なあ、ひょっとして主席って「国事行為ではないものを国事行為だと誤認した」ことだけが問題だと思ってんのかな?
それより大きな問題はむしろ、
それより大きな問題はむしろ、
憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない
という完全に主従の転倒した考え方のほうだと思うんだが。日本国の象徴、日本国民統合の象徴として天皇は
行為される。これが「主」。内閣は天皇の行動がつねに「日本国の象徴、日本国民統合の象徴」たることを保ち、
いささかなりとも何らかの政治的意図によって偏することのなきよう「従」として静かにサポートする。それゆえ
憲法には「助言と承認」と書かれているんだろう。これに対して小沢の理屈は、なるほど言葉こそ憲法の条文に
即して「助言と承認」だが、「行なわれなければならない」と述べていることからして、実質的には助言と承認の
皮をかぶって天皇に何らかの行為を「強要」することを自らに許すものであり、露骨な政治利用の宣言と断じて
間違いない。
行為される。これが「主」。内閣は天皇の行動がつねに「日本国の象徴、日本国民統合の象徴」たることを保ち、
いささかなりとも何らかの政治的意図によって偏することのなきよう「従」として静かにサポートする。それゆえ
憲法には「助言と承認」と書かれているんだろう。これに対して小沢の理屈は、なるほど言葉こそ憲法の条文に
即して「助言と承認」だが、「行なわれなければならない」と述べていることからして、実質的には助言と承認の
皮をかぶって天皇に何らかの行為を「強要」することを自らに許すものであり、露骨な政治利用の宣言と断じて
間違いない。
内閣の助言と承認は天皇の国事行為・公的行為の「必要条件」ではあるが「十分条件」ではない。国事行為・
公的行為は助言と承認を必要とするが、助言と承認があるからといって、それによって行なわれる天皇の行為が
常に正しく国事行為・公的行為であると断ずることはそもそも論理的に不可だろう。小沢の主張は論理的に
倒錯している。
公的行為は助言と承認を必要とするが、助言と承認があるからといって、それによって行なわれる天皇の行為が
常に正しく国事行為・公的行為であると断ずることはそもそも論理的に不可だろう。小沢の主張は論理的に
倒錯している。
あとこれとは話が異なるが重要な点がひとつ。小沢は
「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」
などと陛下のお気持ちを勝手に自分に都合の良いように忖度しているが、これまでに陛下があらゆる国のあらゆる
階層の人々に対して分け隔てなく接してこられたという「厳然たる事実」に対して思うところは何もないのか。
階層の人々に対して分け隔てなく接してこられたという「厳然たる事実」に対して思うところは何もないのか。