いつもより少し、遅い目覚めだった。寝坊というほどではない。ぼんやりする意識のまま、ルリはリビングに行く。 いつもならいるはずの姉が、一人いない。「有希姉はどうしたんですか?」 ルリがそう訊くと、レイはゆっくりと視線を逸らしながら答えた。「わからないわ。私が起きた時にはもういなかった。出かけたんだと思う」「そうですか」 また、SOS団の集まりだろうか。ルリはそんなことを考えながら朝食を運び、食卓についた。「いただきます」「……そうだわ、ルリ」「なんですか?」「私たちもあとで出かけましょう」「いいですよ。何か用事があるんですか」「ええ」 昼ごろになって、二人は近所の商店街の並びにある、電気屋にやってきた。「今年の梅雨は遅れているわ。だからといって私たちの梅雨対策まで遅れをとる必要はないわ」「梅雨対策?」「そうよ。湿気のせいで寝苦しいの。だからエアコンを見にいくのよ」 はあ。ため息まじりにルリが言う。「暑かったら窓開けて寝てください。うちにエアコン買う余裕なんてありません」「心配しなくてもいいわ、ルリ。あなたは私が守るもの。湿気から」「私が心配しているのは我が家の経済状況です。それに湿気から守ってくれるのはレイ姉じゃなくて エアコンじゃないですか」「そう……そうね……」 結局、ルリの説得でカタログだけ貰うことにした。 その帰り道、「あっ!ファースト!に、ルリちゃ……ルリルリじゃない」 アスカに会った。
「こんにちは」「……こんにちは」「こ、こんにちは。あれ?もう一人はどうしたの?」 レイを意識しているのか、どこかよそよそしくアスカが訊ねる。「有希姉ですか?今朝から出かけているみたいでいないんです。ハルヒさんとこのSOS団の 集まりとかじゃないでしょうか」「ん、あ。あぁ、そうね。そういえばそんなようなこと言ってたわ、ハル姉が」 アスカがちらりとレイの方を見る。その時、レイの携帯電話が鳴った。「はい。……はい、わかりました。……ええ。はい」 電話を切ると、名残惜しそうなトーンでレイが言った。「急用ができてしまったわ。もう何件か電気屋さんを見て回りたかったけど、どうしても 行かなければならないの。ごめんなさい、ルリ」「全然いいですよ」「それじゃ、私行くわ」 後に残されたアスカとルリ。 どうしたものかと戸惑いつつも、それを悟られないようにその場を立ち去ろうとするルリ。「それでは私もこれで」 すると、「ね、ねぇルリルリ、この後ヒマ?」 不意にアスカに呼び止められ、少々驚く。「ルリルリ……?」 人見知りといったら語弊があるだろうか、直接的なコミュニケーションがそれほど得意でないルリにとって、翠星石とは仲良くなったものの、ハルヒやアスカはまだそれほど打ち解けられない存在だった。 そういうわけで、アスカからの誘いが意外なものに思えたのだ。「よかったらウチに遊びに来ない?んー……そう、翠がヒマしちゃってうるさいのよ」「えぇと、特に予定はありませんけど」「ホント?ならいらっしゃい!翠もきっと喜ぶわ」
3日前── ハルヒは笹の葉が茂る竹を抱えて意気揚々と帰宅した。「たっだいま~!」 玄関に立つその姿は、まるでハルヒ自身が笹の葉を着ているようにも見え、妹二人は絶句した。「ん?どしたの二人とも?」「いや……ハル姉……」「それは……どこから持ってきたですか……?」「学校の裏からよ!」 悪びれもせず、戦利品を持ち帰った将兵のような笑顔で答えるハルヒに対して、突っ込むことを放棄したアスカと翠は、そのまま話を続けることにした。「そうね、もうすぐ七夕ね……」「ウチでも短冊吊るして……まぁ、悪くないと思いますぅ」「でしょでしょ!?ほら、アスカ。庭に立てかけるから手伝いなさい!」「七夕は……」庭に立てた竹を見ながら、翠がつぶやく。「ん?何かあるの?」「ルリルリの誕生日ですぅ。翠星石はお祝いにスコーンを焼こうと思ってます。 いつもと同じでありきたりかもしれませんけど、翠星石にはそれぐらいしか してあげられませんので、いつもよりおいしくなるように頑張るです!」 僅かばかりの間があって、ハルヒが言う。「へぇ!七夕が誕生日なんて、素敵じゃない!そうねー、お隣とも随分長い付き合いになるし、 そういえばルリちゃんにこれといって何かしてあげたことも無かったわね。うん、よし! 安心して、翠。あたしもルリちゃんの誕生日祝いに協力するから、いつもと同じにはならないわ!」「え?」「ハル姉が?」「……そうよ?なによ」「いや、せっかくの誕生日なんだし、翠やお隣さんにお任せしてって言ったらアレだけど、 ささやかにお祝いさせてあげたら?ハル姉が首突っ込んだら……」「ちょっ、何がいいたいのよ!?せっかくの誕生日だからでしょ!大丈夫よ、SOS団の威信にかけて、 ルリちゃんにとびっきりの誕生日を過ごしてもらうわ!いえ、ルリちゃんじゃなかったわね。 今日からあたしもルリルリって呼ばせてもらうわ!アスカ、あんたもよ!」
2日前。 駅前のファーストフード店は放課後の学生たちで溢れていた。 その一角に、四人の女子生徒。ハルヒに呼び出されたアスカ、レイ、それから長門がハンバーガーやポテトをつまんでいる。「──というわけで、ルリルリの誕生日はSOS団が全面的にプロデュースします。 そこで聞きたいんだけど、最近ルリルリが欲しがっていたものとかないかしら?」 ハルヒに言われて、レイ、長門はポテトを取る手を休めずに答えた。「新しい電子レンジを欲しがっていたわ」「最新の掃除機を所望していた」 アスカが呆れた声で口を挟む。「ちょっと、生活用品ばっかじゃない!ファースト、あんたたちルリちゃん……じゃなかった、 ルリルリに家事とかまかせっきりなんじゃないの?」「そんなことないわ」「ルリはいつも、私たちの行動の先をいく」「まかせっきりなのね」「いや、アスカも人に言えるほど家事やらないじゃない」「う……」「ま、いいわ。特別なにか欲しいってわけじゃなさそうね。フツーにぬいぐるみとかが いいのかしら?う~ん、でもそれじゃなんだかひねりがなくてつまんないわ」 ふとレイが、食べる手を止めて言った。「でも……」レイの赤い瞳がハルヒを見つめる。「ルリはきっと喜ぶわ。わたしたちもお祝いするつもりでいたけれど、わたしたち以外にも そうやってお祝いしようと思ってくれる人がいるんですもの」
七夕前日。 休み時間にハルヒはルリの誕生日の件について、キョンに相談した。「なんかいいサプライズ方法ない?プレゼントの方はどうにもアイディアが浮かばないのよ。 だからせめてシチュエーションにはこだわりたいじゃない?例えば何の気なしに出かけたら いきなり怪しい黒い車が停まっていて、そのまま誘拐されたと思ったら豪華なホテルの パーティー会場に到着!そこにはあたしたちとゴージャスなケーキが待ってるの! ルリルリの涙腺は驚きと感激のあまり制御不能に陥るわ!」「制御不能に陥ってるのはお前の思考だ。普通にやれ。奇をてらう理由などない」「なに言ってんのよ。普通じゃない、特別な日でしょ?普通にやる理由こそないわ!」「やれやれ。けどなぁ、ハルヒ。そういうのは何をあげるか、何をするかが重要なんじゃなくて、 何かをプレゼントしようとか、何かをしてあげようという気持ちが大事なんであって、気持ちが 込められてなけりゃ何したってそれは形ばかりのものになるし、気持ちが込められているなら 何をしてもきっと相手には伝わってくれる。俺はそう思うぞ」「……ふぅん」 ハルヒはそっぽを向いて考えた。(確かにそうかもしれないけど、何に気持ちを込めればいいのよ。 普通のケーキに、ぬいぐるみか何かプレゼントして、なんだかよくある普通の誕生日。 そこにあたしたちの気持ちが込められてるって言えるのかしら?)(翠は……手作りのスコーン。いつもと同じかもね。でもいいじゃない。 翠らしい、気持ちが込められた最高のプレゼントだわ。あたしたちは……? あたしたちは、翠ほどルリルリと特別仲良しってわけじゃないかもしれない。 だから、普通のプレゼントになっちゃうの?)(でも、やっぱり何かしてあげたいじゃない……!)「そもそもルリルリって、欲が無さそうに見えるのよね。有希たちに何か欲しがってる物はないか 聞いても生活用品ぐらいしか出てこないし。まぁそれは環境に問題があるのかもしれないけど。 だからかしら、こっちとしては何をあげたらいいか分からなくなっちゃうのよ」「なるほどね。確かに、そんな感じの子に見えるな」「やっぱり、望むからこそ得る喜びがあって、幸せがあると思うのよね。でもそれだとルリルリには 通用しない感じなのよ」「そうかもしれんが、望んでいなくても、与えられること自体に喜びを感じることだってあるだろう。 望むというより……その逆もまた然りだ。それは幸せなことだと思うし、例えばルリちゃんは 今まさにそうなのかもしれない」「逆……?」
7月7日、ルリの誕生日。 ハルヒの計画に従って、レイはルリを家から連れ出し、途中でアスカと合流。 それからレイと別れ、アスカの誘いでハルヒたち3姉妹の住む家にルリは向かっている。「まるで誘拐の手順のようだが、ほんとにルリちゃん来るのか?」 キョンに訊かれて、ハルヒは落ち着いた様子で答えた。「大丈夫よ。レイの話だとルリルリは微塵も疑ってなかったみたいだし。 ……アスカが自然に誘えてるかどうか少し不安だけど、まぁ上手くやるでしょ。 レイが誘うといかにもって感じがするけど、アスカなら怪しまれずにここまで 連れてこれるはずよ。流れるような手筈、うん、完璧だわ」 ハルヒたちの家のリビングでは、ルリの誕生日パーティーの準備が行われている。「みくるちゃん、お茶とジュース、コップの数は足りてる?」「はぁい!」 料理にお菓子、飲み物が次々とテーブルの上に乗せられていく。「あ!ミナトさんすいません!あたしもお皿運びます!」「いいのよハルヒちゃん。それにしてもルリルリ喜ぶんじゃないかしら、こんなに たくさんの人たちがお祝いしてくれて」「できましたですぅ!翠星石の特製スコーン!」「あら、いい匂いがするわ翠星石」「ふふーん。真紅にもちょーっとだけなら食べさせてやらんこともないですぅ」 ルリとふたり、玄関の前に立つと、アスカが扉をあける。「さっ!どうぞ!」「あ、はい。お邪魔します」 家のドアが開く音に反応して、レイが言った。「……来たわ」 それを受けてハルヒが合図する。「じゃ、みんな、クラッカーの用意はいいかしらっ?」 アスカに連れられて、ルリはリビングへと続く廊下を進む。
パァン! ルリがリビングを仕切る扉を開けた瞬間、一斉にクラッカーが弾けた。 そこにはよく知る面々、SOS団のメンバーに姉のレイと碇シンジ、親友の翠星石に真紅、アキトにユリカ、ミナトまでいて、皆満面の笑みでルリを迎えた。「あれ、みなさん……?」 きょとんとするルリに、「ルリルリ、はっぴぃバースデーですぅっ!!」 翠が祝福の言葉を伝えた。「あ、今日……私、誕生日ですね」「そうよ!まさかルリルリ忘れてたの?とにかくここ座って!」「ル、ルリルリ……?」 ハルヒに招かれ、全員を見渡せる位置に用意された席にルリが腰をおろした。 ルリの誕生日パーティーは、つつがなく、賑やかに過ぎていった。「翠星石からのプレゼントは特製スコーンですぅ。ルリルリ召し上が……あっ!アス姉だめですよ! 一番最初に食べるのはルリルリですぅ!!」「かたいこと言わないでよ」「ダーメーでーす!さ、ルリルリ召し上がれですぅ」「わぁ、ありがとうございます。いただきます。私、この味ほんとうに好きです」「ほ、ほんとですか?ま、まぁこの翠星石の得意分野……ですから……」「何真っ赤になってんのよ?翠。あたしも食べるわよ!」「あ、アス姉もどうぞ……です……」「???」 ルリの隣にハルヒがやってきて座る。「ほんとはさ、もっとサプライズでハートフルな誕生日会やりたかったんだけど、あたしの力じゃ これぐらいしかできないわ。ささやかで申し訳ないけど、楽しんでいってね」「はい。でも十分サプライズでハートフルですよ。私、驚きましたし」 ルリは少しうつむくと、ほんのり頬を染めながら言った。「それに……みなさんと楽しい時間を過ごせて、ハルヒさんたちがこうして私のことを考えてくれて、 それがなにより嬉しいです」 ハルヒはしばらく何かを考えるような表情をして、それから納得したような顔をした後、ルリに向かって優しく微笑んだ。 照れくさくなって視線を逸らしたルリが庭に目をやると、ハルヒが持ち帰ってきた笹の葉が揺れている。 そこにかけられたやや大きめの短冊に、願いごとが書かれていた。 『ルリルリに素敵な一年が訪れますように』
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