邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ Amazing Grace ③

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Amazing Grace ③


     †


 そうなのだ。

 例えばそこが、深い深い地の底だったら。
 心など持たずに済んだかもしれないのに。

 例えばそこが、高い高い空の上だったら。
 悲しみを知らずに済んだかもしれないのに。


     †


 私が彼と暮らし始めてから、ちょうど12ヶ月経った日だった。
 その夜はひどい嵐で、古い教会はがたがたと揺れた。私は人形らしからぬ不安感と恐怖心を抱いており、眠れなかった。
 ベッドの上で何度目かの寝返りを打った時、嵐の音に混ざって、例の罵声が聞こえた。取立てにやって来たひとたちだとすぐに分かった。
 この数週間、取立人たちは必死になっているようだった。今までとは比べ物にならないほどのペースで取り立てにやってきたし、暴力を振るう事さえ厭わないといった感じであった。実際、一度牧師様は彼らに殴られ、私が間に入って止めた事さえあった。

 私は立ち上がり、服を着た。手近にあった修道服だった。靴を履いて、廊下に出る。
 その時、銃声が響いた。
 私の頭脳の奥の奥で、何かがはじける感覚があった。
 ずっとずっと忘れていた、何かとても重要な、かんじ。
 自分でも訳が分からない衝動に駆られ、私は走り出した。


 礼拝堂の正門は、開け放たれていた。外の景色と、停められた何台かの車が見えた。
 そして少し中へ入った所には牧師様と、そして、何人もの取立人の男たち。
 最も近い取立人の手には、煙を上げる拳銃が握られていた。私は牧師様に怪我が無い事から、恐らく今の一発は威嚇として撃たれたのだろうと判断した。
 私が駆け寄ると、牧師様は、来るな、と言った。それでも私は止まらなかった。

 拳銃を握っている男は、これは、危険だ。
 その表情と筋肉の痙攣から、私は彼が何か違法な薬物を摂取してからここへ来た事を推察した。きっと私以外他の誰も、まだその事に気付いていない。しかし男は確かに、正常な精神状態ではなかった。
 恐らくこいつは、撃つ。躊躇いも無く、撃つだろう。
 説明している暇も無い。一刻も早く、牧師様が撃たれる前に、私は男を取り押さえる必要があると考えた。
 牧師様が、こちらを振り返る。私の行動に、何か只ならぬものを感じたのかもしれなかった。
 男が、腕を突き出した。
 自分に背を向けている牧師様の背中にむけて、その腕を、銃を、突き出した。
 引金が、引かれた。

 だめ。

 私が叫んだのと、銃声が響いたのと、そして私が牧師様と男の間に割り入ったのは、同時だった。
 とてつもない衝撃を頭部に感じた。左の額。表面に弾丸が当たり、外装筋と第4装甲までを穿ち、金属骨格に食い込むのをはっきりと感じた。
 幸い、脳に損害は無かった。しかし私は弾き飛ばされるようにバランスを失い、牧師様の横に倒れた。今の一撃で、小脳の姿勢制御系が軽いショック状態に陥っていた。
 撃った男以外の男たちが、ざわめいた。まさか、修道女の頭を撃って殺してしまうだなんて、思っていなかったのかもしれなかった。
 しかし拳銃の男は突然錯乱したように興奮し始め、更に引金を引いた。



 私は、助けようとした。
 しただけだった。



 血が、飛び散った。
 倒れた私の眼に、腹部に2発の弾丸を受け、倒れる彼の姿がはっきりと映った。彼は腹と口から、すぐにおびただしい量の血液を流し始めた。人間の腹部には大動脈が走っている。銃弾はそこを打ち抜いていた。蛇口を捻ったような勢いで、床に血溜まりが出来あがった。
 彼は一度膝を突いて、次に身体を地面に横たえた。拳銃を撃った男は、仲間に取り押さえられようとしていたが、喚きながら発砲しており、難航しているようだった。
 目の前に、彼が、死体になりつつある彼が、倒れている。

 この時の私の人工知能の混乱を、文章で人間に説明するのは、非常に難しい。
 思考領域には規格外の情報が怒涛のように流れこみ、記憶領域からは幾つものフラッシュバックが起き、メモリがクラッシュしたのではないかと思われるほど表層意識が撹乱し、私は完全に機能不全に陥るかと思われた。
 しかしその時私が感じていたのは、そういったデータとは別のものだった。
 簡単なことだった。
 これが「怒り」なのだ、と、私は知った。


     †


 私は、立ち上がった。ざわめいていた男たちが、一人二人とそれに気付き、息を呑んで静まり返ったのが分かった。きっと、死体が起き上がったように見えたのだろう。
 しかし拳銃の男は相変わらず笑いながら、既に聞き取れない言葉を喚きながら私に銃口を向けた。そして躊躇い無く撃った。
 弾丸は私の左肩に当たった。しかし角度がついていたせいで、滑るようにして後ろの闇へと消えた。
 男は更に撃った。頭に飛んできたので、私は左手を持ち上げ、それを同じように角度をつけて受け流した。高い音が響いた。
 そこまでだった。男は混乱しながら、弾が切れた拳銃の引金を引き続けていた。私は務めてゆっくりと男に近付き、男の首を掴んだ。肉と骨が締め付けられ軋む音が響いた。
 やがて軋む音は止まった。
 私の手が男の首を握り、そのまま潰した。頭の上から血が降ってきて、私の髪や、肌を、赤黒く染めた。
 男の死体を横に投げ捨てて、私は他の男たちを見た。全員が、銃器を構えていた。
 その顔は、みな一様に怯えていた。しかし私は赦すつもりは無かった。というよりも、その時の私の思考領域からは、「赦す」という選択肢は完全に欠如していた。

 一人につき、約4秒かかった。右腕を胸郭の下から突き入れて、心臓を壊した。ただそれだけで誰もが動きを止めた。銃弾は何度も飛んできたが、私の研ぎ澄まされたセンサーは方向と角度を正確に算出し、その全てを避けた。
 そして3人殺した時、私は弾き飛ばされた。
 車で轢かれたのだと気付いたのは、礼拝堂の天井近くを飛んでいるときだった。
 男たちのひとりが停めてあった車に乗り込み、そしてアクセルを全開にして私に突っ込んできたのだった。私は人形にしては軽いので、簡単に身体は宙を飛んだ。
 全身に巨大な衝撃があり、私は何かにぶつかって、すぐに重力に引かれて地面へと叩きつけられた。今の衝撃は危険だった。全身のセンサーが破損率を知らせ、私は自分の損壊率が40%を越えている事を知った。思考にノイズが混ざり始める。

 仰向けに倒れた私の頭の横に、ずどん、と、巨大な何かが落下してきた。
 十字架だった。
 教壇の壁にかけられていた、私が繋がれていた、あの十字架。
 恐らく、私はこの十字架にぶつかったのだろう。その衝撃で天井と繋がっていた鎹がはずれ、私よりも一瞬後に落ちてきたのだ。危ない所だった。もう数十センチずれていれば、私の頭部は完全に破壊されていたことだろう。そうなれば、それは完全なる死だと言えた。


 突然、私はその十字架の、ある事に気が付いた。
 これは十字架ではない。こうして見てみて、初めて気が付いた。

 これは、『楯』だ。

 十字のクロスした部分に、取っ手がついていた。そう、これは十字架の意匠を持った、戦楯だ。今まで私は表面しか見ていなかったから気が付け――――――
 気がつけなかった?
 違う。
 忘れていたのだ。

「思い出した……」

 私は呟いていた。
 何故、思い出せたのか。何故、完全に消えていたはずの記憶が蘇ったのか。私は分からない。
 ただ私は、その瞬間、確かに思い出した。

 何故、自分があの荒野で、十字架に架けられたのかを。


     †


 私は、兵器だった。
 戦闘用の、自動人形。
 戦場を駆け、敵の命を奪う、ただそのためだけの、人形だった。
 私は戦っていたのだ。この十字の戦楯を背負い、いくつもの命を奪った。ただ機械的に、兵器らしく、私は戦場で踊り続けた。

 だが、兵器は、戦場があって初めて存在できる。
 では、戦争が終われば、兵器はどうなってしまうのだろう。
 必要の無くなった人形は、どこへゆくのだろう。

 私はあの荒野で、戦った。そして敗れたのだった。
 自軍が敗れて、私は敵軍に捕らえられた。そして背負っていた戦楯に繋がれ、地面に打ち付けられた。
 私があそこまで破壊されていたのは、彼らの攻撃のせいだった。
 敵軍の者たちは、自身の友や、仲間を殺した私を、憎んでいた。だからああして私を磔刑に処し、そして恨みを込めて、私を銃や、ナイフや、棒で、ゆっくりと壊した。
 私はやがて、センサーからの情報過多でメモリが壊れないよう、自己防衛のために自ら一時的にAIをシャットダウンする事にした。
 きっとその時、私は自ら、再起動時に記憶が消去されているように設定したのだろう。
 何故そうしたのか、覚えては居ない。
 でも、もしも目が覚めたならば全てをやり直したいと、そう考えたのかも知れなかった。


     †


 礼拝堂の教壇の、その下で私は起き上がった。
 私を殺しかけた十字架を、床から引き抜き、担ぎ上げた。
 とても暗かったが、私のセンサーアイは暗闇を挟んだ先に、車に乗り込もとする男たちの姿を観た。

「…………」

 彼は、殺す事を嫌っていたのを思い出す。
 蟲も、動物も、殺したくないと彼はいつも言っていた。

「…………」

 例え誰かに殺されそうになっても、誰かが親しい人を殺しても、その時は赦してあげなければならない。
 争いは争いしか産まない、やり返してばかりいたら、いつまでも終わらないよ、と。

「…………」

 ごめんなさい、牧師様。
 私は、あなたを殺した彼らを、赦す事ができません。

「…………」

 私は、彼らを殺します。


「どうか……お赦しください」


 私は、床を蹴った。
 十字架の重量はゆうに100キロを越えていたが、私はそれを担いだまま、暗闇を走った。
 走りながら、次々と頭の中でバスが切り替わるのを感じた。意識が、感覚が、みるみるうちに戦うためのものにその姿を変えていった。
 私は泣いていた。
 何故泣いているのかは、分からなかった。
 でもきっと、悲しかったのだと思う。


 †

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