あとひき萬月辞典



作者:花村萬月
発行:光文社 1998.3.25 初版
価格:\1,500

 花村萬月さんとは冒険小説協会の10周年記念大会で、1時間程度お話をさせていただいたことがある。宴会のあとの誰かの部屋で、作家と読者とその他の人々が酒を飲みながら駄弁っていた。ほとんどぼくの方はただのミーハー状態で、萬月さんの作品についてとか、北海道のツーリングの話だとかに耳を傾けたり、質問魔となったりしていたのだけど、読者に対しては礼儀正しく優しく接してくださった。

 文章からは狂暴性ばかりが浮かんできていて、非常に怖いイメージがあるんだけど、実際にお会いすると非常にやさしい声で満面に笑みを湛えて話してくれる作家だ。ぼくは最初に『眠り猫』を手に取る前にもお会いしているんだけど、そのときも腰の低い低い人だという印象しかなかった。

 だけどやはり、こうして半自伝的な章などを読むと、花村萬月という人のアウトローな部分が浮かび上がってくる。小説でも繰り返し出てくるキリスト教の息のかかった更正施設を初めとして、バイク、ブルース・ギター、ヤクザ……そうしたものが、彼の実生活と全く縁のないものではないことなどを、彼は少しだけ明かしている。

 作家の実生活と作品とはあんまり関係のないものだし、萬月さんも自分を描いているうちは小説家とは言えないんだと、口をすっぱくして繰り返している。それでも愛読者というものは、その作家本人への興味まで覚えてしまうもので、その辺の空白を少しでも情報で埋めようとして、こういうエッセイにも手を出してしまう。このエッセイは前エッセイ集『笑う萬月』より、幼少年期のことに詳しい点がお徳であった。

 未発表短編も収められているのだけど、何だか短編までエッセイのように見えてくるのが不思議だ。

 とにかく花村萬月という作家が、悪ガキ→フリーター→作家という異色の道筋を歩いてきたことは確かで、その中で、ぼくは熱海での会話を思い出す。「ぼくはハードボイルドを書いているんじゃないんだよねえ、ホームドラマを書いてるんだよねえ、本当は」家族愛への猛烈な飢えを感じると、ぼくが質問したことへのこれが、作家の答であったし、このことは作品のあとがきなどでもよく書かれていたっけ。

 もう一つ踏み込んでぼくはその時、何かそうした家族への飢えには実体験が絡んでいるんでしょう? と聞いた。特に『屠られし者 その血によりて』での主人公の体験は、と聞いた。「わかりますか」と満面に笑みを浮かべる作家の眼は、どこかで笑っていなかったような気がする。

(1998/06/01)
最終更新:2006年11月23日 21:29