長い日曜日






第名:長い日曜日
原題:Un Long Dimanche De Fiancaille (1995)
作者:セバスチアン・ジャプリゾ Sebastian Japrisot
訳者:田部 武光
発行:創元推理文庫 2005.3.11 初刷
価格:\940

 図書館で、ハードカバーを手に取ったことがある。1994年に発刊されたハードカバーだった。いずれ時間の取れたときに読もうと思っているうちに、文庫化されてしまった。文庫化の理由としてはよくあるパターンで、映画化を機にというものだ。映画のタイトルは『ロング・エンゲージメント』。

 小説を6作しか書いていないにも関わらず、フランスを代表するミステリー作家として筆頭に立つセバスチアン・ジャプリゾは、出す作品がヒットを飛ばしたり映画になったりするので有名だ。映画のシナリオも手がけているから、ぼくはどちらかと言うと、この人の名前を書店でよりは、スクリーンのクレジットで目にするときの方が強烈に印象に残った。

 『さらば友よ』『雨の訪問者』『狼は天使の臭い』と、フレンチ・ノワールが普通に映画館で配給され上映されていた時代に目にした脚本家であった。他に原作者として注目した作品は『殺意の夏』。ウォルター・ヒル監督の『ザ・ドライバー』ですっかり虜にさせられてしまったイザベル・アジャーニが、この作品では魔性の女を演じて最後の最後のシーンで記憶に焼きつけられることになった。

 そういう意味で、きちんとジャプリゾという作家を小説家の側面から味わうのは、本書が初。全体の印象として、小説に見えない、というのがこの本の凄みである。自分で自分の片手を撃って戦線離脱を図った兵隊の幾人かが、士気高揚のために敵味方の塹壕の中間地帯に一晩放り出されたという歴史上の記述をネタに、この作家は壮大なドラマを作り出してしまったわけだ。

 作家は想像力がなければ何も作り出せないとは思うが、ここまでリアリティに富んだ、緻密な物語を、第一次大戦とその後という時間軸に沿って、編纂してゆく技は並みのものでない。放り出された兵隊たちと、そこに襲いかかる悲劇のリアリズムは、キューブリックの映像表現を髣髴させるし、兵士たちの狂気と残酷が、雪の降りしきる戦線にカットバックされるたびに、ストロボで浮き上がってゆく様は、目を閉じたくなる光景ですらある。

 宿命の五人に加え、その戦場に居合わせた兵士たち、生者も死者も含めて、彼らの真実を探り出そうとするのは、下半身麻痺の美貌の女性であり、死んだとされる兵士の婚約者である。障害をもちながらも明るく強い意志を持ち、どこかユーモラスで、複雑な三人称記録の語り手であることを明かしつつ、物語をノンフィクション・タッチで紡いでゆく。

 時間の長さと世界の深さを痛感させながら、兵士、家族、まつわる人間たちのその後の運命を、万華鏡のように描いてゆく、実に濃密な大河物語である。私立探偵役をこなしてゆく少女が、徐々に大人に成長してゆくプロセスすらも含めて、長大・濃厚ゆえに、ぼくは相当の時間を費やしてしまった。

 『シンデレラの罠』が一ヶ月で書かれた作品であるのとは対照的に、本書は実質10年が費やされたものであるらしい。

 圧倒的な厚みのあるストーリーの向こうに駆け抜ける何人かの印象深い男と女がいる。もう一人謎を追いつづける女性の影があり、ラスト近くで彼女の行動が明らかにされる。また、どあらゆる兵士が伝説として語る「恐怖の的」、調達屋のセレスタン・ブーは、最後まで強い存在感を残してゆく。

 悲劇を生き延びた人間も、死んだ人間も、物語の間中、読者の中に圧倒的な存在感を残してゆく。飄々と語られる故に、不思議な魅力を持った作品である。と同時に、一生忘れられない小説を読んでしまった、との歯ごたえさえ感じられる作品であった。映画にこれを凝縮するとなると、もっとずっと難しいことだろう。ぼくには想像すらできないのだが。

(2005.06.19)
最終更新:2007年07月10日 23:45