虹列車・雛列車




作者:花村萬月
発行:集英社 2003.06.30 初版
価格:\1,400

 短編集である。しかも旅の短編集。紀行で作家になった萬月の原点である。ここに来て原点かよ、と首を傾げたくもなるが、原点もまた楽し。日本冒険小説協会十周年記念イン熱海という企画、ホテルの一室でベッドにごろごろして満月氏と北海道の放浪めいた旅の話をしたことがある。作家でもなんでもなく旅の道連れみたいにぼくは感じた。もちろん萬月氏にとってはぼくはただのうるさい一ファンだ。でも北海道の旅の話をしてマニアックなローカルな地域に話題が及べば、そこでは職業は消え去る。それが旅。

 短編集である。どれにも花村という作家が登場する。一見私小説。でも微妙におかしい。時代設定も年齢も無茶苦茶である。私小説という実名入りの形式を敢えて楽しんでいる萬月氏がこの本の向こう側に立っているような気がする。明らかにその姿が見えている。笑う萬月。

 ホームドラマでも切実でも鋭くもない。ひたすらだれきった、小説ともルポルタージュとも言い切れない半端な作品たち。下北を旅する二十年前の青年の物語が二篇。タイトルは『虹列車』と『雛列車』。それにサンドイッチされるようにして沖縄の旅ルポ、あるいは小説である三篇、『金城米子さん』『廢鶏の』『神、世界を言祝ぎ給う』。どれも奇妙にリアルで、かと言って信用するほどには躊躇われる現実。花村らしい、と言えばらしい。

 萬月という人は旅に出るときっとやたらに素直だ。何も纏わず。何も鎧わず。それが旅だ。作家らしさとほど遠いところに位置する旅人である自分を照れまくる萬月がきっとそこに存在しており、それを客観視して笑わざるを得ない文体を言祝ぐ。それが萬月的複眼の視点。奥行きがなければ許されない萬月的文章世界。

 ある意味ではひさびさの短編集。ある意味では萬月という作家の原点。ある意味では旅ルポ。ある意味では萬月の心象風景。そして何よりもある意味で短編ですら感じられる大人のブンガク。とても、ひねくれたくなった夜にオススメの一冊である。
最終更新:2006年11月23日 21:26