wiki クライムウェイヴ(Sysop読書録 活字をめぐる冒険)
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2024-03-17T21:00:49+09:00
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ザ・ロング・サイド
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*ザ・ロング・サイド
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題名:ザ・ロング・サイド
原題:The Wrong Side (2021)
作者:ロバート・ベイリー Robert Bailey
訳者:吉野弘人
発行:小学館文庫 2024.2.11 初版
価格:¥1,200
マクマートリー教授シリーズ4部作の後、ボーのその後を描く二部作の後半部が本書である。新たな事件でありながら前作を引きずるかたちの展開で、マクマートリーとボーによる<けつの穴全開>シリーズ全作? の完結編であることで、本シリーズはとうとう幕を閉じる。「胸アツ」の強烈形容詞を携えて一気に読者の胸倉を引っ張ってきた感のあるスポ根リーガル・ミステリーの最終の一幕をまたもしっかりと味わってしまった。
舞台は、KKK誕生の地のプレートが遺る曰くつきの街、テネシー州プラスキ。主人公は元アラバマ大フットボールチーム花形選手だった黒人弁護士ボーセフィス・ヘインズことボー。スタートは、ジャイルズ・カウンティ高校のアメフト・ゲームで始まる。試合後には、ロックバンド“フィズ“によるライブ・コンサートが予定されており、プラスキの夜は沸騰して見える。
試合で予想通りの活躍を見せたオデル、試合後のコンサートでボーカルを務め会場の注目を浴びたブリタニー。エキサイティングな夜の後に遺されたものは、人気のない深夜のバス置場で殺害されたブリタニーと、酔って保護されたオデルだった。何が起こったのかわからない夜。オデルがブリタニー殺害犯として立件される道筋が見えてくる。われらがボーは、この事件に、またこの事件を待つ法廷でどのような役割を果たすのか? 本作の見どころは、ボーの体験してきたこれまでの運命が、彼をどこへ導いてゆくのか? 数作前で妻を失ったボーの再生の道はどこへ向かうのか?
というわけで本シリーズの完結編ともなる本作。満員のフットボール会場。とことんジャイルズ郡プラスキがその舞台。前作でどこか遺恨の残りそうな結末を共にした検事ヘレンの意味深げなプロローグも気になる。シリーズ作品としての連続性を背景にしながら、単独作品としての練度もしっかりした法廷ミステリー、胸アツ主人公ボーとその子供たち。また彼の法律事務所を支える秘書と探偵のトライアングルによる連携プレイ。エンターテインメントのパーツをそこかしこに仕掛けた状態で迎えるシリーズ、クライマックスが本書である。
過去の様々な出来事が追想されながら本書という結末に収斂してゆく大団円的ストーリーだが、何分真相が見えにくい。幾重にも視野を歪ませる仕掛けが用意されており、そこに絡む怪しげな人物なども複数配置。読めるようで読めない真相。予期不能の結末。シリーズがスタートとなった『ザ・プロフェッサー』からずっと熱い血で読者を引き込んできたシリーズ6作目にして最終作の本書。単独でも愉しめるが、やはり一作目から時間軸を辿って読んでここに辿り着く方が、読者としてはパーフェクトな味わいが得られると思う。ストーリーは同じ地平で繋がっているからである。過去作があって今がある。未読の方は是非、順序だててトライして頂きたい。既読者はさて次なるシリーズの邦訳を心待ちにしようではないか。
(2024.3.5)
2024-03-17T21:00:49+09:00
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ホレス・マッコイ Horace McCoy
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2588.html
*ホレス・マッコイ Horace McCoy
**長編小説
-[[彼らは廃馬を撃つ 1935 常盤新平訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2595.html]]
-[[屍衣にポケットはない 1937 田口俊樹訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2589.html]]
-明日に別れのキスを 1948 小林宏明訳
2024-03-17T14:08:38+09:00
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彼らは廃馬を撃つ
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*彼らは廃馬を撃つ
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題名:彼らは廃馬を撃つ
原題:They Shoot Horses, Don't They (1935)
著者:ホレス・マッコイ Horace McCoy
訳者:常盤新平
発行:白水社 2015.5.20 初版
価格:¥1,000
1935年に書かれ、1970年と1988年に出版されてはいずれも廃版となっては、三度の光を浴びて復刊したのが本書である。しかしこれもまた再版とはならず現在は廃版の状態である。「廃版」とタイトルにある「廃馬」に重なるイメージがあるのだが、本も馬も人もいつかは廃棄される運命にあり、撃たれる運命にあるのかもしれない。
先日読んだばかりの『屍衣にポケットはない』で独特な感性とタフでぶれない軸を持った作家ホレス・マッコイの名を知り、二つの世界大戦の合間に展開するアメリカという社会の、大戦間ならではの独特な歪みをさらに検証することができるのが本書であると言っていいだろう。
『屍衣にポケットはない』では、街を牛耳る悪玉金持ちに新聞という名の報道まで持ってかれようという権力悪に、ただの一匹で立ち向かう男を主軸に据え、彼を支える一筋縄ではゆかない男女のアシスト役も目立っていた孤立チームの奮闘ぶりが何とも言えない魅力に満ちていた。本書はその二年前に出版された、中編というほどの短い物語であり、180ページに満たない物語だが、衝撃度はこちらの方が強いかもしれない。
戦争で儲かる一握りの権力者に対し、戦争で疲弊する社会の悲惨を強く感じ取ることができる本作は、『屍衣にポケットはない』と同様、一握りの金持ち対大勢の貧者という図式があり、そこにたくましく生きようともがく青春群像がはかなくも作品として燃え立っている。
本書で描かれる二人の男女は、さして深い知り合いでもないが、映画のエキストラをお払い箱になり、千ドルの賞金がかかったマラソン・ダンス大会に出場する。一時間五十分踊って十分間の休憩を取るという無期限のダンス競技に勝てば千ドルの賞金を手にすることができる、というほとんど狂気と言っていいような酔狂な金持ち主催の過酷なイベントなのである。
日々の休みなきダンス・レースの中で一日一日と多くの男女が脱落してゆく姿をマスコミが食いつき、見物客も絶えない。金持ちのスポンサーがそれぞれのカップルにつくこともあるらしく、一体この狂騒のダンス大会は何なのだろうと首を傾げているうちに、作品のなかの日々は少しずつだが過ぎてゆく。
ラストの衝撃がちと応えるのだが、そこで改めて本書の風変わりなタイトルのイメージが銃弾のように読者の感性を抉る。本作は1969年代に『ひとりぼっちの青春』という邦題で映画化されている。マイケル・サラザンとジェーン・フォンダ主演のこの英画を当時の映画誌『スクリーン』で知った覚えがあるが映画自体は記憶にない。
本書は最初から最後までカルチャー・ショックである。馬鹿げたマラソン・ダンス大会を道楽で開催する金持ち
たちと、そこに参加するしか生活の寄る辺さえ稼げない貧しい男女たち。おまけに本書の主人公たちは知人ですらなく、ただこの大会のために出合頭的にペアを組んだ二人である。だからこそ衝撃のラストが切なすぎる。
時代を投影する作品として『屍衣にポケットはない』とどちらも強烈な印象を残すのがこの時代の作家ホレス・マッコイ。職業小説家とは言え、小説だけで食べてゆけるほどの売れ行きにも恵まれなかったこの作家の才能は、時代を超えて、今のぼくらの手の届くところで生き続けている。食べてゆくだけでも大変なこの時代と、それに負けぬエネルギーを秘めた若い男女とその生き様、滅びの美学、すべてのノワールの要素を凝縮したような震撼の一作と言えよう。
(2024.3.17)
2024-03-17T14:08:07+09:00
1710652087
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コラン・ニエル Colin Niel
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2593.html
*コラン・ニエル Colin Niel
**長編小説
-[[悪なき殺人 2017 田中裕子訳>http://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2594.html]]
2024-03-05T14:29:21+09:00
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悪なき殺人
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2594.html
*悪なき殺人
#amazon(right,4102403515)
題名:悪なき殺人
原題:Seules les bêtes (2017)
作者:コラン・ニエル Colin Niel
訳者:田中裕子
発行:新潮文庫 2024.11.1 初版
価格:¥850
何とも奇妙で不思議な小説である。フレンチ・ノワールの流れを汲みそうなイメージなのだが、何とやはり、というか既に映像化され、現在はDVDとして観ることができそうである(「悪なき殺人」”Only the Animals”(2019))。しかし、、、。
そう、しかし、である。本書は文章作品としての味わいが実に個性的なので、先に映像化作品を見ることはお薦めしない。本書の構成は5人の登場人物が各章毎に主人公となって語る形式の小説である。全員の証言を読む毎に、作品の世界がまるで違った角度から見えてくる。そのことがこの作品を、格別、個性的なものに化けさせているのだ。
物語の中で起こるのはある女性の失踪。季節は冬、舞台となるのは山深い山間の村なのだが、失踪したのはアウトドア好きな主婦で、生死の判断もなかなか下しにくい。農協のソーシャルワーカーとして村の農家を訪問する女性アリスに始まる本作は、導入部から早速、危険の匂いを感じさせてくれる。と同時に失踪中の女性のことが話題にされる。この失踪した女性という謎が本書の軸になりそうだとわかる。
二つ目の物語はソーシャルワーカーの訪問を受けていた羊飼い。本作が凄いな、と思われるのはここで早くも失踪者の事件が見えてしまうからだ。しかし、その見え方はどうみても幻惑的に過ぎるように感じつつ、その不信感を基に、その後の物語に繋げてゆく。
しかし三つ目の物語辺りから物語の様子は変容する。マリベという他所の土地から来ている若い女性。時系列を記憶により戻したり、この先の展開に受け渡したりする役目の章だが、毎度視点が変わる毎に唐突な展開と思えるのが本書の構成の特徴でもあるようだ。しかし、物語は唐突なジャンプを繰り返すたびに、不思議なことに真相へと近づいてゆくのである。
四つ目の物語はいきなりアフリカに飛ぶ。若者たちが従事するネット詐欺の小屋へと唐突にジャンプした物語
に面食らうが、こうなると既に快感である。若い美人女性のふりをして、画像を挙げ、引っかかったカモになる男たちをたぶらかし大金を送金させるというネット詐欺。そしてそこに引っかかるカモ。
最後の章は短い。五つの物語が繋がったときに、それぞれの物語の環が完成する。なかなか珍しい構成だが、わかりやすく言えば芥川龍之介の『藪の中』、黒澤明監督により『羅生門』として映画化されたあれである。同じ事件であれ、観たものによって、それは万華鏡のように別々の形となる。一人の女性の失踪事件の真相を語るためにその手法を用いることで、五つの物語を繋げてしまったのが本書である。さらにそのことで起こってきた化学反応自体が、失踪事件以上に闇が深い。
人間の愚かさと悲喜劇と運命に翻弄される生き物という立場。それらが衝突し合うことで発生する化学反応を一連のストーリーとして物語ったのが本作である。ある意味、凄い発想。そして驚愕。刺激的な作品構成とその内容。フレンチ・ミステリらしいノワールさが際立つ作品である。
(2024.3.5)
2024-03-05T14:29:05+09:00
1709616545
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ナ行作家
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/32.html
*ナ行作家
-[[ルネ・ナイト>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/1997.html]]
-[[N.リチャード・ナッシュ>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2432.html]]
-[[ピエテル・ニィストレーム>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2349.html]]
-[[コラン・ニエル>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/.html]]
-[[ジョー・ネスボ>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2063.html]]
-[[ホーカン・ネッセル>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2381.html]]
-[[エリーザベト・ノウレベック>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2140.html]]
-[[ジョセフ・ノックス>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2223.html]]
2024-03-05T14:27:02+09:00
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ロバート・ベイリー Robert Bailey
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2148.html
*ロバート・ベイリー Robert Bailey
**トム・マクマートリー・シリーズ
-[[ザ・プロフェッサー 2015 吉野弘人訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2149.html]]
-[[黒と白のはざま 2016 吉野弘人訳>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2237.html]]
-[[ラスト・トライアル 2018 吉野弘人訳>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2341.html]]
-[[最後の審判 2019 吉野弘人訳>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2415.html]]
**ポーセフィス・ヘインズ・シリーズ
-[[嘘と聖域 2020 吉野弘人訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2543.html]]
-[[ザ・ロング・サイド 2021 吉野弘人訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2592.html]]
**ノン・シリーズ
-[[ゴルファーズ・キャロル 2020 吉野弘人訳>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2416.html]]
2024-03-05T13:37:51+09:00
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ヘニング・マンケル Henning Mankell
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2176.html
*ヘニング・マンケル Henning Mankell
**刑事ヴァランダー・シリーズ
-[[殺人者の顔>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2329.html]]
-リガの犬たち
-白い雌ライオン
-笑う男
-目くらましの道
-五番目の女
-背後の足音
-ファイアーウォール
-霜の降りる前に
-ピラミッド
-[[苦悩する男 2007 柳沢由美子訳>https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2324.html]]
**フレドリック・ヴェリーン二部作
-[[イタリアン・シューズ 2006 柳沢由実子訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2177.html]]
-[[スウェーディッシュ・ブーツ 2015 柳沢由実子訳>https://www21.atwiki.jp/fadv/pages/2591.html]]
**長編小説
-タンゴステップ
-北京から来た男
**エッセイ集
-流砂
2024-03-05T12:46:04+09:00
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スウェーディッシュ・ブーツ
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*スウェーディッシュ・ブーツ
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題名:スウェーディッシュ・ブーツ
原題:Svenska gummistövlar (2015)
著者:ヘニング・マンケル Henning Mankell
訳者:柳沢由美子
発行:東京創元社 2023.4.14 初版
価格:¥2,600
マンケル作品として個人的には初となる『イタリアン・シューズ』を読んでから5年。スウェーデン・ミステリーの代表格的存在である刑事ヴァランダー・シリーズは第一作と最終作しか何故か読んでいないという体たらくでお恥ずかしい限りなのだが、作者の遺作となる本作は『イタリアン・シューズ』とセット作と言いながら、さらに厚みを増して、なおかつ描写の丁寧さ、深さを考えると人生を振り返る作者と本作の主人公フレドリック・ヴェリーンは、分身ではないかと推察される。しかし、ヘニング・マンケルには『流砂』というノンフィクションの遺作が遺されていて、これが彼の<白鳥の歌>として死後に出版されている。
故に本書はフィクションとしては最後の作品である。『イタリアン・シューズ』を継いでの物語となるのだが、作者自らはそれぞれ独立作品として読んで頂いても一向に構わないという立場で本作に臨んだらしい。時制が一作目と矛盾したりするなど、確かに連作と見るには不確かなところもあるらしいのだが、読んだ印象としては登場人物たちも、舞台となるフィヨルド地方にしても両作共通する地平にあると見て構わないというところだ。
内容もまた『イタリアン・シューズ』の正当なる続編と見て良いと思う。但し、本作には謎の火災により島の家が全焼するといういささかショッキングな導入部があり、その犯罪的要素から鑑みて本書は『イタリアン・シューズ』に対し、ミステリーとしての性格を多分に孕む。そもそも刑事ヴァランダー・シリーズがミステリーと言いながら相当に人間の心を描いてしまう純文学的小説としての要素を孕んでいる作品であるように思う。
本書では、主人公フレドリック・ヴェリーンには存在すら知られていなかった実の娘ルイースが登場する。前作『イタリアン・シューズ』の終盤にも登場する娘だが、彼女との改めての関わりの時間が生まれてゆく様子、彼女の秘密などをパリを舞台に描くシーンが挿入されるなど、前作に比べるとバラエティに富んでいる。
しかし、老いたるフィヨルドという舞台は相変わらず静謐過ぎて、孤独を際立たせる舞台である。その中で病や老いによって知人が死んでゆく。全体に初冬から真冬までの時間を設定した一人称小説であるのだが、その中で大きな流れとしての時は過ぎ、家族というこの物語の中では変則的な人間関係、そこに入り込む新しい女性キャラクター、リーサ・モディーンというジャーナリストと年齢差を往還する二人の微妙な恋愛感情なども、どことなくリアルで危うい。
大きな物語としては、家が焼けることで生まれる疑惑。解決しない捜査活動は地味でありながら、フィヨルドの孤島の家が結果的には数棟全焼するに及ぶ。緊張を孕んだフィヨルドの村と美しい冬の景色、そして老齢の主人公の孤独がきんと響いてくるヒューマン・ノヴェル。ヘニング・マンケルでなければ作り出せない空気感と危うい人間関係の紋様を読みながら、この小説の持つ不思議な魅力に強く惹かれつつ、美しい言葉で満ちた一ページ一ページを味わった。
どの作品も優れた小説であり、完成度も高いように思うが、何よりもデリカシーと感性に満ちた一人称文体が味わい深い。ストーリーに派手な動きがなくても、しっかりとしたページターナーと言える辺り、名手ならではの作品である。ヴァランダー・シリーズの未読作についても、じっくり時間をかけて味わってゆきたいと思う。
(2024.03.05)
2024-03-05T12:45:18+09:00
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イタリアン・シューズ
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/2177.html
*イタリアン・シューズ
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題名:イタリアン・シューズ
原題:Italienska Skor (2006)
著者:ヘニング・マンケル Henning Mankell
訳者:柳沢由実子訳
発行:東京創元社 2019.4.26 初版
価格:¥1,900
作家が58歳の時に、66歳の主人公の小説を書くということはどんな感覚なのだろうか。既に人生を終えつつあるが、死ぬことは恐怖であり、外科医であった人生にある大失敗を犯し、世間からも自分からも罰せられ地の果てのような孤島に世捨人のような人生を送る主人公を。
一年で最も夜が長いスウェーデンの冬至を孤独に過ごしていた彼のもとを、過去に無言で別れてしまった女性が訪れる。2歳年上で、氷の上を歩行器で歩いてきて、しかも末期癌を患って。
孤独な15年にも渡る孤島での一人暮らしの中で、出会う人間は数日おきにやって来る郵便配達夫だけだった。郵便は来ない。ただ郵便配達夫だけが世界との繋がりのように訪れる。そんな日々が、かつての恋人の登場によって終わりを告げる。森の中の湖に連れてゆくという人生で一番美しい約束を果たしてもらいにやってきたハリエットの登場によって。
ヘニング・マンケルがこういう小説を書くなんて知らなかった。まるでスウェーデンの村上春樹みたいだ。村上春樹は、どちらかと言うと情より知で味わう部分が大きいけれども、ヘニング・マンケルは知で始まりすべて情に行き着く感覚だ。どちらもいずれ劣らぬ読書の歓びを与えてくれるものの、凝縮された緊張感のようなものは、マンケルに軍配が上がる。
物語全体を独白体で綴る主人公フレドリックは、とても難しい人間だ。恐ろしい罪悪感と、恐ろしいエゴイズムを併せ持ち、年齢の割に、周囲の人物たちに愛情表現より、むしろ感情抑制のできぬ自己本位な言動をぶつけてしまい、後悔を繰り返す。孤独に追いやられやすい体質の人間なのである。読んでいて許しがたい性格は、読者をも遠ざけることがある。
しかし人生をどのように終わらせたら良いのか、迷い続ける主人公の黄昏の日々は、たとえ彼がどんな人物であろうと、我々の心に共通の物語として響いてくる。愛情を注ぐ相手が人間であったり、犬や猫であったりしても、その愛情はなけなしの命のひとしずくである。
15年間隠遁していた彼を襲う激動と出会いと離別の一年間を描いて、非常に静的でありながらダイナミズムを感じさせるこの作品は、ミステリーでもハードボイルドでもない。フィヨルドや深い森と厳しい季節の変化を背景に、凄まじく美しい、人間たちの物語である。叙述の素晴らしさに魅かれ、作品世界に否応なく惹き込まれる小説というものが、存在するのだ。改めて、驚きと、作家の天賦の才とに、物語の豊かさに、読書の時間が満たされる。
周囲の登場人物を含め、それぞれの老若男女が活き活きと個性的で、印象的で、忘れ難い物語を抱えたまま、主人公と対峙する。時には優しく。時には獰猛に。だからこそ、世界は生きて動いているように見える。読書が旅であるとするのなら、この作品ほど果てしなく遠いところへ連れ出してくれる物語は、そうそう見当たるまい。忘れ難い雪と氷の孤島の物語がここにある。
(2019.05.25)
2024-02-21T21:52:03+09:00
1708519923