心の砕ける音




題名:心の砕ける音
原題:Places In The Dark (2000)
作者:Thomas H. Cook
訳者:村松 潔
発行:文春文庫 2001.9.10 初版
価格:\581



 記憶シリーズというものが一応終わって後の新しい作品でありながら、記憶シリーズとは明らかに一線を画した作品。ノスタルジックな時間軸の向こう側に見え隠れする血の惨劇を、記憶の中から啄ばむ地方検察官のキャル。人の思いの中で時間は自由にひずみ、ゆきつ戻りつ、変幻する。クックが本作でも時間という道具の魅力に取り付かれていることは確かである。記憶シリーズのように現在と、遠い遠い過去の物語というのではなく、時間軸のあちこちを往来しながら、時折り立ち止まって、目を細めてどこかに焦点を合わせる。本書はそういう形式の小説である。

 1930年代の田舎の村の事件。すべてが過去だけの作品。ノスタルジー。リリシズム。犯人探しの醍醐味そのものは、犯人がわかったところで、やはり主題ではないとわかる。兄弟の愛と憎しみ。村のバス停に降り立ったドーラというヒロインの美しさと彼女への恋慕。彼女を襲ったより遠い過去の残酷。

 多くの登場人物に纏わりついて離れない欲望と暴力とが、深く絡み合って、語り手であるキャルの心の歴史の中で、光ってゆく。ラストのラストまでしっとりと美しい文章が貫かれ、修道院の罪深いある一日に幕を閉じる。この叙情性だけは、誰にも追いつかせないと、言わんばかりのいかにもクックらしい美しい一作。

(2002.12.19)