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ラスト・コヨーテ


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題名:ラスト・コヨーテ 上/下
原題:The Last Coyote (1995)
著者:マイクル・コナリー Michael Connelly
訳者:古沢嘉通
発行:扶桑社ミステリー 1996.6.30 初版
価格:上\560/下¥540

 元々ぼくがこのシリーズを読み始めたきっかけは、ハリー・ボッシュという主人公の粗暴な荒々しさとストレートな意志、そしてベトナムという過去、そしてアクションとサスペンス、全体の面白さといった娯楽小説としての魅力が満載されていたからだ。ハリー・ボッシュに惚れたし、ストーリーに酔った。それがすべてと言って構わなかった。

 二作目『ブラック・アイス』では、さらにその感を強めたし、三作目の『ブラック・ハート』で、このシリーズはミステリ界のベストをずっと走り続ける素晴らしく完成度の高いシリーズであることが確信された。そして今や多くの読書人がコナリーというブランドに信頼を置いて新作を手にするようになったと思う。

 ただこのシリーズには、他の凡百のミステリと隔てられる何かがあるような気がする。どんなにこの作家は面白い、すごいと言ってみても、なんだかんだ言ってコナリーほどの凄味を持った作家はそうは見当たらないのだ。

 だからこそ、エルロイとの類似を言われることがコナリーの悲劇であるのかもしれない。しかしそれがコナリーの限界とされていることも今は事実だ。エルロイと多くの点で似たような主題を、別のモチーフから書いている作家。いやな言い方をすれば「エルロイを追いかけている作家」という評価を免れ得ていない。

 もちろんエルロイを意識してボッシュという刑事の過去を造形したのは間違いないだろう。しかしぼく自身はエルロイの破天荒さとこのシリーズのまとまった完成度とを比較することができないのだ。エルロイの破壊的な小説志向は凄いと思う。しかし一方でマクベインやL・ブロックのような小説職人的な巧さをコナリーという作家が持っていることを見逃すわけにもいかないのだ。『ブラック・ハート』の高い評価は、まさしくこのあたりにあるように思われるし、その安定したストーリー性は、この『ラスト・コヨーテ』でもしっかりと走り切っていると思う。

 エルロイとの類似、関連付けを楽しむのもまた一興だとは思うけど、ぼくは評論家ではなく読者であり、ファンである。決してしてはならないことはエルロイとの比較であるし、小説などはもともと比較の対象には成り得ないものなのだ。エルロイとコナリーという二人のまったく別人格が、同じ時代に同じ国で同じ職業を得たのだ。重要なのはこの三つの「同じ」であるように思うのだ。彼らの書かねばならないことがここに存在していたからだ。

 ボッシュは矛盾だらけの主人公で、絶えずストレスに晒されているように見えた。住み慣れた家を大きな壊滅的な地震が襲ったが、ボッシュはこの家にいつまでもこだわりしがみつこうとした。しかい大きな壊滅的な破壊は、同じボッシュの身の上にもっとずっと昔に訪れており、ボッシュはそこに同じ姿勢でしがみつこうとしたのだ。この小説は、そのあがきであり、あがきの行方であるのだと思う。

 その意味でやはり「完成度」、この一言をこのシリーズ、とりわけこの作品に捧げたい。

(1996.12.03)