくと、ルドが私を抱き上げ、さっきの部屋を出るところでした。
「あ、ルド……」
「ったく、今日は久々に無茶のオンパレードか?
まぁ、お前らしいといえば、お前らしいが」
そう言って、苦笑する彼。
流石に人目もあるので、直ぐに下ろしてもらいます。
「『ナックルズ』、どう?」
「今、再起動中だ。暫く時間がかかる。
少なからず順調だから、平気だろう。
それと、『魔女』に言われたんだが、他の用件があと2、3あるらしいから、大丈夫なら念の為に一緒に来てくれ」
「あ、うん、行きます」
軽く脚がもつれましたが、まだ大丈夫だと判断して、一緒についていきます。
「一つは、あの時の襲撃者の件だ」
「ああ、あのニューマンね」
「流石にハイエナのあだ名は伊達じゃないらしい。
全然口を割らないから、痺れを切らした捜査課の隊員が、どうしたら喋る、と訊いたら、尋問相手を指定したんだとさ」
「あ、まさか……」
「そ、俺を指名してきた。
だから、ここを辞めた俺を呼んだんだよ。
捜査課の連中も、貧乏くじ引かされたって訳だ。
まぁ、そうは言っても、騒動の種を撒いたのは俺だし、収穫はしないとなぁ、実りが無くても……」
実り、ねぇ……
……あ、あるかも。
私は近くにあった、諜報部の通路には必ず設置されている、報告用の遮音ブースの一つへ、彼を引っ張り込みます。
「なんだ、いきなり」
いきなり引っ張り込まれたせいか、訝しげに私を見る彼。
「私も同席させて。
あの時、公安部捜査課の班長さんの他に、副班長さんいたでしょ?
あのヒトが、衛生処理課の彼氏の事を心配しているって、班長さんから聞かされたの。
私を襲ったニューマンさんの事だと思うんだけど、なんとか無事に帰してあげたいの」
「なんとか、って言っても、あいつが事の真相を何処まで喋るか、分からんからなぁ」
「だからよ。
時間も無いから詳しく話せないけど、腹を割ってくれそうなネタを一つ、私が持ってるの」
彼が悩んだ様子を見せたのは、一瞬の事。
「わかった、何とか誤魔化してみよう。
そのタイミングは、お前に任せる」
「ありがと、よろしくね」
ブースを出て少し歩くと、尋問室の前には二人の隊員が立っていて、入り口を警備しています。
そして、視線だけをこちらに向けたかと思うと、一瞬だけぎょっとした表情を浮かべました。
「生きてやがる……」
片側の隊員がぼそっと漏らすと、もう一人が、ぎろりと、その隊員をにらみつけました。
「この通り、ぴんぴんしてるぞ。
――ご苦労さん。すまんな、貧乏くじ引かせちまって」
二人の肩を軽く叩いてから、後半部分を囁くと、中へ入っていく彼。
その後に続いて入っていく時、「あいつに労われたの、初めてだ」と、更に驚愕の表情になった二人の隊員が振り返ったのでした。
中に入ると、簡素な机が一つと椅子があるだけの、殺風景な部屋です。
「――俺は、お前だけを指名したはずだが」
奥の椅子には、態度だけはえらそうなあのニューマンさんが座っていました。
「余計な口は出させない。
ただ、新しい教え子なんでね、これも仕事の一環として教えておく必要があるのさ。
悪いが、勘弁してもらえないかな」
相手の出方を見てから、咄嗟に自分達を教官と生徒という役に設定し、それを会話の中で伝えてきます。
私は生徒らしく、ややぎこちない仕草で会釈をして、教官役の彼の後ろで待機します。
「……まぁ、いいだろう」
「座ってもいいか?」
彼が尋ねると、鷹揚に頷くニューマンさん。
このヒト、自分の態度がえらそうに見えるって、自覚があるのかなぁ?
「さて、それじゃ、早速質問させてもらおうかな」
「ああ」
「ああっと、その前に一つ。お前、脚は?」
そう言えば、ルドが彼の太股を踏み折ったっけ。
「……あの後に、レスタで治された。骨は綺麗に繋がった」
「そうか」
随分と簡単なやり取りですが、双方とも理解出来ています。
どうやら、その質問で本人確認をしたようです。
「それじゃ、改めて質問だ。
あの時、何故俺のPMを狙った」
「……任務だからだ」
「どんな任務だ」
「詳細は話せない。だが、特定のパシリを破壊せよ、というものだ」
「その破壊対象となっているPMは、総数何体だ」
「言えないな」
「今までに破壊できた事は」
「ある」
「あのフォーメーションは、誰が考えた」
「……俺が所属する課が考えた、とだけ言っておく」
「お前が所属する課は、どの組織のどの部だ」
「あえて確認する必要があるのか?」
その口ぶりは、既に押収品から分かっているだろう、と、暗に言っていました。
「そうは言うが、本人の口から聞きたいのさ」
ニューマンさんは、溜め息をつくと、腹をくくったらしく、その所属を口に乗せます。
「――ガーディアンズ公安部、衛生処理課だ」
「やれやれ、やっと本人から所属を喋ってくれた。
――ロザリオ、すまないがお茶を頼めないか?勿論、彼の分もだ」
「はい、教官」
私は頷き、部屋の隅に置かれていたティーポットと茶葉を使い、彼に見えるように、その場で紅茶を淹れました。
つまり、毒や自白剤は入れていない、という証拠を見せたわけです。
そして、ニューマンさん、ルドの順にお茶を出し、私自身は彼の背後に戻り、手盆で立ったまま、お茶をいただきました。
12時間ぶりくらいに口にした暖かい飲み物の為か、とても美味しく感じます。
「すみません教官、私も勝手にいただきました」
「ああ、分かっている。淹れてくれてありがとう。
――ひと段落着いたことだし、喉を潤してくれ」
そう言って、自分から飲んでみせるルド。
ニューマンさんは、暫く私達の様子を見てから、そっとカップを持ち上げて色を確認し、軽く匂いを嗅ぎ、最後に僅かに口に含んで、違和感を感じないと分かると、やっと一口、ゆっくりと飲んだのです。
もう、完璧に暗部の人間の習慣が染み付いているようです。
「あんた、食事も摂らないそうじゃないか」
そんな情報を教えてもらっていないはずですが、さも知っているように言う彼。
まぁ、ニューマンさんの顔色があまり良くないから、当て推量でしょうけど、あながち間違っていないはずです。
「……諜報部に殺された同僚なら、掃いて捨てるほど見てるからな」
「じゃあ、何故、このお茶に口をつけた」
少し間が空いて、ニューマンさんは「分からん」とだけ言いました。
「ただ……」
「ただ、なんだ?」
「……そう、悪意、とでもいうのか、それを感じなかった。
だから、かな」
そう言って、ゆっくりとカップを空にします。
私はそっとポットを取ってきて、再びニューマンさんのカップをお茶で満たしました。
それと一緒に、用意されていたお菓子も、さりげなく脇に添えます。
二杯目に口をつけ、机の上に置くニューマンさん。
「これから俺はどうなる」
「さぁな。
だが、少なからず、隠密裏に『処分』される事は無いだろう。
諜報部でこうして尋問されるケースは、俺が知る限りそう多くない。
そして、大概は黙秘を宣誓させられて、釈放だな。
もっとも、書類上は死んだ事にして、処理するケースが殆どだ。
ただ、今回はどうに扱われるか、それは部長の判断だろう」
「そうか……」
私が置いたお菓子に手を伸ばし、さっきと同様の仕草をしてから、ゆっくりと口に含むニューマンさん。
実はこのお菓子、どう見ても部長さんの手作りなんですけど、それを言ったらこのニューマンさんが錯乱しそうなので、黙っておくつもりです。
「……妙なものだ、自分の巣より、何故か今のほうが、心が落ち着く」
お菓子を平らげ、二杯目のお茶を飲み干してから、ニューマンさんがボソッと言いました。
私は改めてお茶を淹れなおし、ニューマンさんとルドの前のカップに注ぎます。
「ありがとう、お嬢さん」
「どういたしまして」
私が出涸らした葉を片付けている姿を見ながら、ニューマンさんは再び呟きました。
「俺はただ、あの時の犯人を捜したかっただけなんだ」
「犯人?」
ルドの問いに、無言で頷くニューマンさん。
「あるミッション中に、俺は妙に戦闘力の高い、謎のパシリ達に襲われ、海に落ちて死に掛けた事がある。
そのパシリ達を操っていた奴が、その時の俺に偽情報をリークしてきた奴だった。
後でそのパシリ達は、何らかの異常か故障か改造か知らないが、強力な能力を身につけた非常識な個体だという情報が、上から通達された。
その後、同様のパシリを発見し、破壊せよという命令が来た。
それを追えば、あの時の犯人に出会えるのでは、と、淡い期待を抱いて、命令をこなし続けていた。
そして、あの日、お前のパシリに出会って、俺はお前達に捕まった」
なるほど、そういうことか。
いわば、一種の復讐という奴ですね。
それに、あの時に公安部捜査課の班長さんに聞いた話の裏づけも、これで取れました。
つまり、彼が副班長さんの恋人に間違いありません。
あとは、どのタイミングで切り出すかです。
「その謎のパシリの特徴は覚えているか?」
彼の質問に対し、首を横に振って答えるニューマンさん。
「その時は酷い嵐で、殆ど暗闇に近い状態だったから、相手を確認するのすら困難だった。
……そういえば、雷の光で一瞬だけ姿を見たが、小さなキャストみたいな感じで、プロテクターか何かをつけていた気がする」
そこまで言うと、沈黙します。
あ、それってS・M・Sじゃないのかな。
妙に戦闘力の高い、って事は、もしかしたら、あのおっさんが手を加えていた物かも。
そういえば、S・M・Sの研究自体は、今でもテノラが継続しているって、随分前に研究主任さんが茶飲み話でこぼしていたっけ。
その推測と私の想像が間違っていなければ、このヒトとあの副班長さんを襲ったのは、あのおっさんという事になる。
たぶん、テノラを信用させる為にワンオブサウザンドのデータを集めていたんだろうな。
そうやって、自分の研究を行える環境を手に入れて、あのSEED化S・M・Sを作った。
でもそうすると、このヒトの復讐相手は、私が倒しちゃって、もういないことになるんだけど……
だけど、どうしてそこまで復讐の相手を探しているんだろう?
って、考えるまでもないか。
たぶん、愛ゆえに、ってやつ。
でも、今まで聞いた話の内容からすると、それだけが理由じゃ、動機がまだ弱い気がするのよねぇ……
ただ、会話に割り込むには申し分ないタイミング。
それに、この情報をちゃんと説明している暇は無かったし、後はルドが上手く振ってくれるはず。
お願いだから、釣られてね、ニューマンさん!
「申し訳ありません教官、少しよろしいでしょうか」
「なんだ、一体」
ちょっと怒った様子で私に振り返り、ニューマンさんに顔が見えない向きになってから、テレパスで(このタイミングか?)と問いかけてきます。
「今の話について、この方に一つだけ尋ねたい事があります。
その許可を頂けないでしょうか」
口にはそう出しましたが、
(うん。それに、上手くいけば、動機の本心を喋ってくれるかも)
と、テレパスで伝えます。
彼は少し考え込むふりをし、その後に小さく溜め息をついて見せます。
「まぁ、彼次第だな。
――許可するかどうかは、あんたが決めてくれて、構わない」
ルドはニューマンさんに向き直って、判断を委ねます。
「……、構わん」
態度が柔らかくなったのか、ニューマンさんが許してくれました。
後は、この話に乗ってくれるかどうかだけです。
「許可して下さり、ありがとうございます、ミスタ。
――今の話でちょっとした噂を思い出したんですけど、反目する部署の隊員が二人、ミッション中の事故で落ちた嵐の海から生還して、その後付き合っているという話を聞いた事があるんです。
あくまで噂話だったので話半分に聞いていましたが、状況が似ていたのが気になりました」
そう言って、ニューマンさんをそれとなく見ると、普段の訓練が全く役に立っていないくらい、そわそわしているのです。
良かった、反応してくれてる。
「それでふと、思いついたのですが、もし、その話が本当だとした場合に、その隊員の一方があなたの事だとすれば、相手の女性との間に何事かあって、それが任務にこだわっている動機なのではないか。
その推論から導き出された私の答えが、私からあなたへの質問でもあります。
特定のパシリを追い続けながら、犯人を捜していた動機の根幹は、女性への愛ゆえの復讐、ではないのですか?」
逸る気持ちを抑えて、淡々と尋ねてみました。
「あーっはっはっはっはっ、ひーっひっひっひっひっ……」
唐突に、大笑いし始めてしまったニューマンさん。
でもよかった、こちらの誘いに乗ってくれました。
「っくっくっくっくっく……
お嬢さん、いいカンしてるぜ、大当たりだ!
何処で聞いたか知らんが、その噂は本当の事さ。
全く、笑っちまうぜ、自分の事ながらなァ!
嵐の中で命の取りっこしてたのに、妙なパシリどもに二人とも海へと落っことされて、気がつけば廃都の最深部に二人きり!
生還してみりゃ、俺と相手は恋仲になっちまうなんて、これが笑わずにいられるかってぇの。
んで、職場に戻れば同僚の冷たい視線と上司からの過酷な追加命令、全く、イヤになったぜ」
言葉遣いがガラッと変わって、印象まで変わってしまいました。
そして突然、真顔になったニューマンさん。
「だけどな、そこで踏ん張りたくなったのさ。
敵だったはずの俺を、命がけで庇い、助けてくれた、あいつの為にな」
私もルドも、頷いて話の先を勧めます。
ニューマンさんはお茶を一息に飲み干すと、喋り始めました。
―――ニューマンさんの話―――
俺は当時、Gコロニーを落っことそうとしたアホなパシリを捕まえるべく、Gコロニーとパルムを行った来たしてた。
まぁ、犯人がパシリだと言っていたのは上層だけで、俺達は念の為にパシリも視野に入れつつ、犯人探しをしていた。
その最中に出会ったのが、同じ任務を受けていた、公安部捜査課所属の平隊員の女だった。
まぁ、ことごとく俺と鉢合わせしてよ、互いに邪魔しあって、切った張ったは数知れねぇ。
そうやっているうちに、終いにゃ相手の顔や癖まで憶えちまって、仕事以外でばったり会った時には、お互いダッシュして離れる始末の間柄だった。
そして、あの日。
俺もあいつも、確実な筋だと言う上層からの通達と、それを裏付けられるだけの情報を手にして、廃都の深部へ出かけていった。
午後っから、この数十年にない大嵐に見舞われて、そこで俺とあいつは鉢合わせした。
互いが目的の対象である、ワンオブサウザンドというパシリを隠匿しているって情報を鵜呑みにしたまま、な。
そして、戦った。
土砂降りの中、あっという間に体力が磨り減って、突風がすさまじくなり、立っているのがやっとだった。
その時だ、気色悪ぃ男の笑い声が辺りに響いて、その声の主は言いやがった。
「私の邪魔をする奴は、消えてもらうよ」ってな。
その直後だよ、妙なパシリが俺とあいつを襲ったのは。
ただ、その時の俺は、そこへ来るまでに脚を変に痛めてて、普段どおりに動けなかったんだ。
それを気づかれないようにしてたんだが、消耗しきっていたせいで、あいつにバレちまってさ。
自分だって押されているのに、ワザワザ俺をかばいに来て、叱咤しやがった。
「自分と張り合えるだけの男が、弱った姿を見せるな」って。
ただ、その台詞を吐いたせいで、隙が出来た。
とんでもねぇ速度で飛び込んできた一体の攻撃を、あいつはもろに食らった。
それで、俺に向かって吹っ飛ばされて、俺を巻き込んで一緒に海へ落っこちた。
ただな、その前に別な物が、えらい勢いで俺に飛んできてた。
なんだと思う?
今になったって、未だに俺は信じられねぇんだけど、あいつの肘から下の左腕と――左の乳房だよ。
シールドラインと、ガーディアンスーツをぶっ壊して、身体を引きちぎりやがったんだ、そのパシリは。
その時、俺は反射的に武器を投げ捨てて、その二つを両手で受け止めてた。
そして、俺達は海に落ちた。
俺は平気だったが、あいつは怪我のせいもあって気を失ってたよ。
ともかく、あいつの身体の一部だったそれをナノトランサーに放り込んで、あいつを抱えて、嵐の海を死ぬ気で泳いだ。
最悪だと思ったが、なんとか建物へ避難できた。
すぐに、自分の持てる知識を総動員して、あいつを手当てしたよ。
でも、俺の知識じゃ、腕も、乳房も、戻せなかった。
出血を止めるのがやっとだった。
俺はあいつの命を奪うつもりだったが、女を奪う気は無かった。
それなのに、俺のせいで女の一部を失っちまった。
あの時は、めちゃくちゃ後悔した。
だから、あいつが目を覚ました時に、真っ先に謝った。
そしたらあいつが、「お前が生きてて良かった、お前を倒すのは自分だからな」なんて抜かしやがる。
俺は怒ったよ。
「その身体じゃ満足に動けねぇ、生きて帰っても母親になれねぇだろうが!」ってよ。
そしたら言うんだ、「乳房なんて、片方あればミルクが与えられる。お前が気にするな」と。
あとはこんな調子だ。
「じゃぁ、帰ってからその言葉通り、やってみせろ!」
「そうはしたいが、自分には相手がいない」
「なんだ、最初から無理じゃねぇかよ」
「そんな事はない、今、捕まえた」
「ふざけるな、俺以外の誰が今ここにいる!」
「だから、お前だよ」
「お前、頭打ったか?」
「ふざけるな、しっかりと正気だ」
「やっぱり、頭打ってるだろ。さっさと寝ちまえ」
「こんな極限状態で自分を……あたしを気遣ってくれるなんて、簡単に出来る事じゃ無い。
あんたは優しいよ、それに惚れちゃったんだ」
「お前、つり橋効果って、知ってるか?」
「知ってるし、本当はそうなのかもしれない。
だけど、あたしが母親になれるかどうかの心配する奴は、あたしを心配してくれる他人は、あんたが初めて。
あたしはそれが、あたしを心配してくれるヒトがいるっていう事実が、とても嬉しい」
「ちっ、クソッ、なんつぅ女だ。
こんな場所で、こんな状態で、男を口説こうなんて、どういう神経してやがる!
とにかく、今は寝て、体力を回復しろ!
その話、生きて帰って、それでも気が変わらなければにしとけ!」
……今考えると、墓穴掘ったんだな。
後悔はしてねぇ。
結局は、こうして俺もあいつも生きてる。
それともう一つ、これはちと、アレな話だが……俺達にとっては忘れちゃいけない事がある。
廃墟を彷徨って5日間、何も食えなかった。
食い物としても使えるモノメイトは、海に落ちたあの日のうちに使い果たしていたし、怪我を治して生命力を回復するディメイトやトリメイトは、強壮作用はあっても短時間しか持たないだろ?
それに、負傷治療の生命線だったから、おいそれとは手がつけられなかった。
実際、それまでに結構な戦闘回数をこなしていたが、遭遇率を考えると安心できない手持ち数だったよ。
おまけに、2日目以降は、遭遇戦闘が終わると、スタミナが落ちていくのが手に取るように分かるんだ。
何とか食える物が手に入りゃ良かったんだが、水以外にこれっぽっちもそれらしい物が手に入らなくて、とうとう、体力の限界が来た。
その時さ、あいつが言ったのは。
「あたしの腕と乳房を、あんたは拾ったと言ってたよね」
まさかとは思ったが、その後、あいつは言ったよ。
「焼いて食べよう」って。
俺は気が狂いかけたよ、マジで。
「お前、正気か!」って、腹減ってたのも忘れて、怒鳴った。
だが、あいつは至って正気だった。
「ナノトランサーに入っていれば、植物や生の肉だって、腐敗はしない。
ヒトの肉を食べるのは、ましてやあたしの身体の肉だ、倫理に反しているし、気分も悪くなるのは分かってる。
だけど、生きて帰るには、その為の体力を得る為には、もうこれしかない。
お前はそれを持ち帰って、あたしの治療に使うつもりだろうけど、その気持ちだけ大切に貰っておく。
だから、それを出して」
散々止めたんだが、結局、俺はあいつに押し切られた。
あいつが自分で自分の肉を焼いて、二人で食った。
あいつは腕を、俺には乳房を寄越した。
不味い、その一言じゃ言い表せない、酷い味がした。
だが、二度と忘れられない味だ。
俺はあいつに、文字通り二度も身体を張って助けられた。
だから、俺は俺自身に誓った。
あいつの恩に、献身に対して、俺が出来る事をしよう。
そう、あいつに傷をつけた奴を探し出して、この手で潰す!ってよ。
★Act15
「俺は文字通り、あいつから糧と命を貰って生還した。
だから、あいつの為にも誓いを果たす。
悪いが、何があっても、それだけは譲れない」
ヒトの肉を食べた、って、あっさり言わないで下さい、すっごい気分が悪くなった……
だけど、それだけにこのヒトの決意は固いって事でしょ?
どうしよ~……
あのおっさん、私が深淵なる闇のところへ送っちゃったから、もう……
忘れたのか、我が娘よ。己の思うまま、成したい事を成せば良い。
唐突に、意識への呼びかけがありました。
我は大いなる光と共に、汝の側にあり続けるモノ。
意識に張られた薄皮を開けば、我らは汝と常に語らえる。
そして、今、汝の苦悩はその薄皮を超え、我らに伝わった。
然るべき時、然るべき場所を望め。
汝が我に送りし、この矮小な濁りきった者を届けよう。
そこで、一拍間が空きました。
ぶっちゃけ、こういうゴミを送って来るな!馬鹿者!
そして、咳払いをしたのです。
私、思わず吹き出しそうになっちゃいました。
申し訳ありません、深遠なる我が父よ。
思慮の足りない娘の愚行、お許し下さい。
分かればよい、我が娘よ。
時と場所が定まりし頃、再び我を訪ねよ。
ありがとうございます。
そこで深淵なる闇とのやり取りが終わりました。
そして意識を現実に向けると、やっぱり時間が経過していません。
さてと、どうしようかな……
このヒトを無事にここから出して、あのおっさんを捕まえる方向で舞台を作る必要が有るけど、それだって簡単にはいきそうもないし……
「一つ、訊いてもいいかな」
ルドがかなり真剣な表情でニューマンさんに尋ねます。
「なんだい?」
「その……彼女の治療だが、結局どうしたんだ?」
「……左腕は、人工義手だ。
胸は、俺が奮発して、本人すら区別が付かないくらいの最上級バイオウェアを付けさせた。
再生治療するにゃ、俺とあいつの稼ぎを合わせても、厳しくてな。
職業柄、保険も効きゃしねぇからな、全額自前は流石に厳しいのさ。
……何で、んな事訊くんだ?」
確かに、この世界では千年以上前から再生治療技術があって、四肢や臓器、脳にいたるまで、欠損した部位を培養再生させる事が可能です。
元々は治療技術でしたが、その後のニューマンの開発やキャストの人工蛋白生成に応用され、そこから更に発展して、不特定多数のヒトを治療する為の技術として確立されました。
ただ、現在ではシールドラインやスケープドール、メイト類の普及に加え、メイト類やレスタの柔軟即応性が向上した為、そこまで酷い症状になる場合が殆どありませんし、例え肉体の一部が千切れてたとしても、ある程度の形が残り、ちゃんとした医療知識があれば、負傷してから短時間の内という前提条件はあるものの、現場にて復元すら可能なのです。
それに加え、キャスト開発からのフィードバック技術による安価な義肢や人工臓器などのサイバーウェアと、それよりは多少高いものの、ニューマン開発技術から発展した、ほぼ拒絶反応の無い培養蛋白からなるバイオ系サイバーウェアが登場した事もあって、欠損した部位をわざわざ時間のかかる方法で治療しなくしまったのです。
更に、医療技術の推移と共に治療装置自体も殆どが処分され、大学病院クラスに研究用としてあるかどうかという代物になってしまっています。
結果として、現在では1回に付き大体100万メセタ(円換算で約1000万円)という、かつては手軽だったそれに、馬鹿みたいな治療費がかかるようになってしまいました。
そして、滅多な理由でもないと、現在は再生治療に保険が適用されることもありません。
ですが、それでもその治療を望むヒト達がいることには変わりありません。
だって、いくら技術が進んだ今でも、患者の遺伝子を持った睾丸や卵巣は作れませんし、乳房だって母乳を出すまでには到っていないんです。
だから、このニューマンさんは、もうおいそれとは戻らない、自分が原因で彼女から『女性としての機能』を奪ってしまった罪滅ぼしの為に、彼女からの献身に報いる為に、そして、愛する彼女の為に、犯人を未だに追っていたのです。
押し黙ってしまったルド。
しばらく考え込んでいましたが、慎重に言葉を選びながら喋りだしました。
「あんたの復讐云々は、あんたの問題だから置いておくとして……
その腕と胸、元通りに治せるかも知れん。
ただ、あまり当てにするなよ、俺も確証は無いんだ」
「……マジかよ」
目を見開き、驚くニューマンさん。
「だから、あまり当てにするなと言った。
まぁ、金はかからんし、試してみて損は無い。
それに、失敗しても、今以上に悪くなることも無い。
――ただし、これは取り引きだ。
その手段を施す事を代価に、この後の俺の質問に、必ず答えてもらう」
それを聞いて、不敵に笑うニューマンさん。
「そう来るだろうと思ったぜ。
……だが、あんたなら信用できそうだ。
いいぜ、俺の名誉が守れるなら、あいつの悲しみが癒えるなら、俺は命だって惜しかぁ無い。
言ってくれ、俺が分かる範囲でなら、答える」
その返事を聞いて、ルドはゆっくり頷きました。
「あんたへの命令を出した、上層の更に上……黒幕は、誰だ」
その問いに、ニューマンさんは確証があるといって、一人の人物の名を口に乗せたのです。
―――1週間後、GRM開発局―――
「くそっ、くそっ、くそっ!
どうして僕の計画がことごとく失敗する!
わざわざテノラに情報を流してやったというのに、なんだあの様は!
あの男もあの男だ!
自信満々に言うから、手間をかけて研究施設を与えてやったというのに、たいした成果も残さずに行方不明!
連中、何処まで僕をコケにする気だ!」
その声は、広い執務室に響き渡っていた。
声の主は、まだ30代くらいの男性ヒューマン。
胸には、GRM開発局のエンブレムと、副局長を現すバッジが輝いていた。
かなり頭に血が上っているのか、手近にあった花瓶を掴み、壁へ投げつける。
花瓶は空中で緑色のアイテムパッッケージに変化し、激しく硬い音を立てて壁に当たった。
だが、誰も部屋には入ってこないし、様子を伺いに来る事も無い。
その日の昼シフトは終了していたので、秘書官も既に退社していた。
夜シフトまで残っているのは、その必要がある部署と、上級職員である部長や局長クラスくらいだった。
だが、この男が残っているのは、本来の自分の業務の為ではなかった。
「くそっ!
例のパシリを手に入れれば、手っ取り早く新技術を開発できると思ったのに……
そうすれば、ジリ貧の局長を引きずり落として、僕が局長の椅子に座れるんだ。
あの椅子は、僕のだ。
僕のなんだ!
僕が座るべき椅子なんだ!
あんな、ヒューマン以外に媚び諂う奴の場所じゃ無いんだ!
いずれ、連中を一掃する為の足がかりなんだ!
くそっ、あと一息だというのに!」
「何が、あと一息だというのかね?」
不意に、音も無く入り口のドアが開くと、そこには開発局局長が悠然と立っていた。
「こ、これは局長、こんな時間に、僕に何か用ですか?」
副局長は、今までの言動が嘘のように態度を翻し、いつものような有能且つ会社に貢献的な人物を装った。
「用があるのは、どちらかというと私ではない。
――入りたまえ、二人とも」
「「はっ、失礼します」」
その部屋に入ってきたのは、一組の男女だった。
彼らは、ガーディアンズ公安部の制服を身に纏い、制帽を被って、サングラスをはめている。
その立場から、彼らは自分達の個人的な要素が目立たないように、徹底してそれを消すのだ。
「ガーディアンズの、しかも公安部が、僕にどのような用があると?」
副局長は、あくまで白を切るために、そっけない態度をとってみせる。
「突然の来訪、ご容赦下さい。
我々、ガーディアンズ公安部へ先ごろ、GRMから不正に他企業へ金品や情報が流出している、というタレコミがありました。
本来ならば他の部署が行うべき捜査内容でしたが、社会情勢やGRMからの要請もあり、我々の部署が秘密裏に調査を行いました。
結果から申し上げます。
GRM開発局副局長、あなたを殺人及び死体遺棄、窃盗、取引禁制品である発掘Aフォトンリアクターを含めた密輸並びに密売買、特許法違反の首謀者容疑で逮捕、身柄を拘束させていただきます。
また、GRMはあなたを業務上特別背任、業務上横領の容疑で告訴するとのことです」
女性ニューマンが発言した後、男性ニューマンが端末を副局長へ提示し、逮捕状を突きつけます。
「その容疑が僕にかかっている?
いいだろう、だが、こちらも名誉毀損と誤認逮捕で訴えてやる!
――法務課!弁護士を呼べ、すぐにだ!」
執務机の端末で、局内にある法務課へ連絡を入れる副局長。
だが、反応が無い。
「法務課!誰もいないのか!」
「無駄だ、副局長。
君は、自分の手の内をすっかり調べあげられている。
君の経歴も、背景も、全てだ」
局長は淡々と言うと、普段と変わらぬ仕草で副局長を見ていた。
「一体、僕の何を調べたと?」
「君が、ヒューマン原理主義の熱狂的シンパだという事をだ。
イルミナスも滅んだというのに、まさか、未だにいるとは思いも寄らなかったよ。
しかも、この局内にだ。
そして、勿論、君の背後関係も調べた。
金流、物流、情報流、そして、ヒトの流れも末端に到るまで全て。
なおかつ、ガーディアンズによって、実行主犯も押さえられている」
「連れてきてくれ」
女性ニューマンが、開け放ったままになっているドアの向こうへ声をかけると、普通のガーディアンスーツを身に纏った男女のヒューマンが、ぼろぼろになったヒトを両脇から抱え、中に入ってきた。
「ひぇっひぇっひぇっひぇ、わらしらへひふのなふへ、まっひらほへんひゃ。
みーふな、はらしてやっらろ!
おはへほはふげふ、ぜーっふまほへてだ!」
顔面が割れ、腫れ上がり、無残な姿になっている男が、何かを一生懸命に喋る。
「この男が全て吐きました。
あなたと彼とのやり取り全てを、彼が丁寧にも録音して残しておいたので、証言を誤魔化すことは不可能だと思っていただいて結構。
それでもなお、己に非が無いとおっしゃるのなら、法廷で証言してください。
それから、これは厚意からお伝えしておきますが、あなたが今まで雇われてきた弁護士達にこの件を伝えたところ、誰一人としてあなたの弁護をしたくないとおっしゃっておられましたよ」
副局長は、何も言い返せないと分かると、がっくりと膝をついて、項垂れてしまった。
「二人を連行しろ!丁重にだ!」
女性ニューマンが、再びドアの向こうへ声をかけると、更に公安部の制服を着た隊員が入ってきて、副局長と証言した男を連れて行った。
―――その後のGRM開発局副局長室―――
「なんとか、一件落着ですね」
執務室から犯人の副局長が連れ出され、ほっとした私の発言に、ルドを含めた全員が頷きました。
「全く持って、助かった。
私も情報漏えいの内偵は進めていたんだが、犯人がなかなか尻尾を出さないので困っていたところだった。
しかし、まさか彼が首謀者だったとは……」
局長さんが大きく深呼吸をし、文字通り一息つきました。
「彼は優秀な男で、副局長の座も、実力で就いた。
後は、それなりの経験を積ませて、私の後任として局長に推薦するつもりでいたのだが、残念だよ。
幼少の頃に受けたとはいえ、他種族への嫉妬心が彼をあそこまで駆り立てていたとは……」
そう、副局長さんを調べて分かった、彼をヒューマン原理主義へ傾倒させた、そのきっかけ。
幼い頃、同じ年頃のニューマンに「ヒューマンのくせに頭いいなんて、生意気なんだよ」と言われた、それが原因でした。
そして、学校へ行くようになり、自分の頭の良さが殆どのニューマンと変わらないレベルという事実に直面しました。
種族の差から来る能力の違いにプライドを傷つけられ、嫉妬し、彼はヒューマン原理主義へと傾いていきます。
ですが、それが彼を優秀な人物へと育てた原動力でもあったというのは、なんとも皮肉な話です。
「もう終わった事ですよ、局長」
ルドの慰めにも似た一言に、局長さんは頷き、公安部隊員達、つまり捜査課の副班長さんと、諜報部に捕らわれていたニューマンさんに向き直ると右手を差し出しました。
「君達には感謝している。
社会的にこの事件が漏れる前に対応出来たのは、君達のおかげだと聞いている。
お礼といっては何だが、何か困った事があれば、連絡をくれたまえ。
私が出来る範囲で、君達に助力しよう」
「ありがとうございます」
二人は礼を言うと、局長さんと代わる代わる握手をし、最後に敬礼して立ち去りました。
「では、俺達もこれで失礼します、局長」
「うむ、君達にも感謝しているよ」
ルドと局長は握手をしました。
そして、局長さんは私に向き直ると、まるで子供を扱うように私の頭を撫でました。
「今の君に枷は無い、彼と仲良くやりたまえ」
「はい。でも、頭を撫でないで下さいよぅ、私はもう……」
パシリじゃ無いんですから、という言葉を飲み込みました。
「はっはっは、すまんな、つい癖でね」
そう、局長さんって、GRM内で私と会うたびに、挨拶代わりに頭を撫でてたんですよ。
でも、もうそれも今日でお終いです。
昨日の内に局長さんと面会した私達は、今回の逮捕の件を伝えた後、研究主任さんも呼んで、私があれから、どういう経緯でこの姿に成ったのかを説明しました。
そして、今まで私をかわいがってくれた二人への感謝を込めて、私の全データを供出すると申し出ました。
ですが、二人とも首を振って、「それは必要ない」と言ったのです。
「今の人類にとって、君の進化能力は持て余すだけだ」と。
私の姉妹であるパシリ達にとっては、もしかしたら希望となるかもしれないと思ったのですが、それも違うと否定されました。
「その意志が無い者には、希望を与えても無駄にするだけだ。
それに、極秘だが、パシリがキャストへ成った前例だって、いくつもある。
真に求める意志のある者にだけ、君が道を指し示してやればいい。
君の姉妹達を思う気持ちは分かるが、それはこれから君が、君自身の手で伝える事だ。
君の父親役であった、彼のようにね」
局長さんの言葉です。
それから、私は整備主任としての任を解かれました。
私の能力と全く同じではありませんが、同様の検査システムがロールアウト目前だというのです。
そして、対PM対策室内に精神状態をケアする部署が新設される事になったとの事。
パシリの精神状態が良好だと、駆体も安定して、活動期間が長くなる事が判明したので、その対応策が採られる事になったのです。
私がインターフェースとして活動していたデータのおかげだと、二人はそれぞれに感謝してくれました。
そしてこれが、GRMにとって、私のパシリとしての役目が終わった瞬間でした。
私は局長さんを軽く抱擁し、親愛のキスを左右の頬にしました。
「今まで色々とありがとうございました」
「私も感謝している。彼と、幸せにな。
――たまには顔を見せに来てくれ、二人とも。
出来れば仕事抜きで、顔を会わせたいものだ」
「はい、そうですね」
局長さんに敬礼し、改めて挨拶を済ませた私達は、GRM開発局を後にしました。
敷地を出ると、門のすぐ近くで待っていたらしく、ニューマンさん達が私達のほうへ近づいてきました。
「あんたらにはいくら感謝しても足りねぇが、改めて礼を言わせてくれ。
本当にありがとう」
ニューマンさんが深々と頭を下げると、同様に副班長さんも頭を下げました。
「頭を上げてくれ、そこまで大した事をした憶えは無いんでね」
ルドが何時までも頭を上げようとしない二人に、いつもと変わらない口調で言ったのです。
そこでやっと、頭を上げた二人。
「そんな事は無い。
自分を負傷させた実行犯の逮捕に加え、自分の身体まで治してもらったんだ」
感慨深げに目を伏せる副班長さん。
「おいおい、その堅っ苦しい言葉づかい、止めんるじゃ無かったのか?」
副班長さんの言葉づかいにニューマンさんがつっこむと、彼女は無事に治った左腕を彼の右腕と絡め、彼の腕を左胸にわざとらしく押し付けました。
「当面は、あんたと話す時だけよ。
それに、そうそう癖って抜けないんだ。
これからゆっくりと、自分のものにしていくよ」
「そうしてくれ。
でないと、オヤジさん、可哀想だぜ?」
そうニューマンさんが言った途端、奇妙な表情になった副班長さん。
「そ、そうなのか?
だって、いつもの喋り方をあたしに教えたのは義父さんだから、てっきり……」
軽く頭を下げて左手で顔を隠し、大きな溜め息を吐いたニューマンさん。
「オヤジさんも、後悔するなら教えなきゃいいのによ……」
「あの、オヤジさんって、どなたですか?」
私が訪ねると、不意に後ろを振り向いた二人。
向こうから、あの班長さんがゆっくりと近づきていました。
「あのヒトだよ」
「自分は、義父さんの親友の娘だった。
家族ぐるみで付き合っていたんだが、自分の両親がテロの標的にされたフライヤーに乗っていて、二人とも亡くなった。
同じフライヤーに、義父さんの奥さんと二人の息子さんも乗っていた。
義父さんは、一人残された自分を引き取って、養女にしてくれたんだ。
だから自分は、ガーディアンズに入隊した。
義父さんと同じ仕事に就くことで、一人前にしてくれた事への感謝と、尊敬の気持ちを伝えたくて」
なるほど、だから取調室であんな事を言っていたのか。
義理だろうとなんだろうと、自分の子供を心配しない親なんて、親じゃありませんしね。
「お前達、何時まで油を売っている気だ。
総裁から直々に、お前達の出頭命令が来ている。
早く出頭しろ」
私達の顔がはっきり分かる所まで来てから、班長さんは二人に対して、内容とは裏腹にのんびりした口調で告げました。
「「はっ!」」
素早く敬礼した後、二人は私達に軽く会釈をして、走り去りました。
「機動警備部に手を借りるとは、いささか心苦しいが、事件が解決したのは何よりだ。
素直に礼を言わせて貰おう」
班長さんが、ルドに右手を差し出します。
軽く驚きつつ、彼は班長さんと握手しました。
「あんた、俺に、というか、機動警備部にあんまりいい印象が無いように見えたんだが、どういう心境の変化だ?」
「どうもこうも、私は別段、何処も変わっていない。
自分の信念に基づいて動いているだけだ。
ただ単に、私は機動警備部の奔放なやり方と反りが合わない……いや、違うな。
公安部という部署でのやり方が性にあっている、ただそれだけの事だ。
私は私なりのやり方で、世の中の平和を保ちたいだけだ」
「それがたまたま公安部だったって事か、なるほどね」
「諜報部も、公安部も、その点は同じだと、私は思っている」
「そうだな、同じガーディアンズだからな」
「そういう事だ」
そう言って、私に視線を向けた班長さん。
「丁度、そこのお嬢さんの立ち位置だったな、あの時にお前のGH412がいたのは。
出来れば、あのパシリにも礼を言いたかったが、ミッション中に大破したと聞いている。
パシリ好きだというお前にしてみれば、さぞ辛い事だろう」
彼は寂しさの混ざった微笑を浮かべます。
「……もう、終わった事さ。
――さて、俺達も行くか、今日の訓練時間が無くなる」
私に視線だけを向け、かるく頷く彼。
「はい、教官」
「では、捜査課班長殿、俺達はこれで失礼します」
私達が敬礼すると、班長さんも返礼し、私達は班長さんと違う方向へと歩き出しました。
それはまるで、互いの立場を表したかのように思えてなりませんでした。