邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ 群青少女-前-

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

赤石 紅子を語るにあたっては、まず屋上の存在を欠かせない。
彼女は煙となんとやらでは無いが、高い所が好きな性分で、屋上に行けばその姿を見る事が出来た。
人と話すよりは景色を眺めるのが好きで、特に空を、また極めて青空を視るのを好んでいたから、日常生活を過ごす学校の中でも、最も空に届きそうなそこは、彼女のテリトリーとして認知されていた。
だからそれは、彼女が変死体となって発見された先週においても変わらないことだった。

今となっては主を亡くした屋上が、寂しがっているかどうかは解らないが、彼女は変わり者であるにも関わらず、その顔立ちと人柄が好まれていたから、生徒たちは動揺を隠せずに居た。
私も例にもれずその一人であり、朝礼で訃報を聞かされた時には、頭蓋を掻き回されたかのような気持ちになっていた。
紅子は美術部員らしく、趣味も文化系的で、色調を考えて模様替えをしたりするのは至福の時間だったそうだ。
少々、病的とも言えるほどに青色を好んだ彼女は、至福や小物にも青いアクセントを、あくまで自然なバランスで取り入れていた。
だからその葬儀は黒や、紫、金の仏壇色よりも、棺桶に敷き詰められた、青染めされた花の絨毯が印象的であった。
名前がこれでもかと言う程に赤かったから、その反動が彼女を青へ突き動かしたのかもしれないが、その気持ちは解らないでも無かった。
そういったつながりで私と紅子は、短い間だが、それなりに親交のある関係だった。

彼女は、私が名乗る前にその名を「群青」と呼んだ、両親以外では初めての人だった。
ああ、群青と言うのが私の本名で、ついでに私の一人称の読みが「あたし」なのも注釈しておこうと思う。
それはともかく、「青春と言うには青臭すぎる性格だから」と、からかい半分での、仇名的ネーミングのつもりだったそうだ。
だとしても、思いがけずこんな奇異な名前をずばりと言い当てられた私は、本当に驚いたのを覚えている。
事実は後から知ったのだが、まあ、とにかく、私は彼女と親友未満ながらも、数少ない話せる間柄だったのだ。

そんな彼女が血の気の無い顔で、棺桶の中に横たわっている光景は、多感な年ごろの私には凄まじい印象として焼きつけられた。
今だからこそ落ち着いて振り返る事が出来るが、当時の私は落ち込むよりも、心が伽藍としたような空虚さと、現実感の無さとで
しばし抜け殻のような状態になってしまった程だった。

私がいくらショックを受けようが、泣こうが喚こうが学校は開かれているので、翌日には何事も無かったかのように登校しなければならなかったのだが、私は別段引きこもるでもなく、むしろ学業の続きに忙殺される事で、紅子を風化しようとさえ思っていた。
だが結局、その爪痕は簡単に塞がれること無く、主人公である私が軽く呆けた状態で物語は始まってしまうのだった。






四季に色づく町、古都、京都。
山河とビルが同居し、和と洋の建築が適合する風景。
現代と歴史が手を取り合って、この街の絶妙なバランスは出来ている。
住み慣れた人間でこそ有り触れたものと感じるそれは、本来とても特別な空間。
かつての都であるその町の表情は、如実に季節の色を反映する。

夏を過ぎ、緑は別の衣に染まって行くころ。
茜には遠い葉の色が、まだ日差しに未練を残す木々。
グラウンドから響く声が、心なしか張りを緩めて優しく遠く。
後半に入った暦を眺めて、ほんのり寂しくなる季節。
秋晴れの空は高く、木枯らしは冷たく肌を刺す。
雲ひとつない晴れの日の、遠く広がるキャンバスを、飛行機雲が駈けて行く。
成程、その空は夏には高く、青と言うには深く濃い。

吹奏楽の音色が、耳に心地よいとは言い難いが、賑やかな雰囲気は嫌いじゃない。
呆けた頭にじん、と響いて、夢想の中から意識を引っ張り上げる。
私は主を無くしたその屋上で、ぼんやりと雲の流れを観察している。
それに自分自身気付いたのが今の時分で、ここへ足を運んだのは無意識のことだった。

「……冷えるなあ、屋上」

教室からお気に入りのスカーフを巻いてくる頭は、ぼけっとした私には無かったようだ。
くちゅん、と軽く真の抜けたくしゃみが、吾ながらかなり情けない。
いくら秋風に吹かれてセンチメンタルになった所で、進展も後退もありゃしないんだから、いい加減に校舎へ入ってとっとと下校するべきだ。
女の子は身体を冷やしてはいけないのだ。
そうやって脳内で一人会話を交わしてから、やっと私は痺れた足を延ばして、階段を降りはじめる。

「普通に考えて放課後に一人、屋上でおやつとか寒いんだよ、いろんな意味で」

誰に向けた文句なのかさっぱり解らないが、私はとりあえず悪態をついてみるしかない。
お腹の中のもやもやが空腹のせいじゃない事が、しっかり証明されてしまったせいで、余計にそれのやり場が無いからだ。

「夏場に糞暑いんだからっ、秋は暖かくないと可笑しいじゃん、風」

多分、全国平均からすると、特に東北や北海道と比べたら俄然に暖かい秋なのだろうが、この街の気候に慣れていたら意味が無い。
京都に住んでいる身からすれば、京都の秋が寒いに決まって居るのだ。
体感温度が最適化されているのだ、季節を感じられるように。
ちょっとくらいエラーでも起こしてみろや、体温。
とか言ってたら、私の独り言を聞きつけた男子が、すれ違いざまに怯えていた。
頭脳の方は軽くエラーしてるらしい。

思考が駄目な方向にスパイラルしそうな時は、無理にでも楽しい想像へ切り替えるのが良い。
とりあえずスカーフを取って来てから、帰りは悠々と一人で寄り道しよう。
別に大勢の友達づきあいが嫌いなわけじゃないけれど、思い思いの順序で買い物するには一人の方が身軽で良い。
だからせっかく一人になれた今日に、たまにできない事をしよう。
別にいつも一人なのだけど、それは気にしない。
そう思えば自然と足取りも軽くなった気がした。

スカーフを取り、鞄も持ち、重たい教科書はこっそり置いてやっと校門を潜る。
帰り途につく人の影はまばらで、いつものプチ帰宅ラッシュの勢いは無い。
爽やかな秋には、こういう風景で良いのだ。
おかげで人混みを掻きわけて、息絶え絶えに痴漢に怯えながら地下鉄を利用する必要が無くなるのだから。
痴漢に会った事とか一度も無いけど、良いのだ。

京都の街は碁盤の目だから、新しい道を開拓してもそうそう迷わないのが良い所。
ブラつくのが趣味の人間にとっては有り難く、ブラつくのが仕事の女子高生にとってはベストプレイス。
今日は今出川まで乗って、御苑を遠目に眺めながら探索してみようかしら。
実は地元に住んでても、あんまり意識して見たこと無いし。

なんとなくいつもの道を避けてしまうのは、思い出したくない事が在るからと、気付いていないわけではない。
でもそうでもしないと、頭の上の、何だか黒くて重たい物に、ずしっと潰されて仕舞う気がするから。
そういうのはキャラじゃないから、無理にでもテンションだけでもいつも通り。
立ち直るって言うのはいつもそうしてきたから、間違いない筈だろう。

だから、わざとらしい鼻歌まで口ずさんで、カラでも元気を演出して、その足取りを地下鉄駅へと向ける。
束ねた三つ編みがぴょこぴょこと跳ねてうっとおしいのも、今日は気を紛らわせる手助けに。
意識を頑張ってベクトルを変えて、段々調子も戻ってきた。
目の前が灰色がかっていたのから、徐々に鮮やかさを取り戻して行く気すらする。
そうすれば緑と黄のツートンカラーの木々も、抜けるような青く澄んだ空も見える。
道端で咲くコスモスの紫も、傍を通る犬の茶色も。




回想では無いけど、母を亡くした直後の私は、とてもこんなに冷静では無かったはずだ。
高校受験を一年休んでしまう程なんだから、その落ち込みようは今となっては想像すらできない。
でもその分、逆に母が亡くなってから、感動と言う物が薄くなったと思っている。
あるいは、悲しい事に対して麻痺しているのか。
唯一に近い友人が亡くなった事が、心に何の痛みも与えていない訳ではないが、その関係は1年未満というものなのでまあ、案外こんなものかもしれない。

夜行列車の窓には疲れた顔が映るから好きでないのだが、地下鉄だと否応なしに暗い窓を眺める羽目になるので
できるだけ窓に背を向けて、席を取って据わりたい。
ごー、と耳鳴りの様な走行音を聞きながら、隣に置いた軽い学生鞄を撫でた。
「次は―――」と駅への到達を知らせるアナウンスが意識を遮って、そのたびに目的地への時間と距離を測る。
結構長いこと乗ってるわけだから、どうせなら読みかけの小説でも持ってくればよかったか。
地下鉄の中でケータイを堂々と弄る人もいるが、流石にそれは何となく気が引ける。
髪の毛を弄りながら、思考の海を遊泳する事で暇を潰すのが、現在唯一の娯楽である。

ただ、薄暗い線路の中でめぐらせる考えは、どうしても明るい物に成り辛い。
これから何処をぶらつこうとか、何を買ってみようかとか、そういう事を考えて居れば良いのに。
故人を忘れてしまうのは悲しい事だけども、ずっと考えていても疲れるだけだ。
それで解決する事なんかないって、知ってるんだし。

考えることすら奪われたら、あとは思考を停止して眼を閉じるしか無く。
電車の心地よい揺れは、適度に私に眠気をもたらしてくれた。

徐々にぼんやりしていく意識の中で、一瞬、寝すごしたら不味かろうという考えが頭をよぎるけど
疲弊した私の精神も身体も、眠りに堕ちて行く快感に勝てはしなそうだ。

安眠の条件には、大きく分けて四つあると思う。
適度に柔らかいシート、程良く暗い環境、安眠を妨害しない程度の静けさ。
そして重要な所に、快適な温度と言う物が有る。
春先のあの、ぽかぽかさせる陽気も勿論だが、こういった秋の日の涼しさと言うのも、寝るには非常に良い。
体温が冷えると眠気が促進され、眠り始めると体温が上がってくるため、ともかく私の眠りは、心地よく深い物だった。

まあ、今日はどの道当て所の無い散歩。
駅を2、3寝過ごした所で、そう焦る事でも無し。
見知らぬ土地なら見知らぬ土地で、新しい発見を探すのも一興だろう。
私の頭はすっかり余裕というか、油断していたのである。

<続く>