闇の中から来た女



題名:闇の中から来た女
原題:WOMAN IN THE DARK,1933
作者:DASHIELL HAMMETT
訳者:船戸与一
発行:集英社 1991年4月25日 初版
定価:\1,200(本体\1,165)

 白状しますが、ぼくはハメットの作品はこれまで読んでいない。ジュニア版で『マルタの鷹』を読んだのは中学生になり立ての頃のことだが、当時はアイリッシュのスリラーやカーやクイーンの推理小説の方が面白く、ハードボイルドは少しも面白く感じなかった。しかし二十歳を越えるとさすがにチャンドラーやスピレインの虜となった。虜となりながら、チャンドラー、スピレインでさえ、十分古臭さを感じているのに、ハメットではさらに古典だからかび臭いんだろうな、という意識が強く、そのまま読む機会を逸してしまっているのだ。

 だからこの作品はぼくにとってはハメット作品に初めてちゃんと取り掛かった第一冊なのです。しかしこれは小冊子のように薄での本。文庫にしたら100ページ程度の中編作品を挟んでロバート・B・パーカーが前書きを書き、翻訳と後書きとを船戸与一が担当している。ハメット-パーカー-船戸の黄金トリオが売り物の本なのだろう。もっとも3人とも経路の違ったタイプの作家だから、なんだか一冊の本に、しかも一作の作品をめぐってこうして整列されることに、こちらが戸惑いを覚えないと言えばまるで嘘になってしまう。

 現に船戸はパーカーの前書きをこっ酷くこき下ろしているし(その気持ちはわかるのだが)、またハメットの作品評にしてはいかにも内容が「叛アメリカ史」である(ぼくは豊浦名義作品は読んでないけど)。もっともハードボイルドは時代の歪みがもたらしたもうた人間臭いアンチヒーローたちのドラマではあると思うので、時代とか国に関する考察は基本であるのかもしれない。しかしそれにしたって、癖の強い二人の作家がハメットを読者の側ではなく作家の立場で評していることは確かだし、癖の強さがまた一段とこの作品をばらばらな方向に引き裂いている気もする。それがこの本の楽しみのひとつ。

 作品そのもの。ぼくにとってはハメット初体験のようなものだけど、作品は中編なりの面白さ。キャラクターのすべてが疲れ果てていて、とても子供には読み切れないだろうが、まあちょっとした西部劇の面白さが見える。金持ちに追われる女が、刑務所を出たばかりの無口で腕っぷしの強い男の家に転がり込む。金持ちは権力で警察や医者を思うままに動かし、二人は逃げ、闘い、そして……というストーリー。とてもシンプルなハードボイルド小説で、つまりぼくはこういう物語が好きだ。当然時代が古いからモノクロ画像のイメージ。感情などはほとんど描写されず、ただ現象として現われた事柄を坦々と書き綴る。このように突き放された視点も、ぼくは好きだ。

 最後に翻訳であるが、船戸の役であるから覚悟の上であるとは言え、相当の意訳がされているようである。というのは三人称複数の視点で描かれた文章を、ヒロイン一人の視点に統一してあるそうなのだ。また意訳と言うより半創作と言ったほうがいいほど、文章自体を水増ししているらしく、もしかしたらこれは水増しハードカバー化という作意の可能性も否定できないそうである。ちなみにぼくはそういう翻訳は方法としてたまらなく嫌いである。嫌いな人の方が多いに違いないとも信じている。

 この本は極めて短時間に読めるので、ハメットをまだ読んだことがないという人には格好のきっかけに使えると思う。現にぼくはこの作品のおかげで、時代というギャップを越えてでもハメットの主要作品を読もうという気に一応なりましたから。

(1991.07.24)
最終更新:2007年07月11日 21:37