邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ トンネルを抜けるとそこは雪国だった

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がたん、ごとん、がたん、ごとん。
列車の揺れは心地良い。

揺りかごに揺られるような感触が、気付かぬうちに眠気を誘うのは道理だ。
人工的な灯りの眩しさで目を覚ました時には、車内にもう殆ど人はいなかった。

「……赤川駅を抜けたのか」

窓の外に広がる銀色の景色に、列車が山中を走っている事を知る。
しんしんと降り続ける雪の様は、普段コンクリートに囲まれた町で暮らしている身には妙に新鮮に映るもので、列車の明かりに照らされて、夜の闇にぼわっと浮かぶ姿が愛らしい。
6時間ほどの乗車が苦にならないのは、こういった日常から剥離した景色の移ろいを楽しめるからに他ならない。
東北から関東、地方の呼び名が変わるほどの距離を移動するのは、徐々に世界を渡って行っているような感覚すらある。

普通列車、北斗星4号は雛名井から発車し、主要な路線へ乗り換え可能な赤川駅でいったん停車する。
この列車に乗ったままでも邪気街駅へは辿りつけるものの、赤川で特急へ乗り換える者がほとんどなので、たいていの客はそこで降りてしまう。
自分は鈍行のゆったりとしたテンポが好きだからこそ、乗り換えせずにいるが、大概の人には小さな駅ばかり止まるこの列車はじれったいらしい。
車内を見渡す限り、雛名井から乗り続けている客は自分と我が子を除いては一人だけだった。

斜め左前方に座る少年は、おそらくこの子と同じくらいの歳だと思う。
息子の同級生の大半がそうであるように、彼には年相応の落ちつかなさが見て取れる。

列車の座席と言うのは不思議な空間で、込み合っている時には旅の道づれとして、隣に座る見ず知らずの人間の距離を繋げる、ふれあいの場となる。
しかしこうして空いている車内で、隣の景色を妨げる者が誰も居ない状況だと、背もたれで仕切られたそれぞれの列は、旅人をリラックスさせるための区切られた個室となる。
座席を回して脚を投げ出す人も、隣の席に荷物を置いて膝上を楽にする人も居るだろう。
自分も窓の額縁にお茶を置き、背もたれをちょうどよく倒し、テーブルを出して弁当を乗せて、それなりに優雅な城を築いているわけだから、つくづく例から外れられない性分だと思ってしまう。

しかしながら、斜め前の彼のふるまいは少々、常識の範囲を逸しているようにも見える。
ゴミを散らかし雑誌を投げ出し、今時のけたたましいリズムを刻む音楽が、ヘッドホンからじゃかじゃか漏れ出して、頭蓋に嫌な違和感を伝えて来る。
いくら傍らに人が無いからといって、あれだけ傍若無人な振る舞いが出来るのは人格か若さか。
思い返せば自分にも、ああいった空っぽな時分が有ったのかもしれない。
そんな事を考えているだけで自分が歳をとったと妙に実感してしまい、乾いた笑いが漏れるばかりである。

隣の席で眠る我が子。
楓火もやがてはああなるのだろうか。
楓火は自分の本当の子ではないのだから、似ないのは仕方の無い事のように思っていた。
それでも楓火は歳の割に、少々品行方正すぎるきらいがある。
もう自立した兄姉に囲まれている割に、もうひとつ歳の離れた妹がいるものだから、自分が理想的な目上として振る舞おうという気持ちは解らないでもない。
しかしながら、ぴしりと整った姿勢で首も傾けず、隣で静かに寝息を立てる姿を見ていると、どうにもこの子の人生が窮屈な気がしてくる。
斜め前の彼程とは言わないが、あの半分ほども楓火に自堕落さが宿るのなら、もっとこの子の世界は広がるに違いないと思うのは、親のエゴイズムなのかもしれない。

はたして列車はトンネルの中に入り、ごー、とけたたましい音が車内に響き渡る。
耳障りな嘶きで目を覚ましたのか、楓火はしばし、真っ暗になって鮮明に顔を映す窓と見つめ合っている。
自分は読みかけの小説の内容にノイズが入るのが気になって、なんとなくトンネルの中での読書を取りやめた。
ヘッドホンの彼は騒音なんて耳に入ってこないのだろう。
それ以上の音が彼の鼓膜を延々と叩き続けているに違いないのだから。
しかしああいう光景を楓火が見たら、また黙っていないのだろうなと思って、この子にはなるべく彼の方を向かないように配慮する必要が有った。

「……お父さん、このトンネルはどこなのですか?」

寝起きで少しかすれた高い声に、波瀬川から近江山を貫く波近トンネルの名を教えてやる。
知識欲の旺盛なこの子には、自分の現在地ですら少しの暇つぶしになるようで、この子の反応を見るたびに、自分が教鞭をとっている事を良かったと思いなおす。
しかし教師としての教えと親としての教えを混同しないようにと、たびたび妻に叱られる事もあるから難しいものだと思う。
自分は一体楓火をどのようにしたいのだろう。
たとえどんな形で有れ、教育に方向性を付けるということは、子供の未来を自分の思い通りにしたいという願望なのかもしれない。
ほんのりと薄暗闇にさしかかる思考のトンネルの深く、いくら答えを探しても、こんな列車の中でいきなり賢人になれるわけでもなし。
ぼやっと窓に映る自分の姿を見ながら、少々トンネルの出口が遠くは無いかと、ふと気にしてはかぶりを振って、結局小説の続きに目を落とした。







トンネルを抜けるとそこは雪国だった。
とは川端康成の小説だったか。
兎も角として、この列車の場合はトンネルを抜ける前から雪国の中を走っていたから、大した感慨も湧かなかった。
線路が整ったのか列車の揺れは少なくなって、小説の内容にもそこそこに没頭できるようになってきた。
高速走行の方が列車は安定するのだろうか、窓の景色が流れるのが早い。

楓火はというと先ほどから、寝ていて見過していた雪景色に興味深々といった風で、普段むすりとしている表情が幾分か子供らしいものになっていた。
この子のこういった表情は決して珍しく無いのだが、これを人間相手に向ける事が、極めて稀であるのは考え物だ。
勿論、それを悪いことだと断定してしまうのは、主観の押し付けに他ならないのだが、この子にとってはどうなのだろう。
人とコミュニケーションをとることが、本当にこの子にとって価値無い物であるのか、それとも不器用で近づき方を知らないだけなのか。
心の奥底の判断が出来ないのは、いわんや義理の親子だからということは関係ないように思う。

友人の子に、同じく、他人に心を開かない少女が居る。
彼女の場合は、楓火と比べればまだ解り易いもので、あれは見るからに表情に恐怖の色が浮かんでいるから、その原因と対策も解りやすいのだろうが、友人は決してそれを無理に改善させようとはしなかった。
姉の方は極めて活発で朗らかな子であるから、彼は娘たちのその差をあくまで個性と割り切ったのかもしれない。

ならば自分もそう考えるべきかもしれないが、自分の場合はむしろ、楓火にそういう考えに至って欲しいという気持ちが強い。
品行方正に自分が生きるのは構わない、しかしながら、そう生きないこともまた自由なのだと、そういう意識が芽生えれば、他人と付き合うこともできるだろう。
それとも、この年頃の子に他人を認める度量を持てと言う方が難しい事なのだろうか。

斜め前の席へと顔を向ける。
ヘッドホンの彼は個性的であろうか。
今時の子、と形容してしまうなら、そんなものは個性でも何でもないのかもしれない。
だったら楓火といくらの違いが有ると言うのだろう。
楓火が他人の個性を認めていないように、自分の個性を認めずに周りの色に染まる子も居る。
はたして自分がこのころどうだったかなどと、思い出すにはあの頃の自分は多感すぎた。
思えば自分もこのくらいのころは、もっと必死で無様で、不器用であったかもしれない。

ぎゃはははは、と笑い声が響いた。
ヘッドホンの彼はいつの間にか週刊誌を手に取り、漫画を読んで笑っていた。
ばんばんと肘かけを叩きながら、脚をばたばたと羽ばたかせる姿は、子供らしいと言えば子供らしい。
しかし、自分は彼のその自由さよりも、別のところに不安を感じた。

「信じられない話です」

一言呟いたのちに、楓火は窓際の席から自分の膝の上を通って、通路へと躍り出てしまった。
つかつか歩いて行く小さい背中を止めようと立ち上がろうとするが、誤って杖をとり落とす。
アレなしでは我が子の小さな足取りにも、今の自分は追いつくことができない。
仕方も見つからず、溜息をつきながらこめかみに指を当て、軽く押してみた。

「きみ、そこのきみ、聞こえていませんか」

学級委員か何かのような口調は、作ったものではない。
丁寧でおとなしい声色は、ヘッドホンを貫いて、少年の耳に届いてくれず、楓火は既に痺れを切らしそうになっている。

「きみ!おい、きみ!」

少し乱暴な所作でヘッドホンを無理やりに引き剥がしてしまった。
少年は一瞬ぽけっと、何が何やらわからないような顔をして、それからきょろりと楓火の方を向いた。

楓火はその表情を見て、何やら固まってしまったようだった。
大かた想像以上に迫力のある顔で睨まれたのだろう。
ようやく拾った杖をついて、二人の居る座席まで、やっとの思いで辿り着いては、少年に一言挨拶して、楓火の肩に手を置く。
その時、楓火が固まった理由がおそらく解った。

「……何だ、珍しいか?お兄さんよ」

少年は、左の額から目を通り、顎に至るまでにかけて大きな縫い目が有った。
縫い目に横断されている瞼の中の眼球は、どうにもこの世のように見えないような、瑠璃色が濁ったような面持ちで、ぎょろぎょろと自分と楓火を交互に見ている。
特異な体質と言うよりも、「あやかし憑き」の類であろう。
自分はこういうものを見慣れているが、楓火にはいろんな意味で、少しだけ刺激が強かったのかもしれない。
どの道、謝る必要が有ると思った。

「謝ったりするなよ。それはそれでおかしな物を見てしまったと、肯定されているようで傷つくんでね」

今までに何度か同じ反応をされたのだろう。
少年はシニカルに笑って、脚を組みなおしては雑誌に目を落とし、ぽろぽろと床に屑をこぼしながら、芋の菓子をつまみ始めた。
はっと気付いたのは楓火である。
改めてその目に怒りを燈したかと思うと、少年から菓子の袋をひったくって怒鳴り上げる。

「列車は貴方の私物じゃないのですよ!」
「そんなこたぁ解ってんだよ糞餓鬼め。俺と同じくらいの歳の癖にぎゃあぎゃあと、教師かお前は」

思わず額を抑えて、子供らの方から目をそむけてしまう。
ああ、この子は間違いなく楓火との相性が最も悪い部類の人間だ。
溜息をつくその間にも、二つの甲高い声が猫の子の喧嘩のように姦しく罵り合う。
せっかく人の少ない列車の中で、静かな旅が出来ると思った矢先に、これは少しあんまりなように思う。
溜息をつく自分の背後で、駅のホームが窓の外を、流れるように走り抜けて行った。

その異変に気づくまでにはそう長い時間を要さなくてもよかった。
目の前に高見岳が見えてきたせいである。

あの小さな山の中途半端さがなんだか好きで、ちょうどいつもあそこに入るまでに文庫を一つ読み終えられるから、よくよく覚えている。
しかし、だからこそ違和感が胸中を駆け巡って行く。

「モラルと言うものが無いのですか、貴方には!見ればそれこそ私と同じくらいの歳だと言うのに、やっていい事と悪い事も解らないのですか!」
「五月蠅いってんだよ、やっていい事と悪い事なら、これはいい事だろうが。お客様が汚した床や椅子は、持て成す側が片づける。どこもおかしいところは無いじゃあねえか」

ぎーぎーきりきり、二人の喧嘩が耳を突く。
思考に若干の砂嵐が入るから、聴覚を出来るだけ気にしないようにして考えた。

この違和感が正しかったとすれば、おそらく次の駅は雨海駅。
そうだ、あのホームに屋根の無い不親切な駅だ。
あの駅に停まる列車はこの北斗星4号だけで、これを逃すと半日は列車が来ないから、あそこへ行った時はえらく時間にシビアになった。
だから、まず間違いなくおかしいと思う。

森林の群れを抜けて景色が開け、闇の中にぽつぽつと、民家の明かりが見て取れる。
ゆるやかなカーブを少しきつい速度で通り抜ければ、景色も徐々に、比較的と言うだけではあるものの、その様相を賑やかな物にしていく。
最も大きな建物が病院で、マンションと呼べるような建築物は一切ない、町と呼ぶにはぎりぎり村依りのその集落も、交通の便の中心となる駅に近づくにつれては、人の灯りが密集して温かな物になっていく。

次の駅のアナウンスは一切鳴り響くことなく、列車は雨海駅を通過した。

おそらく、雨海駅の前にも一つ、駅を飛ばしていると思う。
外を眺めてみれば、鈍行列車の脚にしてはいつもに比べると、少々景色が流れて行くのが早い。
自分の記憶の中を探ってみると、故郷にいるときに一度、こういう事が有った気がする。
状況と言い、予感と言い、おそらくは全てが合致している。

思考のトンネルを抜けてみれば、出口にはまだぴーちく言い争っている二人の姿。
この子たちに察されないように状況を打開するのは、昔ならともかく、今の自分では至極難しい事だと解っている。
自分の体重を支える樫の杖を、少し苛立ちを込めて握りしめてみる。

今の自分に、この事態が解決出来るのだろうか。
その胆力、その腕力、その脚力、全てが全て、かつての自分とは比べるべくもなく、見る影すらうっすらとも残りはしない。
老いとは別種の非情さが蝕んでいく身体を奮い立て、いくら熱を込めようと、絞りだせる物は果てしなくささやかで寂しいものだ。
考えれば考えるほどに、可能性は端から順に通行止めを食らう。
景色の流れが少しずつ、その勢いを増していくのは、今は如実に肌で感じ取れるから、じわりと嫌な汗が滲んでくるのを自覚する。

何故よりにもよってこんな時に。
何故よりにもよって今になって。

ごくりと言う音が三度目を数えて、喉の奥を通りぬけると、ようやくわめき続ける二人の間に割って入る事が出来た。

「何をするんですか、お父さん。私はまだこの人の行いを正し切れては居ません」
「どけよお兄さん、俺もここまで言われたら流石に黙ってられないって。それとも何、あんたが改めて謝罪でもしてくれるわけ?」

じろりと四つの瞳に見つめられて、子供の気迫に少々押されてしまう自分はほとほと情けない。
しかし胸を押さえて息を吐き、やっとの事で声を絞り出し、乾いた口を動かして、二人に向けてようやく告げる。


「列車が止まらなくなっている」