ニューヨーク地下共和国





題名:ニューヨーク地下共和国 上/下
作者:梁 石日
発行:講談社 2006.09.11 初版
価格:各\1,800

 あの9・11当日の朝、ニューヨークに居合わせた作家・梁石日が、大仕事をやってくれた。

 アメリカの大儀。真っ向からぶつかるイスラム原理主義。世界構図に翻弄される多くの国々の国民たち。そうした世界の現在を、在日作家である梁石日が偶然居合わせたことから、創り上げた大作小説である。

 本書には、日本人もも朝鮮人も登場しない。そこに登場すのは、すべてアメリカ人たちだけである。舞台はすべてがニューヨークである。

 そう、アメリカにはイスラム圏の人々もれっきとしたアメリカ人として居住している。9・11後に彼らがどのような肉体的・精神的な暴力に晒されたかを、ぼくはあまり知らない。いや、知らなかった。

 この物語は、9・11とこの事件をめぐる多くの報道されなかった人間たちのドラマである。9・11後、一気に右傾化する国家のあり方を変えようと躍起になる思想家たち。彼らに旗を振られながらも煮え切らない態度で選挙ばかりに思いを馳せ、どこかで距離を置いてしまう民主党の議員たち。日常的に権力の暴力に晒されるスラムの住民たち。マフィアから食い物にされ、利用された挙句捨てられる黒人たち。雇用先の見つからない湾岸戦争の勇士たち。

 そうした多くのニューヨーク人たちとともに暮らし、非常に中立的な存在として描かれるゼムという名の自由人が、本書の主人公である。世界中の民族が混在するニューヨークの、マリーナに帆を休めるヨットの住人であり、世界の放浪者でもあるゼム。数えられないほどの血が混じった混血であり、世界中が自分の故郷だと呟く詩人でもあるゼム。それが梁石日の造形になるゼム、一読後決して忘れることのできなくなる主人公なのある。

 そのゼムの日々を追いながら、物語は、慌しく流れるテロへの気配、9・11へと以降する。そして物語は後半、作家の創造する世界へと入り込んでゆく。ニューヨークの街に新たに集合してゆく地下組織は、イスラム・テロ組織とは全く別のゲリラ部隊だ。ニューヨーク地下共和国と名乗る正体不明の組織である。右傾化する国政に抵抗し、持たざる者たちの過激なメッセージを示してゆこうとするが、国家はさらなる暴力で彼らを狩り出そうとする。パルチザンを狩り出そうとするナチスのように。

 暴力に暴力をという構図は、ブッシュからフセイン、警察から市民へと、拡大され、電波していった。やがてはアメリカ中が、かつての赤狩り時代へと退行してゆく。それらは、一部が作家の創造によるものでありながら、一部には確かにアメリカ国民の望んだ方向でもあり、それは国の指導者が9・11テロをそのように誘導した結果である。

 梁石日がかつて韓国の軍事革命下で行われた赤狩りと拷問と密殺の真実を描いたのは『Z』という衝撃作である。あの作品でで描き出したような戒厳令の時代への反骨は、本書でも危険な兆しとして、しかし淡々と描かれてゆく。

 アメリカに所属しない作家ゆえに、9・11の真実を客観で捉え、イスラムのテロを、テロ集団ではなく、大統領や国家のもつ暴力装置の道具として描き出しているのが本書であると思う。ブッシュはビン・ラディンや金正日以上に危険な存在、と糾弾される今日の世界的報道が裏打ちする真実が、既に本書では描破され尽くしている印象だ。

 だからと言ってアメリカの政治批判や政治談議を、この作家が作中で言っているわけではない。逆にそうした議論に陥り本質を見失う人物の自己矛盾を滑稽な異物のように描き出したりしているほどに、作家は公平な視線を配る。

 作家が書いたものは国家による、力を示すやり口と、狩り出されゆくゲリラ兵士たちの絶望的なまでの闘いである。それを距離を置き、淡々と描いたものが本書である。

 そして日常的に浮かび上がる人種・宗教差別、貧富差、資本主義の限界などの未解決な問題をごった煮にしたこの大都会を、日々の日常描写で、そして庶民の眼差しで、見つめてゆくのである。

 眼差しの多くは、地球民族であるゼムのものである。ゼムとは、おそらくthemであり、それは地球人類のすべてを指すものであるかもしれない。

 新聞報道や、きれい事ばかりを並べた美談に埋没しそうになる9・11の、危険なまでの真実を見極めるためには、本書は必要な小説であると思う。街の何気ない朝の描写。公園を日々歩く人々。その上に、事件が起こり、人が死に、恋が絶望が継続してゆく。そんな一日一日の積み重ねが、9・11を挟んでどのように変わってゆくのか、梁石日は、ひたすらこのことにこだわり、物語を綴ってゆく。ぼくらはそれら具象の群れの向こうに、やがて知ってゆくのだ、犠牲者たちの悲しみと大国の粗暴とを。

 戦争の英雄を罪人に変えてしまう国家・アメリカについて言えば、本書は、イーストウッドの映画『父親たちの星条旗』に相通じるものがある。戦争も、テロも、国家に利用される何かでしかない限り、個人にとってはいずれ、ただひたすら、無意味な皮肉に過ぎないのだ。

(2006/11/12)
最終更新:2007年07月09日 00:59