雪よ 荒野よ





題名:雪よ 荒野よ
作者:佐々木譲
発行:集英社 1994.10.30 初版
価格:\1,800(本体\1,748)

 佐々木譲という人は実にいろいろな種類の作品ジャンルに果敢に挑んで、飽くなき面白さを追求しようと言ういい姿勢の作家だと常々思っているが、この本で試みられていることもその一つ。すなわち『五稜郭残党伝』の流れを汲む日本版西部劇路線だ。

 日本版西部劇と言うと小林旭に代表されるような日活無国籍アクション映画路線などを思い出さざるを得ないけど、小説の世界、そして今この時点で試みるには、当時の荒唐無稽なのんびりした雰囲気は全くそぐわないだろう。そういう意味では、西部開拓史の世界を蝦夷開拓史の中に求めてリアリズムからも極端に離脱しない世界を描くという本書のような試みは、ぼくはやはりいい姿勢ではないのかと思う。ましてや日本で本当の意味での冒険小説のドラマを描けるのは、谷甲州なら大戦前の満州であると言ったように、佐々木譲なら、蝦夷開拓の世界なのではないか。

 この本は4つの中編を収めたものだけど、実にこうストレートに西部劇をやってくれているのには感嘆を禁じ得ない。西部劇の決闘シーン、孤独な恍惚漢と小市民、欲得ずくの商売人や荒くれ男ども……すべての状況が西部劇である。

 違うとすれば……。西部劇というのはあくまでWASPから描いた一方的な開拓の歴史であることが多かったと思う。ジョン・ウェインがアメリカのフロンティア・スピリットの象徴だったはずだ。被征服者側からの西部劇というのは『ソルジャー・ブルー』『小さな巨人』といういわゆる70年代ニューシネマの時代まで描かれては来なかった。

 一方、この作品集を通しての佐々木譲は、古き良き西部劇のロマンティシズムを作中に残しながらも、被征服者たち、弱者たち(アイヌ、タコ部屋労働者、囚人の強制労働など)の視点を必ず主人公に絡ませて描いているという点を買いたいと思う。『五稜郭残党伝』でも描かれていたが征服者側の一方的な論理を押し付けられた蝦夷の開拓史というのは、実に腹黒い欲得に塗りこめられているのである。

 三日前の新聞に参議院議員の萱野氏がアイヌ新法の制定について議会で発言していたが、これに対する閣僚の答弁は、時代がこういう問題にとっては『雪よ 荒野よ』の頃から一歩も前進していないことを顕にしていた。非常に驚愕すべき日本の醜悪な恥じるべき現実であると思う。

(1994.11.27)