蜘蛛の巣のなかへ




題名:蜘蛛の巣のなかへ
原題:Into The Web (2004)
作者:トマス・H・クック Thomas H. Cook
訳者:村松 潔
発行:文春文庫 2005.9.10 初版
価格:\638




 しっとりとした語り口。フラッシュバックを多用した、惨劇現場の描写。時間軸に沿った現代と、古い記憶の中から蘇る青春の日の苦い思い出。原罪を心に熾き火のように抱えつつ、故郷に帰還した主人公ロイ・スレーターは、刑務所で自殺した弟アーチーの真実を探し始める。

 古い時計を巻き戻して、過去の惨劇を洗い出し、真実に近づくことで、若々しい頃の自分を再発見する、という構図は、もはやクックという作家の定番になっている。『記憶』シリーズと呼ばれる作品からクックは作風を変えたと言われるが、そうではなく、クックが自らの作風を『記憶』シリーズによって発見したのだろう。

 かつてミステリ書きであり古い他人のやり方を踏襲していたクックは、フランク・クレモンズのシリーズを軸にした初期名作のなかでも、ひときわクックらしい心の物語を追求してきた。しかし『記憶』シリーズ以来、クックは探偵や捜査官といった立場の主人公ではなく、アメリカの辺境とも言える片田舎に青春の苦い過ちと罪悪感を持ち運ぶ、市井の弱者たちを採用するようになった。

 名もなき主人公たちが古い因習と美しい原風景のなかで、過去という地中の中から蘇ってくるような物語。それはミステリーというよりも、人間の弱さがもたらす葛藤の原型といってもいいような姿だったように思う。

 ともかくクックは、自らの世界を確立した。以来、多くのクックの作品が、本書のように、過去を発掘する主人公によって語られるスタイルのものとなった。古い因習の中にはびこる悪意のようなもの。それによって引き起こされる理不尽な運命。陰惨な犠牲者たちの末路。

 そうした冷酷な事件とは対照的に、いつも燃え盛る情念を持て余す若き魂たちの物語がある。現実の硬質な残酷と、叙情溢れる心の中の柔らかなストーリーが同居する世界である。

 本書で目立つのは、町の人々と、山の民との差別意識だ。アメリカの古い因習が呼ぶ排他主義と、その犠牲者たち。抵抗する魂に対し、これを抑圧する権威の暴力。

 離れてしまった家族への不信や孤独感はとてもやるせないものだ。戻せない時計の針を眺めつつ、主人公は過去の事件を通して、多くの人との新たな対話の中から、父への情を取り戻してゆく。どこの家族にも起こり得る悲劇を回復しようとするドラマであり、人間の根源的孤独を治癒に向ける、悲劇と癒しのプロットである。

 クックのデリカシーと力強さのバランスが巧く取れた作品であると思う。

(2005/10/16)