誘発者






題名:誘発者
作者:飯田譲治
発行:講談社 2007.04.19 初版
価格:\1,500




 『アナン、』以降は、この作者、スピリチュアルな救済を求めて、といった明るいシンプルな方向性に向かっているように思えるのだが、いい意味でも悪い意味でも割り切った作品作りをしているせいで、ファンタジー色がますます強まっている気がする。もともと角川ホラー文庫に取り上げられてきたくらい、どちらかと言えばSFでもファンタジーでもなくホラーの色濃いどぎつい作風であったように思うが、最近では作品が綺麗になった印象が強い。

 本書は『ナイトヘッド』の続編である。『ナイトヘッド』が覚醒してしまった超能力兄弟が自分たちの存在の意味を見出そうと、施設を逃走し闘ってゆく物語だが、今は現代日本の日常から遥か遠い土地で別の物語を展開しているらしい。科学者であり親代わりである御厨はモスクワ郊外の研究所で、ナジという名の少女からの危険な信号を受信し、霧原兄弟を呼び戻す。

 危険な兆候は日本の地方都市にあり、地震を呼び起こす波動が見えているというもの。乱開発により自然とのバランスを失いかけている国土が死滅に瀕するところを、特殊なテレパシー、サイコキネシスを有する兄弟が救いにゆくという、今こうしてダイジェストするだけでも気恥ずかしくなるようなストーリーである。

 さらにこの地に移り住んだ地震学者一家と、彼らを忌み、村八分にしようという市民たちとの、人々の葛藤が盛り込まれる。自然を壊そうとする力は、人の心の中にあるといったエコ的感覚で捉えることのできる側面と、人の心の快癒こそが何者にも優先し、それが結果として世界を作るのだという宗教的部分とが、重なりだぶつく中で、娯楽小説としての飯田譲治の作品世界は存在してきたと思うのだが、ここのところ後者の部分が強くなりすぎ、娯楽的散文趣味よりもずっと、説明的要素、スピリチュアルなモノグラムの締める割合が大きくなってきたような気がする。

 『ナイトヘッド』はむしろ娯楽に徹したエスパー小説だったという印象があるが、こちらは小説としてもとても短く、全体的にストーリーとしてひねりが少なすぎ、若干物足りない思いがする。『アナザヘヴン』の1と2との間に感じた、より精神的なものにシフトしている作者の側の変化を、本書でも感じてしまった。

 物語の作り手が具体から抽象に移行してしまうという傾向は、あまりいいことではないように思う。平井和正の『幻魔大戦』がどのように変化し、消滅して行ったかを思い起こすと、それは自明のことのように思われる。いつの世にも抽象を好む読者需要には事欠かないだろうが、少なくとも散文を業とする小説家は、その表現特性において、もっともっと具体的で地湧き肉踊る物語を示してゆくべきと思いたい。この作家にはそれができるはずなのだから。

(2007/07/08)
最終更新:2007年07月08日 15:58