『―――モニタリングシステム、デバッグ終了。
最終シークエンスの準備完了。システム、オールグリーン』
オペレーターの声が、冬眠カプセルの並ぶ部屋に響きました。
私はそれを聞き、意を決して合図を出します。
「始めて下さい」
『了解。
循環ジェルの注入を開始、モニタリング開始、バックアップシステム稼動開始。
元素及びエネルギーは規定値をクリア。
躯体保持システムの稼動状況は良好、予測値との情報誤差は0.0000000000000021%』
ここは、グラール教団の、とある研究施設。
何故こんな言い方かというと、一切の外界情報を遮断されて連れて来られた私には、どこにあるかもさっぱり分からない秘匿施設だからです。
そこでは、特殊なボディスーツを装着した女性が、冬眠カプセルに長期封印されようとしてます。
すでに元素やエネルギーが混合された特殊な循環ジェルが充填され、内部からは激しい動きが一切取れなくなっています。
「しばらくは『あなた』とお別れですねぇ」
私が話しかけると、カプセルを管理している端末のスピーカーから、その女性の声を模した音声で答えが返ってきます。
『仕方ありません、予想外の急激な進化でしたから』
女性の意識は半覚醒状態で、完全には眠っていません。
「父様、戸惑ってましたけど…」
『21,405日間のお別れです。
大丈夫ですよ58年くらい。100年くらいなら待つ、って、自分で言ったんですから』
「それは心配してないの。どっちかというと、この躯体が持つかどうかが心配…」
私はそういって、自分の胸元に手を当てます。
『常時バックアップされてますし、データが破損しても、こちらのデータを使えばいつでも復元できます。
…ちゃんと、毎日クロスチェックして、意識体データの更新を忘れないで下さい。
嫌ですからね、死にかけのこの身体であなたを探しに行く羽目になるのは』
「分かってますよぅ、あなたは私なんですから」
『あなたは私、か。
なんか、不思議な感じ。GH-412の「私」を自分の目で見て、自分と会話しているなんて』
「私も、未来の『私』を自分の目でみて、自分と会話してるって思うと、不思議な感じがする。
あなたも私もロザリオ・ブリジェシー、同じ『存在(もの)』なんだから、同じように感じて当然でしょうけど」
そう、この女性は、最終段階まで急激に進化をした、私の本当の躯体。
ほんとは数十年をかけてエネルギーと元素を蓄積してからでないと成れない姿のはずなのに、突然進化してしまったんです。
特に元素が足りてないせいで、外装とブレインコアなどの重要部品以外は半分以上スカスカ、満足に動くどころか躯体維持も危ぶまれる状況です。
そこで、意識体を『複製』したバックアップ用ブレインコアを用意し、準備してあった新規躯体にそれを搭載、それを運用しながら本来の躯体が完成するのを待つ事になりました。
意識体を複製したのは、本来の躯体から意識体がお留守になると色々危険だという判断をしたからですけど………
二つのブレインコアの情報誤差が生じる可能性を考えれば、それはそれで危険な選択ですが、どんな形であっても、私は父様の側に居たかったのです。
「…第6段階進化に必要な元素の変換が済んでいれば、もうちょっと楽だったのに」
『仮にそうだとしても、あのままでは死んでましたよ?』
「そうよねぇ…グラール教団、いえ、幻視の巫女さまさまよね」
『でも、そうだったとしても、やっぱり封印されるんですから、どちらが良かったのかは』
「『微妙よねぇ』」
私が急激に進化したのは、ハビオラ禁止区での変種原生生物駆除に、父様と出向いた時のことです。
ミッション中に突然、私は完成体とも言える第7段階まで急激に躯体が進化、元素不足から躯体が完成せず、機能不全で昏倒しました。
偶然ですが、その日は父様と二人だけでミッションを行っていたので、救援を請おうにも周囲に誰がいる訳でもなく、劣勢になった私と父様は死を覚悟しました。
そこへ、タイミングよく教団所属の特殊警護士の一分隊が到着し、私と父様は助け出されました。
ですが、彼らが私達を助けた理由は、私を封印する為だったのです。
いつもの事ながら、教団から詳細は説明されませんでしたが、私、というよりは私の躯体が活動していると『悪しき意志』、つまりSEEDを引き寄せるらしいのです。
『幻視』によって見えた未来の、来るべき災いを回避する為に封印する、という、一方的な通告でした。
封印期間は、私の躯体が完全に完成するまで。
状況から判断すると、躯体が未完成状態である私が動き回ることが、一番の問題だったようです。
本当は、私の意識体ごと封印される予定だったのですが、巫女様の計らいで、それだけは免れました。
星霊首長イヅマ・ルツ様は、危険性の残る巫女様の計らいについては快く思っていない、と、父様との対面時にはっきりと仰っていました。
実際の問題として、教団側がガーディアンズの備品(形式的にですが)である私を無断処分したことになるわけですが、ごたごたを嫌った父様が『教団側に協力を求めた』という事にして、この事件をガーディアンズ側に報告していました。
勝手な振る舞いをした父様がそれ相応の処分を受けるかと思いましたが、新総裁と父様の間に何かの取引があったらしく、始末書一枚と何かの研修を受けることで済まされてしまっています。
そして、私が根本的な原因であるらしいこの小さな事件は、教団とガーディアンズ、双方の思惑によって巧妙に『無かったこと』にされました。
ここに『私』が封印されている事は、僅かな関係者しか知りません。
それと、私が突然進化した原因は今もって皆目見当がつかず、あの森の高濃度フォトンが何らかの影響を与えたらしい、という私の推測以外は何もありません。
「―――そろそろ時間です。この場をお引取り願います」
男性警護士の、丁寧ですが有無を言わせないその台詞を聞き、私は素直にカプセルの前から立ち去りました。
「おやすみなさい、私」
『おやすみ。また今夜、夢の中で』
「ええ、また今夜ね」
部屋を出た私の背後で、扉とカプセルの封印蓋が閉まる音が聞こえてきました。
―――惑星パルム、ガーディアンズ宿舎―――
「たっだいまぁ、っと」
「おかえりなさいませ」
マイルームに帰ってきた私を出迎えたのは、スペアPMから変わって新たに導入された、フォトンミラージュを応用したお留守番装置です。
この装置は、触ることも出来る『質量を持った』フォトンミラージュと、私達パシリの意識体データバックアップシステム、それに連動した簡易AIで構成され、これで来訪者に対応しています。
この装置、実はずいぶん昔から普及していたのですが、バックアップデータに関する通信自体の問題や私達パシリのバックアップシステムとの連動がうまくいかず、採用されていませんでした。
その為、今までは同型ブレインコアと躯体による、一種の共鳴作用を利用した特殊な通信システムを構築し、各パシリごとに専用のバックアップ躯体を用意する必要がありました。
現在は、破損したベクタートラックが修復され始め、それに伴う通信設備の強化によって今までの問題点がすべてクリアされ、晴れて導入となったのです。
私に関しては、GRMが設置した装置にデータがバックアップ出来ない事は相変わらずで、『私』へのデータ送信はブレインコアの共鳴通信を利用しているんですけどね。
この、ガーディアンズ専用お留守番装置とスペアパシリの交換はGRMが推奨し、1週間もかからず全てが交換されました。
何故ならこの装置、入れ替えも、維持も、スペアパシリにかかる経費の千分の一で出来るからなんです。
あ、そういえば、この有質量フォトンミラージュは意外な所でも使われています。
黄色いアイコンの『パートナーカード』を使ってライア教官…あ、今は新総裁でした、やヒューガ教官とかを呼び出すと、いつでもすぐに来ますよね?
あの、やってくる教官達が『質量を持った』フォトンミラージュなんです。知ってました?
ルウさんは外部端末躯体がいっぱいいましたけど、それ以外のガーディアンズで、生身なのに同じ場所に複数いるのは変だと思ってたんですが、そういうからくりだったんです。
所詮は本人達の能力がデータ化されて、プログラムAIが動かしているだけだから、あんまり強くありません。
まぁ、呼び出しには違いないので、稀に本人がやってきてびっくりしたりする事もありますけどね。
「やっと帰ってこれたなぁ」
父様が私の後ろで、自分の首筋をもみながら、やれやれといった様子で言いました。
私の封印作業が終了するまで、自発的(ほんとは半ば強制ですけどね。建前上という奴です)に教団へ留まっていましたからねぇ。
ナチュラルマットとグッズですっかり居間に改装された元展示スペースですが、そこへ移動した父様は、ザ・ブトンに座るとほっとしたようです。
ちょうどいい時間なので、私がお茶を入れてティー・タイムとなりました。
「躯体の調子はどうだ、ロザリィ。
違和感はあるだろうし、例の装置とのリンクが切れているから、だいぶ勝手が違うと思うが」
ニューデイズ産のグリーン・ティを飲みながら、父様はそう尋ねてきました。
この躯体は、次世代型新設計のメインフレームに私が新造したブレインコアを搭載した、一種のカスタムボディです。
実はこれ、やっと量産の目処がたった交換パーツのテスト用として組まれていたものですが、急遽実用躯体として組みなおしたものです。
これがなかったら、私は少なからず一ヶ月はボディ無しで過ごす羽目になっていたことでしょう。
もっとも、このブレインコアにも内蔵されている異能体感知装置以外は本体ごと封印されてるから、今の私はただのパシリと変わりがありません。
「かなり楽ですよ、この次世代型新設計躯体。
メインフレームの情報処理系がアップグレードされていて、ブレインコアへの負荷が少なくなっています。
私から採取・培養した人工細胞にも次世代技術が取り入れられてて、封印されてる本体よりも高分子モーターや運動制御系も大分改良・洗練されて、動きやすいです。
リアクターも小型で高出力になったので、躯体自体も軽くなりました。
今晩のデータ更新のときに、本体のほうへこの情報を送って、自己改良しようと思います。
後、変わった点は…」
その先を口に出すにはちょっと恥ずかしくて、思わず口ごもってしまいます。
簡単に言えば、夜のお相手の為の機能が改良されてるんです。
「後、私本来の躯体とは違いますけど、量産型に組まれていた精子採集器が外されて、代わりにジーンスキャナーが組み込まれています。
私の場合は躯体メインフレーム以外が専用パーツで組まれた特別製ですけど、今後は定期メンテで順次ヴァージョンアップされて、この新設計躯体の量産版に切り替わっていくでしょう。
そうなれば、ああいう事件は減ると思いますけど…」
「そうだな…」
そう言ったっきり、父様は黙り込んでしまいました。
そう、あれはちょうどハロウィンシーズンの真っ只中、子供達が「Trick or Treat!」と言って、お菓子をねだりに来る日の事でした。
それはヒュマ姉さんの部屋での出来事。
『Trick or Treat!』
「いたずらしないで、お菓子をあげるから!」
『わ~い!!』
ルテナちゃんがそう言うと、仮装をした子供たちは歓声を上げました。
「はい、どうぞ。一人に一袋ずつあるからね」
彼女に代わって、私が一人一人に手渡します。
以前の騒ぎのとき、お菓子作りをするヒュマ姉さんの姿がカルチャーセンターで見かけられた所為か、連日やたらと子供が来るとの事で、今日の私は助っ人に来ています。
「ありがとう!ここのおば…おねーさんのお菓子、すっごくおいしいって聞いたから楽しみだったんだ!」
私の後ろからヒュマ姉さんの咳払いが聞こえてきた途端、素直なお子様達はしっかりと言い直し、にっこりと笑って出て行きました。
「全く、近所のガキどもったら…」
ヒュマ姉さんがぼやきます。
「そう言えば、そのガキどもにスカート引き摺り下ろされたって…」
「それはわたしです」
私の質問にルテナちゃんが、目の端に涙をためて顔を真っ赤にして答えました。
「お使いの帰りに、ヒトが沢山いた往来のど真ん中で下ろされちゃって…」
思い出して感極まったのか、私にすがってしゃくりあげ始めたルテナちゃん。
「あたしはあたしで、ミクミコセット着てひどい目にあった翌日に、思いっきり胸を揉まれたの」
そう言って、自分の胸を両腕で隠すように押さえ、身震いするヒュマ姉さん。
「あの時かぁ…もう、治りました?」
「とりあえずはね。でも、あの時はすごく痛かった…」
眉間にしわを寄せ、思い出してしまった痛みをこらえているようです。
服がずれなかったり、激しい汗をかいても蒸れないのはガーディアンシステムによる機能の一部なんですけど、姉さんのシステムは数日前から環境系機能が不調気味だったんだそうです。
それなのにミクミコセットを着て外出したら、ゆれる胸の動きに布地がついてこなくて、生地で擦れて胸が真っ赤っか、湿度調整がおかしくなってたから蒸れちゃって、布擦れで赤くなった場所に大量に汗をかいて汗疹が出来ちゃったのよね。
結局、姉さんてば痛痒さに耐え切れなくて、出先から一番近い部屋だった父様の所に駆け込んできて、消炎効果のあるパウダーを借りてったっけ。
しかも、炎症の痛みで自分じゃ上手く出来なくて、結局私がパウダーをつけてあげたのよね。
「一度は着てみたくて手に入れたけど、あんな事は二度とごめんよ。私、ミッションにあれを着ていく勇気は無いわね…」
私はその言葉に、ただ苦笑するしかありません。
ぷしゅ~
「こ、こんばんは…と、Trick or Treat…」
かぼちゃのお面とぽっちゃりしたローブ姿、つまりラッピー・ラタンに仮装したパシリが来ました。
仮装パシリはさほど多くは来ませんが、ちらほらと現れます。
ま、大抵は私達の友パシリ達なんですけどね。
「いたずらしないで、お菓子をあげる、か…ら?
…ねえ、どっか具合、悪いの?動きは変だし、苦しそうだし」
決まり文句で返事をし、最初にそのパシリの異変に気がついたのは私。
「う、うぅ……くる…し……ぃ…」
そう言って、踏ん張れなくなって膝をつく彼女。
「…奥に連れて行ってあげるから、ちょっと横になりなさい」
そう言って、様子がおかしい彼女をヒュマ姉さんが抱えあげた途端、姉さんは顔をしかめました。
「ロザリオ、おじ様を呼び出して!急いで!」
「は、はい~!」
突然、ヒュマ姉さんが強い口調でそんな事を言うのでちょっと面食らいましたが、反射的に返事をしていました。
「ちょっと待って!ここじゃなくて、GRMのサービスセンターへ呼び出して!
私達もこれからすぐに行くわよ!」
「は~い」と、言うルテナちゃんの返事を聞きつつ、私は疑問に思いました。
一体、ヒュマ姉さんは何をあわててるんでしょう?
戸締りもソコソコに、GRMのPMサービスセンターへ駆け込んだ私達。
「―――ご主人様、もうすぐ来るそうです」
「そう、分かったわ」
私は既にメールで父様に連絡を取っていて、たった今、返信されてきたばかりの内容を伝えると、ヒュマ姉さんはちょっといらいらしながらも、じっと待っています。
「あの、姉さん、検査が目的なら、すぐに出来るように私の権限で研究棟へ直接入りませんか?
検査設備は研究棟の中だし、ご主人様を待ってても、時間が過ぎるだけだし」
「そうね、そのほうがいいかも。
じゃ、よろしくね」
「はい」
通路の奥にある、研究棟のある敷地への連絡通路入り口前まで移動すると、警備のキャストさんに止められます。
「ここから先は、許可を受けたものと関係者以外は立ち入り禁止だ」
「GRM開発局第5研究棟PMメンテナンスサービス部門検査主任、PMGA00261C5D7-B5、ロザリオ・ブリジェシーです。
外部同伴者1名、同伴PM2体の入棟許可を申請します」
「暫くお待ちください。個体認証IDと製造ロットの照合中……確認しました。
検査主任、入棟を許可します。
外部同伴者1名、同伴PM2体の身元が照合されました。
只今、棟内用時限IDを発行中…登録完了…時限IDの確認終了、入棟を許可します。こちらからどうぞ」
警備員は全員のIDを確認すると、入り口を塞いでいた扉とシールドラインを解除し、私達は中へと案内されます。
私は、いつの間にかパシリメンテの検査主任などという立場を与えられ、この施設へ出入りするようになっていました。
要は、私に例の制圧・制御装置を使わせてパシリ達のメンテナンスをさせる為に、私にある程度の立場を与える事で、GRMは機密保持と出入りの利便性を確保させたわけです。
開発局長様が、何をどうやって手を回したのか知りませんが、ガーディアンズのパシリでありながら、私は今や立派なGRMの社員の一人です。
おかげで、ガーディアンズのヒト達から白い目で見られることもあります。
気持ちは分かりますけどねぇ………
毛嫌いしようとも、組織としてはイルミナスとの癒着やガーディアンズとの確執があっても、結局、私達パシリはGRM無しに稼動の維持が出来ないのが現状です。
それに、この会社にいるヒトみんなが悪い奴って訳じゃありません。
「――検査主任?今日は業務がないはずでは?」
通路を足早に移動していると、向こうから歩いてきた、白衣に身を包んだニューマンの女性が私に声をかけてきました。
「そうなんだけど、ちょっと緊急事態みたい。本業のほうでね」
ちらり、と、ヒュマ姉さんと抱えているパシリを見て、ニューマンの女性が私達の前を歩き出します。
「それならこちらへ。こっちのスキャナーはまだシステムダウンさせてませんから、すぐに使えます」
そう言って、検査室まで案内してくれました。
部屋に入ろうとすると、通路を駆けてくる足音が聞こえてきました。
「すまん、遅くなった。
で、何がどうなってるって?」
「遅いですよ、ご主人様。一体、何処に…って、聞くまでもないか。
ボル・コインのケース、しまってよね、もう」
「ん?あ、ああ…急の連絡であわててたから、預けるの忘れてたよ」
そう言いながら、コインをケースごとナノトランサーに仕舞い込む父様。
下手の横好きとでも言いましょうか、カジノで遊ぶ行為そのものが好きなんですよね、父様。
勝敗で言うなら殆ど負けてますけど。
今まで手に入れた景品はフォトガチャンが1台だけ(実話)ですから、運は良くないようです。
「スキャンはこれからなので詳細は分かりませんけど、様子のおかしいパシリがヒュマ姉さんの部屋に来たんです」
そう言って、ヒュマ姉さんの抱いているパシリに視線を送る私。
そのパシリを一瞥した父様は、眉をひそめると「まさかな」とつぶやきます。
「検査主任、検査室へどうぞ。準備完了です」
研究員の言葉に、私達は問題のパシリを検査台に横たえ、操作室へ入りました。
一通りのスキャンが完了し、その結果を見て驚きました。
「へ?赤ちゃん?妊娠してるの?」
3Dスキャンした映像には、肥大化している腹部に、どう見ても胎児の姿が確認できるのです。
私、彼女のお腹が膨らんでるの、仮装のせいだと思ってた……
「やっぱり…」と言ったのは、ヒュマ姉さん。
「おいおい、マジかよ…型番だと、こいつは受胎機構のある限定生産型じゃなくて量産型だぞ?」
父様はスキャン中に見ていた、ガーディアンズ側の登録データを再確認しながら、首をひねっています。
「ですけど、どう見てもお腹が大きく膨らんでいますよ?記載ミスなのでは?」
ルテナちゃんはそう言いつつ、物珍しそうに検査台のパシリを見ています。
「主人はモトゥブ出身、3ヶ月おきの簡易自己診断では異常なしとの報告あり、ってなってたな。
…あ、特記事項に改造歴があった」
「ご主人様、しっかりしてよね」
「すまん、見落としてた…
ええっと―――クバラ製埋設型オプション装着……日付けはざっと一年前、年一回の定期メンテの直後だな」
父様が、躯体の登録経歴を調べてオプションの型式をチェックすると、GRMに登録済みの社外商品から予想通りの名称が出てきます。
「クバラ製PM用受胎機構セット、ジーンデザイン済み人工卵細胞付き。
これ、半年前に製造を中止、欠陥構造のせいで実際の使用に問題があるとして製品回収になってるな」
「そもそも、私達パシリの体のサイズで、子供を生むこと自体が間違ってます!」
私は自分のことを棚に上げて、そう言い切りました。
「それでおじ様、その主人に連絡は?」
「スキャン中にしたよ。そろそろ連絡が…」
ピピッピピッ、ピピッピピッ
「はい、こちら検査室」
内線の呼び出しが鳴ったので私が出ると、先ほどの警備員からの連絡です。
『検査主任、PMの主人が到着しました』
「こちらに通してください」
『了解しました、入棟手続きを始めます』
その連絡の直後、検査機器から警告音が鳴り響きます。
「え?容態急変って…」
躯体内の生命体を排出する運動信号を確認、躯体機能の損壊可能性が増大、という警告内容です。
「これって、えっと…じんつう?」
医療関係のデータを漁って、類似データからそう推測しました。
「バカ言え!PMが自然出産なんて出来る訳がない!医療課を呼び出せ!」
バン!と検査筐体をひっぱたき、父様が大声を上げました。
「夜だってのにやかましいねぇ。一体何事だい?」
操作室の入り口に、見慣れない型式のGHー4xxが立っています。
明確な型式が不明で、現行のGH-4xxの特徴が入り混じった姿をしています。
しかも、腰までの黒い髪、青い瞳と明るい肌色の人口皮膚以外はオフホワイトで統一されたパーツや服を着ているので、かなり違和感があります。
「あ、イヴ姉さん」
イヴ姉さんは、量産試作機の前段階である基本素体“GH-400”のうちの一人です。
そして現在は、試作パーツの実稼動評価を行うテストパシリでもあります。
目の前に立っているこの躯体は、いわば彼女の専用躯体ですが、最新技術のテストベッドでもあるわけです。
本当はとっくに博物館行き、ヒトでいう所の老後生活に入っているはずのイヴ姉さんですが、現在の彼女がやっている仕事をこなす予定だった個体が実働試験で大破、廃棄処分された為に、代わりとしてその役目を与えられたのです。
極わずかですが、現在まで稼動している古いバージョンの個体もいて、それらと新規部品との相性判断をする意味合いもあるので、彼女らが第一線からいなくなるまで引退も出来ないそうです。
「…ふ~ん、去年もいたんだ、バカな主人が。
こいつの主人、どうせモトゥブ出身だろ?始原祭から計算すれば、大体日数は合うからね。
―――おい、そこのでかいの」
と、父様に指を突きつけます。
「俺か?」
「そいつを抱えて、ついといで。それと、そこの442はバカな主人を呼んできな。
早くするんだ」
有無を言わせず父様に問題のパシリを抱き上げさせ、自分はスタスタと何処かに移動します。
行き先を聞こうにも、「聞く耳なんて持たないよ」と、背中が語っています。
「―――入りな」
そう言ってイヴ姉さんが入っていったのは、『生体研究区画』と呼ばれる、生体組織研究エリアの一室です。
ここは、人工義肢や全身義体と呼ばれるサイバーウェアや、パシリやキャストに使われている生体パーツの開発・研究が行われている区画です。
「でかいの!入り口に突っ立てないで、そこの作業台にそいつを寝かしたら、さっさと操作室に移動しな!
検査主任は問題のパシリを完全制圧、意識体を仮死レベルにしたら、ブレインコアが躯体メインフレームへアクセスするのを完全遮断。
あたしの指示があったら、リアクターと躯体メインフレームの制御をするんだ」
「件のパシリの主人を連れてきました」
パシリの主人を連れたルテナちゃんがやってきて、淡々と告げました。
「あ、あの、俺のパシリは…」
操作室に入ろうとする父様に向かって心配そうに言うパシリの主人ですが、その膝裏を力いっぱい蹴っ飛ばし、ひっくり返すイヴ姉さん。
ひっくり返され、うめき声と文句を上げようとするその主人の首に足をかけ、顔に指を突きつけます。
「よく聞け、このクソ野郎!!
パシリをおもちゃにしようが恋人にしようが知ったこっちゃないが、キャストとは違うんだ!!
あたしらはね、ガキは産めねぇんだよ!!
元々、産めるように出来てないんだ!!
無理やりんな事したら、ぶっ壊れちまうんだ!!
そこんとこがよ~く分かったら、そこのベンチに座って、あたしが呼ぶまで大人しくしてろ!!
そんで、てめぇのしでかした事がどんだけ馬鹿なことか、反省しな!!
分かったな、このすっとこどっこい!!」
そこまで怒鳴りつけて、首を踏んでいた足を退かすと、その足で主人のこめかみに蹴りを入れ、操作室に入っていきました。
暫くして、夜の研究棟通路に響く赤ちゃんの泣き声。
「まさか、助産士の役をやる羽目になるなんて、思わなかった。『タスク』の所でやって以来、かな?」
術衣を見につけ、取り上げた赤ちゃんに手際よく産湯を使わせて肌着を着せたヒュマ姉さんが、独り言を呟きます。
その腕の中には、生まれたばかりの女の赤ちゃんが抱かれています。
この部屋の中には、赤ちゃん用の肌着やオムツなどが常備されていて、まるで産婦人科のようです。
そういえば、今は故あって失効してるけど、ヒュマ姉さんはちゃんと医科大学行って、正規の医師免許を持ってたのよね。
話からすると、海賊時代に赤ちゃんを取り上げた経験があるようですから、手馴れていてもおかしくない訳です。
イヴ姉さんの独り言によれば、パシリに埋設出来る受胎機構が開発されてからというもの、年に数回はこんな事があるという話です。
それと、パシリの受胎機構の妊娠期間は、胎児の成長がパシリの躯体に負担をかけすぎないように約一年で臨月になるように調整されているのが普通なんですって。
イヴ姉さんの統計上、モトゥブの始原祭にやっちゃった事例が多く、妊娠期間との兼ね合いから、この時期にこういう事件が集中するそうです。
「何度もそんな事があったから、こんな設備が作られたなんて、なんか皮肉よね」
私の呟きを聞いたのか、イヴ姉さんがやって来て、私のおでこを指で突付きます。
「あんたは人事じゃないんだよ。
同じバカやって、あたしの手を煩わせないでおくれよ?いいね?」
私の相談相手でもある彼女にはすべての事情を話してあるので、その言葉に素直に頷いておきます。
「さてと、あたしゃそろそろ寝るよ。
これ以上あのクソ野郎の顔を見たら、殺したくなっちまう」
そこまで言うと、足早に去っていきました。
結局のところ、イヴ姉さんの手による(とはいっても、専用の整備筐体を使ってという意味ですが)躯体分解作業によって、1時間ほどで赤ちゃんは無事に生まれました。
同時に受胎機構は撤去されましたが、腹部の生体パーツはあまりにも芳しくない状況で、修理よりは躯体を丸々取り替えたほうが早いくらいでした。
それと受胎機構ですが、後日の調査で耐久性に致命的欠陥があった事が判明しました。
聞いた話では、後半日遅ければ人工胎盤が破裂し、胎児は勿論、母体となっていたパシリも機能停止していただろうととの事です。
「お騒がせしました」
赤ちゃんを抱いて、私達に頭を下げるパシリの主人。
その脇にパシリの姿はありません。
結局、新規躯体にしろ、修理にしろ、すぐに復帰は無理なので、短期間のメーカー預かりとなったわけです。
「Gコロニーの医療課には連絡してあるから、ちゃんとその子供を連れて行くように。
あと、今日の調書を取るから、早いうちに対PM対策課まで出頭する事。
それから、2、3日以内に始末書を書いて提出してくれ」
無言で頷き、パシリの主人は静かに立ち去ります。
「あいつぁ、帰ったかい?」
突然、後ろから声をかけられ、振り返った先にはイヴ姉さんがいました。
「あれ?お休みになるって…」
「ん?ああ、そのつもりだったんだけど、ちょっとね…」
ナノトランサーからタバコを取り出し、火をつけるイヴ姉さん。
喫煙の習慣を持つパシリは非常に稀ですが、いないわけではありません。特に、惑星勤務のパシリに多いようです。
「悪いけど、検査主任、ちょっと付き合ってくれないかい?」
「え?」
どうしようかと思って父様のほうへ振り向くと、父様は無言で頷いてヒュマ姉さん達と棟外へ出て行きました。
「いいご主人様、いや、だんなさんだね。
あたしの話がみんなに聞かれたくない話だって、分かってくれてるんだ」
紫煙を吐き出し、微かな笑みとさびそうな表情を浮かべるイヴ姉さん。
「父様、パシリにはやさしいですから」
「その様子じゃ、その呼び方以外になんて呼んだらいいのか、まだ思いつかないんだね?」
「はい…」
「仕方ない子だね。まぁ、ゆっくり考えるといいさ」
再びタバコを咥え、ゆっくりと味わう姉さん。
「―――あたしにはね、腹を痛めて産んだ息子がいるんだ」
唐突にそう切り出されて、私は面食らいました。
「姉さんに、息子、さん、ですか?」
すごく苦い笑みを浮かべ、私に視線を向けるイヴ姉さん。
「おかしな話じゃないのさ。
あたしゃ、一体何をしているんだい?」
「あ、それじゃぁ…」
「そうさ、世界初の受胎機構が組み込まれたパシリがこのあたしだよ」
実働試験の一環として受胎機構が躯体に組み込まれ、とある男性研究員と性行為を行って受胎実験がなされたそうです。
「十月十日(とつきとうか)なんて昔は言ったそうだが、試験の都合上、あたしの場合は約一年半の妊娠期間を経て出産となった。
でもね、産めなかったよ。
そりゃそうさ、こんな小さな体で臨月段階のヒトの胎児の自然分娩なんて、最初から無理な話だったんだよ。
もちろん、実験は最終段階で失敗、自然分娩しか考慮されていなかった受胎機構は失敗作として廃棄処分、当然のように胎児ごと処分されそうになった。
だけどね、わたしを抱いた研究員がね、自分の処分を覚悟でわたしと胎児を救ってくれた。
さっきの設備、あれはその研究員―――あたしを見捨てたくないと言い張った男の研究室だったんだよ」
長くなった灰を手近の灰皿に落とし、再び深くタバコを吸うと、静かに紫煙を吐き出すイヴ姉さん。
「結局は、パシリの自然分娩は技術的に無理だと分かって、外科的出産法を考慮された特殊躯体が限定生産されて、それで終わり。
その研究員は、あたしと胎児を救った技術が認められてお咎め無しになったんだけど、赤ん坊を連れてすぐに研究所を止めちまったよ。
その後は、クバラのPM研究所に引き抜かれたって聞いたけど、それ以降は音沙汰がないのさ」
「どうして、そんな話を私に?」
私の問いに、ほとほとあきれたといった感じの笑い声を上げ、吸殻を灰皿に放り込む姉さん。
「それはね、さっき来たパシリの主人のせいさ」
「え?」
「ありゃぁね、あたしの息子なんだよ」
「ほんとですか?!」
驚く私に向かって、確信を持った表情で頷く姉さん。
「ああ、間違いないね。
あの顔、姿、声…昔のままのあの人がやってきたのかと、一瞬自分のセンサーを疑っちまったよ。
それに、息子には特殊なIDタグが埋め込まれていてね、あたしの近くに来ると、あたしに位置と生体情報が送信されるんだよ。
そういう機能があるのは知ってたけど、初めてのことで驚いたね。
まったく、パシリに自分の子供を産ませようなんて、誰に似たんだか…」
暫くの間、彼女の自嘲的な笑いが静かな通路に響いていました。
「たぶん…」
「あん?なんだい?」
私が口を開くと、いぶかしんで、笑いを止めるイヴ姉さん。
「たぶん、姉さんのことを聞いて育ったから、じゃないのかな…」
「どんな風にだい?」
「お前の母さんはパシリだ、言えなかったけど、愛していた、って。私は、」
突然に胸倉をつかまれた事で私の話は中断され、私はそのまま壁に強く押し付けられました。
「ふざけた事を抜かすんじゃないよ、このうすらとんかち!
あんたのだんなみたいな奴はそう多く無いんだ、誰も彼も同じにするんじゃないよ!」
イヴ姉さんが憤怒の表情もあらわに、そこまで一気にまくし立てると、手が離されます。
そして、怒った表情のまま涙を流す彼女。
その顔を見て、私も話の続きを躊躇いましたが、
「それでも、私は、そう思いたい!だって、自分の事を顧みないで、姉さんと子供を助けてくれたんだから!」
どうしても我慢が出来ずに言ってしまいました。
パシン!
いきなり、私の左の頬にイヴ姉さんの平手打ちが飛んできました。
「それ以上、言うんじゃないよ!小娘!」
これ以上無い位に辛そうな表情を浮かべ、とめどなく涙を流しています。
「ご、ごめんなさい…」
私は謝って、それ以上の話を止めるしかありませんでした。
「…本当に、本当にそうなら、あの時、何であたしを一緒に連れていってくれなかったんだい…」
寂しげに呟くと肩を落とし、暗い通路に向かってとぼとぼと歩いて行き、闇の中に消えるイヴ姉さん。
私には、その背中に向かって、それ以上の言葉をかける事なんて出来ませんでした。
「ロザリオ」
唐突に、消えていった通路の闇の中から、落ち着きを取り戻したイヴ姉さんの声が聞こえてきました。
「…はい」
「叩いたりして、ごめんよ。それから、さっきの言葉、言ってくれてありがとう。あたしも、そう思いたい。
…おやすみ」
「おやすみなさい、姉さん」
そして、通路には静寂が訪れました。
イヴ姉さんの話を聞いたあの日以後、私はあの主人とパシリのことがずっと引っかかっていました。
「結局、あのヒトはどうしたのかな…」
ポツリとつぶやいたその一言に、父様は首を振りました。
「分からん。
調書を取るのに対PM対策課まであの主人は来たし、パシリがあの主人の所に帰っていったのは確認したが、それ以上は、な。
それにロザリィ、あの三人の事は、俺達が心配してどうこうなる問題でもないだろう?
ま、PMに関する相談なら受け付けてるって言っておいたから、必要になれば来るだろうし、多少のアドバイスはしておいたから大丈夫だろうさ」
「うん…」
私はその返事と同時に、何故、あの二人の事が引っかかっていたのかに気づきました。
「私ね、パシリなのに父様の子供が産めるんだって分かった時、すごくうれしかったし、それって幸せだなって感じたの。
でも、あのパシリと出会って、イヴ姉さんと話して、それが本当に自分にとっての幸せか、分からなくなっちゃったんだ。
それで、ふと思ったの。
私が感じているこの幸せって、一体なんなのかな、って…」
自分の考えが、自然と口からこぼれ出ます。
それを聞いた父様は、身振りだけで私を呼び、自分の脚の上に横座りに座らせました。
そして、小さな私を片腕でそっと抱きしめます。
「俺は今まで長く生きてきたが、女房という例外はあったけど、誰かと暮らしていても、何処かにずっと孤独感を感じていた。
だけど今は、お前と暮らして、こうやって語り合える時間が、二人でいられる時間があるという事が、とても幸せだと感じている。
確かに、自分の子供が生まれれば、新しい家族が増える喜びに幸せに感じるだろう。
でも、それはそれでまた別の喜び、別の幸せだ。同じものじゃない。
お前がイヴに何を聞いたのかは知らないし、例えそれをこう感じたと話されたって、俺も完全には理解出来ない。
だけどな、これだけは言える。
何が幸せか、なんて、人それぞれだ。
だから、お前はお前の感じる幸せを見つければ良いんだよ」
「私の感じる幸せ…」
私のつぶやきに近い一言に、無言で頷く父様。
膝の上に座っているために、いつもより間近にある父様の顔。
その顔を見ながら、私は考え込みます。
いつかこの人の子供が生めるという喜びは、私が感じている幸せの一部。
じゃあ、その幸せを生み出しているものは、何?
……それは、この人。
私の父様。
最愛のご主人様。
この人がいるから、私は幸せになれるし、それが感じられる。
なんだ、答えは、目の前にあるじゃない。
ザ・ブトンに座っている父様の、脚の上に膝立ちになり、その首にそっと腕を回して、軽く見上げます。
私がそんな格好じゃ脚が痛いはずなのに、父様はそんなそぶりも見せずに、不安定な私の身体を抱えるように両腕で支え、私の顔を見ています。
私は父様の顔を見つめながら、ゆっくりと喋りだします。
「私は、あなたを愛していることに限りない幸せを感じています。
そして、あなたに愛されていることに限りない幸せを感じています。
それが、今、この瞬間に、私の感じている幸せの全て。
私がその幸せを感じられるのは、あなたがいるから。
あなたがいるから、私は今までも、そしてこれからも、色々な喜びを幸せとして感じられる。
私の幸せは、今、ここにいるあなたそのものです」
私はそこまで喋ると、父様の唇に軽くキスをします。
「私、それしか分からないけど…」
『Trick or Treat!』
「「うわっ!!!びっくりした!!」」
夢中で喋っていた私と父様は、誰かが来ていたのにも気づかず、唐突にかけられた声に驚いて、二人共そのまま抱き合いました。
「ど~したの?そんなにおどろいて」
視線を向けると、相変わらず子供口調が抜けないウラルの声が、ラッピー・ラタンの扮装から聞こえてきました。
彼女の後ろには、数人のラッピー・ラタンの仮装姿があります。
たぶん、ラピスやトパーズあたりがやっているんでしょう。
「……父様と話し込んでいたら、みんなに気がつかなかったの」
ああもう、ほんとにびっくりした。
父様もだいぶ驚いたらしく、抱き合ってる私の触覚センサーには、父様の激しい心音がしっかり伝わってきます。
「なぁんだ、そっか。
とりあえず、マスター、ロザリオ、お帰り~。おつとめごくろうさまでした」
そう言って、ペコリ、とお辞儀するラッピー・ラタン姿のウラル。
「おう、ただいま」
やっと落ち着いたのか、言葉と同時に大きくため息をつく父様。
良かった、この様子だと、キスしたシーンは見られていなかったみたい。
以前、父様にキスしたところを運悪く一度だけみんなに見つかった事があるんだけど、みんな揃ってすごいやきもち焼いて困ったのよね。
「ただいま。
でも、『おつとめごくろうさま』は止めてよ、なんか縁起悪いから」
「でさ、お菓子くれないの?いたずらするよ?」
むぅ。ウラルってば、私の話なんて聞いちゃいないんだから…
「あ~もう、この子は…はいはい、ちょっと待ってて」
父様との抱擁を解いて脚の上から降りると、ミッション前に父様と二人で作っておいたカスタードクリーム入りのカップケーキを持ってきて、全員に手渡します。
『ありがとう!』「きゅきぃ~!」
あれ?今、妙な声というか、鳴き声?が聞こえましたが…
「ちょ、ちょっと、みんな!かぶってるそのカボチャを取って!」
「え?あ、うん、いいよ」
出てきたのは、ウラル、トパーズ、ラピス、コーラル、オリビン、ラッピー。
よしよし全員外し………ラッピー?!
「ちょ、な、ラッピー?!」
私が驚いて床にへたり込むと、そのラッピーは父様に飛びついて「きゅー!きゅー!」と甘えた声をあげます。
「うわ、なんだお前?!」
父様は再び驚き、というか、驚かないほうがどうかしてます。
みんなも唖然とした表情を浮かべて、硬直してます。
そのラッピーは、かぶっている布の下から小さな花冠を取り出し、父様の頭の上に乗せました。
「?!、お前、自然保護区のラッピーか?」
「きゅーい!」
なんか、その通りですとばかりに、片方の羽をまっすぐ上に伸ばすラッピー。
そういえば、母様のお墓って、自然保護区の中でしたっけ。
「きゅい、きゅきき~き、きゅきっきピ。きゅーきぴきゅ、き~きーききゅ、きゅぴ」
複雑かつ微妙な音階と発音を組み合わせた鳴き声で、何かを一生懸命しゃべっているようですが、意味がさっぱり…
この鳴き声を文章で表現すると、どうがんばってもこれで精一杯。
『まつり、僕達の、みんな、あそぶ、なりきる、おばけ、ふえる、遅れる、友達、おっきい、今回、なりきる、お化け、来る…』
突然、言語デバイスの中で妙な言葉が勝手に羅列され、次いで、ある程度しっかりした文章になります。
『みんながお化けになりきって遊ぶ、僕達のお祭り。今日は新しくできたおっきな友達がお化けの格好で後から来る』
「きゅるぴ~、きゅーきーきぃぴき」
『今日はお前達を、僕達のお祭りに誘いに来た』
翼をぱたぱたと動かしながら鳴く声に合わせて、頭の中に文章が出来上がっていきます。
これって、ラッピーの鳴き声が翻訳されてるって事?
父様の表情もだんだん険しくなっていくんですけど…
「これがお前達のお祭りで、新しい友達と、誘いに来たってのは解かったんだが…
俺はあいつみたいに、細かいところまで理解できないからなぁ…」
どうやら間違いないようです。というか、父様も良くそこまで解かりますねぇ…
「きゅぴ、き~きゅるぴっきゅ」
どうやら今度は、発音が微妙すぎてよく解からなかったらしく、父様は首をひねっています。
「新しい友達は、すっごく大きいから一緒に来れなかった、って、言ってますよ、父様」
「!、お前、解かるのか?
…ああ、そうか。あいつのデータをお前が受け継いだから、翻訳できるのか」
あ、そっか、母様のデータか。
さっきから頭の中に、鳴き声に合わせて文章が浮かんでくるから、言語プログラムがバグったのかと思っちゃった。
「―――それでね、父様。『ぴっきゅ』って大きさとか数とか指しているらしいんだけど、どれくらいなのかな?
さすがに、そこまでは私にも分からないの」
「『ぴっきゅ』?ふむ、………記憶が間違ってなければ、ディ・ラガンサイズとか、すごくたくさんとかいう意味だったはずだが…」
古い記憶をまさぐっているらしく、やや間があってから答えが返ってきました。
「新しい友達は大きさが『ぴっきゅ』だって、さっき言ってたから…」
「は?大きさが『ぴっきゅ』だって?」
「ぴっきききゅきっぴ、ぴぴ~っきゅ!」
通路のほうに向かって、大きく叫ぶラッピー。
「え?『ここにいるみんなを担ぎ出せ』って、どういう…」
私が尋ね返そうとした直後、
『ぴーっ!』
突如、通路から現れた大量のラッピー・ラタン達。
『ひょえ~!!』
ラッピー・ラタン達にいきなりもみくちゃにされ、気がつけば、私達はフロントカウンターを通り、どこかへ誘拐されていく途中でした。
も~、この宿舎の警備はどうなってるのよ~!シーナさん、手を振って見送ってないで、助けてぇ~!
―――数時間後、自然保護区外縁付近―――
ここは保護区の外れにある、ちょっとした高台になっている開けた場所。
連れ去られた私と父様も含め、全員がお化けカボチャの扮装をさせられ、そこで妙な踊りを小一時間ほどやらされました。
ウラル達は途中からハイになっちゃって、笑いっぱなしで踊る始末。
踊りが終わると、ラッピー達が作ったらしい簡素な焼き菓子をもらいました。
磨り潰した何種類かの木の実を練って板状にし、焼いただけのシンプルなものですが、とてもおいしいものでした。
その後は、おもむろに数匹ずつ集まって、好き勝手に遊びだしたのですが…
「ぐろるるぅ~ぅ」
「うぉ!舐めるな、咥えるな、振り回すなぁぁぁぁぁあ!」
父様は今、ラッピー達の『大きな友達』こと、珍獣ディ・ラガン・ラタンにじゃれつかれ――いえ、もて遊ばれています。
早い話が、ラッピー・ラタンの扮装をしてるディ・ラガンなんですが、その光景はなにか間違っている気がします。
今は外していますが、さっきまではラッピーお手製の張りぼてカボチャを頭にかぶって、地響きを立てながら一緒に踊りに参加してました。
ラッピー達の話によれば、この格好で遊ぶのがお祭りの流儀なんだそうですが、その格好をディ・ラガンにさせちゃうとは……
そしてこのディ・ラガンをよくよく見ると、以前に父様を『お持ち帰り』しようとした、認定20LVの人懐っこいあいつです。
尻尾には小さな歯形が残ってるし、どおりで見覚えがあると思いました。
どういう過程を経て、ラッピー達と友達になったかは知りませんが、ある意味、非常に迷惑極まりないことです。
特に、私達が。
「るろぉぅるるぅ~ぅ」
ミッションでよく聞く咆哮より少し低めの、柔らかい音で鳴きます。
ディ・ラガンが甘えてる声なんて、初めて聞きます。
そして今度は、甘える仕草なのでしょうが、体格差がありすぎてひっくり返った父様に、頭を乗せてすりすりし始めます。
「おわっ!ぐほっ、ちょっ…おも……ぃ…」
「え?ちょっ、ダメぇ!父様がつぶれちゃうよぅ!」
私は父様を助けようと、あわててディ・ラガンの下顎を力いっぱい蹴っ飛ばしてみましたが、無反応。
ど、どうしよう、この程度じゃ全然感じてないみたいだけど、まさかレイピアで斬るわけにも行かないし…
あ、そうだ!前にやった父様の真似してみよう!
私はバトナラを両手で構えて、
「せえのっ!」
バチン!!「ぐぁる?!」
鼻っ面を力いっぱい叩きました。
そこまでやるとようやく動きを止め、鼻を叩いた私に気づいたディ・ラガンが頭を持ち上げました。
「それ以上やっちゃダメ!!父様、つぶれちゃう!!
あなたのほうがずっと大きいんだから、ちゃんと加減してよね!!わかった?!!」
と、派手な身振りをし、大声で怒鳴りつけてやりました。
頭をかしげ、鈍い動きでよろよろと起き上がった父様を見てどうやら状況を理解したらしく、そっと鼻先を近づけて、心配そうに舌で軽く父様を舐めるディ・ラガン。
「助かったよ、ロザリィ…体重かけられちゃって、つぶされるかと思った」
良かった、間に合ったようです。
今度は私に鼻先を近づけ、匂いを嗅ぐ仕草をするディ・ラガン。
べちょり。「きゃっ!」
おもむろに私を舐め上げました。
一瞬の事で、最初は分かりませんでしたが、服や髪にゆっくりと水分が染み込み、濡れて冷たくなっていきます。
「…………ふ……ふぇ、ふえぇぇぇぇぇぇぇん!!気持ち悪いよぅ~!!ふえぇぇぇぇぇぇん!!」
向こうは友愛の仕草のつもりでしょうが、突然舐められ、全身が生臭くてぬるぬるべとべとしたよだれまみれになった気持ち悪さに、私はしゃがみこんで泣き出してしまいました。
今夜は意識体複製後、初めてのデータのクロスチェックを行っています。
データ自体は常時転送されてるけど、これをしないと意識体に誤差が出る心配があるのよね。
『うわっ、気持ち悪………背筋がぞくぞくする』
『私』と「私」は、ディラガンに舐められた情報をチェックした瞬間、気持ち悪さに鳥肌が立つ思いでした。
「こんな情報まで送るのは気が引けるけど、必要な事だから我慢してね」
『気にしない気にしない。
あなたとの情報誤差があると、統合するときに修正不能のひずみを生じちゃう可能性が出るんだから、こういうのもちゃんと送ってくれなきゃ。
…でも、残念ね、父様と久しぶりにキス出来たのに』
「出来ただけマシよ…
うやむやの内にウラル達が泊まっていっちゃうし、後で思い出したけど、諜報部の監視カメラとマイクはあるし…
大体、いつだってジュエルズの誰かが泊まってるんだもん、続きなんてどっちにしろ無理じゃない」
『分かってるけど、言いたくなっちゃうの!
でも、ま、引っかかっていた事がすっきりしたから、良しとしよっか』
「うん」
「『私は大好きなあの人と一緒にいられて、とても幸せ』」
そう言って、くすくすと笑います。
その後、自然と深いため息が出ます。
『……仕方ないといえば仕方ないけど、たまには気兼ねなく甘えたいよね、やっぱり』
「でもさ、大体はジュエルズに邪魔されるし、不意にルテナちゃん来るし…
お膳立てでもしないと、難しいよ?」
『そこはそれ、ミッションのついでに………ほら、前にモトゥブで見つけたあそことか』
「モトゥブは今の状況じゃ難しいよ。それよりも、パルムでね…」
いつの間にか、私(私達?)は『父様にべったり甘えちゃおう計画』を練り始めていました。
実におバカな事を考えていますが、この計画自体はだいぶ前から練っていました。
私の中からローザが消えたあの日から、彼女の情緒不安定な部分が私の意識体データに混ざったみたいで、そこからくる理由の分からない不安感に、常に恐怖を感じていました。
そこで私は、この恐怖を少しでも紛らわせようと思って、この計画を考え始めたのです。
計画を練っている間は多少なりとも恐怖から逃れられ、その不安感について考える心の余裕が生まれました。
そしてやっと、その不安感を生み出している原因にたどり着けました。
それは、父様との関係そのもの。
私は父様に愛されてるの?父様は私といて幸せなの?私の他に、誰か他の人を好きになったりしない?………
二人の関係を考える度にいくつも湧いてくる疑問の数々、それにYesともNoとも答えが出せない自分の心。
そんな心の葛藤が不安感を生み出し、それに恐怖していたのです。
その不安感を打ち消すのは難しいと思いましたが、昼間に父様と話していた時、たった一つの事で解決する事にふと気づきました。
それは、信じること。
私を愛している、二人でいる事が幸せだ、と言った、父様を信じる事。
父様を愛している、父様が自分の幸せそのもの、と言った、自分を信じる事。
YesかNoか、答えを出す必要は無かったのです。
それが分かった今は、恐れる気持ちは薄らいでいます。
ですが、計画を考え始めた理由なんて今となっては過去の話、真の目的は『父様に存分に甘えること』!
私だって、たまには誰にも邪魔されずに、ご主人様である父様に甘えたいんです!
普段なんて、父様と一緒に寝てると文句言われるし、お風呂はみんなに頻繁に乱入されるし…
面倒見のいい父様は、みんなに最後まで付き合っちゃうから、独占したくたって出来ないんです。
そうね、何処かの温泉で、二人っきりでゆっくり混浴とか…いいわよねぇ…
!、そういえば、秘湯みたいな温泉宿のうわさを聞いたことがあった!
「私」は『私』に向かって、今思いついた計画をすごい勢いで伝えました。
「…じゃ、これで決まりね。データ転送を楽しみにしてて」
『そうさせてもらうわ、フフフw』
「ところで、躯体成長度はどんな感じ?」
『いい感じよ。
元素の蓄積は想定通りだけど、あそこで浴びた高濃度フォトンがだいぶエネルギーとして蓄積されてたみたい。
今は60%ほどだけど、80%を超えればエネルギーが安定状態に入るから、そしたら一気に元素変換。
物理的に安定させたいから一度第6段階に退化する予定だけど、この調子ならだいたい20年は時間が短縮できるわね。
ま、元素供給量を増やしてもらわないと、おっつかないけどね』
「りょーかい、その辺は話してみる。
向こうも、さっさと厄介払いしたいだろうし、なんとかなるでしょ」
『よろしくね。じゃ、また明日』
「うん。おやすみ~」
こうして、私達の今年のハロウィンシーズンは過ぎていきました。
ラッピー達に誘拐された翌日、再び現れたラッピー達に配るお菓子を大量に作る羽目になったのは、また別のお話。
ラッピー達は、『今度はクリスマスに来る』と言っていましたが、その時に、ディ・ラガン・ノエルを見ずに済むことを願うばかりです。
ディ・ラガンに舐められるのは、ほんとにもうこりごりです。
最終シークエンスの準備完了。システム、オールグリーン』
オペレーターの声が、冬眠カプセルの並ぶ部屋に響きました。
私はそれを聞き、意を決して合図を出します。
「始めて下さい」
『了解。
循環ジェルの注入を開始、モニタリング開始、バックアップシステム稼動開始。
元素及びエネルギーは規定値をクリア。
躯体保持システムの稼動状況は良好、予測値との情報誤差は0.0000000000000021%』
ここは、グラール教団の、とある研究施設。
何故こんな言い方かというと、一切の外界情報を遮断されて連れて来られた私には、どこにあるかもさっぱり分からない秘匿施設だからです。
そこでは、特殊なボディスーツを装着した女性が、冬眠カプセルに長期封印されようとしてます。
すでに元素やエネルギーが混合された特殊な循環ジェルが充填され、内部からは激しい動きが一切取れなくなっています。
「しばらくは『あなた』とお別れですねぇ」
私が話しかけると、カプセルを管理している端末のスピーカーから、その女性の声を模した音声で答えが返ってきます。
『仕方ありません、予想外の急激な進化でしたから』
女性の意識は半覚醒状態で、完全には眠っていません。
「父様、戸惑ってましたけど…」
『21,405日間のお別れです。
大丈夫ですよ58年くらい。100年くらいなら待つ、って、自分で言ったんですから』
「それは心配してないの。どっちかというと、この躯体が持つかどうかが心配…」
私はそういって、自分の胸元に手を当てます。
『常時バックアップされてますし、データが破損しても、こちらのデータを使えばいつでも復元できます。
…ちゃんと、毎日クロスチェックして、意識体データの更新を忘れないで下さい。
嫌ですからね、死にかけのこの身体であなたを探しに行く羽目になるのは』
「分かってますよぅ、あなたは私なんですから」
『あなたは私、か。
なんか、不思議な感じ。GH-412の「私」を自分の目で見て、自分と会話しているなんて』
「私も、未来の『私』を自分の目でみて、自分と会話してるって思うと、不思議な感じがする。
あなたも私もロザリオ・ブリジェシー、同じ『存在(もの)』なんだから、同じように感じて当然でしょうけど」
そう、この女性は、最終段階まで急激に進化をした、私の本当の躯体。
ほんとは数十年をかけてエネルギーと元素を蓄積してからでないと成れない姿のはずなのに、突然進化してしまったんです。
特に元素が足りてないせいで、外装とブレインコアなどの重要部品以外は半分以上スカスカ、満足に動くどころか躯体維持も危ぶまれる状況です。
そこで、意識体を『複製』したバックアップ用ブレインコアを用意し、準備してあった新規躯体にそれを搭載、それを運用しながら本来の躯体が完成するのを待つ事になりました。
意識体を複製したのは、本来の躯体から意識体がお留守になると色々危険だという判断をしたからですけど………
二つのブレインコアの情報誤差が生じる可能性を考えれば、それはそれで危険な選択ですが、どんな形であっても、私は父様の側に居たかったのです。
「…第6段階進化に必要な元素の変換が済んでいれば、もうちょっと楽だったのに」
『仮にそうだとしても、あのままでは死んでましたよ?』
「そうよねぇ…グラール教団、いえ、幻視の巫女さまさまよね」
『でも、そうだったとしても、やっぱり封印されるんですから、どちらが良かったのかは』
「『微妙よねぇ』」
私が急激に進化したのは、ハビオラ禁止区での変種原生生物駆除に、父様と出向いた時のことです。
ミッション中に突然、私は完成体とも言える第7段階まで急激に躯体が進化、元素不足から躯体が完成せず、機能不全で昏倒しました。
偶然ですが、その日は父様と二人だけでミッションを行っていたので、救援を請おうにも周囲に誰がいる訳でもなく、劣勢になった私と父様は死を覚悟しました。
そこへ、タイミングよく教団所属の特殊警護士の一分隊が到着し、私と父様は助け出されました。
ですが、彼らが私達を助けた理由は、私を封印する為だったのです。
いつもの事ながら、教団から詳細は説明されませんでしたが、私、というよりは私の躯体が活動していると『悪しき意志』、つまりSEEDを引き寄せるらしいのです。
『幻視』によって見えた未来の、来るべき災いを回避する為に封印する、という、一方的な通告でした。
封印期間は、私の躯体が完全に完成するまで。
状況から判断すると、躯体が未完成状態である私が動き回ることが、一番の問題だったようです。
本当は、私の意識体ごと封印される予定だったのですが、巫女様の計らいで、それだけは免れました。
星霊首長イヅマ・ルツ様は、危険性の残る巫女様の計らいについては快く思っていない、と、父様との対面時にはっきりと仰っていました。
実際の問題として、教団側がガーディアンズの備品(形式的にですが)である私を無断処分したことになるわけですが、ごたごたを嫌った父様が『教団側に協力を求めた』という事にして、この事件をガーディアンズ側に報告していました。
勝手な振る舞いをした父様がそれ相応の処分を受けるかと思いましたが、新総裁と父様の間に何かの取引があったらしく、始末書一枚と何かの研修を受けることで済まされてしまっています。
そして、私が根本的な原因であるらしいこの小さな事件は、教団とガーディアンズ、双方の思惑によって巧妙に『無かったこと』にされました。
ここに『私』が封印されている事は、僅かな関係者しか知りません。
それと、私が突然進化した原因は今もって皆目見当がつかず、あの森の高濃度フォトンが何らかの影響を与えたらしい、という私の推測以外は何もありません。
「―――そろそろ時間です。この場をお引取り願います」
男性警護士の、丁寧ですが有無を言わせないその台詞を聞き、私は素直にカプセルの前から立ち去りました。
「おやすみなさい、私」
『おやすみ。また今夜、夢の中で』
「ええ、また今夜ね」
部屋を出た私の背後で、扉とカプセルの封印蓋が閉まる音が聞こえてきました。
―――惑星パルム、ガーディアンズ宿舎―――
「たっだいまぁ、っと」
「おかえりなさいませ」
マイルームに帰ってきた私を出迎えたのは、スペアPMから変わって新たに導入された、フォトンミラージュを応用したお留守番装置です。
この装置は、触ることも出来る『質量を持った』フォトンミラージュと、私達パシリの意識体データバックアップシステム、それに連動した簡易AIで構成され、これで来訪者に対応しています。
この装置、実はずいぶん昔から普及していたのですが、バックアップデータに関する通信自体の問題や私達パシリのバックアップシステムとの連動がうまくいかず、採用されていませんでした。
その為、今までは同型ブレインコアと躯体による、一種の共鳴作用を利用した特殊な通信システムを構築し、各パシリごとに専用のバックアップ躯体を用意する必要がありました。
現在は、破損したベクタートラックが修復され始め、それに伴う通信設備の強化によって今までの問題点がすべてクリアされ、晴れて導入となったのです。
私に関しては、GRMが設置した装置にデータがバックアップ出来ない事は相変わらずで、『私』へのデータ送信はブレインコアの共鳴通信を利用しているんですけどね。
この、ガーディアンズ専用お留守番装置とスペアパシリの交換はGRMが推奨し、1週間もかからず全てが交換されました。
何故ならこの装置、入れ替えも、維持も、スペアパシリにかかる経費の千分の一で出来るからなんです。
あ、そういえば、この有質量フォトンミラージュは意外な所でも使われています。
黄色いアイコンの『パートナーカード』を使ってライア教官…あ、今は新総裁でした、やヒューガ教官とかを呼び出すと、いつでもすぐに来ますよね?
あの、やってくる教官達が『質量を持った』フォトンミラージュなんです。知ってました?
ルウさんは外部端末躯体がいっぱいいましたけど、それ以外のガーディアンズで、生身なのに同じ場所に複数いるのは変だと思ってたんですが、そういうからくりだったんです。
所詮は本人達の能力がデータ化されて、プログラムAIが動かしているだけだから、あんまり強くありません。
まぁ、呼び出しには違いないので、稀に本人がやってきてびっくりしたりする事もありますけどね。
「やっと帰ってこれたなぁ」
父様が私の後ろで、自分の首筋をもみながら、やれやれといった様子で言いました。
私の封印作業が終了するまで、自発的(ほんとは半ば強制ですけどね。建前上という奴です)に教団へ留まっていましたからねぇ。
ナチュラルマットとグッズですっかり居間に改装された元展示スペースですが、そこへ移動した父様は、ザ・ブトンに座るとほっとしたようです。
ちょうどいい時間なので、私がお茶を入れてティー・タイムとなりました。
「躯体の調子はどうだ、ロザリィ。
違和感はあるだろうし、例の装置とのリンクが切れているから、だいぶ勝手が違うと思うが」
ニューデイズ産のグリーン・ティを飲みながら、父様はそう尋ねてきました。
この躯体は、次世代型新設計のメインフレームに私が新造したブレインコアを搭載した、一種のカスタムボディです。
実はこれ、やっと量産の目処がたった交換パーツのテスト用として組まれていたものですが、急遽実用躯体として組みなおしたものです。
これがなかったら、私は少なからず一ヶ月はボディ無しで過ごす羽目になっていたことでしょう。
もっとも、このブレインコアにも内蔵されている異能体感知装置以外は本体ごと封印されてるから、今の私はただのパシリと変わりがありません。
「かなり楽ですよ、この次世代型新設計躯体。
メインフレームの情報処理系がアップグレードされていて、ブレインコアへの負荷が少なくなっています。
私から採取・培養した人工細胞にも次世代技術が取り入れられてて、封印されてる本体よりも高分子モーターや運動制御系も大分改良・洗練されて、動きやすいです。
リアクターも小型で高出力になったので、躯体自体も軽くなりました。
今晩のデータ更新のときに、本体のほうへこの情報を送って、自己改良しようと思います。
後、変わった点は…」
その先を口に出すにはちょっと恥ずかしくて、思わず口ごもってしまいます。
簡単に言えば、夜のお相手の為の機能が改良されてるんです。
「後、私本来の躯体とは違いますけど、量産型に組まれていた精子採集器が外されて、代わりにジーンスキャナーが組み込まれています。
私の場合は躯体メインフレーム以外が専用パーツで組まれた特別製ですけど、今後は定期メンテで順次ヴァージョンアップされて、この新設計躯体の量産版に切り替わっていくでしょう。
そうなれば、ああいう事件は減ると思いますけど…」
「そうだな…」
そう言ったっきり、父様は黙り込んでしまいました。
そう、あれはちょうどハロウィンシーズンの真っ只中、子供達が「Trick or Treat!」と言って、お菓子をねだりに来る日の事でした。
それはヒュマ姉さんの部屋での出来事。
『Trick or Treat!』
「いたずらしないで、お菓子をあげるから!」
『わ~い!!』
ルテナちゃんがそう言うと、仮装をした子供たちは歓声を上げました。
「はい、どうぞ。一人に一袋ずつあるからね」
彼女に代わって、私が一人一人に手渡します。
以前の騒ぎのとき、お菓子作りをするヒュマ姉さんの姿がカルチャーセンターで見かけられた所為か、連日やたらと子供が来るとの事で、今日の私は助っ人に来ています。
「ありがとう!ここのおば…おねーさんのお菓子、すっごくおいしいって聞いたから楽しみだったんだ!」
私の後ろからヒュマ姉さんの咳払いが聞こえてきた途端、素直なお子様達はしっかりと言い直し、にっこりと笑って出て行きました。
「全く、近所のガキどもったら…」
ヒュマ姉さんがぼやきます。
「そう言えば、そのガキどもにスカート引き摺り下ろされたって…」
「それはわたしです」
私の質問にルテナちゃんが、目の端に涙をためて顔を真っ赤にして答えました。
「お使いの帰りに、ヒトが沢山いた往来のど真ん中で下ろされちゃって…」
思い出して感極まったのか、私にすがってしゃくりあげ始めたルテナちゃん。
「あたしはあたしで、ミクミコセット着てひどい目にあった翌日に、思いっきり胸を揉まれたの」
そう言って、自分の胸を両腕で隠すように押さえ、身震いするヒュマ姉さん。
「あの時かぁ…もう、治りました?」
「とりあえずはね。でも、あの時はすごく痛かった…」
眉間にしわを寄せ、思い出してしまった痛みをこらえているようです。
服がずれなかったり、激しい汗をかいても蒸れないのはガーディアンシステムによる機能の一部なんですけど、姉さんのシステムは数日前から環境系機能が不調気味だったんだそうです。
それなのにミクミコセットを着て外出したら、ゆれる胸の動きに布地がついてこなくて、生地で擦れて胸が真っ赤っか、湿度調整がおかしくなってたから蒸れちゃって、布擦れで赤くなった場所に大量に汗をかいて汗疹が出来ちゃったのよね。
結局、姉さんてば痛痒さに耐え切れなくて、出先から一番近い部屋だった父様の所に駆け込んできて、消炎効果のあるパウダーを借りてったっけ。
しかも、炎症の痛みで自分じゃ上手く出来なくて、結局私がパウダーをつけてあげたのよね。
「一度は着てみたくて手に入れたけど、あんな事は二度とごめんよ。私、ミッションにあれを着ていく勇気は無いわね…」
私はその言葉に、ただ苦笑するしかありません。
ぷしゅ~
「こ、こんばんは…と、Trick or Treat…」
かぼちゃのお面とぽっちゃりしたローブ姿、つまりラッピー・ラタンに仮装したパシリが来ました。
仮装パシリはさほど多くは来ませんが、ちらほらと現れます。
ま、大抵は私達の友パシリ達なんですけどね。
「いたずらしないで、お菓子をあげる、か…ら?
…ねえ、どっか具合、悪いの?動きは変だし、苦しそうだし」
決まり文句で返事をし、最初にそのパシリの異変に気がついたのは私。
「う、うぅ……くる…し……ぃ…」
そう言って、踏ん張れなくなって膝をつく彼女。
「…奥に連れて行ってあげるから、ちょっと横になりなさい」
そう言って、様子がおかしい彼女をヒュマ姉さんが抱えあげた途端、姉さんは顔をしかめました。
「ロザリオ、おじ様を呼び出して!急いで!」
「は、はい~!」
突然、ヒュマ姉さんが強い口調でそんな事を言うのでちょっと面食らいましたが、反射的に返事をしていました。
「ちょっと待って!ここじゃなくて、GRMのサービスセンターへ呼び出して!
私達もこれからすぐに行くわよ!」
「は~い」と、言うルテナちゃんの返事を聞きつつ、私は疑問に思いました。
一体、ヒュマ姉さんは何をあわててるんでしょう?
戸締りもソコソコに、GRMのPMサービスセンターへ駆け込んだ私達。
「―――ご主人様、もうすぐ来るそうです」
「そう、分かったわ」
私は既にメールで父様に連絡を取っていて、たった今、返信されてきたばかりの内容を伝えると、ヒュマ姉さんはちょっといらいらしながらも、じっと待っています。
「あの、姉さん、検査が目的なら、すぐに出来るように私の権限で研究棟へ直接入りませんか?
検査設備は研究棟の中だし、ご主人様を待ってても、時間が過ぎるだけだし」
「そうね、そのほうがいいかも。
じゃ、よろしくね」
「はい」
通路の奥にある、研究棟のある敷地への連絡通路入り口前まで移動すると、警備のキャストさんに止められます。
「ここから先は、許可を受けたものと関係者以外は立ち入り禁止だ」
「GRM開発局第5研究棟PMメンテナンスサービス部門検査主任、PMGA00261C5D7-B5、ロザリオ・ブリジェシーです。
外部同伴者1名、同伴PM2体の入棟許可を申請します」
「暫くお待ちください。個体認証IDと製造ロットの照合中……確認しました。
検査主任、入棟を許可します。
外部同伴者1名、同伴PM2体の身元が照合されました。
只今、棟内用時限IDを発行中…登録完了…時限IDの確認終了、入棟を許可します。こちらからどうぞ」
警備員は全員のIDを確認すると、入り口を塞いでいた扉とシールドラインを解除し、私達は中へと案内されます。
私は、いつの間にかパシリメンテの検査主任などという立場を与えられ、この施設へ出入りするようになっていました。
要は、私に例の制圧・制御装置を使わせてパシリ達のメンテナンスをさせる為に、私にある程度の立場を与える事で、GRMは機密保持と出入りの利便性を確保させたわけです。
開発局長様が、何をどうやって手を回したのか知りませんが、ガーディアンズのパシリでありながら、私は今や立派なGRMの社員の一人です。
おかげで、ガーディアンズのヒト達から白い目で見られることもあります。
気持ちは分かりますけどねぇ………
毛嫌いしようとも、組織としてはイルミナスとの癒着やガーディアンズとの確執があっても、結局、私達パシリはGRM無しに稼動の維持が出来ないのが現状です。
それに、この会社にいるヒトみんなが悪い奴って訳じゃありません。
「――検査主任?今日は業務がないはずでは?」
通路を足早に移動していると、向こうから歩いてきた、白衣に身を包んだニューマンの女性が私に声をかけてきました。
「そうなんだけど、ちょっと緊急事態みたい。本業のほうでね」
ちらり、と、ヒュマ姉さんと抱えているパシリを見て、ニューマンの女性が私達の前を歩き出します。
「それならこちらへ。こっちのスキャナーはまだシステムダウンさせてませんから、すぐに使えます」
そう言って、検査室まで案内してくれました。
部屋に入ろうとすると、通路を駆けてくる足音が聞こえてきました。
「すまん、遅くなった。
で、何がどうなってるって?」
「遅いですよ、ご主人様。一体、何処に…って、聞くまでもないか。
ボル・コインのケース、しまってよね、もう」
「ん?あ、ああ…急の連絡であわててたから、預けるの忘れてたよ」
そう言いながら、コインをケースごとナノトランサーに仕舞い込む父様。
下手の横好きとでも言いましょうか、カジノで遊ぶ行為そのものが好きなんですよね、父様。
勝敗で言うなら殆ど負けてますけど。
今まで手に入れた景品はフォトガチャンが1台だけ(実話)ですから、運は良くないようです。
「スキャンはこれからなので詳細は分かりませんけど、様子のおかしいパシリがヒュマ姉さんの部屋に来たんです」
そう言って、ヒュマ姉さんの抱いているパシリに視線を送る私。
そのパシリを一瞥した父様は、眉をひそめると「まさかな」とつぶやきます。
「検査主任、検査室へどうぞ。準備完了です」
研究員の言葉に、私達は問題のパシリを検査台に横たえ、操作室へ入りました。
一通りのスキャンが完了し、その結果を見て驚きました。
「へ?赤ちゃん?妊娠してるの?」
3Dスキャンした映像には、肥大化している腹部に、どう見ても胎児の姿が確認できるのです。
私、彼女のお腹が膨らんでるの、仮装のせいだと思ってた……
「やっぱり…」と言ったのは、ヒュマ姉さん。
「おいおい、マジかよ…型番だと、こいつは受胎機構のある限定生産型じゃなくて量産型だぞ?」
父様はスキャン中に見ていた、ガーディアンズ側の登録データを再確認しながら、首をひねっています。
「ですけど、どう見てもお腹が大きく膨らんでいますよ?記載ミスなのでは?」
ルテナちゃんはそう言いつつ、物珍しそうに検査台のパシリを見ています。
「主人はモトゥブ出身、3ヶ月おきの簡易自己診断では異常なしとの報告あり、ってなってたな。
…あ、特記事項に改造歴があった」
「ご主人様、しっかりしてよね」
「すまん、見落としてた…
ええっと―――クバラ製埋設型オプション装着……日付けはざっと一年前、年一回の定期メンテの直後だな」
父様が、躯体の登録経歴を調べてオプションの型式をチェックすると、GRMに登録済みの社外商品から予想通りの名称が出てきます。
「クバラ製PM用受胎機構セット、ジーンデザイン済み人工卵細胞付き。
これ、半年前に製造を中止、欠陥構造のせいで実際の使用に問題があるとして製品回収になってるな」
「そもそも、私達パシリの体のサイズで、子供を生むこと自体が間違ってます!」
私は自分のことを棚に上げて、そう言い切りました。
「それでおじ様、その主人に連絡は?」
「スキャン中にしたよ。そろそろ連絡が…」
ピピッピピッ、ピピッピピッ
「はい、こちら検査室」
内線の呼び出しが鳴ったので私が出ると、先ほどの警備員からの連絡です。
『検査主任、PMの主人が到着しました』
「こちらに通してください」
『了解しました、入棟手続きを始めます』
その連絡の直後、検査機器から警告音が鳴り響きます。
「え?容態急変って…」
躯体内の生命体を排出する運動信号を確認、躯体機能の損壊可能性が増大、という警告内容です。
「これって、えっと…じんつう?」
医療関係のデータを漁って、類似データからそう推測しました。
「バカ言え!PMが自然出産なんて出来る訳がない!医療課を呼び出せ!」
バン!と検査筐体をひっぱたき、父様が大声を上げました。
「夜だってのにやかましいねぇ。一体何事だい?」
操作室の入り口に、見慣れない型式のGHー4xxが立っています。
明確な型式が不明で、現行のGH-4xxの特徴が入り混じった姿をしています。
しかも、腰までの黒い髪、青い瞳と明るい肌色の人口皮膚以外はオフホワイトで統一されたパーツや服を着ているので、かなり違和感があります。
「あ、イヴ姉さん」
イヴ姉さんは、量産試作機の前段階である基本素体“GH-400”のうちの一人です。
そして現在は、試作パーツの実稼動評価を行うテストパシリでもあります。
目の前に立っているこの躯体は、いわば彼女の専用躯体ですが、最新技術のテストベッドでもあるわけです。
本当はとっくに博物館行き、ヒトでいう所の老後生活に入っているはずのイヴ姉さんですが、現在の彼女がやっている仕事をこなす予定だった個体が実働試験で大破、廃棄処分された為に、代わりとしてその役目を与えられたのです。
極わずかですが、現在まで稼動している古いバージョンの個体もいて、それらと新規部品との相性判断をする意味合いもあるので、彼女らが第一線からいなくなるまで引退も出来ないそうです。
「…ふ~ん、去年もいたんだ、バカな主人が。
こいつの主人、どうせモトゥブ出身だろ?始原祭から計算すれば、大体日数は合うからね。
―――おい、そこのでかいの」
と、父様に指を突きつけます。
「俺か?」
「そいつを抱えて、ついといで。それと、そこの442はバカな主人を呼んできな。
早くするんだ」
有無を言わせず父様に問題のパシリを抱き上げさせ、自分はスタスタと何処かに移動します。
行き先を聞こうにも、「聞く耳なんて持たないよ」と、背中が語っています。
「―――入りな」
そう言ってイヴ姉さんが入っていったのは、『生体研究区画』と呼ばれる、生体組織研究エリアの一室です。
ここは、人工義肢や全身義体と呼ばれるサイバーウェアや、パシリやキャストに使われている生体パーツの開発・研究が行われている区画です。
「でかいの!入り口に突っ立てないで、そこの作業台にそいつを寝かしたら、さっさと操作室に移動しな!
検査主任は問題のパシリを完全制圧、意識体を仮死レベルにしたら、ブレインコアが躯体メインフレームへアクセスするのを完全遮断。
あたしの指示があったら、リアクターと躯体メインフレームの制御をするんだ」
「件のパシリの主人を連れてきました」
パシリの主人を連れたルテナちゃんがやってきて、淡々と告げました。
「あ、あの、俺のパシリは…」
操作室に入ろうとする父様に向かって心配そうに言うパシリの主人ですが、その膝裏を力いっぱい蹴っ飛ばし、ひっくり返すイヴ姉さん。
ひっくり返され、うめき声と文句を上げようとするその主人の首に足をかけ、顔に指を突きつけます。
「よく聞け、このクソ野郎!!
パシリをおもちゃにしようが恋人にしようが知ったこっちゃないが、キャストとは違うんだ!!
あたしらはね、ガキは産めねぇんだよ!!
元々、産めるように出来てないんだ!!
無理やりんな事したら、ぶっ壊れちまうんだ!!
そこんとこがよ~く分かったら、そこのベンチに座って、あたしが呼ぶまで大人しくしてろ!!
そんで、てめぇのしでかした事がどんだけ馬鹿なことか、反省しな!!
分かったな、このすっとこどっこい!!」
そこまで怒鳴りつけて、首を踏んでいた足を退かすと、その足で主人のこめかみに蹴りを入れ、操作室に入っていきました。
暫くして、夜の研究棟通路に響く赤ちゃんの泣き声。
「まさか、助産士の役をやる羽目になるなんて、思わなかった。『タスク』の所でやって以来、かな?」
術衣を見につけ、取り上げた赤ちゃんに手際よく産湯を使わせて肌着を着せたヒュマ姉さんが、独り言を呟きます。
その腕の中には、生まれたばかりの女の赤ちゃんが抱かれています。
この部屋の中には、赤ちゃん用の肌着やオムツなどが常備されていて、まるで産婦人科のようです。
そういえば、今は故あって失効してるけど、ヒュマ姉さんはちゃんと医科大学行って、正規の医師免許を持ってたのよね。
話からすると、海賊時代に赤ちゃんを取り上げた経験があるようですから、手馴れていてもおかしくない訳です。
イヴ姉さんの独り言によれば、パシリに埋設出来る受胎機構が開発されてからというもの、年に数回はこんな事があるという話です。
それと、パシリの受胎機構の妊娠期間は、胎児の成長がパシリの躯体に負担をかけすぎないように約一年で臨月になるように調整されているのが普通なんですって。
イヴ姉さんの統計上、モトゥブの始原祭にやっちゃった事例が多く、妊娠期間との兼ね合いから、この時期にこういう事件が集中するそうです。
「何度もそんな事があったから、こんな設備が作られたなんて、なんか皮肉よね」
私の呟きを聞いたのか、イヴ姉さんがやって来て、私のおでこを指で突付きます。
「あんたは人事じゃないんだよ。
同じバカやって、あたしの手を煩わせないでおくれよ?いいね?」
私の相談相手でもある彼女にはすべての事情を話してあるので、その言葉に素直に頷いておきます。
「さてと、あたしゃそろそろ寝るよ。
これ以上あのクソ野郎の顔を見たら、殺したくなっちまう」
そこまで言うと、足早に去っていきました。
結局のところ、イヴ姉さんの手による(とはいっても、専用の整備筐体を使ってという意味ですが)躯体分解作業によって、1時間ほどで赤ちゃんは無事に生まれました。
同時に受胎機構は撤去されましたが、腹部の生体パーツはあまりにも芳しくない状況で、修理よりは躯体を丸々取り替えたほうが早いくらいでした。
それと受胎機構ですが、後日の調査で耐久性に致命的欠陥があった事が判明しました。
聞いた話では、後半日遅ければ人工胎盤が破裂し、胎児は勿論、母体となっていたパシリも機能停止していただろうととの事です。
「お騒がせしました」
赤ちゃんを抱いて、私達に頭を下げるパシリの主人。
その脇にパシリの姿はありません。
結局、新規躯体にしろ、修理にしろ、すぐに復帰は無理なので、短期間のメーカー預かりとなったわけです。
「Gコロニーの医療課には連絡してあるから、ちゃんとその子供を連れて行くように。
あと、今日の調書を取るから、早いうちに対PM対策課まで出頭する事。
それから、2、3日以内に始末書を書いて提出してくれ」
無言で頷き、パシリの主人は静かに立ち去ります。
「あいつぁ、帰ったかい?」
突然、後ろから声をかけられ、振り返った先にはイヴ姉さんがいました。
「あれ?お休みになるって…」
「ん?ああ、そのつもりだったんだけど、ちょっとね…」
ナノトランサーからタバコを取り出し、火をつけるイヴ姉さん。
喫煙の習慣を持つパシリは非常に稀ですが、いないわけではありません。特に、惑星勤務のパシリに多いようです。
「悪いけど、検査主任、ちょっと付き合ってくれないかい?」
「え?」
どうしようかと思って父様のほうへ振り向くと、父様は無言で頷いてヒュマ姉さん達と棟外へ出て行きました。
「いいご主人様、いや、だんなさんだね。
あたしの話がみんなに聞かれたくない話だって、分かってくれてるんだ」
紫煙を吐き出し、微かな笑みとさびそうな表情を浮かべるイヴ姉さん。
「父様、パシリにはやさしいですから」
「その様子じゃ、その呼び方以外になんて呼んだらいいのか、まだ思いつかないんだね?」
「はい…」
「仕方ない子だね。まぁ、ゆっくり考えるといいさ」
再びタバコを咥え、ゆっくりと味わう姉さん。
「―――あたしにはね、腹を痛めて産んだ息子がいるんだ」
唐突にそう切り出されて、私は面食らいました。
「姉さんに、息子、さん、ですか?」
すごく苦い笑みを浮かべ、私に視線を向けるイヴ姉さん。
「おかしな話じゃないのさ。
あたしゃ、一体何をしているんだい?」
「あ、それじゃぁ…」
「そうさ、世界初の受胎機構が組み込まれたパシリがこのあたしだよ」
実働試験の一環として受胎機構が躯体に組み込まれ、とある男性研究員と性行為を行って受胎実験がなされたそうです。
「十月十日(とつきとうか)なんて昔は言ったそうだが、試験の都合上、あたしの場合は約一年半の妊娠期間を経て出産となった。
でもね、産めなかったよ。
そりゃそうさ、こんな小さな体で臨月段階のヒトの胎児の自然分娩なんて、最初から無理な話だったんだよ。
もちろん、実験は最終段階で失敗、自然分娩しか考慮されていなかった受胎機構は失敗作として廃棄処分、当然のように胎児ごと処分されそうになった。
だけどね、わたしを抱いた研究員がね、自分の処分を覚悟でわたしと胎児を救ってくれた。
さっきの設備、あれはその研究員―――あたしを見捨てたくないと言い張った男の研究室だったんだよ」
長くなった灰を手近の灰皿に落とし、再び深くタバコを吸うと、静かに紫煙を吐き出すイヴ姉さん。
「結局は、パシリの自然分娩は技術的に無理だと分かって、外科的出産法を考慮された特殊躯体が限定生産されて、それで終わり。
その研究員は、あたしと胎児を救った技術が認められてお咎め無しになったんだけど、赤ん坊を連れてすぐに研究所を止めちまったよ。
その後は、クバラのPM研究所に引き抜かれたって聞いたけど、それ以降は音沙汰がないのさ」
「どうして、そんな話を私に?」
私の問いに、ほとほとあきれたといった感じの笑い声を上げ、吸殻を灰皿に放り込む姉さん。
「それはね、さっき来たパシリの主人のせいさ」
「え?」
「ありゃぁね、あたしの息子なんだよ」
「ほんとですか?!」
驚く私に向かって、確信を持った表情で頷く姉さん。
「ああ、間違いないね。
あの顔、姿、声…昔のままのあの人がやってきたのかと、一瞬自分のセンサーを疑っちまったよ。
それに、息子には特殊なIDタグが埋め込まれていてね、あたしの近くに来ると、あたしに位置と生体情報が送信されるんだよ。
そういう機能があるのは知ってたけど、初めてのことで驚いたね。
まったく、パシリに自分の子供を産ませようなんて、誰に似たんだか…」
暫くの間、彼女の自嘲的な笑いが静かな通路に響いていました。
「たぶん…」
「あん?なんだい?」
私が口を開くと、いぶかしんで、笑いを止めるイヴ姉さん。
「たぶん、姉さんのことを聞いて育ったから、じゃないのかな…」
「どんな風にだい?」
「お前の母さんはパシリだ、言えなかったけど、愛していた、って。私は、」
突然に胸倉をつかまれた事で私の話は中断され、私はそのまま壁に強く押し付けられました。
「ふざけた事を抜かすんじゃないよ、このうすらとんかち!
あんたのだんなみたいな奴はそう多く無いんだ、誰も彼も同じにするんじゃないよ!」
イヴ姉さんが憤怒の表情もあらわに、そこまで一気にまくし立てると、手が離されます。
そして、怒った表情のまま涙を流す彼女。
その顔を見て、私も話の続きを躊躇いましたが、
「それでも、私は、そう思いたい!だって、自分の事を顧みないで、姉さんと子供を助けてくれたんだから!」
どうしても我慢が出来ずに言ってしまいました。
パシン!
いきなり、私の左の頬にイヴ姉さんの平手打ちが飛んできました。
「それ以上、言うんじゃないよ!小娘!」
これ以上無い位に辛そうな表情を浮かべ、とめどなく涙を流しています。
「ご、ごめんなさい…」
私は謝って、それ以上の話を止めるしかありませんでした。
「…本当に、本当にそうなら、あの時、何であたしを一緒に連れていってくれなかったんだい…」
寂しげに呟くと肩を落とし、暗い通路に向かってとぼとぼと歩いて行き、闇の中に消えるイヴ姉さん。
私には、その背中に向かって、それ以上の言葉をかける事なんて出来ませんでした。
「ロザリオ」
唐突に、消えていった通路の闇の中から、落ち着きを取り戻したイヴ姉さんの声が聞こえてきました。
「…はい」
「叩いたりして、ごめんよ。それから、さっきの言葉、言ってくれてありがとう。あたしも、そう思いたい。
…おやすみ」
「おやすみなさい、姉さん」
そして、通路には静寂が訪れました。
イヴ姉さんの話を聞いたあの日以後、私はあの主人とパシリのことがずっと引っかかっていました。
「結局、あのヒトはどうしたのかな…」
ポツリとつぶやいたその一言に、父様は首を振りました。
「分からん。
調書を取るのに対PM対策課まであの主人は来たし、パシリがあの主人の所に帰っていったのは確認したが、それ以上は、な。
それにロザリィ、あの三人の事は、俺達が心配してどうこうなる問題でもないだろう?
ま、PMに関する相談なら受け付けてるって言っておいたから、必要になれば来るだろうし、多少のアドバイスはしておいたから大丈夫だろうさ」
「うん…」
私はその返事と同時に、何故、あの二人の事が引っかかっていたのかに気づきました。
「私ね、パシリなのに父様の子供が産めるんだって分かった時、すごくうれしかったし、それって幸せだなって感じたの。
でも、あのパシリと出会って、イヴ姉さんと話して、それが本当に自分にとっての幸せか、分からなくなっちゃったんだ。
それで、ふと思ったの。
私が感じているこの幸せって、一体なんなのかな、って…」
自分の考えが、自然と口からこぼれ出ます。
それを聞いた父様は、身振りだけで私を呼び、自分の脚の上に横座りに座らせました。
そして、小さな私を片腕でそっと抱きしめます。
「俺は今まで長く生きてきたが、女房という例外はあったけど、誰かと暮らしていても、何処かにずっと孤独感を感じていた。
だけど今は、お前と暮らして、こうやって語り合える時間が、二人でいられる時間があるという事が、とても幸せだと感じている。
確かに、自分の子供が生まれれば、新しい家族が増える喜びに幸せに感じるだろう。
でも、それはそれでまた別の喜び、別の幸せだ。同じものじゃない。
お前がイヴに何を聞いたのかは知らないし、例えそれをこう感じたと話されたって、俺も完全には理解出来ない。
だけどな、これだけは言える。
何が幸せか、なんて、人それぞれだ。
だから、お前はお前の感じる幸せを見つければ良いんだよ」
「私の感じる幸せ…」
私のつぶやきに近い一言に、無言で頷く父様。
膝の上に座っているために、いつもより間近にある父様の顔。
その顔を見ながら、私は考え込みます。
いつかこの人の子供が生めるという喜びは、私が感じている幸せの一部。
じゃあ、その幸せを生み出しているものは、何?
……それは、この人。
私の父様。
最愛のご主人様。
この人がいるから、私は幸せになれるし、それが感じられる。
なんだ、答えは、目の前にあるじゃない。
ザ・ブトンに座っている父様の、脚の上に膝立ちになり、その首にそっと腕を回して、軽く見上げます。
私がそんな格好じゃ脚が痛いはずなのに、父様はそんなそぶりも見せずに、不安定な私の身体を抱えるように両腕で支え、私の顔を見ています。
私は父様の顔を見つめながら、ゆっくりと喋りだします。
「私は、あなたを愛していることに限りない幸せを感じています。
そして、あなたに愛されていることに限りない幸せを感じています。
それが、今、この瞬間に、私の感じている幸せの全て。
私がその幸せを感じられるのは、あなたがいるから。
あなたがいるから、私は今までも、そしてこれからも、色々な喜びを幸せとして感じられる。
私の幸せは、今、ここにいるあなたそのものです」
私はそこまで喋ると、父様の唇に軽くキスをします。
「私、それしか分からないけど…」
『Trick or Treat!』
「「うわっ!!!びっくりした!!」」
夢中で喋っていた私と父様は、誰かが来ていたのにも気づかず、唐突にかけられた声に驚いて、二人共そのまま抱き合いました。
「ど~したの?そんなにおどろいて」
視線を向けると、相変わらず子供口調が抜けないウラルの声が、ラッピー・ラタンの扮装から聞こえてきました。
彼女の後ろには、数人のラッピー・ラタンの仮装姿があります。
たぶん、ラピスやトパーズあたりがやっているんでしょう。
「……父様と話し込んでいたら、みんなに気がつかなかったの」
ああもう、ほんとにびっくりした。
父様もだいぶ驚いたらしく、抱き合ってる私の触覚センサーには、父様の激しい心音がしっかり伝わってきます。
「なぁんだ、そっか。
とりあえず、マスター、ロザリオ、お帰り~。おつとめごくろうさまでした」
そう言って、ペコリ、とお辞儀するラッピー・ラタン姿のウラル。
「おう、ただいま」
やっと落ち着いたのか、言葉と同時に大きくため息をつく父様。
良かった、この様子だと、キスしたシーンは見られていなかったみたい。
以前、父様にキスしたところを運悪く一度だけみんなに見つかった事があるんだけど、みんな揃ってすごいやきもち焼いて困ったのよね。
「ただいま。
でも、『おつとめごくろうさま』は止めてよ、なんか縁起悪いから」
「でさ、お菓子くれないの?いたずらするよ?」
むぅ。ウラルってば、私の話なんて聞いちゃいないんだから…
「あ~もう、この子は…はいはい、ちょっと待ってて」
父様との抱擁を解いて脚の上から降りると、ミッション前に父様と二人で作っておいたカスタードクリーム入りのカップケーキを持ってきて、全員に手渡します。
『ありがとう!』「きゅきぃ~!」
あれ?今、妙な声というか、鳴き声?が聞こえましたが…
「ちょ、ちょっと、みんな!かぶってるそのカボチャを取って!」
「え?あ、うん、いいよ」
出てきたのは、ウラル、トパーズ、ラピス、コーラル、オリビン、ラッピー。
よしよし全員外し………ラッピー?!
「ちょ、な、ラッピー?!」
私が驚いて床にへたり込むと、そのラッピーは父様に飛びついて「きゅー!きゅー!」と甘えた声をあげます。
「うわ、なんだお前?!」
父様は再び驚き、というか、驚かないほうがどうかしてます。
みんなも唖然とした表情を浮かべて、硬直してます。
そのラッピーは、かぶっている布の下から小さな花冠を取り出し、父様の頭の上に乗せました。
「?!、お前、自然保護区のラッピーか?」
「きゅーい!」
なんか、その通りですとばかりに、片方の羽をまっすぐ上に伸ばすラッピー。
そういえば、母様のお墓って、自然保護区の中でしたっけ。
「きゅい、きゅきき~き、きゅきっきピ。きゅーきぴきゅ、き~きーききゅ、きゅぴ」
複雑かつ微妙な音階と発音を組み合わせた鳴き声で、何かを一生懸命しゃべっているようですが、意味がさっぱり…
この鳴き声を文章で表現すると、どうがんばってもこれで精一杯。
『まつり、僕達の、みんな、あそぶ、なりきる、おばけ、ふえる、遅れる、友達、おっきい、今回、なりきる、お化け、来る…』
突然、言語デバイスの中で妙な言葉が勝手に羅列され、次いで、ある程度しっかりした文章になります。
『みんながお化けになりきって遊ぶ、僕達のお祭り。今日は新しくできたおっきな友達がお化けの格好で後から来る』
「きゅるぴ~、きゅーきーきぃぴき」
『今日はお前達を、僕達のお祭りに誘いに来た』
翼をぱたぱたと動かしながら鳴く声に合わせて、頭の中に文章が出来上がっていきます。
これって、ラッピーの鳴き声が翻訳されてるって事?
父様の表情もだんだん険しくなっていくんですけど…
「これがお前達のお祭りで、新しい友達と、誘いに来たってのは解かったんだが…
俺はあいつみたいに、細かいところまで理解できないからなぁ…」
どうやら間違いないようです。というか、父様も良くそこまで解かりますねぇ…
「きゅぴ、き~きゅるぴっきゅ」
どうやら今度は、発音が微妙すぎてよく解からなかったらしく、父様は首をひねっています。
「新しい友達は、すっごく大きいから一緒に来れなかった、って、言ってますよ、父様」
「!、お前、解かるのか?
…ああ、そうか。あいつのデータをお前が受け継いだから、翻訳できるのか」
あ、そっか、母様のデータか。
さっきから頭の中に、鳴き声に合わせて文章が浮かんでくるから、言語プログラムがバグったのかと思っちゃった。
「―――それでね、父様。『ぴっきゅ』って大きさとか数とか指しているらしいんだけど、どれくらいなのかな?
さすがに、そこまでは私にも分からないの」
「『ぴっきゅ』?ふむ、………記憶が間違ってなければ、ディ・ラガンサイズとか、すごくたくさんとかいう意味だったはずだが…」
古い記憶をまさぐっているらしく、やや間があってから答えが返ってきました。
「新しい友達は大きさが『ぴっきゅ』だって、さっき言ってたから…」
「は?大きさが『ぴっきゅ』だって?」
「ぴっきききゅきっぴ、ぴぴ~っきゅ!」
通路のほうに向かって、大きく叫ぶラッピー。
「え?『ここにいるみんなを担ぎ出せ』って、どういう…」
私が尋ね返そうとした直後、
『ぴーっ!』
突如、通路から現れた大量のラッピー・ラタン達。
『ひょえ~!!』
ラッピー・ラタン達にいきなりもみくちゃにされ、気がつけば、私達はフロントカウンターを通り、どこかへ誘拐されていく途中でした。
も~、この宿舎の警備はどうなってるのよ~!シーナさん、手を振って見送ってないで、助けてぇ~!
―――数時間後、自然保護区外縁付近―――
ここは保護区の外れにある、ちょっとした高台になっている開けた場所。
連れ去られた私と父様も含め、全員がお化けカボチャの扮装をさせられ、そこで妙な踊りを小一時間ほどやらされました。
ウラル達は途中からハイになっちゃって、笑いっぱなしで踊る始末。
踊りが終わると、ラッピー達が作ったらしい簡素な焼き菓子をもらいました。
磨り潰した何種類かの木の実を練って板状にし、焼いただけのシンプルなものですが、とてもおいしいものでした。
その後は、おもむろに数匹ずつ集まって、好き勝手に遊びだしたのですが…
「ぐろるるぅ~ぅ」
「うぉ!舐めるな、咥えるな、振り回すなぁぁぁぁぁあ!」
父様は今、ラッピー達の『大きな友達』こと、珍獣ディ・ラガン・ラタンにじゃれつかれ――いえ、もて遊ばれています。
早い話が、ラッピー・ラタンの扮装をしてるディ・ラガンなんですが、その光景はなにか間違っている気がします。
今は外していますが、さっきまではラッピーお手製の張りぼてカボチャを頭にかぶって、地響きを立てながら一緒に踊りに参加してました。
ラッピー達の話によれば、この格好で遊ぶのがお祭りの流儀なんだそうですが、その格好をディ・ラガンにさせちゃうとは……
そしてこのディ・ラガンをよくよく見ると、以前に父様を『お持ち帰り』しようとした、認定20LVの人懐っこいあいつです。
尻尾には小さな歯形が残ってるし、どおりで見覚えがあると思いました。
どういう過程を経て、ラッピー達と友達になったかは知りませんが、ある意味、非常に迷惑極まりないことです。
特に、私達が。
「るろぉぅるるぅ~ぅ」
ミッションでよく聞く咆哮より少し低めの、柔らかい音で鳴きます。
ディ・ラガンが甘えてる声なんて、初めて聞きます。
そして今度は、甘える仕草なのでしょうが、体格差がありすぎてひっくり返った父様に、頭を乗せてすりすりし始めます。
「おわっ!ぐほっ、ちょっ…おも……ぃ…」
「え?ちょっ、ダメぇ!父様がつぶれちゃうよぅ!」
私は父様を助けようと、あわててディ・ラガンの下顎を力いっぱい蹴っ飛ばしてみましたが、無反応。
ど、どうしよう、この程度じゃ全然感じてないみたいだけど、まさかレイピアで斬るわけにも行かないし…
あ、そうだ!前にやった父様の真似してみよう!
私はバトナラを両手で構えて、
「せえのっ!」
バチン!!「ぐぁる?!」
鼻っ面を力いっぱい叩きました。
そこまでやるとようやく動きを止め、鼻を叩いた私に気づいたディ・ラガンが頭を持ち上げました。
「それ以上やっちゃダメ!!父様、つぶれちゃう!!
あなたのほうがずっと大きいんだから、ちゃんと加減してよね!!わかった?!!」
と、派手な身振りをし、大声で怒鳴りつけてやりました。
頭をかしげ、鈍い動きでよろよろと起き上がった父様を見てどうやら状況を理解したらしく、そっと鼻先を近づけて、心配そうに舌で軽く父様を舐めるディ・ラガン。
「助かったよ、ロザリィ…体重かけられちゃって、つぶされるかと思った」
良かった、間に合ったようです。
今度は私に鼻先を近づけ、匂いを嗅ぐ仕草をするディ・ラガン。
べちょり。「きゃっ!」
おもむろに私を舐め上げました。
一瞬の事で、最初は分かりませんでしたが、服や髪にゆっくりと水分が染み込み、濡れて冷たくなっていきます。
「…………ふ……ふぇ、ふえぇぇぇぇぇぇぇん!!気持ち悪いよぅ~!!ふえぇぇぇぇぇぇん!!」
向こうは友愛の仕草のつもりでしょうが、突然舐められ、全身が生臭くてぬるぬるべとべとしたよだれまみれになった気持ち悪さに、私はしゃがみこんで泣き出してしまいました。
今夜は意識体複製後、初めてのデータのクロスチェックを行っています。
データ自体は常時転送されてるけど、これをしないと意識体に誤差が出る心配があるのよね。
『うわっ、気持ち悪………背筋がぞくぞくする』
『私』と「私」は、ディラガンに舐められた情報をチェックした瞬間、気持ち悪さに鳥肌が立つ思いでした。
「こんな情報まで送るのは気が引けるけど、必要な事だから我慢してね」
『気にしない気にしない。
あなたとの情報誤差があると、統合するときに修正不能のひずみを生じちゃう可能性が出るんだから、こういうのもちゃんと送ってくれなきゃ。
…でも、残念ね、父様と久しぶりにキス出来たのに』
「出来ただけマシよ…
うやむやの内にウラル達が泊まっていっちゃうし、後で思い出したけど、諜報部の監視カメラとマイクはあるし…
大体、いつだってジュエルズの誰かが泊まってるんだもん、続きなんてどっちにしろ無理じゃない」
『分かってるけど、言いたくなっちゃうの!
でも、ま、引っかかっていた事がすっきりしたから、良しとしよっか』
「うん」
「『私は大好きなあの人と一緒にいられて、とても幸せ』」
そう言って、くすくすと笑います。
その後、自然と深いため息が出ます。
『……仕方ないといえば仕方ないけど、たまには気兼ねなく甘えたいよね、やっぱり』
「でもさ、大体はジュエルズに邪魔されるし、不意にルテナちゃん来るし…
お膳立てでもしないと、難しいよ?」
『そこはそれ、ミッションのついでに………ほら、前にモトゥブで見つけたあそことか』
「モトゥブは今の状況じゃ難しいよ。それよりも、パルムでね…」
いつの間にか、私(私達?)は『父様にべったり甘えちゃおう計画』を練り始めていました。
実におバカな事を考えていますが、この計画自体はだいぶ前から練っていました。
私の中からローザが消えたあの日から、彼女の情緒不安定な部分が私の意識体データに混ざったみたいで、そこからくる理由の分からない不安感に、常に恐怖を感じていました。
そこで私は、この恐怖を少しでも紛らわせようと思って、この計画を考え始めたのです。
計画を練っている間は多少なりとも恐怖から逃れられ、その不安感について考える心の余裕が生まれました。
そしてやっと、その不安感を生み出している原因にたどり着けました。
それは、父様との関係そのもの。
私は父様に愛されてるの?父様は私といて幸せなの?私の他に、誰か他の人を好きになったりしない?………
二人の関係を考える度にいくつも湧いてくる疑問の数々、それにYesともNoとも答えが出せない自分の心。
そんな心の葛藤が不安感を生み出し、それに恐怖していたのです。
その不安感を打ち消すのは難しいと思いましたが、昼間に父様と話していた時、たった一つの事で解決する事にふと気づきました。
それは、信じること。
私を愛している、二人でいる事が幸せだ、と言った、父様を信じる事。
父様を愛している、父様が自分の幸せそのもの、と言った、自分を信じる事。
YesかNoか、答えを出す必要は無かったのです。
それが分かった今は、恐れる気持ちは薄らいでいます。
ですが、計画を考え始めた理由なんて今となっては過去の話、真の目的は『父様に存分に甘えること』!
私だって、たまには誰にも邪魔されずに、ご主人様である父様に甘えたいんです!
普段なんて、父様と一緒に寝てると文句言われるし、お風呂はみんなに頻繁に乱入されるし…
面倒見のいい父様は、みんなに最後まで付き合っちゃうから、独占したくたって出来ないんです。
そうね、何処かの温泉で、二人っきりでゆっくり混浴とか…いいわよねぇ…
!、そういえば、秘湯みたいな温泉宿のうわさを聞いたことがあった!
「私」は『私』に向かって、今思いついた計画をすごい勢いで伝えました。
「…じゃ、これで決まりね。データ転送を楽しみにしてて」
『そうさせてもらうわ、フフフw』
「ところで、躯体成長度はどんな感じ?」
『いい感じよ。
元素の蓄積は想定通りだけど、あそこで浴びた高濃度フォトンがだいぶエネルギーとして蓄積されてたみたい。
今は60%ほどだけど、80%を超えればエネルギーが安定状態に入るから、そしたら一気に元素変換。
物理的に安定させたいから一度第6段階に退化する予定だけど、この調子ならだいたい20年は時間が短縮できるわね。
ま、元素供給量を増やしてもらわないと、おっつかないけどね』
「りょーかい、その辺は話してみる。
向こうも、さっさと厄介払いしたいだろうし、なんとかなるでしょ」
『よろしくね。じゃ、また明日』
「うん。おやすみ~」
こうして、私達の今年のハロウィンシーズンは過ぎていきました。
ラッピー達に誘拐された翌日、再び現れたラッピー達に配るお菓子を大量に作る羽目になったのは、また別のお話。
ラッピー達は、『今度はクリスマスに来る』と言っていましたが、その時に、ディ・ラガン・ノエルを見ずに済むことを願うばかりです。
ディ・ラガンに舐められるのは、ほんとにもうこりごりです。