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乙女ゲーム的クソゲーとは何か。
2014年大賞『クローバー図書館の住人たち』は、我々乙女にそんなテーマを投げかけてくる作品だった。
度重なる議論を経ても、答えを見いだせないまま時は過ぎ2015年。
果たしてこの、哲学的とも言える問いかけに、答えは見つかるのか。

我先に、と門を叩いたのは、静かなる幕開けに反するかのように巨大な地雷であった。
『新テニスの王子様~Go to the top~』(以下、テニヌ)
許斐剛氏の大人気テニス(?)漫画「新テニスの王子様」を原作とした乙女ゲーである。
数年ぶりとなる「テニスの王子様シリーズ」の乙女ゲー。普通であれば、歓喜に沸くところではあるが。
発売元が「KONAMI」からクソゲー量産メーカーとして名高い「フリュー」に変わったことや、
主人公が従来の中学生ではなく社会人であること、公式サイトのキャラ名間違いや作画崩壊……
以上の事から今作は、発売前から「見えてる地雷」と称され、今回見事に大爆発を遂げた。
『テニヌ』をプレイする上で目に付くのが、明らかに原作とはかけ離れたキャラクター達の姿である。
ムードメーカーである菊丸に笑顔の立ち絵がない、糸目キャラの不二は常に開眼状態などなど
作画の時点で「そのキャラらしさ」というものを感じることが出来ず、さらには
女性である主人公をパシリ扱いする跡部
年上である主人公を「あんた」呼ばわりする菊丸
空腹だと言うのでガムをあげたら、「余計に腹が減った」と激怒し怒鳴り散らす桃城
敗北した真田を「腑抜け」呼ばわりする幸村
等、作中至る所にキャラ崩壊が見られる。そもそも
「皆学校を休んでまで参加しているテニスの合宿という舞台で、テニスの実力とは全く関係のない、
一般人からのネット人気投票のトップを取るために、わざわざ練習時間を割いてまで積極的に取材に協力するキャラ達」
という設定そのものが、テニスのために生死さえかけかねないテニプリキャラ達にとってはキャラ崩壊とも言える。
この企画の発案者は例に倣って跡部なのだが、その理由も
「どうせお前たちは俺様には敵わない烏合の衆だから、俺様と張り合うチャンスを与えてやろうと思ってな」
などと言うもの。原作では高圧的ながらも仲間想いである跡部の盛大なキャラ崩壊である。
この時点で原作付き乙女ゲーにあるまじき失態なのだが、唯一のオリジナルである主人公も、キャラ設定とはかけ離れている。
言動や思考回路が社会人とは思えないほどに幼稚で、基本的にパシリであり、帰りをキャラに送らせたり野犬から守ってもらったり。
更には、仕事である取材のアイデアすら自分で出せず、未成年に相談してくるような成人女性相手に、12~15歳の男子達は、
それらしいきっかけになるような大きなイベントは一切ないまま、いつのまにか許可も得ず名前で呼んでくるほどの好意を持つ。
2,3言で終了する一日の会話を数回繰り返し、辿り着いたのはCGも何もなくただ「大人になるまで待ってて」とだけ言って
主人公も何の葛藤も疑念も抱かずに受け入れて終了→エンドロールという味気ないにもほどがあるED。
おそらく、主人公が成人済みであることから、未成年であるキャラとの深い描写が出来なかったのだろう。
ならば、なぜ主人公を社会人にしたのか。従来のシリーズのように中学生にしなかったのか。不満が尽きない。
その他、ファンブックを見て答えるだけのクイズ式ミニゲームや、ストーリー的に意味があるのか不明な上、
台本探しという作業を演者全員分揃えないと見ることのできないPV撮影など
周回を重ねるごとに選評者を以てして「ストレスがGo to the top」と言わしめ、攻略キャラ30人のうち二桁も攻略しないままゲームを投げる乙女が続出。
乙女ゲーだけでなく、原作付きのキャラゲーとしてもあるまじき作品となった。

叩けば叩くほど埃が出てくる「テニヌショック」。この甚大な衝撃によって、今年度の門番が誕生した。
強すぎる門番を前に、あくまで「可能性」に過ぎない小粒なクソゲーたちは門を叩くことすら出来ないまま涙を呑んで去っていく。
……だが、その間にも確実に次なるクソゲーは息づいていたのである。
そして、年を跨ぎ1月。ついに2つの勇者が門番の前に立ちはだかった。


一作目は『POSSESSION MAGENTA』(以下、ポゼマゼ)
「愛と狂気のミステリーAVG」と銘打っており、その名の通り学園内で起こった事件を主人公と攻略対象たちが推理していくというサスペンスストーリーである。
プロローグにて、突然発狂した男子生徒が次の日、磔遺体となって発見された時は「これから何が始まるのだろうか」とわくわくしたものだ。
しかし、今作の盛り上がりはこのプロローグのみで、後はサスペンスとしても恋愛ものとしても非常にお粗末な出来となっていた。
高校生特有のノリとテンションで行われる軽~い推理。続きが全く気にならない事件展開。
冒頭で「あっ…(察し)」となる犯人。初登場の時点で「あっ…(察し)」となる黒幕。最後まで死の真相が明かされない被害者たち。
推理が幼稚なため、ミスリードがミスリードになっていない。そんなこんなで明かされた真相はミステリーというよりはファンタジーであり、そのくせ大したことない。
終盤になると突然、真犯人=ラスボスVS主人公たちのガチバトル(物理)が始まる超展開。そして、最終的な解決策はなんと「ネット」。
これらを構成しているのは誤字脱字に塗れた厨二病極まりない文章であり、選評者に「選れし私が失筆した狂気の恋愛奇譚‐アドベンチャー‐」と表現された。
「ポゼる」「ピュリる」などと言った謎の言語が説明もなしに繰り出されることも、文章の読みにくさに拍車をかけている。
恋愛部分も皆無に等しく、ストーリーが始まった時点で全キャラクターの好感度がMAX状態という文字通り「つよくてニューゲーム」状態。
各章ごとに一人、攻略対象がメインとなるシナリオが用意されているのだが、仲良くなるのがその章だけしかなく、他キャラがメインとなる章では完全な脇役に徹する。
そのメインシナリオの内容もあっさりとし過ぎており、基本的に 主人公「事件解決しなきゃ(使命感)」 攻略対象「そこに痺れる、憧れるぅ!」 といった感じの内容。
このように恋愛部分が薄いどころか「無」の状態であるにもかかわらず、エロ展開だけは一丁前に搭載されている。
このゲームでは攻略対象が個別ではなくメインシナリオで一人ずつポゼる(発狂する)展開があるのだが、ポゼってしまった攻略対象たちはほぼ同じ展開で性的に迫り、殺そうとする。
ポゼってしまった理由は主人公への恋心。壁ドン、無理やりキス…くらいならば許容範囲だが、服をひん剥いたり押し倒したり、その他CEROギリギリアウトな行為を働き、主人公も毎回「仕方がない」と受け入れる。
尻軽ビッチ感が拭えないのだが、この主人公は才色兼備という設定である。だったら、説得くらいしてみたらどうなのか。
エロ展開は当然ながら未遂で終わるのだが、それ以降主人公が攻略対象を異性として認識することはなく、最初から最後まで一貫して事件>>>>>>恋愛と比重を置いていたのに、
個別ルートに入った途端に恋愛スイッチがONになる。この個別ルートも例に倣ってあっという間に終わってしまい、やはり恋愛してる感が無い。
こんなお粗末なシナリオ、恋愛パートでも、その向こうにはライターのドヤ顔が透けて見え、「困ったらエロ入れとけ」といった浅はかな考えまでもがひしひしと伝わってくる。
選評者曰く「今作の救いはキャラクター」とのことだったが、前述の主人公に加えもう一人最大の地雷が埋め込まれている。親友の「綾女」である。
彼女も主人公への好感度がMAXどころか限界突破しており、主人公を「ハニー」と呼び、攻略対象以上に「好き」を連呼してくる。
ここまでであれば単なる百合キャラに留まっていただろうに、これに男嫌いという設定が加わったことで最大限の地雷キャラへと変貌してしまった。
男であれば攻略対象だけでなくサブキャラにまでもオラついては悪態を突き、主人公と攻略対象が絡んでいる姿を見かけようものならば電光石火のごとく割って入り邪魔をしてくる。
プレイヤーや攻略対象にとっては邪魔極まりない存在なのだが、主人公はまんざらでもないらしく強く諫めることをしない。
更には攻略対象が彼女の態度を注意しても「仕方ないでしょ」などと言って率先して庇うため、彼女は反省せずに妨害を繰り返す。非常に質が悪い。
恋愛すべき主人公が恋愛をせず、主人公の恋を応援するべき親友が邪魔をしてくる。
シナリオ中で上がっていくはずの好感度は最初からMAXな上、共通ルートが8割を占めているため恋愛している感が薄く、作品のメインテーマである「ミステリー」も不必要。
更に真相ルートで主人公は特定の攻略対象と「正史」として結ばれるため、他のキャラクターが空気かつ無駄な存在となり果ててしまっている。
今作はまさに「乙女ゲー無」と呼ぶにふさわしい出来であった。

二作目の名は『RearPheles -Red of Another-』(以下、リアフェレス)
今作を以て乙女ゲー業界に参戦したニューフェイスの手がけた、童話「赤ずきん」をテーマとした新感覚AVGである。
ノベル形式のゲームが多い乙女ゲー界隈において、3Dを使用した探索型鬼ごっこゲーを導入した今作は非常に斬新かつ購買意欲をそそるものだったに違いない。
だが、蓋を開けてみると、赤ずきんどころか猟師や狼ですらも脱兎のごとく逃げ失せるであろう、凶悪な鬼ごっこが待ち受けていた。
プロローグで突如見知らぬ赤ずきんに「狼が来てるから逃げろ」と言われ、「移動はスティックで」といった程度の基本中の基本の操作のみを教えられ、
体感時間にして最大2分ほどかかってしまう読み込み時間の果てに放り出された3Dパートの操作性は、初代バイオハザード+初代クロックタワー÷2と表現されている。
スティックを動かしても直進しかできず、マップを歩き回るにはRスティックでの方向転換→Lスティックで進むといった作業をこなしていかなければならない。
主人公は、狼から逃げなければならないというのに異常なほど鈍足で、走っていても徒歩と同程度の速さしかない。
当然すぐに狼に捕まり、無駄にえぐいSE付きで食べられすぐにゲームオーバーとなる。
この操作にさえ慣れてしまえば、後はどうにでもなる……と思ったら大間違いである。
マップは似たような景色が続く割に不思議のダンジョン形式に地形が変化し、鍵の位置や脱出ポイントが毎回違う。
さらに狼はテレポート能力を有しており、後ろから追いかけてきているはずなのに、なんの脈絡もなく主人公の進行方向側から現れる。
狼が目の前に立ちふさがっても、横をすり抜けるなどと言った運動神経を鈍足の主人公が有しているはずもなく、逃げるために後ろを向いた瞬間にぐちゃり、というのはもはや常。
救済措置のつもりであろう難易度選択も、上記の操作性の悪さから全く意味のないものとなり果てている。
あまりの操作性の悪さに、興味を惹かれた購入者の大半が恋愛を楽しむ前に売却してしまうという事態に陥ってしまった。
この3Dパートは後に配布されたパッチによって飛ばすことが可能になったのだが、安堵したのも束の間。
3Dパートの恐怖から逃れた先にあったのは、新たなる脅威であった。
「○○を××したから□□になった。」「パクパクと食べた。」といった幼稚極まりない文章に、プレイヤーと作中とで話の内容がかみ合わない箇所が多いため、整合性が迷子状態。
通常ならば一言で済む日常会話を、週刊少年漫画のように無駄にだらだらと引き延ばしてあるため、なかなか話が進まない。
だのに長く尺を取るべき重要な場面での説明や推理を端折って、当人たちだけで勝手に話を展開するため、プレイヤーは置いてけぼりを食らう羽目に。
その為、謎が謎のまま作中の誰も疑念を懐くことなく終了してしまうという、ホラーにあるまじき失態がちらほら存在する。
更に今作の主人公は、ホラー作品の主役とは思えないほど、とんでもない性格をしている。
「お部屋」「おうち」「お料理」等、どこぞの清らかな神子様を彷彿とさせる言葉を操り、口調は「○○だよねぇ」「○○だけどなぁ」と間延びしていて緊張感が皆無。
狼に狙われているという自覚も無く単独行動をしたがり、 すぐそこに狼が迫っているという危機的状況でも危機感を持たずに「お花がきれい」と呟く文字通りのお花畑思考。
自分の好き勝手に行動した結果、命の危険に晒されたというのに、次の瞬間にはそのことを忘れ、何度も何度も同じことを繰り返す。無限ループって怖くね?
人の忠告や警告を悉く無視するどころか「わかってる!」と逆ギレしてくる某記憶喪失さんのような唯我独尊ぶりに、
鈍感という設定上、あからさまな好意にも全く気付かないどころか、近くにいたキャラにいちいちその言動の意味を尋ねるという圧倒的な空気の読めなさ。
何ともデジャブを感じさせるこの主人公、一言で評してしまえばただの馬鹿である。
そんな主人公の馬鹿さ加減が最もいかんなく発揮されるのは、なんと真相ルート。
シナリオ中に伏線がこれでもかと言わんばかりに散りばめられている上、ラスボスの口から限りなく正解に近い発言が出ているにも拘らず、事の顛末について全く理解していないのだ。
しかも、最終的にはラスボス側が自己解決してしまうため、真相ルートでの主人公は馬鹿さと鈍さを露呈しただけで終わってしまう。
こんな主人公が作中では「予言の子」などと持て囃されるのだから、プレイヤーは釈然としないだろう。
今作は当初、その操作性の悪さが携帯ゲー版KOTY民の目に留まり、話題となっていた。
しかし、公式側が良かれと思って導入したパッチによって、今まで成りを潜めていたシナリオ部分の悪さが露呈してしまう羽目となった。
結果、今作は乙女ゲームとしてもクソゲーであることが日の下に晒され、無事ノミネートを果たしたのである。

以上、個性豊かな上記3作をノミネートとする。
大賞を決定する前に、今一度前年度のテーマを問いたい。

『乙女ゲー的KOTYとはなんだろうか』。

乙女ゲームもあくまでゲームの一種だ。それが故「システム」や「バグ」といった根本的な部分にどうしても目が向きがちなのも、致し方無い。
2007年より始まった歴史の中で選ばれたKOTYの大半が「ゲームとして」の問題児ばかりだ。
だが、そういった部分ばかりに注目が行き、その果てに選ばれた作品は本当に「乙女ゲー的」KOTYなのか。
「システム」「バグ」などの根源ばかりが評価されて大賞になるのであれば、他の該当KOTYスレで十分のはずだ。
「太陽」に隠されて見えなかった「月」―――我々乙女が最も目を向けるべきはそこではないだろうか。

以上を踏まえ、2015年度の大賞を発表しよう。
真の「乙女ゲー的KOTY」に相応しい作品―――それは『新テニスの王子様~Go to the top~』である。

「ゲーム」という大きく広い視野で見れば、システム周りや操作性に難のある『リアフェレス』が大賞に相応しいかもしれない。
しかしここはあくまで「乙女ゲー的」KOTYスレ。前述のとおり、比重を置くべきは「システム」ではない。
それに、ゲーム性という意味で決定打となる3Dパートは、後にパッチによりスキップ可能となった。
昨今、致命的なバグですら「仕様だ」と言い切り売り逃げを果たすクソゲーメーカーが多い中で、
即刻ユーザーの意見を反映し、パッチ適用を果たした後もなお公式サイトにユーザーアンケートを設けている製作元のMatatabiはとても良心的だと言えよう。
また、このMatatabiは乙女ゲーどころかゲーム業界としても新参者の部類であり、数々の失態も「圧倒的経験不足」と言ってしまえば収まりがつく。
着眼点は悪くない、むしろいい目の付け所だ。この失敗を踏まえ、Matatabiにはぜひ今後も乙女の国の支えとなっていただきたいものだ。

『リアフェレス』のゲーム性が議論対象外となったことにより、目が向くのは「シナリオ」。
この事実により導き出される答え―――乙女ゲー的KOTYにおいて最も重視されるべき点は「シナリオ」である。
「好みの範疇」という茨多き道であろうともじっと耐え忍び、あくまで冷静に見定めて初めて、真の「乙女ゲー的KOTY」に君臨するのではないだろうか。

今年度ノミネートした3作は、好みの範疇以前に読み物の基本である「起承転結」が全く成立していない。
「承」「転」の部分が迷子なのは、もはやこの3作にとっては当たり前。この時点でノミネートは確約されたようなものだ。
が、残された「起」「結」の部分に、『ポゼマゼ』『リアフェレス』と『テニヌ』の相違点がはっきりと浮かび上がってくる。
まずは掴みである「起」の部分。
「起」の部分が一番の盛り上がりと言わしめるほどプロローグで高揚感を煽ってくる『ポゼマゼ』。
欠点だと思われた解像度の低さが逆に効果的となり、そこに雰囲気満点のBGMが加わることで及第点となっている『リアフェレス』。
「起の」部分だけを取り上げれば及第点である2作に対し、『テニヌ』はどうだ。
シリーズ累計発行部数実に5000万部を超える立派な原作がついていながらも、その設定をまるっと無視して始まる「起」。
これは購入者の大半を占めている原作ファンのみならず、乙女ゲー化することを快く了承してくださった原作者許斐剛氏への冒涜行為と言えるだろう。
次にクライマックスである「結」の部分。
真相ルートの押し付けがましさを除けばどのルートもしっかりと結べている『ポゼマゼ』。
整合性は取れていないが、物語的にはめでたしめでたしで終了する『リアフェレス』。
2作に対し『テニヌ』は、攻略キャラが多いが故に複数のEDパターンが作れず、唯一のEDも2人だけが盛り上がって終了と、なんとも言えない尻切れトンボ状態。
この2つの相違点が、3作の「読み物としての」差を物語った。

だが、これだけではまだ決定打に欠けている。
シナリオが悪くても、恋愛部分の描写がしっかりしていればそれでよし! と豪語する乙女もいることだろう。
安心してほしい。乙女ゲーにおいて最重要の恋愛部分においてもやはり途方もない差が生まれているのだ。
最初から好感度MAXではあるが、恋愛関係になってからの描写はしっかりしている『ポゼマゼ』、
幼稚過ぎる主人公と言えど、攻略対象のと心の交流や惹かれていく過程は描けている『リアフェレス』に対し、
『テニヌ』はただキャラのパシリとなるだけで、恋愛といえるだけの恋愛要素など探しても見つからない。
その最大の原因は「主人公」の「設定」にある。
『ポゼマゼ』『リアフェレス』双方も、主人公のキャラクター性を問題視されていた。
しかし、それはあくまで「物語上」での問題に過ぎない。肝心な恋愛描写は「出来ている」のだから。
『テニヌ』の主人公は、記者という設定を踏まえると若くても20代前半~アラサーということになる。
きちんとした職に就いた立派な社会人ならば、成人と未成年の恋愛がリアルでいかに問題となるかがわかるはずだ。
この「社会人主人公」こそがゲーム製作上でも完全に足枷となり、恋愛部分だけでなく物語においても深い描写が「出来なかった」のである。
この事実こそが、今作を大賞たらしめる最大の原因となったことは疑いようがない。

更に、駄目押しとしてもう一点。
美麗なイラストに個性的なキャラクター達、声優陣の圧巻の演技力といった乙女ゲーならではの萌えがある2作。
特に声優陣のキャラへの入り込み度は、選評者をもってして「救い」だと言わしめたほどだ。
だが『テニヌ』に至ってはいくら探しても乙女的に萌えられる要素が見当たらない。
原作無視という愚行により、良要素になって当たり前のはずのイラスト・キャラ・声優陣の演技力が悉く無駄となってしまっている。
挙句の果てに、本スレにて称賛を浴びたのが3D機能が効果的に働いた「ラーメンの湯切り」や「飛び散るご飯粒」といった
乙女的にどころか恋愛ゲームとしても感じるもののないスチルのみ。
乙女ゲーが誕生して21年。乙女ゲー的KOTYが発足してから早8年。
シナリオ型クソゲーに常に伴っていた憤怒や阿鼻叫喚といった負の感情が一切沸かず、「好みの範疇」という単語すら適用できる要素のない作品。
アンチの沸きやすいこの乙女の国で、アンチの沸く隙すら与えず、代わりに笑いを届けたクソゲーが未だかつて存在しただろうか?
『テニヌ』が名実ともに「Go to the top」となった歴史的瞬間である。

こうして新たなる歴史が誕生した裏で、2つの歴史が幕を閉じた。
9月25日、乙女ゲー的KOTYの偉大な始祖である「QuinRose-クインロゼ-」ブランドを展開していた(株)アートムーヴが事業を停止。
そして、「恋愛要素のない乙女ゲー」として昨年話題となった「うたプリアイランド」が結局恋愛を実装することのないままサービスを終了した。
始まりがあれば終わりがある。諸行無常。それは、乙女の国においても同じことなのである。

最後に、「乙女ゲー的KOTY」の歴史に真新しい球痕を残したフリューの『新テニスの王子様~Go to the top~』に、
跡部王国‐キングダム‐君主、跡部景吾より祝辞を賜り、今年度を締めさせて戴こう。



「なるほど、K O T Y じゃねーの。」