天使と罪の街



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題名:天使と罪の街 上/下
原題:The Narrows (2004)
作者:マイクル・コナリー Michael Connelly
訳者:古沢嘉通
発行:講談社文庫 2006.8.11 初刷
価格:各\648

 作者がシリーズ主人公に死の運命を課すのはそれなりに苦しいに違いない。場合によっては主人公ではなくても、レギュラー・キャラクターの死にだって痛みを感じることだろう。キャラクターの創造主は、あくまで作家であるからだ。

 なかでも、コナリーにとって、テリー・マッケイレブの命の重さは並みのものではなかったと思う。読者にとってもそれは同じだ。かつて心臓を病み、その命を殺人事件の犠牲者の心臓の移植によって永らえた男。その命をもたらした殺人事件の闇の奥をまさぐり、真相にタッチした男。

 そういう魅力的なキャラクターのかけがえのない命だったからこそ、作者がライフワークとして描き出している主人公ハリー・ボッシュと相まみえさせ、同じ事件を解決するコラボレーショによる『夜より深い闇』は生まれたのだと言える。

 『わが心臓の痛み』は忘れることのできない力作であり、それはボッシュのシリーズ以外でも一発勝負ができるコナリーの知られざる一面を、われわれに見せつけたものだった。

 その作品は『ブラッド・ワーク』という原作のタイトルのまま、油の乗ったクリント・イーストウッド監督によって映画化されたが、その映画作品については、本作『天使と罪の街』でマッケイレブの死の謎を追うボッシュの周辺で何度も話題になる。イーストウッドよりもずっと若かったマッケイレブの姿や、映画では殺人犯にされたある人物のモデルが、本作中で映画での扱い方を苦々しく思っていたりする。

 いわば、『わが心臓の痛み』を原作として映画化された『ブラッド・ワーク』は、マッケイレブやボッシュの住む作中世界でもきちんと上映されており、その映画のさらに後日談として本作におけるマッケイレブの死、真相を求めてマッケイレブ世界に入り込むボッシュの強い意志などが、本作のモチーフともなっている。

 原作小説→映画→次なる小説と、それぞれが順番に影響を与え合っている、いわばマルチメディア世界がボッシュの環境を構築しており、本作ではそのあたりを味わえる。つまり、映画化作品『ブラッド・ワーク』を作品と作品の間に挟んで、楽しんでもらうことが、本シリーズの最も効率のよい楽しみ方であるわけだ。

 同時にノン・シリーズの『ポエット』の続編とも言えるし、作中に謎の美人逃亡者が出てくるのだが、彼女が『バッドラック・ムーン』のキャシー・ブラックであることは巻末解説で知らされるまで気づかなかった。当然、どちらも傑作娯楽小説であるので、これらも読んだあとに本書を楽しむことは、コナリー・ファンであるならば必然である。

 もともとコナリーは、エルロイに影響されハードボイルドの現在を描く豪腕の書き手であるという評価を得て、出す作品のすべてがベスト作品に名を連ねているくらいの超人作家なのだが、何よりもその評価を支えるのは、各作品の揺るぎなき安定性である。高いレベルでの娯楽性を保持しつつ、謎を追うスリルと、ラストのどんでん返し、意外な結末、といったミステリーのつぼを押さえた精緻なプロットが脅威であるからこそ、コナリーの価値は維持され、崩れることがかつてないのだ。

 本作もマッケイレブというもう一つのシリーズ主人公を犠牲者として、その喪失感のなかを遊泳し、真相に掴みかかろうとするボッシュの猟犬としての本能を描きながら、一方でシリーズらしく、懐かしき登場人物たちを遠景に配置し、最後には、彼ら、彼女らを通して、懐かしきサンフランシスコ市警に復帰するチャンスをほのめかしてゆく。

 猟犬であるからこその本能。組織を追われて一匹狼として、種々の妨害を払いのけながら捜査に専念する私立探偵としてのボッシュのとある短くも印象深い時代にまた一つピリオドを打つ記念碑的作品となったのが、本作なのである。あらゆる意味で重要で愛着を感じる作品として、コナリーはまた一つ美しい綺羅星を暗黒の夜空に贈り出したのである。

(2006/10/04)
最終更新:2007年07月08日 17:01