名シーン


剥奪された優勝(31年度)
この年のセ・リーグは衰退した巨人に変わってヤクルトと中日が奮闘し、横浜を加えた3チームで激しい優勝争いを繰り広げた。そして146試合終了時点で横浜が打率差で首位に立ち、新聞ほか報道機関には「優勝」の2文字が掲げられた。しかし翌日になってセ・リーグ連盟は横浜の優勝を撤回。急遽もう1試合開催されることを発表した。祝賀会でまったく調整のできていなかった横浜ナインはまるで勝負にならないまま敗れ、優勝を剥奪されることになった。この件に関して横浜ベイスターズはコミッショナーの大塚氏に抗議文を提出。場合によっては翌年度のストライキも辞さない構えを見せている。

黒い墨事件(30年度)
平穏に日程を進行していた最中の8月7日。ある選手がオフ中にしか取得できないはずの新変化球を20回連続で取得するというバグが起こった。しかしその実態はバグではなく、管理人が裏で新変化球の実験をしていたことが本人自らの証言により判明。当時管理人自身が初期両打ち晩成選手で参加していたことも踏まえ、様々な物議を醸し出す事件となった。

結婚詐欺(26年度)
毎年不甲斐ない成績でチームの足を引っ張り続けた広島の渋谷すばる。私生活でも借金まみれという堕落っぷりに、ついにフロントも堪忍袋の緒が切れ戦力外通告を出す。しかし当の本人は移籍先を探すわけでもなく、売れっ子アイドルの洋子さんと婚約発表。球団から最後の手切れ金としてご祝儀の2000万円を受け取るとそのまま野球界を去った。あまりの出来レースっぷりに、借金返済のため苦し紛れで架空結婚を持ち上げたのではないかと見る評論家もいる。入団早々に祝儀金として100万円をむしり取られた某新人選手は、「絶対にあのような選手、いや人間にはなるまい。」と情けない先輩を反面教師に見立て自らの奮起を誓ったという。

越えられぬ壁(23-25年度)
20年代のセ・リーグは毎年横浜と巨人による激しい優勝争いが繰り広げられ、最終戦までもつれ込むケースが続いている。この3年間はいずれも横浜が制しており、巨人はいずれも優勝目前まで迫りながらあと一歩で涙を飲んでいる。まず23年度は上記にもあるように最終戦で4点リードを守れず。続く24年度も145試合目で首位に立つが、またも最終戦で敗れて逆転を許す。そして25年度は横浜に最大8ゲーム差をつけ独走するかと思われたが、終盤横浜の猛追に遭った挙句最後の3連戦で3連敗。まさかのV逸となった。横浜の粘りもさることながら、巨人の土壇場での勝負弱さは深刻であると言えよう。

究極のインチキ9回(23年度)
この年のセ・リーグは横浜が主導権を握っていたが、終盤になって巨人が怒涛の9連勝で追い上げを見せ、横浜を蹴落として首位に立った。そして迎えた最終戦。まずは0.5ゲーム差で追う横浜が勝利を収め、優勝は巨人の結果待ちとなった。一方の巨人は広島相手に序盤から優位に試合を進め、9回表までで8-4とリード。優勝をほぼ手中に収め、あとは9回裏を抑えるだけであった。しかし最後の最後で最終回補正、通称インチキ9回が牙を剥く。経験の浅い中継ぎ陣がメッタ打ちに遭い、4点のリードを守り切れずまさかの大逆転負け。まさに天国から地獄。その日の広島市民球場は暴徒と化した巨人ファンによって地獄絵図の様相を呈したという。

楽天飛ばしまくりの日本一(22年度)
この年の楽天はとにかく名無しを飛ばした。後半に入ると、名無しよりも悪い成績のピッチャーもいたが、それでも名無しを飛ばした。終盤優勝争いとタイトル争いが接戦となると、中3日でも構わず飛ばした。その結果、見事にオリックスを抑えて優勝し、エースは最多勝を獲得。日本シリーズでは、監督消化を優先したとも思われる変則中3日で、巨人を下した。名無しの野茂は、シリーズMVPのblackより良い防御率にも関わらず、先発準備日数44日となる珍記録。日本一に沸き返るベンチで、一人悔し涙を流していたという。これが名采配か迷采配かは議論を呼んだ。

不運の代償、そして…(19年度)
巨人一筋19年目の大エース5代目ミセリ。同選手は通算300勝を超え、タイトルも数え切れない程獲得する好投手である。しかしながら不運なことにここまで結婚出来ずに歳だけを取ってしまう。18年度のオフには同じ独身貴族の横浜やぐっつぁんに先を越され、取り残されてしまう…。奇しくも開幕戦は、そのやぐっつぁんの所属する横浜戦。この試合でミセリは先を越された怒りの力を発揮した。9回102球、無死四球無安打。そう、完全試合である。お世辞にも良いとは言えない巨人の守備もこの日は大きなプレッシャーの中、無失策と乗り切った。試合後5代目ミセリ投手は「完全試合はどうでもいい!今年こそ結婚を!!結婚を!!」と興奮状態で叫んだ。
そしてこの年31勝、勝率0.940、27完投とシーズン記録を更新。オフにはパン屋のれいなさんと結婚した。れいなさんは「年齢なんて関係ない、完全試合を達成した試合を観に行ってビビビと来ちゃいました」とビビビ婚を強調した。

止められた連勝、そして悪夢は繰り返す(15年度、18年度)
この年開幕から15戦15勝と快進撃を続けていた横浜のエースSexToys。チームは4位ながらも防御率0点台、15試合10完投、被本塁打0と非の打ちどころがない完璧な投球を見せていた。が、終わりは突如訪れた。その日の相手は最下位の中日、先発は3年目の若手あさみうな。誰もが16連勝を確信した試合で悲劇は生まれる。2回裏、甘く入った内角低めの速球を打率わずか.210の落合福嗣がはじき返しまさかの先制ソロホームラン。投げてはあさみうなが横浜打線に7安打をあびるも130球の完封劇。最後まで逆転を信じ131球を投げきった大エースの記録は中日の若手2人の前に散った。
そして18年度。この年も開幕から連勝を重ね、付け入る隙の無い完璧な投球を続けていた。そして迎えた運命の16戦目。ここまで登板15試合全勝、防御率0点台、さらに相手は因縁の中日と、3年前の再現とも言える舞台が整った。この試合でもSexToysは相手打線を4安打1点に抑える上々の内容。しかしそこへ立ちはだかったのが中日のエース啄木鳥。味方打線は8安打を打ちながらもあと1本が出ず、無念の完封負け。3年前と全く同じ状況で連勝は止まった。試合後SexToysは報道陣を前に「野球人生で最も屈辱的な日だ」と残し、足早に球場を後にした。

内部叩きの結末(15-16年度)
15年度終盤、パリーグは10月になっても全チームに優勝の可能性の残る大混戦。最終的にはロッテと楽天の争いとなった。残り2戦で、スレで虹音にコンディション調整を求める書き込みが。これに応じてコンディション調整がなされたが、結果は敗戦で、ロッテが打率の差で優勝。すると、調整したにもかかわらず晒しや叩きが続いたため、オフに虹音はライバルロッテに電撃移籍した。翌シーズン、虹音は防御率2.09、23勝3敗の圧倒的な成績を収め、ロッテは2位楽天に14.5ゲーム差の独走で優勝。楽天にとってはなんとも悔やまれる戦力流出となった。なお、あまりにも出来すぎていた展開だったために、他チームの謀略だったとの説や自演だったとの説もある。

白熱の最多勝争い(13年度)
この年セリーグでは例年に無い激しい最多勝争いが繰り広げられ、最終戦を残しSexToys、はにわ、ラブクックの3投手が20勝で並ぶ形となった。3選手とも先発調整日数を満たしておらず、このまま最終戦を迎えるかと思えたが横浜が動いた。中3日でSexToysを10番に立てる。それを受けた阪神も対抗してはにわを10番に立てる。時を同じくして翻意した横浜がローテーションを元に戻すが、時すでに遅し。スレの後押しもあって最終的に両者登板する形となり、結果はにわが単独最多勝を手中に収めた。この年先発不足の横浜はローテーション飛ばしを繰り返しており、SexToysが最多勝を獲得していた場合、「疑惑の最多勝」として末代まで語られたことであろう。

矢部君の決勝エラー(11年度)
巨人が首位で迎えた145試合目。終盤まで巨人がリードしていたが、矢部君のタイムリーエラーにより逆転負け。この敗戦で首位から陥落した巨人は惜しくも優勝を逃し、当の矢部君(笑)も首位打者を奪われた。

雑草集団の逆襲(9年度)
8年度主力捕手さえも消滅し最下位に沈んだ雑草集団オリックス。誰もが連続最下位と予想していたが、9年度外野手だった釈迦が捕手に転向すると、投手3本柱ラブクック、ベロクロン、ため息が大奮闘。リーグ最低の得点、打点、防御率ながら、接戦をものにし、ゲーム差0で大逆転でのリーグ優勝を果たした。その勢いで日本シリーズでも名門巨人を下し、日本一の栄冠を手にした。翌10年度も、さらに有人の減った雑草集団は、またも奇跡のリーグ優勝を見せ周囲を驚かせた。

取り消された優勝(7年度)
この年のパ・リーグは最強助っ人カッツェイ擁する楽天が首位を走り、146試合終了時点で2位ロッテと同率ながら"優勝"の2文字が灯った。しかしダブルヘッダーバグにより148試合行われることになっていたため、まだこの時点で優勝は決まっていなかった。そしてお約束のように残り2試合を落とし、ロッテに優勝をさらわれてしまう。泣きっ面に蜂とばかりにオフには即行でカッツェイを消され、その後しばらく暗黒時代を迎えることになった。

大逆転の日本シリーズ(4年度)
この年の日本シリーズはヤクルトと西武の対戦となった。シリーズは第7戦までもつれ込んだ。先発はおっそいとあかね。試合は、西武がおっそいを攻略し、リードして9回裏を迎えた。しかし、前シーズンには無敗も記録した絶対的守護神の狼ペナ以来7が打ち込まれ、まさかの逆転負け。インチキ9回の犠牲者となった。インボイス西武ドームは、日本一を確信していたファンたちの悲鳴に包まれた。なお、西武は翌年も日本シリーズに進出したが、またしてもヤクルトに退けられ、リベンジはならなかった。