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第三十七章「雲散霧消」


――カタカタ。

コンピューター室の時計の針は8の字を指す。
薄暗い部屋に、キーボードを叩く音だけが木霊する。

――カタカタ。

ブラインドが下げられた部屋に灯りはなく、パソコンの画面だけが怪しく光っている。

――カタカタ。

そして画面に食い入る男が一人。文字を打ち込みマウスを操作し、時に煙草をふかせては、暗く照らされる口元を歪ませる。

――カタカタ、カチッ。

クリックの音がやけに響く。その男はプリンタが吐き出した一枚の紙を凝視すると、また煙草をふかせた。

――カタカタ、ガラッ。

今までとは明らかに異なる音に男は驚いた。
口から落とした煙草をポケットの中にある携帯吸い殻入れに押し込み、ディスプレイの電源を落とす。


「……この臭い…。喫煙は退学処分だが……」

訪問者の声もまた男。
僅かな光源すら失った室内に足音が反響する。

「ははは嫌だなぁ…誰も煙草なんて吸って……」

男の言葉が途切れた。
訪問者が教室の電気をつけた為に、お互いの顔が露わとなった。


「――何度目だ、洋食」
「……忘れたよ、魚京」


椅子に座って笑う洋食と
険しい顔で佇む魚京。

二人は蛍光灯が照らす部屋で対峙した。

「……はぁ」

魚京の口から溜め息が漏れる。やれやれと言わんばかりの表情を浮かべながら。

「懲りないな、お前も。己(オレ)に見つかった回数は既に100を越えているぞ?」
「じゃあお前への借りも100を越えている訳ね」
「己以外の風紀委員に見つかっていたら、今頃はこの校舎内にはおれまいというのに」
「いいんだよ、お前以外には見つからないからさァ」
「……それでも生徒会長候補か……?」

気軽に言葉を交わすこの二人は旧知の仲である。
風紀委員の腕章を付けた魚京は、二学年の風紀委員のリーダーを勤めている。
片や、椅子に腰掛けてタバコをふかしている洋食は生徒会長候補。綺羅祭壇の構成員でもある。

「…ゲホッ。洋食、タバコを吸うなら窓際で吸ってくれ。己がタバコ苦手なのは周知だろう?」
「あー、悪いね」

洋食は席を立つと窓に向かう。窓を開けたすぐ先は闇だった。

「うへ、随分としけってる。霧でも出てるのかねぇ」

洋食は紫煙を闇に漂う霞と混ぜ合わせて遊んでいる。
その間に魚京は洋食が使っていたPCのディスプレイを起動させた。

彼の眼に映ったのは一枚の記事だった。
写っているのは三人の男子生徒。
手前に写る生徒が、奥の少年の一人に殴られている。


彼はその三人を知っている。
奥に佇む生徒は、生徒会長候補の一人、ハク。
もう一人の少年は、ハクの友人のボブという男だろう。
そしてボブに殴られている最後の生徒。それは紛れもなく―――




「俺だよ、鯨」




洋食が背中越しに言った。

「痛かったんだぜ、容赦無くてさぁ…。お陰でいい絵が撮れんだけどね」

ククッ、と洋食は笑う。
魚京は無言で立ち上がると、洋食を凝視する。その眼には哀れみか怒りか…本人でも理解できないであろう色が渦巻いている。

「洋食。何故このような小癪な手を使う?恨みを骨髄に徹さられる道を歩むのが洋食か?」

ククッ、と再び笑う。
口にくわえた煙草を放さずに、歪ませた唇から言葉を放つ。

「恨まれようが憎まれようが、勝てばいいんだっての。己の評価を上げるのと他人の評価を下げるの。どちらが楽か。聞くまでもないだろ?
俺は俺のやり方で生徒会長の座を掴む。何人にも文句を言われる筋合いはないね」

吐き出した煙は闇に溶けてゆく。
曇った空は、濁った色をしていた。

「……そうか」

魚京は洋食の言葉を聞くと、短く応えて俯いた。

そして顔を上げた彼の表情は、何かを決意していた。

「ならば洋食。自らが信ずる道に文句を言われる筋合いがないと言うならば、己もそれに従おう」

そう言うと魚京は右手をキーボードの上に持ってゆく。


「友が道を誤った時は、それを止めるのが己の道。お前にも文句は言わせない―――!」


魚京は声を上げたと同時に右手を走らせ、[Alt][F4][N]のキーを叩いた。
その一瞬でディスプレイに表示されていた記事は跡形もなく消えてしまった。


「洋食!今一度考え直せ、自分が掴むモノを、掴む為に失うモノを!」


魚京の声が静まった後に弾けた音は、変わりない洋食の笑い声だった。


「理想だけじゃ現実なんてどうにも出来やしないんだよ、鯨。俺は力を掴むためにはどんな道だって歩くし、どんな手をも使ってやるさ。
お前が消した記事だって、今も手に持ってるしねぇ」

ポケットから取り出したのは一枚のカード。それは写真を撮影したデジカメのメモリーカードだった。

「残念だったねー鯨君。お前がハクに味方してるのは気付いてた。だが……あと一歩足りないねー」
「何を―――」

魚京が間合いを詰める前に、洋食は制服の下のホルスターから拳銃を取り出し、銃口を魚京に向けた。

「おっと……駄目駄目。このメモリーカードにしかバックアップしてないんだから。こいつは譲れない」
「………」
「奪おうとしても無駄だぜ?俺の相棒が火を吹くぜい?」

洋食は銃を魚京から離さない。だが魚京は無表情に答えた。



「洋食、油断大敵という言葉を知っているか?」

「それがどうした?」

「……教えてやるよ、こういう事だと!」


魚京が右腕を水平に上げた瞬間だった。
バサッ、という音と共に、窓から『何か』が突撃してきた。
その衝撃で洋食は弾かれ、尻餅をついてしまう。



見上げた先にいたのは、右腕の篭手を露わにした魚京と、それに止まる一羽の隼(ハヤブサ)。
赤い甲冑を装備したその隼の嘴には、先程まで手にしていたメモリーカードがくわえられていた。


「このメモリーカードは預かるぞ」

隼からカードを受け取り、制服のポケットに擦り込ませる。
呆然としていた洋食だが、我を取り戻すと再び銃を向けた。

「やらせないよ。邪魔をするなら、鯨と言えど容赦はしない」

それを背中で聞いた魚京はこう答えた。


「……玩具の銃で何が出来る?」
「………」

洋食の引き金を引く指に力が籠もる。
だが魚京の言葉は途切れなかった。


「俺は、洋食という人間は決して銃を友達に向ける人間でない事を知っているからな」



「さらばだ洋食。次会うときは、お前らしい策を期待してるよ」



そう言い残して魚京は教室を去っていった。
洋食は最後まで指先を動かすことはなかった。








闇に一筋の紫煙が流れてゆく。
一人、洋食は暗い窓から空を見上げて煙草をふかしていた。


「……『洋食という人間は決して銃を友達に向ける人間でない事を知っている』、か……。
言ってくれたもんだよ。お陰で引き金を引けなかったじゃないか」


洋食は無造作に校庭に立つ樹木に銃を向けると、躊躇いなく引き金を引いた。
小さな炸裂音が月のない夜に響く。
鉛弾は見事に木の幹にのめり込んでいた。

「……鯨に免じて、この策は捨てるかな」

洋食はポケットから一枚の記事を取り出すと、ライターで燃やしてしまった。


煙草を指でつまみ、最後の一口を吸いほす。
吐き出した紫煙が、黒の雲に散り白の霧に消えていった。


fin