おとしまえをつけろ



題名:おとしまえをつけろ
原題:Le Deuxime Souffle (1958)
作者:Jose Giovanni
訳者:岡村孝一
発行:ハヤカワ・ミステリ 1968.10.15 初版 1994.6.30 3刷
価格:\1100

 ある時期、フランス映画が日本のロードショウに毎月のようにかけられていた頃、ハリウッドとは別の起点となってフランス映画界の名だたる男優・女優・監督・作曲者に至るまで映画雑誌を騒がせていた。小学生の頃から映画館に足しげく通っていたぼくは、中学生の頃、アメリカン・ニューシネマ以前の時期を、フランスのノワール映画やイタリアのマカロニ・ウェスタンに夢中だった。その時期のフランス・フィルム・シーンによく名前が出てくるのがこのジョゼ・ジョバンニ。

 パリは職業的泥棒が非常に多い(今もだ)と聞いているけれど、この作家もプロの犯罪者という出自なので、書く作品も自伝的、体験的な部分が多い。本作に関しては、今、アメリカの元アウトローなノワール作家として定着した観のあるエドワード・バンカーと良く似たスタイルのクライムノベルと言ったところだが、決定な違いは、社会への不平を漏らさないというところだろうか。

 バンカーは『リトルボーイ・ブルー』と『アニマル・ファクトリー』で一旦犯罪者となれば抜けられない法システムとそれを援護する社会という実にアメリカ的とも言える排除主義社会という非情な現実を突きつけてくる。だが、コルシカ島出身のジョバンニにとっては、既に生まれたときからの犯罪者世界の形成というより歴史的な背景に支えられた逃れがたい現実があり、そのものへの不満ということは漏らされない。

 法を破り裏街道をゆく影の者たちの社会。これを生き延びるためのほぼストレートな犯罪行動による日常を淡々と紡いでゆく。完全に自分を律し、犯罪を遂行してゆくクールな部分では、スタークの『悪党パーカー』シリーズが近いかもしれない。しかしこれとも決定的に違うのは犯罪者がフランスでは一つの村社会を形成しており、その中でのポジション争い、あるいは真の仲間との絆についてより重きを置かれていることだろう。

 悪党パーカーは、ほとんどの仕事仲間とは契約関係での繋がりであり、基本的に一匹狼である。しかし本書のロートル主人公ギュや、彼を取り巻く犯罪者仲間たちの中では、その限定された小さな裏社会のなかでどういう立場を貫けるかかが、より問題になる。和製では「任侠道」という言葉があるが、「生きざま」いや「死にざま」と言ってもいい。

 崩した口語体に近いニュアンスでの乱暴な和訳だが、フィットしている。原文はいわゆるフランス版スラングだろう。いわゆる業界言葉。主人公ギュの個性は東映ヤクザ映画のメンタリティと驚くほど近いものがありそうで、このプロットをそのまま健さん主演で映画化しても何ら不自然はないという気がする。

 ちなみにマルセイユで組んだ若いアントワーヌだが、『生き残る者の掟』の冒頭でマニュからヨットをプレセントされる少年と同姓同名。こういう遊び心もジョバンニは持っているのだろうか。

 遊び心なんて一見なさそうな作家である。本書だって真剣極まりない小説なのである。そう。きりっと歯を食いしばって書いていたんじゃないかと思えるくらい、緊張の途切れ目のない、まるで抜き身の刃みたいな禁欲的作品なのである。

(2003.01.15)
最終更新:2007年07月10日 23:35