邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

赤い血の跡のおはなし

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jyakiganmatome

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 ある男が、真夜中の通りを走っていました。
 中年で筋骨たくましく、軍人のようないかつい顔つきをしています。身に着けているのは質素なものばかりで、見た目だけなら、どこにでも居るただの男でした。

 そしてその顔は、恐怖に歪んでいました。
 街頭の無い裏通りを、その男は何かに追われて、必死に逃げているのでした。
 薄暗いせいで何度か転びそうになりながらも、男は何度も後ろを、誰も居ない広い通りを振り返りながら、走り続けています。



 男が何度目か後ろを振り返り、そして前を向いた時でした。
「! ひゃっ、うわっぁぁあ~……!!」
 男はそのたくましい体には似合わない、とても情けない悲鳴を上げて、慌てて立ち止まりました。
 そしてそのまま足を滑らせて尻餅をつき、立ち上がろうとしても腰が抜けていて、足をばたつかせるだけでした。

 悲鳴を上げる男の目の前には、ナイフを持った少年が立っていました。
 狼のような獣人の少年で、白い毛並みに、黒い髪が流れています。両腕には黒いイバラの様な模様が二重螺旋を描くように浮かんでいました。
 そしてその少年は何故か、メイド服を着ていました。白いエプロンやホワイトブリムが、身体の毛並みと一緒に、夜の中で妙に浮かんでいます。

 少年が手に持った、光が反射しないように黒い塗料でコーティングされたナイフを握りなおして、男に一歩近付きました。そして、
「くっ! 来るな! 来るんじゃねえ!」
 男が懐から一丁の拳銃を取り出して、少女のような格好をした少年に向けました。精度も威力もそれほど高くない、それでも生き物を殺すには十分な性能のある、安価な6連発シングルアクション式リヴォルバーでした。
 しかし、それでも少女のような少年はまるで意に介さず、平静そのものの視線を向けたまま、男に近付きます。
 やがて男が、ついに耐えられなくなったかのように、
「うわっ、うわっ、うわぁぁぁああぁあ!!」
 少年に向けて、銃弾を放ちました。

 男が全部の弾を撃ちつくした時、少年はもう、男の目の前には居ませんでした。
 男の目の前には、いつからそこに現れていたのか、白塗りのドアが一枚立っているだけで、
「こちらです」
 背中側から男の首にナイフを回して、少年が言いました。
 役目を果たして煙になって消えていく目の前のドアを見ながら、男は全弾撃ちつくした格好のまま動けず、
「……おっ、お前、例の『切り裂きジャック』か……? 本当にか……!?」
 泣きそうになりながら聞きました。
 少年は口だけを動かして、
「……ええ」
「お、お前、何で、何で、俺を……」
 かちかちと奥歯を鳴らしながら、そう聞きました。
 質問された少年は、いつでも男を殺せる格好のままで、
「……『切り裂きジャック』を、あなたは知っているのでしょう? それなら、答えるまでもありません」
 そして、少し息を吸って、
「――――」
 男の耳元で、呟くように、何かを囁きます。そして少年のその言葉を聞くたびに、男の蒼い顔が、更に血の気を失ってゆきます。
 少年が呟いているのは、首にナイフを当てられて震えているこの男が、これまでに起こした数件の殺人の罪でした。
 男が、一度大きく唾を飲み込み、
「……あ、あれは、違うんだ。仕方なかったんだ。だって、あいつらが、あの野郎どもが、金を返さなくて……!
金も、無くて、俺も、返さないと、それで、あいつを……!」
 滝のように冷や汗を流しながら、途切れ途切れに、背中の少年に向けて意味の通っていない言葉を続けます。
「そっ、それによ、おかしいだろ……!? お前は、『切り裂きジャック』は、『殺人鬼を殺す殺人鬼』なんだろ……っ!?
何でお前は殺せて、俺たちはワルモンなんだよ……おかしいだろ……俺もお前も、殺してるのには、やってることは、変わり無いだろ……!?」
 男がどうにか助かろうと、やっとそう言って、引きつった笑顔を顔に貼り付けたまま背後の少年の様子を伺います。
 少年は表情も姿勢も何一つ変えないまま、

「死ぬ前に言うことは、それだけで宜しいでしょうか?」

 死神のような冷徹さで、言いました。
 その時男は、自分がこれから何を言っても、この死神は自分を殺すのだという事に気付きました。
「……きっ、『切り裂きジャック』が、まさか女だとは、思わなかった……でもよ……」
 泣きながら引きつった笑みを浮かべ、男が言います。



「……どうして、メイド服なんだ……?」



 男が最後の質問を言い終わった瞬間、少年のナイフが男の喉を切り裂きました。
 皮膚や気管や太い血管が切断され、噴水のように勢い良く噴出します。肺から押し出された空気が、口の中に溜まった血液で泡となって、ごぼりごぼりと音が立ちます。
 死体になりつつある男の身体が少年に倒れ掛かり、メイド服の上にたくさんの血が零れました。


 そのまま暫くの間、男の死体から音がしなくなるまで待ち、少年が立ち上がりました。
 べったりと血が付いたエプロンでナイフを簡単に拭いて、男の死体を見下ろし、
「……メイドですからね」
 小さく呟いて、煙と共に目の前に現れた白い『ドア』に手をかけます。
 そのまま『ドア』を開け、まずは男の死体を引き込み、一度ドアを閉めました。そして少し考えて、
「まずは、少し洗わないといけませんね」
 もう一度『ドア』を開けて、血を洗い流せる場所へ、と消えてゆきました。






 通りには、赤い血の跡だけがべったりと残っただけでした。
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