緋色の迷宮




題名:緋色の迷宮
原題:Red Leaves (2005)
作者:トマス・H・クック Thomas H. Cook
訳者:村松 潔
発行:文春文庫 2006.09.10 初版
価格:\733




 ミステリというより、その小説のあまりのウェットさ、心理描写の巧みさの方に引き込まれてしまう。しっとり感を描出する叙情溢れた表現力において右に出る者がいない作家であるだけに、こうした一家族という小宇宙のスケールが何故かぴったりとフィットしてくる。

 最近は、父子、兄弟など、家族間の距たりを追憶の文体で描くことの多かったこの作家、本書では珍しく新境地を拓いてみせた。先に現在があり、過去を振り返るというモノローグに始まる語り口はいつものままでありながら、小説世界は、愛情と猜疑のぶつかりあいで終始する。

 若い少年の眼を通して美しい女性の悲劇を憧憬とともに見つめてゆく詩情ではなく、父の側から感じられる、息子という存在への不可知性……まさしく詩情よりも現実こそが、この小説の掻き出してしまったものである。

 クックの叙情は現実というのっぴきならない世界で、方向性のある愛情に悶える。娘を失ったかもしれない家族と、少女を殺したかもしれない息子を抱える家族。懐疑が確信に変わる要素はどこにもないのに、愛情が心の眼を曇らせてゆく。木立に囲まれた美しい我が家は、次第に不穏な緊張に揺らいでゆく。

 驚愕に満ちた皮肉な結末を見つめ続けることが辛いけれども、それは回想という形で綴られる本作のくすんだ色彩に既に含まれた喪失感とともにずっと抱き続けなければならない。何が人を愚かにし、何が運命を招き寄せるのか?

 過去にこそ見えてくる何かがある。それがトマス・H・クックのこだわり続ける小説の骨格なのだろう。事件を暴くことではなく、事件が呼び起こす周囲の人間たちのドラマにこそ小説の核が存在するとでもいうように。

 ミステリ色はいつも以上に弱いが、一気に読まされる人間模様は、いつもながらのものだ。クックは、安心して心を委ねられる希少な作家の一人なのである。

(2006/10/29)