邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

Amazing Grace ④

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jyakiganmatome

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Amazing Grace ④


     †


 私は彼の身体を調べた。出血は止まらない。明らかに致死量だった。
 間もなく、彼は死ぬだろう。
 頭では理解していた。しかし私は、彼の傷口を押えるのを止められなかった。死ぬと分かっていても、助からないと分かっていても、そうせずに居られなかった。

 私は泣いていた。彼の顔に雫が何滴か落ちて、彼が朦朧とした意識を取り戻した。
 彼はぼんやりと、外を見た。壊れた車と、落ちている何人もの死体を見て、残念そうな顔した。
「君は……彼らを、殺したんだね……」
 私は、ごめんなさい、と謝った。涙がまた落ちた。
「悪い子だ……君は。殺してはいけない、って……いつも……」
 彼が口から大量の血を吐いて、言葉が途切れた。私は更に強く、彼の傷を押えた。
「シセル……僕は……」
 彼が何か言おうとして、私はそれを制止した。しかし、彼は無視して口を開いた。

 死ぬ前に聞いて欲しい、と、彼は言った。
 罪を懺悔したいのだと、彼は言った。


     †


 ……僕には、妹が居た。
 彼女は身体が小さくて、だけどとてもいい子だった。僕らはたった二人の兄妹だった。家を空けてばかりいる父に代わって、いつも僕が妹の面倒を見ていた。
 その時僕は、自動人形のエンジニアとして働いていて、牧師ではなかったが、妹はその時には、既に父の後を継いで修道女になっていた。

 しかし6年前のある日、妹が死んだ。
 いや、違う。違うんだ。
 僕が、妹を、殺した……

 僕はその日、山に山菜を採りに、妹と出かけた。
 そこはよく獣が出るという話で、妹は最初反対していた。
 だけど僕はそんなの心配ないと言って、猟銃を担いで、山の中へと二人で入っていった。
 猟銃は父のもので、僕は無断でそれを借り出した。銃があれば、獣に襲われても問題は無いと、そう意気込んだ。

 しばらく二人で山菜を採って、帰り道の途中だった。
 僕はうっかり、担いでいた猟銃を落としてしまった。そこは坂道で、滑った銃は大きな岩の下の隙間に入ってしまった。
 最初は僕が腕を入れて取ろうとしたが、銃身には何とか触れるものの、太すぎてそれ以上入らない。そこで僕は、妹に銃を拾ってくれるよう頼んだ。
 妹の腕は細くて、簡単に銃身をつかめた。そして、岩の外へ出そうと、それを引っ張った。

 銃声がして、妹の身体の下に、血が流れ始めた。
 僕は最初、何が起きたか分からなかった。とにかく妹の身体を起こして、確認した。
 銃弾は、一撃で心臓を貫いていた。即死だった。

 木の根が、引っかかっていたんだ。
 岩の上の木から伸びた根が、銃の引金に引っかかって、引っ張った拍子に引かれてしまったんだ。
 僕は妹の死体を、山に埋めた。とにかく恐ろしかった。どうでもいいから、この得体の知れない恐怖から逃げたかった。
 家に戻ると、僕は家族に、妹は熊に襲われて連れ去られ、僕は銃で反撃したが逃げられたと説明した。
 大人たちは僕の罪など知らずに、可哀想にと言っていた。しかしその言葉は更に僕の罪を上塗りしているのに他ならなかった。

 あの時、木の根が引っかからなければ。妹が銃を拾おうとしなければ。
 僕が銃を落とさなければ。僕が銃なんて持ち出さなければ。僕が妹を連れ出しなんてしなければ。僕が、僕が、僕が……

 そして僕は、聖職者になった。
 神に祈り、赦しを乞うていれば、いつか救われるのではないか。この罪から逃げられるのではないか。そう思った。
 だが、神は結局、僕を救ってはくれなかった。
 僕のこの罪悪感は、たとえ神が赦しても、僕自身が赦せないのだと、僕は分かっていたから……


     †


 そこまで話して、また彼は血を吐いた。既に顔に色は無く、死はそこまで迫っていた。
「君に……謝らなければ、いけない……」
 彼が眼を開け、私を見た。
 いつもの、泣きそうな、崩れて消えそうな、ばつの悪そうな、笑顔だった。
「僕の、妹は……シセル、といった」


 彼が私を見つけたあの日、彼は私を揺すりながら何かを言っていた。
 その時私の言語認識機能は不調を来たしており、私は彼の喋っている事を理解できなかったが、その時彼はこう言っていたのだという。
 シセル、シセル、シセルなのか……と。

「君は……よく、似ていた。
 いや、似ているなんて、ものじゃ、ない……
 本当に、そっくりなんだ……」

 既に、吐く血も少ない。
 それでも彼は、私に語った。
 もう彼は、きっと心だけで喋っているのだろうと、そう思える姿だった。

「僕は、きっと、これは神様が僕に下さった奇跡なのだと、思った……
 赦しの代わりに、こうして、もう一度チャンスを下さったと、そう……思った……
 妹の服を着て、妹の修道服を着て祈る君は、本当に、あの日の彼女と全く同じだった……
 僕は、生まれて初めて、神に感謝した……」

 そして、すまない、と、彼は言った。

「僕は、……君を、死んだ妹の代替品としか見ていなかった……
 まるで、着せ替え人形のように、君を妹の代わりに使っていただけだった……
 シセルという名前を付け、未練がましく、君を傍に置いた……」

 私は、ただ彼の言葉を聞いていた。
 いつしか、傷口から溢れる血さえ、無くなり始めた。

「赦してくれ、シセル」

 果たしてその懺悔がどちらのシセルに向けられたものだったのか、私には、分からなかった。
 それでも、私は、


「私は……あなたを、赦します」


 彼が、最後の呼吸をした。
 まるで溜息のように、肺の中を空にするように、呟いた。

 それは短い、たったひとことの、言葉だった。


「           」


 彼は死んだ。


     †


 数日後。
 私は最後の荷物をハマーの荷台に積み終わり、一息ついた。
 一番最初に積んだ私の十字架は、布と鎖で巻いて、車体に固定するようにした。私は元々人間ほどの生活用品は必要ないので、それ以外はほとんど何も無かった。着替えと整備用の工具類がほとんどで、あとは聖書などだった。

 私の背後には、焼け落ちて廃墟になった教会と、その中で焼け残った鉄骨で作った、大きな十字架だけが残っていた。
 あの後私は彼らの死体を教会の中に横たえ、必需品を持ち出したあと、ガソリンを撒いて火を放った。すべて焼けるまで2日かかったが、幸い誰も現れなかった。
 最後に鉄骨で十字架を立ててから、私は持ち出したものをハマーに積み込み始めたのだった。


 教会跡に祈りを捧げ、運転席に乗り込んだ。私の身体は人間で言えば10歳と少しほどの大きさだったので、シートやその他の大きさは合っていなかったが、彼の与えてくれたこの身体に文句は言わなかった。ただ、やはり修道服のままでは、少々運転はコツが要りそうだ。
 ダッシュボードを開けて、小さくて細長い箱を取り出す。
 それは眼鏡を仕舞うためのケースで、中には赤くて細い縁を持った、可愛らしい眼鏡が納まっている。
「……ん」
 私はそれをかけた。私に耳は無かったが、部品の隙間に弦が上手く引っかかってくれた。
 眼を開けて、アイセンサーのピントを、眼鏡をかけた状態で調節する。それほど度は入っていなかった。

 今なら、自信を持って言える。
 私は、シセルだ。
 サミュエル・ウェズリーの妹の、ただのシスターの、シセル・ウェズリーだ。

 戦場で磔にされたあの日から、記憶を消したあの日から、きっと私は死んでいた。
 生き返らせてくれたのは、紛れも無い、彼だった。
 ならば私は、彼のために生きるのだ。
 神のためでも世界のためでもなく、彼のために祈るのだ。

 私には、戦う事と、祈る事しかできないのだから。


     †


「さよなら、兄さん」

 十字架を積んだ車はゆっくりと走り出し、すぐに見えなくなった。


     †


 目が覚めたのは、十字架のふもとだった。

 例えばそこが、深い深い地の底だったら。
 例えばそこが、高い高い空の上だったら。

 きっと、彼には、


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