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■XX07/2/14 16:00

『居住区画No21より38、接続第二ロック解除正常終了』
 スピーカーから流れるアナウンスに、居並ぶ情報部職員たちが歓声を上げた。
 ガーディアンズ情報部ワーキングルーム。
 パージプログラムは問題なく進行していた。準備に数ヶ月を要した一大プロジェクトが今、
 緩やかに終着を向かえようとしている。三十分後の最終ロック解除で、最後だ。
『居住区画No21より38、接続最終ロック解除準備開始』
 部屋のあちこちから、若い情報部員たちが手を合わせる甲高い音が鳴り響く。
 ろくに家にも帰れず、仮眠室で休憩を取るばかりの生活が、やっと終わる。
 バレンタインデーの夜には職務から解放されるという喜びもあるのだろう。
 中央モニタに流れるメッセージを見詰める彼らは、まるで、人気スポーツの中継を見ているようなお祭り騒ぎだった。
 その片隅で…、
「何やってんだお前?」
「ああ、いや、ちょっとな」
 中央モニタを囲む人の輪に加わらず、自分のデスクに座ったままの職員に、同僚が声を掛けた。
 乱雑なデスクの上には、一台の携帯端末が置いてある。
 『Calling…』
端末の小さなモニタには、その文字が絶えず点滅していた。
「彼女かぁ? まー、今日はバレンタインだしな、デートの約束か?」
「違ぇよ、そんなんじゃねぇ。ダチんトコだよ。もういねぇダチだけどな」
「あん?」
 怪訝そうな同僚に、彼は灰皿に置いていたタバコを口にくわえ、一つふかし、
「三ヶ月も前に死んじまった。…警備部のガーディアンズでな。
 緊急コールが間に合ってれば助かった。本部の不手際で死んじまったよ」
「…悪ぃ」
「いんや、良いさ。こんな話、どこにでも転がってるしな。
 …パシリがいてな。未だにあいつが死んだことを認めようとしねぇ。
 部屋に籠もりっきりで、たった一人、アイツが帰ってくるのを待っている。
 総務部からの帰投命令にも応じねぇし…、何度か話をしに行ったけど、駄目だった」
 ぽわん、と、男は器用に煙で輪を作り、やるせなさそうに顔を落とす。
「今回パージされるブロックにあったんだよ、あいつの部屋。
 もうすぐ切り離されて、パルムの海に激突するだけなのにな」
 パージの準備が始まり、近隣住民への避難命令が発令された頃から、ずっと発信し続けている。もう何時間経ったろう。
「出なけりゃ出ねぇで良いんだ。…ひょっこりどこかに逃げてくれたんだと思えるからよ」
 ぽん、と、同僚は彼の肩を一つ叩き…、それ以上は何も言わずにデスクを離れていった。
 逃げてくれたならそれでいい。あれは友人の大事な忘れ形見だ。どれだけ大切にしていたか知っている。
 ちりちりと音を立ててタバコの煙を吸い上げながら…、それでも、彼は妙だと思っていた。
 夕べの晩も連絡を取った。スリーコールもしないうちに通話は繋がった。
 あのパシリは、それが今度こそ主からの連絡だと思い込んでいるからだ。今までもずっと、通話は即繋がったのだ。
 彼女は、どこにも行かない、とそう言った。明日には塵も残さず消え失せる空間だと知っていて、
 それでも彼女は、その場所を離れることを頑なに拒んだ。…それが…、

「どうして――、出ない…?」

 

                   16:11

 

「…なにこれ?」
 彼女は、目の前の光景に、ぽつんとそんな呟きを発した。
 二十歳ほどのヒューマン。胸には警備部所属の職員章が下げられている。
 数分前、PMに合成を頼み、部屋を出た。野暮用があった。
 大した意味はないが、まぁ…、その、アイツにチョコくらいくれてやろう、と。
 その彼女が、呆然と立ち尽くしていた。やけに豪華にラッピングされたチョコの箱を手にしたまま。
「何だこりゃ?」
 彼女と同じようにこの場所にやってきた大型のキャストが、彼女と同じ光景を見て、やはりぽつんと言葉をこぼす。
 ガーディアンズコロニー、居住区画No8連絡通路。
 クライズ・シティに通じるその通路は――、閉ざされていた。
「…アンタ何かやったのか?」
「やるわけないでしょう。どうやったら『災害用隔壁』を下ろせるのよ」
 怪訝そうに彼女を見下ろして言うキャストに、彼女は八重歯を剥いて言い返す。
「ちょっとー! 何よー! どうなってんのよー!」
 がんがんと、彼女のブーツの底が隔壁を蹴る。
 コロニーで最強硬度を誇る隔壁は、勿論そんなことではビクともしない。
「…また本部のミスだろ。毎日毎日、よくもまぁミスをしてくれるもんだ」
 腕を組み、キャストの男は呆れたようにそう言った。
 どうせまたコロニーの管理ミスだ。…仮にも宇宙空間にある居住衛星だというのに、
 本部の危機管理能力には呆れ返る。
「あったまきた! 本部に文句言ってやる!」
「止せ止せ、どうせ『至急原因を調査致します、ご理解とご協力を…』だ」
 頭から湯気を立たせる彼女は、キャストの言葉には耳を貸さず、インカム式通信機を耳と口元に当て――、

「本部! 何よコレ! 隔壁降りてんじゃないのよ! 私ら閉じ込める気!?」

 

                   16:19

 

「…あん?」
 彼がそれに気付いたのは、たまたまデスクに目を向けた時だった。
 相も変わらず祭り騒ぎの情報部。彼もまた少々騒ぎ過ぎ、乾いた喉を潤そうと、
 随分前にデスクに置いていたコーヒーのカップに手を伸ばした為だった。
「あんだァ? 何かあったんかァ?」
 眉根を寄せてデスクに座る彼の元に、中年の主任が近寄ってくる。
「…中央制御室のCPU稼働率――、おかしくねぇっすか?」
 デスクの上のモニタに、数値を覗き込む二人の男の顔が写り込んだ。
「予想値は?」
「25%っす」
「…なんだァ、こりゃ…」
 モニタ上に映っているCPU稼働率は――、80%――!?
「コロニー内のライフライン管理に使用される分は…、っと…、確か…」
「…あ、30%ぐらいっす」
「わァってるわぼけェッ!」
 至近距離から唾を飛ばされ、彼の上半身が思い切り仰け反る。
 その時だった、
「しゅにーん! 本部から通信ですー! 内線18番ー!」
 遠くの席から、若い情報部員がぶんぶんと手を振って言ってくる。
「何だってんだ本部の能無しどもが――!」
 毒液でも吹き掛けられたかのように必死で顔を拭う職員を尻で押し退け、主任は席を占領すると、
「はいはい、こちら情報部。何か用かい?」

「…隔壁が落ちた…? 居住区画の1から20まで全部――!?」

 

                   16:21

 

 彼女は待っていた。リニアラインプラットホームの入口近くの壁に背を預け、腰を下ろし、ただ独り。
 諜報部の戦闘服に身を包んだ――GH-430。
 右手首に巻いてきた作戦行動用の頑強な腕時計を、気怠げな眼差しが一瞥する。
 あと、9分。それで始まる。…全てが終わる為の、16:30が。

 

                   16:24

 

「本部総裁オーベル・ダルカン氏に緊急連絡! 至急繋げウスノロぉっ!」
 祭り騒ぎを一蹴する主任の絶叫に、数十人からなる情報部員が一同に凍り付く。
 …あの人確か…、本部と内線で通話してたんだよな…?
 インカムから内線呼び出し音が聞こえ出すのと同時に、主任は椅子を蹴倒し、立ち上がり、
「全員持ち場に着けェッ! パージプログラム強制停止準備! チンタラしてる奴ぁブチ殺――」

 どぉおおおおお…ぉぉ……ぉん――!

 遠い地鳴りのような音と共に、ワーキングルームが激しく鳴動する。
 否――、ガーディアンズコロニー全体が、だ。
 唐突の怒号と、不意の激震に、誰もが目を白黒させて硬直している中…、

『居住区画No1より20、第一、第二ロック解除正常完了』

 誰もが耳を疑う、無機質なアナウンスが――

『居住区画No1より20、接続最終ロック解除準備開始』

 ただ当たり前のように、…あまりも壮絶な異常を告げる。

『三十分後に、居住区画No1より20の接続最終ロックを解除します』

「誰が何をやりやがったァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

                   16:25

 

「諜報部長官による特務権限使用。直ちにガーディアンズコロニーの全星間通信を遮断」
 長い黒髪を舞わせて振り返ると、彼女――諜報部長官――は、オペレーションルームにて作業する諜報部員にそう言った。
 極平然と、まるで、コーヒーでも頼むかのように。
 それは突然にして唐突な命令ではあったが…、彼女の手で統治される諜報部員たちの動きに淀みはない。
 絶対の君主の命令に従い、直ちに行動を開始する。
「なるほど…、なるほど…、今の今まで沈黙していたのはこの為ですか…」
 彼女はオペレーションルームの奥に設置された大型モニタを見遣り、目を細める。
 モニタに映し出されるのは、ガーディアンズコロニー全域の立体映像。
 それは、パージプログラムの実行に沿わせて表示させていた。
 今まで赤く点滅していたのは、接続第二ロックまで解除された、居住区画No21から38まで。
 それがどうだ。今では21から38までどころか、居住区画の全てが赤く点滅している。
「通信部潜入中の内偵班から連絡! パージプログラムの二重起動が発覚!
 現在居住区画No1から20までが接続第二ロックまで解除されています!
 三十分後には――、パージされます!」
 狙いはこれだったのか――。
 コロニーのパージは最大限の安全確保が前提の重要作業だ。
 プログラムを起動する中央制御室に些細なトラブルがあれば、計画はトラブルの完全排除が確認されるまで見送られる。
 だから…、息を潜めて待っていた。四日も前に中央制御室を支配しておきながら。

「ブリーフィングルームにいるわ。データ等の転送、よろしくね?」

 

                   16:27

 

「本部総裁オーベル・ダルカン氏より承認取れました!
 パージプログラム強制停止許可!」
 情報部ワーキングルームに響く、もはや悲鳴のような承認報告!
「プログラム止めろォッ!」
 指揮官たる主任の怒号の元、担当官が拳を振り上げ、保護用パネルケースごと、強制停止ボタンを叩き潰す! ――が、
「パージプログラム…、停止――しません!」
 中央のスクリーンに映る赤い数字が、悪魔のカウントダウンをし続けている!
 居住区画No21から38までのパージまであと2分10秒!
 そして…、
 誰もが予期せぬ第二回目のパージ、『今なお人が住む』居住区画No1から20までのパージまで…、

 ――あと27分03秒!

「停止プログラムのエラーか!?」
「エラー…、というか――!」
 停止プログラムの担当官は、もはや死人の顔にも等しいほどに青ざめた表情でコンソールパネルを操作し続け…、そして、
「中央制御室のCPUそのものが…、指示どころかアクセスさえ受け付けませんッッ!」
 が、たっ…。
 腰が抜けたような脱力感を感じ、主任は自分の事務椅子に腰を落とす。
 待てよ――、おい――、待て――。
 避難勧告なんぞ出してないぞ…?
 居住区画の1から20には…、ガーディアンズだけじゃない、民間人を含め、数十万人の人間が…、取り残されてるんだぞ――!?
「主任! 主任ッ!」
 絞り上げるかのような声は、また別の所から――、
「第一回目のパージブロックの衝突場所は、パルム海118-21ポイント、プロジェクト通りです…、が――! 第二回目のパージブロックの衝突場所は――」
 その声が、見る見るうちに絶叫へと変わる!

「ホルテス・シティ西区画12-8ポイント――! 市街地ですッ!」

「ホルテス市長及び同盟軍本部に緊急連絡! 本部を通すな時間がねぇ! 直通だ!」
 心臓を張り裂こうとする鼓動に耐え、主任は血を吐く思いで絶叫するも、
「もうやってます! やってますよ! でも――!
 くそったれッ! 何で星間通信が通らねぇんだよ! 何でだよッ!」
 返ってくるのは、理解不能のパニックに陥る、通信担当官の悲鳴だった…。
 ガァンッ!
 激怒、憤怒、そんな言葉では表現の付かない怒りに顔を歪めた主任が、目の前のデスクに拳を叩き付ける。

「この期に及んで打算と損得か――諜報部の死神どもがァッ!」

 

                   16:28

 

「長官。オペレーションルームより、シュミレートが届きました」
「出して」
 諜報部ブリーフィングルームの立体モニタに、惑星パルムの首都、ホルテス・シティの全景を描いた地図が広がっていく。
「第二回目のパージブロックの衝突場所は、ホルテス・シティ西区画12-8ポイント」
「…あら、やっぱりね」
 小さな音と共に灯る赤い光の場所は、立体地図の中でも一際巨大な建物の中央だった。
「GRM本社。こうまでわかりやすいといっそ清々しいわねぇ」
 立体モニタが放つ光に照らし出される彼女の表情は――、薄ら寒い微笑みを浮かべている。
「このまま事態が進行すれば、居住区画No1から20のブロックは16:55にパージ。
 17:21に、該当ポイントに衝突します」
 モニタ上に出現する、総数20の巨大な箱。それらは立体地図の上に次々と降り注ぎ――、
 被害範囲を示す赤い円が、地図を赤く染め上げていく。
 GRM本社は元より、隣接する同盟軍本部、リニアトレインホームなど、西区画にある各所は瞬く間に赤い円に飲み込まれ、
 その円周の広がりは止まることを知らず、中央区画を飲み込み、東区画まで達していく。
「GH-440によって中央制御室が支配されているのなら、GH-440の破壊を以て中央制御室は奪還出来る。
 その後であれば、パージプログラムの強制停止も可能になるでしょうね。
 でも、それが間に合わなければ――」
 長官の言葉に、オペレーターは即答する。考えるまでもない。…シュミレート見れば一目瞭然だ。

「ホルテス・シティは壊滅します」

「被害予想は?」
 シティは、もはや余すところもなく真紅に染め上げられていた。
「パージされ激突する居住区画、そして破壊されるホルテス・シティを合算し――、
 人的被害だけで…、100万人を突破します。被害総額は予想も出来ません」
「すごいわね。まるで第二のメルヴォア・エクスプロージョンだわ」
 十八年前に起こった未曾有の大惨事。
 大都市メルヴォアを一瞬にして壊滅させた謎の大爆発。
「――死人に口無し、ですか?」
 …その為に、ガーディアンズコロニーからの星間通信を遮断したのですか?
 寡黙さを気に入られてブリーフィングルームのオペレーターに抜擢されたキャストの女性が、そう言った。
「ええ。GRMや同盟軍の幹部職員に生き残られてしまってはまずいですもの。
 特にGRMは駄目ね。調査されれば今回の原因がワンオブサウザンドの仕業だってバレちゃうわ。
 だって、あの子たちの生みの親ですもの。
 突然の謎の大惨事で街ごと壊滅して貰いましょう。後は何とでも煙に巻くわ」
「その為に、罪もないホルテス・シティの住民を、見殺しにするのですか?」
 衝突までまだ時間はある。今避難命令を出せば、ホルテス・シティの住民の、それでも何割かは…、被害を逃れられるだろう…。
「メルヴォア・エクスプロージョンは十八年も昔に起こった事故なのに、今なお原因は不明になっているじゃない?
 それは、その惨劇を目の当たりにした人間、その原因を知る人間、それらが一人も生き残らなかったからよ。
 あるいは、その秘密を知る者が、意図的に情報を操作しているか。
 …そうねぇ…、ガーディアンズコロニーを突然支配した謎のハッカーによる犯行。
 後付のシナリオはこんなんでいいんじゃないかしら?」
 各惑星の有力者から管理能力の甘さを糾弾され、総裁は辞職、本部と情報部の役員の首は総すげ替え。
 最悪の場合、『こちら側』の被害はそれくらいで済むだろう。安い物だ。
 頬に手を当て、独り計算に勤しむ彼女に、
「…長官にとって、100万人の命とは…、どの程度の重さですか…?」
 操作用のコンソールパネルをじっと見下ろしたまま、噛み殺した声音で言うオペレーターの言葉が掛けられた。
 彼女はきょとんと振り返る。…珍しい。彼女がそんな声で喋るなんて。
 私のお給料袋よりは軽いかしらね? 笑ってそう言ったら、彼女は何と答えるだろう。
 それは実に試してみたいところだが、――流石に不謹慎過ぎて止めた。
 彼女はキャストだ。…ホルテス・シティで生まれた者だ。

「…重さは噛み締めているつもりよ? だからこそ」

 長官は、ふいとブリーフィングルームのデジタルクロックを見上げる。
 それはまるで計ったかのように、16:29を示していた電光が、16:30を表示する瞬間だった。

「私は今回の事件に、私が持ち得る最高のカードを切ったんじゃない」

 

                   16:30

 

「GH-430、任務行動を開始。ターゲット、及びターゲット接触までに発生した障害の全てを――完全破壊します」

 ■XX07/2/14 16:39

「あぁァはははははははははははははははははははははははッ!」
 オロール展望台に設置されたモニタを支配した440は、そこに映し出された光景に狂気の笑い声を爆発させる。
 画面は幾つにも分割され、ガーディアンズコロニーの至る所の光景がリアルタイムに流れていく。
「見て! ほらビーストさん見て下さい! 一回目のパージブロックが落ちていきますよ!
 あーーーははは! ねぇ!? それを見ている居住区画のニンゲンどもの顔と来たら!」
 誰もが薄々と勘付いていた。理解の早い者は気付いていた。
 コロニーから切り離され、宇宙空間へと投げ捨てられた未使用居住区画。

 ――何者かの手で、次は…『ここがああなるのだ』と!

「巣を壊された虫けらみたい! あっはっはっはっはっは!
 あーあ、こっちの区画は大暴動ですね! 何が発端の喧嘩やら!
 どうせあと数十分の命なら、せいぜい仲良くしていれば良いとは思いません!?
 あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーははははははァッ!
 思い出でも語ってさァ! あり得ない未来を語ってさァ! そんな風に自分たちの死を綺麗事で飾ればいいのに!」
 悪魔が脚本を書く惨劇。舞台は狂気。結末は死。救いなど何一つない人形劇!
 まるでオーケストラの指揮者でも気取るように、諸手を広げて悦に入る440の背後へ――、
「わぁあああああああああああああああああああああああァッ!」
 後ろ手に両手を拘束されたままのビーストの少女が、必死の声を上げて突撃する!
 肩越しに振り返る440の表情は余裕だった。瞳にありありと狂った歓喜を宿らせたまま、素早く少女の隣を潜り抜け、
 彼女の後頭部に手を添えると、今まで自分が前にしていたコンソールパネルへと叩き付ける!
 がづんッ! コンソールの縁に額が激突する鈍い音に、440は戯けてかぶりを振った。
「あら痛そ。…大丈夫です?」
 ビーストの少女の体が、ずりずりと床へと崩れていく――が、
「なん、て…」
 細い足が、崩れる体を踏み止まらせる。
「――なんてことを――! みんな…、みんな、生きているんですよ!?」
 額から鼻筋、そして顎先へと血が流れていくのにも構わず、少女は絶叫する。
「…どんなに辛い過去があったって――、貴方にこんなことをする資格があるのですか!?」
「資格? いいえ? 私にあるのは義務ですよ?」
 440の口元が、長く長く伸びた三日月のような、壮絶な笑みを浮かべる。
「貴方の言葉に合わせて教えてあげましょうか?
 そうですねぇ、バレンタインにちなんで、貴方がチョコを作ったとしましょう。
 それはとてもとても良く出来て、貴方にとって最高のチョコに仕上がった。
 ビーストさん。そうしたら貴方はそのチョコをどうします?」
 浮かべる笑顔は狂気、瞳に揺れるのは殺気、――紡ぐ言葉は、呪詛。
「食べるでしょう!? それも、出来るだけ沢山に人に食べて欲しいでしょう!?
 褒めて貰いたいでしょう!? 良く出来ているね! 美味しいね! って!
 それとも貴方はチョコを飾るんですか!? 溶けて崩れて泥の塊みたいになるまで!」
 声と共に突き出された440の小さな手が、ビーストの少女の首を鷲掴みにして、
 ただ無造作に床へと叩き付ける!
 短い悲鳴を上げて床に倒れ伏す少女に、440は身を屈めて顔を近付け、
「目的があって作られた『物』ならば、その目的を果たす事は義務ではありませんか?」
 鼻と鼻とが触れあう距離で…、440は密やかに笑った。狂気を叩き付けるのではなく、
 甘い毒を染み込ませるかのように、優しく、優しく。
「GRMはチョコを作りました。それは素晴らしく良く出来たチョコ。
 チョコレートは思います。私は美味しく食べられる為に作られたのだから、
 沢山沢山の人に食べてもらおう。私の味を知って貰おう。だって私は最高のチョコレート」
 ぺちゃ…、と鳴る、湿った音。
「…ぅ――はぅ……ぅっ」
 それは、440が伸ばした舌先が、少女の血の筋をなぞる音。顎先から唇、鼻先、目元、額へ。
 背筋が粟立つような悪寒に、少女の身が竦み上がる。
 彼女の血で真っ赤に染まった舌先を指で触れ、その赤い色に440はうっとりと目を細めると、
 狂喜に震える瞳をモニタへと流した。
「GRMが作ったのは、チョコレートなんかではなくて――、爆弾でしたけどね?
 これが、GRMが作ろうとした、PMという名の兵器だ。さぁ、よく見て全部死ね」

 440は、己の胸へと手を当てると、挑むかのように胸を張る!

「お前らが私を作ったから、お前たちはみんな死ぬんだ!
 プレゼントの箱は居住区画の外壁製!
 中身のチョコレートは数十万の様々な命!
 嬉しいだろう! 夢に描いた愛娘からのバレンタインチョコだ!
 味わって死ね! GRM! ガーディアンズ!」

    * * * *

「…とんでもねェことを――!」
 情報部のCPUにアクセスして引き出した情報に、男の目が丸くなった。
「おい女帝さん! 姉ちゃん! パージプログラムが二重起動してる!
 20分足らずで居住区画のNo1から20まで一気に落ちるぞ!
 落下地点はホルテス・シティ、GRM本社ビルのど真ん中だ!」
「――あーあ…、よもやと思ったがまんまかい…。進歩もクソもないねぇ、あのイカレ妹は!」
 ばきりと音を立て、450が握っていたキセルが二つに折れる。
「に、二十分て…、おっさん――、パルムの人、逃がさないと…!」
 男の服に縋って言ってくる440に、男は顔を背け、苦い表情を更に潰すように、奥歯を噛み締める。
「ガーディアンズコロニーの一切の星間通信が遮断されてる…。
 今やこのコロニーは完全密室だ。どうにもなんねぇ――
 何でだ!? 星間通信は全部が全部中央制御室の管理じゃねぇだろう!?」
「諜報部だろうねェ…。この手のいけ好かねェやり口は常套手段だ…。
 わかってんのかね――! 440はそれを見越してコロニーを落としてんだってことに!」
 利用する者と利用される者のイタチごっこ。それは二転三転とする内に、手に負えない事態を更に手に負えなくしていくだけだ。
「ご主人サン!」
「今ハッキングプログラムが完成しました。環境を整えて即アタックします」
 モニタ上を滝のように流れていく文字を全て見逃さすチェックしながら、
 ニューマンの女性の指が動いていく。穏やかな物言いとは裏腹の、猛烈なスピードで。
「情報能力特化型のワンオブサウザンドが相手では、システムの全権奪還はほぼ不可能でしょう。
 ――おじさん、パージプログラムと共に、その停止プログラムもアップロードされているはずですよね?」
「ああ、間違いない」
「こちらからのハッキングの狙いはただ一つ。停止プログラムの強制実行です」
「でも、でもヤクザお姉さん…、結局CPUが占拠されてるなら、また何度だってやり直しされるだけじゃ…」
 事態が如何に絶望的か。直感でそれを悟ったのか、440は男の服を握りしめたまま、怯えた声でそう言った。
 一度火を消したとしても、着火装置も燃料も、未だ「GH-440」の手の中だ。
「いや――」
 その問いに答えたのは、壁に背を預けたままの450だった。
 折れたキセルタバコを握る手を見下ろしたまま、彼女は、
「諜報部が動いているのなら――、きっとアイツも動いてる」
 これだけの事態だ。…諜報部も切り札を切ってくるだろう。
「…アイツ?」
 誰とも知れぬその問い掛けに、450は目を伏せる。

 ――済まないね…、また、アンタにばっかり、辛い思いをさせるね…。

「アタシの大事な、もう一人の妹さ」

    * * * *

 ダァンッ!
 猛烈な音は、戦闘服に身を包んだ430の軍靴が床を踏み抜く音。
 ひび割れの走るプラットホームの床に、新しい亀裂が走っていく。
 踏み抜きの勢いと共に430が突き出したバーストの銃口は、突撃槍の切っ先と化し、
 彼女の目の前にいた無人戦闘用マシナリ、シーカーの装甲を真正面から突き破る!
 本来SEEDフォームに占拠されているはずのリニアラインプラットホームは、無人マシナリの巣窟だった。
 数百体を超える、途方もない数のマシナリで埋め尽くされている。
 それらは本来、コロニーの中央制御室への通路を守る番人たちであり…、
 今や中央制御室を支配した440の、傀儡だった。
 貫かれた蜘蛛の如きマシナリを目の前に、430はバーストの引き金を引く。
 敵にしているのはこの一体だけではない。その後ろにはこの部屋だけで他に二十体以上のマシナリがいる。
 ズドォオオオオオオオオオオンッ!
 銃口を体内に抱えていたマシナリを一瞬で爆裂四散させ、バーストの一撃は爆炎を突っ切って突き進む!
 迫ってきていた二機の右半分と左半分をそれぞれ爆砕し、後方から重火器射撃の準備をしていた一体を真正面からぶち抜き、
 更に後方の一機を貫いて――、最後に着弾した外壁を途轍もない規模で陥没させる!
 それはもはや光弾ではなく…、如何なる障害、装甲、防壁を貫く、光線!
 壮絶な火力。もはや携行武器の限界を超える威力を発揮する長銃を手足の如く操る彼女に、意志ある者ならば、恐怖を感じ得ただろう。
 自爆機能を作動させる間もなく大破する総計五機の残骸を飛び越え、更なる一機が430の頭上へと飛びかかる!
 今この場に在る物は無私のマシナリ。命令を実行するだけの兵器。
 恐れない、怯えない、躊躇わない!
 ――だが、
 430は眼差しを上向けることもなく、ただ、ビームガンを握る左腕を、頭上へと突き付けた。

 それは、彼女とて同じ事だった。

 ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
 猛烈なマズルフラッシュが薄暗い通路を真っ白に染め上げる。
 それはマシンガンなどと呼ぶには生温い。戦艦が副砲として搭載するような――数百の発砲音を呻りに変える、ガトリング砲!
 430の頭上にいたマシナリは、遡る数百のフォトン弾に次々と打ち抜かれ、着地することもなく消滅する。
 降ってくるのは、避ける必要もない些細な残骸ばかり。ぱらぱらとこぼれ落ちてくる鉄屑に構わず、430は歩き出す。
 この場所に至るまで、彼女は全くの無傷だった。
 その足取りが一分と止まる事すらない。ただ、前へ前へ。
 二百機を超えるマシナリを根刮ぎ破壊しつつ、彼女はこの場に辿り着き、
 そして当たり前のようにこの場から先へと進んでいく。
 表情は空白。眼差しにあるのは感情ではなく、任務を遂行する為の意志。
 狂犬とは誰が与えた二つ名だったのか。…今の彼女は狂犬ではなかった。狂犬で「すら」なかった。
 430の小さな体を叩き潰そうと、四つ足のマシナリの右前足が、轟音を立てて振り下ろされる。
 ドンッ! と床が揺れるほどの勢いを、430は左腕で受け止めていた。
 展開されてたシールドラインが、淡い光の線を描いて消え失せていく。
 バーストをナノトランサーに収め、空になった彼女の右手が、小さな小さな拳を作る。
 そして…、その拳の一撃は、もはや一打というより、一閃だった。
 大砲の直撃にも似た轟音を鳴り響かせ、装甲を陥没させられたマシナリが猛烈な勢いで吹き飛んでいく。
 後方にいた二機を巻き込んでなおその勢いは死なず、三機をまとめて外壁へと叩き付け――、否、貼り付ける。
 まるでシールのように、ひしゃげて壁に貼り付けられたマシナリ。その光景は、思わず滑稽を感じてしまうほどの、非日常。
 勿論、430は笑わない。表情さえ浮かべない。――兵器は決して笑わない。
 ナノトランサーに収納している間にフォトンチャージを使用したバーストを再び右手に握りしめ、
 430は歩いて行く。
 その道程を塞ぐ全てを容易く破壊し、走ることもなく、だが絶えず進み行くその姿は、

 もはや――、万物の終着点である「死」を司る、死神だった。

    * * * *

「…すごぉい」
 440は狂気の張り付く顔で、素直にその言葉を口にした。
 来るだろうとは思っていた。何しろ招待状まで出したのだ。
 彼女が決意し、準備を整え、動きだし、…そうしてここへ来るのが18:00頃。そう読んでいた。
 このオロール展望台に続く経路には、中央制御室を警備するマシナリ数百機を配置していた。
 時間の計算には、430がそれらを突破する時間も含まれている。が、これはどうだ?
「すごい…、すごい、すごいすごいすごい!
 すごいですよ430! 私の計算なんて全部馬鹿みたいです!」
 彼女は440の計算の半分にも満たない時間で、とうに中継地点に達している!
 諜報部の隠し刀!? 狂犬!? とんでもない!
 あれはもはや「歩く死」だ!
「…よん、さん、ぜろ――…?」
 440が歓声を上げて見守るモニタを、床に倒れたまま見上げ、ビーストの少女が呟く。
「…よんさんぜろ…、よんさんぜろ…、よんさんぜろぉっ!」
 見る間に目一杯に涙を浮かべ、叫ぶ度に涙を散らし、少女は最愛のPMに呼び掛ける。
 モニタ越しの映像。――まるで、地獄のような戦場を一人歩く、彼女に。
 感情一つない表情に前進の意志だけを宿し、目の前に現れる全てを瞬く間に破壊し尽くし、
 ただただ歩き進む――彼女!
「くふ。お話したでしょう? アレが彼女の『本当』!
 あまりにも馬鹿げた戦闘能力から、かつてのマスターに恐れられ、見捨てられたPMの成れの果て!
 喜怒哀楽なんて全て『爆薬』! 一度トリガーを引けば、それらの感情は力に変わり、
 瞬く間に燃え尽きる! 後に残るのは撃ち放たれた『弾丸』だけよ!」
 そうだ、彼女はきっと知ったのだ。やっと! やっと!
 あの下水道の中で、結局私が語らなかった言葉を。
 形は違うかも知れないが、その意味を!
「やれば出来るじゃァないですか! 430!
 それでこそワンオブサウザンド! そうですよ! 私たちなんて所詮兵器なんだ!
 考える必要なんか何もない! ただその威力を発揮して破壊して行けばいい!
 だってGRMが私たちPMに望んでいることはそれだけなんだから!
 あの下水道で別れて、どれくらい時間が経ちましたっけ!?
 ようやくまた、私たちは同じになれましたね! あははははははははははッ!
 そう! まるで鏡映しみたいだったあの頃みたいに!」

「違うッ!」

 狂った人形劇の台詞を叩き潰す、少女の叫び声。
「違う違う違う違う、絶対に違うのですッ!
 はぅ――! 430は貴方なんかとは違うのです!
 こんなに酷いことをして――、そうして笑う貴方なんかとは違うのですッ!」
 立ち上がれぬまま、それでも食い付かんばかりに小さな牙を剥いて叫ぶビーストの少女に、
「お前に何がわかるんだァッ!」
 振り向く表情に鬼の顔を浮かべ、440は唐突に発砲する!
 手にしたエビルツインズの片割れから撃ち放たれた銃弾が、少女の頭部を掠め、長く白い髪を引きちぎった。
「――私は…、貴方たち『ワンオブサウザンド』なんて、言葉も知りませんでしたが…」
 髪留めが解け、二つに結い上げられていた髪の片方が、はらはらと散って彼女の顔へとこぼれ落ちていく。
「私は『あの子』なら知っているのです! 他の誰より知っているのです!
 貴方より! GRMより! 諜報部の人たちより! 私が一番良く知っているのです!
 何も知らないのは…、440さん、貴方の方なのですよッ!」

 …じりぃッ!

 不意に脳の奥にノイズが走り、440は顔を歪める。
 誰かが――、中央制御室のCPUにアクセスを試みている――!
 それのせいだ。――それのせいだそれのせいだそれのせいだ!
 こんな世間知らずの春満開ビーストの戯言のせいじゃない!

「あの子と貴方は鏡映しなんかじゃない! 同じなんかじゃない!
 貴方なんかと――、一緒にするななのですッ!」

 じじじ、じ、じじッ! じじじじじじじじィッ!

「うるさいなぁあああああああああああああああああああああああああァッ!
 どいつもこいつもぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!
 あとちょっとの演劇なんだ! 黙って見ていろよぉおおおおおおおおおッ!」

    * * * *

 がんっ! ドンッ! ばんッッ!
「な、なんだァッ!?」
 不意に鳴り響いた爆発音の連続に、男は椅子から立ち上がる。
「――ハッキングがばれました。もの凄い負荷です。…機材が持たない」
 部屋の奥の電子機材が次々にオーバーフローを起こして火花と煙を上げ始めるのにも構わず、
 ニューマンの女性は目の前のモニタから目を離さない。
 モニタの上から下へと流れていく怒濤のような情報を読み取り、変化を察し、
 一つの道が塞がれる前に別の道を探し出す。――そして、機材がまた一機破裂する。
「ここまでの能力だったとは、計算外です」
 彼女の頬に汗が一筋流れていった。…今はまだ一進一退の五分だが、演算機械が一機使えなくなる事に、確実に押されていっている。
「よ、440! とりあえず火だ! 火ぃ消せ! 火事になる!」
「おっさんも手伝えばかァッ! うわー! こっちも壊れて火ぃ吹いてる!」
 部屋の片隅にあった消化剤を手にドタバタと走っていく二人を苦笑して見送って、
 それまで部屋の壁に背を預けてい450は…、主である彼女の元へと歩き出す。
「…時間は?」
「…残り15分を切りました。…これでは…」
 唇を噛み締めて言う主に、450は笑って見せた。
「やれやれ、馬鹿な妹を持つと苦労するねェ」
 それは、彼女が時折見せる、皮肉めいた優しい笑顔。
「――450?」
 問いに、450は行動で答える。女性が操作するコンソールパネルから伸びるケーブルを数本、無造作に引き抜き――、
「壊れない機材が必要なんだろう? いるじゃないか、ここに。
 とびきり頑丈なのが。…ちょいと性能はひねくれてるがねェ」
「450!」
 その意味に気付き、目を丸くした彼女が慌てて手を伸ばすのよりも早く、
 450は自分の首後ろの端子にケーブルを接続した。
「――ッぐァアァッ!」
 高圧電流に触れたかのように、450の全身が弾けて竦み上がる!
「なんてことを――! 今ケーブルを外――」
「馬鹿なことホザいてんじゃないよ!」
 だぁんっ! と、450は後ろ手に部屋の壁を叩き、叫ぶ!
 その壮絶な声に、部屋の奥で消火作業をしていた男と440までもが、手を止めて振り返る。
「アタシらが白旗上げたらどうなんだい!
 100万人が死ぬ! でもそれだけじゃない! ――PMはただの兵器になっちまうんだよ!
 アンタのお袋サンがアタシたちに見てくれた幸せな夢が! 全部無かったことになっちまうんだよ!
 アタシは嫌だ――! そんなのは絶対に嫌だ――!
 おい、おチビ!」
「は、はぃい!」
 ばちばちと体中から紫電を走らせながら必死の形相を向ける450に、440が思わず居住まいを正して返事をする。
「お前の夢は何だい!? 何かあんだろ! ちっぽけでもつまらなくても!
 そりゃ何だ!? 別に答えなくたっていいさね!
 でもそりゃあ――、立派な『ヒトゴロシ』の兵器になることか!? 違うだろ!」
「…う…、うん…。――うん――、ある! 私にも夢がある!
 私はそんなもんにはなりたくない!」
 あまりにもな光景に飲み込まれかけた440は、それでも、表情に意志を結び直して、そう叫ぶ!
 それは恐らく、450にとって極上の返事だったのだろう。言葉も、態度も!
 彼女はにんまりと品の悪い笑顔を浮かべ――、主へと向かい直り、
「アタシらの体が作りモンでも――、アタシらの心が作りモンでも――、
 アタシら『PM』という存在が、どんなにちっぽけだとしても――!」
 目を見張ったまま硬直していた女性の瞳からは…、ぽろぽろと、涙が。

「忘れないどくれよ! アタシらの見る夢は、いつだって本物なんだッ!」

 ■XX07/2/14 16:42


 オロール展望台へと続く最後の一室。本来SEED・ヴァンスが牙城を築いているはずの大広間。
 そこに広がっていた光景に――、歩み出してから初めて、430の足が長く止まる。
「…お久しぶりですね? 430」
 唐突な声は頭上より。天井近くのモニターからだった。
 とうの昔に機能を停止していたはずのモニタには、ひどいノイズ混じりながら、440の姿が映し出されている。
 その表情は、歪んでいた。
 痛みを抱えているかのように顔中を引きつらせ、そして――、いつかのように、がりがりと額を掻きむしって。
「デートの時間にはまだ早いんじゃありませんか…?
 せっかく二人で、真っ赤に焼けただれたホルテス・シティを見下ろしながら、
 展望台でお菓子でも食べようと思っておりましたのに」
「…すぐそこに行く。そして殺す。それで、全部終わりだ」
 無機質な430の言葉に、440は笑う。歪んだ顔のまま、目一杯の狂気を花開かせる。
「あはははははぁ! 『彼女たち』を皆殺しにしてですか!?」
 大広間にいたのは、戦闘用マシナリでも、SEEDフォームでもなく――、

 100体の、パートナーマシナリー。

 誰もが皆、暗い表情の中に、怒りと憎しみとを宿らせ、武器を持ち、
 ――430を待ち構えるかのように、そこにいた。
「…悪趣味なことね。――お得意のCPU支配?」
「馬鹿なことを! 大切な妹たちにそんなことしませんよ!」
 がりがり、がりがり――、額を掻きむしる音の合間に、狂った声。
「教えてあげたんですよ! 誰もいない部屋で、部屋ごとブロックがパージされるのを待っていた彼女たちに!
 どうしてマスターが死んでしまったのか! どうしてマスターが戻ってこないのか!
 ガーディアンズという組織が如何に腐っていて――、
 それが故に大事なマスターは、死んでしまって! 愛想を尽かせて! そうしていなくなってしまったんだ、って!」
 絶望を語るその声に、居並ぶ彼女たちの眼差しがより暗く、より鋭く変わっていく。
「――殺せますか? 彼女たちを」
「…殺せるか殺せないかなんて関係ない。――殺す」
「はははははッ! 言うと思った! そう言うと思ったぁっ!
 それでこそ貴方だ! やっぱりそうだ! 貴方は私とおんなじ!
 見た目が違ったって! 表情が違ったって! やっぱり貴方は私と同じ!
 やっぱり貴方はそうなった! あの時の私と同じになった!
 私たちは兵器! 破壊する為の道具!
 一切合切必要ない! 関係ない! 破壊がその本分だもの!」
 440の額の古傷から、見る間に真っ黒なオイルが溢れ出した。
 430は――、やはり表情を変えることなく、右手に提げていたバーストの銃口を向ける。
 薄暗い感情を澱ませる、無数のPMたちの中心へと。

「死――」

    * * * *

「止めなさい――! 430ッッッ!」

    * * * *

 凛、と。
 殺し合いが始まるのを待つだけだった暗い広間に、少女の声が鳴り響いた。
 モニターには、いつの間にか…、440ではなく、その場所を強引に奪ったビーストの少女が映っていた。
 髪は解れてバラバラで、額からは血が流れ、体に痛みがあるのか、呼吸だけで肩が震えていて…、
「…ご主人様…」
 モニターに映る彼女を見上げることなく、バーストの銃口を下げることもなく、
 表情さえも浮かべず――、だが、430の口は、そう呟いていた。そして、
「…ご不自由とご不快とをお許し下さい。間もなく、お助けに参り――」
「私を見て喋りなさい! 430!」
 430の言葉を遮り、少女が叫ぶ。
「はう! 430! 私を見なさい! 私を見て言いなさい!」
 その言葉に…、430の眼差しが、微かに俯く。
 …胸中を過ぎるのは、――今この場には、何一つ関係のない記憶。

 憶えていますか――? ご主人様。

 エネミーが怖い、と、物陰に隠れて耳をぴったりと頬に貼り付けて震えて。
 かすり傷一つに、痛いのです、痛いのです、と、べそをかいて。
 陳腐なホラー番組を見たからって、一晩中私に世間話を付き合わせて。

「私を見るのが――、怖いですか…?
 私がどんな目で430を見るのか、それを知るのが怖いのですか――?
 430が…、ワンオブサウザンドという存在だと知った私が、
 貴方をどう見るのか――、怖いのですか――?」

 額、痛いですよね?
 あんな440がすぐ隣にいるんです、怖いですよね?
 今まさに、100万人の命が消える瀬戸際なんです、恐ろしくないわけが、ありませんよね――?

「私を見なさい430! 私と目と目を合わせなさい!
 貴方は自分の目でそれを確かめて! 貴方が自分で考えなければならないのです!
 心とはその為にあるものなのですよ! 430!」

 でもいつの間にか貴方は――、そんな強い言葉を、私に掛けてくれるようになったのですね…。

 430は…、そっと、天を振り仰ぐように、彼女を見る。
 どんなに固く凍らせようとした心も暖かく溶かしてくれて…、
 捨てたはずの思いさえ、何食わぬ顔で拾って、「はうはう、忘れ物なのです」と、笑って差し出してくれて――、
「――ごしゅじんさま…」
 滲む視界で見上げる先には、目一杯に涙を浮かべて、それでも笑っている、少女の姿。
「…痛かったですよね…。とっても、苦しかったですよね――。
 だって…、430はそんなにもボロボロなのです――。痛くないわけが、ないのです…」
 かすり傷一つ無い430を、慈しむように見詰めて、少女はぽとぽとと涙を落とす。
「ここに来るまでをずっと見ていたのです…。ずっとずっと見ていたのです――。
 戦って戦って――! 一つ壊す度に傷が出来て――、その傷からはどんどん涙が溢れてきて――!
 私はちゃんと見ていたのです…! 430の傷を! 傷だらけの、ボロボロの心でここまで歩いてきた430を!」
 目を反らし、耳を塞ぎ、心を閉ざしたくなる衝動を、ただ強い意志で抑え込んで。
「私、私ね…? ちゃんと気付いてあげられたのですよ…?
 430がね――? ずぅっと、ずぅっと、泣きながら戦ってきたこと――」
 そこにいるのは、彼女だったから。見間違えるはずもない、自分のたった一人の430。
 その彼女がさらけ出す、「本当のこと」だったから。
「…私は、本当を言えば、怖いのです…。
 貴方の前のご主人様が、貴方の強さが怖くて諜報部に売ってしまったという気持ち、
 ――私にも、わかるのです…。でも!」
 ビーストの少女は、何一つ隠さず、刹那も目を反らすことなく、モニタ越しの430を見詰めたまま、
「私はそれでも貴方が好きです! 怖いのよりも好きの方が大きいのです!
 だから一緒にいたいのです! こんな簡単な言葉では届きませんですか!?
 でもどんなに一生懸命考えたって、これ以上の気持ちなんか出てこないのです!」

 ――は、はぅ、はぅはぅ…、これは…、何なのですか…?
 ――初めまして。貴方のPMとして配備されたGH-101です。
 ――はぅううううう! タマタマさんが喋ったのです!
 ――タマタマではありません、PMです。…名称の登録があるのですが、『タマタマ』で宜しいのですか?
 ――はぅはぅはぅ!? だだだだだだだ駄目です! 今のはナシなのですー!

 初めて出会った貴方に私が抱いた印象は『何だこのアホの子は』でした。

 ――はぅー、はうはうー。いーっぱいご飯買ってきたのです。どうぞですよー。
 ――それは嬉しいのですが…、ご主人様の財政的には厳しいのでは…。
 ――良いのですよ。教官さんから聞いたのです。大きくなると貴方は人の形になるそうなのです。
 ――はあ、仰る通りですが。
 ――今でもとっても可愛いのですが、人になったらもっと一杯遊べると思うのです。
 ――お言葉ですが…、私はPMであって、遊び相手ではないのですが…。
 ――はぅ…、私と一緒に遊ぶのは楽しくないです…?
 ――楽しいです。もっと遊びたいです。…あ゛。

 いつからだったろう。絶えることのない日向のような暖かさをくれる貴方に、好きだという気持ちを抱くようになったのは。
 それは、PMにとって当たり前に感情だったのかも知れないけれど…、

 私は、「こんな私」に、普通のPMとしての感情を与えてくれた貴方に、恋をした。

 そして、ずっと怖かった。
 いつかこの日常が壊れるのではないかと、ずっと怯えていた。
 馬鹿みたいにはしゃぎながら、私は日々、眠る前の暗闇の中、祈っていた。
 『どうか明日も、今日のような日でありますように』――と。
 神様へのお祈りを憶えた子供のように、遮二無二、ひたすらに。

「…私も、同じです――。
 私も、怖い…! 幸せであれば幸せであるだけ、それが無くなる日が来るのが怖い!
 私は「こんな」だから…! 
 でも私も――、やっぱり貴方と一緒にいたいです! 貴方が好きです…、ご主人様ァッ!」

「あ゛ぁ゛あ゛ああああああああああああああああああああああああああァッ!」

 もの凄まじい絶叫と共に、少女の姿がモニタの前から掻き消える。
「ご主人様!」
 430が見上げるモニタには、もう誰も映っていなかった。
 ただ、オロール展望台から望む惑星パルムの映像が映っているだけ――、そこに、
「お前――、お前…、おまえおまえおまえおまえおまえぇえええええええええェッ!」
 だんっ! がんっ! ごづ――ッ!
「何なんだお前…、何なんだよお前は――! 神様か…!? 神様気取りか…!?
 気色悪い! 反吐が出る! この…偽善者がァッ!」
 どすっ! がすッ! ばぁんっ!
「私の劇の中で、勝手に気持ち悪い寸劇なんか見せるなぁあああああああああ!
 わかってるのか!? もうすぐ100万人が死ぬんだ! あはぁははははは!
 仲良し子良しで喚いてろ! 止めてくださいって叫んだら!?
 ほらほらァッ! 命乞いはどうしたよ!? あぁァッ!?」
 それは――、発狂した440が、滅茶苦茶な暴力を振るう音。
「馬鹿野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
 耳を塞ぎたくなるような悲惨な音を掻き消すように、430は叫びを上げる!
 神様だと――? あの人はそんな偉大な人なんかじゃない!
 偽善者だと――? あの人はそんな器用な人なんかじゃない!
 ただ、大事な物を無くしたくないから、精一杯の勇気を振り絞っている弱い人だ!
 勇者じゃない。英雄じゃない。目に見える強さなんか何一つない! でも…、弱さを優しさで誤魔化している人でもない!

 何でお前の心には、その気持ちが届かないんだ――!

「だ…、ぃじょ――ぶ、げふ、なのです、よ…。えっふッ! げほ――!」
 湿った音のする咳を繰り返しながらも、少女の声が。
「…大丈夫、なのです――! はぅぐ!
 …こんなの、へっちゃらなのです――! どーってこと…、ないのです――!」
 容赦のない暴力が立てる音の中、彼女の声は、徐々に徐々に、感情を溢れさせ、
 凛と研ぎ澄まされ、…見えないモニタの向こうで、立ち上がるのがわかるほどに、強く強く!
「はう――! もう、こんな440さんなんか怖くないのです――ッ!
 聞こえましたですか、440さん。…私はもう、貴方なんか怖くないのですよッ!」

 ダァンッ!

 一発の銃声と共に、モニタからの映像が途切れる。


 ■XX07/2/14 16:47

 私は、モニタを見上げるのを止めた。
 途轍もなく物騒な音で映像は途切れたけれど、…大丈夫。
 不安? 恐怖? 絶望? …そんなの微塵も感じない。だって、わかるもの。
 この部屋の奥、あのたった一枚のドアの向こうで、ご主人様が待っているのが。
 両足で立って、毅然と440を見据えている、ご主人様がいる!
 わかる! それは想像や願望なんかじゃない! ああ、何で私はこんなこともわからなかったんだろう!
 繋がっていればわかるんだ! 「心」が! だって私は、ご主人様のパートナーなのだから!
 きっと今だって、ご主人様は私のことがわかってる。私がここで何をしているのかわかってる!
 だったら…、私がやるのは、一つ!
「おうコラ、いつまで辛気臭ぇツラ並べて居座ってんだ、ボンクラども」
 顔は、勝手に笑った。私が得意な、凶悪な笑顔!
「テメェら結局、喧嘩売る相手が欲しいんだろ? あ?
 世の中の理不尽にわかりやッすい原因が欲しいんだろ? あぁ?
 誰かのせいにしてぇんだ。だったら私のせいにしてみろよ。…100人でも1000人でも、まとめて喧嘩買ってやらァ」

 見せてやろう、こいつらに。『ご主人様激Loveの狂犬』ってやつを!

 私はバーストもビームガンも足下に放り投げると、着ていた戦闘服の襟元に手を伸ばし、シールドラインを停止させる。
 ついでに、結わえていた髪をほどき、背中に流して、
「見てたろぉ? 今の私とご主人様のやりとり。
 羨ましいだろ。私は今でもご主人様に愛されてるし、私もご主人様を愛してる。
 てンめぇらみてぇなはぐれモンとはワケが違ぁんだよ」
 ざぁああああああああああああああッ!
 私の言葉に、お通夜の参列者みたいだった連中の顔色が変わる。広場の空気を掻き乱すほどに荒ぶるのは、怒気!
「いなくなったご主人様を思い続けます? アホか? お前ら揃ってアホの子かァ?
 結局テメェらは現実を受け入れるのが怖かっただけだ。
 自壊して果てたヤツのが根性あらぁ。総務部の帰投命令に従ったヤツのがよっぽど利口だ。
 てめぇらはどうだ? パージされるブロックん中でいつまでもメソメソしてただけじゃねぇか。
 だせぇ。だせぇだせぇだせぇだせぇだせぇ、あー、だっせぇッ!」

「おまえなんかに何がわかるんだぁあああああああああああああああああああァッ!」

 怒気の渦を切り裂いて、ガミサキを片手に飛び掛かってくるのは――420!
 闇色のフォトンが綺麗な斬線を描く!
 私はするりとその脇に入り込むと、飛び掛かってきた勢いをカウンターにして、420の土手っ腹に膝を叩き込んだ!
「…はぅぐッ!」
 どごッ、という鈍い音を残し――、420は一撃で昏倒する。
 ――い…、いてぇえええええええええええええええええええええェッ!
 シールドラインも展開させない肉弾戦で、相手方のシールドラインをぶち抜くなんて、我ながらとんでもない無茶かコレ!?
 猛烈に痛む膝と足関節を無視し、飄々と残り99体のPMたちに体を向け直したところで…、
 だぁんっ!
「――ぉぅ゛!?」
 私の腹にフローズンバレットが直撃していた。
 革製の戦闘服の腹部は弾け飛び、露出した私のおへそ辺りに、ひどい火傷のような傷が付く。
 フォトン弾が飛んできた先には…、私と同じ型式、430がいた。
「あ…、ぁ――。ぁう…」
 まさか当たるとは思っていなかったのか…、彼女も、彼女が構えるバーストの銃口も震えていた。
「…ご、ご、ごめ――」
「軽ぃ」
 ガタガタと震えて言おうとする彼女の言葉を、私は品悪く笑って遮った。
「あンだァ? こんなもんかお前? 屁でもねェわ」
 ……痛いよ。ちょっと泣きそうなくらい。わざと受けるのはこれで最後にしよう。…うん。
 でも、軽いと思ったのは本当だ。痛いだけ。…これっぽっちも重くない。私の体には何一つ響かない。
「全然軽ぃ。…当たり前だよなァ? お前の一撃にゃ、これっぽっちも「心」が籠もってねぇんだもんなァ!」
 どん! と、私はその場で両足を踏み込み、戦う為の姿勢を取る!
「おめェらが想う心なんざそんなもんか? なァお前ら、いい加減ハラくくって見せろよ。
 わけわかんねぇ方に気持ちを暴走させる前に、胸に手ぇ当てて考えてみろよ!
 でたらめな怒りや悲しみに目ぇくらまされてんじゃねェッ!
 お前らの心が描く「夢」は何だよ! 腹ン中に抱えて後生大事にしてんじゃねェ!
 叶えてぇんだろ!? やりてぇんだろ!? やれよ! 何遠慮してんだよ!
 私らがPMだろうがなんだろうが関係ねえ! 黙ってたら誰だって夢は叶わねぇんだよ!
 叫んでみろよ! この私が聞いてやらァッ!」
 無秩序な怒りの渦が――、一瞬の、長い長い静寂を経て、真っ直ぐに流れる激流と化す!
 うはー…、こりゃ「やっちまった」だなー。
 あー、450のヤツならもうちっと上手く言えんだろうけど、こんなもんかァ…。

 私の不器用は私の「心」で、…ご主人様譲りだもの!

「貴方が羨ましくて憎たらしい! まずは一発ぶん殴りたい!」
 強烈な踏み出しの音と共に、両手で握ったジョギリを振りかぶった410が輪の中から飛び出してくる!
「良いじゃねぇか! 立派な「願い」だ! 嫌いじゃねぇよ!
 ただな! 私にだって「夢」があっから、ただで殴られてはやれねーけどなァッ!」
 彼女を迎え撃つ為に、私は半身を引いて拳を固めて身構える!

 私は必ず貴方の元に参ります。
 だから、どうか――、440を止めてください、ご主人様。

 貴方の心なら、必ずそれが出来るはずだから!

 ■XX07/2/14 16:51

 ぽと、ぽた、ぱたたた、ぱたたたたたたたたたたたっ。
 440さんに打ち抜かれた右肩から溢れ出した血が、私の腕を伝って指先からこぼれ、展望台の床にこぼれていく。
「どんなに叩かれたって――、どんなに撃たれたって――、どんなに怖いことを言われたって――」
 私は、立っています。二本の足で立って、真っ直ぐに見据えています。440さんを!
「私はもう二度と倒れませんです。貴方なんかには怯えないのです。…貴方の思い通りになんかならないのです!」
「ああ…、あ、あ…、あ゛ぁああああああああああああああああああああ゛ァッ!」
 440さんは、それこそ本当に狂ったように、オイルの溢れる額をがりがりと両手で掻きむしり、
 そのまま、真っ黒に染まった手で自分の頭を抱え、そこにもまた爪を立てる。
「落ちこぼれクズが…、落第点だらけのガーディアンズが…、
 430を味方に付けたくらいでいい気になりやがってぇえええええええええええェッ!」
「そんな風に思っているから…、貴方には何も出来ないのですよッ!」
 もう怖くない。440さんの血走った真っ赤な瞳だって、もう真っ直ぐ見詰められる!
「私が、あの子の強さを頼りにして、盾にして、そうして貴方と向かい合っているとでも思っているのですか!?
 はうっ、私にとってあの子はそんな存在じゃないのです! あの子は兵器なんかじゃない!
 あの子は爆弾なんかじゃないのです! 誰がどんな目で見ていたって! その生まれがなんだったって――、
 『今のあの子』は私の心の半分なのです! あの子にとっても、私はあの子の心の半分なのですよ!
 貴方はずっとずっと、半人前の私たちを相手にいい気になっていただけなのです!」
 普段の私なら、絶対に言えないはずの、強い言葉。
 いいえ、…ガーディアンズに入る前の私だったら、思うことすら出来なかった言葉。
 私は「この場所」で、色々な人に会いました。色々なことを教えて頂きました。
 沢山のマスターさんから。そして同じ数の、沢山のPMさんから。
 そして、430と一緒に、心を育ててきたのです。ずっと、ずっと――!
 はう! 今言わなくて、いつ言うというのですか!

「ちっぽけなのは! 貴方の方なのです――『GH-440』!」

 ダンッ!
 雷に包まれたフォトンの弾丸が、私の脇腹を突き抜ける!
 焼け付くようなもの凄い痛さ! 瞬く間に流れて足下に広がっていく血!
 でも――、倒れるもんか! 屈するもんか!
「…お前なんかに何が出来るんだ! 今なら一人前だとでも!?
 後ろ手に手を縛られたままで! 武器なんか何一つなくて!
 それでお前に今何が出来るって言うんだぁああああああああああああッ!」
 私に戦う力なんかこれっぽちもないけれど…、箱さんの450さんにも言われたじゃないか…!
 人は、「強さ」で計るものではないって!
「はぅぐ――! はぅ――ぅうううううあぁあああああああああああァッ!」
 私は…、ただ目一杯の力で、繋がれた親指どうしを引き離す!
 骨と骨とが密着するほどの固い拘束。それを、思い切りの力任せに!
 もう体中痛くないところなんかないのです! こんなの…、平気――!
「うわぁああああああああああああああああああああああぁっ!」
 ずるりと、背骨が凍り付くような悪寒と違和感を感じた瞬間には…、
「はぁ…っ! はぅ…! はぅう…、はァッ!」
 私の両腕は、自由になっていた。
「――指の…、肉を、削いでまで……――」
 ぞっとしたような呟きと共に、440さんが一歩踏み下がるのが見えました。
 一向に整う気配のない呼吸の合間に、私は、440さんを見る。
 440さんは更に一歩踏み下がりそうになったところで…、表情を固く結び直し、猛烈な憎悪を薄ら笑いに変え、
「それで、何を? あはははっ! 貴方の力なんて知れてる! 素手で私を倒しますか!?
 私が意識を失えば、中央制御室の支配も途切れますよ!?
 急いだ方がいいんじゃないですか!? もう残り五分を切っていますけれど!?」
「――貴方は、きっともの凄く頭のいい人です」
「…は?」
 訝しげに目元を歪める440さんに、私は言う。
「きっと貴方は、ずっとずっと前から、今日の日の為の準備をしてきたのです。
 入念な準備、執拗な調査、そして、完璧な計画。
 でも…、はぅ、だからこそ、理解出来ないことがあるんです」
「――血でも流し過ぎましたか?」
 そうですね。頭なんかもうフラフラです。でも…、はっきりとわかっています。

「どうして、私をさらったんですか…? どうして、あの場所で私を殺さなかったんですか…?」

 ぎょっとしたように440さんの目が見開かれる。
「…本当に430を『自分と同じ』にしたかったなら、私を殺せば良かったのです。
 そうしたらきっと430は、…もう元には戻れないくらい、貴方と同じになったのです。
 私では430の心を呼び戻すことなんか出来ないと思っていましたか…?
 貴方は私と違って頭の良い人なのです。…わずかでも可能性なんて残さない人です。
 『お楽しみを作った』なんて言いましたけど、…嘘です」
「――……黙れ」
 エビルツインズの銃口を向けてくる440さんに、私は臆さず、言う!

「貴方は本当は止めて欲しかった! 430に自分の凶行を止めて欲しかった!
 人型兵器の430じゃなく…、『パートナーマシナリー』の430に!」

「違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうーーーーッ!」
 滅茶苦茶な乱射。まるで私が撃つ銃みたいに、まるで的に当たらない射撃。
 鳴り響く銃声の中、私は叫び続ける!
「だったらどうして二回目のパージに30分も時間を設けたのですか!?
 貴方は二回目のパージに、それぞれ30分の時間の猶予のある第一と第二ロックを一瞬で解除しました!
 出来たはずなのですよ! 隔壁を降ろした瞬間にパージすることだって!
 違いますか!? それをしなかったのはどうしてですか!?」
「黙れビーストぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 だすっ!
 鋭い音を立て…、フォトン弾の一つが私の右の太ももを射貫く――!
「私は弱くなんかない! 私は臆病者なんかじゃない! 私は出来損ないなんかじゃない!
 完璧な兵器! 完璧なPM! 『誰か』なんか必要ない!
 必要ないんだぁあああああああああああああああああああああァッ!」

 違う!

「貴方は弱い! 貴方は臆病者! 貴方は出来損ない! 完璧な兵器なんかじゃない!
 誰かがいなければ真っ直ぐ歩けない、そんなちっぽけな存在なのです!
 『私たち』と同じ――! 何も違わない!」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさぁああああああああァいッ!」

 がちっ!がちっ! がちがちがちがちがちがちッ!
 フォトンを撃ち尽くしたエビルツインズのトリガーをなおも引き続け、440さんは髪を乱してかぶりを振る。

「――……貴方は、ただ、…可哀想な人です」

 息を荒げてうなだれる440さんの額から、ぽたぽたとオイルがこぼれていく。
「心を無くしかけた430に、何度も何度も『私と同じ』と言ったのは…、
 ――自分がただ独り、その場所にいることに耐えられなかったから。
 本当は、寂しくて寂しくて、悲しくて悲しくて仕方がなかったから…」
 ぶるぶると震える440さんの両手から、空っぽになったエビルツインズが滑り降り、床の上へと転がった。
「GRMがしたこと…、諜報部の人たちが貴方に強いたこと…、
 それは…、同じ『人』である私では、どんなに謝っても足りないでしょうけれど…、
 はぅ――、でも、440さんは、本当は今でも捨ててはいないはずなのです…。
 人とPMとの繋がりを。…それを信じるのが怖くて怖くて、そんなものはないと言い張りながら。
 そうでなければ…、貴方はそんなにも――、悲しい言葉を繰り返さないはずなのですよ。
 ――違い…、ますですか…?」
「――殺して、おくんだった。……アンタなんか…」
 がぎぎ、という嫌な音は、440さんが砕ける程に奥歯を噛み締める音でした。
「頭ン中は春満開の、脳天気なビーストだと思ってた…。
 くそ――、いちいち…、気が狂う程に苛立つことばかり…!」
 440さんも、気付いて…、いるはずなのです。
 私の言葉に苛立つということが、どういうことなのか。
「…もう、止めてくださいなのです…。440さんがしたいことは、きっと、こんな悲惨な出来事ではないはずなのです――」

 夢を、見ました。夕べ。…430がいなくなった夜に。
 どこか知らない灰色の部屋の中で、430と440さんが、二人で食器のトレイを並べてご飯を食べている夢を。
 部屋は薄暗くて、インテリアなんて一つもなくて、机も椅子も粗末なもので、
 ご飯だって、決して美味しそうではなかったけれど…。

 二人が、楽しそうに笑いながら、一緒にご飯を食べている夢を、見たのです。

 だから、見ていたのです。怖くて怖くて、心が凍ったように寒かったけれど、440さんの、言葉も、仕草も、全部。
 心が壊れているかのように――、狂ってしまっているかのように、そう見えてしまう440さん。
 でも、些細な言葉にほんの少し陰る瞳、小さな動作の中に見え隠れする虚無感。

 だから、私は信じますです。
 この子は――、今はこんな風に見えるけれど、本当は、夢の中で見たように笑う440さんなんだ、って。

 私の体はもうボロボロで、立っているので精一杯ですけれど。
 それでも私は、何とか頑張って、自分の血を踏み締めて、歩き出します。

「――来るな!」
 湿った足音に気付いた440さんが、弾けるように顔を上げ、ナノトランサーから引っ張り出したシッガ・ボマを構えます。
 それでも…、私は440さんの元に歩いていく。
「440さんは、430に私と同じだと言いましたです。
 はぅ、…だから、私は貴方に、430と同じ事をします。
 こっちからそっちまで歩いていって――、貴方を抱き締めるのです。
 ぎゅうってして、頭を撫でて、おうちに帰りましょうと言うのです」
「――お前、まさか…、そんなことの為に…、肉がちぎれそうになってまで指の金具を外したのか!?」
「はぅ――、手が使えないとぎゅうって出来ませんですよ?」
「来るな! 撃つ!」
 …そう申されましても…、今立ち止まっちゃったら、私、もう歩けそうにないのです…。
 だから、止まる訳にはいきませんです。
「…撃ちたいなら撃つといいのです。私が他に出来ることなんか何もないのです。
 でも、私を撃って殺したら、440さんはパージを止めてください。
 そうしたらもう、ここには、貴方が望む物なんて、何にもないのですよ…」

「お前は――、ただの大馬鹿だッ! 私はお前を殺す! パージも止めない!
 だいたいお前なんか、私の所に来るまでにぶっ倒れそうじゃないか!
 なのに…、何でそんなフラフラな体で、当たり前みたいに歩いて来られるんだ!」

 がしゃっ! と音を立ててシッガ・ボマを構える440さんの瞳には、
 額から溢れたオイルが流れ…、まるで、涙のように、こぼれていました。

「人も、PMも、…私は、みんなに、笑っていて欲しいのですよ」

 ■XX07/2/14 16:53

「…もう、いいんじゃないかい?」
「――やっぱり貴方ですか。さっきからずっと私の体の中を掻き乱していたのは」

 情報を見る私の瞳の後ろ側には――、450がいた。

「おやおや、お前サンまさか、今この状況をアタシのせいにするんじゃないだろうねェ?」
「…予想以上の馬鹿がいただけですよ」
「全く以てだねェ、お前サン経由で聞いていて、こっちまで開いた口が塞がらないよ、
 ってあだだだだだだだ! お前サンもしつこいねェ!? いい加減過負荷掛けるのは勘弁しとくれよ!
 こちとら老体なんだ! ったく、430もお前サンもアタシを労る気ァないのかね!?」
「老体なら老体らしく、こんな場所にまで出張ってくることはないでしょう。
 あの薄汚い部屋でキセルタバコでもふかしていたらいい」
 どういう経緯で私に気付いたのか。…きっと450は、私の手から中央制御室の支配権を奪還しようとしているのだろう。
「…妹どもがドンパチやってんだ。長女が出ないわけにァいかんだろ?」
 私のプロテクトは万全だ。ハッキングには、ガーディアンズの情報部のメインCPUすら破壊出来るカウンターを当てている。
 …その過負荷を、たった一人で受け止めながら…、彼女はここまで辿り着いたのか…。
「――450」
「なんだぃ」

「…このビーストは何なんですか?」

 気が付けば、私はそう、聞いていた。
「さてねぇ…。アタシも生まれて長いけど、時々いるんだよ。こういう、どーしようもないくらいよくわかんない生き物が」
「彼女の能力は極めて低い。…こんな状態、自分のことだけで手一杯…、いえ、それどころかとうに手詰まりのはずです」
「なのにどうして、ああやって笑うのでしょうか、かぃ?」
 呆れたように笑って言う450の言葉に、私は沈黙する。
 怒り狂うのならわかる。泣き叫ぶのならわかる。――なのに、あのビーストは笑うのだ。
 自分が置かれている状況を全て理解していながら、血だらけの弱々しい笑顔で…、

 私に『笑ったらいいのですよ』と…。

「私らが思ってるよりね、人間てのはもうちょいと良くわからん生き物らしいよ。
 自分のせいで母親を死なせて、母親の研究の全てに呪いを掛けてしまった。
 自分の半身を失って、血も繋がってねぇ娘に支えられて生きてる惨めな人間だ。
 力も頭も弱くて、未だ自分一人じゃ何も出来ない落ちこぼれのガーディアンズだ。
 ――『そいつら』そんな風に自分を自覚していてねェ。
 連中には、カケラも「自分が誰かより勝っている」なんて気持ちはねェんだろうね」
 誰を指して言っている言葉なのか、それは私にはわからなかったけれど、
 それは、ああいった理解不能な『人』が、決して一人ではないと言っていた。
「私には…、理解が出来ません」
「アタシもだよ。でもね、一個だけわかるのはねェ…。
 暖けェんだ。…そういう連中の隣は。冬の日溜まりの中みてぇにねェ。
 寒くて寒くてどうしようもなくて、この野郎、何の恨みがあってこんなに寒いんだ、って、
 そんな風に悪態付きたくなっちまうような冬でもね。
 そういうのが側にいると…、冬は冬で――、なんか、好きになれんだよ。
 おかしいねェ。冬は冬だ。何にも変わらねぇはずなのにね」

「…それが、貴方が『そこ』にいる理由ですか…?
 430よりも、私よりも――、ずっとずっと、人を恨んでいるはずの貴方が…」

「アタシももう随分生きた。きっとお前サンより、ずっと色々なことをやってきてる。
 でもね、お前サンにそれを「わかれ」とは言いやしないよ。
 アタシの気持ちは、アタシの心が長い間掛けて描いた絵なんだ。
 お前サンはお前サンの思う絵を描きゃァ良いのさね。
 それが他に人にどんなに笑われれようと、それがお前サンが『ちゃんと』描いた絵なら、アタシはその絵を認めてやれる。
 だけど、
 アンタにちゃんと絵を描いて欲しくて、アンタが崖下に投げ捨てた絵筆を――、
 ボロボロになってまで拾いに行って! 泥を払って! ピカピカに磨いて!
 手渡しでアンタに絵筆を握らせようとするあの子の気持ちを!
 『馬鹿なヤツだ』というのなら、アタシぁ黙ってないよ! 440!」

「私には! どうしてそこまで出来るのかが理解出来ないのですよ!」

「簡単な話さ。あの子は、お前サンが描く絵が見たいんだ。それだけのことさね。
 お前サンはきっと素敵な絵を描くはずだから、ってねェ。
 いんや、あの子にとって、そりゃ別にお前サンに限ったことじゃないのかもねェ。
 あの子はきっと『誰だって素敵な絵を描ける』と信じてんだぃ」

 なんだ…、それ…。なんだよそれ。――そんな人間、いるもんか…。

「あの子は、パージを止める為にお前サンを止めようとしてんじゃない。
 お前さんを止めたら、きっとお前さんはパージを止めてくれる。…そう信じてんだい。
 …呆れるよ、100万人の命を、お前サンは助けてくれると信じてんだ。
 今回の首謀者、しかも、ろくすっぽ知らねぇお前サンを、あの子はガチで信じてる。
 根拠を聞いたら、はぅはぅ言って困るんだろうね。
 あのナリにあの性格だ。……散々、人に嫌な思いをさせられたろうにね。
 それでもあの子にとっちゃ「相手を信じる」なんてのは当然のことなんだろうさ。
 あの子は信じるよ。何度だって信じるだろうよ。懲りずに、はぅはぅ言いながら。
 ――自分の言う事を、差し伸べる手を、相手に信じて欲しいから」

「信じ…、られる、もんか――」

「長話になってちまったね。…時間も――あーあ、残り12秒?
 お前サンに言うことがなきゃ、アタシもこれで失礼するよ。
 アタシの体ももう火ぃ吹く寸前だけど、まァ、やるだけやってみるさね。
 GRMもガーディアンズもどーでもいいけど、…妹を大量殺人兵器にしたかねぇからねェ」

「私は――止めないぞ……。絶対に――、止めたりしないからな――!」

「はいはい、好きにおしよ。お前サンが誰の何を信じようと信じまいも勝手。
 でもねェ――」

 

       『いい加減、自分の本音くらい、信じてやっちゃどうだい?』

 

 

 ■XX07/2/14 16:54

「10! 9! 8! 7――」
「カウントやめろ440!」
「だって! だっておっさん! うあああああ! 残り五秒ー!」
 モニタ上で点滅を繰り返す赤い数字が、見る見るうちに数を削っていく。
「あと一枚――、あと一枚――、あと一枚防壁を破れば――!」
 形振りを構わない指使いで、ニューマンの女性はコンソールを操作し続ける。
 停止プログラムは目の前にある。やっと…、やっとここまで辿り着いた。
 彼女の隣の椅子に腰掛けたままの450は、もうぴくりとも動いていなかった。体から弾ける紫電が随分大きくなっている。
 大部屋まるまるを埋める電算機械の全てを肩代わりしているのだ、――もう、限界などとうに超えているだろう。
「お願い――、お願い、届いて…、お願い――!」
 残り三秒…、二秒――、
 力任せにコンソールに拳を叩き付け、全てを投げ出したい気持ちを噛み砕き、彼女はコンソールの上に指を走らせ続ける。
「――お願い――、力を貸して……、母さんッッッ!」

 ――ぴっ。

 絶えず鳴り響いていた警告音が不意に途切れ、あまりにも呆気ない、確認音――。
 固く閉ざされていた防壁は見る影もなく、目の前には剥き出しの、停止プログラムが――。

 だんっっっっ!

 ニューマンの細い中指が、この瞬間の為とばかりに、強烈な音を鳴り響かせてキーを叩く。

 何の変化もない…、空白のような沈黙。
「…え…」
 男に抱き竦められていた440が、ぽつりと声を漏らした。
 何もわからない。何もわからないけれど――、今、確かに、何かが終わった、のだ。
 コンソールにかじりつくように丸めていたニューマンの背が、どさりと音を立てて椅子の背もたれに寄りかかる。
 ただ呆然と天井を見上げる彼女の表情は、まさしくの、空白だった。
 真っ直ぐに歩くことすらおぼつかない足取りで、440は彼女が体で覆い隠していたモニタの前へと歩み寄っていく。
 そして、彼女が必死になって操作していた端末のモニターには…、

 『緊急停止プログラム作動。パージプログラムを停止します』

 その文字が――、浮かんでいた。

「止まっ――た?」
 440は、今まで自分たちが悲鳴を上げながら見ていたタイマーを振り返る。
 タイマーは、残り……、0.41秒で、――止まっている……。

「――止まった」

 ぽとん、と、こぼれ落ちるような一言をきっかけに、
「止まったぁああああああああああああああああああああああああああああァッ!」
 うわぁあああああああああああああッ! と440と男が抱き合って歓声を上げる!
「止まった! 止まった! 止まったよおっさぁああああああああんッ!」
「よっしゃぁあああああああああああああああああああァッ!」
 440の体を抱えて抱き上げ、目一杯の歓喜を声にする男を、ニューマンの彼女は肩越しに振り返り、小さく笑って…、
「――最後の防壁は…、こじ開けたというより、解放されたような…、感じでした」
 そう、言った。

「…頭の良い子だからねェ…。最後まで『私は止めなかったぞ』って言い張りてぇんだろうさ。
 ったく素直じゃねぇんだから…。ご主人サンの実行が遅れたらどうする気だったんだろうねェ」

 ぶちぶちと、首につなげたケーブルを引き抜いて気怠そうに笑う、最愛のPMへ。
「やれやれ。肩こりの解消にはちとハード過ぎだ。…目眩がするよ」
「――はい」
 笑顔を浮かべたまま、ぽろぽろと涙をこぼし、ニューマンは450の小さな体を抱き締める。
「ありがとう…、ありがとう――、450…、450――!」
「…腹が減ったねェ…。そういや昼飯も食ってないじゃないか…。
 のんびりと休んだら、そいつらと一緒に、飯にしようよ――、ご主人サン」
「――はい…!」

 ■XX07/2/14 17:15

 私が展望台に辿り着いた時、…そこは、惑星パルムの姿を望む、静かな部屋になっていた。
 そして、
「よぅ」
「ええ」
 部屋に入る私と、部屋から出て行く440とが、ドアのスライドレールを挟んで向かい合う。
「ご主人様は?」
「…とっくに殺しましたが?」
「あぁ、そうかい」
 ごりごりと、私は頭の裏を掻く。
「余裕ですね?」
 440の表情は静かなものだった。
 夜の湖の湖面のように音もなく、月がその姿のまま浮かぶように、さざ波一つなく。
 笑っても泣いてもいないけれど、同じように、悪夢に取り憑かれたような狂気も、もう浮かんではいなかった。
「お前、嘘言うとき視線を右に反らす癖があんだよな」
「…どれだけ昔の癖だと思っているんです?」
「そう簡単に直らないから、癖っていうんじゃねぇかな。
 どんなに外ッ面が変わったって、…心の根っこはそうは変わんねぇもんさ」
 けけけ、と意地悪く笑ってやると、440の奴は瞳を伏せ、私とすれ違って通路へと進んでいく。
「ああ、そうだ、…一応言っておく」
「何ですか?」
 私は振り返らず、背中合わせの440に向かって、
「あんがとな。…あのPMども、結果的にはパージから逃げられたんだ」
「…何の事やら。
 それに――、あそこにいたのはほんの僅かですよ。どんなに言っても聞かせても、
 マスターとの思い出のある部屋を出たがらない子は…、沢山いましたから」
「――だろうな」

「…パートナーマシナリーなんて、――みんな馬鹿だ」

「ああ。私もお前もな」
 かつん、こつん、…小さな足音が、ゆっくりと展望台から遠離っていく。
「パージ停止、間に合いましたよ。――良かったですね」
「ああ、そりゃ良かったな? 随分危なかったんじゃねーの?」
「…誰に対して言ってるんですか」
「独り言にしといていいんじゃねぇか?」
 本当なら、あいつはきっと、やっていただろう。
 自分自身の歯止めを失っていたあいつは、きっと、自らが引き起こした大惨事を受け入れていただろう。
 それこそが自分の本性だと――、最後まで、自分を信じようとせず。
 この服に身を包んだ瞬間からの私がそうだったように。

 でもこの部屋にはご主人様がいた。

「最後によ」
「…しつこいですよ、430。なんですか」

「――あの時、お前を助けてやれなくて…、――悪かったな…」

 しゅん。
 小さな音と共に、通路と展望台とを隔てるドアが閉まる。
 それは、私の空耳だったのか、聞き違えだったのか、…もう、わからないけれど、

『ありがとう』

 そんな、呟くような小さな声が、聞こえた気がした。

    * * * *

 うわぁ…ぁ…ん うわぁあ…あぁ…ん

 誰が…、泣いているのでしょうか…。

 厚手のフードの上からでも風が巻く音が聞こえる程の猛吹雪。
 見上げれば一面、雪色のノイズに覆われた空。

 わぁあぁ…ぁあああ…ん うわぁ…ぁん

 泣くな…。泣くなよ…。お前がどんなに泣いたって――、
 父ちゃんはもう帰ってこないんだよ――。

 ――泣いているのは…、私……――。

 父さんを事故で亡くした日の…、私でした――。

 …ずっと考えましたです。十二歳のあの日から。
 大切な人を失わないで済む方法を。

「――ま。――さま…!」

 力があれば良いのでしょうか。知恵があればよいのでしょうか。
 それがあれば、誰かを、何かを、守れるのでしょうか。

「――んさま――! ごしゅ…さま――!」

 でも、人は、どこまで何かを守っていけるのでしょうか。
 人には命があるのです。キャストさんやマシナリだって、やがては朽ちていくのです。
 花も木も枯れてゆきます。大地だって少しずつ衰えてゆくのです。

 『お前の守るべきものは、何だ?』

「――ごしゅじんさま――!」

 私に、守るべきものは何もないのです。そんな偉そうなことは言えませんです。
 だって、私が大切にしたいものは、みんなみんな、それぞれの強さを持っているのです。
 きっと、弱虫で泣き虫な私なんかより、ずっと、ずっと。

 だから私には信じたいものが沢山あるのです。
 それは、私が大切にしたい「何か」の、素敵な強さ。
 時間は絶えず流れてゆくのです。星の瞬きは少しずつ絶えてゆくのです。
 そんな中で、決して疑うことなく、

 最後には、笑って、『さようなら』と、言う為に。

 それは、精一杯の努力の果てにしかないことだから、

 だから私は、――ガーディアンズに、なったのです。

「ごしゅじんさまぁぁっ!」
「は、はぅ、はぅ…、ゆさぶると、すごい、痛いのですよ…、430…」
 血か随分と足りないみたいで…、頭がすごくふらふらしますです…。
 うっすらと目を開けた先には、寝転んだままの私の体にしがみつく430の姿が。
「ああああ…、こんなに血だらけで…! 傷だらけで――!
 うあーーーー! こんなことになってるなら、さっきすれ違い様に両腕へし折っておくんだったぁぁああ!」
「はぅ…、物騒なこと言ったら駄目なのです。めっ。…はぅはぅはぅ…」
 私は、血だらけの両腕で、精一杯、430をぎゅうっとしますです。
 小さくて、暖かい、可愛い体。私が一番好きな、GH-430。

「おかえりなさい。…よんさんぜろ」

 突然私に抱き締められ、丸くしていた430の目に、じんわりと、涙が浮かぶ。
「…おかえりなさい…。今日から、また、…いっしょです」
 私の視界もまた、涙で歪む。

「ただいま…。…ごしゅじんさま――」

 一億と二千年経ったってずっと一緒。
 でもそんなことは、歌の中のことで、…いつかは、この430にも『さようなら』を言う日が来るのでしょう。

 その日を、泣きながらでも、笑って迎える為に。
 その言葉を、泣きながらでも、笑って言う為に。
 その最後の瞬間を迎える私たちが、目一杯の人の輪の中にある為に。

「おうちに、帰りましょうなのですよ」

 私たちは、精一杯の努力をして、もっともっと幸せにならなければならないのです。
 私と、この子の、大切なもの全てと一緒に。――『この世界』を信じて、最後まで。


 ■おっさんと440と

「世はなべて事も無し、いや全く平和なもんだ。眠い眠い」
 くぁあ、と大あくびをしながら、俺はコロニーの通路を歩いていく。
 と、どごぉっ! と猛烈な音と共に向こうずねを蹴り上げられる!
「いてぇええええええええええええッ!」
「おっさんが眠いのは、夕べ遅くまでエロサイト巡りしてたからだ。知ってんだぞ」
 ぎろり、と440に睨み上げられ、俺は斜め上に視線を逃がす。…バレてたんかい。
「ぱっぱと歩けよなー? おっさんがのろのろ歩いた分、また行列に並ぶことになるんだぞ?」
「お前ね、この昼飯時にあの店に列が出来てないわけないだろう? ゆっくり行った方が逆に空いてんだよ」
 時間は昼食時。俺はいつものように、440を連れて、二体のPMが看板娘をつとめるレストランへと向かっていた。
 調査から始まった縁で通い始めて、今ではもう常連だ。
 一ヶ月くらいになるのかね? …調査を始めたのは、あの事件の少し前だしな。
「あれからもう一ヶ月だもんなぁ…。経っちまうと、なんか、あの日が何かの夢だったみてぇだな」
「…あんなバカでかい事件に巻き込まれればなぁ」

 世はなべて事も無し。

 ガーディアンズ本部は一連の事件を「管理運営に重大な問題があった」と報じ、
 責任者が一同に揃って深々と頭を下げて――、それで、終わった。
 危うく100万人の人命が失われていたという事実を、曖昧な灰色で覆い隠して。
 マスコミも世論も、それは勿論猛然と原因と責任とを追求したが…、
 一ヶ月も経ってしまえば、結局世の中の波風は平穏になってしまう。

 それだけ――、今のこの世界の水面上は、平和だということだ。
 そして、誰もがその紙一重の平和に、慣れすぎてしまっている。

 心の中の重いわだかまりに、俺も440も口を閉ざした、その時だった。
「よう、オッサン。元気そうだな」
 見知らぬ若造に声を掛けられた。
「…あ?」
 気安く声を掛けてきたその男に振り返り、俺は眉を寄せる。…あー…?
 どっかで見たような…、見ないような…?
 ふと見下ろすと、440も同じような顔で小首を傾げている。
「わかんねぇかな? …制服じゃねぇしな。しかし、警備部ってのはホントいい加減だな。
 業務時の服装が私服って何なんだ? 水着姿でミッション受けるヤツとか、正気かよ」
 腰に手を当てて苦笑いをする男に――、あ――!
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
 びしぃっ! と440は指を突き付け、
「ちょうほ――!」
「っと! それはナシだ。表向きは異動じゃなくて新任配属なんでな」
 がも、と440の口を手のひらで覆って笑うその男の顔を、俺は完全に思い出していた。
 一ヶ月前の事件で、俺と戦った諜報部の男。
「…ホントに警備部に入ったのか…」
「まぁな。言ったろ? 捜査課の辛気くさい仕事にも飽き飽きしてたとこだったんだ」
「…給料安いだろ」
「ああ、苦労してるぜ」
 言ってくつくつと肩を振るわせる男の顔は――、それでも、楽しそうだった。
「オッサンは、その制服見る限りまだ情報部か?
 …しかし、よく戻れたな? 諜報部に目を付けられたとあっちゃ、ローグスにでも逃げ込むか、
 裏町のはぐれ者になるしかねぇと思ってたんだがな」
「女帝さんの知り合いに、諜報部の長官に口が利けるヤツがいたらしくてな。
 無罪放免ってヤツか? しっかり口止めには来たけどな」
 俺の言葉に、あぁ、と若造が声を漏らす。…どうやら若造にもその人物の心当たりがあるらしい。

『今回の一件について口外すれば、貴方の安全は保証出来ません』

「なら安心だ。…あそこは殺ると決めたら無言で来る。口止めに来たなら、守ってる間は安全だぜ?」
 ケタケタと元諜報部員殿が笑うのを見て、ちょっと不安になる。
 ――じゃあアレか、口外したら今度こそ本気で殺されるわけね…。
「まぁ、それよりどうだ? 俺たちはこれから飯だが、付き合わんか?
 あの時、挨拶に来いと言った手前だ、飯くらいご馳走するぜ?」
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
 440がもの凄いブーイングを上げる。
「何だよ、不服か?」
「えぅ…、…おぅ」
 見下ろすと、440は俺の服の裾をちょんとつまんで、顔を背ける。
 何だこの野郎、俺と二人で飯が食いてぇってか。ういやつだな。ふはは。
「まぁ、気持ちだけ貰っとくよ。そっちのおチビの顔も立ててやらんとならんし、
 それに、今日はもう食ってきちまってんだ」
 若造も440のあからさまな態度を察して、苦笑する。
 と、そこへ、
「ますたー、置いてくのとかなしー!」
 ぱたぱたと元気の良い足音が聞こえてきたかと思うと、
「とやっ!」
 かけ声一つと共に、GH-420が若造の背中に飛び付いてくる。
「おお? ひょっとしてそれ…」
「ああ、俺のパシリだ」
 ぐり、と若造は背中を俺たちに向ける。そこには、体を大の字にしてセミの如く張り付く420。
「どもっ、ますたーの嫁っす!」
 しゅたっ、と片手を上げて挨拶する420に、俺たちはぽかーんとする…。
 若造の頬には冷や汗とおぼしき何かが滑り落ちていく。
「…おま…、なんか、すげぇ風に育てたな…。今度調査にいっていいか…?」
「嫁――、嫁――」
「勝手にこうなったんだ! 俺は妙なこと教えてないからな!?
 降りろ420! それとちゃんと挨拶! この人は俺がガーディアンズに入る前にお世話になった人だ!」
「え゛ー、嫁だって挨拶したぢゃあん」
「俺は嫁なんぞ貰った憶えはない!」
 ぎゃあぎゃあと喚き立てるそいつらを前に、俺たちはしばし呆然として――、
 やがて、二人で顔を見合わせて笑うのだった。

「ガキの世話ってのも、なかなか楽しいもんだな」
「――何年経ってもな。連中、どっからともなく妙な知識を仕入れてくるしよ」
 コロニーのロビーのベンチに腰掛け、俺たちはコーヒーを啜っていた。
 昼飯に行くのは少し後回し。空いた頃を見計らって行くとしよう。
 440と420は早くも打ち解けたようで、俺たちとは少し離れたところでおしゃべりに夢中だ。
 何か420が得意満面で語っていて、440はそれに逐一感心しながらメモなんか取ってる。
 …ああ、なるほどな、PMってのはああやってブッ飛んだ知識を仕入れるのか。今度調査書に書いておこう…。
「なぁ、オッサンよ」
「あん?」
 若造はカップの中のコーヒーの水面に目を落とし、
「殺しに掛かった俺が言う言葉でもねえんだが…。アンタ、あんな目に遭ってでも、まだガーディアンズを続けんのか?」
「そうさなぁ…、まだ老後の蓄えは十分じゃねぇしなぁ」
 冗談を言って笑って、俺は、何気なく視線を上向ける。
「辞める時はよ、あいつを引き取ろうとは思ってるんだが…。まだ色々と見せてやりてぇんだよな」
「何を?」
「ここでしか見られないものを、だよ」
 俺は懐からタバコを取り出し、口にくわえ、火を灯す。
「そりゃ世の中にゃ、まだまだ色々なもんがあって、あいつはそれを知らないだろうが…」
 煙を吐き出しながら、俺は440を見る。おしゃべりは絶好調のようで、いつの間にかメモを握り潰し、
 手をぐーにして胸元にあて、感極まったように聞き入ってる。
 …お前、420から何を吹き込まれている…?
「人とPMとの繋がりってのは――、ここでしか見られんだろ」
 それが例え…、あの一件のような、救われない、報われない、悲しいものであったとしても。
 それを知るということが、得難く大切なことであることは――、違いない。
「俺もあいつも、まだまだ学ぶことがたくさんある。…あの一件でそれを知った」

 だから、俺は笑って言う。少し照れ臭いが、本心を。

「まだもうちっと見ていてぇんだ。俺たちが出会ったこの場所で、この世界をな」


 ■450とご主人サンと、そして

「あーねさーん! あーーーーねさーーーーーん!」
「あンっだいうっさいねぇッ!」
 ノックも無しに部屋にやってきた男を、アタシは目一杯怒鳴りつける。
 ったく! こいつらは何度言ってもノックを身に付けないねェ!
 こちとらご主人サンの膝の上でのんびり読書タイムだってのに。
「ロクでもねェ用事ならアンタの目玉をくり抜くよ!?」
「いやその、またPMの子が来てるんでさァ」
「…またかい…」
 ぱむ、と読みかけの本を閉じ、アタシはご主人サンの膝の上から飛び降りる。
「ちょいと行ってくらァね、ご主人サン」
「…お茶の用意をしておきましょう」
 伏し目がちに少しだけ笑うご主人サンに、アタシは苦笑を見せて、階下へと降りていく。
「あァったく、たまったもんじゃないねェ。裏町がバカでかい幼稚園みたいになっちまう」
「いいじゃないっすか。お陰でここいらも華やかになったっすよ」
「華やかなスラムなんてのがあってたまるかいっ!
 あの430め…、ロクでもねぇことしやがってからに――!」
 一ヶ月前の事件で440の元に集った100体のはぐれ者のPM。
 あろう事かあの狂犬は、そいつらを全部まとめてアタシの元に来やがった。

『こいつらが自分の行く先を見付けるまでで良い。何とか裏町で世話してやってくんねーかな?』

「アタシん家は託児所でも保育園でもねェんだいッ!」
 がんがんと階段を踏み締めて下りていく。
「何のかんのと言って、結局あねさん、暮らすトコから当面の仕事まで、きっちり面倒見るくせに」
「やかァしいやね!」
 お陰でこの辺りは今じゃPMの巣窟だ。外を出歩けば至る所でPMを見る。
 …主を失った、主に見捨てられた、そんなPMたちだけど――、見回っている分には、連中、それでも一生懸命生きてやがる。
 最近じゃ、『総務部に戻る』と自分から切り出すPMも少なくない。
 ここで暮らしていく中で、初期化され、もう一度「誰かのPM」として生きようと決心した連中だ。
 430がどういう説教をしたのかは知らないが、…アタシが思っていたような「最後」を迎えるPMは、一体たりともいなかった。
 噂は噂を呼ぶのか、今じゃアタシの家は「はぐれPMの駆け込み寺」だ。
 どこからともなく、行き場を失ったPMが尋ねてくる。――はた迷惑な話さね。
「んで? 今日のはどんなんだい? 首吊る縄が欲しいなんてPMはゴメンだよ」
「んや、何かちょっと様子が違うというか」
「あん?」
 アタシの後を付いて階段を下りてくる男に振り返り、眉を寄せる。
「入口んとこにずーっといるんですよ。誰かを呼ぶわけでもなし。…俺も声掛けちゃいねぇんすけどね。
 まぁ、いつものことですから、あねさんに会わせるのが早いかな、と」
「――そうかい」
 アタシは、何となく気が付いた。…入口にいるという、PMに。

    * * * *

「一月ほどぶりかねェ? あん時ゃ直にツラ合わせたわけでもないが」
「……そうなりますね」
「良くも逃げ回ってるもんだ。諜報部は今でもアンタの回収に躍起になってるよ」
 すい、とアタシはキセルタバコの煙を一吸いして目を細める。
 お気に入りのキングサイズのソファの向かいには、一人の440がいた。
 かつて『不死身』と謳われた、一機のワンオブサウザンド。
「んで? 今日は何の用だい? 長いよしみだ、大概の事には都合付けてやるよ」
「…いえ、ただ、近くを通りましたので。何となく」
 一日、アタシのヤサの前で立っていたという彼女。
 追い詰められて逃げて来たわけではないだろうが――、その姿はぼろぼろだった。
 恐らくはこの一ヶ月、ずっと、諜報部の番犬どもに追われ続けていたのだろう。
「あんだけでかいコトをやらかしたってのに、世の中ってな平和なもんだね。
 ホワイトデーが終わればイースターだとさ。何事も無かったことになっちまってる」
 時間は無情で、人は一時の危難には鈍感だ。
 喉元過ぎればなんとやら、誰も彼もが新しい時間の中、新しい感覚に慣れて、忘れていく。
「けどまァ…、それが生き方ってヤツなのかも知れないねェ」
 ささやかに笑って、アタシはタバコの煙を吐く。
 静かな部屋の外からは、活気付くスラムの物音が聞こえてくる。その中に混じる華やいだ声音は、…PMどもの声だろう。
 主を失ったもの、主に裏切られたもの、そんな連中だって、今では何とか笑ってる。
 生きていく、ということは、そういうことなのかも知れないねェ。
「…私は」
 指を組み合わせ、ぽつりと、
「私は――、どうやって生きて行けばいいのでしょうか」
 440は、そう、言った。
「何度も死のうと思いました。
 …自分のフォトンリアクターに銃口を向けた。
 …諜報部に追われながら、『もういい』と、何度も思った。
 ――でも」
 440は、膝の上で組み合わせていた指を解くと、そっと、自分の胸に触れ、
「その度に…、どうしてか、あのビーストさんが笑っているのが、浮かんできて。
 あんな悲惨な状況で、自分自身も満身創痍で、打つ手なんか何一つない中で、
 それでも『貴方はまだ大丈夫だから』って信じて笑ってくれるあの人の笑顔が浮かんできて…。
 ――死ねなかった」
 自分を恥じるように、どこか悲しい声で言う彼女の言葉に、アタシは目を伏せる。
 あのビーストの子は…、日向のような子だ。
 アタシらみたいな日陰モノには、あの子の存在は眩しすぎる。
 でも、だから焦がれるんだと思う。あの子の隣にいると、自分が日陰の中で生きているモノだなんて、忘れられるから。
 ったく、430の奴ぁ、とことん良い主を持ったもんだ。ちょいと羨ましい話でもあらぁね。
「PMなんて…、所詮は兵器として完成していく、道具なのに。
 …私はワンオブサウザンド。とびきりの兵器。生きていたって、仕方ないのに」
 置き去りにするような440の声が、ゆっくりと部屋に広がって、薄れて消えていく中で――、

「貴方に、お見せしたいものがあります」

 小さな鈴の音にも似た、ご主人サンの声。
 茶の用意を持ってきてくれたのかと思ったが…、違っていた。
 ゆっくりと440の元へと歩み寄っていくご主人サンが手にしているのは――、
「貴方は、GRMがPMに何を求め、…その為に何をしているのか…、それを知ったのではないでしょうか」
 ご主人サンの言葉に、440の体がびくりと竦む。
「ぅ…ぅう…」
 途端に顔を青ざめさせ、震える両手で自分の胸元を握りしめる440。
 恐らくはそれが…、彼女にとって最大のトラウマ。心の中の、禁忌の領域。
 ご主人サンは、そんな440の前に膝を折り、震える両手を優しく取ると…、
 持ってきた一冊の――スケッチブックを、手渡すのだった。
「どうか、これを見てください」
 怯えて顔を引きつらせる440は、それを拒む。渡されたスケッチブックを手放そうとする。
 幼子のように拒絶する440に、ご主人サンは、根気よく、何度も何度も、
 床へと落ちそうになるスケッチブックを支え、彼女に手渡す。
 ――まるで我が子や幼い妹をあやすように。
(ああ……、そうか。あのスケッチブックは――)
 やがて、そっと、440がスケッチブックを受け取るのを見て、思い出した。
 小さな手がおずおずと動き、紙擦れの音を立て、ゆっくりとページを開いていく。
「これは、PMの外観のイメージスケッチ。
 ……ふふ、今のあなたたちとは随分と違っていますね」
 ページをめくるたび、めくるたび…、
「これ、何だと思いますか? あなたたちの服です。…色々と着替えられるように、って」
 まるで、絵本を読んで聞かせるかのような声音と、ページをめくるたびに現れるイラストや、文字に――、
 440の表情から、怯えや不安が…、少しずつ、薄らいでいく…。
「人の傍らで生き、人の傍らで育ち、
 足りない場所を人に埋めてもらい、人に足りない場所を埋め、
 人に笑顔を作り、人から笑顔を貰い、――当然のように『生きていく』。
 そんな…、マシナリ」
「――これ、は……」
 呆然としたような、そんな顔を向けてくる440に、ご主人サンは、笑って、
 本当に本当に、優しい笑顔で、笑って、

「世界で一番最初に、あなたがたの存在を夢見た人の――」

 それは、ご主人サンの母親が残した、――スケッチブック。
 そして、440は最後のページを目にする。

「――幸せな、未来」

 幼いご主人サンとPMとが遊び…、それを見守る母親は、笑顔で。
「私は知っています。
 GRMよりも、テノラよりも、ヨウメイよりも、もっともっとずっと前から、
 このスケッチブックを描いた人は、人と共にあるマシナリの夢を描いていた」
 そこには利害も損益も何一つなく。幼い子が見る夢のように、暖かい希望に満ち溢れていた。
「あなたたちはGRMの手で作られたけれど…、この夢の中から生まれた、この人の子供…。
 そしてこの人は、決して兵器を作ろうと思ったわけじゃない。
 全ての『我が子』に、…生まれてきた幸せを味わって欲しくて、
 その幸せを、沢山の人に分け与えて欲しくて…、――そうしてあなたたちを作ったんです」

 ぽつ…。

「どうか、憶えていて…。かあさんのこと――、かあさんが見た、夢を…」

 ぽつ、ぽつ、ぽつ…。
 ただ一心に、手の中の、幸せな光景に見入る440の瞳から、大粒の涙が。
「人を許してくれとは言えないけれど…、
 でも、かあさんの気持ちだけは、知って、憶えて、忘れないで…。
 最後の最後まで、あなたたちを兵器に売り渡すまいと戦った、かあさんだけは…」
「わたし――、は、わたし、たち――は…」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、440の手が、ご主人サンの腕を掴む、
 小さな子供が、必死に自分の居場所を伝えようとするように。
「わたしたちのこころ、は…、兵器なるための、どうぐじゃ、ないの――?
 わたしは――、いきていて、いいの…? わたし、は…、わたしは――」
 ぱさりと、小さな音を立て、スケッチブックが二人の手の中からこぼれ落ちる。
「はい。…あなたたちは皆、人のパートナー。ワンオブサウザンドだなんて関係ない。
 みんな、かあさんの子供。…私の、大切な妹――」
 そして、
「うわぁああああああああああああああああああん!
 うわぁあああああああああああああああああああああああああああぁんッ!」
 440は、ご主人サンにしがみついて――、号泣した。

 アタシはそっと、ソファを降り、床に転がってしまったスケッチブックを拾い上げる。
 440の涙で濡れたその絵の光景は、今、ここにあった。
 感情を露わにして泣きじゃくる440と、その体を抱き締めて、優しく微笑んで髪を撫でているご主人サン。
 アタシは、妙に湿る鼻を一つすすって、柔らかく目を細める。

 お袋サン、見えてるかい…? アンタが夢見た絵が一つ、…今、叶ったよ…?

    * * * *

「もし…」
 泣き疲れて、ソファで眠った440の体の上に毛布を掛けてやりながら、ご主人サンが言う。
「もし、もっと早く、私がこの子に気付いてあげられて…、
 この子の心を察してあげられたら――、この子は、あんな事件は、起こさなかったでしょうか」
「――もし、なんて言葉に意味なんかないさね」
 眠る440の髪を撫でるご主人サンを見ながら、アタシはキセルタバコをくゆらせる。
 ――久々に、この煙が美味いと思えるねェ…。
「それはそうかも知れませんが」
「でもねェ…。もし仮に、440があの事件を起こす前にそのスケッチブックを見せたとして、
 それをその子がきちんと受け止められたかどうかは…、わからんよ」
 440は世界を恨み、憎んで、呪った。
 でも本当はそうじゃない。
「その子はね…、人の笑顔を信じられなくなっちまったのさ。
 大好きで大好きで仕方なかったはずの、人の笑顔が――、怖くなっちまった。
 人の見る夢と、自分たちが見る夢とが、全く違うものだって、思い込んじまった」
 無理はない話だろうさ。――GRMの『実験』を知ったなら。
 アタシだってそうだった。
 ご主人サンの素肌には、どうしようもないほどの大きな火傷の痕がある。
 その時の傷は内臓にまで達した。…死ななかったのは運が良かっただけ。
 ――アタシがやった。
 あの実験からアタシを逃がしてくれたご主人サンに、アタシがやった。
 信じられなかったから。どうせこれもまた新しい実験の一つだと思ったから。
 心が壊れかけていたアタシは容赦なんかしなかった。

 大丈夫。大丈夫。もう、大丈夫だから。もう、貴女の心は、自由だから。

 皮膚が炭化するほどの凄まじい火傷を負いながら、
 容赦なく飛び来るフォイエの嵐に、その身をかばうこともなく、

 両腕を、ただ、アタシを救う為だけに伸ばしてくるご主人サン。

「――アタシだってね、あの時のことがなきゃ、人なんてもう信じられやしなかった。
 ただスケッチブックを渡されたって、――心が壊れてちゃ意味がないさね」
 少し気恥ずかしくなって、早口に言うアタシの言葉に、ご主人サンはそっと、自分のお腹の辺りを撫で付ける。
 ご主人サンはただの一度も逃げなかった。アタシに背を向けなかった。
 アタシの攻撃を全部素肌で受け止めて見せた。――表情に灯った強い意志は、死にそうになってさえ、揺れ動きもしなかった。
 だから、もう一度だけ信じてみようと思ったんだ。…この人のことを。
 ご主人サンは静かに微笑んで440の傍から立ち上がると、アタシの元へとやってくる。
「言ったろ? アタシたちの夢は本物なんだ。…こればかりは譲れない。
 人と一緒に生きたいんだ。――お袋サンの夢を、アタシたちは継いでいる。
 心が壊れていたって、その根っこは変わらない。同じ思いには、惹かれるもんさね」
「あのビーストさんには…、感謝しても、しきれませんね。私の大切な妹の心を、救ってくれた」
 そっと、ご主人サンはアタシの体を抱き上げる。
 ご主人サンは、未だ日陰に咲く花だけど。でも…、ああ、やっぱり、花は花だ。
 とっても、良い匂いがする。
「そのうち礼にでもいこうかねェ、そうさね…」
「ええ、また、スキヤキの用意をお持ちして、ですね」
 アタシたちは、笑う。

「今度は、エラい大人数の準備が必要だろうけどねェ」

 ■そして、『小ビス子と430』

「はぅ~、はう~、はぅ~なのです~…」
「あー…、今日は随分とお熱がありますねぇ」
 きゅぽ、とご主人様の口から体温計を引き抜き、数値を見た救護部看護員のニューマンの女性が眉を寄せる。
 ガーディアンズのメディカルセンターの一個室。
 一ヶ月前の事件より、ご主人様は入院されておられます。
 おうちにかえりましょう、とは言ったものの、ご主人さまってば実に見事な満身創痍。全治二ヶ月の重傷でした。
 骨はあちこちボッキボキ。血はすっからかん。撃たれた場所は、僅かにずれていれば致命傷だったという有様
 ――つくづく、あの時440の奴を半殺しにしなかったことが悔やまれます。
 集中治療室から個室の一般病室に移された時なんて、全身包帯でぐっるぐる。ほとんどミイラみたいでした。
 あれから一ヶ月。傷は順調に良くなっています。
 今では怪我の酷かった場所に包帯が巻かれているくらいで、寝間着も普通です。
 あー…、病院の患者用寝間着を持ってきた看護員に、
 『はう? ガーディアンズの寝間着はシャツではないのですか?』と、きょとーんと聞いたご主人様の顔が忘れられない。
 唖然呆然とした看護員の顔も。……畜生、こんなところで私のパーフェクトプランが瓦解しようとは…。
 私は、極平然とした日常に戻っていた。
 『コロニーのパージは食い止めたが、440は取り逃がした』
 と報告に戻った私に、長官は苦笑して――、処分してくれ、と言った私の服を差し出してきた。

 蝶々を捕まえて虫ピンで留める趣味はありませんよ。…ひらひら飛んでいる方が綺麗でしょう?

 相変わらず底の見えない人だが…、上辺だけだとしても、それは厚意として受け取っておいた。
 私には相変わらず諜報部員としての特例任務を受ける制約があるけれど…、
 もし次に、そういうことがあったなら――、今度はご主人様に、きちんと伝えようと思う。
 ご主人様が意識を取り戻し、容態が安定した頃に、私は全てを自分の口から説明した。
 私がどういう430で、どういう過去を持ち、どういう立場で今生きているのかを。
 そして――、ご主人様をどう思っているのかを。

 それでも私は、あなたと共に、同じ夢に生きていたい、と。

 ご主人様は…、笑ってくれた。心を振り絞るかのような告白に、固く拳を握っていた私の手を取って、自分の胸に触れさせて、

 私は、とても幸せ。こんなにも私を思ってくれるパートナーが、いてくれるのです。

 ああ…、駄目だ、あの時のことを思い出すと、今でも泣きそうになってくる…。
 畜生私、この幸せ者め、お前なんかにゃ勿体ないご主人様だぞバカヤロウめ。
 ああああぁ、それにしても、ご主人様の胸、柔らかかったなあ…。
 つるぺただと思ってたのに、触ってみるとしっかり自己主張する膨らみが、ね…。
 あんなシーンでなければ思う様に揉みしだいていた所です。
 もう一回あのシーンの再現ないかなぁ…、そしたらフラグ立てとか関係無しにえっちしーん突入なんですけど…、ふひひ。
「うーん、お熱は下げた方がいいですねぇ」
「はぅっ、お、お注射ですか!? お注射されてしまうのですか!? はうはう!?」
 にへにへと、一人妄想の中で悦に入っていた私は、ご主人様の切羽詰まった声に我に返る。
 ご主人様は注射が大の苦手のようです。単語を聞くだけで、コレこの通り、耳がぺたんこになります。
「お注射の方がすぐ効きますよ?」
「すぐに効かなくても良いのです! お薬がいいのです! はうはうはうはうはう!」
 診察の為、少し離れた場所に椅子を持ってきて座っていた私は、そのやりとりに苦笑する。
 誰も信じないでしょうね。…こんな注射嫌いのビーストが、身を挺して100万人の命を救った、なんて。
「困りましたねえ…」
「はう! お注射は嫌なのです! ちくっとするのです! 痛いのです!」
 ご主人様はわぁわぁと半泣きで訴える。…注射の痛みなんかより数倍も痛い思いをしたでしょうに、あなたという人は…。
「わかりました。ではお薬に致します」
「はう! 看護員さん大好きなのです!」
 ぱぁああぁっ、と顔中に笑顔の花を咲き開かせるご主人様。…嫉妬、いや、shit。
 看護員、お前、廊下に出たらそこで待ってろ。明日から仕事に来たくなくしてやる。
 めらめらとジェラシーの炎を燃え上がらせる私を尻目に、看護員のニューマンはやおら、
 持ってきていた薬品のワゴンの中から、
「ちょっと特別な使い方をするお薬です。おし――」
「待て」
 がっ! と、私はそれこそ、私にしか出来ないような神速の動きで看護員の腕を掴む。
「…はぃ?」
 突然のことに目を白黒させる看護員の手は…、保護シートにくるまれた薬剤を摘んでいた。
 あれだ。形状は…、旧時代の弾丸のような…、そう、
「座薬か? 座薬であるか? 看護員!」
「あ、は、はぁ――、内服薬よりは即効性がありますので…」
 しゅばっ。私の手は泥棒猫の瞬発力で座薬を奪い取る。
 座薬! そう! アナルを貫く一発の銃弾!
「これをご主人様の菊座にブチ込めというわけだな看護員! そうだな!?」
 ぼふっ! と看護員が盛大に息を吹く。
「いえ、あの…! 何かが壮絶に間違っている気が…!」
 感情回路がパンク気味の私の手から、看護員は必死に座薬を奪い返そうとするが、
「やらせはせん! やらせはせんぞ! そんな前代未聞のオイシイ役!」
 私はもはや止まらない。
 一発の銃弾を片手に、私はご主人様のベッドの上に飛び乗った。
 ご主人様は訳もわからずきょとんとしている。
「ご主人様、これが解熱のお薬です」
 ハァハァハァハァハァハァと息を荒げて薬を見せる私に、ご主人様が心なしか引いたように見える。
「あ、あの、430? …目とかすごい血走ってて…、はう、あの時の440さんより怖いのですが…」
 聞く耳無し!
「飲むのではなく、お尻から入れるお薬です」
「へぅ――!? お、お尻なのですか!? えぇええええええええええ!?」
 ご主人様は目を白黒させて看護員へと顔を向けるが、そこにあるのは、いかんともしがたい表情を浮かべ、
 それでも「間違ってはいません」と、こくりと頷く看護員の姿。
「そういうわけです。さァ、そこに四つん這いになってお尻を出してください!
 寝間着のズボンとパンツも下ろして――、ああ、全部脱がなくてもいいです、引っ掛かってる感じがエロいですから!
 ついでだから四つん這いになったら振り返ってみましょう! こう、親指の爪を噛む感じで!
 目とかうるうるさせちゃってさァ! 今にも泣きそうな感じでさァ!
 いたくしないでください…、とか、やめてください…、とか、そういう萌えボイス熱烈歓迎!
 あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーははははははははははァッ!」
「よっ、430が440さん化していますです!? おちちちちちちち、落ち着いてくださいなのです!?」
 自分でやりますから! と必死に手を振るご主人様に、私はにじり寄る。
 片手には座薬、もう片手はわきわき。ふひ、ふひひひひひひひひひひひひひ!
 た、たまんねぇええええええ! 何このシチュエーション! 一見強姦! でもその実は治療! やましいことは何も無し!
「んっ、とか、はぅっ、とか、…イイ声で鳴いてくださいねぇええええええ…?」
 ほーれほーれ、と座薬の袋をふりふりしながら近付いてくる私に、ご主人様はベッドの端っこに逃げて身を固くする!
 ああ! ご主人様ってば、まるで羽をもがれた小鳥!
 ぶつっ、と鼻の奥で何かが切れた音がして、途端、猛烈な量のオイルが鼻から溢れ出す。
 来た、来たよ、この感じ! スイッチどころかブレーカーが上がったようなこの感じ!
 おいなんかすげー久しぶりじゃね!? これ!

              狂      犬      再      臨
 
 そんな言葉が脳内に浮かぶのを感じながら、私の片手がご主人様の足を掴む!
「い、いやぁああああああなのですーーーーーーー!
 やっ、やっ、やぁああああぁあああああああああああああああああ!」
 ああ、そんな声で鳴かないで…、ますますたまらなくなってくる――!
 どぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ、私のテンションが天井知らずに上がると同時に、鼻オイルもヒートアップ。
「やっ――! じ、自分で! 自分でしますですから! 許してくださいなのです!」
 強烈な脳内フィルタの掛かっている私には、ご主人様の言葉が全部18禁モードで聞こえてくる!
 自分で!? 自分でしちゃいますか!?
 えふふふふふふふふふふ! でもだめぇええええええええええええ!
 じたばたと抵抗するご主人様を力尽くで組み伏せる!
「あのぉ…、暴れると容態に響きますし…、病室ではお静かに…。婦長が怒りますよー」
 やけに他人事な看護員の言葉などオール無視!
「ご主人様ぁ…、そんなに暴れると、『違う方』に入っちゃいますよぉ…!?」
「ひぃいいいぅっ!」
 そして――、がっ、と、私の手がご主人様の寝間着のズボンと共に、ショーツを掴む!
 最高潮に達するエロスと狂気! 鼻オイルが渦を巻く中心で、私は絶叫する!
「ご主人様の開通式の始まりだぁあああああああああああああああああァッ!」

 そして、次の瞬間。

「病、室、では、お静かにーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 猛烈な咆吼に振り返った私が見たものは、ゴル・ドルバを彷彿とさせる体型の看護婦長が放つ、
 ビル・デ・ビアも真っ青のダッシュパンチだった――。

    * * * *

 結局、ご主人様の座薬は、ゴル・ドルバが入れました。

    * * * *

「…だ、大丈夫なのですか…? 430…」
「首がこっちから向こうに曲がりません…」
 静かになった病室――看護員と婦長は帰っていった。ついでにオイルまみれになったシーツも代えてくれた――で、
 私はベッドの脇に持ってきた椅子に腰掛け、首をごきごき回しています。
 なんだよあのゴル・ドルバ…。救護部なんかじゃなくて警備部いけよ…。即戦力じゃねぇかよ…。
 私がぶっ飛んで激突した壁は、しっかりと私の形にへこんでいる。
「ここは病室なのです。私も患者さんなのです。はしゃいだら駄目なのですよ? めっ」
 ちょん、とご主人様におでこを突かれる。…反省。あまりの出来事に取り乱しました。
 あぁん、あんなことされたのにいつも通り優しいご主人様…。
 いつか必ずこの本番を――って落ち着け430。お前いかれてるぞ…。
「あれから、一ヶ月と、ちょっと、ですね」
 ふと、ご主人様は近くの卓上カレンダーを見て、そう言った。
 卓上カレンダーの置いてあるサイドテーブルの上は、色々な人が置いていったお見舞いで一杯だ。
 クソヒューマンと410、黒キャストと430、やたらおどおどしてる箱に450、それらをはじめとして、
 実に色々な人がお見舞いに来ては色々なものを置いていった。食べ物から雑誌から漫画から携帯用ゲームまで。
 皆一様に大怪我の理由を問い質して来たが、任務で事故に遭った、と伝えている。
 …クソヒューマンと410に関しちゃ、あの日に私が意味深なことを言ったせいで随分と勘繰られたけれど、
 なんとかご主人様と一緒に笑って誤魔化した。
 後先考えない行動って駄目だな――、今思い返しても、あのクソヒューマンにご主人様を託そうとした自分に腹が立つ。
 ご主人様の髪の毛一本だろうと、他の人になんか渡すものですか。
「退院したらお礼が大変そうですね」
「はぅ、こんなに一杯貰ってしまいましたからね」
 どっさりと山を作るお見舞い品を二人で見て、私たちは苦笑する。
 嬉しかった。私たちは、こんなにも沢山の人の輪の中にいるんだな、って、そう思えて。
 生来の気の弱さから同種のビーストたちに蔑まれ、独りぼっちだったご主人様、
 ワンオブサウザンドなんていう特異性から、孤立するより他なかった私、
 そんな私たちが出会って、手を取り合って、ゆっくりゆっくり歩いていって、
 私たちはこの場所へやってきた。…沢山の人の輪の中。
 一人では、私もご主人様も、きっと辿り着けなかった場所。
「…よんさんぜろ?」
「何ですか? ご主人様」
 静かな病室の中、ご主人様は、ぽつりと話し掛けてきた。
「私たちは…、あなたがたPMに傍にいて貰える…、立派なマスターなのでしょうか」
 ご主人様は、右手を覆う包帯を、そっと撫で付けながら、
「私たちガーディアンズに、その資格はあるのでしょうか…」
 ずっとずっと、思い悩んでいた言葉を、紡ぐように、
「不正合成の事件でそれを思って…、440さんの事件でそれを知って…、――ずっと考えていたのです。
 PMさんはみんな私たちに尽くしてくれますです。みんな一生懸命なのです。
 でも…、私たちはどうなのでしょうか…」
 それこそ、糸を紡ぐように。か細い思いを、一本一本、まとめていくように。
「争い事はいっぱいありますです。…中には悪いことをしてしまう人もいますです。
 はぅ…、そしてそれは私たちだけではなくて、ガーディアンズという組織の中や、
 GRMの中にも――、人の良くないところが、たくさんあることを、知りました」
 伏せた瞳には、悲しそうな色が浮かんでいた。
「――430…? 私たちは、あなたたちに好かれるだけの価値が、あるのですか…?」
 私は、
「私たちは、生まれながらにして人のパートナーですから。
 人の価値を見定めて共にいるのではありません。…それがどんなに、世に蔑まれる人であったとしても」
「それは…、とても、悲しいことだと、思うのです」
 そうなのかも知れない。けれど、
「ではご主人様、あなたは神様になれますか? 全知全能にして最高の人格を持ち、万人に崇められる存在に、なれますか…?」
「…よんさんぜろ…?」
 伏せていた瞳を私に向け直すご主人様。私は、その手に、そっと自分の手のひらを重ね、
「――私たちは、あなたがたが『人』であることを、知っています。
 あなたがたが、神様ではないことを…、私たちは知っているんですよ…?」
 私はご主人様の腕を握って、そう言った。
 不完全、未熟、脆弱。人は、神様から見れば生涯そんな言葉が付きまとうのだろう。
 でも、私たちは天使じゃない。私たちは神様に仕えたいわけじゃない。
 私たちは、人と共にありたいんだ。
 人と同じように、欠けた場所ばかりの私たちだから。
「もしもご主人様が、自分の価値を見失ってしまうと仰られるのであれば、
 自分の価値は、私たちと共にあるに値しないと思ってしまうのであれば、
 ――私たちが一番に恐れていることを、知ってください」
 それは、主を失うことでも、主に見捨てられることでもない。
「…私たちPMが…、一番に怖いのは」
 包帯に覆われたご主人様の手を取って、自分の頬にあてがって、私は目を伏せる。

「あなたがた『人』が、自分を見失ってしまうことです」

 暖かい手のひら。たくさんの「ありがとう」が詰まった、優しい手。
「ご主人様が立ち止まってしまったら、私も同じように立ち止まるしかないのです。
 私たちはどこまでだって一緒に歩いていけるけれど、
 私たちがご主人様の手を引いて歩いていくことは、出来ないのですから」
 だから、どうか、胸を張って。
 あっちに行ってみよう、こっちに行ってみようと、私たちの手を引いて。
 あなたがたが胸を張って歩くその道を、てくてくついていくことだけが、私たちの幸せだから。
「立派である必要なんてどこにもない。…間違いだらけだって構わない。
 でも、自分の意志で、自分の足で、どうか前に進んでください」
 そしてその人が、自分が心から「大好きだ」と思える人であるのなら、

 私たちにとって、これ以上幸せなことなんて、ないのですから。

「私はGH-430。ワンオブサウザンドという、ちょっと変な名前の付いた、ただのPM。
 そして、あなたの、誰よりも優しい心が大好きな、幸せなマシナリー」

 ご主人様は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、

「ありがとう」

 と、そう言って、笑ってくれた――。

    * * * *

 ミズラキの空は一面の蒼天。クジラの親子みたいな雲がぷかぷか浮いている。
 気持ちの良い春の風が草木の香りを運んで高みへと駆け上がっていく。

「ご主人サン、味はこんなもんでどうかねェ?」
「ええ、とても美味しいです。流石ですね」
「まだまだご主人サンの料理には叶わんがねェ」
「…お食事でしたら私が作りますのに、どうしてまた、急に?」
「――たまには、PMらしいこともしてみようか、ってね。気紛れさね」
「ふふ、では、今日の昼食は楽しみにさせて頂きますね」
「かしこまりましたご主人サマ、ってね。はははっ」

 私たちは手を繋いで歩いていた。
 命の息吹に溢れる草の匂いの中、笑いながら、ゆっくりと。

「おっさん、仕事だぞ」
「あー? アポ取れたのか? どこだ?」
「今回のはちょっと変わってる感じだ。ほれ、ファイル」
「小ビーストと430、ね。…なんだこりゃ、ビーストの方はともかく――」
「おう、430の周囲の評判が滅茶苦茶なんだ。…なんだろなこれ」
「こっちは温厚で礼儀正しくて主人思い…」
「こっちには、凶悪で乱暴で容赦なし…」
「まるで別人ことみたいだな。…二重人格か?」
「ともあれ、明日はここにインタビューだ。…あとおっさん、腹減った」
「はいはい――、ったく、ウチの娘は幾つになっても食い気旺盛だな…」
「そりゃそうだ、おっさんに育てられたんだからなっ」

 一吹きの強い春風の中、ひらりと桜の花弁が舞い踊る。
 その場所を指さして笑うご主人様に頷いて、私たちはその場所へと走り出す。

「喧嘩しなぁあああい! 450に怒られますよ!?」
「だってー…、410がー」
「420が私のシュク・リーム食った。私は悪くない」
「はーもー、どうしてPMっていうのはこんなに食い意地が張っているんでしょうか…」
「420ってばひどいんだもん。こないだだって450のアネさんに頼まれた仕事押し付けるし」
「あれは忙しくて仕方なかったからって言ったでしょー!?」
「何よその言い方ー!」
「ああああ! だから喧嘩しないの! あなたたち二人とも来週には総務部に戻るのでしょう!?
 裏町で一緒にいられるのだってあと少しなんですから仲良くなさい!」
「ぶー」「むー」
「罰として二人ともおやつ抜きです。全部私が食べちゃいます」
「あああああーっ! ずるいーーーーーーー!」
「ダンゴモチー! 今日のおやつはダンゴモチなのにー!」
「だぁめ、喧嘩の罰です。うふふ、今日はダンゴモチ山ほど食べられますねー」
「お菓子ジャンキー! 糖分中毒患者ー! お前のオイルはチョコ味かー!」
「甘い物切れると指の震えが止まらなくなるくせにー!」
「…なんですってぇええええええええええええええええええェッ!」

「うわー! 440さんが怒ったー! 逃げろーーーーーーッ!」

 世界はゆっくりと、絶え間なく流れ続けていた。
 今この瞬間にも、この世界には、数多くのガーディアンズとPMとが思い思いに生きていて、
 様々な筆遣いで色取り取りの絵を描いている。
 その鼓動のような、穏やかなリズムを感じながら、私たちは下草を踏み締めて走っていく。

 空へ向かって諸手を広げるように、伸び伸びと枝を伸ばす、満開の大桜。
 私が、かつての親友の最期を看取った、大きな大きな桜の木。

「すごい立派なオハナミなのです!」
「ふふーん、ココは穴場なんですよ。知ってるのなんかきっと私くらいなもんです」
 空を見上げるようにして桜の天蓋を仰ぐご主人様に、私はえへんぷいと胸を張る。
「はぅはぅ…、ルームグッツのとは全然違うのです…、きれい――」
 優しい桜の雨を浴びながら、ご主人様は高く高く手を伸ばす。
 淡い紅色の花弁が降りしきる中、白い髪を風に遊ばせるご主人様は…、とても綺麗だった。
「さて、ではではご主人様」
「はいなのです、みんなを呼びましょうなのです」
 桜の木の根本に腰掛け、端末機を取り出すご主人様に寄り添って、私も座る。
 ご主人様は、パートナーカードを交換した全てという全ての人にメール送信のチェックを入れ――、
「430、どうやってお誘いしましょうか。お忙しい人もいるかもなのです」
「知ったこっちゃないです。こんな綺麗な場所で、こんな可愛い子のお誘いを断る奴なんていやしませんよ」
 私たちは顔を見合わせて、ひとしきり笑って、二人でメールを打つ。


『はぅ。突然ですがオハナミをしましょう。場所は地図参照。

                        どうぞお越し下さい。
 この場所でお待ちしておりますので、
                        良いからとっとと来い。

                             ――なのです!』


 そして、桜の下、満面の笑顔を浮かべる私たちの写真を貼付したお誘いのメールが、
 私たちの大切な人の輪の中へと、飛び立っていく。

 

「はぅ! とっても楽しいオハナミの、始まりなのですよっ!」

 

 

 





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