笑う萬月




作者:花村萬月
発行:双葉社 1995.8.1 初版
価格:\1,300(本体\1,262)

 安部公房の『笑う月』っていう戯曲は、安部公房が夢の中で最も怖い夢は「笑う月が追いかけてくる夢」なんだそうで、そういう体験から書かれたものらしい。この本はそれとは一切関係ないし、井上陽水の『月が笑う』という曲ともまったく関係ないのだけど、カバー絵は、まさにその無気味さをたたえてくれていたりする。怖いどお(^^;)

 花村萬月は最近小説は金太郎飴化していたりするのだけど、そのあとがきが楽しいと言う部分では今も変わっていない。その楽しさがそのままにエッセイという形で、いわゆる生に近い萬月さんに触れることができるのは、この際、小説以外の初めての単行本ということでファンにはたまらない。

 そして内容は裏切らないのだなあ。この萬月っていう人は、ぼくは実際にお会いして話した印象では、ニコニコ笑顔でやさしげな人であった。文章の中の怖さやひねくれなどは、一度や二度顔を合わせたくらいでは想像もつかない。船戸与一氏なんていうのは見た目からしてそれ風でわかりやすいのだけど、萬月さんは本当にわからないぞお。

 さて萬月さんはなにせワルーいお方だったらしく、十代の頃から放浪を繰り返していたみたいで、三十を過ぎてから小説家を志してみたら小説家になっちゃったが、父親も同じように文章を書こうとしていたみたいで、自分にはその血が流れているのでは、と宿命的に感じている気配がある。

 二十の頃からバイクに跨って放浪して野宿と一人旅は彼の身についた習性となっている。ギターで飯を食っていたほどブルースに傾倒したこともある。中卒、不良、放浪者、そして芸術家なんだね。こういう作家って書くこと、いかにもたくさんありそうだ。

 ぼくにとって個人的な琴線が響いたのは、彼がサロベツ原野で、なにもないだだっ広さこそが目的だった、とつぶやくところ。ぼくも最初にサロベツを独り訪れたときに、同じ感覚を持っていた。山で単独行を試みたときの孤独趣味。バイクは孤独になるための道具だと言い切る萬月さん。実際に会ったときも、そのへんの話をぼくはした気がする。もっとも「北海道はいいですよねえ」とか「野宿、貧乏旅行に限りますよねえ」とか「バイクは乗らないの?」とかそういう会話であっただけだが(^^;)

 さてそんなのは個人的なことだけど、さらに萬月さんはぼくなどにはぜんぜんわからない世界のいろいろなことを知っているし考えているし、今もある異郷に身を置いている人だという気がするのだ。萬月ワールドに触れたことない人にもぜひ手に取ってほしい一冊。

(1995/08/10)
最終更新:2006年11月23日 21:28