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【樹咲の】白虎地に堕つ・第一章~闇の中の孤独~【戦い】

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jyakiganmatome

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季紫 樹咲は闇を視ていた。

瞳を遮り、光を断って、無駄な物に意識が乱されることを何よりも嫌ったが故の行動だった。
しん、と静まり返った部屋の中に、大勢の人間が気味悪い程静かに鎮座している。
その中で樹咲もまた、大勢でいるがゆえに、他のどの瞬間よりも孤独を味わっていた。

精神統一。

抜き身の刀でこれから切り結ぶ瞬間、樹咲の血潮は滾り、性的快楽にも近い興奮に焼ける。
それに対して現在の状況の、なんと対比的な事か。
血が冷たく、質量が液体よりも、むしろ鉄のそれへと近く成って行くような感覚。
何度味わってもそれは慣れないものであり、樹咲から余裕を奪うに十分な現象である。

ちっ、ちっ、ちっ、ちっ。

時計の音は一糸乱れず、同じ感覚をコンマのズレも許さずに刻み続ける。
その間隔が次第に長く感じるようになっていくのは、己の鼓動が段々とその脚を速めているからに他ならない。
そうなってしまえばメトロノームのようなこの一定のリズムも、また焦りを加速させるだけの要素。
樹咲は、出来る事ならば鼓膜さえも塞いでしまいたいと強く願う。

ああ、神様。
出来る事ならば今一分、一秒、いや、一瞬だけでも長く。
樹咲の願いは虚しく虚空に消え、時間はただ、無慈悲に現実を等分し、刻み続ける。
泣けど、喚けど、その時は全ての参加者に平等に、同時に訪れる以外に選択肢を持たない。
その例から樹咲が漏れる事等、当然ながら不可能でしかないのだ。


「開始」


開眼。
無機質な声音の合図とともに、びらりと翻される無数の紙片。
まるでタイプライターを叩く時のような小気味いい音が、一斉に教室内の静寂を突き破って溢れだした。

この一瞬のスタートダッシュ。
このたった一動作に遅れるだけでも、余裕の無い者にとっては今後の命運を大きく分けるステップ。
それは時間にしてみれば微々たる差異にも関わらず、精神的安定に想像以上に関わってくる。
この瞬間に失った1コンマが、終わりを告げる鐘の前には何より恋しく思えるのだ。

樹咲は乗り切れただろうか。
否、汗で張りついた答案用紙が一瞬机を外れそうになり、必要以上の動揺と共に幕開けを迎えてしまっていた。
しかし、うろたえてはいられない。
握り締めるクーゲルシュライバー。
机の上に消しゴム、予備芯、何のために使うのか解らない定規やコンパスまで。
道具だけならば万全どころか、むしろ不要な物までしっかり揃えている。
だがそれが、樹咲の心に不思議と安心感を与えてくれた。

さあ、スタートダッシュの躓き等、本来であれば些細なこと。
全てのコンディションを整えるのは第一問。
最初の一問でリズムを作り、出来る事ならこのテストに、必要以上の緊張を排除して臨みたい。

ツール、フィジカルの準備は万全だ。
これこそが本当の幕開けになるのだ。
ピントを合わせろ。
瞳孔を開け。
全ての意識をその一問目に集中させろ。




【設問1】
織田信長が経済を活性化させるために、城下町で自由取引市場を開いた事を何と言うか。
次の中から選びなさい。
①天保の改革
②楽市楽座
③文禄の役
④参勤交代






ずだんっ、と、樹咲の全身から思わず力が抜けそうになる。

やられた。
この漢字量、間違いない。
まさか日本史のテストと見せかけて中国史の単語を織り交ぜて来るとは。
教師とはここまで汚い真似をしてでも、生徒に試練を与えようと言うのか。

今の樹咲には、教壇でほんわかした笑顔でテストを監視する純白の顔すら、酷く冷徹な物に見える。
腹立たしく、そして遣る瀬無い。
最も重要な第一問目のステップを、既に躓かんとしているのだ。

否。

ここで考える事を放棄してはいけない。
この問題は親切な事に四択形式。
たとえ答えを解らずとも、4分の1の確率で誰でも正解する事が出来る。
そのために、たった一片でも、正解に繋がる可能性を探す。
それが現在の自分に出来る、最上級の足掻きではないか。

織田信長……そう、織田信長は知っている。
今回のテスト、安土桃山時代が範囲に含まれている事を踏まえ、既に戦国BASARAで勉強しておいたのだ。
しかし、織田信長が魔王で銃を武器にすることは知っているが、経済に手を出していたことは知らない。
だとしても、選択肢の中から経済に関係ありそうなキーワードを選べばいい。

①、天保の改革
これは何と言うか、いかにも革命的な、信長に似合いそうな単語だ。
今までの法律を改正し、新しい市場を開拓した出来事の名称として相応しいように思える。

②、楽市楽座
こちらはいかにもチャランポランとして、お前は本当にやる気が有るのかと言いたい。
信長よりは秀吉に似合いそうだし、楽をわざわざ2文字も使うとかどれだけ楽したいのかと言う感じだ。
信長はそんなこと言わない。

③、文禄の役
これは……正直よくわからない。
ぶんみどりのやく……?演劇か何かだろうか。
この時代であれば歌舞伎とか浄瑠璃の単語を、それっぽくミスリードとして混ぜ込んできたに違いない。

④、参勤交代
参る、務める、交代する……字面的には非常に解り易い熟語だ。
そういえば桃太郎電鉄にこんなカードが存在したような気がするが、別に市場とか関係無かった。
まあ中国の故事成語とかそういうのだろう。

とすれば、自然と正答はその輪郭を見せて来る。

①。

答えは①だ。

総合的に考えれば、もう、そうとしか考えられない。
成程、一見不可解な言葉ばかり並べた難解な問題かと思いきや、信長の人となりを考えれば解けるもの。
そう考えると、これは非常に高度な所で完成された設問なのかもしれない。

樹咲の指先に、末端神経に血潮が戻ってくるのが解る。

この問題での得点は、何と4点。
行ける。
今回の戦、持ち直した。

再び胸にマグマの如く溢れる自身を湛え、樹咲の背筋も自然と伸びる。
まるで永久に閉ざされた凍土に、不意に訪れた春の息吹。
胸を張って進もうじゃないか。
樹咲は、最初の関門を滞りなく乗り越えたのだから。

このリズムを決して崩したくは無い。
集中力が途切れないうちに答えを記入し、すぐさま次の設問に移行するのだ。





【設問2】
この当時にヨーロッパから伝えられた文化を、漢字四文字で何と言うか答えなさい。





「がふぅうううううっ!!」
「どうしたんですか季紫さん!?吐血しつつ縁ちゃんの真似!?」


馬鹿な。
ヨーロッパ、だと?

この問題は日本史では無かったと言うのか。

1問目に中国、2問目にヨーロッパ。
もはやこれは正当な勝負ではない。
真面目に勝負に取り組む生徒に向けた、一種の頭脳的テロリズムだ。

迂闊だった。
甘く見ていた。

教師の提示したテスト範囲などという、敵から与えられた情報を鵜呑みにした時点で、私たちは負けていたのだ。

皆はこの悪魔の問いに、どうやって立ち向かっているのだろう。
私には無理だ。
ただ一人で、この悪魔に立ち向かうのは。

視界がかすれて行く。
景色が遠くなっていく。

駄目だ。
記憶を、魂を、繋ぎとめるんだ。
でも、一人だけではあまりにも、この敵は強大過ぎる。


「――――いろは」


か細く、愛しい人の名前が口を突く。
いろはは如何しているのだろう。
この恐ろしい罠に、彼女もまたうろたえているのだろうか。

いろははまだ、完璧に回復していない。
一体どれほど精神を削られ、疲弊しているか。
もしかしたら命に関わるかも……。

不安が、樹咲の目線をテスト用紙から反らさせる。
思わず、その目線がいろはの席の方を向いてしまう。

どうか。

どうか、貴方だけは無事でいて――――。


「すー………」



「 解 き 終 わ っ て 寝 て い ら っ し ゃ る ッ ッ ッ ! ! ! 」


この瞬間、樹咲の奥歯は2本砕け散った。




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