大博奕



題名:大博奕
原題:CHINAMAN'S CHANCE
作者:ROSS THOMAS
訳者:志摩政美
発行:立風ミステリー 1982年7月 初版
価格:¥1,200

 カリフォルニアの海岸から汚れた指のように突き出たペリカン・ベイ。物語はここに奇妙な二人の男が住みついたことから始まる。中国王位継承者を名乗るアーティ・ウーと傷だらけの背中を持つ相棒、クインシー・デュラント。物語の発端は、ある下院議員謀殺と、その愛人であった女性歌手の失踪から始まる。そしてその向こうには、当然のことのように、ベトナムが見え、カンボジアが匂う。CIAとマフィアが影のようにちらつき、その背後には何と、硝煙のダラスのあの熱い日が・・・。

 ロス・トーマスお得意の錯綜したストーリーと、錯綜した人脈。これをユーモア溢れる文体と、サスペンス溢れる筆致とで上手に盛り上げてゆく様は相変わらずの職人芸である。トーマスの本を読んだことのある人なら、どこのページを開いても、その溢れ際立つ個性的な文体に苦笑を禁じ得ないはずだ。それほどトーマスの文章は異色だし、登場人物たちの交わす会話は、含みに満ちていて味わい深い。

 本書の主人公二人組と、これも一癖も二癖もある情報屋アザーガイ・オバービィは、後年、革命に揺れるマニラを舞台にした『500万ドルの迷宮』で再び登場する。実はぼくはこちらの本を先に読んでしまったのであるが、彼らの特異なキャラクターぶりは、忘れることができないままだったし、全体としてもけっこう衝撃的に面白かったものだった。『八番目の小人』での奇妙な小人の役割も不思議だったが、世が世なら満州国皇帝であったかもしれないと自称するアーティ・ウーの、瓢々としたキャラぶりも喝采に値する。この人物とデュラントというわりと正統派のやはり魅力ある人物とのコンビが、売り物だといってもいいだろう。

 トーマス作品は単独主人公という設定はあまりなくて、複数の人間たちが綾なす、騙し合いクライム・ノベルといった感じが強い。勧善懲悪ではなく、あくまで誰もが欲望を原動力として動いているのだが、そんな中で決して冷たくはなりきれない、やさしい二人組コンビ(これがトーマスの基本形である)の心理の綾が、実に楽しいのだ。相棒が傷ついたって表面的には決して甘い顔を見せず突き放したよう関係であろうとする、彼らの男ぶりが、ぼくは好きなのだ。

 ダラスのケネディ暗殺からジャック・ルビーのオズワルド殺しまでの下りは、落合信彦の『2013年の真実』を読んでいる人にとってはけっこう読めるところだ。もっともこのような大事件も、本書においてはほんの鎖末にすぎない。この本はあくまで一握りの悪党チームの大博奕を描くことに主眼がある。その向こうにはサイゴンに眠る200万ドルがあり、ベトナムで死んだ恋人への復讐があり、僅かなチャンスにかけるゲームの面白さがある。

 ちなみに、 原題の<CHINAMAN'S CHANCE>とは「あるかなきかのわずかな可能性」という意味があるそうだ。邦題の『大博奕』ともども、なんとも胸疼くタイトルではないか。

(1990.12.15)
最終更新:2007年07月13日 01:32