ハンニバル・ライジング





題名:ハンニバル・ライジング 上/下
原題:Hannibal Rising (2006)
作者:トマス・ハリス Thomas Harris
訳者:高見 浩
発行:新潮文庫 2007.04.01 初版
価格:各\514

 前作から7年。巨匠だが、寡作だ。それとも、巨匠ゆえに、寡作なのか。いずれにせよ、ハンニバルのシリーズがさほど長続きするとは思えなかっただけに、稀代の悪のヒーローのメイキング・ストーリーで勝負を賭けて来るとは、またも意外なところを衝かれた。

 ハンニバル・レクター博士は、なぜ博士であるのか? ハンニバルはなぜ、ハンニバル・カニバル(食人鬼)であるのか? ハンニバルは、なぜシリアル・キラーであるのか? こういった基本的疑問点に初めて光を与えるのが、いわば本書である。

 ダニエル・キースの『24人のビリー・ミリガン』では、ビリーがなぜ分裂したかという理由に、幼少時に壮絶な虐待を受けたという結末が待っている。今ではシリアル・キラーは幼少時に、虐待を受けるなどの何らかの精神的被害者であった場合が多いということが通説となっているが、ダニエル・キースがビリーを書いた当時は、まだ多重人格すら世に認知され切っていないところがあった。日本でも宮崎事件など、多重人格が注目され、後に酒鬼薔薇事件などで幼少時の虐待という心的損傷が話題となった。

 ハンニバル・レクターが初めて小説に登場したのが、1981年の『レッド・ドラゴン』だったから、その頃に幼少時の虐待、精神的外傷を負っていただろうという想像は、読者の側にもほとんどなかったはずである。レクターは奇怪な怪物にしか見えなかった。だからこそ現在のハンニバルは、現在の物語で書き直される必要があったのかもしれないのである。

 レクターの作り方、それが本書である。時代は第二次大戦の東ヨーロッパ戦線。舞台は戦争によって孤立した森の中のロッジ。破壊したものは、爆弾であり、戦闘機による一斉射撃であったが、それは物理的肉体的な肉親などの破壊にとどまる。レクターを本当に壊してしまったものは、人間であることをやめた数人の悪魔のような男たちの存在であった。彼らを襲ったものは、戦争の終わりにその地を襲った凄まじい飢えであり、追跡者たちへの恐怖と緊張であったかもしれないが、その中で失われて鬼となってゆく人間たちの暴力が、凄まじい狂気の物語となってレクターを襲ったのである。

 その惨劇の模様、修羅場の詳細に関しては、テンポよく紡がれたこの小説の中で詳らかにされてゆく。最初は中世ヨーロッパを思わせる古城のような大邸宅における特権階級としてのレクター伯爵一家の平和な生活に始まる。こんなゴシックな描写に着いてゆけるものかと不安になるほどの重く荘厳な書き出しであったが、戦争がこれを解体し、まったく別の物語に作り上げてゆくのだ。読むのが辛くなるほどの惨たらしい物語は、敢えて全部をではなく、断片的に書かれてゆく。その間、読者は想像をしかできないのだが、作者の仕掛けたその構成の罠が、心理的に実に苦しい。

 今のレクターを知るからこそ、想像の方向性もネガティブな方向に走るのだが、事実はそれを裏切らないばかりか、より過酷な地獄へと堕ちてゆくのをやめない。だからこそ、後半の復讐劇が生きてゆき、その破壊のありようが、まるで魂の救済であるかに思えてくることこそが、この物語の最も怖いところなのかもしれない。ハンニバルを肯定し、殺人を肯定し、食人を肯定し、情を失ってゆく破滅をこそ肯定し、それでも文学の香気さえ漂う美学的作品に徹して差し出してみせた、これは巨匠の新作なのである。

 船戸与一『猛き箱舟』の過酷にどこか共通するものがあるが、ハンニバルは今もシリーズ中でしっかりと生きており、今後もまだ何か一つ大きな悲劇を見せるのかと思うと、『猛き箱舟』よりも、さらに時代を超えた強度の怪を感じさせてくれるのが、本シリーズなのかと思う。

(2007/07/08)
最終更新:2007年07月08日 15:55