守宮薄緑(やもりうすみどり)




作者:花村萬月
発行:新潮社 1998.3.25 初版
価格:\1,400

 第3短編集だって、ほんとうなのか? 本をいっぱい出している作家であるのに、短編集は三冊目? 『ヘビイ・ゲージ』と何だっけ。『わたしの鎖骨』か。『ゲルマニウムの夜』『笑う山崎』『渋谷ルシファー』などの連作短編集は別勘定というわけか。思えば300ページ足らずの軽長篇小説(失礼な言い方かもしれないが)がほとんどであったのかもしれない。あの長いトンネルの時代にそのほとんどの軽長篇(やはり失礼か)を書きなぐり続けてきて(これも失礼かもしれないんだが)、ぼくはずいぶんその間我慢してともかくも萬月という作家だけは追いかけてきたんだ。

 その頃には萬月も多作を批判されていたのだが、その渦中にある彼は、あとがきの中で多作で質を落としているわけじゃない、と吠えたことがあった。でも今さらながら自らの足跡を振り返り、小説家をやめようとまで思ったとその商業路線化を悔いている今の萬月を思うと、あの吠え声は自分自身の作家的ジレンマを認識した上での苛立ちの吠え声だったのだろう。一読者にしてみても、その頃の作品群を思うと、今さらながら「やはり、案の定」の念が強いんである。

 だからこそ今、商業化路線に背を向け、書きたいものを書くと豪語する萬月は、とても頼もしく見えるし、あの長いトンネルの時代にも、これだけは大切にと書き連ねてきたこの『小説新潮』向けの特別な短編群は、花村萬月、作家的誠実のたまものなのだとの念が強い。

 短編ひとつひとつに、作家の上を通って行った大きな時間の波を感じざるを得ないが、一つ言えることは『ゲルマニウムの夜』に劣らぬ「私小説」的な性格を強く感じる作品集であるように思えることだ。特に父の死や、家族のこと、愛情への飢餓、母性への憧憬、作家としての心もとないバランスを維持しようという感覚、文章への愛着……そうした私的な要素がいつも寄り添っているような短編集ではないか、だからこそ彼は特別な思い入れを持ってこの短編集を作ってきたのではないか、と強く感じるものがある。

 しかし、待たれるのはつくづく次の大長編であるなあ。今の萬月には安心して期待してよいものが感じられてならないからだ。

(1999/04/30)