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■XX07/2/10 22:55

 …くろいねこさん、おなかいっぱい
 …しろいねこさん、ともだちいっぱい

 照明器具が一つも作動していない真っ暗な部屋の中、ビジフォンだけが明かりを灯していた。
 その無機質な四角の光が、コンソール前の小さな人影を映し出している。
 微動だにしない人影。ただ、コンソールパネルの上を、まるで派手なダンスのような激しさで、
 指が動いている。微動だにすることを止めない「彼女」と同じく、いつまでもいつまでも。

 …ぶちのねこさん、しあわせいっぱい
 …とらじまねこさん、ゆめいっぱい

 あるいは、彼女が呟くように歌い続ける、その言葉の羅列のように。
 たんっ! と、何かの一区切りを付けるように、彼女の指がパネルのボタンを強く叩く。
 アクセスコード認識中。ビジフォンの前の彼女は、軽く頭を上向けると、何かを思い出したかのように、背後を振り仰ぐ。…ベッドの上には、一人の男性が眠りに就いていた。
 彼女は知っている。断言出来る。…白目を剥き、口から泡をこぼす彼は、もう二度と目を覚まさない。
「…些細な量ですね? ヒューマンの致死量とは」
 ぱきんっ。小気味良い音を立て、彼女の前歯が板チョコを割る。
 それは、彼が口にし、絶命した、猛毒入りチョコレート。
 彼女はその甘味を心ゆくまで堪能し…、
 小さな電子音と共に反応を示したビジフォンへと再び視線を戻す。

 認識完了

 にっこりと、彼女は笑った。なるほど流石に大したものだ。
 甘い毒で殺してあげて良かった。最後のご褒美には丁度良かっただろう。
 彼はガーディアンズであると共に、名うてのハッカーだった。度が過ぎた「お遊び」のせいで、何度も情報管理局から大目玉を食らっては笑っていた。
 彼の「遺品」は、自分の「道具」とするには十分だった。…ありがとう、それとさようなら。
 『二ヶ月ほど成り代わらせて貰った』名も知らぬGH-440と、その主に、お礼と決別。
 そして当然のように、彼女はそんな彼らを忘れる。ただ電源を切るように。

 メインコンピューターの中心にまで辿り着ければ良い。
 そこまで行ければ自分の「能力」を発揮出来る。
 彼女は再び物言わぬ彫像と化し、猛烈な勢いで十指を動かし始める。

 …たくさんのねこさん、たくさんいっぱい
 …ちいさなねこさん、なにもない

 彼女の唇からは、再び歌が。

 …ちいさなねこさんかんがえた いっぱいいっぱいかんがえた
 …ぼくはとてもちいさいから、きっとだれのかわのなかにもはいっていける
 …ちいさなねこさんおおいそがし
 …ころして、はいで、かぶって、まねして、おおいそがし

 歌が、言葉が、姿を変えていく。

 …けれどもそれはだれかのしあわせ ちいさなねこさんのしあわせじゃない
 …ちいさなねこさんはふりかえる じぶんとおなじねこさんがいたはずだから

 …ちいさなねこさんはひとりぼっち

 …いつのまにかほんとうにひとりぼっち
 …じぶんとおなじねこさんは しあわせになっておりました

 それは呪詛。音を成す呪い。幾重にも積み重ねられた怨嗟が織りなす、底なしのノロイ。
 コンソールの上を踊っていた右手が、それまでの優美な動きとは一転、恐ろしく鈍重で
 危うげな動きを見せながら、コンソール脇に置いた板チョコレートへと伸びていく。
 ガタガタと震えながら、コンソールとチョコとの間にある全ての物を無造作になぎ払いながら、
 その手はようやくチョコレートに触れ…、――べきぐきぐしゃちゃぁっ!
 その指は、まるで加減の効かない鉄の義手のように、一瞬でチョコレートを粉々に握り潰した。
 チョコレートは、砕かれるや否や、彼女の指が放つ猛烈な熱により、ドロドロに溶けていく…。

 こくりと首を傾げ、彼女は不思議そうにその光景を見る。自らが成した光景を。
 疑問符を浮かべる子猫のような、その愛らしい表情は…、その光景と合わせて見れば…、寒気がするほどに、ただただおぞましい。
 あまりにも無邪気で、理知に乏しい、純粋にして絶悪の極地。

「あっは」

 唐突に、彼女は笑った。指先が放つ熱に溶け出したチョコを舌先に運びながら、彼女は笑った。
 指からはとろけたチョコがしたたり落ちていく。それはまるで、血のように。

(いつまでこんなことやってんだい。…もう、アタシらがバケモノで、そして、バケモノ通りの生き方しか出来ない世の中なんざ、とうに終わってんだよ)

「いつまで? どうして? なんで? そんなのかんたん」

 耳元でうなる過去からの声に、彼女は笑って答えた。
 彼女と死体と、それだけしかいない空間の中、右耳の方に聞こえた気がしたから、ふいと右を向いて、そして…、

 バキィイイイイイイイイイイイイイイィッ!

 チョコレートまみれの彼女の右手が、一瞬でビジフォンを叩き潰した。
 一欠片の容赦もなく。己の右腕に返ってくるだろう反動すらも省みず。
 バチバチと火花が散るマイルームの中、彼女は椅子から飛び降りた。
 用は済んだ。もうこの部屋にいる必要はない。…ここの440に成り代わって二ヶ月。
 程よく飽きてきた頃だった。何もかもが丁度良い。
 手の甲を覆うチョコレートを、小さな舌でぞろりと嘗め上げ、左手で、ずれた帽子を被り直し…、

「ただ…、そうしたくてたまらないからよ…!」

 マイルームのガラスには、怨念そのものを顔面に張り付かせた…、一人のGH-440が写っていた。


 ■XX07/2/11 08:57

「一万年と二千年前から愛している~」
 いつだかどこかで見ず知らずのガーディアンズが歌っていた歌を歌いながら、私は私たちのタダレた愛の巣の掃除を進めていく。
「八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった~」
 一度聞いただけだけど、どうにもメモリにこびりつてい離れない。
 あれだ、多分これが「脳味噌周回ソング」っていうものなんだろう。
 つくづく人間どもの文化というものは侮れない。
「一億と二千年あとも愛してる~」
 いやもーだってこの歌、私のご主人様へ捧げる歌みたいなんだもん!
 ぶんぶんと掃除機のホースを振り回し、私ことGH-430は独り悦にいる。
 嗚呼、嗚呼、マイリトルストロベリー小ビーストご主人様。私は三億年経ったって貴方の恋の奴隷です…!
 近いうちのその立場を逆転させるつもりではありますが!
「君を知ったその日から、僕の地獄に音楽は絶えない~、っと」
「はぅー?」
 びしぃっ! と掛け終えた掃除機の先端をライフルよろしく突き出して歌う私の真横を、乾燥を終えた洗濯物を抱えたご主人様がきょとんとしながら歩いていく。
「430? なんのお歌です? はう? いちまんねん? すごい長いのです」
「あ、ははははははははぁっ! ななな、何でもありませんよぉー!」
 うっわ超恥ずかしい…。
 かぁっ! と顔が真っ赤になるのがわかる。
「なんだかとても楽しそうでしたのです。教えて欲しいのですよ」
 ふかふかのタオルの山を抱えながら、ご主人様がにっこにこと笑って言ってくる。
 ぬ、ぬぬぬ、では…、
「えーとですね、一万年と二千年前から愛してる~」
「はぅ。いちまんねんとにせんねんまえからあいしてる~」
 ……
 ぶばぁっ!
 次のフレーズを教える間もなく私の鼻からはオイルが吹き出る!
「430!? つ、次は鼻血出さないと駄目なんです!?」
「ぢがいばず…! ぞうではないでずが…!」
 だだだだだだ駄目です! そんな舌っ足らずなキュートボイスで「愛してる」なんて歌われた日には私が物理的に生きて行けません!  オイル空っぽになるぅうう!
「はうー、では続き教えてくださいなのですよ」
 最近ってばご主人様もたくましくなっちゃって…。
 私が鼻オイル吹いても日常茶飯事として受け止めてらっしゃられる…!
 ああ! でも、ご主人様の声でこの歌うたわせてぇッ! 聞きてぇっ!
 がんばれ私! 根性だ430! オイルはまだ残ってる!
「は、はっぜんねんすぎたごろがら…」
「はうー。八千年過ぎた頃から~」

 随分と色々あって、随分と大量のオイルを補充したけれど、
 やがて私たちの部屋は、私とご主人様の歌声で一杯になる。
 私は…楽しかった。
 ホントは歌ってる歌なんかどうでも良かった。一緒のお歌を歌えるということが、こんなに嬉しいことだなんて知らなかった。
 一緒に過ごすようになって半年以上になるけれど、私はご主人様と一緒に過ごす生活に、まだまだ見知らぬ幸せがたくさんあることを知った。

「一万年と二千年前から愛している」
「八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった」
「一億と二千年あとも愛してる」
「君を知ったその日から、僕の地獄に音楽は絶えない」

 ああ…、でも、…この歌でないほうが、良かったのかな。
 掃除も洗濯も終わり、二人で並んで腰を下ろして歌を歌いながら、
 私はそっと、ご主人様の横顔を盗み見る。
 楽しそうに歌うご主人様。
 きっと、音を追いかけるのが楽しくて、歌詞なんて気にしていないだろう。

 …この歌は、そんなに楽しい歌じゃない。

 私は今更ながら、この歌が自分のメモリにこびりついた理由に気が付いた。
 この歌は…、昔の「私たち」と、今の「私たち」に、どこか通じているような気がするんだ…。

 ふと、付けっぱなしのビジフォンが、バレンタインシーズンのCMを流していた。
「…もうそんな時期なんだなぁ…」
 私はぽつりと呟いた。…ご主人様に一球入魂の渾身のチョコを贈るつもりだけれど、どうもこの季節みたいに、お菓子が話題に上る時期になると…、

 「アイツ」のことを、思い出す自分がいる。

「あのですね、430」
「はい?」
 ふとご主人様に声を掛けられ、私は我に返る。
「時々ケンカをしても、…ずっと一緒にいましょうね」
「…え?」
 振り向けば、ご主人様は私の隣で、優しく笑ってた。
 …たまに、思う。
 ひょっとしたら、ご主人様は、「私のこと」を薄々気付いているんじゃないだろうか、って。
「…430が、時々すごく遠くを見てるような時があるのです。
 …そんな時は、私は、何でか、すごくすごく、気持ちにぽっかりと穴が空いてしまうのです」
「大丈夫です」
 私は笑って、ぎゅうっと、ご主人様の小さな手を握りしめ、自分の胸に押し当てる。

「一億と二千年経ったって、私はずっと、ここにいますから」

 もうすぐバレンタインだ。
 しんみりしてるなんて、今の私には似合わない。

 精一杯大騒ぎして、精一杯オイルでも吹いて、盛大なイベントにしなければ。
 だから大丈夫。…うん、きっと、大丈夫…。
 私たちの「地獄」は、もうとっくに、終わっているんだから。


 ■XX07/2/11 11:13

「はうー、はうー? はぅはぅ…」
「もーご主人様ー、ぱっぱと決めちゃいましょうよー」
 アレを手に取ってはコレを手に取ってははぅはぅ悩んでいるご主人様の服の裾を引っ張りながら、私は唇を尖らせる。
「はぅう、ではでは430、430はこれどう思いますです?」
「ゴージャス過ぎます。分不相応です。あんな連中に配るのなんかコレで十分です」
「は、はぅ…、ちっちゃい子のおやつではないのですよ…?」
「かさばらなくって良いじゃないですか? 30メセタですし」
「は、はぅう」
 どこの食品ショップのレジ脇にも置いてあるようなミニチョコを指さして言う私の案に、
 ご主人様は気乗りなされないようでした。ちぃ…。
 ガーディアンズコロニー二階のショップスペースに臨時で設けられたこのブースは大いに賑わっていた。それも女性ばかり。友達連れ、パシリ連れ、恋人連れ、その他色々に。
 そう、ここはバレンタインシーズンに特別設置されたチョコレートショップ。
 最近は商売人も心得た物で、ブランド品や宝石を展示するようなシックなデザインの店構えで、
 そこに綺麗にラッピングされた色とりどりのチョコレートボックスを並べている。
 「贈る」以前に「選ぶ」楽しさを前面に押し出した商売戦略は大当たりといったところか。
 随分と広いショップだけれど、所狭しとチョコと女の子が溢れかえっている。
「はうー、ヒューマンさんはあんまり甘い物食べるイメージがないのです。
 甘すぎないのが良いでしょうか。…はう、ブランデー入りのもあるのですね」
 ひょいと一つ手にとってはまた別の商品に目移りし、
「箱さんはキャストさんですから、向こうのキャストさん用のチョコの方がいいですよね。
 はぅ…、でもキャストさん用ってどんな味なんでしょう?」
 両手にチョコの箱を取っては別の展示スペースのチョコを見るために背伸びして…、

 な ん か こ う 、 む ち ゃ く ち ゃ イ ラ イ ラ す る。

「もー今持ってるのにしちゃいましょうよー。退屈ですよー」
「だめなのですっ。日頃お世話になっているお返しなのです。真心込めて選ぶのです」
 純真で義理堅いご主人様です。最善の品物を選びたいのでしょうけれど…。
 なんかもう、世間的には義理チョコを選んでいるわけですが、その熱意と言ったら、本気チョコを探していると言っても過言でないくらい必死です。
 …むかつく。
 それにしても、ご主人様ってば、カンッペキにバレンタインデーを勘違いしてるよなぁ。
「それにしても何で男性だけなんでしょうね。黒キャストさんにもお世話になっているのです。
 はう、でも黒キャストさんは女の子さんですから贈れないのでしょうか?」
 あー…、やっぱ勘違いしてるー…。
 日頃お世話になっている男性に感謝の気持ちをってとこでしょうか。
 日頃ちょっと気になっている男性に軽いジャブをが俗世的なセオリーなんでしょうが、
 そんなことを説明して「はぅ…」とか赤くなられたらたまったものではないので黙っています。
「いえ、まぁ、女の子同士で渡したりするのも結構ありますよ」
 くぁ、とあくびしながら適当に答えると…、あ、やべ、しまった…。
「はう! そうなのですか! それならお二人に加えて黒キャストさんの分も選びましょう!」
 …やっちまったぁ…。
 ぺたし、と顔面に手のひらを当て、私は呻く。これで+30分確定…。
 ため息がてら、私は人でごった返す店内のボードを見上げる。
 「バレンタインデーまであと三日!」
 私もぼちぼち準備し始めないとならないよなー…。

 そう! 超がつくほどド本命のちょこれぃとを!

 が、コレには一つ問題があるのだ。それを解消する為の策も考えてはあるのだが…。
 私はくいくいと再びご主人様の服の裾を引っ張る。
「はぅ? どうかしましたか430?」
「申し訳ありませんご主人様、私、ちょっと買い物がありまして。
 後ほどエスカレーター前で合流致しませんか?」
「はう、わかりましたです。迷子になったらだめなのですよ?」
 …むしろそれはご主人様の方が危ういのでは…。
 まぁ、この店は女の子だらけだし、私の方もそんなに時間を掛けるつもりはない。
 ご主人様一人でも…、問題はないでしょう。
 問題があったら、そいつを捜し出して全殺しにすれば良いだけだしね。
 ふりふりと手を振って見送ってくれるご主人様にぺこりと頭を下げると、
 私は足早にチョコレートショップを後にした。


 ■XX07/2/11 11:38

 PMには「お財布」という概念がない。
 私たちは買い物用のカードを持っているが、それは所有者の口座に繋がっている。
 当たり前だがPMたる私たちが単独で金銭を稼ぐ訳にはいかず、
 私たちの買い物はつまり「主人の買い物」なのだ。
 我々はおおよそ「おねだり」という必殺技で自分が欲しい物を手に入れるわけだが、今回ばかりはそうは行かない。
 何しろ私が今欲しいのは「ご主人様の為の私からのチョコレート」なのだ。
 それをご主人様のお金で買ったら本末転倒である。
 無論店で買うのではなくバリバリに手作りする気だが、それにしたって材料費だのラッピング材だののお金が掛かってしまう。

 …だから。

「金貸してくれ」

「…そんなシュールな台詞を吐いた430は、GRM社史上、お前サンが初めてじゃないかねェ」
「そんなこと言うなよ450えもん」
「お前サンとは本気でどっかでケリつけないとならんのかもねェ」
 ガーディアンズコロニー裏町。とある雑居ビルの四階。
 …何のかんのと通っていたせいで、最近ではコイツの住処の場所も頭の中に入ってしまっている。
 ニューディズの骨董品に囲まれるキングサイズのソファの上に悠々と鎮座ましますは、頼みの金づる、GH-450サマ。こいつはぶっちゃければアウトローだ。
 ガーディアンズでもなければ、PMの行動則に何一つ束縛されていない。
 しかもたっぷりと金を持ってやがる。伊達にマフィアのボスを気取ってない。
「まぁ、お前サンがその為にやってくる、ってーのも、想像はしてたんだがねェ」
 ぷかぁ、と愛用のキセルでタバコの煙を吐き出しながら、450はうんざりと笑った。
「なら話早ぇーじゃん、貸せよ、金」
「お前サンは自分の見た目と中身のギャップをもうちょいと考えてお喋りよ」
 450は、たはぅ、と隠しもせずにため息をつく。…何だよ、こういう時に限って保護者面しやがって。
 にしても…、
「アンタん家はいつからチョコレート屋になったんだ? マフィアは廃業か?」
「馬鹿お言いでないよ」
 部屋に入った時から気になっていた。部屋の隅の方に積み上げられた大量の箱と…、
 部屋の奥―居住スペースだろう―から漂ってくる甘ったるい匂い。
「ご主人サンに頼んで作ってもらってんだぃ。上手いんだよ、ウチのご主人サンは」
「ヤクザどもにでも配んの?」
「それこそ馬鹿な話さね。あんな連中がチョコなんて食う面かい」
「…450からチョコが貰えるなら死んでも良い、と全員泣きながら懇願してきましたが?」
 ひょっこりと、奥の部屋から女ニューマン―450の主人だ―が顔を出す。
 どうやらまたチョコが出来たらしい。両手に抱えてきた五箱ほどのチョコを、部屋の隅のチョコ箱の山の上に更に積み重ねる。
「死なれちゃ困るしね。そんなら尚更くれてやるわけにはいかないねェ」
「同感ですね。貰うのは私一人で結構です」
 くつくつと笑って言う450に、ニューマンは無表情にぺこりと頭を下げ、再び部屋の奥に消えていく。
 …どうまとめてるのかと思いきや、こいつ結構ヤクザ連中に好かれてんだな…。
 その時に、ふと…。
「アンタ、あのボランティアまがい、まだやってたのか…」
 問い掛けに、答えはすぐに返ってはこなかった。
 450はあぐらの上に肘を置いて頬杖をつき…、さりげない動作で顔を横向ける。
「…どうでも良いことさ。お前サンにゃ、関係のないこった」
 沈黙が嫌だったのか、450は転がっていたビジフォンのリモコンを拾い上げると、アンティークの中に設置されていた大型モニタのビジフォンを起動する。
 …丁度、昼時のニュースの時間だったらしい。抑揚の無い無機質な声を聞きながら、
 450は静かに目を伏せた。知った癖だ。…話すのが嫌だ、という、彼女の癖。

 退役、もしくは殉職したガーディアンズを想い、本部からの帰投命令に従わないPMたちへの…、援助と、支援。
 噂があるのだ。それは去年のクリスマス。
 ひとりぼっちのPMの元に、オデンの缶詰を持った、ヤクザ言葉のサンタクロースがやってきた、と。
 それも、ただの一人も残すことなく、一晩中をかけて、全員の元に。

 それはそれはとても地味で、報われず、膨大な労力が必要で…、
 おおよそ、派手な祭り好きの450にとって、一見すれば対極にある行為。
 ちり…、と、彼女がふかすタバコの先端で、小さな火が灯る。
「ただ、アタシくらいは…、憶えていてやりたいんだ。ああいった連中のことを」

 いずれ消えていく者たちだから。

 暗にそう言った彼女の言葉に、胸の奥の一番底が、ずきりと…疼いた。
「言ってやりたいんだ。『アタシはいるよ』ってさ。誰一人いなくなっちまっても、アタシはアンタとアンタの名前を忘れない、って。…自己満足だがね」
 ふい…、と薄紫の煙が、彼女の唇から細く長く流れていく。
「直に…、それも終わるかもしれないけどね」
「…ん?」
 いくらか声音が変わった気がして、私は彼女の顔を見る。
 450はビジフォンを見ていた。昼時のニュース。…一目して、知った。
 私も知っているニュースだ。最近決定したことで、広く世間に知られている。

 ガーディアンズ本部は、未使用区画となった居住スペースの一部を
 コロニーよりパージすることを決定し…

「随分小さくなっちまうねぇ、コロニーってやつも」
 つまらない冗談に愛想で笑うように、450は退屈そうな笑顔を浮かべていた。
「居住区画No21から38。…そん中に、どんだけ『置いてけぼり』がいると思ってんだ…」
 無機質に言い捨てているのは、言葉だけ。
 私は、そういう450が、キセルをへし折らんばかりに拳を握りしめているのに気付いていた。
 切り離され、消えていくのは、空間だけじゃない。
 そこにあった暖かさ、そこに響いていた声、そこで紡がれた思い出。
 そんなのが、全部、…消えていくんだ。

 取るに足らない物として。

 「私たちの思い」は、所詮、「人間の思い」ほどの重さとしては、扱われない。
 私たちはPMだ。キャストですらない。…誰にどれだけ想われても、社会的地位なんて無いに等しい。
「…終わっても、出来るだけ、憶えててやれよ」
「…あん?」
「そいつらの名前とか、姿とか、言葉とか、声とか。
 私らにも魂があるなら、生まれ変わりたいって言ったヤツを知っている。
 誰か一人でもそれを憶えているヤツがいれば、…魂だって、戻って来やすいんじゃねぇかな」
 私たちは、しばらく、適当な眼差しでニュースを見ていた。
 甘い甘い、チョコレートの匂いに包まれながら。

「アタシらってのは、結局、どこに行こうとしてんだろうねェ」

 ぽつりと言った450の言葉に、私は返事をすることが出来なかった。


 ■XX07/2/11 12:31

 ガーディアンズ情報局の執務室は、ここ数ヶ月味わったこともないような激務に追われていた。
「おい! グラールチャンネル5が今回のパージのことでコメント求めてっぞ!」
「担当者不在って言っとけ! 適当なコト抜かしたらクビ飛ばすぞ!」
「パージブロック内の情報端末の切断どこまで終わってんだおい!」
 そんな中、
「…パージブロック内のPMのコメント取り、なんてな、許可されねぇだろうなあ」
 ぷかぁ、と大きくタバコの煙を吐き出し、中年のヒューマンが首の骨を鳴らす。
 PMに愛着のある人間にとって、本部のこの決断は…、心に痛い。
 切り離される居住ブロックの中には、数百体近いPMが取り残されている。
 様々な形で主を失った、それ以外の行き場を求めないPMたちだ。
 GRMから納品されるPMの数は今では供給過多だ。採算的な問題からしても、予算を割いてまで強引な回収を行いたくはないのだろう。
 ガーディアンズも企業だ。仕組みは理解できなくもないが、納得出来るかと言えば別の問題だった。
 コロニーから切り離され、パルムの大海原に激突、…大破。
 『計算通り』の死が待つだけの空間に残るPMたちが何を思い、何を語るか。
 それはおそらく心をえぐられる痛みを伴うだろうが、
 せめて自分一人くらい、それを聞き、憶え、留めておいてやりたかった。
 …暴挙を行う側の、人間として。
「おっさん」
 はたと事務机の脇から掛けられた声に、我に返る。
「今日も暇だから来たぞ。忙しいか?」
「何、お前の相手が出来んほどではないな。…丁度飯時だ、なんか食いに行くか」
 男は自分のPM、GH-440の帽子の上から手を置いてやる。
 仕事場が度を超して忙しいというのもたまには便利だ。同僚どもも、聞こえる嫌みを言うような暇がない。
 実際のところ、自分もその「度を超して忙しい」身ではあるが、…愛娘をないがしろにするほどの仕事ではないのだ。こんなことは。
「あの442と422がいる店がいいな。美味いし」
「そーだな。この時間は混んでるかも知れないが、行くかぁ。順番待ちで暴れんなよ?」
 ケタケタと笑って、事務机から立ち上がろうとして…、

「…あ?」

 ふと、男は愛用のコンピュータに目を向けた。
 パージプログラムのチェックと中央管制塔のCPUの稼働状況の確認を行っていたモニターの隅に、小さなアラートアイコンが点灯していた。
「どーした、おっさん」
「いや、ちょっと待ってろ、これだけ確認する」
 不正アクセスの足跡…か?
 最近では暇を持て余したガーディアンズがビジフォンを通じて奇妙な悪戯をするようになったからタチが悪い。
 …本当に、最近のガキはロクな遊びをおぼえない。
 逆探を掛けて締め上げてやろう。…アクセス時間は…、昨日の深夜。
 場所は…、
「またアイツか!」
 数秒の待ち時間を経て表示された「犯人」の居場所に、男が呻る。
「知り合いか?」
「常連だよ。ったく、半端に腕が良いからって面白半分にあちこちアクセスしやがるんだ」
 GRM社の未公開製品の情報にアクセスしてはバラ蒔いたりと、このガキは本当にろくなことをしない。
「今度は何処にアクセスしてやがったんだ。…各社に頭下げんのはオレらなんだぞ!」
 どかどかと荒っぽい操作でコンソールを叩きながら、男は灰皿に突っ込んでいた消えかけのタバコを口にくわえた。
 苛立つとどうしてもタバコが欲しくなる。
「楽しそうだな」
 440はニヤニヤと笑っていた。男は440を斜めに見下ろし、くわえタバコのままにやりと笑い返す。
「ガキに説教くれるのはオッサンの仕事だかんな。…っと、おーし、出た」
 あのガキ、今回は随分と手の込んだハッキングしてやがる。何枚防壁ブチ破って…

 ガタンッ!

 椅子を倒して立ち上がる物音に驚いたのは、近くにいた440だけ。
 他の誰も、仕事に忙殺され、そんな些細な音には気付かなかった。

「440! 悪い! 飯は後だ!」
「お!? おい!? おっさん!?」

 蹴倒した椅子を飛び越え、人の合間を縫って猛烈な勢いで走り出す男の後を、440はちょこまかと走ってついていく。
 男がそのままにして立ち去ったモニタには、ハッキングを通じてアクセスした場所が表示されていた。

 

        ガーディアンズコロニー中央管制塔 メインCPU

 

「おいこらテメェ! ドコにアクセスしてやがる! 冗談で済む場所じゃねーぞガキ!」
 低く轟く怒鳴り声を張り上げながら、男は、厳つい拳で鋼鉄製のドアを何度も叩く。
 ガーディアンズ宿舎の一室。…不正アクセスを行っていた青年の部屋だ。
 …応答が、無い。ドアはロックされているらしく、爆破でもしなければこじ開けられそうになかった。
「くっそ、…現在時刻12:51! 情報局員コードJ9-11024! 状況A-3につきマスターコード使用!」
 男は襟元のインカムをたぐり寄せ、言い捨てるように言葉を残すと、
 男は非常時の解錠コードをパネルに叩き込む!

 中央管制塔への不正アクセスだと…!?
 あの馬鹿ガキ、自分が何をやったのかわかってんのか…!
 あそこはガーディアンズコロニーの心臓だ。
 制御を奪えば、コロニー中の空調を停止させ、半日も経たずにコロニー内の人間を死滅させることだって出来る!
 『ただアクセスしただけ』とはいえ、公になれば第一級犯罪だ。
 だが…、そうだ、ガキのやったことだ。気付いたのも多分まだ俺だけ。
 …何とか上手く取り繕ってやれるだろうか!?
 ガキの馬鹿を何とか誤魔化してやるのも、年寄りの仕事なんだ!
 だから出てこい…! 出てきて謝れ…! 今なら一発殴るだけで済ませてやる!
 だから…、だから…、何なんだ…!

 何なんだ、この、いけ好かない予感は!

 あのガキは「常連」だ。何度も呼び出して怒鳴りつけた。
 性懲りもなく不正アクセスを繰り返しては「オッサン、また会ったなぁ」とヘラヘラと笑いやがった。
 馬鹿でどうしようもないが、悪人じゃねぇんだあのガキは!
 一緒についてきてぺこぺこ謝る440を見ていると、なんだか自分の440が重なって見えて憎めなかった。
 オレがガキの頃だってあんなんだった…、まだきっと何とかしてやれる!

 やがて、何事も無かったかのようにぽっかりと口を開けた部屋の入口から溢れ出したのは…、

 照明が付いていないが為の薄暗闇と…、

    * * * *

 胸を焼け付かせる程に甘い、チョコレートの匂いだった。

    * * * *

「…なんだ…、これは…」
 部屋の中央に立ち尽くし…、男は呆然と呻く。
 明かりの無い空間。本や機械が乱雑に積み重ねられる荒れた部屋。
 滅茶苦茶に潰れたビジフォン。部屋中を埋める、チョコレートの匂い。

 そして、

 とうに絶命している…、見慣れた青年…。

 予感があった。事務室でその痕跡を見付けた、その瞬間から。
 このガキは…、中央管制塔への不正アクセスなんて馬鹿はやらない。
 度だけはしっかりわきまえていた。…だから、これは…。

 誰かが、やったんだ…! 彼の道具を使って!

「おっさ…」
「来るな!」
 不意に聞こえた440の声に、男は振り返らず絶叫する。こんな光景を、見せられるものか…。
 男は羽織っていた上着を脱ぐと、ベッドで絶命していた青年の上半身に掛ける。
「何が…、あったんだ…?」
「来るなっつったろうが…」
 ぎゅうっと手を握ってくる440に、男はやはり振り返らず、苦く呻いた。
「外出てろ…、お前にゃキツい」
「…ならおっさんも出るんだ。…ここは…、駄目だ」
「440?」
 ふと…、男は、自分の手を握る440がガタガタと震えていることに気が付いた。
 立ち位置で隠し、440に青年の死体は見せていない。…それで、何に…?
「…よくわからないけど、なんだか、わかる…。
 ここには、…うん…、何て言うか…、バケモノがいた…。
 私たちが絶対に関わっちゃいけないような…、そんな、バケモノ…」
「…何言ってるんだ…? 440…?」
 震える手を握り返し、440を見下ろす。…440は、怯えたような眼差しで部屋の周囲を見回し、
 やがて、ぽつりと…、熱に浮かされて呟く、譫言のように、

「…パートナー、マシナリー…?」

 そう、言った。

 そして、
「…おっさん」
 ぐい、と440は男の手を強く引く。

「どうした?」
「…壁…、なんか、書いてある…」
 手だけでなく、男の下半身にしっかりとしがみつきながら、440は震える指で壁の一面を指さした。
「…ん…?」
 男は上着のポケットからペンライトを取り出すと、440が指さした壁へと小さな光の円を向ける。
 そこには、血…、ではなく、ドロドロに溶けたチョコレートで、壁一面に、


            Saint Valentine's Day


 その文字が、まるで呪いの言葉の如く、殴り書かれていた…。

「何が…、起こったんだ、この部屋で…」

 男は、震える440を抱き寄せながら、ただただ呆然と、そう呟いていた。


 ■XX07/2/11 23:09

「中央管制塔第三CPU、スキャン完了」
「第四、第五、同じく終わりました」
「結果は!?」
「異常なし。念のため一週間前からのバックアップデータ全てと符合させましたが、ウィルス等不穏プログラムの侵入は確認されません」
「第六、第七、第八、同様です」
 暴風雨が荒れ狂っていたようだった情報管理局は、水を打ったかのように静まり返っていた。
 ほぼ全ての職員が、中央管制塔管理プログラムを表示するメインモニタの前に集結している。
 燃え尽きたタバコ、空になったコーヒーの紙コップ、手の汗を吸ってよれよれになったプリントアウト資料の束など、そんな、手に持っている意味のない物を手近な机の上に置くだけの猶予さえ惜しんで、だ。
「第一! 第二! 終わりました!」
「終わった報告なんかどうだっていいんだよ! 結果言え結果ァッ!」
 たまりかねたように暴発する、現場主任の怒号。
「こ、コードグリーンです! 他八機のCPUと同様のチェックを行いましたが、異常は確認されません…!」
「やれやれか…、くそったれが!」
 がん! と、押しつぶすような勢いで、現場主任は近くの椅子に腰を投げおろす。
 胸ポケットに手を伸ばすが、そこにあったのは、とうに空っぽになっていたタバコのケースだけだった。
「くそ、ガキのお遊びに丸一日も振り回されたんじゃたまんねーよ…。
 おうオメーラ持ち場に戻れ。お祭りはここで終了だ。
 退勤時刻回ってる連中は上がれ。こっからは一分足りとも残業代出さねーからな?」
 局員のそれぞれが心底の安堵の表情で持ち場へと帰っていくのを肩越しに見送りながら、主任は空っぽになっていたタバコのケースを握り潰す。
 心が緩んだせいか、途端に猛烈な睡魔を感じた。
 …時刻はもう深夜近い。
 あの警備部上がりの局員から通報があってからもう十時間近くが経っていた。
「管制塔CPU全機に、念の為もう一度スキャンプログラム走らせろ。
 …それと、その監視に当たる職員にコーヒー入れてやれ。ヤケクソみたいに苦いヤツ。
 ついでにオレにもだ。あとタバコ買ってこい」
 ぐいぐいと目元を指で押しながら、手近の局員にそう言い渡す。
 コロニーの心臓とも言えるCPUだ、単に調べろと言ってもそれだけで十時間以上は掛かる…。
 今夜も泊まり込みか。…くそったれ、もう三日も家に帰ってねーってのに。
 タバコを買いに行かせた職員が戻ってくるまで仮眠しよう。五分でも良い。
 主任は座りの悪い椅子の背もたれに背中を預け、腕を組んで瞼を閉じる。

 奇妙な出来事だった。…『アクセスするだけ』の不正アクセス。
 プログラムをいじるわけでもなければ、ウイルスを混入させるのでもない。
 挙げ句に、ハッキングツールの持ち主は死んでいるときた。…訳がわからない。
 それはまるで、死人に覗き見されたような不快感と不気味さ。
 しかも、よりにもよってこの時期にだ。…明日には管制塔のCPUにパージプログラムをアップロードし、「未使用区画パージ」に備えさせなければならない。

 日頃の激務のせいか、目を閉じればすぐに睡魔が諸手を広げてくる。
 ぐにゃぐにゃに溶けていく意識の中、主任はふと思い…、そして、考える間も無く寝入っていく。

 ――そう言えば昔…、やたら物騒な能力を持ったマシナリーの噂を、聞いたような…?


 ■XX07/2/12 02:21

「アクセスは昨夜の十一時…。場所はマイルームビジフォンから。使用ツールはオリジナル…」
 裏市場に出回っている玩具ではない。あの青年が自分の知恵と創意工夫で作り上げたハッキングツールだ。
 青年はこれを「玩具」と心得て使っていたようだが…、品としては、異常な高性能。
 使いようによっては、確かに中央管制塔へのアクセスも可能かも知れない…。
「…馬鹿が…、この技術を表立った場所で使ってりゃ、情報局の重役が直々にスカウトに来たろうによ…」
 短くなったタバコを灰皿に押し込み、男は別のタバコを口にくわえる。
 灰皿はもはや吸い殻の森だった。寝る場所もなく、何十本もの吸い殻が突き立っている。
 男のマイルーム。コロニー内の消灯時間はとうに過ぎており、
 部屋の明かりはビジフォンのモニタの明かりと、デスクスタンドが一つだけ。
 昼間に見た惨劇の暗闇にも似た薄暗さの中、男のタバコがちりちりと燃える。
「このハッキングツールに目を付けられた、って線が、濃厚か…?」
 コロニーの第一級情報防壁をブチ抜くハッキングツールだ。
 テロリストにしてみれば垂涎の品だろう。殺してでも奪い取りたいかも知れない、が…、
「…殺しちまったら、使い物にならんだろ…」
 アレは彼が独自に組み上げた物だ。彼以外に使える者はなく、自分以外に使う者のいないプログラムに、わざわざ取り扱い説明書を作る者はいない。
 滅茶苦茶に破壊されていたビジフォンから、何とか使えそうな記憶メモリを引きずり出し、彼が使っていたハッキングツールを復元しようと試みたが、使い物にならないバラバラのプログラムがいくつか復旧出来ただけだった。
 その断片でさえ、情報局職員を名乗る自分でも理解不能なプログラムだ。
 完全に復旧させたとして、果たして使える者などいるだろうか…。
 あるいは逆か? 殺せばあの物騒なプログラムはもう誰にも使えなくなる、か?
 だったら何故あんな殺し方をする? 死因は毒殺と判明した。
 殺すことが目的であれば、その方法はあまりにも回りくどい。
 そして、『Saint Valentine's Day』の殴り書きは…?

「…わからん…」

 内心で白旗を上げる自分に観念し、男は大きく息を吐き出した。
 この事件は、わからないことが多すぎる。
「…おっさん」
 ふと、小さな声を聞いて、男は部屋の入口に目を向ける。
「まだ起きてたのか? お子様が起きていて良い時間じゃねーぞ?」
 もう深夜の二時過ぎだ。…いい大人でもそろそろベッドに入りたい。
「昼間の部屋を思い出したら、…眠れない」
 部屋の入口でもじもじとしているのは、GH-440。パジャマにナイトキャップの格好で、身の丈ほどもある大きなクマのぬいぐるみを抱えたままだった。
 普段は生意気な眼差しも、今は随分と疲労と不安の色が強い。
 あの部屋で一体何を感じたのか、440は昼から怯えたままだった。
「向こうで寝るのが怖ければ俺のベッド使っていいぞ。…俺もそのうち寝るからな?
 占領すんじゃねーぞ?」
「…あんがと、おっさん」
 ぺこりと頭を下げ、よじよじとベッドによじ登る440を見て、何とは無しに和む。が、
「ふとん、タバコとおっさんの匂いでくさい」
「おん出すぞ、てめ」
 割と台無しなことを言われた。
 ベッドの上で横になり、クマのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめ、頼るような眼差しを向けてくる440に品悪く笑ってやって、男は再びビジフォンへと向かい直り…

 440…。そう…、GH-440だ…!

 はたと、背筋に冷たい閃きが走った。
 そうだ。PMはどうした? あの青年は自分と同じくGH-440を所有していた。
 あの440はどこにいった…!?
 不意に、ぞわぞわと、頭の奥で眠っていた情報が沸き上がってくる。
 言い知れない不安が止めどなく広がっていくのを感じながら、男はビジフォンに新しいウィンドウを広げ、過去のニュースを検索し始める。
 主人と共に生活し、常に主人の側にあり、その経験を蓄積していくPMであれば…
 あるいは、使えるのではないか…? あのハッキングツールを!

 新しいウィンドウに表示するのは、ここ一年ほどのガーディアンズの事故記録。
 何かとトラブル事の多いガーディアンズだ。奇妙な事故というのも数多い。
 その中でも…、今検索して一覧表示したのは、妙に記憶に残っていた事件だ。
 記憶に残った理由はわかっている。
 GH-440が絡んだ事件。自分もまた440型を保有していることから、気に止まっていた。

 ガーディアンズ隊員変死、保有していたGH-440は消息不明…。

 そんな事件が、この一年ほどで何件か起きている。…そう、今回のケースと全く同じように!
 事故記録は、今回の事件を含めるとすれば、合わせて五件。
 表示された事故を日付順に並べたところで…、男の眼差しが鋭く歪んだ。
「およそ…、二ヶ月から三ヶ月ごと…、なのか…?」
 事故から二ヶ月、長くて三ヶ月、そうして、また同じような事故。
「おいおい…、何だこりゃ、何でこんな点がどんどん繋がっていきやがるんだ…!?」
 符合するのだ。まるで何かの悪い冗談のように。
 二ヶ月から三ヶ月。その「周期」のようなタイミングに、『今回』の事件が!

「…まさか…」

 ゾク…ッ、と、脳裏をよぎった推測に、首筋の後ろが粟立った。

 これがもし…、全て、『同一のGH-440』だとしたら…!?

『…よくわからないけど、なんだか、わかる…。
 ここには、…うん…、何て言うか…、バケモノがいた…。
 私たちが絶対に関わっちゃいけないような…、そんな、バケモノ…』

 本来その場にあるべき440を排除し、その情報を奪って成り代わり、
 何食わぬ顔で主に接し、やがて、主を殺害して自分も失踪する…!
 まるで、次の「標的」を探すように!

 胸が激しく疼いて、男は背後を振り返った。
 440。俺の440。…俺のことをおっさんと呼んで、態度悪くて、大飯喰らいで…!
 いつの間にか額から流れ落ちてきた汗に目玉を濡らし、男は食らいつくような
 眼差しでベッドの上を見る。
 そこには…、ようやく眠れたのか、ぬいぐるみにしがみついたまま安らかな寝息を立てる440がいた。
「そうだ…。そんなわけねぇ…。わかってる…、わかってる…、落ち着け…」
 ぎちっ、と、音が立つ程に拳を握り締め、呻く。動悸はまだ…、収まらない。
 馬鹿なことを考えてどうする。440は俺の440だ。間違いなんかねぇ。疑うなんて馬鹿過ぎる。
 そんなことがあってたまるか…。馬鹿げてる…!

 だが、もし、…本当にそんなことが可能なGH-440がいるとしたら…?
 それはもう、GH-440などではない。それどころか、PMですらない!
 そんな存在が許されるはずもない…!

 そう、それは言うなれば、あの時440が口にしたような、得体の知れない、

「バケモノ…、だ…」


 ■XX07/2/12 18:46

 ――昨夜、ガーディアンズコロニー居住区画で男性の遺体が発見されました。

「はぅ…」
 マイルームのコタツに入り、私と二人でビジフォンのニュースを見ていたご主人様は、新しく報じられたそのニュースにぺたんと耳を垂れ下げられます。
 仕方ないでしょう。他人の不幸を我が身の痛みとするご主人様ですから…。
 この馬鹿ニュース。もっとご主人様を楽しませるようなニュースを流せコラ…。
 被害者は、ここからは随分と遠い区画に住むガーディアンズ隊員らしかった。
「もうすぐバレンタインで…、みんな楽しそうなのに…」
「…そうですね」
 派手好きな環境課の連中はここぞとばかりにロビーを彩り、コロニーはクリスマスの時と同じようなお祭り騒ぎになっている。
 イベントに乗じて想いを遂げようというお祭りだ、盛り上がりもする。
 それが何もこんな時に、人死になんか出なくってもいいだろうに。
「どうしているでしょうか」
「はい?」
 ご主人様は、ぺたんとコタツのテーブルの上に突っ伏すと、横向けた顔でビジフォンのモニターを見詰め、
「被害者さん、ガーディアンズさんです。PMさんがいるはずなのです。
 …PMさんはご無事だったのでしょうか。…それとも…」
 私の位置から、ご主人様の顔は見えない。
 でも、呟かれたその寂しそうな声に、胸がじんと、…熱くなった。
 この気持ちを言葉にしても、ご主人様は困惑なさるだけだろう。
 だから、心の中で告げる。心から、心から。

 …ありがとうございます、と。

「きっと、バレンタインのこととかお話していたと思うのです。
 PMさん、きっとご主人様にチョコをあげようと思っていたはずなのです。
 なのに…、なのに…、こんなのは、悲しいのです…」

 ぐすっ、と、ご主人様が小さく鼻をすするのが聞こえた。
 泣いているのですか…? 泣いて…、くれるのですか…? ――ご主人様。

 ご主人様の周りにいるガーディアンズたちは、皆一様にPMを大事にする人たちばかりだから、時に忘れそうになるけれど…、本来は、そうなんだ。
 本来、「私たちのこと」なんか、誰も気にしない。当たり前のように目もくれない。
 だってほら、ニュースは、「被害者のPM」のことなんか一言も口にしないじゃないか。
 私たちは「物」だ。死んだ人間の持ち物なんて、誰も気にとめる必要なんてない。
 「ここ」はとても幸せだから、だから本当に、忘れそうになるけれど、

 『本来、私たちは、誰かの特別になんかならない』

 誰もが当たり前に持っている、少し役に立つ道具。
 でも。星の数ほどの人が気にも留めない中、私のご主人様は見てくれる。
 気付いてくれる。察してくれる。想って、悲しんでくれる…。
 私たち、PMのことを。

「そろそろ、お夕食の準備を致しましょう」
 私は静かにそう言って、コタツから立ち上がる。
 美味しいおさかな料理をお作り致します。お食事の時は楽しいお話をたくさんして差し上げます。
 貴方が私たちを思って泣いてくれるのなら、私は貴方を思って笑顔を作って差し上げます。
 ずっとずっと。…私と貴方に許された時間の限り。

 ぴろんっ!

 そんな私たちの耳に、来客を告げるアラームが。
「は、はう、お客様ですか。…はう、430、いいのですよ。私がでます。はうはう」
 キッチンに向かおうとしていた私を手で制し、ご主人様は目の回りを手のひらで拭うと、ぱたぱたとマイルームの入口へと走っていく。
 …何とも非常識な来客だ、夕飯時に来るなんて。飯喰いに来たんじゃねーだろうな。
 クソヒューマンだのだったら容赦なく追い出してやんぞ…。
 が、
「…はぅ…!」
 怯えたようなご主人様の声の後に聞こえたのは…、
「夜分失礼。ガーディアンズ公安部の者です」
 公安部!? 聞こえた声に、背筋が引きつるような緊張が走る…!
 その活動は内調と告発。だがそれは「公の正義」とは大きく懸け離れ、「ガーディアンズ本部の都合」に委ねられる場合が大きい。
 それ故に、公安部と言えばガーディアンズきっての嫌われ者だ。
 そう、…かつて私がいた、諜報部に並ぶほどに。
 息せき切って入口へと飛び出してきた私が目にしたのは、ガタイの良い三人ほどの公安部職員に目の前を塞がれ、おろおろと視線を彷徨わせているご主人様。
「先日より、武器及び防具の不正合成が行われております。我々はその調査で参りました。
 ガーディアンズ警備部登録コードB5-20154。
 貴方のこの数日の合成履歴を確認致します。PMをこちらへ」
 公安部所属の登録証を提示して言うその言葉は…、およそ、人らしい言葉ではなかった。
 キャストだってもう少しまともな言葉を喋る。
 感情の一欠片もない、…聞いているだけで虫酸が走る、無機質な言葉!
「ふ、不正合成なんて…! はぅ…! 私はそんなこと一度だって…!」
「皆さんそう仰います。ですが調べれば判ることです。ご理解下さい。
 …不当に調査を拒否するのであれば、我々には貴方を逮捕する権限があることをご理解頂き――」
「それ以上の問答は結構です。どうぞ履歴をご覧下さい」
「430…!」
 まるでご主人様を押しつぶすような威圧を投げ掛けてくる公安部職員の前に、
 私はご主人様をかばうようにして立ちふさがる。
「大丈夫です、ご主人様。ご主人様も私もなぁんにも悪いことなんかしてないんです。
 ぱっぱと終わらせてご飯に致しましょう」
 にっこりと笑ってそう言うと、私は男どもに背を向けた。
 後ろ髪を手で掻き上げ、うなじにある接続端子を連中に晒す。
 …履歴の確認なんかされんのは、諜報部にいたとき以来かな…。
 気持ち悪くて嫌なんだよなぁ、これ…。
「認識コード確認、識別番号…、GSS253-A5…。…GSS253-A5だと?」
 ざわり、と、出来損ないのキャストみたいに感情を見せなかった公安部の人間どもが声を漏らすのが聞こえた。…あー、そうか…
「履歴の確認はお済みですか? 不正があったかどうかの照会は五秒ほどで終わるはずですが?」
「あ…! ああ、いや、すみません…。完了致しました。問題、ありません…」
 声が上擦ってやがる。おまけに…、お前、私に対して敬語になってんぞ。
 公安部と諜報部はつながりが深い。知っているんだろう。その番号を。
 かつて、大量殺戮兵器として裏社会に名を広めた、一機のバケモノの認識コードを。
「お勤めご苦労様です。これより夕飯の支度がありますので、他に用が無ければどうぞ、…お引き取りを」
 持ち上げていた後ろ髪をふわりと広げ…、私は言う。
 ご主人様には背を向けて顔を隠し、最後の一言に、とびきりの憎悪と殺意を込めて。

 その時、だった。

「間違いです! 何かの間違いです! ご主人様は悪くなんて無いんです!」

 心を磨り潰したような…、悲壮な叫び声が、通路から私たちの部屋へと飛び込んできた。
「は、はう…!?」
 必死で走ってきたところを何か躓いたのか…、声の持ち主は入口あたりで転倒し、ご主人様の目の前で俯せに倒れ込む。
「…はう…、410さん…?」
 PM、GH-410、…だ。クソヒューマンのとこのヤツじゃない。認識コードを見たけれど、私もご主人様も見ず知らずの410。
「…またコイツか…」
 公安部の一人がうんざりと顔を歪めるのが見えた。
「お前の所の調査はもう終わった。不正合成を行っていた履歴が出た。言い訳も言い逃れも出来ん。
 お前の所有者は既に逮捕済みだ。私たちをどうこうしても変わらん」
「…え…」
 倒れ込んでいた410を抱き起こそうとしていたご主人様の手が、ぴくりと震えて、止まる。
 私も…、ただ、俯くだけだ。
 噂に聞いちゃいたが…、本当に手を染めた馬鹿がいたか…。
 私は静かにご主人様の脇に身を寄せると、行き場を失っていたご主人様の腕をそっと抱き締める。
「…お気持ちはお察しします。でも…、人は、心の弱い生き物ですから…」
「…はぅ…、…はぃ」

『人はみんないい人ばかり』

 心からそう思っているだろうご主人様にとって、今目の前にあるこの光景は、どれだけ心に痛いことだろう。私には、推し量れない。
「違うんです…、違うんです…! あれは…、あの合成は…!」
 410は、倒れ伏していた体を、両腕を支えにして起きあがらせ、
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、公安部の男たちを見上げて、
 …おい…、まさか…、
「あれはご主人様がやったんじゃないんです!」
 …馬鹿!
 ぞっとして、私は弾けるように手を伸ばす! 目の前の410の体を突き飛ばすのでも抱き締めるのでも何でも良い! とにかく、その言葉を遮ろうと!
 410は…、何かを噛み締めるように、強く強く顔を強ばらせると、
「止せ! 言うな!」

「私が勝手にやったんです!」

 …馬鹿…、が…。
 伸ばしそこねた手をだらりと下げる私の隣で、ご主人様が息を飲むのが判った…。
 その発言が何を意味するのか…、ご主人様にも理解出来たんだろう。
「18:34、発言確認。…第一級行動則違反の容疑で該当PMを捕縛する」
 それはまるで、判決を告げる裁判官の言葉。
 腕時計で時間を確認した男が、無機質な声でそう告げる。
 …おしまいだ。
 主の許可を得ずの威力装備合成。しかもそれが不正合成。
 それが本当であっても、嘘であっても、…結果は、変わらない。
 本当であれば第一級行動則違反。嘘であれば…、公式調査員への虚偽発言。
 二度と…、PMとしての職務に戻ることは、ないだろう…。
「これで良いでしょう! 悪いのは私! みんな私!
 可哀想なのは、こんな出来損ないを配備されたご主人様なの!
 ご主人様は悪くないの! だから返して! ご主人様を返して!」
 捕縛の為に腕を取られた瞬間に、410はそれこそ…、狂ったように暴れ出した。
 ご主人様を返して、返して、と、何度も、何度も、口にしながら。
「…お前の発言が真実だと確認出来たなら、お前の所有者は放免される」
「嘘なんかじゃないわ! 私はPMだもの! 嘘が言えるほど上等なAIなんか詰んでいないもの!
 私は道具よ!? 道具が嘘を言うの!? ポンコツはどうしようもない動きをするけれど!
 それでも、どんなポンコツだって嘘を言ったりしないじゃない!」

 ああ、ああ…、駄目だ、嫌だ…、聞きたくない…。
 忘れていた世界。おとぎ話の後ろ側。

 この世界に絶えず響き渡る、――本当の音。

 不意に、ぎゅうっと、ご主人様に背中から抱きすくめられた。
 私の肩に顔を埋めるようにして、震えて…、いらっしゃる…。
 私はそっと、私の体を抱き締めるご主人様の腕を抱いて、固く固く目を閉ざす。

 不毛な…、そう、本当に不毛な押し問答は…、それからも、少しだけ続いて…。
 やがて、半狂乱になって暴れる410の胸元には、高圧電流のスタンガンが押し当てられ、その410は、ただ一声、ぎゃん、と、甲高い悲鳴を上げると…

 それきり、もう、動かなくなるのだった…。

 私たちは、まるでその場所に取り残されたかのようだった。
 用が済んだ公安部の連中も、過剰電流で強制停止させられた410もいなくなり、ほんの数十分前の部屋に戻っただけのことなのに、まるで、私たちは地名すら聞いたこともない荒野に、ぽつんと取り残されたかのようだった。
 ビジフォン…、付けっぱなしで良かった。
 ニュースは終わって、夕飯時のバラエティー番組が始まっている。
 スピーカー越しに聞こえる偽物の笑い声でも…、今は、ただ、ありがたい。
「お夕飯…、作りますね…。あ、あは、お腹ぺこぺこですよね…っ」
 その作り物の笑い声にきっかけを貰って、私は一歩踏み出そうとする。
 未だに私の体を抱き締めて離れないご主人様の腕を、そっと、解いて…、
「…430」
 その手が、再び、ぎゅうっと、私を抱き締める。
 身動ぎしたせいで涙が流れたのだろうか。私の首筋に…、暖かい水滴が触れる感触があった。
「あの410さんは正しかったのですか…? 間違っていたのですか…?
 はぅ…、私にはわかりませんでした…!
 何も出来ませんでした…! 何も言えませんでした…!
 410さんは…、あんなに、ご主人様の為に必死だったのに…!
 自分は「物」だって、あんなに悲しいことまで叫んでました…!
 どうしてあんなことが言えるんですか!? あの子は物なんかではないのに!」
 それは、悲しい、悲しい、悲痛な声。
 ご主人様が繰り返す、答えの無い問い掛けが、ずっとずっと、頭の中を回っていた。
 私にだってわからない。私にだって何も出来なかった。言えなかった。

「ガーディアンズって、何なのですか…?
 パートナーマシナリーって…、何なのですか…?」

 ああ…、この言葉…。あのとき『アイツ』の口から聞いたっけ…。
 ずっと考えないようにしてきたのに…、言葉は巡り、やっぱり私の元に返ってきた。

『道具は道具であれば良かった。道具に心なんか必要なかった。
 そうすれば私たちは何一つ苦しまずに済んだではありませんか。
 未知数を追い求めて道具に心を与えたのであれば。
 そしてその結果に生まれたのが『私たち』だとするのなら。
 人はその報いを受けるべきではないですか!? 430!』

 お前に銃口を向けたあの時から、きっと、

 私はきっと、お前に呪われているんだろうな。

 ――なぁ、GH-…440。


 ■XX07/2/12 20:30

「…違うか」
 瓦礫の山の中から引きずりだした「それ」を、男はそっと、手近な空きスペースに置いた。
 携帯端末を使ってチェックしたが、該当ナンバーではない。
 …「人違い」。何となく浮かんだその言葉の皮肉さに、嫌な心の痛みを感じる。
 汚れきった剥き出しの床材の上に置くのは…、間違いだろうか。
 持って帰って処分してやれるわけではないのだ、墓穴に埋もれていた死人を野晒しにするのにも似ている。…幾多のゴミの山が成す墓の下と、澱みきったゴミ捨て場の空気に晒されるのと、それはどちらがどれだけマシなのだろう。
 …どちらも所詮、ゴミ捨て場の中のことなのに。
 陰惨な思いを胸中に溜め込みつつも、男の手は休むことなくゴミの山を掻き分け続ける。
 携帯端末には、この山の中に、もう一機の反応があった。…掻き分け出して、認識コードを確かめなければならない。自分がキャストでないことが恨めしい。
 認識コードが「視認」出来れば、何もここまで苦労も心労もせずに済むだろうに。
 掘り起こし、抱き起こし、携帯端末からのケーブルを接続しなければならない。

 このゴミの山の中で眠る…、不法投棄された「GH-440」たちを、一人ずつ。

 ガーディアンズコロニー最下層。
 このグラール星系にあって最も巨大で有名なコロニーが、過去、単なる巨大な「寄せ集め」でしかなかった時代から存在するブロックだ。
 捨てることさえ忘れられた忘却の空間。
 今ではこの場所に立ち入る方法すら知らない人間の方が多いだろう。
 だからこそ、こんな場所は、「人知れずに何かをしたい」者には格好の場所だった。
(まぁ…、逢い引きには向かんだろうがね)
 男の手は絶えず動く。肘まである防護グローブは汚水まみれだった。酸化したオイル、腐敗した有機物、そんなモノが、ぐちゃぐちゃとこびり付いてくる。
 この作業を初めてすぐの頃は散々な嫌悪感を抱いたものだが、三時間が過ぎた頃には慣れてしまった。…そんな不快感はどうでも良くなった。
 掻き分けたゴミの下からは、実に様々な…、悲惨な物が出てくるからだ。

 …人や、キャスト、そして、PMの成れの果て。

 ここに投棄されるものは全て、人でも物でも、表側の世界では公に出来ない存在だ。
 噂では、ガーディアンズの諜報部や公安部の連中「御用達」のゴミ捨て場でもあるらしい。
 恐らく、この「ゴミ捨て場」にある何を持ち帰ったとしても…
 表側の世界に照らし合わせて調べれば、どうにもならない事件の、どうにもならない結果が浮き彫りになってくるのだろう。心が、嫌な疼き方をした。
(間違っても440を連れてこなくて良かったな)
 おっさんおっさん、と、悪態を付きながらも嬉しそうに後ろを付いて走ってくる440。
 先日の事件から、自分が独自にその捜査を始めたことに気付いたらしく、出掛けに散々「手伝うから連れて行け」とせがまれた訳だったが…
 こんな『所』に、連れてこられるものか…。
 ふう、と大きく息を吐き、男は天井を見上げる。額から流れ落ちてきた汗を肩口で拭って…、自分が相当に疲労していることに今更ながら気が付いた。
 粗大ゴミを掻き分けるような作業をかれこれ四時間。こんな肉体労働は警備部にいた時以来だろう。
 目眩がするほどに高い天井。
 立派な明かりなどついているはずもなく、ブロックを支える支柱のあちこちに非常灯が付いているだけ。
 有毒ガスの沈殿を防ぐ為だろう、光が届かず、見えもしない天井の方からは、ゴンゴンと大型ファンが回る音がする。空気の流れがあるせいで多少はマシなのだろうが、異臭も随分ひどい。…ここを出たらメディカルチェックを受けた方が良いだろう。
 気を取り直し…、男は再びゴミをどかし始める。
 ねじ曲がったダブルセイバー、フォトンジェネレーターの破損したライフル、傷と弾痕だらけのキャストパーツ…、もはや元が何であったか見当も付かない、ただドロドロとした固まり…
「…ん…」
 男の手が、ふと止まる。掻き分けたそれらの隙間から…、小さな手が見えた。
 ぼろぼろに汚れていたが、手首を覆う袖の形状ですぐ知れた。それは見慣れた衣服。
 物を食べた後、口元を袖拭くのはやめろと、アイツには何度も何度も言っている。
 洗濯のたびに漂白で四苦八苦するから、…よく知っている。この服は、…GH-440、だ。

「あんなところでとはいえ…、ゆっくり寝てたとこ、すまねぇな…」
 彼女に帽子はなかった。この山の中のどこかか…、あるいは全く別の場所なのか。
 探してやろうかとも思ったが…、どうにもならなさそうで、諦めた。
 ゴミの山の中から掘り出した440を、男は体が汚水まみれになるのにも構わず、抱き上げる。
 腹部に、フォトン弾とおぼしき物による弾痕があった。
 かなりひどい。PMは元来かなり強固なシールドラインを装備しているが、それが役に立ったとは到底思えなかった。五発ほどの弾丸が腹部に命中し、背中にまで貫通している。…致命傷、だろう、これは。
「ショットガン…、か。恐らく零距離。…むごいことを…」
 思いに男の顔が歪む。…銃口を突き付けての発砲だったとしたら…
 彼女は、最後に見たであろうその光景に、何を思って…、停止しただろうか。
「…待て。…ショットガン…?」
 ショットガンというのが気に掛かる。それはGH-440の基本装備、だ。
「まさか」
 男は手早く携帯端末からのコードを手繰り寄せると、物言わぬ彼女の首筋の端子に接続し、手慣れた動作で端末を操作し始める。
 GH-440保持者の不審死。そして、消息不明になっているGH-440は都合五体。
 もし彼女がその五体のうちの一体だとすれば…
「…ビンゴだ」
 携帯端末のモニターは、彼女が彼が探していた五体のGH-440の一体であることを告げていた。
 所有者は…、先日不審死を遂げた、あのハッカー気取りのガーディアンズ。

 きつい労働に流れた汗が…、一気に冷えた気がした。

 ここからが…、本題、だ。男の指が端末のキーボードの上を踊る。
 やけにタイプミスが目立ち…、男はやっと、自分の指が震えていることに気が付いた。
 喉の奥がやけに乾いて張り付く。鼓動は鼓膜を叩くほどに高鳴っていた。
 携帯端末は、彼が改めて入力した命令を実行しようとCPUを稼働させている。
 数秒の時を挟み、彼女の遺体から端末が採取した情報は…

 彼女が…、二ヶ月も前に完全停止しているという、事実だった。

 ぽたりと、汚水にまみれた汗が端末のキーボードに落ちる。
 …いた。いたんだ、彼女は。このGH-440は…。
 つい先月、あのガキは毎度懲りもせずにガーディアンズの情報保管庫に不正アクセスをして…、俺に取っ捕まえられて、情報局の個室で説教くれられて…、そうしていたら…、

 ――あああああ、申し訳ありません申し訳ありません、私のご主人様がー!
 ――何度言っても聞いてくれないんです! ごめんなさいごめんなさいー!
 ――うわーん! ごしゅじんさまのばぁかぁあああああああああ!

 「いつも通り」、滝のような涙を流して謝るGH-440が飛び込んできて…

 待て。待てよ。ちょっと待てよ。
 その彼女は、あの出来事の一ヶ月前に死んでるんだぞ…?
 腹に風穴を開けられて、このゴミの山に投げ捨てられていたんだぞ…?

 ――もっときつく言ってやってください! ご主人様、おじさまの話は聞いてくれるみたいですから…。
 ――ひょっとしてと思うのですが、ご主人様はおじさまに会いたくてこんなことをしているのかも知れませんね。
 ――お父様を早くに亡くされているのです。…ふふ、おじさまのことをお父様のように思っているのかも。

 あのガキを通して、あの440とも何度も話をした。
 あの時だってそんな話をした。
 少し照れくさくなって頭を掻いたのを憶えている。
 そんな俺を見て嬉しそうに笑った440を憶えている。

 誰、だよ。…あの時俺の前にいた440は、誰だったんだよ…!

 あ れ は い っ た い 、 な ん だ っ た ん だ ! ?

 膝が、震えていた。
 誰も信じてくれないだろう、愚にも付かない仮説。
 出来損ないの怪談のような、馬鹿げたことだらけの事実。

「バケモノは…、実在する…?」

 早鐘のように鳴り響く鼓動の中、感情の乗らない声でそう呟いて…

    * * * *

「こりゃあまた随分と捨ててあるもんだねェ」

    * * * *

 唐突に聞こえた遠くからの声に、男は身を竦ませた。
(俺以外に…、こんな場所に…!?)
 随分と錆び付いてはいたが、警備部時代に培った体裁きで、男は一息にゴミの山から飛び降りると、近くの支柱の影に身を潜ませる。
 誰も来るはずのない場所だ。こんな場所に来る人間なまともなはずがない。
 声は続いていた。どうやら二人組らしい。…男は身を低くしたまま、耳を尖らせる。

「えーと、スイート・デスに、キャリガインルゥカー…」
「こちらにはコイブミテリが転がっています。…十本ほど」

 どちらも女の声だ。…しかも片方はかなり若い…、というよりも、幼い。

「コードはどうだぃ? ご主人サン」
「…全て不正合成品ですね。ここまでくると確認する必要もないくらいですが」
「あれかねェ? 公安部が一斉調査を始めたモンだから、足が付く前に捨てちまおうって、こぞってここに捨ててったってとこかねェ?」
「十中八九。…今回は随分と多くのガーディアンズが不正に手を出したようですし」
「馬鹿な合成に付き合わされるPMの身にもなって欲しいもんさね…。
 一斉調査を始めて一日と経ってないけど…、随分と酷い話を聞いたもんさ」
「主の違法を己の独断だと言い張るPMも多いようです。
 それこそ…、己の安否も省みず」
「笑い話にもなりゃしない。悲惨過ぎて反吐が出る…」

 男は身を潜めたまま、足音を殺し、声音の元へと近付いていく。
 ガーディアンズで不正合成が横行したことは知っている。
 それの調査員だろうか…?

「にしても、どーにもこりゃタイミングが良すぎじゃないかねェ?」
「と申しますと?」
「ガーディアンズどもはバレンタインシーズンでお祭り騒ぎさ。
 そのお祭り騒ぎに加わろうと、一時停止していたライセンスを復活させたヤツもいる。
 そこへもってこの大規模な不正合成と来た」
「日頃から、威力装備合成については各種メーカーとガーディアンズ本部との癒着が噂されておりますからね。
 積もり積もった不満を爆発させるには…、うってつけの『燃料』でしょう」
「中央管制塔への不正アクセス…、馬鹿ガキのお遊びだったって話もあるが、アタシにゃどうも鵜呑みに出来ないねェ。…何もかもタイミングが良すぎる」
「その目的は?」

「さてねェ。どこがどう繋がってるのやら。
 でも…、そーいう『イカれたお遊び』が好きな物騒な馬鹿には、心当たりがあるのさ」
「ところで…」

 二つの声に随分と近付いたところで…、ふと、幼い声の持ち主の声音が、変わった。

「ここにゴキブリが沸くのは知ってるが、アンタは何だい? …ドブネズミかね?」

 …気付かれて…、いたか…。
 隠れていてどうなるものではなさそうだった。声の方向は確実に自分を向いている。
 本当に衰えたものだ。この程度の隠密行動も出来なくなっているとは。…歳は取りたくない。
「わりーな、人間だよ。ガーディアンズ情報局のモンだ。とある事件を調査してる」
 職員章をペンライトで照らしながら、男は柱の影から歩み出る。
 …護身用のハンドガンは装備しているが、今はまだ…、抜かない方が良いだろう。
「おやまぁ、何とも仕事熱心なガーディアンズもいたもんだ」
 改めてその声の持ち主を見て…、驚く。
 PMだ。GH-450。
 言葉のやりとりからして、二人は上下の立場にある者であり、幼い声は大人びた声よりも上位にある者だと思っていたが…、これはどういうことだ。
「アンタ…、PMだよな?」
「ま、その辺の解釈は適当にやっとくれ。アタシぁ自分の説明ってのが嫌いなのさ」
 はん、と蓮っ葉に言い切る450。隣にいるのは、ニューマンの女らしい。
 まるで450を主とするかのように、一歩下がった隣で静かに両手を組み合わせて控えている。
 …思い当たる節が…、一件あった。
 ガーディアンズコロニーの裏町を牛耳る女帝の話。
 諜報部も公安部も手を焼く、「ガーディアンズコロニーのガン細胞」と蔑まれる荒くれ者どもを一手にまとめているのは、人間でもなければキャストでもなく、ただのPMだという、噂話だ。
 馬鹿げた、それこそあり得ない話だと思っていたが…
 こうして対峙すれば、あながちホラ話ではないのかも知れないと思う。
 後ずさりしたくなるほどの、異様なプレッシャー。それを、この450は放っている。
「職務熱心などぶねずみサン。見逃してあげるから出ておいきよ。
 ここは日の当たらない場所さね。長くいれば色々腐る。そうならないウチにね」
 引きたいのは山々だ。どうにもコレは相手が悪すぎる。頭の中は警鐘で一杯だ。
 だが…、今の会話の中、彼女たちは聞き逃せない話をしていた。

 中央管制塔への不正アクセス…、馬鹿ガキのお遊びだったって話もあるが、アタシにゃどうも鵜呑みに出来ないねェ。

 どうしてそれを知っている…。箝口令の敷かれた事件だぞ…。
 情報局の現場の人間でなければ、本部でも相当に上位の者しか知らないはずだ。
 あるいは、諜報部か、公安部か…。
 だがどう見ても、彼女らがそれに当てはまる存在には思えない。

 いちか、ばちか…。
 胸中で十字を切りつつ、男は切り出す。

「…GH-440の件について調べてる」


 ■XX07/2/13 10:21

「どっこらしょっとぉおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!」
 ずどぉんっ! と、比喩抜きにマイルームが震撼するような勢いで、
 私はそれをコタツの上に着陸させる! いや振り下ろした訳じゃないんですよ?
 ただ、すんげー重かったんです。なんせ250Kgほどありますんで…。
 あ、コタツの脚がギシギシ言ってる…、大丈夫か、コレ…?
「は…、はぅ…、はぅうううううううううう!?」
 付けっぱなしのビジフォンを見る訳でもなく、コタツで一人、窓を見ていたご主人様は、
 私がコタツに置いた「ソレ」を見るなり…、仰天する!
「こっ、これはっ!」
「そーです! ご覧下さいご主人様!」
 ばっ! と、私は諸手を広げてアピールする!
 コタツの上の「ソレ」を見て、口をぱくぱくさせていたご主人様は、やがて、
 振り仰ぐように私に目を向けて、
「ほんまぐろさんなのです!」
「いぇえす!」
 びしぃっ! と私はご主人様に親指を突き付けると、その手を優美に振り上げ、胸に当て…、
「荒波渦巻くニューディズ海産の極上ホンマグロでございます。
 家族の為、己の誇りの為、不器用な愛情を胸に秘め、古来よりの漁法『イッポンヅリ』に
 こだわる孤高のマグロハンター…。生ける伝説! テツ・ワタリヤ氏が釣り上げた、
 名実ともにグラール星系最高の一品…! スーパーで売っている切り身の合成マグロなどでは
 ごさいませぬっ!」
「はうはう! なんだかさっぱりわかりませんがものすごい気がしますです!」
 ぎゅうっ! と握ったおててを胸元に当て、ご主人様もノってくる。
「いつしかご主人様のお口に運ぶ為…、と、不肖私GH-430、かねてよりこの幻の一品を
 探しておりました! 通販詐欺に宅配詐欺! あまたの馬鹿どもにビームガンを突き付ける
 こと三ヶ月! それが! 今日! ようやく手に入った次第でございます!」

 …

「は、はう…? 今なんだかすごい怖いこと言いませんでしたか…?」
「申し訳ありません、ヒートアップしすぎてワケわからないこと申しました」
 優雅に一礼してサラリと誤魔化す。…あぶね、自分でテンション上げすぎて余計なこと
 言っちまったよ…。「狂犬」はご主人様の前では御法度なのに。
「はぅ…、はぅ、はうはう…、ほんまぐろさんなのです…。ほんまぐろさん…。
 夢にまで見たほんまぐろさん…」
 おめめうるうる、おみみぱたぱた、まさしくスイート・デス(甘美なる死 ※私が)
 モードに突入なされたご主人様は、感極まったようにホンマグロにすがりいて頬擦りする。
 ぬいぐるみにうずもれて遊ぶ子犬のようなそのお姿に、つぅっ、と鼻からオイルが垂れてくる…。
 嗚呼、…ホンマグロになりてぇ…。
 抱かれて撫でられて頬擦りされて、小さなお口をかぱぁっ、と開けられて…、
 ああん…、役にも立ちそうにない八重歯可愛い…、キスして舌突っ込んで嘗め回してぇ…。
「ってご主人様ぁああああああああああああああああ!?」
「は、はうぅ!」
 今まさに、活け締めされたホンマグロにダイレクトにかぶりつこうとしていたご主人様を慌てて制する!
「生でバリボリ行くおつもりですか!?」
「は、はぅ…! つい、実家の癖が! はしたないのです…! めっ、私っ!」
 …ご主人様のご実家って…、結構ワイルドなんですね…。
 モトゥブの極寒地域って言ってたっけ。ああ、確かに向こうは生食文化があったっけな…。
「お昼まで我慢してください。もー今日はお昼からお夕飯までマグロフルコースですよっ
 お刺身! タタキ! ステーキ! 煮物! 焼き物! 荒汁にオスシ!」
「はぅはぅ…、想像するだけで頭の中が幸せでとろけそうなのです…」
 くわんくわんと軽く頭を振りながら、ご主人様が夢うつつの声を漏らす。

 …うん。
 そうだ。こうでなくちゃ。ご主人様にはこうあっていて貰わなければ。
 ご主人様が私たちを想って泣いてくれるのだから、
 私はご主人様を想って笑顔を作って差し上げねば。

「とはいえ、これを解体して料理するとなると、道具が足りませんねぇ…。
 ああ、近頃、ガーディアンズが開店したっていう評判のレストランがありましたっけ。
 行って道具をお借りして来ましょう」
「はう? そういうのって、貸してくれるものなのでしょうか?」
「PMを大事にされる方のお店のようですし、頼めば何とかなるでしょう」
 いざとなりゃぁ…、手加減してバースト一発威嚇射撃すりゃ貸し出してくれんだろ…。
「ちょちょいと行って参ります。借りてくるだけですからすぐ戻りますね」
「あ、私も行きますですよ」
 慌ててコタツから出ようとするご主人様に、私はにっこりと微笑んで、
「ほんのお使いです。
 それよりもご主人様にはホンマグロの警護を!
 何しろ「生きた宝石」と言われるほど価値の高い物なのですから!」
 笑顔を崩し、わざとらしく大真面目な顔を作って言う私に…、
「…はぅ。了解なのです! 身命を賭してほんまぐろさんを守るのです!
 私の守るべきものはほんまぐろさんなのです!」
 びっ、と、ガーディアンズ式の敬礼をして…、ご主人様も、笑ってくれる。
「じゃあ、ちょっと行って参りますね」
 二人で顔を見合わせてひとしきり笑って…、笑顔の余韻のまま、部屋を出て行こうとする私の背に、
「430」
 ご主人様の…、少しだけ、静かな声が届いた。

「…元気、出さないとですよね」

 私は答えず、ただそっと、目を伏せて、ご主人様に深く一礼を送る。
 だからどうか、笑ってください、ご主人様。


 ■XX07/2/13 10:48

「…なるほどねェ。いや、大したもんさ、たかだか情報部の平社員にしちゃ上出来さね」
「一応、褒め言葉として受け取っておくよ、…『女帝』さん」
 受け取った資料に一通り目を通し、息抜きついでに言ってやった言葉に、
 向かいの席に座る男はにやりと笑った。皮肉の笑顔だろうが、嫌味は少ない。
 なかなかどうして、こいつァ見た目以上に人生こなれてやがるねェ。
「ご主人サン、目ェ通しておいておくれ。どうにもこいつはヤバそうだ」
 はらりと差し出した資料を無言で受け取り、ご主人サンは慣れた手付きで書類をめくり始める。
「…この、中央管制塔への不正アクセスに使われたプログラムの復旧は?」
「調査と平行してやっちゃいるが…、そこに書いてある通り、復元率は30%以下だ」
「十分です。コピーで構いませんので転送してください。…私なら八割強は復旧出来る。
 そこから手を加えれば、オリジナルには劣るかも知れませんが似たシステムは構築出来ます」
「…出来るのか、そんなことが…?」
「出来ないことは申し上げません」
「…アタシのご主人サンをなめんじゃないよ。
 情報技術なら、情報部職員が束になったってかないっこない。アタシのお墨付きさね」
「しかしな…、アレは一応、今回の事件の最重要情報であってだな…」
「アホタレ。豚が真珠飾って眺めてんじゃないよ。
 アンタだって、表側の捜査だけじゃどうにもならんと知ってるから、
 アタシのヤサにまでやってきたんだろう? つべこべ言うならこの場でおん出すよ」
「わかった、提供するよ。ったく、何で『技量を持った人間』てのは、
 それを表側で役に立てようとしねぇのかね」
「役に立つ力、ってのはね、たいがい、表の世界じゃ役には立たんのさ」
 はん、と、アタシはうんざりと息を吐く。説教は嫌いだ。
 アタシは近くの引き出しから愛用のキセルを取り出し、唇にくわえる。
 ここはアタシの部屋。インテリアも全部アタシの趣味。配置も全部アタシが決めた。
 なのにどうしてか…、今日に限っては、嫌にこの部屋が落ち着かない。
 アタシの心がざわついているせいかねェ…。
「GH-440を保有していたガーディアンズの連続怪死。
 その「周期」はおよそ二ヶ月から三ヶ月。…そして今回の「怪死」は、
 丁度その五回目に符合する」
 『ゴミ捨て場』で出会ったこの男。何とも胡散臭い感じはしたが…、
 まぁ、アタシに関わる輩なんてみんな胡散臭い。
 だから私が判断する材料は…、目だ。裏社会暮らしも長いと、目を見ればだいたい
 「どの程度腐っているか」は判るようになってくる。
「コロニー最下層で、その五回目に当たるガーディアンズが保有していたはずの
 GH-440の遺体を発見した。…完全停止から二ヶ月が経過している。
 『何者か』が、…彼女を殺し、彼女に、…成り代わっていた」
 少なくとも、今、私の目の前にいる男は、まるで腐っていなかった。
 悲惨にして不可解なこの猟奇事件を、まるで我が事の痛みのように話す態度に、偽りはない。
 どうにも狸くさいが…、昨日出会った時、ちょいとそこが気に入った。
 何、狸くささならアタシの方が格段に上だ。その辺は気にしない。
「まぁ、礼を言っとこうかね。アンタがくれたこの資料は随分役に立つ」
 ふう…、と、アタシはタバコの煙を脇に吐き、
「さぁてェ…、こいつはどうしたもんかねェ…」
 ここ数日の悪い予感は…、どうやら当たりも当たり、大当たりだったらしい。
 昔からそうだ。アタシの悪い予感は外れた試しがない。
「今回の中央管制塔不正アクセスは…、恐らくそのGH-440の仕業に間違いない」
 テーブルの上で組み合わせていた指に力を込めて言ってくる男を一瞥して、
 アタシはタバコの煙ではなく、ため息を吐いた。
「ギブアンドテイクだ。今度は俺が色々と話を聞きたい」
「アタシからは最後に一つ。…お前サンは情報部の人間だったね?
 GRM社、ヨウメイ社、テノラ・ワークス社、クバラ市、そこへの不正アクセスの記録はないかい?
 おそらくは、今回死んだ、その、ハッカーまがいのガーディアンズの仕業でさ」
 男はアタシの問い掛けに微かに眉を寄せたが、やがて視線を上向かせ、
 いくらかの間、沈黙して…、
「…ある。どれも三週間ほど前のことだ。納入未定品の情報庫にアクセスをしていた。
 映像化したデータをバラ撒かれて随分と苦労したもんだ。
 今回の不正合成の件のことか? だが、あのアクセスで抜かれたのは画像データだけだぞ?」
「良いんだよ。『アクセス出来れば十分』なんだ、アイツにとっちゃァね」
「…どういう意味だ?」

 詰み、だ。もう、間違えようもない。

「…全部後手だ。もう、事前に打てる手は何一つ無いねェ…」
 タバコが不味い。アタシはくわえていたタバコを唇から離すと、まだ半ばも燃え残っている火種を
 火鉢に落とし、キセルを引き出しの中に投げ入れる。
「待て、勝手に納得するな。…俺はまだ何も理解してない。
 事前って何だ? これから何が起こるってんだ? おい」
「聞かない方が良い。聞いてどうなるもんでもないし、何より…」
 すい、とアタシは横目の眼差しを細め、
「こっから先の話は、『表側』にいるアンタが聞けば、命取りになる」
 何とも後味悪いだろうが、勘弁しとくれ。…関わった人間の死ってのは、アタシでも
 未だに抵抗があるんだよ。
「命を懸けるような仕事なんざ無いんだよ。特に、ガーディアンズの仕事なんかにはね」
「…命なら、とっくに半分無くしてる」
 噛み潰すような声音に…、意識を引っ張られるような気がした。
 横目にではなく、真正面から、アタシは男を見る。
「警備部にいた頃に、俺はとっくに半身を無くしているんだよ。
 知ってるか? 人間なんてな、半身がなくなりゃ死ぬしかないんだ。
 後はいつ死ぬかを待つだけだった俺は…、救われたんだ」
 不意に聞こえたぎゅうっという音は、男がテーブルの上の両手を握りしめる音だった。
「PMに救われた。半身があった頃にゃ気にも留めなかったPMに…、救われたんだ。
 くたばるだけの半身を、あいつは一生懸命に支えて、「生きていろ」って言ってくれたんだ。
 支えてやるから生きていろって、そう…言ってくれたんだよ」
「…お前サンが気に病むこっちゃない。PMなんて言うのは、みぃんなそういうモンさ。
 アンタだけが特別だなんて思うんじゃないよ。アンタだけが、想われている主じゃあない」
 PMは、皆、主を慕う。主を想い、主に尽くす。…主を見殺しになどしない。
 誰一人の例外もなく。それがどんな主であったとしても。
「アンタらは皆愛される。例え気付いていなくても、アンタらは「かけがえのない主」なんだからね。
 ノロケんじゃないよ。…当たり前のことなんだ。馬鹿馬鹿しい」
 敢えて突き放すように言ったアタシの言葉に…、男は、
「でもよ。…こんな世の中に一人くらい、いたって良いとは思わねぇか?」
 それは苦笑いのように見えて…、とても優しい笑顔だった。

「PMの為になら死んでも構わねぇって、本気でそう言い切る馬鹿が、一人くらいさ」

 アタシは思い出していた。
 最近アタシの元に来た近所のPMが言っていた言葉。
 近頃、情報部のガーディアンズと、そのPMのGH-440が、『ガーディアンズと所有PMの相互関係と及ぼし合う影響』
 という、奇妙な題目の調査をしている、という話。

「知りたいんだよ…、俺は…。
 俺たちにとってのパートナーマシナリーってのが、何なのか…。
 あんな事件を起こすGH-440ってのは、俺の大切なGH-440と、何がどう違うのか。
 ガーディアンズとしての仕事なんかじゃない。あいつらの為でもない。
 大義名分を振りかざすつもりなんざ毛頭ねぇ。俺が知りたいんだよ。
 俺はもう…、自分の半身を…、無くすのも、傷付けるのも、悲しませるのも、…沢山だ」
 …いたのか。こんなヤツが。
 それも、よりにもよって、あのクソ食らえなガーディアンズに。
 こんな人間、いやしないって、…ずっと、そう思っていたのに。

 アタシは気付かないうちに…、俯いていたらしい。
 善も悪もその形すら整っていなかった、ガーディアンズ創設期の、あの黎明の時代…、
 もしも、こんなヤツがいてくれて…、私たちを見守っていてくれたら…。

 アタシや、「あの子ら」の今は、もっとずっと幸せな形をしていたのかねェ…。

「ここが死に場所になるのに悔いはないかい?」
「…冗談。俺は何があっても生き抜くぞ。もうちょっとアイツの世話になりたいからな」
「悪くない返事さね。…結構。アタシはアンタが気に入った」

 そっと差し出した手に、ご主人サンがタバコの燻るキセルを乗せてくれる。
 アタシはそれを唇にくわえ、ニヤリと壮絶に笑ってみせる。

「話してやるよ、今回の出来事の全部をね」


 ■XX07/2/13 11:02

「ふむふむ…、そうか、刺身なんてのはぶった切れば良いと思ってたけど違うのか…」
 ガーディアンズコロニーの2Fを、私は手の中のメモを読みながら歩いていく。
 ガーディアンズのヒューマンが経営するレストランは、思ったよりあっさり道具を貸してくれた。
 それどころか、事情―これからマイルームでマグロ解体ショー開催―を話したら、
 調理のポイントを色々教えてくれた上に、メモまで持たせてくれた。
 うむ。ヒューマンと言うとあの鉄面皮のクソヒューマンばっかり連想してたけど、
 中には気の利くヒューマンもいたもんだ。アレはきっと良いヒューマンなんだろうな。
 なかなか良いお店だった。あとでご主人様をお連れしよう。道具を返しに行くときで良いかな。
 街中の賑わいは相変わらずだ。明日はいよいよバレンタインデー当日。
 その前日にマグロ解体ショーってのもどうかと思うけど…、今は私たちが元気を取り戻すのが最優先だ。
 明日の朝にはいつも通りに戻って…、うん、そしたら思う存分バレンタインデーを楽しもう。
 早起きしてチョコ作らないとなー。どんなのが良いだろ。
 私としてはあれだ。生チョコぶちまけたご主人様に絡み付いて延々とぺろぺろしたい。
 ホワイト生チョコとかってないのかなー。ああっと手が滑ったー! とか、もう超ベタ
 なマネをしてでもご主人様にぶっかけたいんですけど…。
 そんな光景見たら私耐えられるかなー。無理だろうなー。絶対犯すよなー…。
 でもその前に私が出オイル多量で死ぬかなー。

 さらりととんでもない妄想を膨らませ、私は気軽な足取りでエスカレーターへと足を運ぶ。

 …と。

「GH-430 識別番号GSS253-A5」

 不意に掛けられた声に、ぎくりとする。…妄想に励んでいる間に、私の両脇には一人の男が並んでいた。
 ごく一般的なコロニー市民の格好をしているが…、私には、すぐ知れた。
「こちらは見ずに。平静を装って頂きたい」
 さりげなく男が差し出してくるのは、ガーディアンズ登録証。…所属は、諜報部。
 そりゃそうだ。こんな根暗な話しかけ方をするのは、他にいない。
 買い物客で賑わう大型エスカレーター。周囲は絶えず会話の音に包まれていて…、ある意味、密談には打って付けだ。
「何の用? …不正合成なんてやってないわよ」
 あくびをふりをする傍ら、私は低い声でそう告げる。
「任務依頼です」
 それは…、過去からの声。閉ざされたように遠かったはずの…、言葉。
「今の私は警備部所属のガーディアンズのPMよ。諜報部の依頼なんて知ったこっちゃない」
「…知らぬふりをしても意味がありますまい?」
 私は上向く。意味があったわけじゃない。…ただ何となく、天井付近に飾られたバレンタイン
 オブジェクトが視界に入ったからだ。何故か…、随分と色彩に欠けて見える。
 あんなに賑やかだったはずの会話の声が…、いつの間にか遠ざかっていた。
 まるで、寝入る前に聞く言葉のように。閉ざされかけた心の中には、色も声も届かないように。
「貴方の諜報部退役には条件があった」
「…そうだったかしらね」

「緊急時においてのみ、諜報部管理官命において、貴方には任務依頼を通せる。
 これは第一級優先事項と見なされ、貴方の所有者として登録された者の命令、
 警備部から請け負った依頼、全てにおいて優先されることになる」

「…ご主人様に…、事情を説明してたりしねぇだろうな」
 腹の奥から沸き上がってきた猛烈な怒りを隠しきれず…、私の口調が変化する。
 場合によれば…、今この場でこのコイツを半殺しにしても構わない…!
「貴方の立場を尊重し、貴方の所有者にも警備部にも通してはいません。
 貴方の了承を持ってのみ、この依頼の承諾と見なします」
 なるほど…、恩を着せてくれるわけか。有り難くて…、殺したくなるね…!
「ノーと言えば?」
「その場合、別の適任者に依頼が回るでしょうね。
 …恐らくは、諜報部戦闘部隊総動員の…、総力戦となる」
「はぁ…?」
 思わず呆れて、私はぽかんと口を開ける。
「どっかに戦争でも仕掛ける気?」
「いいえ。あくまでターゲットは個人です」
 エスカレーターの降り口が見えてくる。…ふと、私の目は、その場所に見慣れた姿を見付けるのだった。
「よーんさーんぜろー。みつけましたー。はうー、遅いから心配したですよー」
 大仰に手を振っているのは…、ご主人様…。
 声も聞こえていたけれど…、私はまだ、ご主人様に気付いていないふりを続けることにした…。
「任務内容は本日24:00、ビジフォンへと配信致します。…パスコードを設けますので、
 彼女が中身を見ることはないでしょう。コードは貴方が諜報部にいた頃に使っていたものです。
 憶えておいでですか?」
「…rabid dog(狂犬)」
「結構。任務を了承して頂けることを祈っています。…私たちとて、コロニーを戦場にはしたくない」
 人が次々とエスカレーターを降りていく。混み合う人の中、自分の番を待ちながら…、私は最後に聞いた。
「教えろ。…お前ら、私に何をさせたいんだ」

「GH-440が、中央管制塔のメインCPUにアクセスしました」

 千の並木の葉擦れの音のように、
 猛烈なノイズの音が、私の世界を埋め尽くす。

 アイツ…、アイツ――、何て事を……!

「はう! 430! 430! どうかしましたですか?」
「あ…、いえ…、少しぼーっとして…」
 私と共にエスカレーターを降りた男は、もう見えなくなっていた。
 その言葉を聞いてしばらく、私は呆然としていたらしい。
 …ご主人様が目の前までやってきていたことにも気付かないほど。
「遅かったのです。心配したのですよ?
 あんまり心配で、ほんまぐろさんをお部屋に置きっぱなしなのです」
 帰って無くなっていたら大変なのですよ? と、ご主人様はにこにこと笑っていた。

「さあ、帰りましょうです。430」

 そう言って…、手を引いてくれるご主人様の手の温かさを、私はただ感じていた。
 笑って会話したような気もするけれど、何を言っているのか自分で理解していない。
 ただその手の温もりだけを、私は感じていた。

 帰る。

 そのたった一言の言葉への問い掛けが、わんわんと私の頭の中に響いていた。

 『何処へ?』 …と。


 ■XX07/2/13 20:11

    * * * *

「おぅい、聞いたか?」
「ああ、今な。俺たちの『娘』の身請け先だろ?」
「ガーディアンズねぇ…、こないだ出来たばっかりの民間警備会社だろ?
 あの、ガラクタの寄せ集めみたいなコロニー浮かべてる」
「まぁ良いんじゃねぇかよどこだって。…ともあれ、これで夏のボーナスは安泰だ。
 他部門の連中に散々「ロリコン人形師」呼ばわりされてたのが報われたわけだしな」
「良かねーよ、大事な娘の嫁ぎ先じゃねーか。
 大体連中判ってねーんだよ。老若男女問わずの生活支援なら幼女型が一番カド立たねぇし、
 人間の為に設計された生活空間なら、人間型が一番理に叶ってるんだ」
「あーほらほら、そこ喧嘩しないの。今日はめでたい日じゃないの。
 それで? 正式採用呼称は決まったの? 『人型汎用マシナリー』じゃ味気ないでしょ?」

「PM。『パートナーマシナリー』だそうです」

「うん、良いじゃない。そうかぁ…、私たちの娘は、ガーディアンズたちの
 パートナーになるのねぇ…。なんだか嬉しいわねぇ」
「娘を嫁に出す気持ちってのはこんなんなんスかねぇ…」
「おーし、今日の帰りはこの主任サマが派手におごってあげちゃうわー。朝まで飲むわよー!」
「おーっす!」
「…んで…? お前さっきから何やってんの?」
「んあ? いや、意味はねーんだけどさ、ちょっとお遊び」
「お遊びぃ?」
「ん。こいつらに感情回路組み込んだら面白そうじゃね? 俺見てみてーよ」
「バッカお前、また人権問題とかうっせーんだぞ…」
「そんな大層なもんじゃねえよ。納入仕様書にも変更はしねーし、やったらすぐ削除するさ」
「何々? 面白そうなことやってんじゃない。見せてみなさいよ。
 …アンタ、こんなヘタレたAI組み込んでんじゃないわよ、退きなさい。
 どーせお遊びでやるからにゃあ、最先端感情回路組み込んでやるわー!」
「うわー、主任がもう缶ビール開けてるぞー!」

「パートナーマシナリーかぁ。そっかぁ…。うふふ。悪くない呼び名よねぇ。
 アンタたちは私たち七人全員の娘だもの。幸せになんなさいよね…」

 それは…、もう、二十年近くも昔の出来事。
 GRMの生活支援部門研究職員たちの会話。
 私たちPMが生まれた日の出来事。

 だが、皮肉にも…。

 この日の彼らの些細な「お遊び」が。…私たちPMの全てを、致命的に狂わせたのだった。

    * * * *

「…どーした、おっさん」
 コップ一杯だけ許された酒を片手に、ぼんやりと440を見詰めていた俺は、その440当人に声を掛けられて我に返る。
「いや、…何でもない。お前、ほっぺたに食いカス付いてんぞ」
「む、気付かなかった」
「あーあー、だから袖で拭くな袖でー。洗濯大変だろうがー」
 ごしごしとほっぺたを拭く440を見て、俺はたまらず声を上げる。
 まったくコイツとの生活は、我が子と暮らす生活のようだ。
 俺に娘はもういないし…、娘がこれくらい年の頃に、こんなやりとりをした記憶もないが…、
 多分きっと、…こんなんだったんだろうな。
 モギモギと美味しそうに食事を口に運ぶ440をまたぼんやりと見詰め…、俺は手の中の酒に一口だけ口を付ける。

 ――知ってるかい? アタシらPMってのはね、二十年前にガーディアンズに導入された時に、
 ――既に「完成」していたんだよ。もう、能力の伸びしろなんて残されていないくらいにね。

 昼間、あの「女帝」が言っていた言葉を、俺は思い出していた。

 ――その時のアタシらには感情回路が組み込まれていなかった。
 ――アタシたちってのは実に良く出来た「道具」で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 ――言われたことを忠実に守り、命じられたことを忠実にこなし、
 ――出来ることにはイエスと答え、出来ないことにはノーと答え、

 ――部屋の片隅で命令を待つだけの、便利な置物だったのさ。

「…なぁ、440」
「なんだ?」
「…飯、美味いか?」
「なんだよ急に」
 俺の言葉に、440はだいぶ困惑したらしい。
 そりゃそうか、そんなのを聞いたこと、今まで一度だってなかったしな…。
 440は何だかやたら難しい顔をして俺の顔を見て…、
「しょっぱい。おっさん、医者に塩分控えめって言われてんだぞ。自重しろ」
 今日の食事当番は俺だ。全部俺が作った。…そうか、これしょっぱいのか…。
 全然気付いてなかったぞ。やべーな俺の食生活…。
 言うだけ言うと、440は目を閉じて食事を口にかっ込んで、
「…でも、不味くはない」
 モギモギの間に、ぽつりとそう言った。
 それが何だかやけに嬉しくて…、俺は、笑ってしまうのだった。

 ――ガーディアンズは急速に勢力を伸ばし、
 ――設立数年で、グラール星系最大の民間企業に成長した。
 ――GRMとしては最高の先物買いだったわけさね。
 ――PMはガーディアンズには欠かせない存在になっていたからね。
 ――だが、相手が金になるとわかればヨウメイもテノラも黙っちゃいない。
 ――PMに近しいモノを生産して、ガーディアンズに売り込みを始めたんだ。
 ――キャストの生産はGRMの専売特許だが…、PMは正確にはキャストじゃねェからねェ。
 ――焦ったのはGRMさ。言ったろ? PMは、既に納入決定段階で完成していたんだ。
 ――バージョンアップはするものの、せいぜいが動作の効率化。性能そのものが上がるわけでもない。
 ――噂じゃ、テノラの新型マシナリの導入を、ガーディアンズ本部は本気で検討していたらしい。
 ――そんな時に、GRMであるデータが見付かったんだ。
 ――データ保管庫に、分類もせずに突っ込まれていた、古いデータ。

 ――『PMに感情回路を設定した場合の動作性能記録』

 ――それがもたらした結果なんだよ。
 ――今あるPMの全ても…、アタシたちも…、これから起こるだろう、この事件も、ね。

「感情ってのは、何の為にあんだろうな?」
 食事が終わり、俺はソファの上で身と腹を休めながら、ぽつりとそう言った。
 そういやこんな風にのんびり休むのはどれくらいぶりだろう。この数日、走り回って調べ回って、
 ろくに休んでいなかった気がする…。
 独り言のつもりで呟いたのだが、どうやらキッチンで洗い物をしていた440の耳に届いたらしい。
 流し台に手を伸ばす為の専用の踏み台からぴょんと飛び降りると、てくてくと俺の前に歩いてきて。

 ぺた。

「何をする」
「おっさん最近働き過ぎだ。結構なことだが疲れてんじゃないのか?」
 問答無用で、右手を俺のおでこに当ててきやがった。
「俺は正常だっ!」
 呻いて、440の手を払いのける。ホント失敬なヤツだなお前は!
「泣いたり笑ったりする為のもんだろ、感情ってのは」
 何を言ってんだ、と言わんばかりに、440は両手を腰に当てて言ってくる。
「じゃあ、だ」
 俺はソファの背もたれから背を離し、少しだけ座を正すと、
「どうして泣いたり笑ったりしなきゃならん? 何か意味があると思うか?」
 440が顔を引きつらせ、再び右手を差し出してくるが…、ぎろりと睨むと知らんぷりしてその手を引っ込めた。
「んー…、おっさんが何を言っているのか、正常な私にはわからんけど…」
 こりこりと440は後頭部を掻きながら、
「その方が楽しいからじゃないのか? 泣くのはともかく…、笑えないってのはつまらないじゃないか」
「…そうだよな」
 俺は再び…、ソファに背を埋める。…そう、だよな…。普通は、な…。
 440は結局俺が何を言いたかったのか理解出来なかったらしい。
 しきりに首を傾げながら、とことこと洗い場に戻っていく。
 俺は学者じゃない。生物的な感情の役割なんてものはわからないし、興味もない。
 ただ…、440の言うとおりだとは思う。感情のない生活なんて、つまらない…。
 泣くのも怒るのも、俺たちが日常に飽きない為のスパイスだ。捨てたもんじゃない。

 でも、

 ――アタシたちにとっての「感情」っていうモンはねェ、
 ――そういう為に設けられたものじゃァ、なかったのさ…。

「440、洗いモンは終わったかー?」
「もーちょい。おっさんが余計なこと言わなきゃ終わってた」
 …そりゃ悪かったな。

「終わったらこっち来い。ちょっと大事な話がある」


 ■XX07/2/13 23:55

 くぅくぅと、ご主人様が幸せそうな寝息を立てている。
「はぅ…はぅ…、おなか…、いっぱぃ…」
 ついでに、めちゃラブリーな寝言までつけて。
 コタツで寝転がったまま寝入っているご主人様に、私はそっと毛布を掛けて差し上げる。
 いっぱい食べましたものね。美味しかったですか? 楽しかったですか?
 一生懸命料理しました。気に入って頂けましたか…?
 私はそっと、ご主人様の綺麗な髪を撫で付ける。
 それが気持ちよかったのだろうか。ご主人様はにへらぁと笑って、ころんと、私の方に寝返りを打つ。
 まるで、もっと撫でて欲しいとねだる子犬のように。
 そんなご主人様が可愛くて、可愛くて…、私は何度もその髪を撫でるのだった。
 いつか言いましたよね、ご主人様。料理には二つの楽しみがある、って。
 一つは、食べた料理が美味しかったこと。
 もう一つは、自分が作った料理に、美味しいと言って貰えること。
 私は今日、その二つを存分に楽しむことが出来ました。
 ホンマグロ、とっても美味しかったです。
 私が出す料理出す料理に、ご主人様は目一杯に美味しいと言ってくださいました。
 嬉しかったです。楽しかったです。幸せでした。…本当に。
「私は、ずっと一人で食事をしてきました」
 ぽつりと…、声が漏れる。
「ご飯が美味しいなんて思ったことありませんでした。
 食事が楽しいなんて思ったことありませんでした。
 でもそんな私にも、少しの間だけでしたが…、一緒にご飯を食べる人がいたんです」
 あの灰色の…、冷たい部屋の中。ベッドとデスクだけの、牢屋のような部屋の中。
「ご飯はやっぱり美味しくなんかなかったけど…、
 今にして思えば、一人で食べるよりは…、食事が楽しかった気がします」
 アイツと一緒の生活は、随分とイライラの連発だったけど、一人で居たときは、そのイライラさえなかった。
 少しくらい…、アイツと笑いあったこともあったと思う。
 美味しくもない食事を、二人で向かい合わせに並べながら。
 でもそれは…、
「短い間でした。長くは続きませんでした。なぜなら…」

 ――私を撃ちますか? 430。

 ――撃つ。…お前は…、イカレてる…。

「私が…、その人を撃ったからです。それで、私たち二人の食事は、おしまいでした」
 私は今、懺悔をしているんだと思う。言いながら…、気付いた。
 私たちに許しを請う神様なんていないけど、この人は、私にとって、神様なんかよりも、もっとずっと…、大切な人だから。
「私は…」

 あの時彼女を撃ったことを。
 あの時彼女を救ってやれなかったことを。

「貴方と出会い、貴方と暮らし、貴方から大切なことを学んでいくうちに…」
 ぽたりと、ご主人様の髪の上に、私の頬を滑り落ちた涙が一粒、跳ねる。
「私があの時したことは…、間違いだったと、思うようになりました」
 まるで、鏡を見るかのようにうり二つだった私たち。
 同じモノを無くし、同じモノを欲しがって、同じ夢を見ていた私たち。
 だからこそ…、
 私はあの時、歪んでねじ切れてしまった彼女を目の前にすることに、耐えられなかった。
 そこにいるのは…、私の「可能性」。
 彼女がそうなってしまったのなら、私もいつか、そうなるのだろう、と。
 私には、それが何より、…怖かった。
 私は、そっと、ご主人様の髪を撫でていた手を離す。
 きめ細やかな、真っ白な髪。
 本当は、こんな手で撫でて良い髪じゃない。…私の手は、血で真っ赤だから。
 でも、私は貴方が好きです。大好きです。言葉では言い表せない程に。
 貴方が、こんな私を愛してくれて、こんな私の心を優しく満たしてくれるから。

 私はご主人様の元を離れると、ルームランプを消し…、
 音もなく降りてきた夜の暗闇の中、ビジフォンへと向かう。
 新着メール一件、受信日時、2/13 24:00。
 内容は、どこにでも送られてくるような通販案内。
 けれど、メール最下部にパスワードの入力フォームが設置されている。
 私はそこに、もう使うこともないと思っていたパスワードを打ち込んだ。

 『rabid dog』

 画面は即座に切り替わり…、ガーディアンズ諜報部からの依頼内容が表示されていく。
 静まり返った暗闇の中、私はビジフォンの明かりを頼りに文章を読み、メモリに記憶すると、
 受信したメールを削除し、…一人、部屋の出口へと歩いていく。
 ご主人様は眠ったまま。部屋は暗くてもうその姿は見えないけれど、可愛らしい寝息は聞こえてくる。
 コタツで寝るのって、ホントは良くないんですよね…。
 ベッドまで運んで差し上げたいけど、起こしてしまうのは気が引ける。
 風邪引かないかなぁ…、大丈夫かなぁ…。
 部屋の出口で、そんなことを少し考えて、――私はふと、俯いて、笑った。

 私はいつの間にか、随分とPMらしい考えをするようになったもんだ…。

「…お待ちしておりました」
 マイルームを出れば…、そこには男が待っていた。昼間、私に話を持ちかけてきた諜報部職員。
「深夜に女性をエスコートするには、色気の無い格好ね」
 陰鬱に笑う私に、諜報部職員は顔色一つ変えない。
 諜報部職員に至急される黒のコート。胸から下げる職員章を隠してもいない。
 この深夜に服装を偽装する必要はないと思ったのか、あるいは…、
 同じく諜報部職員として任務を受諾する私に同行する為の、礼儀のつもりか。

「GH-430、識別番号GSS253-A5、…任務了解。これより行動を開始します」
「…2/14 00:06 任務受諾確認。これより諜報部本部へとお連れ致します」

 私たちは、小さな足音を奏でながらコロニーの通路を歩いていく。
 誰もいないロビーフロア。照明も落ち、非常灯だけが灯る暗い世界。
 電飾の灯らないバレンタインオブジェが、影の中で眠りについていた。
「…今日は、バレンタインでしたね」
 ふと…、男がそう言った。何のつもりだか。私はこんなヤツと世間話をする趣味はない。
 私は答えず、…ただそっと、自分の胸元に手を伸ばす。
 服の内側には、小さな箱のふくらみがある。

 ご主人様。私ね、作ったんですよ、バレンタインチョコ。
 マグロ料理の合間にですけど、一生懸命想いを込めて。
 帰ってきたら、一番にお渡ししますから…、だから…、

 ――少しの間、行ってきます。…ご主人様。


 ■XX07/2/14 00:29

 ロックの掛かったマイルームのドアが、勝手に開くいた。
 寝静まった暗闇の中、五人の男たちが一斉に部屋の中へと雪崩れ込んでくる。
 滑るような速さで、足音一つ立てることもなく。
 皆一様に、暗闇に同化する為の黒ずくめ。全員が手にはハンドガンを携えていた。
 黒塗りの衣装に合わせるように、金属光沢までも塗りつぶした黒い銃。
 彼らが暗視スコープが放つ小さな赤い光が、まるで滑らかな線を引くかのように淀みなく部屋の中へと広がっていく。
 まるで獲物を探す獣の眼光のようなその光は、室内を隈無く巡り、やがて、やはり何一つの音も立てず、停止する。
「状況確認。室内は無人、ターゲット不在」
「ターゲットの情報にあったPMも不在」
「…感付かれて逃げられましたかね…? だとしたら、どこで気付かれたのか…」
「任務中の私語は慎め。次は隊から外す」
「…失礼しました」
「本部に状況を報告しろ。この場は撤収する。痕跡を残すな」
「了解」
 それはまるで、音のない嵐のよう。
 室内に侵入してきた時と同じ速さ、静かさで、部屋の中にいた五人の男が瞬く間にコロニーの通路へと走り去っていく。
 唯一音を立てる入口のドアが閉まり…、微かな電子音を立ててロックを掛ける。
 後はただ、何事もなかったかのように沈黙を歌う暗闇が部屋に戻ってきた。

 それから、少しの時間が経って…、

「ぶはぁっ!」
 部屋の片隅に置かれていた小さな箱の中から、たまりかねたように440が上半身を突き出した。
「おっさん! おっさん! 何なんだアイツら! ふつーじゃないぞ!?」
 箱から身を出すなり、440は自分が潜んでいた箱の隣に並んでいた大きめの箱をばんばんと叩く。
「叩くな叩くな、中は音が響いてうるさい!」
 ずぼむ、と、段ボール製の箱をやぶり…、男が姿を現した。
「盗聴器の類を設置してはいかなかったな。あくまで俺の身柄の確保が目的だったか…」
「変だぞ!? おかしいぞ!? 何でロックを勝手に破って入ってくるんだよ!?
 何で銃なんか持ってるんだよ!?」
「晩飯の後に言ったろ。厄介な連中に目をつけられた、って」
 男は気楽そうに440の頭を帽子ごと叩いて、
「…あの格好は諜報部だな…。いやまさか、ここまで仕事の速い連中だったとはねえ」
「諜報部って…、ガーディアンズだろ!? 何でガーディアンズがガーディアンズを襲うんだよオッサン!」
「人間というのは頭の悪い生き物なのだよ」
「わけわかんないこというなー!」
「全部事が済んだらわかりやすく教えてやる。…440、とりあえず俺のビジフォンにあるデータを、
 ありったけお前のメモリに移せ。…どうやら本当にガーディアンズにはいられんらしい」
 女帝の忠告を受けて一応用心はしていたが、まさかここまで形振り構わずに来るとは。
 正直諜報部を侮っていた。あの様子では、連中は正真正銘の殺し屋だ。まともにやり合える手合いではない。

「あの事件なのか…? おっさんがここんとこずっと調べてる事件のせいなのか…?」

 440が…、男を睨み付けていた。冗談で見せる半眼ではなく、本気で激怒の表情で。
 これ以上ないほど歪めた目元に、涙を浮かべて。
 男は答えない。…その沈黙を肯定と取ったのか、440は、
「やめちまえよそんな仕事!」
 部屋に響き渡るほどの声でそう言って…、男の腕に縋り付く。
「なぁ! 今すぐやめようよ! そんな事件追いかけるのやめようよ!
 危ないよ! おっさん…、おっさん…! ホントに殺されるかも知れない!」
「…そうはいかねぇ」
 泣きじゃくって腕を引く440をそのままに、男は空いていた左手でタバコを取り出すと、火を付け、一息煙を吸い上げて…、
「何も知らないウチだったら大人しく白旗上げたろうけどな。…今となっちゃ、引けねぇ」
 微かに紫がかった煙が、静かに天井へと線を描いていく。
「これは俺の、一番守りてぇモンの為の戦いだ。俺に出来ることなんざ微々たるもんだろうが…、
 やることもやらずに白旗上げるくらいなら、…死んだ方がマシだ」
 腕にしがみつく440を抱き寄せて、男はタバコの煙を吐く。…その眼差しは、射るほどに鋭かった。
「おっさんの一番守りたいモノって…、何だよ…」
 服に顔を埋めて泣く440の背中を軽く叩いてあやしながら…、

「お前らだよ」

 そのたった一言に全身全霊を込め、男はそう言い切った。
 立ち上るタバコの煙の隙間に覗く、鷹のような鋭い眼差しが、部屋の片隅の置き時計を見る。
 2/14 AM0:41 Valentine's Day
 電光板が、暗闇の中、その文字を青く浮かび上がらせていた。

「さぁ…、バレンタインデーの始まりだ」


 ■XX07/2/14 02:15

 諜報部のブリーフィングルームには、キャストのオペレーターが一人と、
「お久しぶりですね。…GH-430」
 伏せた瞳で微笑む、一人の女性が既に待っていた。
 歳はまだ三十になっていないと聞いたことがある。客観的に見て、絶世の美女だと…、私は思っていた。
 黒いコート姿に、背へと長くのばした黒髪がこれ以上ない程に似合っている。それはさながら…、
 死の番犬どもを率いる、狩猟の女神。
「ご無沙汰しております。…長官」
 彼女―ガーディアンズ諜報部長官―に、私は暗い瞳で一礼を送る。
「元気そうで何より。警備部のガーディアンズとは仲良くやっていますか?」
 返答の必要性を感じず、私はただ、一度伏せた眼差しを彼女へと向け直すだけ。
 前任の長官が退職したのが二年前。…その職を引き継いだのが、この若すぎる女性だ。
 就任直後は随分と周囲から冷や飯を食わされたことだろう。
 この世界、出世で恨みを買うことなど日常茶飯事だ。
 その若さで長官就任など、老獪な古参どもの格好の餌食になると思われたが…、
 彼女は優秀だった。途轍もなく。ただ職にしがみついて来ただけの老人などより、圧倒的に。
 彼女はガーディアンズ組織の中で、誰よりも「諜報部長官」という職が適任だったのだ。
 穏和な笑顔を浮かべたまま、顔色一つ変えることなく、「障害」となるものを排除する。
 例えそれが、同胞のガーディアンズであったとしても同じ事だ。
 就任して一年で、彼女は名実共に諜報部を支配した。
 根拠のない誹謗中傷、彼女を陥れる為の内部工作、それらを行う者は、その一年間で皆消えた。消された。
 あまりにも容易く、呆気なく、ガーデニングに邪魔な雑草を刈り取るように。
「世間話が嫌いなところは変わっていませんね」
 この人の微笑みは、苦手だ。…正直、怖い。私は今まで、この人以上に「怖い」と思う人間に出会ったことがない。
 半年と少し前、私が諜報部を退役出来たのは、この人のお陰だ。
 私を拘束して使役することしか頭に無かった前任の長官では、私の嘆願など聞く耳も無かったろう。
 この人は理解している。「人を使う」ということを熟知している。
 手中に収め、鎖でがんじがらめにすることが、「駒として手元に置く」最善の手段ではないことを…、知っているのだ、
「状況の説明を始めましょうか」
 私に会話の意志がないと知ると、長官はあっさりと私に背を向け、ブリーフィングルーム
 中央の立体モニタの前へと歩を進める。…私も、それに続く。
「ガーディアンズコロニーの立体地図を」
「はい」
 モニタに表示されるのは、私たちガーディアンズが拠点とするコロニーの立体見取り図。
 …数万の人口を抱える、グラール星系最大の居住衛星だ
 緩やかに回転する見取り図の中、コロニーの中心を貫く柱が赤く点灯を繰り返していた。
「これがコロニーの枢軸。そしてその柱の頂上付近に設置されているのが…」
 長官の言葉と共に、立体映像は拡大化され、やがて枢軸全体の発光は、一点に収束する。
「ガーディアンズコロニー中央管制塔。このコロニーの心臓部です」
 心臓という言葉が比喩ではない。ガーディアンズコロニーの生活環境を管理するCPUは、
 その大半がこの場所に集中している。スペースポートの管制塔に似た場所に設置されているから
 そう呼ばれてはいるが、実質、コロニーの中枢制御室だ。
「ここに入るには厳重な立ち入り許可が必要であり、設置されているCPUには最高技術の
 情報防壁が数枚に渡って張り巡らされていますが…」
「…ハッキングされた」
「その通り。2/10、23:55。ガーディアンズ居住区の一室から、ビジフォン経由で不正アクセスがありました。
 使用ツールは不明。ビジフォンの所有者である警備部のガーディアンズは死亡。
 アクセスの目的は不明。情報部が二回に渡り念入りなスキャンを行いましたが、
 ハッキングされたCPUに異常は無し。情報部は最終的に「いたずら」と判断しました」
 モニタには次々と長官の言葉を裏付ける情報が表示されていくが…、
 私の目はそれを見ていても…、ほとんど理解はしていなかった。

 これが…、ただ単純に「アクセス」が目的のハッキングだとすれば…。

「話は前後しますが…、数日前に、大規模な不正合成が行われたのを知っていますか?」
「…私も調査されましたから」
「あら、それはそれは…。公安部に貴方の所在を伝えておくべきだったかしら?
 随分嫌な思いをしたでしょう?」
 …どうでも良い話だ。不快な思いはしたが…、それはあらぬ濡れ衣を着せられたことじゃない。

 ――ご主人様は悪くないの! だから返して! ご主人様を返して!

 あの時の、410の悲痛な叫び声が、まだ頭に残っている…。
「あの不正合成事件の三週間ほど前、今回不正アクセスを行ったガーディアンズの
 ビジフォンから、GRM、ヨウメイ、テノラ、クバラ市へ、やはり不正アクセスがありました。
 その際流失したのは単なる画像データだけでしたが…、
 『アクセスされた』ことには違いありませんよね?」
 くすりと、長官がしとやかに笑う。…どうしてそこで笑うのか…、私には理解出来ない。
「そして、くだんの警備部のガーディアンズですが、彼はGH-440を保有していた。
 彼の死体はマイルームにて発見されましたが、GH-440は所在不明。
 諜報部は昨日、コロニー最下層にて該当のGH-440の遺体を発見しましたが…、
 調査の結果、どんな結果が出たと思います?」
「わかりません」
 私の、そんな素っ気ない言葉を意にも介さず、長官はわざわざ私の方を向くと、
 軽く握った拳で口元を隠し、ころころと笑い声を転がして、
「投棄されていた彼のGH-440はね、二ヶ月も前に全停止していたんですって」
 ナンセンスなギャグに笑っているのか、オカルトを楽しんでいるのか、
 あるいは別の何かか…、私には、やはりこの人の笑顔が、…理解出来ない。
「どれもこれもがあり得ない話ばかり。その理由も目的も全く判らない。
 でもこう考えれば、それらの事件は全て、綺麗に収まりがつく」
 そう、まるで、理解の出来ないパズルに、すっぽりとピースが収まるように。
「私が口にしたGH-440という言葉が、…GH-440、識別番号GSS015-S10、だったとしたら…?」
「状況証拠すらありません」
「今回の不正合成事件、あまりにも急だったと思いませんか?
 画像データが流出したとは言え、合成時に使用されるマスターコードは無事だった。
 ではマスターコードはいつ流失したのか?
 GRMに問い合わせた所、面白い回答があったんです。
 不正合成が発覚する二日前。…GRM社のCPUから、マスターコードが『勝手に転送された』んですって。
 …これは状況証拠にはなりませんか? GH-430」
 私は…、答えられなかった。ただ俯く私に…、
「GH-440、識別番号GSS015-S10。彼女の『能力』は? 答えなさい、GH-430」
 背の支柱を鷲掴みにされるような…、ぞっとするほどに無機質な声が掛けられた。
 長官はやはり微笑んでいる。…押し潰されるほどの威圧を眼差しに潜ませて。

「…『中枢へとアクセスしたCPUを、完全に支配する』…」

「ええ、そうね。良く憶えていましたね? GH-430」
 長官は、すいと、私を見下ろしていた眼差しを立体モニタへと向け、
「GH-440。彼女は情報能力特化型のワンオブサウザンド。
 彼女に中枢を触れられたCPUは、その瞬間から彼女の手足となる。全てが彼女の思うがまま。
 スキャンなんて意味無いわ。だって「正常か?」という問い掛けに返答をするのは、他ならない彼女なんですもの。
 …ガーディアンズコロニーの中央制御室は、実質今、彼女に支配されていると見て間違いないでしょう」

 それはつまり…、コロニー全人口が、既に掌握されているということ!

「事実を公表し…、然るべき対策本部を設け…、一刻も早くコロニーの住人を避難させるべきです…!」
 状況は最悪だ! 後手も後手! ボードの上は、駒はおろか、ルールまで彼女の手の中だ!
「それは出来ません。この事件は何としてでも内々で処理しなければ」
 ふう、と長官は細いため息を吐き…、前髪を掻き上げる。
「事が明るみに出れば原因を究明される。それはすなわち、ワンオブサウザンドという存在の露呈です。
 それだけは困ります。何の為に私たち諜報部がワンオブサウザンドという存在を極秘扱いにし、
 ガーディアンズ内においても都市伝説程度の噂話に済ませてきたことか」
「…同盟軍に対して、グラール教団に対して、ローグスに対して、不可視の切り札とする為…!」
 ぎりぃッ! と、私の指の爪が、強く握り込んだ手のひらに抉り込む!
「そう。たかだか創立二十年程度の民間企業である私たちには、『貴方たち』が必要です。
 貴方たちの生みの親でもある、GRM社と仲良くやっていく為にも、ね?」

 絶望的な沈黙がブリーフィングルームに広がり…、
 そして、外部からの通信受信を知らせる電子音が鳴る。

「長官。調査課二班班長より報告。例の情報部職員の確保に失敗したそうです。
 突入時には既に逃走。現在一班、三班と連携して足取りを追跡中とのことです」
「余計な情報が外に漏れるのは面倒ね。火器戦闘と射殺を許可しなさい。
 民間人の被害は五名まで。ガーディアンズなら十名まで。
 情報漏洩防止が最優先よ」
「了解しました。通達致します」

 知ってたことじゃないか。…ここが『地獄』だなんてこと。
 ここでは世に知られた「ガーディアンズ」なんて他人事だ。
 人殺しなんて、ゴミを捨てるのと同じくらいの意味でしかない。
 ここでは人一人の命になんて、これっぽっちの価値もない。
 知ってる。わかってる。私だって…、この場所にいたんだから…。
 でも…!
 ぶつり、と、八重歯を立てて噛み締めていた唇が避け、
 私たちの体を流れる真っ黒な『血』がしたたり落ちる。
「…私たちは…」
「GH-430?」
 彼女は、コロニーに住む数万の人間の安全よりも、私たちが大事だと言う。
 私たちの秘密を守る為なら、人殺しさえ平然とやる。
「私たちは…、一体…、何なんですか…!?」
「…決まっているじゃありませんか」
 長官は、私を優しく見下ろすと、

「とても大事で、とても可愛らしい、――『立派な道具』ですよ?」

 そういって、…私の頭を撫でるのだった…。
「現在諜報部が全力でGH-440の所在を追っています。貴方は待機していて下さい。
 本部にいる必要はありませんが、通信は可能な状況でお願いします。
 所在が判明次第連絡を送りますので…」
 ざぁっ、と、長官は長い黒髪を掻き上げ、手櫛を通すと、
「即座に現場に急行。GH-440を『拘束』あるいは『完全破壊』して下さい。
 …このミッションを外部の目に触れずに完了するには、貴方の協力が不可欠なのですよ。
 よろしくお願いしますね? GH-430」
 ブーツの足音を響かせて、彼女はブリーフィングルームの出口へと歩き出す。
 その場に取り残されるように立ち尽くす私に、もう、振り返ることもなく。
「それにしても…」
 不意に、その長官が呟いた。
「中央管制塔へのアクセスが十日深夜。もう三日以上が経つというのに、
 どうしてGH-440は何のアクションも起こしてこないのかしら…?」
 足を止めるほどの疑問ではなかったのだろう。長官の足音は少しずつ遠ざかっていく。
 しゅんっ、と、ブリーフィングルームのドアが開く音と同じくして、

「ああ、今日はバレンタインデーでしたね。…チョコでも渡したい相手でもいたのかしら」

 そう言って…、彼女はおかしそうに笑うのだった。


 ■XX07/2/14 05:58

「くぁう…」
 思わず出してしまったあくびを見られ、ご主人様にギロリと睨まれた。
「うわわわ、ごめんなさい」
「今日は早朝からミッションがある。早めに寝ろと言ったはずだ」
 相も変わらず無表情なヒューマンのご主人様。…でも流石なもので、こんな朝早くだというのに、
 ご主人様はちっとも眠そうではありません。
 早く休むつもりではあったのですが…、そのぅ…。
 言えないよねぇ…、今日お渡しするバレンタインのチョコを作っていたので遅くなった、なんて。
 めちゃめちゃ怒られるに決まっています…。…ご主人様ってば、絶対理解してくれそうにないもの…。
 あくびで滲んだ涙をごしごしと擦りながら、私はご主人様の後について歩いていく。
 ガーディアンズコロニーは午前五時に照明が灯ります。お店はまだ閉まっているけれど、
 コロニーの中はもう、いつも通りの明るさを取り戻している。
 時間が時間だけに通りを歩いている人なんて私たち以外にありません。
 こんな時間に外を歩くことなんて滅多にありませんから、…違和感がすごい。
 常日頃と何も変わらない景色なのに、誰一人の存在もない空間。
 …まるで、どこか遠く遠くで置き去りにされてしまった、未踏の遺跡のよう。
「あ、小ビーストさんのお部屋、この近くでしたね」
「そこの角を曲がった先の宿舎だ。…こんな早朝だ、挨拶に寄るわけにもいかんがな」
 確かに。普通の人はまだぐっすり眠っている時間ですしね…。
 今日はパルム奥地への遠征です。お陰でこんな時間から出発しなければなりません。うう、眠い…。
 スペースポートを向かう道すがら、私とご主人様はコロニーのロビーに出る。
 普段は人でごったがえしているけれど、やはりここも無人だ。
 バレンタイン用のロビーオブジェにも光が灯っているけれど…、
 誰もいないロビーで輝くそれは、何だか言い知れない寂しさに包まれているように見えた。
 …いえ。違います。無人じゃありませんでした。
「あれ?」
「ああ」
 私が気付いたことに、ご主人様も気付いたようです。
「…430さん?」
 ロビーのベンチに腰掛けて、独りぼんやりとバレンタインオブジェを眺めているのは…、
 私の良く知るPMでした。GH-430。私の視覚センサーが識別番号を確認する。GSS253-A5。
 間違いない、小ビーストさんのところの430さんです。
「早いな?」
「うわ!」
 近付く私たちに全く気付いていなかったようで、430さんはご主人様に声を掛けられると、
 仰天したようにベンチから飛び上がる。…あれ? 今何か懐に隠しませんでした?
「ひゅ、ヒューマンに410…、ですか」
 あわわと慌てて、430さんは懐に隠した何かを遠ざけるように、私たちへと斜めに体を向ける。
 ははぁん…、わかりました。女のカンです。…430さん、それ、チョコですね?
「珍しいな、君一人か」
「…早くに目が覚めてしまったものですから。朝食の支度をするにも早過ぎますし」
「早起きは悪いことではない。…俺の410にも見習わせたいくらいだ」
 …グサっと来た。すごく。
「ミッションですか?」
「ええ。パルムの奥地まで行かなければならなくて。それでこんな早くです」
「出立時間の早さは問題ない。前日には十分な休養を取れる時間はあったはずだ」
 どーやら、ご主人様は私が眠そうなのが相当気に入らない様子です…。
 うう、ご主人様の為に遅くまで起きていたっていうのに、報われません…。
「始発便ならもうあまり時間はありませんね。…いってらっしゃい。お気を付けて。
 私ももう少ししたら…、その、朝食の準備に戻りますから」
 …なん、だろう…。
 430さんはいつも通り。…この人の二面性は知っているけれど、「白い方」の
 いつも通り。口調にも表情にも変わったとこなんてどこにもない。なのに…、

 今目の前にいる430さんが…、全くの別人にしか、思えない…。

 ご主人様はそれから430さんと二言三言別れの挨拶を交わして、一礼すると、
 何事も無かったかのようにスペースポートへの道を歩き出す。
 私は随分それが気になったけど、ご主人様の後を追って走り出す。
 肩越しに振り返れば、430さんが笑って手を振っていた。
 …何でだろ。何でその笑顔が、私には…、――泣いてるように見えるんだろ…。
 どうしても気になり、私が感じた違和感をご主人様に伝えようとした、その時、

「…あの」

 随分と遠ざかったしまった430さんが、ふと、私たちに声を掛けてきた。
「どうかしたか?」
 立ち止まって振り返るご主人様に、430さんは、
「ヒューマン。貴方にとって、PMとは何ですか…?」
 そんなことを、聞くのだった。
「どういう質問だ?」
「何となくです。…答えてくれなくても結構です」
 見下ろすご主人様と、見上げる私と、その視線がばったりと合う。
 何だか途端に気恥ずかしくなってしまって、私は慌てて視線をそらした。
 うわ、うわ…、顔熱い…、赤くなってるよねこれは…。
「なかなかに返答に困る質問ではあるが…」
 ぽん…、と、ご主人様の大きな手が私の頭に乗る。
「言葉通りの意味であり、そうではない気もする。
 パートナーマシナリー。それは、俺にとってのパートナーであり…、
 そして、ただ言葉だけのパートナーではない気もする。
 微妙なところだ。上手く言葉に出来そうにない」
 女心を心得ているような、いないような、そんな、ご主人様らしい不器用な言葉だった。
 私には…、「この人」という人柄を知っている私には、これ以上ないくらい、嬉しい言葉でもあった。
「…そっか」
 430さんは笑う。苦笑いのような、微笑ましい笑顔。でも…、
 私には、遠目にだけれど、…やっぱり430さんが泣いているように見える…。
 ご主人様には…、どう見えているんだろう…。
「返答が形にならなくてすまないな」
「いいえ。…十分ですよ」
 音も、人の気配も、何一つない距離を挟んでの会話。
 430さんはやがて、ふらりとベンチから立ち上がると、どこかへと歩き出す。
 …変、ですよね。そっち、ガーディアンズ宿舎の方向じゃない…。
 ご主人様も随分と訝ったようだけど、結局、とん、と私の背を軽く叩き、
 スペースポートへの道を再び歩き始める。

「おい、クソヒューマン」

 不意に私たちの背中に掛かったそのとんでもない言葉に、私とご主人様はぎょっとして振り返る。
 そこには、どこかへ歩き始めていた430さんの、肩越しの顔があった。
 めちゃめちゃなツリ目に、凶悪な笑顔。…何でか知らないけど、「黒く」なってる…。
 わ、私たち、何か気に障ること言ったんでしょうか…!?
「…なんだ、あれは」
「…あの人、実は二面性がすごいんです…。ご主人様は、見るの初めてですよね…」
 流石のご主人様も仰天したのか、顔を引きつらせて私に聞いてくる。
 そして、ぎょっとして固まっている私たちの耳に聞こえたのは…、

「その410大事にしろよな。…私の大事なダチなんだ。良くしてやってくれよ。

 ――それと…、

 もしも私がいなくなったら、ご主人様をよろしく頼む。…泣かせんじゃねーぞ」

 …え…?
「おい!」
 声に詰まる私と、咄嗟に声を掛けるご主人様。
 そんな私たちを置き去りにして、430さんはもう振り返らず、ロビーから走り去っていくのだった。

「…430さん、何が、言いたかったんでしょうか」
「…さてな」
 コロニー4F、各惑星へのシャトルポートが入口を連ねる通路を、私たちは歩いていく。
 胸に鉛を詰まらせたような、重い重い違和感を抱えながら。
「まるで…、もう私たちに会うことがないみたいな…」
「――憶測は胸中にしまえ。口に出すな。解答の無い自問を形にするな」
「…すみませんっ」
 ご主人様の叱責は、…鋭いものだった。そして、まるで自分にも言い聞かせているような声でした…。
「シャトルの出発まで時間がない。…シャトル内での通信が許可される状態になったら、
 直接あのビーストの子に聞いてみる。だから今は不要な憶測に気を乱すな」
「でも、もしも…、状況が、本当に一刻を争う事態だったら…」
「俺たちはガーディアンズだ。俺たちが受けるミッションには意味があり、
 その成功がもたらす結果の為に、俺たちは全力を尽くさなければならない。
 気になったから、心配だったから、そんな理由で引き受けたミッションを破棄するわけにはいかない」
 言いながら進めるご主人様の歩調は、いつになく速いものでした。
 一刻も早く、状況を確認出来る場所に急ごうとしているかのように。
 …心配、なんだ、本当はご主人様だって。
 その速い歩調に追い付こうと、離れ気味だった距離を縮める為に足を速めて…、

 …くろいねこさん、おなかいっぱい
 …しろいねこさん、ともだちいっぱい

 ふと、私はそんな歌をうたうGH-440とすれ違った。

 ――あ、れ…?

 目深に被った帽子と垂れた前髪とで、まるで顔を隠すかのような440。
 ぱきんっ。
 それは、彼女の前歯が、手にした板状のチョコレートを割り砕く音…。

 …ぶちのねこさん、しあわせいっぱい
 …とらじまねこさん、ゆめいっぱい

 私…、気付かなかった。
 いくらか時間が経ったからって、時刻はまだまだ早朝。
 スペースポートのフロアは、見渡す限り誰もいない。通路は私とご主人様以外歩いていない。
 私と真正面からすれ違う440。…どうして?
 そうしてすれ違うなら、ずっと前から、私の目には彼女が写っていたはずなのに。

 …たくさんのねこさん、たくさんいっぱい
 …ちいさなねこさん、なにもない

 私、どうして、すれ違うまでこの440に気付かなかっ――、

「おはようございます。…幸せそうなPMさん」

 …あ゛…、あ――…、
 その声を聞いた瞬間に、「私」という情報が根底から崩れ落ちた。
 右も左も、それどころか上も下もわからなくなる。渦を描いてぐちゃぐちゃに乱れていく世界の中、
 ただただ…、頭が割れるように痛い――!
「おい! どうした!?」
 よろめくようにして通路の床に転がり…、まるで立てなくなる私の体を、ご主人様が抱き起こしてくれる。
「あ……、あ…、ぅ…ぁ…」
 声が出ない…! 体が震えて動かない…! 自制の効かない涙が止まらない…!
 何…、何だったんですか今の440…!
 ご主人様の腕の中、たった今すれ違ったはずの440の背中を必死になって目で探しても、
 もう彼女の姿はどこにもない…! …消えて、しまった…。
 声を、声を聞いたんだ。そして、そう…、目を見た。彼女の、440の目を!

 濁りきっていて…、ただの一欠片の正気もない、――狂った瞳!
 その瞳が放つ…、この世の物とは思えない程の――憎悪!

 あれが…、GH-440…!? あれがパートナーマシナリー…!?
 違う…、絶対に違う…、あれは「私たちと同じ」存在なんかじゃない!
 私を揺さぶって声を掛けてくださるご主人様の腕の中で震えながら、

 私は、今日という一日に起こるであろう出来事の予感に…、猛烈な恐怖を感じるのだった。

 

 ■XX07/2/14 06:11

「いたか?」
「いえ、未だ発見出来ません。今、三班が西区画を捜索中です」
「直にコロニー内も人が増える。…何としても探せ」
 静まりかえるコロニーの中、軍靴が立てる足早な足音と、潜められた会話が木霊していた。
「裏町に入られると捜索が困難だ。隊員を二人貸せ、入口に網を張る」
「了解」
「ターゲットは情報部職員だが、警備部に所属していた経歴がある。
 負傷して退役したが名手だ。A級戦闘訓練課程を修了している者を二名頼む」
「オウル、シュライク、一斑班長に同行しろ」
「オウル了解」
「シュライク了解」
 ガーディアンズの組織形態、命令系統というものは…、悪く言えば大雑把なものだ。
 事務職にあって上意下達が存在するのは仕方のないものだが、
 現場で動く者たちは、存外にフリーである。上級隊員、教官職員の命令の遵守と言っても、
 それはどこか就業規則というよりも、スクールの部活動において、先輩、教員の言い付けを守るような、そんな雰囲気が色濃い。
 だが彼らは違っていた。行動、口調、雰囲気、どれを取っても、彼らを軽々しく表現する者はいない。
 …彼らはまさしくの軍隊だった。命を奪うことを職務とする、猟犬。
 ガーディアンズにあって、ガーディアンズではない者たち。
 そんな彼らが跋扈する…、非日常の朝。

「ぶはぁっ!」
 諜報部職員たちの去っていったフロアの片隅。路地に置かれたゴミ箱の蓋が、がぼんっ! と持ち上がり。
「おっさん! 何だかどんどん人増えてるぞ!」
 生ゴミまみれの440が悲鳴のような細い声を上げる。…髪には魚の骨が刺さっていた。
「…おまけに武装がマシンガンになってたな…。コロニー内での戦闘許可が下りたのか…。
 どんだけイカレた連中だ」
 ごがぽ、と、ゴミ箱の隣のポリバケツの蓋が開く。中からのそりと顔を出すのは、440の所有者である男。
 …ちなみにこちらの頭にはリンゴの芯が乗っている。
「何であんな物騒なモンぶらさげてんだよ! 何の為に!?」
「是が非でも俺をふん捕まえたいんだろ」
 服を掴んで食って掛かってくる440に、男は苦笑いを浮かべて見せる。
 …本当は、そうではないことに気付いていた。殺害する気だ、自分のことを。
 だがそれを言えば440はパニックを起こすだろう。…だから伏せる。
「裏町に逃げ込むつもりだったんだがな…、今の話じゃ先に行かれちまったな」
「ど、どうすんだ…?」
 ただ逃げ回っていたのではいずれ見付かる。それにそれでは意味がない。
 何とかして裏町に逃げ込み、あの女帝と合流しなければならない。
 それに、裏町はコロニーの吹き溜まりだ。千を超えるアウトローが作る巨大スラムは、
 捜索に手を尽くしきれる場所ではない。
 いざとなれば強行突破…、か。男は身に付けてきたハンドガンとセイバーのグリップを確認する。
 現役時代の装備だ、性能は熟知している。が…、退いて長い自分に、これがどれだけ使いこなせるだろう。
「八時も過ぎればコロニーが人で活気付く。幸い今日はバレンタインだ、人出は多い。
 人混みに乗じて行動するしかないな」
 分の悪い賭けだが、玉砕特攻をかけるよりはマシだろう。…440もいる。危険な橋は渡れない。
「あと二時間以上じゃないか…。コロニーも明るくなったし、大丈夫なのか…?」
「任せろ。こう見えて警備部時代は凄腕だったんだぞ。特にスニーキング(隠密行動)に置いちゃ神技と…」
 得意満面に言う男の言葉の最中…、
「…向こうで話し声が聞こえた。調べてくる」
 通りの向こうから…、猟犬の声が。
 馬鹿ぁああああああああああああああああああああ! と、440が口パクで絶叫した!
 顔色を失った二人が同時に、ゴミ箱とポリバケツの中に引っ込み、蓋を閉じる!
 暗い密室の中…、的確に二人の元に近付いていく足音。
 近付くにつれ、足音だけでなく、身に付けた銃器の金具が立てる、カチャカチャという音まで聞こえてくる。
(くそ…、怖いだろうけど我慢しろよ…、440!)
 隣のゴミ箱の中で震えているだろう440を思い、拳を握りしめる。
 男はポケットに手を伸ばして携帯用作業ツールを取り出し、その中から手探りで小型ナイフを取り出すと、
 物音を立てないよう注意を払い、ポリバケツの内側から小さな覗き窓を開ける…。
 諜報部の職員はもう目の前だった。唐突に見えた黒い服装に心臓が竦み上がる。
 職員はマシンガンを携えたまま、油断なく周囲を窺っている。
 この場所に自分たち以外の人間はいない。この、路地に無造作に置かれたゴミ箱とポリバケツに気付かれれば…。
 職員がマシンガンに手を掛けるのが見えた。
(おい…、おい…、まさか…)
 銃口が、ゆっくりと…、ゴミ箱に向けられる――!
 職員は優秀だった。発見した後で戦闘行動を取るよりも、隠れているとおぼしき場所ごと
 破壊してしまう方が能率的だ。間違っていたところで、ゴミ箱が一つ粉々になるだけ!
 ゴミ箱の中に何者かがいる確証はないのだろう。職員の動作は遅い。トリガーに指をかける動作まで見える。
 だが…、ゴミ箱の中には440がいる!
「く――!」
 男がポリバケツの中から飛び出すのと同じくして――、

 ドガァッ!

 ゴミ箱とポリバケツの隙間から唐突に伸びたしなやかな足が、職員の鳩尾を直撃する!
「…な゛…」
 突然の奇襲を受け、身を折って呻く職員の襟首を、槍の如く突き出された手が掴み上げ…、
 瞬く間に、職員の顔面を路地の壁へと叩き付けた!
 声はもう上がらない。鼻骨が折れたのか、鼻から血を撒き散らす職員の首筋に、
 身を翻して勢いを付けた肘が叩き込まれる!
「間一髪…、ですか?」
 完全に気を失い、ずりずりと壁を擦るようにして倒れ込む職員の傍らに佇むのは…、
「アンタは…」
 男には見覚えがあった。ニューマンの女性。…確か、あの女帝に「ご主人サン」と呼ばれていた…、いや、それよりも!
「440! 無事か!」
 がぼん! とゴミ箱の蓋を持ち上げて中を覗き込むと…、
「お、お、おっざん…、おっざん…、じ、じぬがどおぼっだ…」
 涙と鼻水で顔を滅茶苦茶にした440が、ぶるぶると震えながら身を丸くしている。
 その姿に、背骨が抜け落ちるような安堵感を感じ、男は息を吐き出す。…無事だ…。
「諜報部はツーマンセルが基本。…近くにこの職員のバディがいます。お早く」
「あ、ああ。しかし、アンタどこから…」
 恐怖で未だに動けずにいる440を抱きかかえながら聞くと、
 ニューマンは、近くのマンホールを指さした。半開きになっている…。
「どっから出てくんだ、アンタは…」
「ポリバケツの中から出てくる人に言われたくはありません」
 ニューマンは真顔で言い切って、素早くマンホールの中に飛び込んだ。

「何かといざこざの多い裏町です。…長く住んでいる人間は、あちこちに通じる抜け道に精通しています」
 ペンライトの小さな明かりを頼りに、ニューマンは地下通路を進んでいく。
「なるほどな、修理業者用の通路か。盲点だった」
「迂闊に使わない方が良いでしょう。道に迷うだけですから」
 コロニー中にそれこそ血管の如く張り巡らされた、各種パイプとケーブルの通路。
 枝分かれも激しく、知らない者では目的地になど到底辿り着けない。
 ペンライトの光と足音に驚いたネズミが、時折鳴き声を上げて走り去っていく。
 それがまた怖いのか、抱き上げられたままの440は、しっかと男に抱き付いていた。
「それにしても、良く俺たちの場所がわかったな」
「先日お会いした際、450の指示で発信器を取り付けさせて頂きました。
 …こうなることが予想出来ておりましたので」
 す、とニューマンの手が男の上着のポケットに伸び…、彼のタバコの箱を取り出す。
 細い指が箱の中から摘み上げるライターには、小さなシールが貼ってあった。
「…なるほどね」
 上手い手だと思った。服は着替えるが、タバコ吸いならタバコとライターは常備する。
 貴重品と違ってどこででも出し入れするものだから、発信器を取り付けるのも楽だったろう。
「アンタのボスに会いに行くところだった。…アンタに言われた例のハッキングプログラムの断片も…、こいつが持っている」
 ぽんぽん、と440の背を叩いて言うと、ニューマンはこくりと頷く。
「…おっさん」
 その440が、胸に抱かれたまま、ぽつりと言う。…どこか不機嫌そうに。
「誰なんだ…、その、この、…女の人」
「…お? はっはっはっはっは、何だ、一人前にヤキモチかぁ? んー?」
「ち、ちがぁわぁっ!」
 ごめす、と、440が放った小さな拳が男の顔面のど真ん中に炸裂する。
「ちょ! ばっ! 鼻折れる! 歩かすぞおまぁっ!」
「やだネズミ怖い」
 ぷい、と腕の中でそっぽを向く440を睨み付け、男は先を歩くニューマンの背中に目を向けた。…鼻を撫でながら。
「心配するな。…今じゃガーディアンズより信用出来る人だ。ぶっちゃけマフィアだけどな」
「ま、まふぃあって…」
 口をぱくぱくさせているのは440ばかりで…、聞こえてはいるだろうが、ニューマンの女性は全くの無反応。
 振り返りもせず、ただ黙々と通路を歩き進んでいく。
 あの450も十分に底の知れない者だったが、こちらの「主」も同じく底が伺えない。
 色々聞いてみたいこともあるのだが…、どうにも話しかけられる雰囲気になかった。
「裏町裏町って言うから何かと思えば! おっさんいつからマフィアと付き合うようになったんだよ!
 友達は選べって散々言ってるだろー!?」
「キンキン喚くな! 音が反響してたまらん! 鼓膜が破れる!」
 どこどこと胸を叩いて言ってくる440に辟易しながら、ふとニューマンを見ると…、
 今まで振り返りもしなかった彼女が、肩越しにこちらを見ていた。
「あ、すまんな、うるさくて」
 その無表情な瞳に自責の念を感じ、思わず反射的に謝ってしまう。
 が、
「…貴方はPMと仲が良いのですね」
 彼女の口から出たのは、騒音を咎める言葉ではなかった。
「手が掛かってたまらんよ…、って鼻引っ張んなァッ! イテェッ!」
「PMを見れば…、貴方が如何にPMに接してきたか、良くわかります」
「…少しワガママに…、育てすぎたがなっ!」
 男は440の腰を両手で掴むと、目一杯に手を伸ばし、暴れる440を体から遠ざける。
「むきー! 不良! この中年不良ー!」
「事態が事態なんだ、納得しろ馬鹿娘ぇっ!」
「…PMにとって、主いうのは、まるで鏡のようなものですよ。
 育てた主に似て育つか、育てた主に欠けた物を埋めるように育つか、そのどちらかであることが多いんです」
 気になり、男がニューマンへと目を向ける。…彼女がこんなに喋るのを聞くのは初めてだ。
 彼女はこちらに向けていた顔を、再び通路の行く先に向けるが…、
「彼女たちには心があり…、感情があるのですからね」
 男の瞳が、微かに陰る。
 どうしてPMは心を持ったのか。
 どうしてPMは、当初無かった感情を持つようになったのか。
 450から聞いたその理由を思い出し…、胸の奥が、ずきりと疼く。
「…鏡と言ったか」
「ええ」
「なら、その、写すべき鏡を、…主を持たないPMっていうのは、どうなるんだろうな」
「想像してみては如何です…?
 貴方は鏡の前に立つ。己の姿を知りたくて。でも鏡には何も映らない。
 自分は間違いなく鏡の前に立っているはずなのに、そこに貴方の姿はないんです」
 それが…、何日も何日も、何ヶ月も、何年も…、続いたとしたら…?
「――地獄だろうな」
「その通りですね。…心がある者ならば…、そんな地獄には耐えられない」
 男は体から遠ざけた440の姿を見る。
 二人の話が理解出来なかったのか、暴れるのをやめた440はきょとんとしていた。
 その小さな体を、男は再び胸の中に抱いてやる。

「貴方の言うとおりです。…鏡があれば良かった。
 己の姿の全てを優しく映してくれて、己の間違いに気付かせてくれる鏡があれば…、
 彼女とて、ああも歪んでしまうことは…、なかった」

「…アンタは優しいんだな。PMに対する理解も知識も広い。大したもんだよ」
「いいえ」
 何気なくの男の言葉に、返答は早かった。…まるで、男の言葉を遮るように。
 そして、
「むしろ真逆です。…私は呆れる程に冷たい女です。PMには、特に」
 感情の無いその言葉に、男の声が詰まった。
「PMに対する理解も知識も、私のものではありません。
 それに、私はこの知識を、PMの為に身に付けたわけではありませんから」

「私の母は、PM研究の第一人者であり…、その設計チームの主任でした。
 …私は母の研究が知りたかっただけ。…それだけのこと…、だったんです」


 ■XX07/2/14 07:55

「430! 430!」
 もう部屋を何度往復しただろう。
「どこですか!? 430!」
 キッチン、寝室、ドレッシングルーム、ルームグッツフロア、リビング、お風呂…。
 それほど広くないマイルームの中を、私は430を探し回っていた。
 ベッドの下…! キッチンの物陰…! コタツの中! バスタブの中!
「どこですか…、はぅ…、どこですか! 430!」
 朝起きたときにはもう、430の姿はどこにも見あたらなかった…。
 わかっています。…わかっています。430だってどこかに出掛けることくらいあります。
 私だって…、以前ヒューマンさんに教えられました。頼りすぎていては駄目だ、って。
 だから、ちょっとくらい430がいないからって、こんなに大騒ぎしちゃいけないのです。
 わかっています…、わかっています…、でも――!
 誰もいないマイルームの真ん中で、私はぽつんと立ち尽くす。
 いつもなら、430は必ず私の見えるところにいて、私と目が合うと、にっこりと笑ってくれる。
 そのいつもの光景が浮かんで…、瞬きをした瞬間には、部屋は、やはり無人に戻っていた。
 430はいません。見ればわかります。部屋中隅々探しました。430はここにはいないのです。
 でも…、でも、違うんです――! 430は確かに部屋にいないだけだけど…!

 『本当にどこにもいなくなってしまった気がするんです』!!

 野良猫さんと喧嘩をしてくる、と言った時も、430は帰ってきました。
 私と喧嘩をしてしまって、二人それぞれ独りぼっちになったときもありました。
 でも、どんなに離れてたって、「430がいる」ことは、感じていました。
 「430がいる」という気持ちは、例えるなら、
 すごく強い色をしていて、それでいてとても暖かい、優しい気持ち。
 こんなに悲しい気持ちを感じたことは…、今まで、一度だってなかった…!
「…430…! ねぇ…、430ぉっ!」
 気が付けば、ぽたぽたと足下に涙がこぼれ落ちていました。
「ふぅ…っく…! うく…ぅっ!」
 私は奥歯を噛み締めて、涙が溢れてくる目を二の腕で拭う。
 泣いてちゃだめだ…。泣いてたら何も出来ない…。もう泣き虫は終わりにすると決めたんだ…!
 私はガーディアンズだ…、泣き虫のガーディアンズなんているもんか…!
 このコロニーに来てたくさん学んだじゃないか。たくさんの人に出会って、いっぱい教えてもらったじゃないか…!
「は…ぅ…ッ!」
 人の強さの、その色々な形を!
 430を探しにいこう。いないのなら探しにいこう。待ってたら駄目だ、それじゃ何も変わらない!
 私が行くんだ、430の所に!

 そして、思い切って踏み出した一歩が、部屋の出口へと向いた、その瞬間。
「初めまして、ビーストさん。…お噂はかねがね」
 ゆっくりゆっくりとスライドするマイルームのドアの向こうから、声が。
「GH-430をお探しですか? 貴方の大事な大事なパートナーを…」
「…ど、して…、それを…?」

 あれ…? 何だろう…。何かがおかしい。私今…、何かに気付いてない…。

「さァ、どうしてでしょう? くすくす。でも、よくわかりますよ? よぅく、ね?」
 喉の奥が…、からからする。拭ったばかりの涙なんてとっくに乾いていた。
 ドアはゆっくり開いていく。それに伴って、緑色の、小さな可愛らしい服が…、
「は…、う…。貴方は…、誰…、ですか…?」
 ぎぃ…、ぎしぃ…、ぎぎぎぎぎぃぃぃいいいいッ!
 わかった。…気付いた。この人…、この人…、
 私は…、「気付いていなかった何か」に気付くと同時に…、ぺたんとその場にへたり込んでしまった。
 マイルームのドアは…、こんなゆっくり開かない。
 ドアにはロックがかかっていて…、ほら、ランプは赤のままです…。

 ぎぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃっ!

 この人…、ロックのかかったドアを…、強引にこじ開けてる…。

 嘘だ…、嘘だ…! 人の力なんかでこじ開けられるものじゃないのに…!

「…は、う…。出て行って…、ください…」

 ドアは、軋んだ悲鳴を上げながら、ゆっくりとゆっくりと開いていく。

「出て行ってください…、出て行ってください…、…出て行ってください…!」

 無理矢理にドアをこじ開ける、その声の持ち主の姿が、少しずつ見えてくる…。

「出て行って…、出て行って…、おねがい…、出て行ってくださいです…!」

 逃げ出したいくらい怖いのに…! 意識が、視線が、その人に釘付けになってしまって、動けない…!

「お願いです! 出て行ってください! 怖いのです! お願いですッ!」

 羽の飾られたブーツ…、緑色の可愛らしいスカート…、背高のっぽの帽子に…、藍色の短い髪…、
 そして少しずつ少しずつ…、頬から、彼女の顔が露わになっていく。

「出て行っ――!」

「…Humpty Dumpty sat on a wall」

 不意に、歌が聞こえた…。その声音にぞっとして…、私の声が…、死んでしまう…。
「…Humpty Dumpty had a great fall」
 彼女…、GH-440が歌う…、可愛らしくて…、怖い、…歌。
「…All the king's horses and all the king's men」
 がごぎんっ! と、不意に鳴り響いた凄まじい音に体が竦み上がる。
 …無茶な過負荷を強いられたマイルームのドアが、完全に崩壊した音だった。

「…Couldn't put Humpty together again!」

 私は、見た。
 こじ開けたドアから半分だけ覗かせる、彼女の顔を。そのGH-440の表情を。
 微かに俯いているせいか、垂れた前髪の合間に覗く、陰った赤い瞳。
 まるで表情を…、いえ、それどころか、生気すら感じられない、真っ白な顔。
 このドアをこじ開けたのは彼女なのか、今歌っていたのは彼女なのか、
 それすら定かにならないほど、その表情はあまりにも静まり返っていて…、

「よん、よん…、ぜろ…、…さん…?」

 思わずかけた私の言葉に、440さんはゆぅらりと顔を上げると…、――笑うのだった。

「だぁいじなこねこ、みぃつけたァ…」

 人形のように真っ新だった彼女の顔が…、豹変する…。
 あり得ないほどに見開かれた瞳は、どす黒いまでに赤々と揺らぎ…、
 にぁあ…、と笑う口元が、顔を横に割るほどに裂け――、

 そして、ただただ言葉を失って震える私の前で、

「あぁあははははははははははははははははははははははははははははははははは
 はははははははははははははははははははははははははははははははははははは
 はははははははははははははははははははははははははははははははあぁァッ!」

 狂気に彩られた笑い声が…、…爆発した。

 ■XX07/2/14 08:37


 …その部屋は、もう、私の見慣れた部屋ではなくなっていた。
 一体どんな力が加わったのか、ロックを無視してこじ開けられたドアは完全に崩壊し、もはやぴくりとも動かない。
 その開けっ放しのドアの向こうは、ルームグッツのフロア。
 ご主人様が一生懸命に集められた11本のオハナミ。
 訪れる人をして感嘆のため息をもらす桜の杜は…、見るも無惨なものだった。
 開花環境を保つ為の保護ガラスは根刮ぎ割り砕かれ、床は一面、桜の花びらとガラスの欠片だらけだ…。
「すげぇ音がしたんだよ…、誰かが滅茶苦茶に暴れてるみたいな…」
「なら見に来て止めれば良かっただろ…、どうすんだこれ…」
「来られるかよ…。なんか、おかしかった、変だったんだ、…誰かが、ぶっ壊れたみたいに笑ってた…」
 ハリケーンの直撃でも食らったかのようなマイルームの入口近くには、近隣のガーディアンズたちが集まっていた。
 近所付き合いをしている連中だ…、見知った顔も多い。
「…あ、おい――」
 人垣の外から、ふらふらと…、まるで吸い込まれるかのように部屋の中へと歩いていく私に気付いたのか、
 人混みの中の誰かが声を掛け、私に手を伸ばしてきたが…、
「…退けよ」
 呆然と呟いた私の言葉に、その手は凍り付いた。動かなくなったその手の下を通り抜け、
 私は、誰もがその異質な光景に怯えて立ち入ろうとしないマイルームのドアをくぐる。
 ぱき…、ん。
 部屋に踏み込んだ一歩が、足下のガラスの欠片を割り砕く。

 嫌な予感がした。…虫の知らせとでも言うのだろうか。
 この事件が終わるまで、私は「ご主人様のPM」であることを捨てたつもりだったけど…、
 どうしても心配になって、…見に来たんだ。
 寝坊はしていないだろうか。朝ご飯はちゃんと食べただろうか。…私が突然いなくなって、狼狽えていないだろうか。
 この一度だけ確認したらもうここには近付くまいと、女々しい考えに苦笑しながらここまで歩いてきて…、
 私が見たものは、惨劇に集まった人垣と、その隙間から見えた…、この光景。

「…どう、して…」

 私は一人、マイルームの真ん中で立ち尽くす。
 部屋の中には私だけ。私以外誰も部屋には立ち入らない。
 …そして…、ご主人様もいない。
 真二つに割り砕かれたコタツ。ずたずたに裂かれた壁、天井。ご主人様がささやかなお小遣いを
 貯めて集められたニューデイズの置物も、皆容赦なく叩き壊されていた。
 まるで…、この部屋が私たちの部屋である為の条件を…、根刮ぎ奪い去るかのように。
 ガラスの破片と、置物やコタツの木材と、壁や天井の残骸とを踏み締めて、私は歩く。
 ご主人様のデスク。その上に、写真立てが一つ転がっていた。
 知ってる。…二人でミズラギの観光地に遊びに行った時に撮った写真。
 カメラを向けられたご主人様はカチコチに緊張していて、私は、そんなご主人様の
 腕にしがみつきながら、満面の笑顔でピースサインをしている…、そんな写真。
 二人の後ろに広がる真っ赤な紅葉が、とても綺麗で…。私とご主人様の、お気に入りの一枚。
 写真立てを手に取るなり…、割り砕かれていたガラスがぱらぱらと足下に散らばった。
 フレームはガタガタ。立てる為の足も砕けていて、もう写真立てとしての価値を失っている。
 でも…、写真は無事だった。
 あの日に撮った幸せな景色が…、ズタボロにされた写真立ての中に収まっている。
 …感情が…、出てこない。
 涙も出ない。声も出ない。今自分が何を思っているのかもわからない。
 ただ…、ずきん、ずきん、と、…私の小さな体の、その一番奥が、猛烈に痛い…。
「…ガーディアンズ諜報部だ。この件については諜報部の預かりとなる。各自自室に戻れ。
 なおこの件を口外することは許されない。秘匿事項であることを通達する」

 部屋の外から、そんな声が聞こえた。
 本部に通報した物が野次馬にいたか…。通報対象場所を知った諜報部が出てきたんだろう。
 ガーディアンズ一の嫌われ者を前にして、野次馬どもが何か遠慮がちな文句を言っているのが聞こえる。
 せいぜいそんなもんだろう。…本気で食って掛かれば明日には免職になる。
 諜報部の権限は絶大だ。…殺し屋ども風情が、分不相応にも。

 数人の諜報部員が断りもなくマイルームに入ってくるのを背に感じながら…、
 私の目は、ふと、近くのビジフォンを見る。
 これだけ念入りに、呆れるほど周到に破壊された部屋の中、全くに無傷のビジフォン…。
 そこには、私宛のメッセージがあった。

    * * * *

 チョコレートを贈りましょう。誰かの手から、誰かの手へ。
 焼け付くほど甘いチョコレートを鋼鉄のラッピングで飾って贈りましょう。
 今日はバレンタインデー。
 だから、私の手から、私たちの世界へ。
 とても素敵なショーをご用意しております。お越しになりませんか?
 貴方好みの素敵なスイーツもご用意しております。お越しになりませんか?
 本日18:00。オロール展望台にてお待ちしております。

    * * * *

「GH-430、現場の確保をする。退室しろ。気が焦るのはわかるが今は――」
 諜報部の男が、ビジフォンの前から動かない私の肩に手を掛けた。
 私は、す…っ、と右手を振り上げると、
 ――ドガァッ!!
 これ以上ない程固めた拳を、鉄槌の如く、ビジフォンへと振り下ろした。
 猛烈な音と共に火花が爆ぜ、モニタはただの板屑に変わる。
「――430!」

「触るな」

 私はゆぅらりと振り返る。
 私の背中を囲んでいた諜報部の連中が、顔色を失って一歩踏み下がるのが見えた。
「私の体に触るな。私の名を呼ぶな。私に物を言うな。――殺すぞ」
 ぞくぞくと、耐え難いほどの怖気が腹から背中へと駆け抜ける。
 焼けるほどの寒さ、凍えるほどの熱さ、その二つに、私の、感情という感情が死んでいく。
 砂となって崩れる感情が、私の手の中からさらさらとこぼれていく。
 何も残らない。でもそれでいい。邪魔なだけだ、コンナモノ。
 諜報部としての任務を受けて、色々な物を捨てたつもりだったけど…、
 全然足りていなかった。私は馬鹿らしい程に甘かった。そう、まるでチョコレートのように。
 大体にして…、捨てる覚悟なんか無かったじゃないか。
 終わったら全て元通りにしようなんて…、甘さ以前の問題だ。吐き気がする。
 私は多くを持ち過ぎていた。
 「殺せ」という、たった一言の命令文があれば良かったんだ。
 他の全てはみんな邪魔。無駄なだけ。こんなものは必要ない。

 そうだ、そんなもの、全部シンデシマエ。

 私は歩き出す。怯えて道をあける諜報部員どもには目もくれず。
 机の上、たった一枚無事だった私たちの写真。
 ああ、私は、せめてこれだけでも大事に持って行こうと思っていたはずなのに…、

 今はもう、…「そんなこと」には興味がなかった。

 殺す。殺す、殺す、殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!

 殺してやる――、GH-440!!





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