近藤浩治

こんどう こうじ

日本で活動しているゲーム音楽作曲家。現在は任天堂に所属している。情報開発本部技術部技術課課長→情報開発本部制作部サウンド統括グループマネージャー。
1984年に任天堂に入社し、スーパーファミコン時代までは効果音作成やサウンドプログラム等の仕事も行っていた。
任天堂にサウンドの専門家として雇われた最初の人間であった*1*2

幼少期から高校時代までエレクトーン教室に通い、ポップスを中心に音楽の素養を広げてきたと言う。
(逆にオーケストラ音楽については専門的な勉強はしてこなかったと語っている。)
学生時代はディープ・パープルやイエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマーと言ったロック、
カシオペアやチック・コリア、ハービー・ハンコック等のジャズやフュージョンに入れ込み、バンドを組んだ。
また邦楽では渡辺貞夫からも影響を受けたという。

他方ではアナログシンセサイザー(ヤマハCS-30)で様々な音響(例えばライオンの咆哮)を作り上げる事に熱中していた。
当時は進路として作曲家やエレクトーン奏者では無く、効果音を作る仕事やミキシングのエンジニアに興味を持っていたという。

大学時代は音楽プロデューサーやディレクターの仕事を学んだ。
任天堂に入ったのは友人を介して偶然にも大学の就職課に来た求人を知った事がきっかけとの事で
シンセサイザーによる作曲やゲーム制作の過程に興味がありぴったりだと思い、任天堂の一社しか面接を受けなかったという*3

入社後は『デビルワールド』、初代からの「スーパーマリオブラザーズ」シリーズや「ゼルダの伝説」シリーズ等のサウンド
(音楽、効果音、サウンドプログラミング)の制作を担当した。

一貫して画面と音をマッチさせる工夫に拘り続けた。
単にゲームに音楽を流すだけに留まらず、ゲームの開発初期段階から他の開発スタッフと深く関わり合い、遊び手の体験を強調する為の音づくりを大切にした。
こうして任天堂の音楽制作現場を作り上げ、方向付ける事に貢献した。

近藤氏は任天堂を代表する作曲家としてだけで無く、「ゲーム音楽の父」として世界的な人気を誇っているが、その理由としては以下の事が挙げられるだろう。
  • シンプルで記憶に残り、思わず口ずさんでしまう様な質の高いメロディーを数多く作り出した事。
    • メロディーのキャッチーさ、コードのシンプルさは渡辺貞夫の曲作りに共鳴した所が大きい。
  • ゲームに効果的に音楽を付ける方法を開拓し、確立していった事。
    • またその付け方がとても上手く、ゲームとフィットしていた事。
    • 特にゲーム音楽ならではの効果的な音の付け方として「リズム」「バランス」「インタラクティブ」の3要素を近藤氏は挙げている(詳細は外部リンクを参照)。
  • (任天堂初期のゲームのクオリティの高さに貢献した結果として)担当したゲームの知名度が高い事。

2000年代以降は独立せずに管理職になる道を選び、後進の指導に当たっている。


作曲作品の一例



代表的な曲



関連書籍

  • ゲーム・マエストロ Vol.3 コンポーザー編、毎日コミュニケーションズ(2001年) - 長編インタビューを収録。
  • アンドリュー・シャルトマン著『「スーパーマリオブラザーズ」の音楽革命 近藤浩治の音楽的冒険の技法と背景』樋口武志 訳、DU BOOKS(2023年)

外部リンク

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年10月24日 17:00

*1 近藤氏と同期にもう一人のサウンドスタッフとして中塚章人氏が入社している。

*2 近藤氏以前にも兼岡行男氏や田中宏和氏の様に、プログラミングやエンジニアリングの傍らサウンドデザインを手掛ける社員は居た。

*3 出典:https://web.archive.org/web/20140714115723/http://www.wired.com/2007/03/vgl_koji_kondo_/