きっかけはいつものたわいもない口げんかのはずだった……。「アス姉なんて大っ嫌いですぅ、おめぇなんて姉でもなんでもないですぅ!」「わたしだってあんたみたいなお人形さんなんて妹にした憶えはないわよ!」「翠星石! アスカ!」乾いた音が二つ立続けに鳴った。ハルヒは思わず二人の妹の頬をひっぱたいていた。痛みよりも普段されたことがない姉の行動とその怒りに満ちた表情に呆気に取られ固まるアスカ。「翠星石!」ハルヒが引き留めるのもきかず、その瞳に涙をためたまま外へ飛び出す翠星石。
キーコー、キーコー……彼女らの家からさほど遠くないところにある小さな公園の小さなブランコ。翠星石はブランコに腰掛け、その足が届くか届かないかの土を蹴りながら思いっきりぶーたれていた。「なんなんですか、あの性悪女達。あんな奴らこっちから願い下げですぅ。だいたい……」
「あらあら、随分と御機嫌斜めのようね」声がする方を見上げると何かローブのようなものをまとった青い髪の長い女性が小首をかしげて微笑んでいた。「おめぇはだれですか、ハル姉の知り合いか何かですか。見たことあるような気がしますです」「あら……そうね、涼宮さんは……妹のクラスメートってことになるかしら」目の前の女性が『まあ、昔かも知れないけれど』と口の中でつぶやいたのが翠星石には聞こえてしまった。「そのクラスメートのお姉さんが翠星石になんの用ですか。 ハル姉に頼まれて翠星石がうちに帰るように説得するとかならぜんっぜんきかねーですよ」そんな風にむくれる翠星石にお姉さんは少し困ったような表情を浮かべて微笑んだ。「私、この辺りでたまたま時間が出来てしまいまして、暇をもてあましていたところですの。 でも一人じゃつまりませんので少しの間、翠星石さんが私の話相手になってくれるとありがたいのですが」「そんなら、今、ハル姉がうちにいますから。行けば喜ぶんじゃないですか」虫の居所が悪い翠星石はけんもほろろにそのお姉さんの話を断った。「あら、今、涼宮さんに会うのもちょっと。……ですから、是非とも貴女にお願いいたしますわ」「そこまでいうんなら翠星石は心が広いんでほんのちょっとなら話し相手になってやらないこともないですぅ」
結局、いつの間にか翠星石はその隣のブランコに座ったお姉さんに今日のアスカとのけんかの全てを話していた。「というわけでこれっぽっちも翠星石は悪くねーんです。 ……ま、ちょっと最後のだけは言い過ぎたかもしれないこともないですけど」ブランコに座り、ニコニコと笑みを浮かべながら翠星石の話を聞くお姉さん。「だからアス姉が謝るまで、絶対家には帰ってやらないんですぅ」「じゃあ、好きにすればよろしいのではなくて?」「え?」翠星石は心の中ではかけてくれるだろうと思っていた言葉と明らかに違う言葉を聞かされて唖然としてしまった。「『貴女から謝った方がいい』とか『はやく帰った方がいい』とか言って欲しかったのですか?」「そ、そんなことねぇです!」図星を指されてあわててそれらを否定する翠星石。「でも、それを決めるのも行動するのも私ではなくてて貴女自身なのですから」「そりゃそうですぅ、けど……」「だから貴女はご自分自身がしたいようにすればよろしいのではなくて?」「……そう、なんですか?」
「ええ。私の妹、のような子のちょっとした体験談なのですが……上の方はあの子が提案した行動に反対でしたの。 それでもあの子は周囲の反対を押し切って自分の判断でその行動を取った。 だってやらないで後悔するよりも、やって後悔した方がいいってそのときあの子は思ったから…… ……結局、うまくいかなかったのですけれども。でもあの子は今でも全然後悔していないそうよ。 だって見栄とか成り行きとかじゃなくて自分自身で本当にしたいことをしたのだから。 いろいろ考えすぎたり、現状のままで立ち止まっているよりは絶対によかったっていってましたわ」「そんなもんなんですか」「そんなものですわよ。……で、翠星石さん、貴女は今、本当は何がしたいんですの?」それまでこいでいたブランコを止めるとお姉さんは翠星石の顔をのぞき込み、暖かく微笑んだ。「翠星石は……」「自分のことなんだからおわかりになりますわよね、自分自身の本当の気持ち。今一番やりたいことも」そういっていっそうにっこりと微笑むお姉さん。「さよならですぅ!」不意にそう言い残すと、翠星石はブランコから飛び降りて公園の外へ、自分の家の方へと駆け出した。「ごきげんよう」「のぞき見が趣味だったなんてまったく知りませんでしたわ、涼宮さん」しばらく翠星石に手を振っていたお姉さんは彼女の姿が見えなくなるとブランコから降りて立ち上がったそして翠星石が出て行ったのとは反対側の公園の出口の方へ振り向き、そう声をかけた。
「そんなんじゃないわよ、……でもずっと気が付いてたの?」彼女の声に呼ばれて公園の出口の側の木陰からハルヒが姿を現した。「ええ、公園の入り口を通りかかって私たちがいるの見てからすぐに隠れたでしょう。 私、元々勘が鋭い方なので涼宮さんが近くにいればなんとなくわかりますのよ」「そう……最初っからか。翠をみつけたら貴女と話しているのが見えたから。 なんとなくお邪魔するのも悪いと思ってね」
「いい妹さんね」「ありがと。 さっき見たとおりちょっと口は悪いかも知れない根は素直で優しい、お菓子作りがプロ級の私達の自慢の妹よ」「姉妹というものは、やはりとても良いものだと思いますわ」「ええ! ほんとにいいもんだと思うわ! まあ、アスカも翠も生意気だから毎日毎日、少し騒々しいけどね。 でもいいもんよ、……暖かくって楽しくって」そんな風に自慢げに語るハルヒを見てお姉さんは少し寂しげに笑った。「今の私にはその騒々しさが少しうらやましいですわ」彼女の胸には“あの子達”との楽しい日々が去来していた。その言葉を聞いてハルヒは無意識のうちにお姉さんに謝っていた。「ごめんなさい」「どうして貴女が謝るのかしら?」「あら、そういえばそうね。何故かしら、そうしなければいけないと思ったから。 ……ああ、そういえば有難う。妹にうちに帰るようにし向けてくれて」「翠星石さんに言っていたのを涼宮さん、貴方も聞いていたでしょう? 私は翠星石さんに暇つぶしをしていただいただけですわ。 貴女に感謝されるようなことは何もしておりませんわよ」
「で、いつ、こっちに来たの?」お姉さんは一瞬ちょっとだけ意外そうな表情を浮かべると如何にも楽しそうに微笑んだ。「そう、そうですわね。ええ……ちょっと前にですわ」「だったらすぐにみんなのところに顔を出せばいいのに。で、また“みんな”とは一緒にいられるの?」「いいえ、すぐに戻らなければならないと思いますので、それはちょっと無理のようですわ」ハルヒは彼女の言葉を聞いていかにも残念そうにため息をついた。「なんだ、すぐ帰るんだ。残念ね。 SOS団にも顔を出してくれれば歓迎するのに。 あなたなら準団員扱いじゃなくて顧問でいいわよ」「ありがとうございます。今度もし機会があったらお邪魔させていただきますわ」「待ってるわ」
「そろそろ帰るわね。あの子達ももう仲直りしてる頃だと思うし」「ええ、私もそろそろ、お暇させていただく頃合いだと思いますので。 ……ごきげんよう、涼宮さん」「またね!」
走り去っていくハルヒに微笑みながら手を振るお姉さん。 ――たぶん、涼宮さんが私をこの世界に呼んでくださったのですわね、妹さんの為に無意識に……。“お姉さん”として翠星石になにか話してくれる存在としてだろうか? ――でも今はその無意識な身勝手さがありがたいですわ。ハルヒは多少覚えていたようだが、翠星石は彼女のことを“知らなかった”。 ――もうそろそろ時間のようですわね。あの子達に会えなかったのはとても残念ですが……。……彼女らはどうだろうか? 覚えていてくれているのだろうか? ――戻ったらあの人に、この話をしてあげましょ。きっと喜んでくれますわ。彼女の前でその世界が次第に存在感のないものへと変貌していく。 ――そうです。今、ここへ来られたのですから、また会える日が来るかも知れませんわね。淡い期待を胸にその世界に彼女は別れを告げた。
わずかの間に彼女の姿はかき消すようにその場から消えてそこにいた痕跡は何も残っては居なかった。あとには風の音とブランコのかすかに動く音だけが寂しく残されていた。
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