トランク・ミュージック





題名:トランク・ミュージック 上/下
原題:Trunk Music (1997)
著者:マイクル・コナリー Michael Connelly
訳者:古沢嘉通
発行:扶桑社ミステリー 1998.6.30 初版
価格:各\629

 『ラスト・コヨーテ』で終わったほうが良かった……という声が幻聴のように聞こえてきそうなボッシュ・シリーズ。かつて『八百万の死にざま』で終われば……と言われたスカダー。『ブルーベル』で終わればと言われたバーク。シリーズにつきものの終わり所退け所。その論議をまたも呼びそうなのが、おそらく本書。

 逆に言えば、それだけ前作までのシリーズ構成を評価されていたのがボッシュ・シリーズなのだと言えるのかもしれない。でも、小説が決して巧いとは言えないアンドリュー・ヴァクスは別にして、ローレンス・ブロックや、このマイクル・コナリーははっきり言って、構成を含めて、小説というテクニックが非常に巧い作家であるとぼくは思っている。

 騙されたつもりで読んでみると本当に面白いのが、スカダー・シリーズであり、ボッシュ・シリーズ。内容は情念どろどろだったり、内面へどんどん下降してゆくとても真摯な物語であったとしても、どこかに小説の技巧的側面が見え隠れする作家、その巧さ、そのスタイリッシュさゆえに、ぼくはこの二人の作家が好きなのである。

 こんなことを思い始めたのは、ぼくの場合『ブラック・ハート』以降。アメリカの作家というのは、この技巧でハイレベルでない限り、あまり受けないような気がしているし、その技巧は時代を負う毎にハードなものとなり、レベルアップしてきていると思う。娯楽小説の世界でこれだけハイレベルな過当競争。その中を生き延びるには、技巧を忘れさせるほどの技巧とも言うべき才能が要求されているような気がするのだ。

 もちろん我らがコナリーはその技巧派作家の最たるところ。今の、現代の主題やテーマ、切り口、ニーズ、そうしたあらゆるものへのセンス、感覚が非常に良い。映画化が遅すぎるくらいの作家だとぼくは見てきているのだ。

 ボッシュ・シリーズの特徴として、事件そのもの以上に、警察内部での暗闘が必ずつきまとってくる。外にも内にも多くの敵がいて四面楚歌。これがいつものボッシュの傾向であり、彼のスタイル。でもこれって『ダーティ・ハリー』に始まったアメリカン・ヒーロー像なのだと思う。今の映画を見てもどれだけの確率で黒幕が内部にいることか。どれだけの確率で主人公は回りの支援から見放されることか。そう、一匹狼は、常に受けがいいのだ。

 そして今をときめくエルロイという作家への羨望。それがボッシュをエルロイ的境遇へ向かわせ、今をときめくエルロイの核爆弾『ブラック・ダリア』と切り結ぶことによって、ますます作品の付加価値を高めてきた。その技巧、そのセンスたるや、並みではないのだ。

 そしてそうした過去や外とのさまざまなしがらみ、縁、宿運……そうしたものが今やボッシュの属性であり、それらを罠とわかっていながら騙される。超A級の娯楽。

 そういうすべてにおいてコナリーの長所、特徴、個性、センス、限界。さまざまなものを感じた。ちなみにぼくはボッシュの終わりを深刻には受け止めていない。あくまでも超エンターテインメントの要素を高めて、面白イズムを核にした作品を続けざまに世に出していただきたい。アメリカの賞の価値、何となくわかりかけてきている気がするこの頃なのである。

(1998.08.12)
最終更新:2007年07月08日 16:49