過去を失くした女



題名:過去を失くした女
原題:FLESH AND BLOOD (1989)
作者:THOMAS H. COOK
訳者:染田屋茂
発行:文春文庫 1991.1.30 初版
価格:\600(本体\583)

 『熱い街で死んだ少女』と同年発表。なるほどな、と思わされる。クックの過去への旅路である。それとともに、現状に幻滅し、別れを告げてゆくクレモンズが歯がゆいのだが、人の矛盾さはこうであると思う。都合よくいかない歯がゆさが、クレモンズの生真面目さに繋がっているし、手抜きのできない性格、人と調子を合わせて上辺だけをかすりながら生きて行くことのできないクレモンズの容赦のなさを、ぼくはハードボイルドのストイシズムに連結させて読むことができた。多分多くの読者が嫌悪を持って眺めるクレモンズの方に、ぼくは近いような気がしてしまった。

 普通の人間なら、共感などは絶対に求められない作品だし、クレモンズという男を好きになることも難しい作品である。

 これはまた、宮部みゆきの『火車』によく似た作品であると思った。別にストーリーが同じであるわけではない。だが、ひとつひとつのインタビューで、ひとりの謎に満ちた女性の真実を、鎖のように連結して行く直列的な筋運びに、似たような効果を感じたのだ。そしてこの女性のエネルギッシュさと社会の持つ矛盾とが、過去でなんらかの事件をもたらす。これは誰の裏切りであるのか、終章に至るまでなかなかわからないのだが、ミステリー的興味よりも、一人の女性を襲うさまざまなものが ---- 時代とか社会とか人々とかが ---- クレモンズの人間への好奇心を掻き立てる。

 また、脇役の、謎に満ちたファルークは、すごいキャスティングである。これだけでも何か一つ評価しておきたいような人物だ。前作と言い、この作品と言い、クレモンズは決してわからず屋でも一人よがりでもなく、友達を大切に扱う誠意のある人間であることが、きちんと読めばわかると思う。結婚や恋愛がなかなかうまく行かないでいるのは、クレモンズが何かに追い込まれていることの証左であると思う。

 ぼくはクレモンズの一見身勝手な選択、恋人への不当な態度などに対し、嫌悪感とか、不満とか、苛立ちという感覚を持つことができない。ぼくは彼自身でも理解していないであろうそれらの矛盾に、ファルークのような理解者である他人を据えた点の方が、むしろ小説として誠実であるように思えた。主人公も主人公、脇役も脇役だが、我ながらひねくれた読者であるのかもしれない。でもこうしてひねくれた視線で見据えてみると、この小説は、凄味で冴え渡っていたりする。

 ラスト、吹雪の中の怒りは、ぼくには珠玉であった。ぼくはクレモンズには誠意以外の何も見ることができなかった。涙を誘われそうになった。

(1993.07.23)
最終更新:2007年06月28日 23:14