※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

あなたに不利な証拠として




題名:あなたに不利な証拠として
原題:Anything You Say Can And Will Be Used Against You (2004)
作者:ローリー・リン・ドラモンド Laurie Lynn Drummond
訳者:駒月雅子
発行:ハヤカワ・ミステリ 2003.2.15 初版 2006.4.10 3版
価格:\1,300



 この作品を見落とさずに読むことができたのは、ひとえに、いつもチェックを欠かさないよう留意している吉野仁氏の日記ページ「孤低のつぶやき」のおかげだ。

 2/19

「きょうも、ここ何日、ここ何ヶ月というより、この何年か読んだなかでも、これだけ感銘を受けた小説は他にない、という海外作品にぶち当たった。」

 3/21

「そうえいば先週発売の「週刊文春」書評欄で池上冬樹氏が、ローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』(ハヤカワミステリ)を取りあげ、高く評価している。

 朝日新聞の書評でも書いていた。 これ

 検索していたら、 ここには北上次郎氏の評があった。

 すでにわたしもあちこちでこの作品を取りあげてる。」

 と、以上、信頼筋の情報につき、興味を擽られるのには十分である。同じことを考えている人はどこにもいるわけで、この本は最近のポケミスとしては珍しく、あっという間に品切れになり、重版を重ねた。ぼくは3/21「孤低のつぶやき」を読んだ時点で即座にネット書店に発注をかけたが、実際に書籍が手に入ったのは、4月の半ばである。

 さて本書は、MWA最優秀短編賞受賞作品。ポケミスで最近紹介されるものはほとんどが主要ミステリー賞の受賞作である。この作品にしても、普通であればさして話題にも上らないまま、単なるMWA最優秀短編賞で終わってしまうはずである。そう考えると、各所で声を大にして本書の価値を喧伝した書評家筋の功績は案外に大きいのだ。

 この作品のどこが、それほどまでに書評家らの心を捉えたのかとの興味は当然いつも以上に深い。まず読み出してすぐに気づくのが、強烈なオリジナリティを匂わせた斬新さという点だろう。ぼくの場合、すぐに作品以上に、作者に対して強烈な興味を覚えてしまったのだが、なるほど、巻末解説によれば、この作者は警察官としての履歴を持った極めて稀有な女性作家なのだった。警察官を辞職したのが30歳での交通事故による。その後ガンをペンに持ち代えて、大学で文学の教鞭を取る傍ら創作の世界に踏み込んできたという履歴が、ある意味独自である。

 本書は、女性警察官たちを主役に据えた短編集だ。それぞれの短編が完全に独立したものではなく、むしろ連作短編集に近い構成となっている。ルイジアナ州バトンルージュ市警を舞台に、5人の女性警察官の物語を、すべて一人称によって描いたものである。

 この作品集の魅力は、まずその揺るぎなき一人称表現の豊饒さ、硬質さであると言っていい。文学の香気漂うシャープな切り口により、実体験に基づく地に足の着いた犯罪体験を、単なる犯行現場としてではなく、作者の五感で描き切るゆえに、読者がもたらされる臨場感は、かつて経験した覚えがないレベルだ。

 犯行現場は、警察官らにとって残酷を体験として彼女らの人生にまるで標のように与えられる。日常生活の混乱を携えながら、ヒロインらは翌日の仕事にふたたび取りかかろうとセルフコントロールを試みるが、それらは到底一筋縄では行かない。ときには精神に異変をきたし、ときには真夜中の犯罪現場に集まって、独自の儀式を執り行う。被害者の絶望を共有し、浄化しようと試みるのだ。救われない被害者の不条理を受け入れることができないままに、職業としての警察官を日々続けてゆくことの、これはダメージの記録でもある。

 女性警察官ならではの特異な苦しみに追いやられた彼女たちの選択肢が、ここではいくつもの短編作品を生み出しているのだ。時には男性警察官との距離感に悩む彼女らの孤独が、美しい地球の営みの中で、研ぎ澄まされてゆくようだ。

 本書の構成は、実はデリケート極まりない。女性警察官としての基本部分から、徐々にアウトラインを膨らませ、ストーリーは岐路に分け入り、逸脱、拡散してゆく。短編集は徐々に独自で孤独な世界を方々に拡げ、途方もない世界の果てにおいて、魂の再構築の物語が始まってゆくのだ。

 弱い心を抱きしめ、小鳥をそっと手のひらでくるむように魂を包み込む。甘えに限界を感じつつも他者たちと悲劇を共有し、人間の持つ根源的な業と直面する、あまりにもタフでハードな光景の具象例の数々に、池上冬樹は「心が震えた」と独白している。

 まさに心の琴線に響き合うごとき普遍的な音色が、ぴんと張りつめた透明な空気を伝わって、読者の心の芯の辺りを揺らめかせる。静かに、しかし容赦なく。

 表現の極北に迫る警察小説の、ある脱皮のかたちが、紛れもなくここにある。

 「彼女が書くものはこれから全部読む」とエルモア・レナードが言ったそうだ。さて、いったい何人の読者が同じことを考えるだろうか。

(2006.04.16)