堕天使は地獄へ飛ぶ (文庫化時『エンジェル・フライト』へ改題)





題名:堕天使は地獄へ飛ぶ
原題:Angels Flight (1999)
著者:マイクル・コナリー Michael Connelly
訳者:古沢嘉通
発行:扶桑社 2001.9.30 初版
価格:\2095

 本書がボッシュ・シリーズであったことにほっとする。ボッシュ・シリーズは二年ぶりだろうか。だからボッシュに関する大抵のことはぼくは忘れている。でもボッシュの本質的なところはあまり忘れていないと思える。だからボッシュとの再会は、ぼくの中で眠っていた彼の世界の再構築に始まる。でもそれにしてはあまりにも重く暗い作業であった。でもそれこそが、この本の中の真実の部分。

 ボッシュは闘う。警察官を監査する警官たちと闘う。人種差別主義者たちが巣食う警察という組織の息苦しさと闘う。表面に浮き出て来ないが、正義をかざした仮面の向こうで黒人を殴っている奴らと闘う。密かに銃口を掃除している人殺しと闘う。別の価値観でのみ食いつないでいるマスコミというハイエナと闘う。少女を殺すサイコや変態性欲者やドメスティック・ヴァイオレンスと闘う。アメリカの病弊と闘う。

 それらのすべての闘い。闘いの象徴がいつもコナリー世界のボッシュである。世界が重くふたがれているとき、闘う一人の男がいて、殺人現場や血液や死体に残された科学的物証を嗅ぎ回り、何度でも街に繰り出しては、傷つき、傷ついた者を癒したり、癒しを求めてもそれが得られなかったりする。誰にもある日常のようであるが、彼の世界は警察であり犯罪現場であることで成り立っている。

 作中の記述によると『わが心臓の痛み』のマッケイレブをボッシュは知っていた。彼の役を映画でクリント・イーストウッドが演じるポスターを眺めて、ボッシュはマッケイレブ本人とイーストウッドはちっとも似ていないと考える。ボッシュをぼくらが如何に描こうと、作者は作者なりの顔をボッシュに与えているのだと思う。

 顔はわからないけれど、ボッシュのファイティング・ポーズだけはぼくはわかるような気がする。彼を取り巻く獣たちの非情も、犠牲者たちの悲しみもどことなく分かるような気がする。このシリーズもけっこう熟成してきたのかなと、少しだけぼくは感じている。

(2001.11.11)