邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

Amazing Grace ②

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jyakiganmatome

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Amazing Grace ②



     †


 ガレージの中で、私の修理は行われた。
 ハマーは外に出され、中央にベッドのように大きな作業台が置かれ、私はその上に横になっていた。隣には、ジャンクヤードで拾ってきた“彼女”が居る。
 彼は作業着姿で、私の修理に没頭した。一体何がそこまでさせるのかと聞いてみたくなるほど、彼は必死になって私の破損した部品を摘出し、必要な部品と交換していった。睡眠も食事もほとんど取らず作業はなされたが、彼は疲れるどころか、むしろ良い顔色だった。疲労感より、楽しい事に熱中していることの高揚感の方が大きいような、そういう印象だった。

 しかし私のボディの破損は予想以上に激しく、右腕と胴体の一部分以外の機能はほぼ死んでいたらしかった。頭部の機能が完全に生きていたのは、不幸中の幸いだと彼は言った。
 結局、最終的に私は頭部と胸部以外の部分を、ほとんど“拾った彼女”と交換することになってしまった。当初は脚部だけだったが、彼女の身体が私の身体より小さかったため、サイズを合わせるために已む無く全ての四肢を交換することになってしまったのだった。
 脚部が交換され、拾い集めた部品で修理が行われた後、私は彼に休むように提案した。しかし、彼はそれを断った。一日でも早く君を直したいんだ、と彼は言った。教会の牧師なのに礼拝客や説教を聞く人たちは現れないのかと尋ねたが、この町はすでに過疎化が進み、半年ほど前から誰も来ていないという。それでも教会で独り祈りを捧げているという彼に、私は多少の呆れを覚えた。


     †


 最終的に、私が完璧に治ったのは、3週間後のことだった。
 彼は私を立たせると、運動させ、どこか不具合は無いかと尋ねた。私はありませんと答えた。
 正直、私は彼のこの技術力に驚いていた。彼は有象無象のエンジニアよりもずっと才能があった。自動人形の修理は、普通ならば一ヶ月は費やす。いくら急いでいたとはいえ、たった3週間で私をここまで正確に修理できるのは、驚くべき手腕だった。
 彼は、ガレージを片付けている間に教会の中を見てくるといい、と言って私を外へ出した。廊下を歩くと肌と服が擦れ、薄い音が響いた。

 ひとまず廊下を歩くと、礼拝堂に出た。
 伽藍として、広い。しかしそれは物が少ないから広く感じられるだけであり、実際は礼拝堂にしては狭すぎるほどの大きさだった。立派なステンドグラスもオルガンも無く、ただ説教用の教壇と、申し訳程度の数の長椅子が数本、置かれているだけだった。
 不意に、私は教壇の上の壁にかかったものに眼を留めた。
 それは私が繋がれていた、あの巨大な十字架だった。私の腕に繋がっていた鎖が、天井の梁に繋がれている。綺麗に磨かれたそれは立派に輝いており、色の無い礼拝堂の中で、ひとつだけ輝いているように見えた。
「どうかな。丁度、前の十字架が落ちて壊れてしまってね。飾ってみたんだ。重くて大変だったが」
 いつの間にか私の後ろに立っていた彼が、十字架を見あげながらそう言った。赤黒い巨大な金属の塊は、異質ながらも確かな威厳を湛えている様に思えた。
「悪く無いです」
 私の答えに彼は笑って、私の背を押して歩き出した。礼拝堂の前まで来ると、私はそこで彼に、祈りの作法を教えられた。
 突然、手を合わせて祈る格好をとっていた私の頭を、彼が撫でた。
「君の名前は、シセルだ。シセル。直している間中、ずっと、そう決めていたんだ」
 私は彼を見上げた。
 眼鏡の奥で、彼は微笑んでいた。それはひどく優しく、そして今にも泣き出しそうな笑顔だった。しかし何故彼がそんな顔をしているのか、その時の私には分からなかった。


     †


 私は教会で、彼と暮らした。
 人は全くと言って良いほど訪れなかった。稀に、何かの役員のような風体の人が現れたが、礼拝客ではないようだった。懺悔室も、使われたところは最後まで見なかった。
 私の生活の基本は、彼の手伝いだった。といっても牧師としての彼への手伝いは少なく、もっぱら私は、食事を作ったり、掃除や洗濯をしたり、ゴミを捨てたりして暮らした。時々、遠い街から彼へ礼拝して欲しいと連絡が入ることはあり、その時は彼と共に車に乗り、向かった先で彼の荷物を持って後を着いていった。
 しかし、彼の元へ来る仕事はつまり、『身近な聖職者に頼めないような仕事』であったのだった。それでも彼は進んで仕事を引き受けた。生きていくために必要なのは祈りじゃなく、明日のパンを買うためのお金なのさ、と、彼は冗談交じりに言った。私は不謹慎です、と、冗談交じりに彼を叱った。

 私に与えられたのは、例の、女性の部屋だった。ベッドと、クロゼットと、姿見。たったそれだけの、生活感が感じられない部屋。
 部屋を与えられた日、私は一緒に修道服を与えられた。彼は、教会で働くからには、少しはそれらしい姿だった方がいいだろう、と言っていた。
 女性のクロゼットから取り出されたそれは、私の身体によく合った。頭についた布は、私の後頭部もうまく隠してくれた。
 これからは、教会の業務はそれを着てするといい、と告げて、その日彼は自室へ戻った。
 私はクロゼットの中を改めようと思い、それを開けた。全てが女性用、しかも、どうやら少女のものだった。新品は一着も無く、全て古着である。しかし洗濯はされており、汚れも、最近着られた様子も見られない。少なくとも3年以上は前に着たのが最後のように思える。
 ふと、引き出しの隅に、私は小さな細長い箱を見つけた。それはどうやら眼鏡を仕舞うためのケースのようだった。
 開けてみると、赤くて細い縁を持った、可愛らしい眼鏡が納まっていた。やはり女性用である。
 しかし奇妙な事に、その眼鏡は左のレンズがひび割れていた。細い線が、薄いガラスを縦に割るようにして走っている。
 私は眼鏡を元の位置に戻して、ベッドに横になった。
 何かが思考領域の隅に引っかかっているような感じがしたが、考えても正確な答えは出ないように思えた。


     †


 彼は、私を完全に人間として扱っているようだった。
 食事は少しでいいと私が言っても、彼は同じ分の食事を私に作らせ、そして食べさせた。私は食事によって生体部品に必要なエネルギーを摂取していたが、それ以上を摂取しても、老廃物と共に尿として排出されてしまう構造になっていた。それも説明したが、彼は断固として、二人一緒に同じ分の食事をした。私は太らないし、食べすぎで不具合も起こらないが、しかしこの教会の金銭的問題を考えるとこれはかなりの暴挙ではないかと思われた。
 この教会は、元々彼の父が建てたものだったという。しかし彼の父は牧師であると同時に、ひどい博徒でもあったのだ、という。
 彼の父はあちらこちらで賭け事をして、そしてことごとく大敗したそうだ。そして数年前、牧師様を残して死んだ。自殺だったらしい。結果的に彼の父が作った多額の借金は、息子である彼から巻き上げられることとなった。私は、それが法律や法規上正しい事なのかどうかは分からなかったが、とにかく事実として、彼はとても人間の一生で返し切れないほどの借金を抱えていたのである。

 教会での生活は、貧しかった。私はそのうちに、牧師様と自分の分の生活費をどれだけ削減できるかという点に対して意気込むようになっていった。食事は安い材料を買い溜め、そして調理によって美味しくする。洗濯は時間があれば、近くの川まで私が洗いに出かけた。
 同時に私の思考領域は、ほとんど「どうすれば彼が喜ぶか」について、その容量の大半が使われるようになっていた。彼の表情や動作から、彼の気持ちと感情を読み取ろうと私は努力した。そしてやがてそれは、人間はどういった時にどういった感情を、どうやって表現するのか、という事に変わり、そして私は彼から集めたその情報を元にして、無意識的に人間的な振る舞いをする癖ができた。


 奇妙な事だが、この二つの生活は、私にまるで人間のような情動をもたらした。
 ある日彼と一緒に川まで水を汲みに出かけたとき、私は川の中で足を滑らせて、思い切り転んでしまった。慌てて立ち上がったが、頭の先までずぶ濡れだった。私は外装を施されていなかったので全身の球関節がむき出しだったが、防水性は持っていたので故障の心配は無かった。
 しかし、私は自分の事よりも、彼の反応が気がかりだった。彼は自分のバケツを抱えたまま、くつくつと必死になって笑うのを堪えているようだった。
 私は笑っている彼を見て、奇妙な感覚に囚われたものだった。突然頬が熱くなり、何かくすぐったいような、むず痒いような、例え辛い感覚を覚えた。
 やがて、これは「はずかしい」という気持ちなのかもしれない、と思い至った。
 これは由々しき事態だった。本来、演繹として、数字としてしか感情を持てない私が、まるで人間のように頬を染め、人間のように体中の無意識を暴れさせている。
 しかし、その時私はそんな事は少しも考えなかった。何故ならその時、私には自分の前で笑っている彼に何とか一泡吹かせてやろうと、膨大な思考領域にはそれしか無かったからである。
 私は落としたバケツを拾うと水を溜め、思い切り彼にぶちまけた。彼は逃げようとしたが間に合わず、おまけにそのまま躓いて、私と同じように頭の先まで川に入ってしまった。
 バケツを取り落とし、お腹を抱えて私は笑った。何故かは分からなかった。ただ、川の中で尻餅をついて眼鏡を探す彼の姿がとても可笑しく、可愛らしく思えた。
 眼鏡を見つけた彼はひどくばつの悪そうな笑顔を浮かべて、やっと笑ったね、と言った。
 実に私はその時初めて、自分が笑っていた事に気が付いたのだった。


     †


 彼と私が暮らし始めてから、9ヶ月と22日が経った。
 夜中に音で目が覚めた。

 私は何も着ずにベッドで横になっていたので、立ち上がって、修道服を着た。音は礼拝堂から聞こえていた。
 機械的な音ではない。叫び声だった。牧師様のものではない、男性の声。それは粗野で乱暴で、汚い言葉を喚いているようだった。
 私は礼拝堂の奥の扉から、礼拝堂に入った。長椅子の間を抜け、細く開けられた正門に立つ彼の横まで歩いていった。
 彼の前には、数人の男たちが立っていた。全員スーツを着ていたが、その所作は乱暴で、鳥の威嚇にもにていた。私は歩きながら、彼らの言葉を聞いた。
 彼らは、借金の取立てに現れたらしかった。これは、この教会では珍しいことではなかった。一月に一度ほど、こういった客は現れた。しかし払うお金を持っていないので、いつも牧師様は何とか彼らをなだめ、ある分だけのお金を渡して帰ってもらっていた。
 私が横に立つと、取立人は、あん?と言ってこちらを見た。私の1.5倍はありそうな巨漢だった。牧師様は私に気付くと、ばつが悪そうな顔になってしまった。
 取立人はしばらく私を無視したまま、牧師様を罵倒し続けた。牧師様は謝りながら、いつか必ず返すと必死になって説明していた。
 押し問答が続いたが、そのうちに取立人たちは牧師様からあるだけのお金を取り上げると、ぞろぞろと車まで戻った。帰り際、巨漢の男が私を一瞥した。恐らく、私はそのとき怒った顔をしていたから、睨んでいるように見えたのだろう。
「けっ。シスターなんぞ雇う金があんならよ、さっさとこっちも払いやがれってんだよ。なんならてめぇが身体でも何でも売りゃあいいんだ」
 取立人はそう言って、私を蹴り倒した。大した衝撃では無かったし、破損もしなかった。しかし牧師様は倒れた倒れた私を慌てて抱え上げて、埃を払ってくれた。
 その間に、取立人は床につばを吐いてから、戻っていった。

 彼は私を抱えたまま、何度も謝った。彼は泣いていた。
 慰めるための言葉を検索したが、いくつも上がる候補は、結局一言も言葉にはならなかった。
 泣いている彼を見ていると、私も悲しくなって、やがて頬に冷たい線が走った。
 私の眼から溢れているこの液体がどこから来たのか、私には分からなかった。


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