キラー・オン・ザ・ロード




題名 キラー・オン・ザ・ロード
原題 Killer On The Road (1986)
著者 ジェイムズ・エルロイ James Ellroy
訳者 小林宏明
発行 扶桑社ミステリー 1998.8.30 初版
価格 \686



 エルロイはサイコ・サスペンスの書き手というのではないと思う。よしんばサイコパス、シリアル・キラーが登場したところで、普通に我々が口にする<サイコもの>ではやはりない。殺人者以上に人殺しである警察官、欲や名誉や恥の感覚だけで多くの悪徳に手を染める若き公務員たちを、これでもかと描いてきたエルロイの手にかかると、凡百の連続殺人鬼などは、主人公ら(捜査官側)の抱える暗黒に比べてどうということはなかったのだ。

 だから、エルロイがこうしたサイコ・キラーの方を主人公に据えて、物語を押し進めるというのは、非常に異質なことだし、この本の翻訳だけが遅れたのも、おそらく<エルロイ=警察小説>の図式があったから、亜流は他に回そうという版元の意識があったからなのではないだろうか。

 だが、この本は果たして亜流だろうか?

 ご存じのとおり母を殺人者に葬られたエルロイは、常に殺人者が小説のテーマである。刑務所を何度も出入りしているエルロイは警察の側の暗黒に触れる機会だってあったに違いない。作家自らの盗みの経験を生かして犯罪者の側からの小説を一篇ほど、ものにしたって何等不思議なことではあるまい。いや、むしろエルロイは彼の多くの主人公たちとは、犯罪者側からの鏡の眼差しで接していたことになるのだ。

 だから、もしかしたらこれはエルロイ版<心の私小説>。宿命の作家であるエルロイが彼自身の宿命/真実に最も近いところの作品であるのかもしれないのだ。それくらい重要度の高い作品が、何故にこれまで翻訳されなかったのだ、という想いのほうが、ぼくにはむしろ強い。

 12年も前の作品でありながら、ホプキンス・シリーズとLA四部作の間に挟まる、エルロイ作品史の里程標とも言えるこの作品は、言わば<鬼っ子>である。そうした負の側からのエネルギィ。

 時代設定にも興味を覚える。『アメリカン・タブロイド』に繋がるロバート・ケネディ暗殺に始まる向こう10年。フラワー・ムーブメントからヒッピー文化。ベトナムは最悪の結末を迎え、ニクソンはウォーターゲート事件で葬送される。路肩には死を省み ない純粋無垢な若きヒッチハイカーたちが「自由」という曖昧な概念だけをバックパックに担ぎあげて、殺人者の到来を待ち受けていた。

 殺人者が用意周到で、なお捕まらぬ努力を怠らず、知的レベルが高くって、それでいて殺しの理由など何もいらない。ただ殺さずにはいられない。エルロイの多くの捜査官たちが抱えたり向かい合ったりしてきた暗黒が、違う形でここにある。まさしく恐怖のページターナー。多くの人はこの本を手にした途端、凝集されたその暗黒の力に引きずり込まれてゆくに違いない。

(1998.0912)